「私の名前はウォルフ・ライエ・ド・モルガン。アルビオンはサウスゴータのド・モルガン男爵家の次男で、異世界の記憶を持つメイジです。よろしく」
「まぁまぁ! 異世界の記憶ですか。それで不思議な感じがしたのですねえ……あ、私はカトレア・イヴェット・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール、今度父さまが子爵領を下さると仰っているから名前が変わるかも知れないですけど、ラ・ヴァリエール公爵家の次女で半病人ですの」
ウォルフの自己紹介に対しての反応はごく普通だった。カトレアは驚かないし、ウォルフの言葉を疑うこともない。
それも当然でこの部屋は言わば彼女の結界内、この領域で発せられた言葉が真実であるか否か、彼女には明白なことだからだ。きらきらと目を輝かせながらウォルフの言葉を待つ。
「この宇宙のどこか別の星になるのか、それとも次元すら全く違う全く別の世界になるのか分かりませんが、その異世界の記憶を利用して、様々なものを作り、商会を発展させてきました。カトレアさん、これを」
カトレアの背後に回り、ごく細いネックレスを首に掛ける。
「これは? まあ、なんと言うことでしょう!」
「タレーズと言います。トリステインではあまり流通していませんが、良く売れているのですよ」
ずっしりとした重量を感じさせるカトレアのふくよかな胸が重力から解放され、今までその重みが掛かっていた肩がスッと楽になる。
ウォルフが昨日カトレアを診察してこの胸のことは気に掛かっていた。横になっても形の崩れない張りのある乳房はその大きさ故に胸に圧迫を加え、彼女の呼吸を苦しいものにしていた。
体力が落ちたときに体への負担が少ない方がよいと考え、タレーズを持ってきていた。勿論プレゼントのつもりはなく、代金は公爵に請求するつもりだ。
「これ以外にも様々な物を作っています。今では商会の規模も大きくなりまして、色々やってますが、本質的には私が作ったものを世の中に広めるためのものです」
「聞きましたわ。何でも、飛行機というものをお作りになったのでしょう? 竜よりも速く飛ぶと聞きました。それも異世界の記憶で作りましたの?」
「ええ、向こうは魔法がない世界ですのでハルケギニア風にアレンジしていますが、向こうの知識を利用しています」
「魔法がない…それで人々は暮らしていけるのですか?」
「無けりゃ無いで色々工夫するものです。少なくとも私のいた国はハルケギニアよりも安全で快適でした。魔法なんか無くたって、人は月にまでも行っていましたよ」
「ええっ? 月って人が行けるような所なのですか?」
ウォルフは椅子に座ってゆっくりと話し始めた。魔法のない、科学技術に支えられている世界のことを――。
きっかり二時間後、ウォルフはメイドに案内されて食堂へと移動した。カトレアは着替えてから来るとのことでまだ来ていない。
公爵一家はもう勢揃いして座っていて、ルイズ以外はまだピリピリとした空気を纏っている。勧められるままウォルフは用意された席に座った。
「お疲れ様だったな。どうかね、治療は上手くいったのかね?」
「治療というか、カウンセリングみたいなものですね。彼女の今後の過ごし方や心の持ち方によって症状を緩和できるかと思っていますので、アドバイスなどを」
「ふむ、それが本当なら喜ばしいな」
「ウォルフ、ちいねえさまもう大丈夫なの?」
「完治はしていないけど、今日みたいな状態にはなりにくくなったと思いたいね」
安心して溜息を吐くルイズの目にちょうど支度を終え、食堂に入ってくるカトレアが映った。いつもはカトレア一人、体を締め付けないドレスを着ているのだが、今日はルイズ達と同様に体の線を出すドレスを身につけていた。
彼女の出るところは出て引っ込むところは引っ込んでいるボディラインはドレスを着るとよりいっそう強調される。それほど胸の開いたデザインではないがタレーズによってその位置を変えた胸は、いつもより一回り大きくなったように見え、ちょっとした拍子に飛び出してしまいそうだ。
「おお、こうして見ると凄いな。ルイズやったじゃん」
