切欠など忘却の彼方にあった。
思えばあの日あの時あの場所で総てが動き出したというのに。
『おりむらいちか』が生まれた日。
純白の騎士がトリガーを引いた。
放たれる光線が、数千キロ先の弾道ミサイルの弾頭を貫く。一つだけではない、余波で数十の爆煙が上がった。
専守防衛の名を体現するかのように、一ミリも動かずただ機械的に狙いを定め撃つ作業を繰り返す。何人たりともそこを通過することは許されない、絶対阻止不可能ラインをたった一機で形成していた。
騎士の銃は丸太のように肥大であり、右肩に乗せるような形でやっとバランスを保てている。右手を引き金にかけ、左手は銃身を支えていた。各部から伸びる握り拳ほどの太さのコードが腰部アタッチメントに取り付けられた大小様々のジェネレータに接続され、途方もない距離でもレーザーが減衰しない超長距離狙撃を可能とする。
このジェネレータ一つにつき、ISコア一つが使われていると現在の人々が知れば驚愕に身を凍らせるだろう。
「たばねさん、あれなに?」
「……インフィニット・ストラトス。私が作り上げた、世界を変える超兵器」
彼はその時まだ幼くて、束の言葉の半分も理解できていなかった。
なぜ彼を連れてきていたのかは分からない。束は眼前に投影されたいくつものウィンドウに目を走らせながら、インカム越しに指示を出し続ける。
「ひとまずミサイルについてはそろそろ終わりだね。後36発で打ち止め。一応自動誘導は勝手に切れるから気にしないで――ああ、応答する余裕なんてないか」
今まさに戦場に立つ鎧を纏った少女は、四方八方から飛来する破滅への切符を必死に落とし続けている。常人なら諦めるか失神するかのプレッシャーの中で、彼女は生き残ることを考えていた。
視界に表示される誘導に沿って撃てばいいのだ。タイミングを逃さず目を背けなければ問題はない。ミスすれば祖国が滅ぶという重圧さえなければ束でもできるだろう……それでも常人には不可能だが。
そして補佐する束も、ほとんどやる事はなくなっていた。自分が発射させたミサイルなのだ、制御できずしてどうする。
攻撃側も迎撃側も手中に収めた世紀の天災は、隣で無邪気に空を見上げる少年に目を向けた。
「たばねさん、あれすごいね! ピカピカ光ってカッコいい!」
少年――『白騎士』を纏う少女の弟はまさに自分の姉を指差した。
「あれはね、ちーちゃんなんだ」
「え? おねーちゃん、なんであんな高いところにいるの?」
「『守る』ためだよ。私を、いっくんを、日本を」
『守る』という名の呪い。それが彼にかけられたのは、もしやこの時だったのかもしれない。
「ふーん」
「……ごめんね」
混じりけのない瞳で騎士を見守る彼。
その姿に束は、騎士として戦う少女にすら吐露したことのない心中を、ぽろりと漏らしていた。
「本来はね、いっくんのために作ったはずだったんだ。宇宙に行くためのもの……だったはずなのに」
「? うちゅー、行きたいねー」
「うん、そうだね。私もいっくんと一緒に、宇宙に行きたかった。でもダメだったんだ。ただの宇宙進出じゃあ誰も取り合わない。夢だけじゃダメだったんだ。自分の利権を守るため……戦力としてのISしか受け入れられない」
子ども心ながら、口を挟んではいけないと察したのか、彼は口をつぐんだ。
「だからこうして認めさせてやるんだ。私たちの夢の残骸はここにある。夢を踏みにじったお前らの喉元に刃を突きつけてるぞって……ッ。だから……ッ!」
「泣いちゃダメだよ、たばねさん」
え、と束は自分の目元を拭った。本当だった。気づかない内に、泣いていたのだ。
「おねーちゃんがよくいうんだ、泣くとラクになれるけど、泣くのをがまんするとラクになれないわけじゃない、がまんしなきゃ行けないときもあるって」
「……いっくん」
「たばねさんを泣かせてるのはなに? 教えてくれたら、おれが、『まもる』からっ!」
さっき覚えたばかりの言葉とは思えなかった。
遺伝子なのか、これが織斑の血筋の持つ『何か』なのか――いいや、きっと違う。
織斑一夏と織斑千冬は、腹違いでありながら、得体の知れない何かでつながっている。
例えば、篠ノ之束という奇人を受け入れる器。
例えば、年齢や経験を無視するような剣術の腕。
例えば、周囲を否が応でも惹きつける無自覚の強さ。
それを絆と呼ぶ人もいるかもしれない。
一時期ではあるが、少年が母から織斑家に連れてこられた時、姉は弟につらく当たっていたことがある。
姉の母は家を出て、弟の母は海に身を投げ、一家離散の危機でもあった。そしてそれを収めたのは、他ならぬ弟だった。
父に捨てられ母に見限られ、自分に暴力を振るっていた姉を諭し、織斑家をどうにか普通の家庭と遜色ない程度までに引き上げたたのである。
その業績をもって彼を讃えるのか、彼を不気味と断じるのか。
束は後者であり、事実、その時も少年の得体の知れない懐の深さを気味悪く感じていた。
そもそも彼女が母譲りの男性恐怖症であり、まだ中性的な顔立ちである少年には多少話せるだけなのであるから、その敬遠が客観的に見て正しいものかは分からない。
強姦事件の被害者と加害者の子供という特殊な出世の束からすれば、少年は所詮男というこの世に不必要なファクターの一つであった。
けれど、嗚呼――もう駄目だ。
男から慰められるというかつてなら首を斬ってでも嫌がる行為に、束はつま先から頭の先までどっぷりと嵌っていた。おぞましい安心と虚脱と、その中に潜む快感。
「お願いッ……私を守って、いっくん。みんなみんな、私がこの世界ごと歪めちゃったんだ。いっくんも多分、例外じゃない。だから」
「じゃあそのせかいから『まもる』よ」
束は声もなく泣き続けた。延々と、嗚咽を堪え、泣き続けた。
上空では『白騎士』が戦闘機や巡洋艦から戦闘能力を奪っている。
戦場が終結するまでそう長くなく、そのころには天災も少年も、姿を消していた。
やがて世界は変わった。
束が想定した最悪のパターンで。
女尊男卑。
適当な変装で街を歩く国際指名手配犯の篠ノ之束は、数年ぶりとなる再会に胸躍らせ、一方ではビクビクと怯えている。
住宅街にある一軒家に着く。相手は小学生だ、サプライズの意味を知ってるかも怪しい。
きっとまだ彼は強くなり続けてるのだろう。まだ見ぬ誰かを守るための力を求めて。生身で姉とそこそこやり合える時点で、やはり人間かどうか怪しいが。
住所だけしか分からなかった。ここが世界最強のISパイロットの実家だとはまさか各国の情報機関も思わないだろう。
「……何緊張してんだろ、私。インターホン押すだけじゃん」
さっきから指はボタンの数センチ手間で硬直、いやプルプル震えていた。
(落ち着いて、落ち着くのよ束ちゃん。別にやましいことをしようってわけじゃない。ただ久々にお世話になった家を訪れるだけなの。別に何もやましいことを)
「……何してんですか、束さん」
「ひゃうわああっ」
横から声をかけられた。
成長した少年が、そこにいた。
しばらく目を合わせ、固まる。
「とりあえず、上がっていきますか」
無言でコクコク頷いた。
靴を脱いで家に上がる。
コーヒーを飲んで落ち着きを取り戻し、束は改めて少年に挨拶した。休日だというのに外に出ていたのは買い物に出ていたらしい。ほとんど一人暮らしの状態である彼は、軽食なら自分で作るのだとか。
軽い近況報告は束から始まった。
世界中を飛び回っていること。各地にラボを(無論ダミー込みで)建て、やっと逃亡生活にも慣れてきたこと。
少年は乾いた笑みを浮かべていたが、まあ束ならよくあることだ仕方ないと割り切っていた。幼いことからそうでもしなければ、最強と天災に挟まれる環境ではまともに精神を維持できなかっただろう。大切なのは慣れと諦めだ。
今度は少年が口を開いた。
「モンド・グロッソ、招待客の席で見たんですよ。姉さんが席取ってくれて。すごかったなあ。三次元旋回のキレはさすがに姉さんが上でしたけど、準決勝での、ドイツの人の高速切替(ラピッド・スイッチ)、あれフェイントだって俺気づけませんでしたよ。姉さんどうやって見破ったんでしょうね」
饒舌に語り出した少年は、束から妙に優しい目で見られていることに気づき、恥入ったように頭を掻いた。
すいません、と一言入れて話を続ける。
「どうでもいい話でしたね。きちんと姉さんが最強になるのを見てから、少しイタリアの観光して二日後に帰ってきました」
「……そっか」
