七つの大罪を無事に閉店へと追い込んだ翌日、朝からトリコに引き連れられて杏子が向かった先は大型のホームセンターだった。
元々ホームセンターのようなゴテゴテした無骨なそれは好きな方な杏子だったが、中に入ると今までの常識はまた覆されてしまう。
中に用意されているのは猛獣を相手に戦うための武器や防具が中心であり、まるでRPGの中の武器屋や防具屋のような内装に杏子は圧倒されるばかりであったが、トリコがここに連れてきた理由もすぐに理解できた。
「ここでアタシの装備をって訳か?」
「その通りだ! さすがにその格好で常闇の森へ行かせる訳にはいかないからな」
ニッコリと笑いながらトリコは杏子の問いに答える。
今まで本格的な狩りに同行してもらったことがない杏子はこの行動を見る限り、常闇の森が一筋縄ではいかない場だと思って、改めて気を引き締め直す。
トリコは店員と相談しながら杏子の装備をどんな物にしようかと話し合っていて、その間杏子はあくび交じりにフラフラと辺りを見回して、自分でも何か自分に合った物はないかと探していく。
その時ふと目に止まったのは壁に掛けられたセール品の安い槍。
と言っても一本10万円のそれは普通に考えれば高級品だが、一流の美食屋は道具に関しても金を惜しみなく使う。
そうでなければ生き残ることは出来ないし、美食屋として生計を立てて行くことも出来ない。
高い物になると桁が一つ違う物が当たり前のようにガラスケースの中にあり、ギミックも自分が魔法少女時代の頃に多用していた三節棍のようなタイプの槍もあった。
だが今の自分の体力とスキルではそれを使いこなせる余裕はない。
自分にもっとも合った武器をと考えるとステンレス製で軽く、それでいながら切っ先は鋭い伸縮自在のどちらかと言うとモリに近いタイプの槍を手に取ると、ちょうど自分に合うサイズの黄色いツナギを用意してくれたトリコと合流する。
後ろには店員も居て今度は武器に関しての相談を自分も交えてやろうとしていたのだろうが、杏子が槍を手に取っているのを見ていると、もう武器の方は決まったと思いトリコは杏子から槍を受け取ると会計を済ませようとレジへ向かう。
「これで全ての準備は万端だ。後は一旦家に帰って飯さえ持っていけば完璧だぜ!」
そう言って親指を突き立てる姿には頼もしさが感じられた。
今までの中で一番難易度の高い仕事になるだろうが、トリコと一緒なら大丈夫だろう。
そんな根拠の無い自信が杏子を支え、自身もまたトリコの後を追う。
その自信を根拠のある物に変えるため。
***
トリコに買ってもらったツナギを着て、背中には槍を背負う杏子。
杏子にも一応は戦える準備が出来たのを見ると、トリコは酒瓶を片手に目的地である常闇の森へと向かう。
名前からして物騒な場所だと言うのは分かり、杏子の表情は険しい物に変わるばかりであり、一歩一歩の足取りも相当に重い物だった。
気が重い状態のままトリコの背中を追っていると突然トリコの足が止まり、空になった酒瓶をリュックの中にしまうと目の前にある巨大な木の数々を指さす。
「ここが常闇の森だ」
前にも来たことがあるトリコは記憶を頼りに最短のルートを頭の中で模索するが、杏子はその木々の大きさに圧倒されていた。
高さが300メートル級の森林は昼間でも日の光が全く入ることはなく、まさしく常に闇に覆われた存在、常闇という言葉がピッタリな場所であった。
一緒に買ってもらったヘッドライト付きのヘルメットをトリコから受け取ると、頭にかぶってライトを付けるが、トリコはそのままの状態で常闇の森へと入ろうとしていく。
「待てよ! お前はココほど目がいいわけじゃねーだろ? 自分の能力過信しすぎだろ!?」
「心配いらねーよ、オレの場合は鼻で道を追った方が早い」
そう言うとトリコは鼻を鳴らしながら、強い獣が居ると思われる最深部を目指していく。
常闇の森は奥に行けば行くほど、捕獲レベルの高い猛獣が居ると言うことはトリコから聞かされている。
こういう場において自分の持ち味を生かす戦い方ができなければ、あっという間に猛獣の餌食になってしまう。
ここは素直に美食屋の先輩であるトリコに従おうと杏子も後に続く。
ヘッドライトで申し訳程度の明かりしか自分を照らす物は無く、暗闇と言う不安な状態の中杏子はトリコの足元だけを照らして彼の後に付いていく。
久しぶりに感じる全身がひりつく感覚。
魔法少女だった頃グリーフシードを求めての狩りをやっていた頃の感覚が蘇り、全身の血液が沸騰していくような感覚が杏子の中で蘇っていく。
ここで元の負けん気の強さと攻撃的な性格が目覚める。
背中に背負っている槍は飾りではないんだとばかりに引きぬいて、構えを取ると恐らくは自分たちを餌と見定めているであろう猛獣たち相手に宣戦布告とばかりに威嚇のオーラを放つ。
全身の神経が研ぎ澄まされていくのを感じていると、その耳に草むらから移動する音が響く。
すぐに敵だと感じた杏子は音の方向に首だけを動かすとヘッドライトに照らされた敵を相手に槍を突きたてようとする。
「オイ、よせ!」
トリコは叫びと共に槍を突き立てようとする杏子の手を止めた。
