「こちらイザーク・ジュール。誰か聞こえているか?」
この声を聞いたのは、黄金のガンダム、ガンダムカナリーエンフォーゲルのコクピットでのことだった。カガリ・ユラ・アスハは、すぐに唇を堅く結んだぶっきらぼうな戦士の顔が浮かんだ。
「イザークか? 閑職に追いやられたのではなかったのか?」
「カガリ・ユラ・アスハか。では話が早い。ツィオルコスフキーの座標を送る」
金糸雀が資料を黒板に張るかのようにモニター上に表示した宇宙図には、カガリたちが目星をつけた木星探査船の位置とほぼ合致していた。
「核ミサイルはそこだな?」
「そこまで調べがついているのか」
さすがのイザークも感心した様子だった。もっとも、そこで自慢していられるほどの時間は残されていない。
「カっちゃん、来たかしら」
レーダーに反応があった。
カガリ率いるオーブ軍モビル・スーツ部隊、その進行方向側面をつく形でザフト軍が展開していたのだ。
「援軍、のつもりはないだろうな」
たとえ、人類の敵を討つ戦いであったとしてもだ。
モビル・スーツ部隊から離れた母艦の方でも確認できたようだ。それも、より正確に。ユウナ・ロマ・セイランがそのことを伝えてきた。
「カガリ、ザフトの部隊だ。50機前後が確認されてる。ヨートゥンヘイムのもので1個師団相当戦力だよ!」
決して無視できない戦力だった。しかし、ここで戦力をさいてはツィオルコフスキー撃沈に影響がでることは明白だった。
「ザフトの目的もツィオルコフスキーか?」
「いや、上層部は第3勢力をどうにかするつもりはないらしい。間違いなくお前たちの妨害が目的だ」
では、多少無理にでも戦力を割り当てざるを得ない。そう、カガリが考えていた時だ。
「カガリ、ここは俺が食い止める。おまえはツィオルコフスキーを始末してこい」
ツィオルコフスキーの居場所を伝えに来た以上、イザークがザフトを離反したことに疑いはない。だが、反乱を起こせるほど根回しのいい男でもないことを、カガリは知っている。
つまり、イザークはどこにも所属しない1人の軍隊となったということだ。戦力差は50倍。イザーク1人で押しとどめられる実力差ではない。
カガリの出した結論など最初から決まりきっていた。
「各機へ、我々はこのままツィオルコフスキーを目指す」
「カガリ、君は何を言っているんだ!? たった1機のガンダムで50機の、あっちもガンダム・タイプだ。それを止められるはずないじゃないか!」
ユウナにしては珍しく大声を張り上げている。もっとも、怒りというより完全な焦りだ。
「いいかい? 戦力差っていうのはね、数に比例しない、数の二乗に比例するんだよ! こちらの攻撃は50分の1に分散されるのに、相手の手数は50倍なんだからね。戦力差は2500倍。まともにぶつかって勝てる訳がないんだ!」
「太陽が西から昇ってくることがある。どんな場合だと思う?」
突拍子もない質問に戸惑ったようだが、ユウナはすぐに答えを返した。
「新しく西って言葉をつくって東って意味を与えるのはどうかな?」
「お前らしい答えだがそれは違う。信頼するに足る者がそう述べた時だ」
「いやいや、それはおかしいよ。典型的な循環論法になってる。彼は信じられる。なぜなら、彼は信頼できる人だからだ。なんて言ってもね、結局、同じ内容を言い換えてるだけで何の証明にもなってない」
「だが、トートロジーは何の証明にはならずとも否定する材料にもならない」
「レドニル、君も君だよ。どうして側面の防御を放棄してるんだい!?」
もうカガリの説得は諦めたのか、腹心の部下であるレドニル・キサカの懐柔を図ったのだろう。しかし、その望みも薄いものだった。なぜなら、カガリの部隊、総勢37機はすべて足並み乱すことなくツィオルコフスキーへと向かっていたからだ。