「姉さんは忙しそうです。義務教育は終えてますし、独学で高校の教育課程もマスターしてるんですけど、飽きたらず教員試験にチャレンジしてるんですよ」
「へぇ! 初耳だなあ。先生になりたいって?」
「みたいですね。ただ……IS学園の先生になりたいらしいです」
IS学園。聞いたことがある。確か日本が運営の責任を持つ、国際的なISパイロット育成機関。できてまだ何年と経っていないはずだ。
「むしろちーちゃん、通う側なんじゃないかな」
「はは、確かにそうですね」
織斑家の茶請けと束が持ってきたチーズケーキはすでに皿の上から消えていた。
少年が煎れたコーヒーに舌鼓を打ちつつ、よくできた子だと改めて束は少年を評価する。本当に小学生かと聞けば、数ヶ月後には中学生だとムキに返された。妙な所で子供っぽい。
以前に増して精悍な顔つきだ。
しかし束のラボに戻ってきた『白騎士』をペタペタと触って、不思議そうに見上げていた頃の面影も残っている。
「世界、変わっちゃいましたね」
「……うん」
男性がISを起動させた例は未だにない。
少年自身何度か挑戦し、失敗し、へし折られてきたのだ。
「まだ自分の責任だと?」
「事実だよ。私が世界を歪めたんだ」
ISが男性に扱えない理由は束にも分からない。
ただ、察することはできる。
467のコアを作り上げる時、束の内心は憎しみでいっぱいだった。夢を、宇宙へ伸ばした手を折られた憎しみ。
自分に冷酷な答えを突きつけたのも――男性だった。
全てを完成させ、『白騎士』の更なる強化に取りかかる時まで男性への恐怖は憎悪と区別がつかないほどで。
コアは、それを汲み取ったのかもしれなかった。
例えそうだとしても、コアを分解し徹底的に検査すれば、束ならそのバグとも言える原因を取り除けるだろう。彼女はそんなことしないつもりだが。
このままでいい、と、束は思っていた。
これ以上世界を歪めたくない、と束は恐れていた。
ISは実は男でも使える、ならはい元の男女平等に戻りましょうとなるか。なるわけがない。
「悪い人でしょ、束さんは。世紀の天災だからねー」
「俺にとっては束さんは天災だけど、近所のお姉さんですよ」
「近所のお姉さんは世界を歪めるのかな?」
「自分を責めるの、止めてください」
少年は立ち上がった。憤る双眸に射抜かれ、束はその場に固まった。
「俺があなたを許します。世の男が罵られようと知ったことじゃない。俺はあなたを許しますよ」
「う……でも」
「でもじゃない。俺が許すのに他の人は関係ありません」
そう言って少年は両手を広げる。
吸い寄せられるように、束はその中へ体を預けた。
「大きくなったね」
「そろそろ束さんだって抜きますよ」
「それは悔しいなぁ」
下らない会話。
その中でも、束の瞳からはとめどなく涙がこぼれていて。
そのおぞましい快感に身を委ねていた。
今度は、逆だった。
篠ノ之束が少年を抱き締めていた。
忌むべき発明、ISを自身が纏い、呆然と少年を抱き留めていた。
膝を着き、ISを粒子に還す。周囲には破壊されたコンクリートの残骸と、燃え盛る炎と、束によって粉砕された人間だった肉片しかない。
少年は力なく束の膝に頭を預けた。
「いっ、くん」
「……」
返事はない。
滴が少年の頬に落ちる。
「いっくん」
「……」
「いっくんッ、起きて」
「……」
「いっ……、いっくん、いっ」
「……」
「あああッ」
「……」
「 、」
気がついた。束はやっと見た。
血に染まる少年の衣服。赤いカッターシャツ、淀む詰め襟。
決して返り血なんかじゃない――
「いやあああああああああああああああああああああああ!!」
第2回モンド・グロッソ決勝戦当日。
束が駆けつけた時。
織斑一夏は死んでいた。
ほうき専用機『紅椿』の御披露目はつつがなく終わった。
……いいか『あかつばき』だぞ間違っても『くれないつばき』じゃねえからな!
プッツンしたヒロインに刺されて腹に大穴空けるとか御免だ。その役目はイッピーが負ってくれ。
まあ性能が明らかに現存機の遙か上を行ってたりするのは姉としての愛情と捉えておこう。
機体馴らしのためほうきはしばらく専用機持ちと一緒にいるらしい。
「……束さん、冷静に考えりゃ姿現して大丈夫なんですか?」
「正直かなりヤバいね」
「いいかこの人は水無月さんの姉だからな! いいな!」
各国の技術者たちに言い含めておく。IS用ハンドガンをちらつかせたら黙ってくれた。
「そうだな、では適当に偽名でも決めてやれ」
「えッ、俺がかよ」
「ちなみに私なら水無月煌閃(きらり)と名付ける」
「さーて名付けてぇ異様に名付けてぇ気分だなー! そう何を隠そう、俺は名付け親の達人だッ!」
偽名がキラキラネームとか残念すぎるだろ。
そして姉さんのネーミングセンス残念すぎるだろ。
束さんが完全に固まったのを見てから慌てて割り込む。信じられないことに多少自身でもあったのか、姉さんは不満げな表情だ。
ここは束さんが絶交を突きつけない内にさっさと名前を決めてしまいたい。
多少考え込んだ末、俺はビクビクしながら唇を開いた。
「水無月葵(あおい)……でいいんじゃないかな」
「なるほど、ネーミングセンスはそこそこのようだな」
やたら上からの評価にイラッ★とした。超時空シンデレラっぽくキメてみた。
……我ながらないわー。反応弾で蒸発させられても文句言えないレベル。外見のグロさならヴァジュラと分かり合えました。BETAには勝てないけど。
束さんは少しもじもじとしながら、膝をつく『灰かぶり姫』の背部コンテナに歩み寄る。
「あ、あのねいっくん」
「何すか? 下僕のせいでバリバリ暇な親は早く海に行きたいんすけど」
どーせ俺は代表候補生でもないし契約先の研究所は変態しかいないし立場上暇な一生徒ですからねー。
そして水着のクラスメイトとアニメみたく遊びまくりたいんですが(迫真)。
「私も……ホントは楽しみだったんだ」
「海ぐらい珍しくもないっすよ」
「い、いっくんと来るのは初めてじゃん!」
まあ確かにそうですが。
期待するような瞳。くりっとしてて可愛い。仮に涙があふれ出てきたら俺はそれを舐めとってしまうに違いない。
チラッチラッみたいなカンジで俺を見やる束さんは小動物っぽくてマジ可愛い。劇的にガチで可愛い。何を言っているんだ俺は頭大丈夫か。
「束さん……女性用の更衣室はあっちですから」
「! い、いっくんは入り口の辺りで待っててね!」
コンテナからトートバッグを引っ張り出して、束さんは更衣室の方へと走り去って行った。
少ししてから『灰かぶり姫』が光の粒子になる。
……束さん、完全に『灰かぶり姫』のこと忘れてたな。
いつの間に遠隔操作技術ができたのかとかよりそれが印象に残ってしまった。
「じゃあ姉さん、俺行くから」
「……勝手にしろ」
ぷいとそっぽを向いてしまった姉さん。あれ、なんか姉さんの気に障るようなことしたっけ。
「何拗ねてんだよ」
「拗ねてなどいない早く行ったらどうだ束やクラスの女子が待っているぞこの女ったらしまたは女好き」
やべぇ超不機嫌なんですけど。
他のみんなも鋭い視線でこちらをグサグサ突き刺している。
「み、皆さんごゆっくり! まあ姉さんは時間が空けば来りゃいいじゃんか!」
俺は顔をひきつらせながら、みんなが待つ砂浜に向かうべく走り出す。
逃げ出したわけじゃない。
決してない。
紳士たる俺が淑女から逃げ出すなど有り得ないのだ。
――そんなこんなで専用機持ちと別れた俺だったが。
姉さんが砂浜に来ることはなかった。
夢の国が広がっていた。
「Oh……イッツ・ア・ビューティフルワールド」
「いっくんのクラス、美人さんがいっぱいなんだね」
女子更衣室の前でリア充みたく束さんを待っている俺は、眼下に広がる水着天国に目が釘付けだった。
色んな種類の水着。小ぶり、造形美、大盛り、平原、新規造山帯。
もはやアルカディア。もはやユグドラシル。
セフィロトの樹の最上位に登りつめられそうな程に俺は舞い上がっている。
「……いっくん」
「はい」
「……いっくん」
「はぇ」
「……いっくん?」
「へぇあ」
ぶっちゃけマイスウィートエンジェルズ=クラスメイトの水着姿を脳裏に焼き付けるのに忙しかった俺は、いつの間にか着替え終わった束さんが俺の隣に立っていることに気づかなかった。
「…………せっかく気合い入れてきたのに」
「え? 何にっすか?」
隣から聞こえた呟きに思わず振り返る。
女神が降臨していらっしゃった。
マイスウィートエンジェルズの上位がいた……だと……!?