動きが止まると同時に杏子は照らされた敵と思われる猛獣の姿を改めて見る。
だが、それは猛獣と呼ぶにはあまりにお粗末な存在だった。
環境に適合するため外敵に見つからないよう、その体は黒一色に覆われていたが、体の大きさは10センチ程度の小動物並みであり、顔立ちこそむき出しの眼に同じくむき出しの牙と醜悪な形相だが、体は大きな尻尾が特徴的であり、杏子がまっさきに感じた印象は肉食獣の顔に小動物の体を付けられたようなアンバランスさを感じ取った。
「あれは『ハイエナリス』だ。こっちから仕掛けなければ襲われることはないから、不用意な攻撃はすんな」
トリコが言う通り、杏子に攻撃の意志が無いと分かるとハイエナリスの中で戦力の分析が終わったのだろう。
自分では勝てない相手だと分かるとまた暗がりへと帰っていき、その姿は見えなくなった。
一応の危険が去ったのを見るとトリコは改めて杏子の姿を見る。
未だに荒い息づかいで目に映る物全てを敵と見定めているような獰猛な肉食獣を思わせるようなその姿にトリコは一抹の不安を覚える。
前へと進む前にまずは杏子の精神を落ち着かせようと軽く杏子の両肩を叩く。
トリコに取っては軽く叩いたつもりなのだが、杏子の体には激しい衝撃が走ったように感じ、全身を震わせながら杏子はトリコの方を見る。
「気負いすぎだよお前、まだまだ先は長いんだからそんなんじゃ体持たねーぞ」
ペース配分が明らかに出来ていない。
トリコの言葉で杏子の中で落ち着きが取り戻されて眉が下がって行く。
眉間のしわが無くなったのを見ると、トリコは改めて話し出す。
「ここには前にも来たことがある。平均の捕獲レベルは20前後と確かに危険度は高いところだが、それは最深部に入った場合だ。それにな……」
ここで一気に勝負を決めようとトリコは自分のことを親指でさすと威風堂々とした調子で話し出す。
「野生の獣は自分より強い獲物は襲わない。言っている意味は分かるな?」
口調こそ穏やかで優しい物だが、トリコが言おうとしていることは杏子には痛いぐらいに伝わる。
自分の言葉で言い換えるなら「足手まといだから大人しくしていろ!」ということなのだろう。
ついつい魔法少女時代の獰猛さが蘇ってしまったが、今の自分はグルメ細胞の移植も行われていないし、ノッキングに関しても申し訳程度の知識しか持っていない、実戦の場では何の役にも立たない存在。
ベテランのトリコからすればそんな存在にあれやこれや引っかき回されるのは迷惑なだけであろう。
槍だけは持つ状態にしておいたが、話を自分の中でジックリと咀嚼すると、杏子は小さく頷いてトリコの真意を読み取ったことを伝える。
杏子が分かってくれたことを知ると、トリコは穏やかな笑顔を浮かべながら「行くぞ」とだけ言って、再び鼻を鳴らしながら奥地へと向かう。
杏子は大人しくその背中を追っていくが、蘇るのは魔法少女だった頃の苦い記憶。
完全に力に飲まれていたころ、初対面のさやかを相手にも好き放題悪態をついて、友達と言っておきながら腹に槍を突き刺して、ある種の達成感を感じる辺り、やはり自分は狂っていたのだと思い知らされる。
それは自分を気遣ってくれるトリコの優しさに触れたからこそ、思い知らされること。
足取りは先程よりも重い物だった。それはこの森の独特の湿った空気が気分を重くしているのだろうが、一番の原因はそれではないことは杏子自身が一番分かっていた。
絶対に絶望に飲まれない。
その負けん気だけが杏子を動かし、槍を持つ手に力がこもった。
それだけがせめてもの抵抗だった。
***
時計を見ると夜になっていて、この日は適当なところでキャンプにしようとトリコはリュックの中に入れてある。フルーツうめぼし入りの20合おにぎりを取り出すと、夕食を取る。
杏子にも同じ物は手渡されたが、杏子は全体の4分の1も食べるとお腹いっぱいになり、残りをトリコに渡すがここで杏子の中で一つの疑問が生まれる。
「ここでは狩りをしないのか?」
前にも来たことがあるのなら、ここにも狩りのために来たのだろう。
だがここまで来る道中の間、トリコは襲ってくる猛獣相手にも威嚇とノッキングだけで事を済ませて、決してこの日の夕食にするような真似はしなかった。
事前に聞いた話で最深部までには行っていないのは聞いている。
しかし道中の中でもトリコは獲物として猛獣を狩る真似をしなかった。
杏子が真意を聞こうとすると、トリコはため息交じりに答えて行く。
「ここの猛獣はどいつもこいつもスゲー不味いんだよ……食べれば血なまぐさいし、噛めば砂を噛んだようにジャリジャリした感覚が襲い、飲み込んだ後も舌や喉にその嫌な感覚がベットリとへばりつく!」
その時の感覚を思い出したのか、トリコは心底げんなりとした顔を浮かべる。
話を聞くと杏子の中でも感覚が想像されてしまい、同じようにげんなりとした顔を浮かべながらも味を想像してしまい喉が焼けつく感覚を覚えるが、おかしいと思ったことがあり、その旨をトリコに聞く。
「じゃあ何でここに来たんだよ?」
「猛獣はクソ不味いのばかりだが、ここはフルーツが美味くてな。という訳でデザートにしよう」