「ん? 何がよ?」
「カトレアさんによく似てるルイズなら将来あんなナイスバディになるんじゃないの?」
「……当たり前じゃない。私には輝かしい未来が待っているのよ」
完璧な淑女と言った出で立ちのカトレアに感心して、小声で対面に座るルイズに語りかけると誇らしげな顔で返された。
ルイズに似ていると言えば隣の公爵夫人の方がより似ている気はするのだが、こちらは随分と薄い胸をしている。ウォルフは彼女の将来の希望のため、そちらの方についてはあえて触れなかった。
「ほおぉ……ぐっ! むむむ…カ、カトレア、そんな格好で大丈夫なのか、もう少し楽な格好の方が良いのではないか?」
娘の見事な胸に見入っていた公爵は何者かによって脛をしたたかに『エアハンマー』で打ち据えられ、暫く悶絶していたが何とか顔を上げてカトレアに問い質した。
「ええ、お気遣いありがとうございます、お父さま。ウォルフさんのおかげで体調はとても良いですし、この服もそれほど締め付けるものでも有りませんから大丈夫です」
「そ、そうか。久しぶりにそうした格好を見たが、見違えてちょっと驚いてしまったよ、ははは」
「ウォルフさんにこのタレーズというものを頂いたので、とても上半身が楽になりました。ちょっと服のサイズが合わないみたいですね」
「ほお、ウォルフ君? カトレアに、プレゼント、ですかな?」
「いえいえ、治療の一環です。体に負担を掛けない方が良いでしょうから、カトレアさんに楽に過ごして貰うための装備ですよ。商会で扱っている商品ですので、後で公爵に代金を請求します」
「ん、そうか、それならいいんだ、がんがん請求してくれたまえ。カトレアを気遣ってくれて感謝する。さっきも話をしていただけなんだよな?」
「当たり前です、お父さま、下品なことを言うのはやめて下さい」
「……との事です」
「ん、んん、そうか。ではそろそろ食事にしようか。この家はそんなに堅苦しくはないから、ウォルフ君も気楽に過ごしてくれたまえ」
ウォルフへの質問をカトレアが遮って代わりに答える。ニコニコと笑顔の娘だが、公爵は何故かプレッシャーを感じ、咳払いを一つすると昼食の料理を運ばせた。
簡素な、と言う割にはやたらと豪華な昼食は意外にも和やかな雰囲気で進んだ。その中心人物であるカトレアはコロコロとよく笑い、食べ、ウォルフに開拓団の事など外の世界の話をねだる。ウォルフにとってもこの食事の時間は楽しいものとなり、会話は弾んだ。
「ウォルフさん、このタレーズはとても素晴らしいものですけど、こういう服を着るときは注意しなくてはなりませんね。油断したら飛び出してしまいそうです」
「はは、暴れん坊なのですね。チェーンの連結部に効果を調整できる機構が付いています。適宜調整してお使い下さい」
「あら、ちょっと調整してみて下さいますか? あともうちょっとだけ胸が下がるように…」
「ええ、構いませんよ。ちょっと、失礼します」
ウォルフが首の後ろに回り込み何度かタレーズを調整し、カトレアがモニョモニョと胸の収まりを探ってベストポイントを見つけ出す。カトレアの周辺は和やかだったが、少し離れたテーブルの端ではまた公爵が脛をしたたかに打ち据えられていた。
「うふ、ありがとう、丁度良い感じだわ」
「ちいねえさま、それってそんなに良いの?」
「ええ。これまでの悩みから解放された気分よ。ルイズくらいの年頃の体に戻ったって感じかしら」
「ふうん。ねえウォルフ、私の分はないの?」
「いや、ルイズは必要ないだろう」
「何でよ、来年くらいにはきっと必要になってるわ」
「来年、必要だったらお父様に買ってもらって下さい」
「……ふん、見てなさいよ、来年ウォルフはわたしに謝ることになるわ」
「楽しみにしているよ」
「うー、その目をやめなさい」
ウォルフが優しい目で見てあげたというのに、ルイズは気に入らないらしくうなっている。その脇でカトレアが微笑んでいて、仲の良い子供達をラ・ヴァリエール公爵夫妻が見守っている、という感じで昼食を食べ終えた。
「カトレアもルイズも随分とウォルフ君と仲良くなったものだな。カトレア、さっきはウォルフ君と二人でどんなことを喋っていたのかな? さわりだけでも教えてくれないか?」