大天使なんてもんじゃない。相川たちを天使とするなら完全に女神様。婚活なんかしてない清く清らかで清々しい女神様。
シンプルなビキニだった。緑を基調にして、背中で紐をクロスさせてる。腰にはパレオ。
上からマリンパーカーを羽織っているのは俺と同じだが、効果はまったく違う。俺のは背中の傷を見えないようにするためだったりするのだが、束さんみたいなスタイルの人がやったら肌色を狭めて強調するだけになる。谷間とか谷間とか谷間とか。今すぐ自販機でペットボトルを買ってあの双丘の間に挟み込みたい。ぬるめのスポーツドリンクを作ってくれてたらテンション振り切れるね。
ていうかこれが、日本人の血筋なのか……
「日本ハジマタウェェェェイ!!」
「いっくんいっくん、言語機能が完全に破壊されてるけど大丈夫?」
無論大丈夫ではないっす。
著しい思考の鈍化を自覚しつつ、俺は目を皿にして束さんの肢体を刻み込んでいた。この光景を忘れるわけにはいかない。
照れたのか、束さんがパーカーの裾を持ってもじもじし始めた。
「そ、そんなにガン見されると困っちゃうな……」
「……!」
「そろそろ無言が怖くなってきたよいっくん!」
目を血走らせて束さんを視姦ゲフンゲフン凝視していた俺だが、突然後頭部に衝撃を受けふらついた。足元にビーチバレーボールがてんてんと跳ねる。
誰だ! 俺の至福の時間に水を差しやがったのは!
「織斑くぅぅぅん……美少女が列を成して君を待ってるのに見知らぬ美人さんに声をかけてこっちに来ないとは何事かなっ!?」
多分ボールを打ち込んで来たのは、腰に手ェ当てて啖呵切ってる相川だろう。
ボーダーデザインのビキニは、トップスは谷間を隠すような構造、アンダーはローライズのパンツルックになっている。活動的なデザインがこいつらしい。似合ってるし、それに……意外とスタイルいいなこいつ……
「ナンパだー」
「織斑君チャラーい」
「は? バッカお前ら、俺がチャラいとかありえねぇし。俺ほど紳士的なナイスガイもなかなかいねぇし」
指差して笑う少女たちに対し、俺は毅然とした態度で返す。
言われなき誹謗中傷には真正面から立ち向かう所存。大体、恋愛禁止の身にチャラいだの女たらしだのという噂を立てるのは誠に遺憾の意を表明せざるを得ない。
「いっくん、涙目になってるよ」
「余計なことは言わなくていいんですよっ」
地味に傷ついたりなんかしてないんだからね!
「つーかナンパじゃねぇよ。知り合いだし」
「水無月葵、です。よろしくお願いします」
束さんがぺこりと頭を下げた。
聞き覚えのある名字に駆け寄ってきたクラスメイト一同首を傾げる。
「えーっと、ひょっとして、水無月さんの?」
「うん、ほう……かなでちゃんは私の妹だよ」
「美人だろ? 遺伝的に多分ビューティフルなんだぜ、この家系」
「い、いっくん! からかわないでよもうっ!」
照れたのか、束さんは俺の背中をぺしぺし叩いてきた。動作がいちいち可愛いなチクショウ!
「今日は色々あって、水無月さんに届け物があったんだとよ。あ、ついでですし葵さん、ビーチバレーやります?」
「あー……運動あんまり得意じゃないんだけどな……」
「全然いいですよ! むしろ私たちも運動音痴しかいないんで!」
谷ポンが満面の笑みで言い切った。
こいつら……いい奴じゃねえか……グスッ。
見え透いた嘘だが、束さんは多少安心したらしい。最終的には俺・束さん・ナギちゃんチームと相川・谷ポン・かなりんチームでやり合うことになった。
ちなみにかなりんってのはクラスで一番大人しく清楚系と名高い、いつも布仏と一緒にいる子だ。前に寝間着で遭遇した時はたまたま彼女のパジャマのボタンが外れてて鼻血出た。
「じゃあナギのサーブからね」
「うぅ……緊張する」
「安心しろナギちゃん、ミスっても相川のせいにすりゃいい」
「私一応敵だよ!? 自然な流れで両チーム共通の人身御供にしないでッ」
谷ポンからボールを手渡され、ナギちゃんが砂浜に木の棒で書かれたエンドラインまで下がる。ネットは学校から引っ張ってきたらしい。
確かに、外見的に運動できなさそうだよな……束さんは同じ穴の狢がいて嬉しいのか、多少気楽に構えている。
「~~っ!」
ボールを上げた――少し前方へ飛ばし、後を追ってナギちゃんも踏み切る。角度、高度、共に完璧なジャンピングサーブ。
束さんの口がぽかんと開いた。
「なんの、7月のサマーデビルと呼ばれた私にかかれば!」
鋭いスライスサーブの曲がりすら看破して、谷ポンが回転レシーブでセッターのかなりんにつなげる。危なげなくかなりんはボールを上げ、待ち受けるは宙高く舞い上がった相川!
ジャストタイミングで振りかぶる相川だが、その狙いは……俺。
独特な軌道を描き迫るボール。だが。
「笑止。また懲りずにHS(ホッピングスパイク)か……避けりゃアウトに……」
いや……こいつは!
いきなりボールが十字にダブりやがった!?
――避けらんねえ。
ドオオオ! とビーチバレーボールの直撃とは思えねえ爆音が俺を襲った。
衝撃に俺の体が打ち上げられ、そのまま砂浜に叩きつけられる。
「Bear the cross and suffer(十字架を背負って生きろ)……」
「ちょっと待ったあああああああああああ!」
相川がカッコつけて無駄に発音良く英語しゃべってるところに、いきなり束さんが大声を出した。頭をかき乱して叫びを続ける。
「何ナチュラルに超次元バレーやっちゃってるの!? ここはタイムスリップして織田信長や恐竜と戦うカリキュラムでも導入してるのかな!?」
いきなりの錯乱に戸惑いを隠せない俺。
体についた砂を払って立ち上がる。
「いきなりどうしたんですか?」
「いっくんとみんなの嘘つき! 運動音痴なんていないじゃん! サービスもレシーブも日本代表だったじゃん! スパイクに至っては分身してたよ分身! 完全にばれゑもしくはバレヱだったよ!」
「え、私これでも弱い方ですよ。織斑君にはスポーツで勝てる気しないですし」
「……こんな環境で箒ちゃんは過ごしてるの……?」
相川の言葉に愕然とする束さん。
どうやらさっきまでのプレイがお気に召さなかったらしい。つっても、俺も相川もまだエンジンあっためてる途中みたいなもんだったし、むしろ派手さに欠けてた気もしてたんだけどなあ。
「前普通のバレーで夜竹ホームランやられた時に比べりゃマシだろ」
「あの時はひどかったね……しずちゃんは恐竜滅ぼしだすし、水無月さんは無我に至っちゃったし、誰かの波動サーブに谷本ファントムで対抗し始めた時はもうダメかと思った」
「最終的に、かなりんに五感奪われた織斑君が『なんだ……体育の時間って、楽しいじゃん』とか言ってサムライスパイク打って逆転勝ちしたんだよね」
俺の言葉に相川とナギちゃんが遠い目で意識をトばし始めた。
まあ授業中に人外プレイが続出するのは致し方ないことだ。上級生はバレーやラクロスで水中戦から空中戦になったりするらしいけど。
「なんでそんな人外ばっか集まってるのさこの学園は……」
「そりゃあ、IS学園っすから。ここにいるのは腐っても鯛、エリート中のエリートなんで、世界中の天才が集まって切磋琢磨したらこんぐらいになりますよ」
俺の言葉に束さんは黙り込む。
明らかに俺たちの感性がズレてるような気がしなくもないが、まあいいだろう。
「じゃあゲーム続行するよー!」
「ちょ、ちょっと待って待って! 心の準備がギャー!」
束さんの頬を掠めて相川のイナズマサーブが決まる。
得意気な笑みを浮かべる相川にイラッ。
目があって恥ずかしげに胸元を隠すかなりんにムラッ。
「天誅!」
「おおっと!」
俺が試合そっちのけでかなりんのリアクションを楽しんでいることに気づいたのか、狙いを俺に変えてきやがった。
レシーブでコート中央に打ち上げる。
ナギちゃんがトスして丁寧に上げたボールを束さんがおっかなびっくり踏み切って打つ。
「てやっ!」
「踏み切り見てからレシーブ余裕でした」
苦もなく谷ポンがボールを拾う。涙目になる束さんに向かってかなりんがトスを介さずそのままスパイクを打ち込む。
べしっと、顔面に直撃した。
「あッ」
「あ」
「あべし」
「はわわ」
「ふえぇ」
二人ほどあざといリアクション取りやがった!
相川とかなりんか……
相川テメェに軍師は合わねえ許さん!
かなりんクソッ可愛いなハァハァ許す!
「おお織斑君織斑君どうしよう! 死んじゃった!? ひょっとして水無月さん死んじゃったりしてないよね!? 大丈夫ですかっ!?」
ネットの下をくぐって――谷間見えた――かなりんがこちらに走ってきた。大の字に寝転ぶ束さんの姿に取り乱す彼女は『ふえぇ』に相応しい。
俺はそんな彼女に対し天使のような笑みを浮かべると、むき出しの両肩にそっと左右の手をおいた。
「落ち着くんだかなりん」
「ふえぇ」
そのまま手を滑らせ肘まですべすべの肌の感触を楽しんだ。
「葵さんはこう見えて体が頑丈なんだよ。大丈夫だってかなりん。安心していい」
「ふえ……」
かなりんの手を持ち、指を絡ませる。マジ天使だわこの子……
そして俺は手を離し、そのまま腰に手を伸ばそうとした所で――相川のハイキックが俺の側頭部を襲った。うおおお危ねぇぇぇッ。
「チッ、避けられた」
「テメッ、いきなり何しやがる」
「そりゃセクハラの現行犯がいればハイキックの刑に決まってるじゃない! ほらもう一回こっちに戻ってきて」
「なんでハイキックされにわざわざ行かなきゃいけねぇんだよ!」
ギャーギャーと騒ぎを大きくする相川に、かなりんは目を丸くしている。多分自分がセクハラを受けていたとすら気づいていないんだろう。
(清香ちゃん清香ちゃん)
(え、何?)