そう言うとトリコは真っ黒なバスケットボール大の球体を取り出す。
この暗闇の中では真っ黒なそれを食べ物と認識するのは難しく、たき火とヘッドライトで照らされていてもそれを目に捉えるのに杏子は苦戦していた。
「やっぱ見づらいか。この『暗黒スイカ』はその発見の難しさから、フルーツながらに捕獲レベルが5の代物だからな。だがそれゆえに味は抜群だ」
右手をナイフの状態にすると勢いよく暗黒スイカに振り下ろされる。
切り分けられて中身が見えるが、中身もまた真っ黒で種がどこにあるのかすら分からない状態だった。
恐らくは環境に適応するため、自らの身を守るためにその身を漆黒に染めたのだろうが、一見すれば腐っているようにしか見えないスイカを食べるのに杏子は勇気が必要な状態になっていた。
心臓の鼓動は一口サイズに切り分けられた暗黒スイカをトリコから手渡されても収まることはなく、食べるのに勇気がいる代物を精一杯の勇気を振り絞って杏子は口の中に入れる。
すると襲ってきたのは優しい甘さと体が欲していた水分。
噛めば噛むほどに甘さが口の中に広がっていく感覚は自然と杏子を穏やかな気持ちにさせて、続けざまにトリコから渡されるおかわりのスイカを受け取ると貪るように食べる。
「気に入ってもらえて何よりだ。ここの土壌は栄養が豊富だからな。肥料さえ苗に適合すれば大体の植物は育つってわけだ」
「ジョーカーマンドラゴラを栽培するのにも適してるって訳か……」
ここで杏子は本来の目的を思い出そうと率直に思ったことを口に出す。
トリコは黙って頷くと未だに未知数の最深部に関してもついでに話していく。
「オレも最深部に関してはまったく分からない状態だからな。今が中間地点だから明日には着くと思うんだが……」
最後に歯切れの悪い言い方をしたのが気になり、杏子はそこに付いて突っ込んだ質問をする。
「何が言いたい?」
「自分自身冷静に実力の見定めをして、今現在のオレの捕獲レベルは20代後半~30代前半と言ったところだ。この辺りの平均は10代後半~20代前半。だがな……」
トリコの見定めは杏子も納得するところだった。
前にグルメコロシアムで鰐鮫を撃退したので猛獣との相性もあるだろうが、捕獲レベルを付けるとしたらトリコの実力はそれぐらいなのは理解できる。
何となくではあるがトリコの言いたいことは理解でき、杏子は彼の言葉を待った。
「まだ確定情報ではないが、この辺りを占めるボスのレベルは30代前半ぐらいの猛獣と言われてるんだ。オレでも未知の領域だ。だからなアンコ……」
ここからトリコはその表情を更に真剣な物に変えて、杏子にも緊張感を持たせようとさせる。
杏子が自分の目をまっすぐと見つめ返すのを見ると、トリコは最後の忠告を言いだす。
「オレは極力お前を守るようにはする。だがオレがピンチになった時は遠慮せずにオレを身捨てろ」
その発言から自分もこれまでのように無事に帰ってこれる保証はないと言うトリコの覚悟が杏子に伝わる。
それだけ今回の仕事は難しいことが分かり、トリコの心配ごとを一つでも削除させようと杏子はトリコの言葉を待つ。
「お互いがお互いを思いあう。一見すれば美談のように聞こえるが、オレから言わせれば犬死もいいところだ。野生ではまず自分の命を大事にするんだ。大丈夫、逃げ帰ったところで誰もお前を攻めやしないよ」
それだけ言うとトリコは杏子の頭を撫でて、一足先にテントへと入って就寝する。
だが杏子はトリコが言った何気ない一言が心に深く突き刺さり、苦痛そうな表情を浮かべたまま黙ってたき火を眺めていた。
(犬死か……)
自分が魔女と化したさやかを助けられないと分かって選んだ手段は共に自爆。
あの時はそれに対して何の迷いも無かったが、新たな世界で命をもらった今では本当にそれが正しい判断だったのかと胸が締め付けられる感覚を覚える。
肉体を持った自分と違い、さやかは魂だけの存在。
こんな状態で本当にさやかを救えたと言うのかと苦しめられるばかりであり、頭の中には『もしも』のことばかりがグルグルと駆け巡るばかりであった。
「チクショウ! やめだ、バカヤローが!」
激しい苛立ちを覚えると杏子をたき火の火を乱暴に足で踏みつけて消すと、自分もテントに入って就寝する。
今は自分のやるべきことをやろうと、懺悔ならその後でも遅くはない。
身勝手で無責任な思想だとは分かっていても、それ以外に自分の心を平静に保つ方法は今の杏子には思いつかなかった。
二人分の寝息がテントから聞こえると、常闇の森は再び完全な闇に覆われた。
喜びも悲しみもない深い深い闇だけが、2人を覆っていた。
***
朝を知らせるのは朝日の光ではなく、電波時計のアラーム音のみ。
常闇の森には日の光が入ることはなく、時間の概念を知るには時計だけしか方法がなかった。
真っ暗な道をトリコは鼻でジョーカーマンドラゴラの匂いを辿りながら進んでいき、杏子はトリコの背中をライトで照らしながら後を追う。
さすがに最深部へと進んでいくと、猛獣たちの獰猛な声が響き渡る。
