その地は、この世界とは異なる空間にある。
そこでは人間や妖怪が共に暮らしている。
その地の名は、幻想郷。
その幻想郷の竹林を、少女が1人歩いていた。
歳は10代半ばから後半ほど、ブラウスに赤いズボンをサスペンダーで肩に吊り下げ、足まで届く銀色の長い髪にリボンを結わえている。
少女――藤原妹紅は散歩をしていた。
竹林の中に居を構え1人で生活している彼女にとって、竹林は庭も同然。道も目印もないため、一度入り込むと迷ったまま出られない者もいる事から『迷いの竹林』と呼ばれているが、彼女は竹の妖精に顔が利くためその心配はない。そのため、竹林を横切る必要がある者の案内役を買って出る事もある。最も、そういう者はそう頻繁に来ない。その日も例外ではなく、暇を持て余した彼女は竹林をぶらついていた。
それだけで帰るつもりだった。
「・・・・・・」
しかし妹紅は途中から、ある『異変』に気づいていた。気配だ。
何者かの気配が、ずっとつきまとっているのだ。
適当に歩き回ってもそれは消えない。何者かが自分をつけている――それしか考えられない。意を決し、立ち止まる。そして意識を集中させ、気配の位置を探る。
竹林は薄暗く、風で竹が揺れる音だけが聞こえる。その音が不意に止んだ。
その瞬間、気配が変化した。
「!」
とっさに後ろへ大きく跳び退る。
刹那、一瞬前まで自分がいた空間に影が落ちてきたと思うと、スパッと鋭い音がした。次の瞬間、影の近くにあった太い竹が真っ二つに切れ、倒れた。
「ただの人間ではない・・・か」
声が聞こえ、それが眼前の影が発したものだと瞬時に理解した。そして、影が立ち上がる。
妹紅はその異形の姿に眉をひそめた。
顔は不気味な形でまったく微動だにしない。まるで仮面をつけているようだ。200cmを越える黒く大きな体に鋲やら棘やらがついた出で立ち。背中に大きな翼があるが骨だけ、両腕には大きな爪が生えている。その爪で竹を切り裂いたのだろう。そしてそれは自分を狙って振り下ろされたのだ。自分を殺すために。
「私に何の用?」
腰を落とし、身構えながらその異形に言葉を投げかける。
幻想郷には妖怪や妖精が多数住んでいる。しかし、妹紅は目の前のそれに似た妖怪を見た事がない。
それに、この幻想郷では戦闘行為は“基本的に”ご法度である。生物がすむ空間ならば当然ではあるが。にも関わらず殺害目的での襲撃。自分がそれほどの恨みを買っているか、もしくはそのルールをそもそも知らないか、あるいは・・・
「人間に対する用など決まっている。死んでもらう」
予想した中で最悪の結論。殺すなら人間の誰でもいいという意味だ。それ以外に解釈のしようがない。
「通り魔ってわけだ・・・正気か? この幻想郷で」
「幻想郷・・・? まあいい。人間ごときが私にそんな口を利けるものか」
そう言って妹紅の方へゆっくり近づく。先の言葉に引っかかるものがあるが、それどころではない。
ふっ、と鼻で笑う妹紅。
「何がおかしい?」
「お前がどこの誰かは知らない。だけど、お前に私は殺せない」
目前の黒い怪物をにらみつける。
そう。この怪物が何者であろうと、“自分を殺す事は不可能”だ。
「ふん」
今度は、怪物の方が鼻で笑ったようだ。顔を見る限り、鼻は無さそうに見えるが。
素早く妹紅に駆け寄り、右腕の鉤爪を振り下ろす。妹紅はそれを横に素早く動いてかわす。そして怪物に向かって右手をかざす。その手から火の玉が噴き出した。
「!?」
表情は変わらないのに、怪物が驚いたのは理解できた。一瞬で自分が炎に包まれれば当然だろう。
幻想郷において、こういった超常的な現象を起こせる人間は珍しくない。人間である妹紅が――実際の所、“普通の人間”ではないのだが――炎を使役できるのは長年培った妖術の賜物だ。大抵の妖怪ならば打ち倒せるほどの力がある。
怪物を包んだその炎はすぐに消えたが、今度は左右の手から立て続けに火炎弾を浴びせる。
