「あははははははははは!!」
狂笑と言っても過言では無い程の笑い声が、暗い城内を明るく、いや、妖しく照らしている。
美しい装飾品は埃を被り、通路は何か巨大な物でも通していたのか、無理に拡張した跡が見える。
外壁は剥げ落ち城内の至る所で、まるで内臓を抉り出されたかのように機械的なその内部構造を晒しており
かつては美しかったであろう庭園は誰も手入れをする人間が居なかったのか、今ではただ枯れ落ちるばかりだ。
そう、ここは一言で言えば、廃城。そんな廃城の中でも一際異彩を放つ場所から、その笑い声は響いていた。
「あははは!! 馬鹿ね! それでそんな身体に成ったって言う訳?」
「笑いすぎ」
廃城の中にあって、妙に手入れの行き届いた室内。いや、部屋と言うよりは玉座の間とでも言ったほうがいいだろうか。
城のクラシカルな雰囲気とは一線を画する科学に彩られた、暗さとはまた違う空気……冷たさを持った玉座の間だ。
壁や床はガラスのように透過し輝いてはいるが、時々外の様子が映し出される事から全天周囲モニターにでもなっているのだろう。
まさに城の心臓部と言った様相である。
そんな場所で、アリスは美しい黒髪を靡かせる妙齢の女性に……爆笑されていた。
「これが笑わずにいられるとでも? 余りにも馬鹿馬鹿しいわ! 貴方本当は彼女の娘か何かなんじゃないの?」
「違う」
「そうよね、娘ならこんなにもそっくりな訳がないわ。"アレ"と同じ"モノ"だったりね? フフ……アハハ!」
黒髪の女性はグラスに入った赤黒く鈍い輝きを放つ液体……匂いからすると果実酒だろうか? それをグイグイと傾けながらアリスを見る。
はじめはそんなもの無かったのだが、どうもこの玉座の間には多様な仕掛けが施されているらしく、女性が手を掲げるだけで
酒と食事が乗ったテーブルが天井から降りてきたのだ。
おかげで部屋の中心には、近未来的室内にまったく合っていない豪華なクラシックテーブルが出現しており
さらにその上には果実酒の様な飲み物とツマミ的なモノがこれでもかと言う程並んで居る。
アリスは女性の笑い声を聞き流しながら、テーブルの上にちょこんと置いてああった琥珀色に輝く果実酒を選び
ちびちびと舐めるように舌先で液体を弄びながら考えていた。
……どうしてこうなったんだろう? と。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
風が音を立てて通りすぎていく。
強風という訳でもないが、それでもその風が妙に冷たく感じるのは目の前の建造物のせいなのだろう。
……建造物。渦巻く悪意を撒き散らすかのように黒く、聳え立つその城は正に"魔導師の居城"と言う佇まいである。
そこかしこから黒色の魔法生物などが踊り出てきそうな雰囲気だが、幸運な事にその手の輩は居ないらしい。
しかし余りの暗い雰囲気に、アリスはそういったモノが飛び出してくる、そんな幻想を拭えないで居た。
心なしか流れる風すらも暗色に染まっているように見える。もちろん見えるだけ、だが。
さて――なぜこのような場所に彼女たちが居るのか? 簡単に言ってしまえばフェイトによる転移魔法で
プレシア・テスタロッサの居城に来た、が正解である。
海岸での邂逅の後、アリスの借りているマンションに移動し、お茶を飲みつつ世間話をするような事も、もちろん無く
部屋に到着と同時にさっさと転移してきたのだ。その間会話と言う会話も特に無く、フェイトが自分の使い魔である犬のアルフを紹介した程度だ。
まぁ、この立派なたてがみを持つ大型生物を"犬"と定義して良いのかは、甚だ疑問ではあるが……。
そのような訳で、アリスがこの城に到着するまでに印象に残る事がなにかあったか?と問われれば、フェイトがアリスの自宅マンションを見たとき、
そしてそのマンションの名前を見た時、ほんの僅かだが、何か嫌そうな顔をしていたこと位。とでも答えるだろう。
