大きな炸裂音が響き、赤い魔力光が拡散していく。
天井を透明な素材で覆われたドーム型の空間、第97管理外世界の人間が見たのであれば
随分と小さい野球場だな、などと感想を持つかもしれないその建物は、ミッドチルダでは見慣れた施設である。
『魔法訓練所』このような施設はミッドチルダの至るところに点在しており、ここもその一つだという事が見て取れる。
近くにも同じような建物が点在している事から、大型の総合訓練所なのだろうか。
その訓練所からまだ幼い子供の声――しかし良く通る凛とした声が響く。
「姉さん! 僕はまだ大丈夫です、もう一回お願いします!」
「休憩」
「この程度ならまだいけます!」
「休憩」
「姉さん!」
「私が休みたいから休憩」
「うぐ! は、はぁ……」
こんな押し問答をしているのは七歳前後に見える黒髪の少年と、年齢が不詳気味だが十代中盤に見える金髪の女性。
少年の方は今しがた撃墜されたのか体の至る所が土に汚れており
ミッドチルダでは良く見られる練習用のバリアジャケットもボロボロである。
どこから見ても満身創痍の状態だが、目は爛々と輝き表情には歳に似合わない覇気が見える。
そんな少年とは対照的に、どこか疲れた印象与える金髪の女性はタオルを取り出し少年についた土や埃を払いはじめた。
「ね、姉さん、自分で出来るから!」
「おとなしくする」
「は、はずかしいんですよ……」
先程の覇気はどこへ行ったのか、少年は顔を赤らめ俯いたまま女性にされるがままだ。
本当はもっと強く反対したいのだろうが、それが無駄だと達観してしまっているその様は、
女房の尻に敷かれ哀愁漂うお父さん的な空気を醸しだしていた。
「クロノちゃんの将来見たり」
「は!?」
何を言っているのか良く解らないが非常に危険かつ不名誉な事を言われたような気がして、
少年…クロノは女性の手から逃れドームの角に備え付けられたベンチにスタコラサッサと退避する。
しかし悲しいかなクロノのそんな表情や仕草は女性に笑みを深めさせてしまうだけの微笑ましい行動であり
事実隣のベンチに座った彼女は、慈しむようにクロノの頭を撫ではじめてしまう。
髪を梳くようにゆっくりと撫でられる感覚にクロノは居心地の悪さと、恥ずかしさと、言いようのない喜悦を滲ませる。
だが、急に真顔になった彼女は、クロノの瞳を覗き込み――
「でも撫で心地はあんまりよくない」
「くぬぅ!?」
言いたい放題である。
「自分で撫でたんじゃないか!」
「膝枕の方がよかった?」
「ちっがーーーう!! というかどこから膝枕が出てきたのさ!?」
「休憩はこのくらいでいいかな」
「僕は全然休めてないんですけど!? 特に精神がね!」
彼女はクロノをひと通りからかった、いや素なのかもしれないが――後に休憩終了を告げ、ベンチを離れる。
休憩前より顔がくたびれてしまったクロノは、僕はツッコミ担当じゃない……僕はツッコミ担当じゃない……
と、うわ言の様に呟きながら彼女に続きドームの中央へと足を進め――
「ブレイズキャノン」
30分後、轟音と共にグラウンドに沈むのだった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「……ッッッッツツツ!! だはッ!?」
「うわぁ!?」
「な……なんだ……夢か……」
「だ、大丈夫?クロノ君……」
ここは時空管理局所属L級次元航行艦船8番艦アースラ。
そのブリッジであり、書類に埋もれながらも同僚に膝枕をされて寝こけて居た彼は
アースラの切り札、秘蔵っ子、などと称されるクロノ・ハラオウン執務官である。
「いや……少し嫌な夢を……というかエイミィ!なんで、ひ、膝枕だ!?」
「えっ、あー、いやーほら。かわいーく寝ちゃってるから起こすのもどーかなー? って思って」
「むしろ全力で起こしてくれ! 変な夢見ちゃったじゃないか!」
「あれあれあれー? 私の膝枕でどんな夢を見ちゃったのかなー?」
狼狽えるクロノをここぞとばかりに弄り倒す彼女はエイミィ・リミエッタ。
アースラの管制官で、明るく、少しふざけた一面も見せるが能力としては一流と言って過言ではなく、
女子局員の中では「アースラの切り札から可愛い一面を引き出すプロ」と讃えられる仕事人でもある。
「べ、別に大した夢じゃない。昔の夢だ」
「あー、また"お姉ちゃん"の夢だった訳だ、かなしーなー。私の膝枕だったのに思い浮かべたのは"お姉ちゃん"なんだー」
「ち、ちがっ! というかいい加減にしないか!」
「あはは! はいはーい」
クロノが"お姉ちゃん"子なのはエイミィも知っているし、その"お姉ちゃん"本人とも良好な仲だった。