だがトリコたちを襲おうとはしなかった。ただ威嚇するだけで全員が身を守るだけで精一杯の状態。
杏子はトリコの言っている『自分より強い獲物は襲わない』と言う言葉がよく理解でき、いかに自分が軽率でそして一人で突っ走ていたかを思い知らされてしまう。
魔法少女時代でも使い魔が魔女になるまで待つぐらいの冷静さは持っていた。
それさえも失くしてしまいそうだったことに、杏子は少なからずの危機感を感じ、何も言わずにトリコの後を付いていくが、突如トリコが右手を突き出して自分の歩みを止めると黙って前方を指さす。
「何か来るぞ」
トリコが鼻を鳴らすと匂ってきたのは生々しい乾ききっていない血の匂い。
警戒心をトリコが高めたのを見ると、杏子もまた槍を前方に突き出して戦闘態勢を取る。
暗闇の中前方から現れたのは予想外の存在だった。
鎧のような真っ黒な甲殻で覆われたジャガーのような猛獣は口から血反吐を吐きながら、トリコたちの存在など気にも留めず、前へ前へとヨロヨロとした足取りで前足を進ませていく。
トリコが杏子をどかして道を譲ると、目に飛び込んだ光景にトリコは驚愕の表情を浮かべてしまう。
その体は真っ二つに切り裂かれていたからだ。
下半身が完全に上半身と生き別れになった状態でよたよたと歩み続けるも、猛獣にも最後の瞬間が訪れる。
苦しそうに小さく痙攣を繰り返しながら、息絶える様子を見てしまうと反射的に二人は死体に向かって手を合わせ合掌のポーズを取る。
杏子は漆黒の中でも道しるべのように残った血の道に目が釘付けとなっていたが、トリコはその死骸に目を付ける。
「こいつは……捕獲レベル24の『カッチュウジャガー』こいつの体を殻ごと噛み砕くなんて……」
カッチュウジャガーは常闇の森でも上級レベルの猛獣。
そしてその殻は完全に防御態勢を取れば、自分よりもレベルの高い猛獣の牙さえも簡単には寄せ付けない硬度。
そんなカッチュウジャガーを簡単に餌にしてしまうところを見ると捕食者は間違いなく、この常闇の森を占める大ボス。
思っていた通り厳しい戦いになるだろうとトリコは思いながら、恐らく戦うべき相手がいるであろうと思われる最深部へと血の道しるべを追うことにする。
トリコが歩き出したのを見ると、杏子は死骸をそのままにしておくことに多少の罪悪感を感じた物の今は自分たちの目的を達成するのが先だと判断してトリコの後を追う。
血の道しるべはライトがなくてもハッキリと見え、その匂いはトリコでなくても鼻に飛び込む強烈な鉄の匂いを発していた。
これまで見えないことから思っていた以上に歩が進まず、フラストレーションが溜まる状態であったが、一つ道しるべが出来るだけで劇的に進むことができるのを杏子は感じ、足早に進んでいくトリコの後を追い続けると、人の手が施されてない獣道が開け、人の手で整備された平原が目に飛び込む。
トリコが手を出して杏子を止めると、恐らくジョーカーマンドラゴラを製造していると思われるブラッドベリーの根城をジックリと観察する。
簡素な掘っ立て小屋の隣には小さな畑があり、地面の頭からは出荷前のジョーカーマンドラゴラが顔を出していて、証拠を集めるためにトリコは懐からデジカメを取り出すとその様子を写真に収めていく。
すると足音が聞こえてきて、トリコは反射的に杏子を抱えて木蔭へと身を潜ませる。
肥料と思われる物が入ったバケツを片手に現れたのは、ジョーカーマンドラゴラ栽培の容疑者ブラッドベリーだった。
杏子はトリコに抱えられながらツナギの胸ポケットに入れた容疑者の写真を改めて見る。
スキンヘッドの頭に肥満体の肉体、2メートルを超える大男と特徴の塊のような姿は一度見たら忘れることはなく、間違いなくブラッドベリーその人であり、懐からスコップを取り出して肥料を畑に撒こうとしているブラッドベリーを見ると、トリコは杏子を抱えながら彼の前に飛び出していく。
「テメェがジョーカーマンドラゴラ栽培の容疑者ブラッドベリーだな?」
杏子を後ろに追いやると、トリコは怒気が含まれた声でブラッドベリーに対して威圧的に話しかける。
このことを知っている辺り、兄のクランベリーは捕まったのだとブラッドベリーは直感的に理解し、スコップをバケツの中に放り投げるとトリコと向かい合おうと振り向いて話し出す。
「いかにも。その様子だと兄は捕まったようですね」
「そういうことだ。大人しく投降しろ、そうすればぶん殴らねぇでおいてやる」
「嫌だと言ったら?」
その挑発的な態度が気に入らないのか、トリコは額に血管を浮かび上がらせながら指関節を鳴らし、ブラッドベリーの胸倉を掴むと自分の元へ引きよせる。
「ぶっ殺す!」
殴ろうと拳を握りしめて振り上げようとした時、トリコの優れた嗅覚が畑から異質な匂いを感じ取る。
それは本能的に感じた人間が嗅いではいけない匂い。
過去にもこの不愉快な匂いを嗅いだことはあるが、それが何なのか思いだせず、コンマ一秒の間ではあったがトリコの動きは止まった。
次の瞬間トリコを襲ったのは死角となっている左方向からの強烈な一撃。
何が起こったのか分からずにトリコが衝撃の方向を見ようとしたが、その瞬間には自分の体がブラッドベリーの元から離れていく光景が目に飛び込んだ。