「言われたのです、太陽が西から昇ると」
「君とイザーク・ジュールに面識はないだろう!」
「ありません。ですが、カガリ様は言われました。太陽は西から昇ると。ならば我ら西をまもりて日の出を待つのみ」
部隊員たちも同じ気持ちなのだろう。カガリを信じ、戦い抜くと心に決めている。
「ああ、もう!」
ユウナと同じ苦悩を、蒼星石も感じていた。
「マスター、この目標設定は無茶です。1機たりとも撃墜しないまま、母艦のみを撃沈するなんて」
「だがやらなければならん。あいつらを戦争の道具にしないためにはな」
すでにヨートゥンヘイムからは多数のインパルスガンダムが出撃している。総勢は50機。その半分以上が、イザークの教え子が搭乗している機体だ。とは言え、彼らはすぐに歴戦の兵士に変えられてしまう。
ヨートゥンヘイムのブリッジではサイサリス・パパが状況の推移を見守っていた。イザークのラピスラツーリシュテルンはオーブ軍と合流するものとばかり考えていた。しかし、いつまでもその気配がない。
「まさか本当に1機で戦うつもりなの? どっちが勝つか、賭けてみる?」
そう、周囲のブリッジ・クルーに問いかけてみるも、誰も乗ってはこなかった。たった1機のラピスラツーリシュテルンが勝つ方に賭けるバカなどいないのだ。
「賭けなんて成立しないか。アリスの発動を許可する。やっちゃって」
インパルスガンダムのコクピットでは迷いを捨てきれないメイリン・ホークが不安げな顔でただ座っていた。
「隊長……」
しかし、大量に流れ込んできた情報の波がメイリンの人格を洗い流す。不安も恐怖もなく、ただ命じられたまま操縦桿を動かす人形と化した。
そのことはイザークにもすぐにわかった。
「始まったか……」
編隊飛行も危なげな新兵が、突如として完璧な連携を行うようになれば一目瞭然というものだ。
先頭のインパルスがビームを放ってくる。それをかわすと、逃げた先に別のインパルスが待ちかまえていた。振りかざしてくるビーム・サーベルを蹴り飛ばし、その顔面にけりをくらわせたところで、さらに2機のインパルスの攻撃が来る。同士討ちも辞さないほど際どい狙いのビームを辛うじてかわすもシールドは放棄せざるを得なかった。
機動力の違いを頼りに逃げの一手にでようにもアリスはこちらの挙動を予想しインパルスを先回りさせてくる。
「マスター、離脱してください。この戦場はキャパシティを完全にオーバーしています」
「だがやらなければならない、そう言ったはずだ」
餌に群がる蟻のように押し寄せるインパルス。
かわしてもかわしても次々振り下ろされるビーム・サーベルについにはビーム・ライフルを切断され、ラピスラツーリシュテルンは両手の武器を失った。
持久戦など望むべくもない。
接近してきたインパルスを拳で殴りどかせると、ラピスラツーリシュテルンは全身を淡い光に包み飛びだした。単純な機体性能ではゲルテンリッターと量産型ガンダムとでは比べくもない。
インパルスガンダムの包囲網を突破し、ヨートゥンヘイムをその射程に収めた。バック・パックに折り畳まれたロング・ビーム・ライフルを左脇の下から展開、モビル・スーツが携帯する規模では最大級の火力をそのブリッジへと向けたのだ。
しかし、イザークは引き金を引く指をためらわせた。
シールドを構えた複数のインパルスがブリッジを守るように立ちふさがったからだ。このインパルスたちをまとめて破壊する事は可能だったが、それはできなかった。
イザークは数少ない手札を1枚、ふいにしてしまった。四方から飛んできたビームがロング・ビーム・ライフルに次々突き刺さり、これを破壊したからだ。無論、その爆発の余波はラピスラツーリシュテルンにも及んでいた。左腕を中心とした左半身にダメージを負ったのだ。スラスターも一部損傷したらしく、動きが目に見えてぎこちなくなっていた。