(止めなくても良かったのに……)
(え……ひょっとしてかなりん、本気で…………)
(うん、私本気で――キズモノにされたって言って織斑君に一生養ってもらうつもりだった)
(なにそれこわい)
急にひそひそと喋りだした相川とかなりん。何やら相川が憐憫の目で俺を見てきているが、はて、どうかしたのだろうか。
と、何やら唸って束さんが起き上がった。本気で今まで気を失ってたっぽいなこの人。
「あ、あれ……? 私なんで砂浜に寝込んで……」
「葵さんは落ちてたバナナの皮を踏んで転んじゃったんですよ」
「うん、分かりやすく嘘ついてくれてありがとう。何か後ろめたいことがあるとまで教えてくれるなんていっくんは親切だなァ」
しまったッ……クラスメイトが腐ってもエリートなように、この人だってビーチバレーで気絶しても天災なんだったッ。
油断したか、この俺様が。
「じゃあどうしようかな。まずは谷本さん? だっけ? その子を死ぬほどくすぐってあげよう」
「なんて恐ろしい脅しなの……ッ!」
「本気の目だわ、あれは」
「ふえぇ」
いや束さんは所詮束さんだった。
俺は涙目で怯えるかなりんの頭を撫でながら、天災VS超エリートJKのくすぐり合戦というしょうもなさすぎる戦いを観戦しようと、集団から距離を
【CALL!! CALL!! CALL!!】
「――――ッ!」
ISコアネットワークを介した音声通話。ただ、一方的にしゃべくって一方的にブチ切りやがった。
俺はクラスメイト達に背を向けた。
「? 織斑君?」
「用事ができたッ……葵さんッ!」
「分かッてるよ!」
束さんも一目散にこちら、正確には姉さんから『白雪姫』と『灰かぶり姫』に送信されてきた集合ポイントへと走ってきた。
「悪いすぐに戻れるかは分かんねえ!」
「えー……分かった、気をつけてね!」
谷ポンが手を振りながら答えるのを見て、俺と束さんは少し笑った。
少し笑って、顔を前に向ける頃にはまったくの無表情で、そのままパーソナライズ。
互いに水着姿からISスーツ姿になり、その上からそれぞれ白と灰のアーマーを装着した。
もう走ることなく、疾(はし)るのみ。
送信されてきたメッセージは姉さんらしい簡潔なものだった。
『特A事態発生。出撃の可能性有。こちらで要請に備えろ』
「来たな。では、現状を説明する」
俺と束さんは襖を勢いよく開き、転がり込むようにして入室した。旅館の一番奥に設けられた、大人数で宴会するための大座敷だ。
部屋は照明が落とされ、中央に大型ディスプレイがいくつも投影されている。
専用機持ちメンバーは全員、後は学園の教員に、見慣れない格好をした女性が一人。肩のところに星みたいなマークがあるんだけど……あれって軍隊での階級章じゃね?
「ちょうど二時間前のことだ、ハワイ沖で試験稼働にあったアメリカ・イスラエルの共同開発軍用IS『銀の福音(シルバリオ・ゴスペル)』が制御化を離れて暴走。蓄積されたパーソナルデータと補助用AIが暴走しメインAIをのっとった。そのまま監視空域より離脱し、当方へ向かってきている。迎撃の準備が日本政府並びに国際IS委員会から要請された」
えっ、なにそれこわい。
「『銀の福音』……確か単一の搭乗者で複数のISを扱うっていう『DO(Dual Operate)計画』の中で誕生した第三世代機だっけ?」
「正確にはまだ第二世代機だ。イメージ・インターフェースを利用した兵器が取り付けられていないからな」
姉さんと束さんの話が静かに進む。
話の進行と並列して、俺たちの目の前には小さなウィンドウが展開されていった。部屋を見ると、隅にダークスーツ姿で立つ巨乳先生が何やら端末をいじくっていた。どうやらあの人がデータを配っているらしい。
各員目を通しながら姉さんたちの会話から情報を拾う。
「衛星による追跡の結果、あまり歓迎できない事態となった。奴の進路上にあるのは――」
ウィンドウに日本地図が表示される。関東近海にクローズアップされ、赤い点が何やらくねくね曲がりながら進んでいき、最終的に止まる。位置は、東京都上空。
「オイ」
「本土首都、新宿区だね」
「一般市街地で暴れられたらマズイ。現在福音を動かす暴走AIの思考パターンからして、本土への被害は計り知れないものとなるだろう」
……やっべぇ話になっちまってるようだ。
まさか祖国の存亡にかかわってくるとは思いもしなかった。俺は顔をビキバキ引きつらせつつ、一応福音のスペックデータを読み進めていく。最高速度450km/h。初期装備だけでこれって何考えてんだアメリカこういうキチガイ装備は日本の特権だろうが!
「幸いにもヤツはここから2キロ先の空域を通過するらしい。その時に叩く。我々だけでない、本土防衛軍も国連軍もこの空域に投入される」
「……もし、ダメだったら?」
「東京は火の海だ」
デュノア嬢の質問は、場の空気を重くさせるだけだった。
停滞してしまった雰囲気を、軍服のお姉さんが咳払いひとつで吹き飛ばす。姉さんは少し目を伏せてから、ためらいがちに喋りだした。
「教員は学園の訓練機を使用して空域及び海域の封鎖に回る。無論そちらは最小限にして、最大限の戦力を対象の攻撃に当てるが、それだけでは足りない。専用機持ちは死力を尽くして任務に当たれ」
姉さんの言葉に、一同は背筋を伸ばして返事をした。
……任務ねぇ。日本のために死ねるのは楯無の妹さんぐらいだろう。他のヤツらの任務って何だ? 福音の撃破か? んなわきゃない。データ取りだ。実戦経験が転がりくるなんてラッキーだと各国上層部は思ってんだろう。実戦でこそ学べる何かがあるかもしれないし、危なくなったらすぐ逃げりゃいい。『絶対防御』がある以上よほどのことがない限り搭乗者の命やISコアは保障されるからな。
「今からの発言には反応を返すな……このスペックにあるパーソナルデータ、これは水無月かなでのものだ」
!?
