仄暗き深淵の闇が覆い尽くす魔王が巣食う裏世界。
常に人界の裏側に存在していた魔族が支配する世界は永きに渡り人の世を脅かし続けてきた。
その所業に人が憤り、打倒せしめんと思うのも当然だった。
「私を滅ぼすか、異界の者よ」
荘厳な白亜の大城の深部に座する魔の王が自身を打倒するべく現れた人の子らを睥睨する。
「お、お前が魔王なのか?」
魔王討伐を使命とする者たちが魔王の出で立ちを目にし、困惑を示す。
討伐者たちの装備は、魔族の王を打ち滅ぼすべくそれに相応しい荘厳な装いばかりである。
力を蓄え、装備を揃え、覚悟を決めてたどり着いた魔王の座に在ったのは、予想していた魔王像とかけ離れていた。
「何を訝しむ。それほど私は矮小に見えるか?」
人の世、人の王と同じく、魔の世、魔の王も代を重ねてきた。
今代の魔王の姿は、これまで伝え聞くどの代の魔王と比較しても「らしくない」装いをしている。
この世界には珍しい黒髪黒眼の魔王が纏っているのは、貧民街の浮浪者が着ているような襤褸切れだった。
それは幾万の返り血を浴び続けたため赤黒く変色しているが、使われている素材も吐いて捨てるほどあるような在り来たりな素材であるようだった。
魔を統べる王が纏うには相応しくないモノである。
あまりにも拍子抜けな魔王の姿に気が緩みかけていた討伐者一行の中で唯一警戒を緩めていなかった者が皆を庇うように前に出る。
「外見に騙されないで」
「カティ……?」
警告するように前に立った女性に魔王と同じく珍しい黒髪黒眼の少年が首を傾げる。
「彼は、“殺戮の君”。かつての私の王であった“淫蕩の君”や外道の“唯我の君”でさえ成しえなかった全魔族を従え、人間や魔族、動植物を問わず歴代で最も命を奪った力は本物よ。油断しないで」
カティと呼ばれた女性は、討伐者のリーダーである黒髪の少年を庇うように真紅の魔槍を構える。
魔族たちが住まう裏世界、俗に言う魔界は人間界と同規模の領域を持つ。
人間の歴史の中で一度として世界すべての民がひとつに纏まったことなどなく、魔界もそれは同じだった。
数万年の時を混沌が支配していた魔界で最も力のある魔族を魔王と呼ぶ。
しかし、歴代の魔王の中で魔界全土を完全な支配下に置いた魔王はいない。
それもそのはず。
魔王が力を振るえば、それだけ魔界に厖大な魔力が漏れ出す。
人間界に比べて魔界に魔力が豊富なのは、魔族が呼吸をするかの如く魔力を日常的に使用しているからである。
魔力は使用されると世界に拡散し、長い時間をかけて呼吸や食事を通して魔族たちの体内に戻る。
ゆえにあまり魔力を使いすぎるとそれだけ他の魔族に力を蓄えるための餌を与えるに等しい。
魔王となった者は、自然の摂理による魔力の循環による力の簒奪を恐れ、魔力の行使を控えるようになる。
消費する魔力を抑えれば、摂取する魔力が消費量を上回り、力はさらに膨れ上がる。
このためにも魔王となった者は、最初に忠実な部下を作る。
絶対に裏切ることのない、裏切ることのできない永遠の束縛により押さえつけた下僕たちに邪魔な者たちを排除させ、自身は力を蓄える。
人間からみれば無限にも例えられる寿命を持つ魔族も永遠という名の奇跡を求めていた。
「やはり、裏切ったか。哀しいよ、カティ」
黒髪の少年に語りかけたような横柄さを消し、本当に哀しみを現すかのようにカティを見る魔王。
その魔王にカティは、詠唱を破棄した火焔の魔法を放つ。
「何を今更! 私は【淫蕩の左眼】なのよ。貴方が殺した“淫蕩の君”の従者であった私を何の束縛も与えず部下にした貴方が迂闊だったのよ」
歴代最強の魔王を前に啖呵をきるカティだが、自らの一撃でダメージを与えることなどないと予測していた。
そして、それは事実であり、魔王は纏っている襤褸切れを僅かに焦がしただけで身体は完全に無傷だった。
「それでも“君なら私を裏切らない”と信じていた。いや、信じていたかった、のか」
見た目のみすぼらしさも相まって、カティに声をかける魔王からは人間臭さが滲み出ている。