「くっ!」
数発の弾を浴びながら、怪物は上空へ飛び上がる。翼がある事からそれも予想の範疇だった妹紅は慌てる事なく、それを追う様に火炎弾を撃ち続ける。怪物は空中でそれらをかわそうとするが、竹が密集している竹林では思うような飛行は出来ず、1発の弾をその身に受けた。
怪物の方も手の先から、鋭く尖った骨の刃を妹紅目がけて飛ばしてくる。妹紅はそれを走ってかわす。骨は地面や竹に次々と突き刺さる。まともに受ければひとたまりもあるまい。しかし、竹の陰に隠れながら移動すれば被弾する恐れは低い。だがそれは怪物の方も同じだ。このままでは決着が着かない。
それに痺れを切らしたのか。怪物は竹を爪で次々に切り裂きながら妹紅目がけて直進してきた。
「!」
迎撃しようにも竹が邪魔で射線が取れない。距離は瞬く間に縮まり、両腕の爪が妹紅に迫る――
その直前、妹紅は真上へ飛び上がり、紙一重で怪物の攻撃をかわした。
怪物は突進の勢いのまま、竹を避けながら滑空して後ろを振り返るが、そこに妹紅の姿はない。と、怪物はその場がわずかに明るくなった事に気づいた。赤い光が辺りに揺らめいている。自分の影を見て、光源は上方だと見当をつけ、見上げると。
「何・・・?」
見上げたその先に妹紅がいた。背中に炎の翼をはためかせ、宙に浮いていた。
「この程度で驚いているようじゃ、無差別殺人どころか弾幕ごっこもおぼつかないよ」
「弾幕ごっこ・・・? 何を言っている・・・!」
羽を飛ばしながら再び妹紅に迫る怪物。
妹紅は身を翻しながら上昇する。そのまま竹の葉の中を突っ切り、竹林の上空まで到達した。それを追うように怪物も竹林から飛び出してくる。
「お互い、この方が思い切りやれるだろ?」
ポケットに手を突っ込み、余裕の笑みを見せる妹紅。
「舐めた事を・・・人間風情が!」
3度妹紅に突進する怪物。
妹紅は今度は下降してそれを回避、竹すれすれを滑空するように飛び、ポケットから取り出したカードを掲げる。
「不滅『フェニックスの尾』」
「むっ!?」
妹紅の両手から多数の火の玉が怪物の周囲を囲むように撃ち出される。火の玉はゆらゆらと非常にゆっくりした速さで動き出す。
「貴様、何をした?」
「スペルカードさ。これが弾幕ごっこだよ」
片手をポケットに入れ、スペルカードを見せつける妹紅。
「カード・・・? ラウズカードではない・・・?」
怪物が何か独りごちているが、妹紅は構わずさらに火の玉を撃ち込む。迂闊に動けばゆらゆらと動く火の玉に触れてしまう。その状態でさらに攻撃をすれば回避は非常に困難。
だが。
「オオオォォォッ!」
怪物は高速で動き出した。火の玉を受ける事も構わず、妹紅目がけて一直線に。
「何!?」
これには妹紅も驚き、手から火の玉を放って牽制する。しかし怪物はそれを横に動いて避け、翼から骨を飛ばす。
「っ!?」
骨は妹紅の腕と肩に突き刺さった。そして、怪物の爪が妹紅の胸を切り裂いた。鮮血が舞い、炎の翼がかき消える。妹紅の体は真っ逆さまに竹林へ落ちていった。
「ふ・・・面白い技を使ってくれたが、所詮は人間」
火の玉を受けた部分から煙を上げながら、怪物は爪についた血を払いつつ妹紅の落ちた辺りを見下ろす。
「だが、ライダー以外にもカードを使うとは・・・それもラウズカードではなく」
つぶやいた直後、後ろの方で音がした。
振り向く。
「な!?」
そこには、今しがた殺したはずの妹紅が飛んでいた。肩や胸の傷はない。どころか服が破れてすらいない。
「やってくれるわね。あんな無茶するとは思わなかったとはいえ、不覚だった」
ポケットに片手を突っ込み、前髪をかき上げる妹紅。
「バカな!? 致命傷だったはずだ!」
狼狽する怪物に妹紅は冷ややかな視線を送る。
「言っただろう。お前は私を殺せないって。私は死なないんだ」
「なんだと・・・!?」