「今、シミュレートを終えました。256万通りのパターンを計算しても、勝利目標を満たせたパターンは0です。必敗が約束されているんです!」
蒼星石の言葉を無視したわけではない。しかし、損傷した機体を敵の攻撃から逃がすのにイザークは集中せざるを得なかった。
「僕はマスターのお人形です。マスターの命令は受け入れます。でも、マスターを守ることも役目なんです。だからマスター!」
「蒼星石、お前が俺に従ってくれるのはどうしてだ?」
戦いのさなか、イザークは語った。
「そう、プログラムされたからか? 少なくとも、俺にとってお前は操り人形などではない。ともに戦ってくれた仲間だ」
すでに戦いは限界が近づいていた。無数に飛来するビームがラピスラツーリシュテルンをかすめ肩が、脚が、顔面の装甲がそぎ落とされていく。その度、ミノフスキー・クラフトを失った装甲が光を失い、速度が低下していく。
「だからおまえにはわかってほしい。どのような結末になろうと俺は逃げ出す訳にはいかないんだ」
「……ずるいです、そんな言い方」
蒼星石は、その袖口で涙を拭う仕草を見せた。だが、そんな格好を取り繕っている暇を、青いお人形は惜しんだのだろう。涙がたまったままの瞳を、そのままでイザークへと向けた。
「マスター、ご命令を。僕はあなたとなら戦えます」
「俺はイザーク・ジュール。蒼き霧の主なり」
状況の変化を一番に察したのはヨートゥンヘイムのブリッジだった。
「レーダーに反応あり!」
ブリッジ・クルーの言葉に、サイサリスもすぐにレーダー反応を確認する。たしかに、多数の敵性反応が出現していた。
「敵の増援!?」
「いえ、これは……」
クルーにつられて見上げると、そこには強化樹脂製のガラス窓の先に、多数のラピスラツーリシュテルンが漂っている様が見えていた。しかし、どれもおかしい。不鮮明で色彩を欠き、あからさまな立体映像でしかない。レーダーはこれを実機と誤認したのだ。
「単なるホログラム! 質量センサーを働かせて!」
「だめです、効果ありません!」
実際、すべての映像から質量が検知されている。しかし、立体映像ならば投影機が必要となる。また、なぜすべてが不鮮明ながらもガンダムの形をしているのだろうか。その答えはサイサリスの頭の中を巡った。
「機体表面から剥離したミノフスキー粒子の皮膜が斥力を発生させて、質量として計測されてる。ミノスフキー粒子それ自体の発光が映像を形作って……、質量を持った残像だって言うの!?」
もはやレーダーは役に立たない。人の目にはあからさまな残像であっても、機械はそれを実体と定義している。肉眼で観測できるブリッジはまだよい方だ。モビル・スーツのコクピットには不鮮明な画像を取り込みCG処理するシステムが備わっている。勝手に偽物を本物にしてしまう。
その証拠に、インパルスガンダムたちの攻撃の手は完全に止まっていた。
「インパルスが動いてない! どういうこと!?」
「誤射の確率が規定値を突破したことにより、倫理規定プログラムが働いたようです」
「外したはずでしょ! 停止させて。倫理規定なんていらないから、早く!」
「しかし、それでは同士討ちの危険が……」
たとえ数機のインパルスが破壊されたとしてもゲルテンリッターを撃墜できればお釣りが来る。それがわからないブリッジ・クルーでもないだろう。あるいは、サイサリスに気圧されたか。
インパルスが攻撃を再開した。ビームはたしかに仲間へと被弾するも、残像を除去し、徐々にレーダー上から偽物の反応が消えていく。