「表記は『Shinonono Houki』だがな、まあ、事情を汲め。かつてテストパイロットだった時期があるらしい。その時蓄積されたパーソナルデータと補助用AIが暴走の原因だ」
驚愕ではあった。束さんが姉さんにISのテストパイロットを依頼したように、ほうきだってISが世に出る前から乗り回していたのは知っている。日本がほうきの身柄を確保する前に、米国でテスパをやってた時期があうってことか。
……彼女の通ってきた道がひどく険しいものだということが、俺の胸を締め付ける。
みんな静かにウィンドウに指を走らせていた。
俺はスペック見終わったぜ。一応感想。このメンツじゃ無理だ。
「第三世代型軍用IS『銀の福音』……攻撃と機動の両方を特化した欲張りな機体だね。しかも広域殲滅を目的とした特殊射撃兵装まで搭載しちゃってるし」
束さんの言葉は、背部ユニット『銀の鐘(シルバー・ベル)』のことを言うのだろう。砲門の開放パターンは二つ。敵軍の群れを抜けるための一転集中と前線基地などを焼き払う広域拡散。
基本スペックも高い。他国の第三世代機と比べても遜色ない、むしろ負けている点の方が少ないだろう。
「国連の要請によりドイツから特殊部隊の援護も来ている。本来なら本土に向かっていたはずだが、急遽こちらに来てくれた。『シュヴァルツェ・ハーゼ』部隊のエース二名だ。合流は現地でとなる」
姉さんの言葉に少し安堵した。
プロの軍人たちが来てくれるんだ、しかも黒ウサギ隊。学生オンリーなら死亡確定だがこれなら助かるだろう。
「主機と副機αΒの合計三機を同時に扱うのですか……実に厄介というか、発想がまるで一夏さんみたいですわね」
「副機は100%機械のアンドロイドを内蔵してるみたいね。ていうか三機ってどうなの、操縦技術も低下したりしてくれないの。パイロットはともかく暴走AIが一夏みたいな人外だったらうかつに手出しできないけど」
「このデータじゃ格闘性能が未知数だよね。織斑君あたりが一回突っ込んでくれたら分かりやすいんだろうけど……偵察は不可能ですか?」
「ねぇお前らマジメな会議のフリして俺disるの止めない?」
ちょっと泣きそうだった。何が悲しくてこんな場面でまで貶められなくちゃいけねぇんだ。
「無理だ。この機体は現在も超音速を続けている。最高速度からして、アプローチは一回こっきりと考えろ」
「一回限りのチャンス……ということはつまり、一撃必殺の攻撃力を持った機体で当たるしかありませんね」
オルコット嬢の言葉に続ける人はいなかった。
しばしの沈黙。
「ねえよそんな都合の良い機体」
みんなが言い辛そうだったので、俺が代わりに言ってやった。
事実、そうだ。
まあないこともない。かつて姉さんが使っていた『零落白夜』ならほぼ一撃必殺だろう。だが、ISスーツに着替えてない所を見るにこの人出撃する気ないな。
「姉さんの暮桜は?」
「単一仕様能力に制限がかかっている。刀一本で私が戦うとしても、貴様らの射撃の邪魔になるだけだ、そんな足手まといなら出ないほうがいい」
言い切りやがった。
じゃあいよいよ八方ふさがりってワケかよぉ。どうしようもねえじゃねえかこれ。
「その点については抜かりない。なあそうだろう、織斑先生殿」
と、今まで発言のなかった軍人さんがいきなり声を上げた。
「すでに二名の教師が先行し足止めを担っている。諸君らは素早く準備を終えて彼女らの援護に回ってくれたまえ。コールサインはそれぞれ機体に送ろう」
「……あの、すいません。あなたは?」
「陸上自衛隊本土防衛軍皇居安全保護専守護衛隊――通称『安保守護隊』の飯島紗織(いいじまさおり)中尉だ。今回HQ(ヘッドクォーター)を務める」
思考が凍る。何つったこの女。
その名乗りに場が騒然とした。
「安保守護!? インペリアル・ロイヤルガードがここに……!?」
「確かに東京都の危機ではあるけれど、インペリアル・ロイヤルガードがここまで出張ってくるなんてッ」
教員たちもおののき驚愕を露わにする中、李先生だけは複雑な表情だった。
「久しいな。こちらから誘いは何度もかけているのに一度も返事をよこさないなんてひどいぞ」
「……私は天皇陛下の懐刀より教師の方が向いています。二度と会うことなどない、と思っていたんですがね」
「オイオイ、私と貴女の中だろう。敬語なんて止めてくれ」
親しげに話しかける飯島さんに李先生は少し堅い態度だ。
「IS学園第二期生のツートップが揃い踏みなんだ、こういった状況でなければ洒落たバーにでも行きたい所だがな」
「クラリッサを忘れないでください。私と彼女が同率で次席、そこにいる真耶が本番で緊張しすぎる実質次席、あなたがぶっちぎりの主席でしょう」
「懐かしい四人組だ。クラリッサは私と同様に祖国バカだし真耶は本番に弱すぎるからダメなんだ。三人とも我らインペリアル・ロイヤルガードに入れる実力はあるというのに。それにしても真耶は相変わらずメガネだな。ん? なんだか、雰囲気が変わったか? スーツなんて着てるの初めて見るし……まあ積る話は今度にしよう」
そこまで言って飯島さんは部屋を見渡した。この人昔を懐かしみ出すと止まらないタイプの人だろ。
巨乳先生の扱いがやけに雑なのは気のせいだし、飯島さんが巨乳先生の顔じゃなくて胸を見て声をかけたのも気のせいだろう。
「貴女は?」
「……知ってるでしょう。水無月かなでの、姉です」
「よろしい。アドバイザーを依頼したいのだが?」
「やりますよ、私だって、いっくん達を死なせたくない」
愕然とした。え、なんでこの人国際指名手配犯を見逃してるの。
俺の視線に気づき、飯島さんは不敵な笑みを浮かべる。
「日本は篠ノ之箒を安全に保護することを条件に、ある程度、篠ノ之束と良好な関係を保てているのさ。――おっと、この場にいない人間の話をしても仕方がないかな」
「……白々しいっすよ。要は、人質ってことじゃないですか」
声に思ったより剣呑な響きが混じった。
混濁する怒りを視線に込めると、飯島さんは余裕の笑みで流す。
「今は首都防衛が先決だ。協力してくれるな、織斑一夏君」
「……ッ、ええ、分かりました」
「よし。では各員出撃準備をしてくれ。集合ポイントはISの方に送る」
震える拳を握りこんで、俺は返事を返す。みんなの声が重なった。
『了解!!』
戦場から帰れるのは一部の人間だと知らず、俺たちの応答は気丈なものだった。
接敵ポイントから距離1500の地点。
先行していた『シュヴァルツェ・ハーゼ』の二機もすでにおり、こちらの総戦力は専用機持ち×6、教師×4、軍人×2の計十二機となかなかにクレイジーな状態だ。
どう考えてもこれは勝つる。
「12対3とかオーバーキル過ぎんだろ……」
「『勝って兜の緒を締めよ』というのは日本の言葉だろう。というか私はあの言葉を貴方から聞いて、我が隊の訓示にまでしたのだが?」
「でもあれって、肝心の戦闘中は紐緩いってことじゃないすか?」
「激しい戦闘であれば紐も緩むだろう」
「そう返してきますか……降参っす」
俺は肩をすくめる。
完璧にアメリカナイズドされた動作だが、流行に流されやすいゲフンゲフン敏感な俺様がすればさぞかし絵になるだろう。
「似合ってないぞ」
「大尉、お言葉ながら俺ほどヤレヤレ系の動作が似合う男はいないかと」
「ほう、確かに数年前我が隊の隊員一名に背中を刺されかけていた殿方はヤレヤレ系に相応しいですなあ」
「……アンネは過去の女っすから。俺に女性の恐ろしさを教えてくれた彼女には感謝してますよ」
「アンネリーゼ・フォン・アンデルセンなら貴方の後ろにいるが」
邪気が来たか! とばかりに勢いづいて振り返る俺。
視界の動きがスローになる。ドイツ製第二世代IS、『アンファム・アインス』を身に纏う三つ編みの少女が、俺に背後から抱きつかんとしている。
俺は落ち着き払ってそれをいなし、恐怖に引きつる表情筋を無理やり動かし笑みを作った。
「久々だなぁアンネ! いやあ随分可愛くなって」
「私以外の女と喋った会って一番に話しかけたのがクラリッサ大尉だった私には目を向けもせず一目散にクラリッサ大尉の所に来たこれって浮気じゃないの浮気よね浮気だわどういうことなの一夏話して一夏説明して一夏」
うわあああああ! L5だァァァッ!
完全に頭のトんだ発言。ドイツで出会った頃から独特の話し方で、まったく口を開かないかマシンガントークかのどちらかなのは変わっていないらしい。
特徴的な大きくクリっ丸い瞳は変わらず紅色で、俺の狼狽する表情がよく映り込んでいる。
「お遊びはその辺りにしてくれ……」
「了解」
「Ja!!」
割と本気の目でハルフォーフ大尉に睨まれ素直にビビった。
彼女ら『シュヴァルツェ・ハーゼ』とは以前交流があった。なんか隊長は不在の時だったが、ハルフォーフ大尉の『シュヴァルツェア・ツヴァイク』と一戦交えたのだ。結果は、なんとか勝ちを拾えた、といったカンジかな。
その分彼女の実力も知っている。信頼に値するのは当然だし、何より部隊の副隊長も務める彼女は集団戦闘において中核的な役割だ。紅白に分かれたチーム戦でも、毎回彼女のいるチームが勝ってたし。
「また女性の知り合いですのね……」
「まあ一夏だしね……」
「まあ織斑君だしね……」
「お姉ちゃん……可哀想、こんなのが相手じゃ」
「……ふん」
言いたい放題な彼女たち(最後のほうきに至っては一瞥して以後無視)だが、俺はさっきからアンネと目で牽制し合っていて正直反論する余裕がない。
こういう精神的に余裕のなさそうなねちっこいメンヘラは苦手なんだよ!