「トリコ――!」
「アンコ!」
杏子の叫びも空しく、トリコの姿は常闇の森の奥深くへと消えて行く。
トリコが居なくなり、戦力と思われない杏子しかそこに居ないのを確認すると、ブラッドベリーは下卑た笑みを浮かべながら杏子に近づいていく。
それに対して杏子は槍を突き出して戦闘意欲があるのをアピールする。
「そんな怖がることはないよ。私はね、君にもジョーカーマンドラゴラの素晴らしさを分かってもらいたいだけなんだ」
「ヤク漬けの何が素晴らしいってんだ! ふざけんな!」
身勝手なブラッドベリーの言葉に激怒した杏子は槍を突き出して突進するが、ブラッドベリーは簡単に横へかわすと、杏子の体は畑へと投げ出され、前方に勢いよく転んでしまう。
地面に耳が付くと、杏子の耳に届いてきたのはうめき声にも似た躍動だった。
地面の中で何かがうごめいている。それを直感的に感じた杏子は勢いよく立ちあがって畑から離れる。
その直後に畑から飛び出したのは植物の根のような触手の数々。
まるで食虫植物が獲物を求めるかのように動き回るそれを見て、知識の無い杏子でも分かったことがある。
ジョーカーマンドラゴラが何を肥料にして育ち、そして行方不明になった美食屋の末路がどうなったかということを。
「テメェ……それが人間のやることか!?」
杏子が怒りと共に叫ぶと同時に触手が勢いよく畑から飛び出していく。
その先端にはいくつもの人骨と思われる骨や腐り始めた人間の腐乱死体が多々あり、ジョーカーマンドラゴラが人間を主な養分にして成長しているのが理解できた。
更なる餌を求め、根は人間を求めて怪しくうごめくばかりであり、その様子を愛おしいと感じたブラッドベリーはバケツの中の肥料を撒くと、根は再び地面の中へと消えていき、肥料を貪るように吸い尽くしていく。
肥料が消えてなくなったのを見ると、ブラッドベリーはニヤニヤと笑いながら、杏子の元へと近づいていく。
「済まないな。ジョーカーマンドラゴラよ、やはりカッチュウジャガーのミンチでは物足りない部分もあるだろう。もう少しあれば満足できたのだろうが、家のペットは大飯ぐらいでな……」
ブラッドベリーが言った『ペット』と言うのが相当な強敵だと言うことは杏子にも分かること。
自分の目には何かが動いたようにしか見えず、気が付いた時にはトリコはペットと共に消えてなくなっていた。
ここに居るのは自分だけ、トリコの言葉が脳内で再生されるが、杏子の中で逃げると言う選択肢は無かった。
人間を餌としてしか見ていないブラッドベリーを見て、魔法少女時代の激しい胸を焦がすような怒りが蘇っていく。
目の前にいる肥満体の男をキュゥべえとだぶらせてしまうと槍を持つ手に力がこもる。
杏子に降伏の意志が無いと判断するとブラッドベリーは歩みながら、最後の質問を杏子に尋ねる。
「私のジョーカーマンドラゴラの素晴らしさを理解してもらえないことは分かった。ではせめてその身を捧げてもらおう、その前に名前でも聞かせてもらおうか?」
「アタシはアンコ……」
これは宣戦布告だった。
魔法少女としてではなく、一人の美食屋としてこの世界で戦い抜く。
さやかのために、そして自分自身のために生まれ変わろうとするため槍を突き出し、足の親指に力を込めると勢いよく杏子は叫ぶ。
「美食屋アンコだ!」
魔法少女としてではない、美食屋としての杏子の戦いは今始まった。
最初に戦うのは人間を肥料として悪魔の植物を育てる人の皮を被った外道。
自分の選択に後悔しないためにも絶対に勝つと心の中で何度も復唱し、杏子はブラッドベリーへと立ち向かう。
それは命を守るだけではない、人として心を守るための戦いでもあった。
***
トリコが解放されたのはペットの縄張りと思われる広大な草原だった。
だが草も真っ黒であり、相変わらず周囲は暗闇に覆われたままなので、ブラッドベリーのペットの姿を見つけるのも難しく、トリコは目を凝らしてジックリと見つめると、ようやくその姿をハッキリ捉える事が出来た。
「そういうことか……ここはテメェのフィールドって訳だな?」
突進で未だに痛む脇腹の痛みに堪えながらも、トリコは指の関節を鳴らしながら猛獣を相手に威嚇の態度を取る。
暗闇に目が慣れるとその姿がようやくハッキリと捉えられる。
両の側頭部には巨大な角が二本生えていて、何度も何度も獲物を突き刺したため真っ赤に染まっていた。
体はその環境に適応するため漆黒に染まっていたが、目だけは真っ赤に光り輝いていて、その目がライトのような役割を果たして暗闇の中でもハッキリと獲物を捉えることが出来ていた。
実際にその姿を見るのは初めてだが、予想通りの強敵を相手にしなくてはいけないことにトリコは邪悪な笑みを浮かべながら、宣戦布告とばかりに猛獣についての情報に付いて語っていく。
「捕獲レベル34『シャドーミノタウロス』その姿はまさしく、この常闇の森のボスと呼ぶに相応しい存在だな……」
シャドーミノタウロスは後ろ足で何度も地面を後方に蹴り飛ばすと、こちらもまた宣戦布告とばかりにトリコへ威嚇の行動を示す。