しかし、魔族に真の忠誠など望むべくもない。
カティは、自身の王であった“淫蕩の君”を殺されたからといって“殺戮の君”を恨んではいない。
単にカティを魔族として生み出したのが“淫蕩の君”だったというだけであり、実力至上主義の世界では強さこそが絶対の法である。
ゆえにカティが反旗を翻した理由は他にあった。
「おいおい、魔王さんよ。カティはもう悪い魔族じゃないんだぜ? アンタみたいな極悪人についていくはずがねえだろ!」
カティの啖呵に触発されたのか、黒髪の少年も手にした聖剣で魔王に斬りかかる。
そんな少年に仲間の機械人形が制止の声をかける。
『キョウマ! 迂闊に攻め込むな!』
機械人形の制止の声は少年には届かず、その横をカティが駆け出していた。
それを確認した討伐者一行の知恵袋である魔法使いが皆に檄を飛ばす。
「私が援護してやる! カティはキョウマに続け! ゴルディロックは後方支援! セラミスはいつでも回復できるようにしておけ!」
「『「了解!」』」
叡智を司る賢者の指示に名を呼ばれた者たちが答える。
上級魔族であるカティが愛槍を火焔で武装して魔王の元へと駆ける。
機械人形のゴルディロックは、古代に多用されていた魔砲を構え、黒髪の少年キョウマやカティを援護するように魔王を狙い撃つ。
白いローブを目深に被った呪術師のセラミスが古の呪を唱えると周囲に癒しの効力を秘めた光がいくつも現れる。
「ここで決着をつけてやるぜ!」
仲間の後押しを受けて聖剣を振り上げるキョウマを魔王は睥睨し、その後ろに続くように槍を向けているカティに哀しみの視線を向け、その背後に在る討伐者たちを見下ろす。
「……良いだろう。神に祝福されし勇者達よ、貴様らが呼ぶところの“殺戮”がどれほどのモノが見せてやる」
跳んでくる魔法や魔砲を払い除けつつ、魔王は玉座より立ち上がる。
緩慢とさえいえる動きの魔王にキョウマが振り上げた聖剣を渾身の力で振り下ろす。
「うおおおおおおおおりゃああああっ!」
キョウマの雄叫びと共に振り下ろされた聖なる刃は、魔王の肩口に食い込む。
「って、刃が徹らねえ!?」
ここに辿り着くまでに多くの魔族を切り伏せてきた聖剣が幾許のダメージも魔王に与えることができないという事実にキョウマは驚愕する。
「その程度か?」
「っそおッ!!」
魔王が自身の肩に食い込んだ聖剣を掴み、キョウマの胸を魔力を込めた拳で貫こうと構える。
「させない!」
一呼吸程度で溜められた魔力であってもその一撃は、確実にキョウマの命を絶つ威力があることを誰よりも知るカティが攻撃の手を引き、キョウマを横薙ぎに蹴り飛ばす。
キョウマの身体が飛ばされるのとほぼ同時に魔王の拳が空間を穿った。
カティの蹴りで吹き飛ばされたキョウマは衝撃に悶絶しながらも転がりながら体勢を立て直す。
「っっつ。サンキュー、カティ! 次はもっとソフトに頼む」
「そんな軽口が叩けるようなら加減なんていらないでしょ?」
危機一髪のところを回避できたということにも萎縮することもなく軽口を叩きあいながら再びキョウマとカティは攻撃を魔王に向ける。
「それほどにその男が良い、というのか。我らが絆はその程度の理だったというのか……」
最も信頼した腹心の謀反に魔王は嘆く。
しかし、そこに憤怒の想はなく、ただただ哀しみだけがあった。
「“殺戮の君”、貴方は私が知る限り最強の魔王だった。けれど、貴方の治世に甘んじることができるほど私は自分自身を肯定していない」
ある種の慈愛の色を向けられるカティは、その魔王の視線を撥ね退けるように魔槍を振るう。
「“淫蕩の君”の下で目覚めた時から感じていた。私は、王に捧げるためにこの手で縊り殺してきた子供達の顔が忘れられない! 魔族だからって、悪魔だからって、王の下僕だからって、どうして命を奪わなければならない!」
カティの魔槍の一撃が爆炎を伴って魔王を吹き飛ばす。
中級魔族ならばこの一撃で絶命するほどの威力が込められているが、最強の魔王たる“殺戮の君”には毛ほども効いていない。