「ええと、そうですわね、どうしてこんな体になったのか、とか具合が悪くならないためには日頃どうやって過ごせばいいか、とかですわ」
ちらりとウォルフを見てから答える。その様子は公爵の気に入らないものだったが、それよりも話の内容に気になる点があった。
「病気の原因って事か? それが分かっているのなら、対策も立てられるかも知れないじゃないか。ちょっと、わしにも話してみなさい」
「ええと、それは…」
またちらりとウォルフを見る。ウォルフに関することについては黙っていて貰うことになっているが、カトレアのことについて話すのは構わない。ウォルフに関することと言っても、どうせ今までもカトレア以外は誰も本気にしてくれなかったような内容だが。
「どうぞ。私が話して欲しくない事のときは止めますので」
「わかりました。ではお話しします。ウォルフさんが言うには、私のこの症状は精霊魔法的な現象の誤作動によって引き起こされていると言うことです」
カトレアは公爵の方へ向き直り、時折ウォルフの方を見ながらゆっくりと考えながら話す。
「精霊魔法…先住魔法のことか? エルフなどが使うと言う」
「はい。わたしは先天的に精霊魔法を行使しやすい体質らしくて、こんな風になっているらしいのです」
「そんな体質、聞いたこと無いぞ…」
ウォルフは解説して欲しそうな公爵を無視してデザートをつつく。視界の端ではエルフという言葉が出てきたときの公爵夫人の表情を観察していた。青ざめ、動揺している様子でどうやら彼女は何かを知っているようだ。
「ですから、系統魔法では私の症状を完治するのは難しいそうです。本気で治療したいのならば精霊魔法を調べるべきとのことですわ」
「ちょ、ちょっと待ってくれ、ウォルフ君、君は何故精霊魔法なんてものを知っているのだね? 何故カトレアが精霊魔法的な現象によって病気になっていると判断したんだ?」
「ラグドリアン湖の精霊など、精霊魔法を観察する機会が多少ありました。それらの知見に基づいた判断です」
「ラグドリアンの精霊と交信が出来るのか……」
「ですので、公爵の方で何か精霊魔法に関する伝手がございましたら調べて頂きたいと思います」
「そんなもの、あるはず無いだろう…ここはハルケギニアだぞ」
「本当に、無いのですか?」
そう言いながらウォルフの視線は青白い顔をしている公爵夫人・カリーヌを捉える。カリーヌは大きく目を見開き、思わず杖に手を伸ばした。
「母さま? どうなさったの?」
様子のおかしい母親を心配したルイズが横から声を掛けた。カリーヌは慌てて杖から手を離し、何でもない様子で微笑む。
「なな何でも有りませんよ? カ、カトレアの事を心配していただけです」
「? 母さまは何か先住魔法の事、ご存知ないの?」
「知りませんよ! エルフの事なんて!」
「……」
ルイズとは小声でやりとりしていたのだが、想外に大きな声が出て一座の注目を集めてしまう。しんと静まりかえった座の中でカリーヌは不器用に笑顔を作った。
「こほん。それでですね、お父様、ウォルフさんには精霊魔法を使える知り合いの方がいるそうで、その方に一度診て貰ったらどうかとの事なのですが」
「本当かね、ウォルフ君。どんな相手なんだ、一体?」
「ここから、そうですね三千リーグ以上東に行った草原にいる部族です。辺境の調査行で知り合いました」
「三千リーグ…ロバ・アル・カリイエか? 君はロバ・アル・カリイエに行ったのか?」
「話に聞くロバ・アル・カリイエってかんじでは無かったですね。もう少し手前のようで、東の方で蛮族と呼ばれている部族と似たような感じです」
むむう、と公爵は唸る。蛮族なんぞに愛する娘を診せるのは抵抗があるが、公爵は娘を治せる可能性があるのならば、何人であろうと構わないと誓っている。感情を押し殺し、蛮族による診察を許可する事にした。
「良いだろう。ウォルフ君、さっそくその蛮族を連れてきてくれたまえ。報酬のことは心配いらない。たとえ蛮族が相手であろうともちゃんと払う」