「肉体が滅びても、魂が新たな肉体を作り出す。体は老化も止まっていて、私はもう1000年以上生きている」
自嘲気味に笑う妹紅。
「貴様・・・アンデッドではないのに不老不死だというのか?」
「アンデッド?」
聞いた事のない単語に、妹紅はオウム返しに聞き返した。
「私は貴様と同じ不老不死の存在だ。新しい肉体を構築したりは出来ないがな」
「何だって?」
今度は妹紅の方が驚いた。
自分以外で不老不死の存在など、1人しか知らない。
「見るがいい」
「!」
体を広げる怪物。
妹紅の炎を浴びた部分が癒えていくのが見て取れた。
「私など何億年前から存在している。もっとも、存在した時間のほとんどは封印されたままだったがな」
「封印・・・?」
幻想郷には数百年以上生きている、人間よりも長寿の妖怪が多数存在するが数億年はさすがにスケールが違う。
ただ、封印という言葉が気になった。
「しかし、不死の人間・・・いや。貴様、本当に人間か?」
「っ! 私は人間だ!」
むきになって叫ぶ。自分でも気にしている点だ。
「まあいい。確かに私は貴様を殺せないようだが、それは貴様とて同じ。ならば決着はつけようがないな。貴様がアンデッドで、これが正規のバトルファイトならば話は別だったのだが」
「何を言ってるんだ、一体」
拳を握り締める妹紅に対し、怪物はゆっくり後ろへ下がり始める。
「決着はお預けだ。勝ちも負けもないのでは勝負とは言えん」
そう言って、怪物は飛び去っていった。
妹紅はそれを追わず、その場にたたずんでいた。
「・・・勝負とは言えない、か。確かにね」
思い当たる節が大いにあり、うつむいて独りごちる。と。
「・・・ん?」
目線を下ろした先は竹林だが、一面緑の光景に一点だけ色が違う所がある。竹の上に何か乗っているようだ。
高度を下げて見ると、カードだった。スペルカードとは違う、見慣れないデザインのカードだ。『♦6 FIRE』と書かれ、尻に火がついた虫の絵が描かれている。
「こんな所に落ちてるって事は・・・さっきのヤツかな?」
先ほどの怪物が自分と戦った拍子に落としたのではないかと推測した。こんな所に物を落とすとしたらこの上空を飛んでいる時しかないし、カードがどうこうと言っていた気もする。
「しかし、『FIRE』って・・・なんでこれを私が拾うのかな。ワザと?」
勝ち負け着かずでは損をした気分なので、とりあえずもらっておく事にした。それに、このカードはただの紙切れには見えない。
カードをポケットに押し込み、竹林の外に降り立つ。
「はぁ・・・帰ろ」
首をこきこきと鳴らしながら足を自宅の方へ向けると。
「妹紅」
その方向からの自分を呼ぶ声に顔を上げると、見知った人物が立っていた。
「あ、慧音」
青いワンピースに角ばった帽子をかぶっている10代後半ほどの若い女性。妹紅の友人、上白沢慧音だ。
「今、竹林の上空で弾幕ごっこをしていたのはあなたですか? あなたの家を訪ねようと思っていたら、そういう気配がしたので」
「うん、まあね。慧音が来るってわかってたら出歩かなかったんだけど」
「いえ、急に遊びに来たのは私の方なので」
笑いかける慧音と申し訳無さそうに頭をかく妹紅。
妹紅にとって慧音は唯一無二の心を許せる人物だ。慧音は人間の里――普通の人間が暮らす集落――に住んでいて家は離れているが、互いに家に遊びに行ったり一緒に酒を飲む事もある。
「今から私の家に寄って行く? お茶くらい出すよ」
「いえ、残念ですがあまり時間が無いもので。でも、ここで少し話すくらいならいいですよ」
そう言って竹の根元に腰掛ける慧音。妹紅もそれにならって座る。
「そうだ、慧音。これ拾ったんだけど、知ってる?」
妹紅はポケットから先ほど竹の上で拾ったカードを取り出し、慧音に見せる。彼女の知識の量は尋常ではないので、あるいは知っているかもしれない。
それを見た慧音の表情が変わった。
「妹紅・・・これをどこで拾いました?」