双方共に戦闘の準備が出来あがったのを見ると、トリコは両手をこすり合わせて金属音を辺りに響き渡らせると間合いを一気に詰めて、右手に力を込めて拳を突き出す。
「4連釘パンチ!」
先程の突進攻撃からシャドーミノタウロスを相手に調子づかせるのは危険だと判断したトリコは、スピードが付く前に倒す先制攻撃の作戦へと出る。
これは元々自分が得意としている即効型の戦い方であり、単純な力比べの戦い方は自分にもっとも適した物。
狙い通りまっすぐに突っ込むことしか出来ないシャドーミノタウロスは自分から釘パンチを食らってしまい、角が発達している分、頭蓋骨の中で一番骨が薄い額の部分でトリコの必殺技を食らってしまったシャドーミノタウロス。
何度もパンチの衝撃が響き渡る感覚が、トリコの拳に伝わってくる。
合計で4回の衝撃が自分の右腕に伝わってくるのを感じると同時に襲ってきたのは激しい筋肉痛。
まだ無理のある4連釘パンチはトリコの体にも激しい負担がかかる。
一気に勝負を決めようと判断した行為なのだが、トリコは筋肉痛に一瞬目を閉じて歯を食いしばって痛みに耐え抜こうとするが、すぐに目を開くとシャドーミノタウロスを倒したかどうか見定める。
(やったか?)
動きが止まったのを見てトリコは倒したのかと一瞬思ったが、その希望は背中に感じた刺さるような痛みで打ち消される。
筋肉痛に耐えているほんの一瞬の間でシャドーミノタウロスは別の作戦へと切り替えていた。
角で突き刺して殺すのではなく、角を双方から伸ばしていき、2本の角でトリコを覆い囲むとそのまま前方へと持っていき、締めあげていく。
「あ……あぁ……」
背中に回された角は万力のようにトリコの体を締め上げていく。
今までに感じたことのない激しい痛みがトリコを襲い、その口からは自然と苦しみのうめき声が発せられる。
トリコの中で広がっていくのは上半身と下半身が生き別れになるイメージ。
イメージを現実の物にさせないため、トリコは額に血管を浮かび上がらせ、怒りを力に変えて右手を手刀の形にすると角の根元に振り下ろす。
「ナイフ!」
振り下ろされたナイフだが、金属音が響き渡ると同時にトリコの右手から伝わってきたのは激しい痙攣のような痛み。
両足が地面に付いていない踏ん張りの効かない状態で放たれるナイフは通常の半分の威力もない。
だが頭に血が上っているトリコはそのことにも気付かず、ひたすら何度も何度もナイフの攻撃を繰り返すが、表面に細かな傷が付くばかりであり、根元から切り落とすことが出来なかった。
右腕の痛みが限界にまで達すると、ナイフでの攻撃が無意味な物と判断し、トリコが取った次の作戦はがら空きになっている首に自分の両腕を回す。
右腕を首に回し、左腕で抱え込むように締めあげるとチョークスリーパーの状態を取って、シャドーミノタウロスとの根競べで勝負を決しようとする。
両腕に力が込められトリコの腕の中で締めあげる感覚が伝わってくる。
角の攻撃が届かない首にかかる攻撃はシャドーミノタウロスに効果的であった。
角での締め上げが弱まり、伸びた角が元に戻っていくとトリコの体は地面に下りて行き、トリコの両足が地面に付く。
足が地面に付いて踏ん張りが効く状態になったのを見るとトリコは一気に勝負を決めようとする。
そのまま後方に寝転がってシャドーミノタウロスの体ごと持ち上げると、一気に締め上げて圧死させようとする。
だが次の瞬間トリコを襲ったのは激しい死のイメージ。
理由は分からなかったが自らの直感を信じて、トリコは締めあげていた腕を解こうとする。
だが時既に遅し、トリコの胸部は何かに貫かれて貫通し、その地面に鮮血が広がって行く。
「ぶばぁ!」
それと同時に口から勢いよく血反吐を拭きだすトリコ。
体勢を立て直した四本の足でしっかりと立ち上がるシャドーミノタウロスは脳に新鮮な酸素を取り込もうと何度も荒い呼吸を繰り返していた。
その前頭部から飛び出ているのは今まで隠していた3本目の角。
恐らくはよほどの強敵を相手にする時ではなければ出されない角はシャドーミノタウロス自身も今まで存在に気づいていなかったらしく、自分の目の前に滴り落ちる鮮血が何なのか理解出来ずに何度も辺りを見回していた。
シャドーミノタウロス自身でさえも理解できていない武器を自分が予測できるわけがない。
トリコは何度も荒い呼吸を繰り返して、脳に新鮮な酸素を送って生きることに必死でしがむつこうとするが、目の前に広がる景色は焦点が合わず、目を開けることすらままならない状態から、その脳内に広がっていくのはあまりにリアルな死のイメージ。
幾多もの亡者が自分の体を引きずりこもうとしているイメージが広がっていき、トリコは目を閉じて、その意識はブラックアウトしていく。
***
目を開けた先に広がっていくのは漆黒の世界、だが常闇の森とは違い本当に何もない闇の世界だった。
そんな中で一つだけハッキリとトリコの目に止まる物があった。
それは腰巻一丁の夜叉と呼ばれる存在が何かを貪る様子。
物が何か気になったトリコは反射的に近づいていく。
(何だこりゃ?)