爆炎の衝撃で白亜の城壁に叩きつけられても息を乱すこともせずに再び立ち上がり、迫り来るキョウマやカティに対面する。
「カティ……君の気持ちは私も理解している。ゆえに私は「ロディ・キャリオンに告げる」――がっ!!」
言葉の途中で唐突に響いた呪に魔王の喉から苦悶の息が漏れた。
「が、ぁ、ぁぁああッ」
「ん? 何か知らねえが、チャンス!」
魔王の突然の咆哮にキョウマは機を感じ取り、聖剣を正面に構え斬り掛かる。
「づぉぉおおっ!!」
「うお、マジで効いたぞ!」
それまでどんな剣戟も魔法も効かなかった魔王に初めてまともなダメージが徹った瞬間だった。
「やはり、真名による束縛は魔王ほどの存在にも有効か。いや、強大な存在であるからこそ、その真名にも強大な強制力が働くということか」
魔王を弱らせた先ほどの呪を放った古の賢者ロゼが無感動に事実のみを口にする。
「っ、人が真名の意味を知るはずがない。貴様、神代の精霊種か」
「そうだとも、貴殿ら歴々の魔王により同胞を駆逐されていった絶滅種の最後の一子が、古の呪を携えてやってきたのだ。貴殿個人にうらみはないが、魔王を討つことこそ我が同胞たちへの唯一の弔い。ここで果ててもらうぞ、最強にして最弱の魔王」
血に刻まれた怨嗟を背負いつつもその怨念に支配されず、冷淡に事実を行使する賢者は、さらなる呪を紡ぐ。
「ロディ・キャリオンに告げる。 汝、真なる名と共に在りし日の影を示せ」
「っっっっっぁあああッ!!」
ロゼが紡ぐ呪の法は、古代に精霊種が用いた神の理にそう奇跡の法である。
本来の使用法は、真の名を用いた能力強化だったが、真名は魂に直接働きかける理であり、もし敵対する者の呪を手にすればその魂を握るに等しい。
これは神代の精霊種にしか使用できない法であると同時に、魔族が真名を隠すという風習の起源でも在る。
『魔王の生命反応に損耗を確認。このまま畳み掛けることを推奨する』
「言われるまでもねえ! いくぞ、皆!」
ロゼの呪により弱体化した魔王へゴルディロックの砲撃とキョウマの斬撃が繰り返される。
「っこの程度で堕ちてなるものか!」
それまで威圧感も魔力もほとんど感じさせない威厳も絶望感も与えない凡庸な容姿だった魔王が焼け焦げた襤褸切れを脱ぎ捨て、その手を天に掲げた。
ただそれだけで魔王の存在感は、白亜の大城を崩壊させかねないほど強大なモノになった。
「お、おい。真名で縛られたら弱体化するんじゃなかったのかよ」
ある種の余裕さえ見せていたキョウマが初めて怯えの色を見せる。
それはキョウマだけでなく、ロゼやゴルディロック、セラミスも同じだった。
唯一魔王の強大な魔力に中てられても動揺していないのは、彼の部下だったカティである。
「しっかりしなさいキョウマ! 彼は確かに弱体化している。“自分の力が地に堕ちてようやく本気になった”だけ、もう彼に攻撃は届く!」
皆が萎縮する中で単身咆哮をあげる魔王に接近し、魔槍を突き出す。
「ぐぉあっ!」
先ほどまで易々と弾き返していたはずの一撃が魔王の腕をガードごと貫いた。
それを確認した討伐者たちは、魔王の力の前に呆けていた事実を恥じて再び各々の力を魔王へと向けた。
「よっしゃ! ダメージが徹るならこっちのモンだ! ゴルディック、ロゼ、援護頼むぜ!」
『了解。リミッター限定解除。最大出力で狙い撃たせてもらう』
「ふん、一撃喰らえば終わりなのは変わらんということを忘れるな、異界の若造」
聖剣の斬撃、魔砲の砲撃、魔法の雷撃が魔王に降り注ぐ。
それらを受けて尚魔王は立ち続ける。
「私の真名を知る者は、此の世に最早一人きりだ。――できることなら、君の口で呼んで欲しかった」
「――っ、貴方を真名で呼ぶ義理はない!」
キョウマたちの攻撃を白亜の城壁から引き抜いた白剣で弾き飛ばし、次いで攻めてきていたカティに手を伸ばしながら魔王は囁くが、カティの返答は魔槍と共に繰り出された拒絶の叫び。