「アンネ、初陣の緊張をほぐせとは言ったが、ほぐれ過ぎだ」
「ハルフォーフ大尉……あんただって初陣でしょうに」
公式の記録上では今までIS同士による殺し合いなど一度もない。彼女らの部隊がドイツ最強と名高いのは部隊同士の模擬戦にて負けなしだからだ。
ISによる軍事的進攻は、あった。旧世代の兵器を焼き尽くすだけの簡単なお仕事。ただスポーツを離れてIS同士が戦うのは、これが世界初ということになる。
「の割には緊張してねぇな、お前ら」
「まあこんだけ数が居たらねぇ」
「水無月さんの強さはよく分からないけど、何年も前のデータでしょ? 李先生達だけで終わってるかもね」
「一夏、この戦いが終わったら結婚して」
鈴とデュノア嬢は本気で緊張感がない。アンネに至っては死亡フラグを建築しやがった。
俺はそれらの意見に頷けない。領域が近づくに連れてオルコット嬢も、ほうきも表情を険しくさせていった。
『アダムス1、状況は視認できるか?』
アダムス1が俺のコールサインだ。専用機持ちと先生方はイヴナンバー、ハルフォーフ大尉とアンネはラビットナンバーである。
「いいや……戦闘は継続してるのか?」
『さっきから増援要請がうるさくてな。速度を上げろ』
「了解、行くぞみんな」
アクセルを踏み込む。ブースターが火を噴いて、
突然レーダーマップから味方の反応が消えた。
「……は?」
疑ったのは、レーダーの不調。先行した機体の片方、李先生でない教師が突如生体反応を消した。ISの反応は残っているのに、致命的なものが欠落。
待て。どういうことだ。……死んだ? あり得ないだろう。だって『絶対防御』はどうしたんだよ。あれがある限り、俺たちは命だけは保障されてるはずだ。
『シノノノ、イッキゲキハ』
空域に響く機械的な音声。
そいつ、主機との距離が800を切った瞬間、さらにあり得ないことが起こった。
いきなり、『絶対防御』がかき消えた。
「……!?」
痛恨の認識ミスだった。
ここはアリーナじゃねぇ。増して研究施設のグラウンドでもねぇ。戦場だった。
人が、命が、木石のように蹴っ飛ばされる場所。そういう場にいると、次の瞬間にやっと認める。
俺が初めて見た戦場は、弾け飛ぶ人の腕と、場の空気を凍てつかせる銀色のISだった。
「……ろッ」
先行していた李先生のISは健在。ただ、それを動かしていた人間は、腕を食われ脚をちぎられ、あちこちから鮮血をばらまいていた。
「……李先生」
鈴が青ざめた顔でつぶやいた。
なるほど確かに、残った左腕でライフルを撃ちまくっているのは、元インペリアルロイヤルガードとかいう二組の担任の先生に違いな
『シノノノ、コウゲキヲゾッコウ』
ほうきの声が聞こえた。正確に言えば福音が過去のデータから再現した声だ。
福音最大の特徴、と説明を受けていた『銀の鐘』が、三機ともそれぞれ奇妙に裂けた。
顎(あぎと)。
巨竜がごとく口を開き、そのうち一機が至近距離でライフルを構える李先生を捕らえる。
「キャァッ!? ああ、ああああああ! あッ……」
上半身を挟まれ、どうにか抵抗しようと李先生がもがき、
そのもがきごと噛み砕かれた。
返り血が銀色のボディを染めた。
『シノノノ、イッキゲキハ』
「ぁ」
「……にげッ、ろッ!」
咀嚼音。骨が砕かれ、肉が噛まれ、俺たちの目の前で、先生が、
食われた。
ハルフォーフ大尉が叫ぶ。
「――逃げろぉオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!」
「う、あああああッ!」
何だよッ……何なんだよ、あれは!!
絶対防御はどうした!
なんで人を食ってんだ、食って何になんだよ!
「代表候補生を逃がせ! 各機三人一組で行動! 生徒は最大速で退避しろ!」
李先生の腰部から下が、地をばら撒きながら海面へと落ちる。桃色のびらびらした何かは、多分、生殖器だ。
「う、ぼッ」
後方でデュノア嬢のくぐもった声が聞こえた。吐いてるんだろう。
「イヤッ、イヤッ。何でこんな、何とかしてよ、誰か誰か誰か!」
パニック状態の鈴が絶叫する。各員のバイタルデータに目を通し、俺は声が震えないよう喉に力を入れた。
悪いが気を遣った呼びかけをしてる余裕はねぇ。
「オルコット! 鈴を引きずってでも下がれ! 俺はデュノアとほうきを引っ張っていく!」
「わッ……分かりましたわ!」
幸いなことにオルコットは落ち着いている方だった。
左手でデュノア、右手でほうきを掴んで戦場から離脱。
俺たちがそうこうしている間にも、先生方のうち何名かが捕食され、四肢をもがれ、場合によっては絶命していた。
『イヴ4ロスト! イヴ3の左腕部が肩部より消失……ッ!』
『いやああああああっ! 来るな来るな! 来るなぁっ!』
『もうイヤ……私も死ぬんだ……』
『死にたくないッ、死にたくないよッ。死にたくないいいいい!』
『こいつ落ちろ! 落ちてよ!』
『何で効かないんだ!? どうしようもなッ……きゃああああああああっ!!』
通信を介しなだれ込んでくる悲鳴が脳に突き刺さる。
止めろよ……
止めてくれよ……
『シノノノ、サラニイッキゲキハ』
その声で、殺すな。
その声で……殺すな。
「安全圏に到達しましたわ!」
茫然自失のほうきの肩を抱き、俺は全員を見渡した。
まともに動けるのはオルコットぐらいか……デュノアはまだ胃液を吐いてて、鈴はパニック状態。オルコットの腕の中で訳の分からんことを叫びながら暴れている。ほうきとは大違いだ。
「私は……私が、私のせいで……」
虚ろに言葉を漏らすほうきを、俺はより強く抱き締めた。
どうにかしなきゃな。
俺は、逃げたくないし。
悲鳴をシャットアウトして、俺はオルコットに向き合った。
「よく平常心を保ててるな」
「以前見た挽き肉よりはマシでしてよ」
「そりゃあいい耐性作りになったじゃねえか」
「両親でしたから、効果は絶大でしたわ」
「…………そうか」
悪いことを聞いたと思う。
でも、それはこの場限りで良いことだ。
「お前には主力になってもらう」
「あの機体、レーザーライフルが効果を発揮するのですか?」
「多分な。ウィークポイントを狙う。レディなりの戦い方かは知らんが、俺に指示に従ってもらう」
「承りました」
そう言ってオルコットは真摯な眼差しで俺を見てきた。
作成自体はそう難しくない。
大事なのは俺の度胸とオルコットの狙撃技術。
「さっさとやるぞ、時間がねぇ」
レーダーマップを表示させる。赤い敵性反応は3つとも健在。味方は、6機もいたのが今や3機に。匠も驚きの早業だ。
ついでに言っちまうと味方のIS反応じゃない。生体反応が、3つ削れてる。
「急いだほうが良いようですわね」
「ああ」
作戦を手短に説明する。
オルコットは心得たとばかりに頷き、俺は彼女に向けて親指を立てた。
鈴たちはここで待つように言い置いて――不安だが、少し落ち着きを取り戻した鈴とデュノアは頷いてくれた――俺とオルコットは無言のまま戦闘空域へ戻りだす。ある程度の距離になった所で絶対防御にエラーが生じた。やはり不安になる。俺もオルコット嬢も減速してしまった。
「幸運を」
「お前がな」
「愛する男性の励ましこそ、淑女の最たる元気の源ですの。私はもう大丈夫ですわ」
「…………」
「そ、そうマトモに照れないでくれます!? こちらまで恥ずかしくなって……!」
ハニートラップとはいえ不意打ち過ぎた。
こんなラブコメしてる場合じゃねえんだよ畜生。
俺は火照る顔をぺしぺし叩いて、真正面から、戦闘空域に突入した。
【CAUTION!! CAUTION!! CAUTION!!】
耳障りなアラート。『白雪姫』はきっと俺より冷静に、この戦場の危険性を把握しているのだろう。
だが無視させてもらう。俺はそんな危険承知でやってんだ。
銀色、だったんだろう。返り血で元の清潔なシルバーカラーなどほとんど隠れてしまったが、確かに『銀の福音』と思しき機影が暴れまわっている。
手にした『白世』で、俺に背中を見せる副機αに斬りかかった。
こちらを見もせずに(まあ360度視界があれば当然だが)飛び上がって回避、いや、とんぼ返りして逆に俺の背後をとりやがった。そのまま銀翼で俺を真上から叩き落す。
「ごッ……ハハッ、絶対防御なしってのは中々ツラいなぁ!」
落下途中でどうにか姿勢制御。上からは大口を開いた副機αが迫る。主機と副機βは他の機体にかかりきりか、搭乗者を食ってるかどっちかだ。
「いい加減にしやがれッ」
ハンドガンで迎撃。全部……回避っ!? こいつさっきより機動のキレが良くなってんぞ!?
成長したっていうのかよ。そのまま突っ込んでくることをせずに一旦距離を取り、『銀の鐘』が全門を露にする。
オイ。その開き方は前線基地とかを広範囲にわたって一気に撃滅させるための開き方だろ。待てよ、相手は俺一人だぞ。
『コウゲキヲ――』
「ああああああああああああああああ!!」
さすがにダメだ! 撃たれたら避けらんねぇ!
一気に俺の方から距離を詰める。ちょうどオルコット嬢からのサインも来た。狙うしかねぇ。ここで仕留めてやるよ、この人食いIS。
ハンドガンを投げ捨て、『白世』を持つ。
『タイショウヘンコウ』
砲門の角度が絞られる。あのやり方は一点集中射撃のはず……耐えてくれよ『白世』。
俺は盾代わりに『白世』を突き出す。一点集中砲火が放たれ、そのすべてが俺の唯一無二の得物を穿つ。
衝撃だけで俺の手首が折れ曲がる。
「っつア」
右手首から先の神経断絶ッ……でも、まだ『白世』は死んでねぇ。盾としての役割は果たしてくれた、なら!