あまりの衝撃にトリコは驚くことも忘れて何も言葉が出なかった。
夜叉が食べているのは虚ろな目つきで空を見上げる裸の自分自身。
夜叉の存在には心当たりがある。
戦う時に気合を入れると自分の中で広がっていくイメージがこの夜叉。
今この状況は言うならば自分が自分を食べているような状態、この異常な状態をトリコは理解できずにただただ困惑するばかりだが、昔の思い出が思い返されると脳内での再生が始まる。
それはまだトリコが美食屋として歩み始めた時のこと。
独り立ちしようとした時に今まで自分に修業を付けてくれたIGO会長の一龍から言われた言葉。
それはピンチに陥った時に起こる現象のこと。
栄養飢餓状態に陥った生物が自らの細胞内のたんぱく質をアミノ酸に分解して、一時的にエネルギーを得る仕組み。通称『オートファジー』
生命の危機を回避するため、二度と困難に屈せぬよう、進化を求めて肉体に驚異的なパワーを発揮させる現象。
これから先何度も体験するであろう現象を一龍は口頭で伝えたことをトリコは思いだしていた。
(これがそのオートファジーって奴か?)
「そうだ……」
頭の中で思っていたことがそのまま伝わる辺り、やはり今自分を食べている夜叉は自分なのだと実感させられる。
夜叉は口元に塗られた血を拭くことなく、獰猛な笑みを浮かべながら語っていく。
「そう長くは持たん……タイムリミットは5分だ。その間に何か食べることができればよし、だがそれまでに何も食べれなければ……死ぬぞ」
夜叉の言葉でオートファジーに付いての情報が思い返される。
栄養飢餓の一時的な回復でしかない状態が長く続けば、自らが自らの細胞を食べ尽くして細胞は死に至る。
常に死の覚悟を持って戦いに挑んでいるトリコだが、最悪のイメージを現実の物にさせないため、最善を尽くそうとトリコは目を閉じて意識を現実に戻そうとする。
「出来ることならば勝てよ……」
最後の最後で夜叉から送られたエールに対して、トリコは小さく頷いた。
そして視界は闇から光へと変わり、自らの体が光で包まれていくと同時に意識は現実へと戻っていく。
生きるための戦いへと戻っていくために。
***
目を覚ますと胸の傷は筋肉によって塞がれていた。
そして様々な情報が一気に思い起こされる。
(あの匂い……思いだした!)
自分の傷よりも先に思い出したのは畑から匂ってきた不愉快な匂いの正体。
何度も何度も人が無残に死んでいく現場を見てきた幼少時代。
腐乱が始まった死体を焼いた時に嫌でも嗅いでしまう匂い。それがあの畑から匂ってきたので、行方不明になった美食屋たちの末路もトリコの中で決定してしまった。
杏子がその過酷な現実に屈しないであろうと言うことは理解できる。
だがそれでも出来る限り自分が守ると言った発言には責任を持ちたい。
そして自らが生き残るためにも今は戦うべき相手と決着を付けなければいけない。
トリコは勢いよく立ちあがると同時に獰猛な雄たけびを発する。
森全体が揺れるような大声に脳に酸素を取り入れることで精一杯だったシャドーミノタウロスもトリコの方を向く。
「牛! 食うぞオラ!」
挑発の叫びで大地が揺れる。
その瞬間その場に隠れていた全ての獣たちが逃走していったが、シャドーミノタウロスだけは後ろ足で地面を蹴って勢いを付けると、先程気付いたばかりの自分の武器、3本目の角を額から突き出して勢いよくトリコに向かって突っ込んでいく。
突っ込んでいくシャドーミノタウロスに対して、トリコは両手を大きく広げて戦闘態勢を取り、興奮しきった状態のまま左手を後方へと持っていき、勢いを付けると前方に突き出す。
「フォーク!」
左手の突きによるフォークの攻撃がシャドーミノタウロスの目に突き刺さる。
的確に急所のみを突く攻撃は効果的であり、突進は止まり目から血の混じった涙を流しながらよろめく。
「フォ――ク!」
的が動かなくなったのを見るとトリコのフォークによる容赦ない連打が襲いかかる。
覚悟を失った筋肉は楽にフォークでの攻撃が突き刺さり、前足、後ろ足の腱が切られると、シャドーミノタウロスは力なく横たわっていく。
「ナイ――フ!」
この状態でもトリコは冷静さを失わず、獰猛な攻撃を繰り返す。
ここから逆転される可能性も十分に考えられるので、突進力とは別にもう一つの武器である角へとナイフは振り下ろされていく。
先程ははじき返されるだけだったが、両足の踏ん張りが効き、オートファジーによって威力が増加しているナイフは一振りだけで、その角に大きな傷が付き、今にも折れそうになっていた。
「ナイフ! ナイフ! ナイフ! ナイ――フ!」
何度も何度も手刀が振り下ろされていくと、傷はヒビに変わって3本の角はナイフによって切り落とされていく。
だがそんな中最後の抵抗をシャドーミノタウロスは見せた。
振り下ろされていくナイフに合わせて、大きくシャドーミノタウロスは口を開いて、その手に噛みついた。