滅多に見せない真剣な表情に妹紅は一瞬逡巡するが答える。
「実はさっき・・・」
竹林での戦いの事を話すと、慧音の表情はさらに固くなった。
「妹紅。これは『ラウズカード』です。私も今まで実物を見た事はありませんでしたが・・・」
「ラウズカード?」
「これはオリジナルトランプとも言い、トランプのモデルとなったものです。言うなれば、全てのトランプはこのラウズカードのレプリカ」
確かに『♦6』という表記はトランプのようだ。
さすが慧音と感心してうなずきながら、慧音の持つカードを覗き込む。
「じゃ、古いの?」
「ええ。何せ、このカードは全ての生物の起源と深く関わっているのですから」
「はい?」
思わず素っ頓狂な声を出してしまった。
「これは単なるカードではなく、不老不死の始祖生物『アンデッド』が封印されているんです。恐らく、あなたが戦ったのもアンデッドでしょう」
「アンデッド・・・って・・・」
さっきの怪物が言っていた、死なない存在という意味の言葉。確かに不老不死の存在を表すにはストレートな表現だ。
「始祖生物の名前の通り、地上に存在するあらゆる生命の始祖。全部で53体います。人間はヒューマンアンデッド、トカゲはリザードアンデッドから生み出されました。このカードに封印されているのはファイアフライアンデッド、ホタルの始祖です」
幻想郷ですらついぞ聞かないような存在だが、急にずらずらと並べ立てられて頭の整理が追いつかない。だがアンデッドについては気になるので、その点だけ聞いてみる。
「確かにあいつはアンデッドって言ってた。封印ってどういう事?」
「1万年に一度、バトルファイトという全アンデッドによる戦いが行われ、その戦いに勝ち残ったアンデッドの種が地上の覇権を手にするのです。約一万年前にヒューマンアンデッドが勝利したため、現在は人類が繁栄しているのです」
一応、理路整然としてはいるが、こっちが理解するペースを考えていない。
慧音は寺子屋を開いて里の子供達に教育を施しているのだが、その授業が面白くないともっぱらの噂である。寺子屋でもこんな感じならば、確かに子供にはしんどいだろう。
しょうがないので気になる所だけ口に出す。
「だけど、不老不死だと決着のつけようがないんじゃ・・・」
実際、さっきはそれで痛み分けに終わったのだ。それに不死者同士の戦いは妹紅自身、幾度も経験がある。結果は言うまでもない。
「そのためのラウズカードです。敗北したアンデッドは、この通りカードに封印されてしまうのです」
「・・・なるほど。ちゃんとルール決めてやってるってわけね」
――貴様がアンデッドで、これが正規のバトルファイトならば話は別だったのだが。
あの怪物――やはりあれもアンデッドだろう――が言っていたのはそういう意味だったようだ。
「ですが、これは外の世界にしかないものです。幻想郷に存在する事は本来有り得ない。アンデッドがいるのだから幻想入りというのも考えにくいですし・・・」
幻想郷は外の世界で人々の記憶から忘れ去られたものが流れ着く世界。しかしアンデッドがいて、彼らは当然ラウズカードを知っているのだからその可能性はあるまいと慧音は考えたのだろう。訝しむ慧音の言葉に、妹紅は気になっていた事を思い出した。
「そういえばあいつ、幻想郷や弾幕ごっこを知らないみたいだった。多分、外から幻想郷に迷い込んだんだよ」
忘れ去られたのでなくとも、何かの弾みで幻想郷を異世界たらしめる結界を人や物が越えてくることが稀にある。
「となると・・・まずいですね。アンデッドからすれば自分以外の種族は敵。特に前回の勝者として繁栄している人間は目の敵にするでしょう」
「それで私を襲ってきたのか・・・」
自分の身に降りかかった災難の詳細はわかったが、死なないとはいえ命を狙われてはたまらない。
それに、そうなると。
「あいつ、もしかすると他の人間を襲うかもしれないな」