しかしそれ自体はべつに深く考えるような事でも問い詰めるような事でもない。ネーミングセンスが気に入らないなんて事は、まぁ日常茶飯事だ。
フェイトがどのようなセンスの持ち主であるかなど、今考えるべき事では無いだろう。
今考えるべき、そして感想を述べるべきは、この眼の前に広がる城。そして庭についてだ。
そうアリスは考え――そしてまるでため息でも付くかのように、肺の空気を絞り出しつつ、評した。
「超不気味」
<<マスター、仮にも入居者が隣に居る状態でそう言う事を言うとカドが立ちますよ>>
「……昔は、もっと綺麗だったんだよ」
二人……いや、一人と一個のあんまりな物言いに、しかし自分でもやはり不気味だと思ってはいるのか
諦めを浮かべた表情で、そう返事をするフェイト。風に揺れる美しい金髪も、今はどことなく煤けているように感じられる。
"昔は綺麗だった" アリスはフェイトのその言葉を聞きもう一度辺りを、パノラマ撮影でもするかのように大きく首を左右に動かし、見渡した。
相変わらず暗い雰囲気を纏う建物と付属する庭ではあるが、そう言われてみれば各所に施された装飾には朽ちて尚輝く気品があり
この底冷えのするような暗ささえ無ければ上品な城、そして美しい庭園、そういった評価が出来ない事はないのかもしれない。
しかし城の惨状を先に見てしまったアリスには、緑溢れる明るい庭園を想像する事は残念ながら出来なかったが。
「あの……」
「ん?」
「母さんと友達……だったんだよね?」
「知り合いではある。向こうがどう思っているかは、解らない」
「そう……」
それきりピタリと会話が止まる。元々アリスも、そしてフェイトも余りお喋りな性格ではないので、思い出したかのように
一言二言会話をして、また沈黙する。そういった非常に短い言葉のキャッチボールをこの城に着くまで二人は延々と何度も続けていた。
違いがあるとすれば、アリスがその沈黙にナチュラルなのに対して、フェイトは若干気まずそうにしている事だろうか。
事実フェイトは先程から何度も口を開こうとして、しかし思いとどまるように開きかけた口を閉ざしているのだ。
話をしたいが上手く自分の中で纏まらない。そんな雰囲気を醸し出している。いや、醸し出しているどころか
身体全体から溢れ出ているといった体である。もちろんそんな空気をアリスも感じては居るのだが
彼女は彼女で、喋らないのならば喋るまで待つ。と言った思考の持ち主なのでこのような延々と続くモジモジ空間が
出来上がってしまっているのである。そして今回もまた、フェイトが口を噤もうとしたそのとき――
「……あーもう! 鬱陶しいねぇ! フェイトも聞きたい事があるならちゃちゃっと聞きなよ!」
いったい何が起こったのか、アリスには理解出来なかったのだろう。いきなり真後ろから、しかもまったく予期しないタイミングで
大声を上げられたのだ、驚かない訳がない。それにここはまだ敵地と言っても過言ではない危険区域だ。
時々会話をしながらもアリスはフェイトとは違い警戒を怠ってはいなかったし、そもそもアリスの近くにはフェイトしか
居なかったハズである。少し後ろから彼女の使い魔であるという犬が付いてきていると言うのは知っていたが
アレはあくまで犬である。犬の声は、ワン! か、クゥーン……だと相場が決まっているのだ。
断じて鬱陶しい等と不平不満を大声で述べる生物ではない。
そこまでを高速で思考したアリスは、即座に眼前に掛かっている待機状態の眼鏡型デバイス"オラクル"を引っ掴み
そして背後を振り返ると同時にセットアップを掛けようとするが――その行動はひらめく二房の金髪によって遮られた。
「ア、アルフ!? 何言って……!」
「フェイトぉ、もうここまで連れて来ちゃったんだから良いじゃないか、聞きたい事は今のうちに聞いておくべきだよ!」
ひらめく金髪は――言うまでもないが、フェイト。そして彼女に対してまくし立てるように声を張りあげているのは
橙色の髪を腰まで伸ばした二十前後に見える女性だ。フェイトに比べて体つきが良く、健康的な佇まいをしているのだが