「いや、無理です。診て貰うなら、カトレアさんが東方へ行くという形になります。それと蛮族ではなくアルクィーク族です。そこの族長のカミラさんかその娘のルーさんだったら何か分かるかも知れません」
「馬鹿な! カトレアをそんなところにやれるものか! トリステインの公爵が頭を下げて頼むのだぞ、たっぷりと礼を約束すれば問題ないだろう」
「彼らは彼らの草原を愛し、草原と契約している部族です。よっぽどのことがない限り草原からは離れません。ましてその部族の長ともなれば生まれてから死ぬまで彼らの草原から離れないのが当然だそうです」
ルーは部族の中で医師のような事もしていた。エルフよりは魔法の扱いにおいて大分劣るのだそうだが、族長の一族はかなり魔法に精通しているように見えた。彼女らならばカトレアの病状について何らかの知見をくれると思うのだが、公爵の態度は異文化交流をしないハルケギニアの貴族らしく、尊大で他文化に対する敬意に欠けたものだった。
「カトレアを送るとすると、最低でも戦列艦を一隻と竜騎士を四騎程度は用意せねばならんが、そんな武装したフネにゲルマニアが上空通過の許可を出すはずがない。不可能だ」
「高々度を飛行する必要がありますしゲルマニアの端からでも千五百リーグ以上有りますから、従来型のフネでは風石がもちませんね。辺境の森の上を飛ぶので、竜の群れの餌食になる公算が強いです」
「むうう、そうだ! ラグドリアンの精霊だったらどうだ? 彼の存在と交信が出来るのならば、カトレアの治療くらい出来そうなものだ。先住魔法が原因だというのならば、精霊に治させれば良いのではないか?」
「精霊とはそういう便利な存在ではないと思います。我々とは全く異なる存在であり、我々の肉体・精神・生命を自在に操れてしまいますので、細心の注意を持って対峙する必要があります。気楽に利用しようという考えはお勧めできません。もしカトレアさんの肉体が治ったとしても中身が別物になってたりしたら意味無いでしょう?」
結局公爵とウォルフとの話はかみ合わなかった。カトレアからもアルクィーク族の部落へ行きたいとの希望が出たのだが、公爵は許可を出さず、当面の間保留して今回の治療の経過を観察すると言うことで落ち着いた。
今回のウォルフに対する報酬はウォルフが必要経費としてタレーズや水の秘薬の代金を請求したのに対し、公爵はまたその倍額を小切手で支払った。開拓地にお金が掛かるため、現金はいくらあっても足りない。ウォルフはありがたく頂戴しておいた。
「では、そろそろわたしはお暇しましょうか……と、その前に公爵夫人とも二人きりで話したいのですが」
「わ、わたくし、ですか?」
「はい。ほんの五分程度で結構ですので」
「ウォルフ君、カリーヌはダメだぞ。彼女は私の妻だ」
「……存じておりますが」
いくらサラの化粧品で若く見えるとはいえカリーヌは四十も半ばでウォルフの母エルビラよりも年上だ。そんな女性にまだ十一歳のウォルフがどうこうと言うことは無いというのに、この人もツェルプストー辺境伯と同じ人種なのだろうか。
「……よろしいでしょう。わたくしの方もミスタ・モルガンとは二人きりでお話がしたいと思っていたところです」
「カリーヌ……」
「という訳ですので、カトレア、あなたの部屋をちょっと貸して下さい。あそこならまだ『サイレント』が掛かっているでしょう」
「は、はい、どうぞ。こちらでお待ちしていますわ」
病人であるカトレアの部屋は食堂から近い位置にある。カリーヌはウォルフを伴ってカトレアの私室へと移動した。どこか寂しそうな公爵は全く無視だ。
「さあ、わたくしに何のお話があるのですか? ミスタ・モルガン、お話し下さい」
扉に『サイレント』をかけ直し、密室となった室内でカリーヌがウォルフを真っ直ぐ見つめながら促した。
カリーヌは超一流のメイジだ。彼女と二人きりになって間近でその威圧感を受けるウォルフは、まるで雌の竜と閉じこめられたようだと感じたが、努めて冷静に答えた。
「何、大したことでは有りません。あなたの先祖がカトレアさんのような病状について、何か書き残していないかと思っただけですから」
「っ……」
その鋭い目をいっそう吊り上げて、カリーヌはウォルフを睨み付けた。