「恐らく、そうするでしょう」
慧音は立ち上がり、ラウズカードを妹紅に返す。
「私は人里へ戻って警戒を呼びかけてきます。あなたは博麗神社に行ってくれますか」
「博麗神社に?」
「こういう異変が幻想郷に起こった時は、博麗の巫女がそれを解決するのが幻想郷の決まり事ですから」
確かにその通りだ。納得した妹紅は立ち上がり、ラウズカードをポケットにしまう。
「慧音に聞いて正解だったよ。ありがとう」
「どういたしまして。自分の知識が役に立ってよかったです」
「でも慧音。確か歴史編纂って幻想郷の歴史しかわからないんじゃなかったっけ?」
実は慧音もハクタクという妖怪と人間のハーフであり、人間ではない。その能力とは歴史編纂の力であり、幻想郷の歴史を全て知るだけでなく、歴史を消したり創ったりもできる。だが外の世界までは範囲外のはず。そこがふと気になった。
「ええ。これは幻想郷が博麗大結界で外の世界から隔絶される前の歴史なので」
「なるほど」
「それでは、お願いしますね」
「ああ。じゃ、また」
そう言って慧音は人里の方へ、妹紅はそれとは逆の方に歩き出す。
「・・・・・・」
ふと、ポケットからラウズカードを取り出し、見つめる。
勝ち負けを明確にした不死者同士の戦い。終わる事のない、永遠の戦い。それを繰り返すアンデッドは、どんな気持ちで生きているのだろうか。不老不死である妹紅には、どうにも他人事に思えなかった。
~少女移動中・・・~
博麗神社は幻想郷の東の端、小高い山の頂上にある。妹紅は、その神社のある山を麓から見上げていた。
ここが外の世界と幻想郷を隔てる博麗大結界の要になっていると同時に、外の世界との接点でもある。外の世界から来る者は初めにここへ辿り着く。それゆえ、この場所は幻想郷における最も重要な聖地と言える。しかし、神社を管理する博麗の巫女がおおらかな――実の所は細かい事を気にしない――性格ゆえか、幻想郷の住人からはそれほど仰々しいものとは思われていないようである。訪れる者は人間・妖怪を問わない場所であるがその数は少なく、さらに参拝客としてではなく境内で宴会をする者の方が多いらしい。博麗の巫女自身も酒好きなのが、それに拍車をかけているとか。ある意味では、幻想郷という地を端的に表す場所とも言えるかもしれない。
(だから神社からは酒の匂いがいつも漂う・・・なんて事はさすがにないけど)
「とりあえず、登るか」
変な事を考えながら石段の方へ足を向けた時。
背後から気配がした。
「・・・!?」
この気配を感じたのは、その日2度目だった。
振り返ると、木の陰から妖怪が姿を見せていた。だが、その妖怪が発する気配と雰囲気は先刻戦ったアンデッドのそれに酷似していた。
「まさか・・・こいつもアンデッド?」
牛のような角――左右で赤と青と色が違う――がある事や大柄な体つきなどは違うが、黒い体色などから同じ種族である事が見て取れた。角を見てつい友人を連想してしまったが、聞いたら彼女は怒るだろうか。
「ウウゥ・・・」
うめき声を上げるアンデッド。気配からするに、自分を襲うつもりのようだ。妹紅はアンデッドに向き直り、身構えた。
「消えろ。何もしないなら私も何もしない。私なんかを襲っても何の徳にもならないぞ」
警告する。
だが――
「ムォォォッ!」
アンデッドは頭を下げて角を突き出し、妹紅目がけて突進してきた。
「っ!」
横に飛び、アンデッドの側面に火炎弾を叩き込む。しかしアンデッドはそれをものともせず急ブレーキで止まり、再度突進してきた。
「やめろ! 本気でやるなら今の程度じゃ――」
「グァァァッ!」
全く減速する気配がない。妹紅は舌打ちしながら背中に炎の翼を作り出し、上昇した。
自分の真下を駆け抜けたアンデッドは勢い余って木に衝突、木は鈍い音を立てて真っ二つに折れた。
(見た目通りか・・・それにしても、もしかしてこいつ、言葉がわからない?)