クロノに想いを寄せるエイミィからすれば本来なら軽い嫉妬の対象であったはずなのだが、
彼女の妙ちくりんな性格と、クロノへの想いを打ち明けたときに「ガッツ」と言って応援(?)してくれた事から
意気投合したという過去がある。彼女がクロノの母であるリンディ・ハラオウンと近い世代だったという事も
彼女を安心させる要因であった。さすがに母と同じような年齢の女性に特攻を掛けるクロノでもないだろう。
「でもこんなところで寝てるクロノ君だって悪いんだよー? あ、コレ今回の任務の資料?」
「おい! 勝手に……はぁ、まぁ明日のミーティングで言う事だし別に構わないか……」
彼女の取り上げた端末には今回の事件? に関する情報が踊っている。
ロストロギア・ジュエルシードを輸送中の航行船スーパー・スクライア・ドルフィン・ミズハス号が原因不明の爆発に巻き込まれ
輸送中のロストロギアを紛失してしまった、というものだ。爆発の衝撃で乗組員1名が行方不明になっており、
そちらの捜索も任務の一つだ。
「ロストロギア……しかも強力な魔力を秘めた媒体を21個紛失って!! コレ大目玉じゃ済まないよ!?」
「あぁ、まったくだ。だがこのスーパー……えぇい面倒だ! スクライア号は去年竣工したばかりで、
ロストロギア輸送用に強化を施された最新機種だという話だ。単なる船体不良とは考えにくい」
「事故じゃないとなると、ロストロギアの暴走? それとも……強奪!?」
「それか事故に見せかけてスクライアがロストロギアをくすねたか。あたりだな」
「スクライアの自作自演だっていうの?」
頷きながらクロノはゆっくりと、まるで自分の中の情報を整理するように話し出す。
「スクライアはロストロギアや希少な発掘物には保険を掛けているんだ。もちろんスクライア号にも掛かっている」
「保険金詐欺…って事?」
エイミィがまるで嫌なモノを見るかのような表情でクロノに問う。どうもエイミィはこの手の陰謀めいた話に
耐性が無いらしく、嫌悪感を隠そうともしない。元がスッキリとした明るい性格だからだろうか、
ジメジメとしたハッキリしない物事に関して苛立ちを覚えるようだ。
「まぁ自分で言っておいてなんだが、その可能性は非常に低いと思っているし艦長も同じ考えだ」
「え? そうなの?」
一瞬前の嫌悪感はどこへやら、エイミィが頭にハテナを3つ程浮かべながら疑問を投げかける。
「ロストロギア輸送は次元犯罪者の襲撃もあり得る危険な作業だ。だから今回の輸送には本局武装隊から数名の魔導師が派遣されていたんだ」
「あぁ! なるほどー、それなら騙して持ち去るなんてムリだよね。その局員からの証言も?」
「当然取れている。だからこそのアースラ派遣なのさ」
このアースラには武装こそ目立ったものは無いが堅牢な防御力でまさに不沈艦と言った体を成している。
事前に防御体制さえ整えていればS級砲撃を連発されようとも、すぐさま轟沈するような事は無いだろう。
それに今回に関しては本局武装隊員も多数乗り込んでおり、その数30名。内訳は、魔導師ランクAAが2人、Aが6人、Bが18人、Cが4人。
少ないようにも思えるが全員が歴戦の勇士である。万年人材不足の管理局にあって、手練の本局武装隊の隊員が30名となると
戦争でもしに行くのかと言った空気すら漂う大盤振る舞いである。
今回ロストロギアの輸送に派遣された魔導師が本局武装隊からの派遣であった事も理由にあるのだろう。
彼らからしてみれば自分たちは戦闘のエリートであり、管理局の力を司ると自負しているだけに今回の事件は顔に泥を塗られたに等しい。
「そう言われてみると今回ってやたら年季の入った武装隊局員が多い気がする……」
「だろう? 証言によると、輸送船にAAAクラスの魔力ダメージが発生して船舶に穴が空き、そこからジュエルシードが流出したらしい」
「魔力ダメージが発生……ってどういうこと? 砲撃されたとかじゃなくて?」
「どうもそれが解らないらしい。周囲に魔力反応も無く、敵性魔導師を発見したという情報も無い。」
派遣された本局武装隊魔導師はこっぴどく叱責されたらしいので少し同情する。彼らとてサボっていた訳では決して無い。
逆に危険な一級ロストロギア護衛という任務で常に警戒態勢。相当な緊張感だったであろう事は想像に難くない。
だが、それでも防げなかった。前触れもなくいきなりの船体ダメージ、そしてその一瞬後には船体の亀裂からジュエルシードの流出である。
その間数秒であったらしい。監視サーチャーに残っていた情報では魔力ダメージは寸分違わずジュエルシード保管ケースの下に発生し、