丈の短いシャツに非常に短いショートパンツ、さらにその上に黒色のマントを羽織った、妙に煽情的な衣服を着用しており
足首には首輪のようなチョーカーまで巻いている。
……アリスがどこの娼婦だ等と彼女にこぼしてしまわなかったのは、口を開く前に女性の頭に生えている動物の耳を発見したからだろう。
いきなりの大声、煽情的な衣服、そして犬耳。それらをもう一度半眼で見つめながら、アリスは万感の思いを込めて、こう言った。
「……だれ?」
――その言葉に、白熱しかけていたフェイトと橙色の髪を持つ女性は――たっぷりと10秒は固まった後に
「アルフだよ?」
「なにボケた事言ってんだい?」
二人揃って小首を傾げた。
しかし首を傾げたくなるのはこちらだ、とばかりにアリスは半眼の目を更に細めて橙色の女性を見つめながら
いつも通り感情の篭らない声で、ぼそりと喋る。
「アルフは犬」
「犬!? 失礼だね! あたしゃこう見えても狼だよ!!」
<<今の姿のどこをどう見たら狼に見えるのか。とか言うツッコミはヤボですかね>>
歯を剥き出し……と言ってもそこまで剥き出せている訳ではないのだが、それでも怒っているという事が
解る位には歯を見せている橙色の髪を持つ女性、どこからどう見ても狼には見えないのだが
髪に混ざって生えている動物のものと思わしき耳と腰から伸びる尻尾のようなものを見るにつけ
普通の人間ではないのだろう。
そしてその隣で訂正もせずに、きょとん。としてアリスと橙色の女性を不思議そうに見るフェイトから察するに
彼女がどのような存在か、など容易に想像が付く――
「……特殊なプレイが好きなの?」
付くのだが。どうにも悪戯心が抑えられなかったのか、耳と尻尾を指差し、口の端を歪めながらアリスはそんな事を口走る。
普段であればこのようなボケをする性格では無いのだが、使い魔、そして変身魔法と思しき変体能力。
この二つが合わさった生物を目の前にして、我慢が出来なかったのだろう。
それはアリスの過去にあった、ある意味トラウマと言っても良い体験から来ているので橙色の女性――まぁアルフだが――
にしてみれば、完全なとばっちりである。
「あぁ!? これは本物だよ!! だいたい特殊なプレイってアンタ……」
「にゃんにゃんプレイ?」
「ッふざけんじゃない! せめてワンワンにしな!」
<<気になるのはそこなんですか? ……マスター>>
抑揚のない音声の中にも呆れたような色を滲ませて喋っていたオラクルだが、次の瞬間にその生物じみた感情の一切を排した
正に機械と言った声色でアリスに呼びかける。
「分かってる。オラクルセットアップ、バリアジャケットを展開」
<<了解しました>>
言うが早いか、一瞬のうちのアリスの身体が緑と赤の入り交じった魔力光に包まれ、灰色と黒を基調にしたまるで軍服のような
バリアジャケットが展開され、深い紅を輝かせていた眼鏡型デバイス"オラクル"は青緑に輝くクリスタルに変化し
まるで主人を守るように彼女の回りをくるくると周り、辺りを警戒するように鈍い輝きを放ち出している。
「ちょ! なんだいアンタ! やるってのかい!!」
「ア、アリス!?」
慌てながらも即座に反応し、素早く左腕を前に突き出すようにして臨戦態勢を取るアルフ。
対して突然の事に反応出来ず、アルフに守られるようにして立ち尽くしてしまうフェイト。
「その位置は、危険」
「なんだって!? 危ないのはアンタじゃないさ! そもそも私はアンタの事を最初から……」
「アルフ待って! アリスも!」
明確にアリスに対する警戒度の違いを見せる二人ではあるが、そんな遣り取りをしている間、アリスは
二人の方を一瞥もせず、廃城の暗部…一点を見つめていた。そして――
唐突に、本当に唐突に空気を穿つ風切り音が、した。
色も無く、声も無く、ただただ飛来したその塊――鉄杭のような物体がアルフを横殴りに吹き飛ばすのを
フェイトは呆然と、アリスは無表情に見つめていた。