自分の言葉に反応するそぶりすらない。聞く耳を持たないだけかもしれないが。
木をへし折ったアンデッドは地上からこちらを見上げ、右手で左肩の突起を引き抜いた。そして先の尖ったそれを、こちら目がけて投げつける。少し驚いたが、なんなくかわす。
「もう容赦なんかしない!」
宣言してから火球を立て続けに数発打ち込む。全て直撃するが、堪えていないようだ。
頑丈だが直進以外の動きは鈍い。ならばと高威力のスペルカードを使うべくポケットに手を入れようとした瞬間、妹紅の体が“引っ張られた”。
「うわぁっ!?」
体全体を見えない腕に掴まれたかのように、炎の翼の浮力を上回る力が働き、かなりの速さで地上へ落下していく妹紅の体。その向かう先には、頭を突き出して待ち構えるアンデッド。もう目前まで迫っている――
「っ!!」
直後、妹紅の体に強烈な衝撃が走る。あまりの激痛に一瞬頭の中が真っ白になり、我に返ると口の中に血の味を感じた。
今、自分は地に倒れており、アンデッドはだいぶ離れた所にいる。アンデッドに接触する瞬間、なんとか身をよじって串刺しは免れたものの頭に強打され、大きく吹き飛んだのだと理解した。腹が痛い。内蔵がやられたようだ。
現在の状況はどうにか把握した。それはいいが、ここからどうするべきか。この怪我では身動きが取れない。
不死身である妹紅ならば怪我は常人より非常に早い速度で癒えるが、アンデッドに近づかれる間に治るほどではない。
(リザレクションする以外ないけど・・・非常にまずいわね)
激しい損傷を負った体を捨て、新たな肉体を生み出す『リザレクション』は体のダメージ自体は無かった事に出来るが、魂のダメージに関しては話は別だ。これほどの重傷を負った直後では、激しい痛みに圧迫された精神を立て直すには時間がかかる。そのような状態ではスペルカードの行使もままならない。空を飛んで逃げる事もできまい。今、自分を引っ張ったのは恐らく、このアンデッド。妖術か何かを使ったのだろう。そんな能力があるのでは逃げ切れない。また吸い寄せられて頭突きをくらうのがオチだ。
考えを巡らす間に、アンデッドはずんずんと近づいてくる。
「うっ・・・」
うめいただけで痛みが走る。このままでは更に攻撃を加えられてしまうだろう。想像しただけで背筋が寒くなる。死なないからといって、そんなものは歓迎したくないに決まっている。
「ブォォォ!」
「っ!」
雄たけびを上げるアンデッドに、妹紅はびくんと身を震わせた。
その瞬間。
「待て! 相手は俺だ!」
何者かがアンデッドに飛びついた。
その人物は飛びかかった勢いを活かし、地面を転がりながらアンデッドを投げ飛ばした。
(え・・・?)
突然の事に妹紅が呆然としていると、その人物は起き上がって自分の元へ駆け寄ってきた。
「大丈夫か!?」
顔をのぞきこんできたのは、長身で茶色い髪をした20歳ほどの男。線の細い印象の、整った方の顔立ちは心配そうな表情を浮かべている。
妹紅は返事できず、ただ見つめ返すしか出来なかった。それでも自分が重傷者だという事は、荒い呼吸と口から流れる血でわかったようだった。
「ウウゥゥゥ・・・」
男の後方でアンデッドがうめきながら起き上がった。それに反応した男の瞳に怒りの色が浮かぶ。
「貴様・・・!」
男は拳を強く握り締め、立ち上がった。アンデッドに向かって立ちはだかるその姿は、まるで自分を守ろうとしているようだ。いや。実際そうするつもりだと妹紅は確信した。
無茶だ。
今の動きを見れば、体術の心得があるらしい事はわかる。だが、それでもこいつに立ち向かうのは無謀だ。痛めつけられるのは嫌だが、自分の目の前で他人が痛めつけられるのは尚更嫌だ。
「に・・・」
自分は放って逃げろ。そう言いたかったが、口を開く事すら苦しい。それに目前の男が気づくはずはなく。
男はズボンのポケットに手を突っ込み、その中から小さい箱のような四角い物とカードを取り出した。そのカードのデザインに、妹紅は見覚えがあった。
(あれは・・・ラウズカード?)