俺は福音の更に上を取り、『銀の鐘』の付け根に銃口を押し付ける。第一フェイズ、これで撃墜できりゃ儲けもんだ。
「――!」
副機αは取っ組んだ俺を振り落とそうと前後左右に揺さぶりをかける。大幅に距離を取られたりはしねえが、銃がブレて狙い撃てない。
まあこれで落とせるなら苦労しねえ。
俺を捕食しようと『銀の鐘』がその姿を巨大な顎へと変貌させる。
開く。俺の背丈より大きなその顎。俺の顔ほどある牙。
その中に、俺は躊躇なく突撃した。
「中々キッツイなここ……!」
『……!?』
牙の一本をつかんで、パワーアシストを最大に引き上げ俺自身がつっかえ棒になる。
噛み砕かれる前に、俺の抵抗が終わる前に、
「オルコットォォォォォォ!!!」
『透えました……奥の奥の、更に奥!』
青い閃光が奔る。『スターダストシューター』から放たれた超常速度の粒子光線は、俺のわきの下を潜って顎のド真ん中を貫いた。ぐらり、と副機αが揺れる。かなり中枢部までダメージが届いたのだろう。『銀の鐘』がダウンした。
俺は『白世』で胸部装甲を切り裂き離脱する。コンマ1秒もおかずに、俺がつけた傷へとレーザーが4発撃ち込まれた。
まあまあの精度だな。
『ゴギュゴオゴゴゴゴggggggggggggggg…………』
しばらく意味不明のうなり声を上げ、副機αは銀翼をさらに広げようとした。
さっさとキメちまえよ、なあ、オルコット。
再びの閃光は頭部へ殺到し、撃ち抜き、バイザーを吹き飛ばし首から上を根こそぎ削り取る。
中枢コンピュータへ致命的なダメージが通った。
『……あ』
落ちてゆく副機αを、横から飛んできた打鉄弐式が掠め取る。
「テメェ、大丈夫だったのかよ」
「まあ……なんとか。デュノアさんたちも、そろそろ来る」
「! こちらに来て、戦闘に加わるという意味ですか?」
合流したオルコット嬢が、機体の表面から水滴を散らしつつ近づいてくる。
それを見て楯無の妹さんは合点がいったとばかりに頷いた。
「あなたのこと……見つけられなかったから。ステルスモードで、水中にいた?」
「ええ。銃口部分だけは水面上に出していましたが」
俺の発案である。今回、オルコット嬢には文字通り『動く砲台』となってもらった。どうにかして俺が隙をつくり、そこを『スターブレイカー』で叩く。
仮に一度のアタックで仕留め切れなかった場合は、俺が気を引いている間にオルコット嬢は水中を高速で移動し狙撃ポイントを変える、という作戦だ。
「……敵が一機のみの場合で成立する。考えが甘いんじゃ?」
「それはどうしようもねぇよ。あっちの方、ざっと8キロぐらいある地点でハルフォーフ大尉たちの本隊と主機・副機βがやり合ってんだ。それが突然戦闘を放棄してこっちに襲い掛かってきたら、運が悪かったですねってことで乱戦に持ち込むしかない」
つーかあの機体数の差がありながらまだこっちが不利ってのが信じられん。主機ってのはやっぱ強いもんなのか。
「さっき望遠であっちを見たけど……ひどい。地獄。あと、相手が強すぎ」
「?? どういうことですの? スペックに違いはないはずですが」
「動きが違いすぎる。副機αをオルコットさんとしたら主機は織斑君」
バカにしていますの!? とオルコット嬢が睨みを利かせた。
その理屈だったら主機は俺より強いことになるな……
「ここからは仮説」
「聞かせろ」
「福音は……主機も副機も人を捕食して、すぐに吐き出している。でも実は……全部吐き出しているわけじゃない」
そこで楯無の妹さんは自分の頭を指差した。
すぐに推測がつく。オルコット嬢も、気づいたらしい。さっきの怒りはさておき彼女は驚きの声を上げた。
「まさかッ、脳を!?」
「うん。操縦者の脳をどこかに格納して、それを教科書代わりに戦っている……はず。あれを動かしているのは蓄積されたパーソナルデータと補助用AIの融合体のはずだから……じゃないとあんな急に、成長するはずがない」
「食った数だけ強くなるってことかよ。厄介だな」
しかも確か、副機の集めたデータは自動で主機にリンクされるって話だ。つまり主機は成長スピードが3倍ってことか。
オイオイ、持久戦になれば、こっちの戦力が削られるほど相手は強くなるとか笑えねえよ。
すでに何人も殺られてる。そいつらの操縦技術を全て上積みしたようなヤツが、主機を動かしてるってのか。
やべぇ……勝てる気がしねぇ……
「おいおい、どーすんだよ。数で押し潰すか?」
「その理屈で勝てるなら、今ごろ私たちは校舎に戻って優雅なティータイムと洒落込んでいますわ」
その通りである。
俺はこちらに近づいてきている鈴たちをレーダーマップで確認し、ひとまず本部と連絡を取ることにした。
「HQ、こちらアダムス1。応答願う。当方にて副機αを撃墜。残骸を回収した。これ以上の戦闘は当方では行い難く、撤退許可を頂きたい」
『こちらHQ。撤退は認められない。繰り返す、撤退は認められない』
……!!?
思考がトんだ。俺の横で、同じ通信を聞いていた二人も、ぽかんと口を開けている。
『副機αはイヴ8、イヴ9が保持せよ。アダムス1はラビット部隊の援護に回れ』
「……HQ、現状を再報告する。敵方は戦力を刻一刻と増強している。当方のみでの対応は難しい。このままでは全滅も」
『増援がそちらへ向かう。現在日本各地の米軍・自衛隊駐屯地から12機の最新鋭ISがスクランブル発信の準備を進めている。その空域にて後640秒もたせろ』
「640秒、ですか」
つまり、俺たちに死ねと。
『ただし。当人たちが希望する場合、イヴメンバーについては帰投を許可する』
「……アダムス1、は?」
『ラビットメンバーとアダムスの撤退は認められない。意地でもせき止めろ』
「ッ……アダムス1、了解」
「お待ちください一夏さん!」
オルコットが吼えた。俺はHQとの指令を切断する。
……分かっちゃいたさ。俺はこの中で優先度が低い存在だ。どこかの国に属しているわけではない。公式の庇護者だっていない。
なら、各国が俺より自国の候補生を優先すれば、俺が人柱になるのなんか分かりきっている。
「オルコット。俺は死なない」
「ですが!」
「頼む。みんなを連れて帰ってくれ。切実な願いだ」
頭を下げた。腰を90度に折るお辞儀なんざ久々で戸惑うな。
これが日本人の仁義ってヤツなのだろうか。ゲームとISに育てられたスーパー現代っ子の一夏クンには分かんねぇや。
分からねえんだよ。だから。
「国からの、命令だ」
「!!」
「ユナイテッド・キングダムの貴族さんよ。お前は祖国と俺とどっちを取る?」
「わた、くし……は……」
「迷いが生じた時点で戦いは負けだ。お前は負ける。そして死ぬ。俺に対する命令なんか忘れて逃げ帰れよ。命あって、国に忠義を尽くすことができるってもんだろ。ここは退け」
弱みを容赦なく突かせてもらう。
お前は帰れ。生き残れ。
不退転の戦士なんざ俺一人で十分だ。
「更識」
「私は……あなたに感謝してる。でも……こんな所、では、死にたくない」
「なら結論は出てるだろ」
「うん」
打鉄弐式のスラスターに火が灯る。
俺は満足げに笑みを浮かべた。
「ほうきを、頼む」
「了解」
更識がオルコットの首根っこを掴んで後退する。後続の代表候補生もそれに従っていく。
『あ、一夏は……?』
「安心しろ、すぐに追いつく」
ほうきの呟きに笑顔で返してから、俺は戦場の方を向いた。ハルフォーフ大尉が奮戦し、ウチの教師陣も負けてない。
最大加速。音を置き去りにし、距離を詰める。だんだん戦い続けている人たちの肉声が拾えるようになってきた。
『速すぎて、AICで捉えきれない……!』
『大尉、私たちの方で副機を抑えています。今のうちに主機をッ』
山田先生が副機βに銃弾を浴びせ続けている。
その間にハルフォーフ大尉とアンネのドイツ最強コンビが、主機へと獰猛に襲い掛かる。
シャワーのような銃弾、榴弾。2対1なんて状態は一方的な狩りに過ぎない。過ぎないはずだ。
だが。
この状態でも、『シノノノホウキ』は狩ることを考えていた。
『シノノノ、イッキゲキハ』
「はぁっ!?」
翼が、伸びた。そうとしか言いようがない。前もって閲覧したスペックとか明らかに違う異様な長さ。
それが、アンネの、『アンファム・アインス』の搭乗者の首から上を跳ね飛ばしていた。
「――――ッ!!」
くるくるとサッカーボールみたいに回転する頭。あまりに突飛なそれに、思考が追いつかない。ただ現実だけが上滑りしていく。
ふとアンネの丸くて大きくて可愛らしい瞳がこちらに向いた。
目が合った瞬間、全身を電流が駆け抜ける。
アンネリーゼ・フォン・アンデルセンが死んだ。
――ああああああああああああああああああああああああ!!!
吹き飛んだ頭を、顎をあんぐりと空けていた副機βが見事に回収した。2機がかりの射撃をいなし、反撃まで加えている。
……ぁぁのこのクソックソッチクショウこのクソ野郎!!!