魔族として生を受けた瞬間から感じていた強烈な違和感と命を奪うたびに軋みをあげる魂の慟哭。
“淫蕩の君”や“殺戮の君”の前では、決して見せることのできなかった魔族らしからぬ葛藤を見抜いたのは、神代の精霊種たるロゼだった。
その葛藤を癒したのがキョウマの言葉だった。
魔族であるからといって、悪である必要などない。
優しい魔族が居ても良いのだと、敵対していたカティを説き伏せ、ついには魔王を裏切らせた。
カティは多くの命を奪ってきた。
それは償うべき罪であり、目を背けることなく見詰め合わねばならないとカティはキョウマたちに言われた。
カティもその通りだと思った。
どれほど嘆いたところでカティが奪った命は戻ってこない。
それならば、奪った命以上の命を救ってからでも罰を受けるのは遅くはないという結論に至っていた。
それでもカティは、傷付きながらも絶対に自身を標的としない魔王に対して僅かながらも負い目を感じてた。
魔王は、カティと出会ったその日に真名をカティに捧げた。
それは魂を捧げるに等しく、決して魔王たる彼が格下であるカティに与えてよいものではなかったはずである。
それが今、彼を死の淵へと立たせる原因となっている。
「貴方は、魔王だ。魔族を統べる王である貴方は、滅ぼされるべきだ!」
歴代の魔王を凌駕する魔力を蓄えている“殺戮の君”が消滅すれば、魔界からそれだけの魔力が消滅することに他ならない。
それは古の叡智を蓄えるロゼの知識から確証が取れている。
ゆえに“殺戮の君”の消滅は、結果的に魔族全体を弱体化させることに繋がる。
そうなれば、人間界は魔族に怯える夜から解放されることになる。
「それだけは、受け入れられない。私は、私たちはまだ【あの子】を見つけていない」
「【あの子】? それは――」
自らを傷つけ、滅ぼそうとしているカティに言葉を伝える魔王の瞳には深い哀しみがある。
その色をカティは懐かしいと感じた。
「うおぉぉぉっ!」
「づっっ」
カティの攻撃を受けつつもカティへの反撃を行わない魔王へキョウマが背後から聖剣の斬撃を叩き込んだ。
「カティ! 棒立ちだぞ!」
それに次いでゴルディロックの砲撃が魔王を襲い、その衝撃でカティとキョウマは魔王から距離を取った。
『魔王の損耗率は軽微。休んでいる暇はないぞ』
「判ってる! セラミス回復頼む!」
「……了解」
距離をとった前衛組を癒しの光球を解放して回復するセラミス。
ゴルディロックの砲撃を白剣で弾きながらも魔王の表情から余裕の色を消していた。
「こんなところで負けはしない、と言い切れるほど私は傲慢ではない」
「へ、殊勝な心がけだな。もちろん、俺たちは勝ちにいかせて貰うぜ!」
回復魔法で体力が回復したキョウマが再び聖剣を魔王へ向けて吶喊する。
キョウマに続くようにカティもまた魔槍を構える。
討伐者たちの状態を確認し、自身の残存する魔力を把握した魔王は、次の一手を考えていた。
このままカティを傷付けないように戦ってこの場を凌げるはずがない。
それでも魔王はカティを攻撃対象としてみることができない。
真の名を握られている以上、肉を切らせて骨を絶つという戦法も取れない。
いまだ圧倒的な差がある戦力であるが、魔王はすべての力を出し尽くすことはできない。
魔王には目的があった。
その目的のために魔王になったと言っても過言ではないほどの大望があった。
「(……自己を保ったままでの転生術。真名を握られた状態で完遂できるかどうか、五分あれば良いが)」
目の前に立つ勇者達は、歴代の魔王ならば十分に打倒しきれる実力を持った猛者たちであったが、“殺戮の君”を落すにはまだ足りない。
それでもここで全力を出し尽くして、今後の目的達成に支障を出せば魔王が魔王となった意味がなくなる。
それを踏まえた上での転生術。
「(私は必ず取り戻す。絶対にだ)」
神の理を無視した禁忌の術を魔王は紡ぎ始めた。
いまだ魔王を打ち倒さんとする勇者達に気付かれぬよう静かに、されど確実な効果を得る為に一言一句を違えることなく禁忌の理を紡ぎ続ける。