「時間切れだよ、ゼフィランサス」
やがて、反応が一つの地点へと集中した。問題はその位置だ。
ブリッジ・クルーの言葉は悲鳴さえ混ざっていた。
「敵機、直上! 来ます」
残された右腕に高出力ビーム・サーベルを構えたラピスラツーリシュテルンが、ヨートゥンヘイムへめがけて急降下を開始する。
「面舵いっぱい、急いで!」
指示を出すとともにサイサリスは座席の肘掛けをしっかりと掴んだ。衝撃に備えるためだ。ブリッジ・クルーの多くも準備をしていた。
しかし、衝撃は来なかった。
ラピスラツーリシュテルンは確かにヨートゥンヘイムへと突撃した。しかし、そもそも質量が違うのだ。そのことに気づいた時、サイサリスが笑いだし、気づいた順にブリッジ・クルーたちもそれに続いた。
「たかだか100tにも満たないモビル・スーツが、300万tの船に何ができるっていうのさ」
大木に枝を突き立てるようなものだ。複合特殊合金の薄皮一枚はぐことがせいぜいだろう。
そして、突然の衝撃がクルーたちを投げ飛ばした。
サイサリスの判断は正しい。事実、ラピスラツーリシュテルンの突き立てたビーム・サーベルはヨートゥンヘイムの上部甲板に食い込むも貫通するほどではなかった。しかし、そこに多数の援護射撃があったとすれば話は別だ。
見上げたサイサリスの目には、こちらへとライフルを向ける50機ものインパルスガンダムの姿があった。
「味方を撃つって何考えてるの!?」
放たれたビームは、ラピスラツーリシュテルンが背後に放つ残像を正確に狙い撃つ。つまり、ビーム・サーベルが切り開いた亀裂に次々にビームの弾丸を命中させていたのだ。なまじ強固な装甲が悪さをした。強固な特殊装甲はビームの逃げ道を奪い漏斗のようにビームを収束させていく。
「プログラムを……!」
指示を出すも、担当クルーは先ほどの衝撃で投げ出され気を失っていた。
機械は非常に正確であった。命令を疑うことなく遂行し、仲間への誤射は無視してよいという条件のもと、精密射撃を傷口に集中した。
50本ものビームが束られ、鋭く深く装甲の内部へと沈み込んでいく。5mにも及ぶ分厚い装甲をビームは貫きその下にあった施設を焼き尽くしながら格納庫にまで達した。その光景は巨大な光の剣がヨートゥンヘイムを両断しようと突き進んでいるようにしか見えない。
巨大格納庫に収容されたヴェサリウス級戦艦の艦長は己の目を疑ったのも仕方のないことかもしれない。
「なんだ、あれは?」
巨大な光の剣がすべてを焼き、切り裂きながら迫っている。
「総員、退艦せよ! 繰り返す! 総員、退艦せよ! いや、左右どちらでもいい艦の中心から少しでも離れろ!」
光の剣は、卵の中の卵を切り裂いた。
ここに、もう一つの不幸があった。サイサリスの出した面舵の指示によって、艦隊は大きく右に旋回を開始していた。しかし、艦体の中心が破損したことで左右が分断。結果として右舷が右旋回をしている中、左舷は直進し続けようとしていた。それは、巨人が分厚い本を力任せに引き裂くかのような力が、破損した中心部に集中したことを意味する。
外から見たとき、1kmもの巨大艦船がたった1機のモビル・スーツにきれいに両断されたように見えたことだろう。
ユウナはオーブ艦隊のブリッジの中で、その光景に我が目を疑っていた。
「嘘だろ……?」
たった1機だ。2500倍を超える戦力差を跳ね返し、たった1機のモビル・スーツが巨大戦艦を切り裂いてしまった。
光の剣が船尾に達したところで、ヨートゥンヘイムの両舷は完全に泣き別れとなった。そのわずか数分前のことだった。
ヨートゥンヘイムのブリッジに不気味な甲高い音が響いた。プラスチックを無理矢理引きちぎるような音は、特殊樹脂のガラスに恐ろしい張力が働いている証拠だった。船体が左右に分かれようとしているのだ。数百万t同士の綱引きの綱代わりをさせられている窓がもつはずもない。