「貴様ァァァァァァァ!!」
ハルフォーフ大尉の怒号が直に俺の耳を打つ。
翼を広げた分、的は大きくなった。弾の切れた銃を剣に持ち替え、彼女が右手を向けた瞬間、ギシリと不自然に主機の動きが止まる。
捕まえた。
「このっ!」
翼をかいくぐった山田先生が銃口を向けた。引き金が引かれる、その前に。
バイザー型のセンサーを光が通る。装甲と装甲の隙間から漏れ出す赤い光。『銀の鐘』の顎が、丸々巨大なバーニアのように火を噴いた。
ビヂッ!! と無理矢理に紐を引きちぎったかのような音。
AICを強引に破った……!? どんなバカ出力だっての!
多方向からの掃射をあっさりと突破し、呆然とするハルフォーフ大尉の眼前へと無機質な巨躯が迫る。
「、あ」
『シノノノ、イッキゲキハ』
刺突用に鋭く練り上げられた左の指先、絶対防御のない今、それが大尉の胸を貫くことは必然だった――けどッ!
「俺の目の前でヤれると思うなッ!!」
間に割ってはいる俺様がいる以上、その必然は通用しない!
右手の手首はもう感覚がねぇ。腕部装甲をカチ合わせて、銀色の剣をなんとかそらした。停止が間に合わず主機は俺たちを通過し、勢いに負けて俺の右腕がありえない方向にへし折れた。
「~~~~~~~ぁっ!!」
「お、おい大丈夫か!」
ハルフォーフ大尉が俺に近寄ってくる。気を抜いたその瞬間を冷徹な機械は見逃さない。
「ッ!!」
咄嗟に、『白世』を投げつけた。愛着のある剣ではあるが、戦闘の中での使い方はその時による。
こちらへ全砲門を開放していた副機βが身を翻す。稼げた時間は数秒。ハルフォーフ大尉が持つ剣を奪い取る。細く鋭いレイピア――俺の本領発揮にはちょうどいい。
絶対に鉄くずにしてやる、このクソ化け物!
「らあああああああああ!」
『シノノノリュウケンジュツ・インノカタ・ニノタチ――『ナギフセ』』
もう手加減する道理はないしそもそもする気がない。
俺が放った全身全霊の抉るような突きを、副機βは薙ぎの動作で逸らす。互いの剣域に踏み込み、俺の鼻先と銀色のバイザーが擦るほどの距離にまで来た。人間の可聴域を超えた速度で喋られても金きり音にしか聞こえねぇよ。
篠ノ之流剣術で返してきやがるとは……コイツ仮想人格の癖によくやる。
その超至近距離からバックブースト。互いに次にやることは分かりきっていた。
最速で、斬り捨てる。
「死ねぇぇぇッ!!」
『シノノノリュウケンジュツ・ヒノカタ・サンノタチ――『シズクギリ』』
距離が加速度的に離れて行く。
レイピアは折れた。
感覚を失っていた俺の右腕が、肩口から切り落とされ、風きり音を立てながら水中へと落下していく。
副機βは、無傷。
……ああ、クソ。一方的にやられてるじゃんか、俺。頭に血が昇っちまうとロクなことがねえよな。
ひっきりなしに鳴り響くアラートがうるさい。思い出したように血がいきなり溢れ出す。生命の源が抜けていく。上下を失い遠近感を忘れ、視界が、世界が、ゆがんで行く。
いつしか空に浮くことを忘れ、俺の体は鎧をまとったまま堕ちていた。
海が近づいてくる。
反転した視界の中で、俺を見下す銀色の機体が目に付いた。
……オイ。
悔しくねえのかよ、織斑一夏。
何一つ守れねぇで終わるのが、このまま沈められて朽ち果てていくのが、看過できるのかよ。
いやだ。
このまま死ぬなんていやだ。
死ぬこと自体は怖くねぇ。
一度死んだ身だ。
でも。
このまま死ぬのは、誰も守れず何も為せず死ぬのは、いやだ。
絶対にいやだ。
「ッ、あ」
脳髄を電流が駆け抜ける。
『白雪姫』が、俺の唯一無二の相棒が、俺の願いを叶えてくれる。
「ぎぐぎぎぎッッ……ヴ、ヴぉおヴぉオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」
俺の喉から迸ったとは思えない獣のような雄叫び。
まだ――戦えるッ! 俺はまだ生きている! なら戦える、守れる!
「野郎ッッ」
残った装備は『虚仮威翅』ぐらい。左手に呼び出す。
主機と副機βはもう俺に注意を払っていない。
海面に衝突する寸前で空中回転制動、バネで弾かれたように飛び上がる。風圧で海面が割れる。
戦況は2VS2でこちらが圧倒的に不利。山田先生も、ハルフォーフ大尉も手負い。
俺は主機の背後に組み付く。
「!? 織斑お前!」
「……ッ!」
隙を見逃さずアシストしてくれる山田先生。的確な射撃が主機の間接各部を狙い撃ち、行動を阻害する。
すぐ我に返ったハルフォーフ大尉が副機βを押さえにかかる。見えざるAICの網をひらりひらりと避ける副機は、余裕に見えてしっかりと足止めされている。二人ともいい仕事するぜ。
生徒は避難しろとか、そういうことも言ってられない状況だ。
手にした刃を『銀の鐘』の付け根に突き立てる。各砲門が開かれる隙すら与えず、沈黙。蹴り上げてやれば、最大最強の兵装はあっさりともげ落ちた。
「おしッ」
「ッ! 織斑くッ」
空撃ちの音が聞こえた気がした。
思わず歓喜の声が俺の唇から漏れる。
だが、また可聴域を超えたスピードで福音が喋りだす。
『シノノノリュウセントウジュツ・ヒノカタ・ロクバン――『テッパコウ』』
次の瞬間、
山田先生のライフルが弾切れを起こした瞬間、
振り向き様に主機の右腕が俺の胸を貫いた。
「――――――――――――――――――――――――――――」
ッ 、あ。
やば、これ、ぁぅぅあッ。
密着状態で、最大の切り札を潰されたはずの主機のバイザーに、勝利を確信した赤い光があふれた。
減形する聴覚が誰かの悲鳴を聞いた。どくどくと、俺が、俺の血が、海面を赤く染める。
……ナメるな。
「は、ははっ、ハッハァッ!! 残念、そこは今は空っぽなんだよねぇぇえええ!!」
大外れだぜバカヤロウ! 俺は残る『虚仮威翅』を銀色の右腕に突き立てた。唯一生身の体を持つ主機から噴水のごとく血が噴き出す。
それはそのままほっといて、空になった手にハンドガンを握る。この距離なら外さないし、十分なダメージが期待できる。パラベラム弾を胸元に何発も打ち込んでやった。装甲がはがれ火花が散る。このまま中枢部まで到達させて、最悪、パイロットの息の根を止めてやる。
ノイズまみれの金切り声。やばい。
『シノ■■リュウ■ントウ■■■・インノカ■・■■バ■――『ガカト』』
体が、吹き飛ばされた。
右腕を抜かれると同時、左腕でフックをぶちかまされたらしい。
塞がれてた穴から一気に血があふれ出す。
副機βが主機に寄り添う姿が見える。最後に残った一対の翼が、主機のように不自然に膨らみ、広がり、二体の悪魔を包み込んでいく。
クソッ。後一歩だったはずなのに。それなのに、俺は、負ける。死ぬのか。
闇から伸びる手が俺の意識を絡め取っていく。死神の鎌の感触を、確かに俺は首筋に感じた。
こんな短時間に二度も来てんじゃねえよ。
自分独りが孤独と同化していくのが分かる。思考がバラバラになって、うまくまとまらねえ……俺は今、どこにいる? 海か? 空か? 海と空の間か?
頬を打つ風。誰かが運んでいる。飛んでいく。名を呼ぶ鼻声が鼓膜に滑り込む。
名? なんだ、俺は……どうして……
体が沈んでいく……
死神が、鎌を、振り下ろ
【武装・ISアーマーの維持を中断】
【プログラムtype00の発動を承認】
【全エネルギーを『織斑一夏』の生命維持へ】
ブツン。
攻撃隊が戻ってきた。
ISが、史上稀に見る12機という軍勢で戦闘を行った。
帰ってきたのは8機。
最後まで残っていた三名が戻る。
全員砂浜まで駆け出してそれを待った。一般生徒でさえも目に付く所。慌てて関係者らが生徒を下がらせようとするが、もう遅い。
悲鳴。絶叫。
血濡れの『シュヴァルツェア・ツヴァイク』と『ラファール・リヴァイヴ』はどちらもボロボロだった。
ハルフォーフ大尉は充血した瞳に、まだ嗚咽を漏らし。
山田真耶は唇をかみ締め、抱きかかえたそれに涙を零す。
一気に力が抜けた。体が重力に負ける。
スーツに砂が付くのも構わず。
織斑千冬は、膝を砂浜についた。
白い鎧は消えていた。
ISスーツは破れ、血が滲んでいた。臓物は海に落ちた。
織斑一夏は死んでいた。
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♭おめでとうございます。貴女がその銀翼で貫いたのは世界で一番愛しい人の胸です。
ただ、残念でした。そう簡単に心(臓)は射抜けません。
♯『しのののほうき』と『シノノノホウキ』、貴方が守りたい/殺したいのはどっち?