書かれている字や絵は違うようだが、デザインは間違いなく自分が持っているラウズカードと同じだ。
男はカードを箱の中に差し込み、自分の腰にあてがった。すると箱の右側からカード状の帯が飛び出し、男の腰を周って箱の左側につながった。男の腰に巻きつき、ベルトのバックルとなった箱からシグナルのような音が鳴り出した。バックル前面は透明になっており、ラウズカードが見えるようになっている。青いカブトムシのような絵が描かれていた。男は右手の平を手前へ向けながらゆっくりと左上に掲げ・・・
「オオオォォォ!」
そこにアンデッドが突進する。しかし男は身じろぎもせず、右手首を返し、鋭く叫んだ。
「変身!」
そして左右の腕を一瞬交差させるように動かし、左腕を左上に振り上げながら右手でバックルのハンドルを引いた。カシャッという乾いた音と共にラウズカードの部分が回転し、トランプのスペードのマークが現れた。
『 Turn up 』
不自然に低い音声と共にシグナルが止み、バックルから青い光が放たれる。光がアンデッドに触れると、衝撃音と共にアンデッドが大きく後方へ吹き飛んだ。
「ウォォォ!?」
光は四角い形を形成している。人間をすっぽり覆う事ができそうな大きさだ。それはまるで大きなラウズカードの幻が現れたようだった。カブトムシの絵までくっきり見える。
「うおおおぉぉっ!」
男は叫びながらその光へ走り出す。そして、その光をくぐり抜けると一瞬にして男の姿が変化した。
全身が青い皮膚に銀の鎧をつけたような外見。頭部も、大きな赤い目の仮面のようなものに覆われている。どう見ても人間のそれではない。それこそ鎧のようだ。
腰に下げた変わった形の剣を引き抜き、起き上がろうとするアンデッドに斬りかかる。
「でえぇぇいっ!」
火花が飛び、アンデッドの体が傾く。青き剣士は容赦せず2撃、3撃と刃を浴びせる。しかしアンデッドは4撃目の剣を右手でつかみ、左腕で反撃した。
「うっ!?」
パンチを数回受け、よろめく剣士。アンデッドは剣を手放し、頭突きをくらわせた。剣士はそれを胸で受け止め、大きな音が鳴り響く。相当の衝撃だったはずだが、剣士は耐えた。アンデッドは剣士を角に引っかけ、後ろへ投げ飛ばした。
剣士は地面を転がり、体勢を立て直して膝を突くと剣を逆手に持ち替えた。そして剣から何かを扇状に広げ、そこからカードを引き抜いた。デザインからするにラウズカード。どうやら剣の中に多数のラウズカードが収納されているようだ。妙な形をしていると思ったら、そういう作りになっていたらしい。
(だけど、カードをどうするんだ?)
スペルカードではあるまいし・・・と思っていると、剣士はそのカードを剣の側面にある小さな溝に滑らせた。
『 Beat 』
不自然な声が響き、カードから絵柄の形の四角い光が現れ、剣士の胸に吸収された。そこにアンデッドが突っ込んでくる。剣士がそれに向かって右拳を突き出した瞬間、拳が光り輝いた。
「ウェイッ!」
直後、剣士はアンデッドを文字通り殴り倒していた。
妹紅は地に倒れ伏すアンデッドを見ながら、その威力に目を見張った。アンデッドの体躯からすれば相当の重量があるはず。それを打ち倒すとなると、尋常ではない力だ。
剣士は更にもう1枚カードを取り出し、それも剣の溝に滑らせる。
『 Slash 』
またもカードから四角の光が剣士の胸に吸い込まれ、今度は剣の刃がにわかに輝く。アンデッドに走り寄り、剣を右に薙ぐ。ズバッとものが断ち切られる音がして、アンデッドの胸から緑色の体液が飛び散る。さっきの斬撃に比べて剣の切れ味が増しているようだ。
(カード・・・か?)