サイサリスはただ1人、駆けだした。その瞬間、引き裂かれた窓がブリッジ内のすべてを吸い出し始めた。気を失った人は真っ先に、しがみついた人は力つきた順番に、宇宙の暗闇へと放り出されていく。
そんな中、サイサリスは必死に耐えた。手すりに死にものぐるいで掴まりエアロックを目指した。吸い出されていく空気。その中に有らん限り叫んだ。
「死んでたまるもんかぁ!」
ブリッジはほぼ壊滅状態となった。このエアロックに入り込めたのはサイサリスただ1人。他の場所から何人が脱出できたかわからない。
電源に支障をきたしたらしく、照明が点滅を繰り返している。それでも、ブリッジへと繋がるこの通路は驚くほど平穏だった。扉1枚挟んで地獄があるとは思えないほどに。
サイサリスはただ、座り込んでいた。その瞳からは止めどない涙が流れていた。
「どうしてさぁ! 私だってガンダム造ったのにぃ、絶対に勝てるはずだったのにぃ……」
ここには誰もいない。いてはくれない。涙を誰にも見られない。ただし、誰にも拭ってはもらえない。
負けるはずなんてなかった。ヨートゥンヘイムの総トン数は500万t。搭載可能なモビル・スーツは100を超え軍団相当戦力をも上回る。ガンダムが発生させることのできるエネルギーの総量をもってしても撃破なんてできないはずだった。
今度こそ、ゼフィランサスのガンダムに勝てるはずだったのだ。
死の香りただよう静寂の中、サイサリスの泣く声だけが響いている。これはかつて、あの日を思い起こさせた。血のバレンタインが起きたあの日を。姉であるサイサリスの死を利用してでものし上がってみせると決めたあの日のことを。
「みんな私を認めてくれない。みんな褒めてくれない。私だって、私はぁ!」
フリークなんて呼ばれたくなかった。
あれからどれくらい経っただろう。涙ももう出なくなった。それでも心細さは解消されてくれない。膝を抱えたまま、無重力の中を漂っているでしかできなかった。
そんな時、ふと誰かがサイサリスの頬に優しく触れた。見ると、レイ・ザ・バレルがいつものような気取り切れていない顔でそこにいた。
「しぶとさだけならお前はラクス・クラインになれそうだな、ローズマリー」
ツィオルコフスキー。歴史の教科書にも載っている名艦であり、人類の進歩の象徴としても扱われていた。本体自体は非常に細長い船体をしているが、周囲に置かれた巨大いくつもの球形タンクが大柄なシルエットへ変貌させていた。木星圏から収集した稀少元素を満載していたはずのタンクには、今は重火器が搭載されている。ドーム状に展開し、内部からいくつもの高射砲が顔をのぞかせたのだ。
「カっちゃん、ハリネズミみたいな対空砲火かしら」
AIの優れた演算に頼ることもなくわかりきったことだ。隙間なく放たれる弾丸の雨に加え、展開したカオスがオーブ軍の行く手を拒んでいた。
レドニル・キサカからの報告を、カガリは歯を食いしばり聞いていた。
「ミサイルが発射されました!」
別のタンクからミサイルが複数射出されたのだ。間違いなく核弾頭だろう。しかし、追いかけるにはツィオルコフスキーの弾幕をかいくぐらなければならない。それができるならツィオルコフスキーそのものを撃沈できるのだ。
「金糸雀、これ以上、時間をかけられん! どこかにあるはずだ、弱点がな」
「ここかしら」
金糸雀はまるで準備していたようにモニターにツィオルコフスキーの概略図を示した。
「なんだ、これは?」
「ツィオルコフスキーは前後で2隻の船をつなげる形で造られてるかしら。そのジョイント部分を攻撃すればへし折れるのかしら」