次の瞬間にはもうジュエルシードが消失していると言う様が記録されていた。
「んー、じゃあ魔法のトラップとか爆発物が仕掛けられてた……とか?」
「ジュエルシードの保管庫は厳重に検査されていてそんなものを仕込める隙があるとは思えないし、
派遣された局員もそのようなものはなかったと証言している。」
「ぬーん。じゃあクロノ君はどう思ってるの?」
「僕は……いや、艦長の話では過去に一度、こういう事が出来る魔法を見たことがある、らしい」
リンディ・ハラオウンが見た魔法。それはリンディがまだ若い頃、とある任務中次元犯罪者に実際使用された魔法である。
高ランク次元犯罪者を追って居たその任務で敵性魔導師に使用され、
その時エースとして鳴らしていたAAランクの魔導師を一瞬で塵に変えたという。
目の前で吹き飛んだ同僚を前にリンディは一時撤退、その後ストライカー級魔導師数名で常時プロテクションを張り、ようやく撃墜したのだ。
撃墜された敵性魔導師はその後拘束される前に自害してしまったので、その魔法に関しては闇の中だったらしいのだが……
「その魔法を管理局は便宜上、次元跳躍魔法と名付けたらしいんだ」
「う、うわぁ。そんな恐ろしい魔法があったんだ……」
「あぁ。事前に準備されてしまえば前触れも無く、詠唱も無く、場所も選ばない。ただただ魔法攻撃が目の前に転移してくる、反撃も出来ない」
「聞けば聞く程絶望感が漂うんですけど……」
あぁまったくだ。と、クロノは嘆息する。事実、大分前にこの事を母から聞いた彼は戦慄したものだ。
そのとき対抗策を母に聞いたのだが、そもそも使い手がもう居ないから対抗策の練りようがないわね。
というあっけらかんとした返事だった。そんなのでいいのかと食ってかかるクロノだったが、
プロテクションは大事よね☆ 等と星が出るような笑顔で語る母を見て一気に脱力し退室したのだ。
「だがこの魔法は非常に多くの魔力を消費する、そうポンポン打てるハズが無いから気にしすぎるのも良くないだろう」
「虎の子の一撃だったっていうのを期待するぅ……っと、アレ? こっちの資料はなに?」
見るからに不安そうなエイミィは、軽く現実逃避でもしたかったのだろう。部屋を散らばった資料端末から、
今回の事件とはあまり関係の無さそうなものを拾い上げた。
「あっ! こらエイミィ!」
第601009番・失踪者情報。と銘打たれたその資料を拾い上げたエイミィは、
あっちゃぁ……と言った顔して資料……失踪者情報をおずおずとクロノに返す。
クロノもため息を付きながら若干気まずそうにそれを受け取った。
「ご、ごめんクロノ君、あの……」
「いや良いんだ。それに見ていた訳じゃなくて更新していたのさ。」
「あー。ちょくちょく更新されてるなって思ってたら……それクロノ君が更新してたんだ。」
「あぁ、直接捜索できない僕には、こんな事しかやれることが無いからね。と言っても1年に1度年齢を修正するだけなんだが」
そう言いながらその失踪者情報に目を落とす。
階級:執務官
性別:女
所属:本局次元航行部隊
魔法術式:ミッドチルダ式
魔導師ランク:空戦AAAランク
備考:レアスキル・自己魔力撹乱を所持
経歴:
ミッドチルダ・クラナガン出身
◯◯年 士官学校卒業
同年 本局武装隊に配属
◯◯年 二等空尉に昇進
同年 航空戦技教導隊に転属
◯◯年 執務官資格を取得
◯◯年 次元航行部隊に転属
同年 L級次元航行艦船8番艦アースラに執務官として乗艦
◯◯年 任務中に失踪。
そう、簡潔に書かれた情報見てため息を付き、クロノは思案に沈む。
こんなものが、いやこれだけが、今の彼女の、自分の姉の、全てなのだ。
自分の姉、と言っても実際本当に血の繋がった姉と言う訳ではない。孤独な自分を救ってくれた、本当の姉のように接してくれた、
そんな女性である。自分には、リーゼアリアとリーゼロッテという姉的存在が居たが、その二人を姉と呼ぶことは無かった。
その事に対して、なんであの人の事は姉さんって呼んでるのに私は呼ばないわけ!?
と何度もロッテに文句を言われたものだ。それを見て止めるでも無くニヤニヤとしているアリアと、無表情で首を傾げる姉さんの姿をふと思い出す。
あぁ、あの頃は幸せだった。いや、決して今が幸せでは無い等とは言わない。
しかし自分の生活を構成する大事な、大事なピースが欠けてしまっているのは確かだ。
それが、自分に言いようの無い喪失感を与えるのだ。
失踪者情報の一番上に記されてる名前――それを指先でそっと撫でながらそんな事を考える。
本名:アルテッサ・グレアム
僕の自慢の姉の名だ。