なんとか左手を動かし、ポケットからラウズカードを取り出す。さっきのパンチも、カードを使った後で強力な攻撃を繰り出しているようだ。
カードを見ながら思うものの、考えがまとまらない。内出血がひどいのか、頭がぼーっとする。おぼろげな意識ではまともに考える事ができず、ただ成り行きを見守る事しか出来ない。
剣士は輝く刃を翻し、もう一撃を繰り出そうとしたが、突然後ろへ吹き飛んだ。
「う!?」
アンデッドは剣士に触れてもいない。もしかすると引き寄せるだけでなく、弾き飛ばす妖術も使うのか。さらに倒れた剣士の体が浮き上がり、アンデッド目がけて飛んでいく。今度は引き寄せる妖術のようだ。アンデッドは自分に向かってくる剣士へ突進、剣士は頭突きをまともに受けた。
「ウワァッ!?」
激しい火花が飛び散り、弾き飛ばされた剣士は妹紅の目の前まで転がってきた。
「!」
声をかけたかったが、やはりうまく口が利けない。
「くっ・・・」
剣士はうめきながら地面に手をつく。頭突きをくらった胸の装甲はへこんではいるが致命傷ではないようだ。とはいえ、かなりの衝撃を受けたはず。
それでも立ち上がろうとする剣士と妹紅の目が合った。
「それは・・・」
と、剣士が声を上げる。剣士の目線の先は自分の持つラウズカード。それを見て驚いたようだ。
「そのカードをどうして?」
今の妹紅には、それに答える体力はない。
剣士の肩越しにアンデッドが歩いてくるのが見えた。彼もそれに気づいたようでアンデッドを振り返ると、再び妹紅の方を向いて手を差し出した。
「そのカードを俺に!」
「・・・!」
その瞬間、なぜか妹紅は彼にカードを渡すべきだと直感した。その勘に従い、妹紅は痛みをこらえて左手を伸ばした。
剣士の指がカードをつかんだ瞬間――
剣士の体が浮き上がった。
「!?」
アンデッドに引き寄せられる剣士。飛ばされながら剣士は、妹紅から手渡されたカードを剣に滑らせる。
『 Fire 』
「うおおおぉぉっ!」
アンデッドに接触する直前、剣士は剣をアンデッド目がけて突き出した。
ドンッ!
アンデッドの頭部で炎が爆ぜ、アンデッドは頭を抑えて仰向けに倒れこんだ。剣から放たれた炎が、アンデッドの頭に炸裂したのだ。この炎には物理的な衝撃もあったらしく、アンデッドが剣士を引き寄せる勢いが加わって威力が増したようだ。
アンデッドの角から免れ、倒れこんでいた剣士は素早く起き上がると剣からカードをさらに1枚取り出し、妹紅が持っていたカードと2枚を立て続けに剣に滑らせる。
『 Kick 』
『 Fire 』
『 Burning Blast 』
剣士の仮面が赤く輝く。赤い光はちょうどスペードマークの形だった。ザンッ、と剣を地面に突き刺し、身を起こそうとしているアンデッドへ跳躍する。
「ウェェェェェイ!」
剣士は前方宙返りから炎をまとった右足をアンデッド目がけて突き出す。その蹴りはアンデッドの胸に突き刺さり、強烈な衝撃音と共にアンデッドは炎にまみれながら大きく後方へ吹き飛んだ。剣士は着地し、アンデッドは地面に叩きつけられる。直後、アンデッドの体が爆発した。
やったか、と一瞬思われたが、巻き起こった炎が収まるとそこには炎に包まれたアンデッドの姿があった。不死の存在ならば、肉体が無事なら復活するはずだ。
剣士は地面に突き立てた剣からカードを1枚抜き取り、それをアンデッドへ投げつけた。するとカードはアンデッドの体に突き刺さり、アンデッドの体は緑の光となってカードの中に吸い込まれた。そしてカードは剣士の方へ飛んでいき、剣士はそのカードを受け止めた。
(もしかして・・・封印した?)
慧音から聞いた、敗北したアンデッドはラウズカードに封印されるという話を思い出す。どうやら自分はたった今、その封印の光景を目の当たりにしたようだ。
その封印を行った剣士は剣を腰に収め、バックルのハンドルを引いた。再びカードの幻が現れ、それが剣士の方へ動く。幻が体に触れると、剣士は元の男の姿に戻った。その男はこちらの方へ駆け寄りつつ、赤い血のにじんだ口を開いた。
「大丈夫か!?」
その言葉に、なぜかとても安心した。
彼とアンデッドの戦いを見て少なからず気分が高揚しており、さらに封印まで目の当たりにした。そこに安堵が加わって、妹紅の精神から一気に緊張が引いたため――
妹紅はそこで意識を失ってしまった。
――――つづく
次回の「東方永醒剣」は・・・
「大丈夫か? 体、痛くないか?」
「こういう時はあんたの出番じゃないのか?」
「そう言うんならあんた、彼に手を貸してあげれば?」
「ほら、乗れよ」
(妹紅、大丈夫なんですか、この人?)
(し、心配いらないよ・・・多分)
「やめろ! 変身!」
「私、決めた」
第2話「幻想郷の仮面ライダー」