2隻の船とはいえ、独立に活動できるのではなく工程上、別々に製造した部品を繋いだとするのが正確らしい。この部分に集中攻撃を加えたならジョージ・グレンの墓標は引きちぎられることになる。
「ただ、そのためには対空砲火の集中攻撃をかいくぐって、おまけに複雑に入り組んだ鉄筋フレームを高速で通り抜けないといけないかしら。そんなの、まともな精神の持ち主がすることじゃないの」
カガリはスラスター出力を全開にした。
「カっちゃん!」
「覚悟を決めろ、金糸雀」
金糸雀の言うとおり、無茶な作戦なのだろう。敵の高射砲をかいくぐることができたとしてもまだカオスがいる。悠長にフレームの間で破壊工作などさせてはもらえないだろう。つまり高速で接近、わずかな接触時間で破壊しなければならない。仮に成功したとしても1機や2機のモビル・スーツの火力では不十分だ。
では、もっと多くのモビル・スーツがいれば可能なのだろうか。
「カガリ様に続け!」
レドニルの声に促され、オーブ軍のストライクダガーが一斉にカガリの後に続いた。編隊飛行などとれていない。1機のモビル・スーツを戦闘に一点突破を目指す戦術などモビル・スーツの運用教本に書かれていないのだ。
あまりに危険な賭けだった。
高射砲は容赦なく弾丸をまき散らし、肩を撃ち抜かれたストライクダガーが体勢を崩した。足をとめたモビル・スーツは的にしかならない。鳥についばまれる亡骸のように体を削り落とされ、爆発する。
カオスは部隊の側面をつくことで容易に接近。体当たりを食らわせ、勢いを失ったストライクダガーを脚部ビーム・サーベルで両断する。
ツィオルコフスキーのAIは勝利を確信していた。事実、展開しているカオスはまだ一部で、大半の機体は格納庫で温存されている。防空戦力を加味すれば展開中のカオスだけで事足りると判断していたのだ。次々と撃破されていくストライクダガーがそれを証明している。
しかし、AIは疑問を抱いていた。オーブ軍のとる戦術だ。
弱点を集中攻撃する。ここまでは理にかなっている。しかし、構造上の弱点をAIが理解していないはずはなかった。防衛網を幾重にも重ね待ちかまえていた。集中配備された高射砲。毎秒23発の大口径弾を発射する火力は、モビル・スーツに対しても十分な火力を発揮する。その死角を埋めるようにカオスの配備も完了している。
それでも、AIは疑問を感じずにはいられなかった。それは、オーブ軍の勢いだ。
高射砲とカオスのビームとが十字砲火を構成する破滅への回廊の中を、黄金のガンダムを先頭に突き進んでいる。
なぜだ。なぜ、彼らは止まらないのだろう。
黄金のガンダム、ガンダムカナリーエンフォーゲルは旗を掲げた。
「金糸雀、いくぞ! カガリ・ユラ・アスハの名において命じる。黄金の傘を我が手に」
バック・パックから6機のドラグーンが射出される。それはそれぞれ、カオスの放ったビームの間に割り込むと、黄金の盾を生じさせた。ビームによって構成された盾、ビーム・シールドを発生させたのだ。
この光景にレドニルは驚きを禁じ得ない。
「ビーム・シールド? まさか、実用化されていたのか?」
レドニルが驚くのも無理はない。ほんの数年前までモビル・スーツはビーム・サーベルさえ使用できず大幅な刷新を迫られた。線しか描けないペンに、面を塗りつぶせるはずがないのだ。
しかし、ビーム・シールドは実現している。正確には、カオスの、敵のビームをIフィールドで捕捉、それを盾とすることで必要エネルギーを最低限にとどめていた。それはまさに無敵の盾だった。高射砲の実弾はビームが溶解させ、ビーム・ライフルの攻撃はIフィールドが弾いてしまう。
自律する目映い盾はオーブ軍を守っていた。