生きることを諦めないシャドーミノタウロスはトリコを食べようとするが、口の中で広がったのは咀嚼の感触ではない。
呼吸さえままならない状態を感じ、喉が詰まるような感覚を覚える。
四本の足の腱が切られているにも関わらず、視界は立っている時と変わらない状態に戻されていく。
状況が理解できていないシャドーミノタウロスに構わず、トリコは真っ赤なオーラを全身に纏いながら左手を後方に持っていき拳を力強く握る。
口の中の右手は噛みつかれた瞬間に覚悟を決めて筋肉を硬直させ、シャドーミノタウロスの牙を弾き返し、無防備になった一瞬の間に口の中にあった舌を掴んでそのまま強引に持ち上げていた。
舌を勢いよく前方に引っ張られると言う初めて体験する痛みに、シャドーミノタウロスはどう対処していいか分からず、目の前に居るトリコを見ることしか出来なかったが、勝負は決しようとしていた。
「5連釘パンチ!」
倍近くに膨れ上がった左拳は先程と同じように急所である額へと振り下ろされる。
先程は耐え抜いた攻撃だが、今度のそれは威力が桁違いだった。
4連でヒビが入った額の骨が一気に崩壊していくのをシャドーミノタウロスが感じる頃には、その意識は現実には存在せず、後方に吹っ飛ばれていく頃には既にその命の灯は消えていた。
後ろの大木にその巨体がぶつかって初めてその体は止まり、顔面の穴と言う穴から血を噴き出しながら倒れていく様子を見届けると、トリコはようやく勝利を確信し、荒い息づかいながらも自分のために命を分けてくれたシャドーミノタウロスに対して、感謝の気持ちを伝えようと、真剣な顔を浮かべながら手を合わせて合掌のポーズを取る。
「この世の全ての食材に感謝を込めて、いただきます」
自分の信念を言うと同時に勢いよくトリコはシャドーミノタウロスにかぶり付く。
「ぐわぁ! 不味い!」
食べた瞬間襲ったのは粘土でも食べているような気持ち悪い食感。
早いところ飲み込んでしまおうと強引に胃の中へと流し込むが、次に感じたのは食道全体に塗装材を塗りつけられたような不愉快な感覚。
胃に到達した頃トリコを襲ったのは腹の中に石でも詰められたような不愉快な重み。
まるで童話の中の狼にでもなったような気分になったが、食材は全て自然の恵み。
何度も「不味い!」と叫びながらも10分間かけて、シャドーミノタウロスを骨のみの状態にして全て食べきった。
「ごちそうさまでした」
全てを食べきるとトリコは最後にシャドーミノタウロスに感謝の気持ちを伝え、一応のエネルギー補給が出来たことを確認する。
これで細胞を全て食べ尽くしての死去は無くなったと確信するが、お世辞にも美味いとは言えないシャドーミノタウロスは細胞の進化には繋がらなかった。
だがそれでも今はエネルギーの補給が出来ただけでも十分。
胸の傷が完全に塞がったのを見ると、足に力を込める。
鼻を鳴らして杏子の匂いを見つけると、その方向に向かってまっすぐかけ進む。
「間に合ってくれよ! アンコ!」
杏子に覚悟ができているのは知っている。
だが救いたいと言う思いの方がトリコは強く、勢いよく走り続ける。
それがパートナーである自分の役目だから。
本日の食材
ハイエナリス 捕獲レベル2
肉食動物ではあるが、他の猛獣が食べ残した獲物を食べることで生き延びるハイエナの特性とリスの機敏性を併せ持った猛獣。
一部のゲテモノマニアの間ではペットとしても飼われている。
暗黒スイカ 捕獲レベル5
身を守るため皮を真っ黒にさせて環境に適応したスイカ。
常闇の森ではそこら辺にある石ころと見分けがつかないため、発見の難しさから5のレベルが付けられた。
カッチュウジャガー 捕獲レベル24
漆黒の日本風の鎧兜のような甲殻を身に纏っていることから、この名が付けられたジャガー。
完全な防御態勢を取れば捕獲レベルが上の猛獣でさえも簡単には突破できず、肉は食用に向かないがその甲殻はすぐれた職人の手にかかれば、一級品の調理器具へと変わる。
シャドーミノタウロス 捕獲レベル34
自らの体を漆黒に染め上げ視覚的にも見ずらく、目は赤外線スコープと同等の働きを見せていて、暗闇の中でも獲物を目がけて自由に動き回ることが出来る。
突進力に加えて角は伸縮自在で突く以外にも伸ばして締めあげることも可能で、高い知能も持ち合わせている。
と言う訳でジョーカーマンドラゴラの栽培編になりました。
オートファジーをトリコが経験したのは本来なら宝石の肉編が初めてなんですが、物語の都合上再構成して今回初めてオートファジーを経験してもらいました。
しかし、その際トリコは皆美味い食材を食べてグルメ細胞進化しましたが、不味い物食べたら逆にパワーダウンするなんてことはないんでしょうか心配ですw
食材に感謝していても不味い物は不味いとハッキリ言う性格ですからねトリコは。
次回は杏子とブラッドベリーの対決になります。
次も頑張りますのでよろしくお願いします。