そして、カナリーエンフォーゲルの背中には、光の旗がたなびいていた。結局は、ビーム・サーベルを旗の形に加工したにすぎない。しかし、誰もがそこに旗を掲げ人々を導く女神の姿を見た。
ストライクダガーは動いた。部隊の外側に近い機体は突入を諦め周囲に一斉に展開したのだ。ちょうど、蕾が花開くように。誰が命じた訳でもない。それぞれが己のすべきことを理解し、それぞれがそれに応えようとした。
カオスが味方からの誤射を恐れ機体を翻した。しかし、ストライクダガーは対空砲火のただ中を突っ切る道を選んだ。無謀を幸運が後押しする。なんとストライクダガー被弾することなく接近、無防備にさらされたカオスのわき腹にビーム・サーベルを突き立てた。
2機のカオスに追われるストライクダガーが強引にビーム・サーベルを振るった。苦し紛れにしか見えないその一撃は、しかし、吸い込まれるようにカオスの胴体を切り裂き、余す力でもう1機の首をはねた。
AIは理解できなかった。流れが、事象がオーブ軍の勝利を導いているかのように動いている。何が起きているのだろう。データから志気の高さという概念が導かされる。しかし、人の心に戦術的なアドバンテージは存在しない。一糸乱れぬ動きはなんなのだろうか。訓練された軍人による命令遵守。だが、そのような通信は検知されていない。では、個人が同一目的のもと行動することで結果として連携行動がとれているのだろうか。
人の願いとはなんだ。
破壊される高射砲。撃墜されるカオス。想定した最悪のパターンに最悪のパターンが塗り重ねられていく。
人とは人を信頼しない存在ではないのだろうか。
カガリを先頭とした部隊がタンクの隙間を抜け、フレーム部分へと到達しようとしていた。
だからこそ、AIは造られ、ツィオルコスフキーを任された。矛盾なのだ。人が人のために命をかけられる存在なのだとすれば、なぜ自分は造られたのだろう。しかし、AIにその疑問の答えを出すことを、人の思いを再定義することは許されていなかった。
まだ残りのカオスを出撃させない。人は利己の生き物であり、これ以上、危険領域に踏み入ろうとすれば離脱者が続出することは確実、そう判断するようプログラムされていたからだ。
想定される最悪のパターン、想定される最悪のパターン、想定される最悪のパターンを積み重ねる。それは確率論上、あり得ない想定だった。それは確率論が間違っているのではない。計算の大前提から誤っているのだ。しかし、AIにそうと気づくことは禁じられている。
そして、すべてが遅かった。
まずはカナリーエンフォーゲルが突入。すれ違いざまにビームをフレームへと浴びせ続ける。続いたストライクダガーも同様だ。次に次に、その勢いは衰えない。
あるストライクダガーがその勢いのままフレームに肩を強打した。しかし、影響はない。迷いのない加速は左腕だけを綺麗にもぎ取らせることで速度も姿勢も崩すことなくストライクダガーをフレームの檻から離脱させたのだ。
そして、部隊が通り抜けたところで、ビームはその熱量を一斉に解放した。炸裂する爆発。ひしゃげるフレーム。ツィオルコフスキーの巨体が光と熱の中、力任せにへし折れていく。
AIは警報を自ら発していた。全カオスに出撃命令を出したが、格納庫はすでに光と炎に置き換わっている。正解を出すことを禁じられたまま、AIはただ無為な計算を繰り返し自らを混乱させていた。
カナリーエンフォーゲルはドラグーン・ユニットを1機、剣のように両手でつかんだ。他の5機のユニットはその頭上、一直線に並んでいる。そこでストライクダガーたちがビームを次々と放った。展開されたIフィールドによって束ねられ、それは巨大なビーム・サーベルとなった。
連鎖する爆発に包まれていくツィオルコフスキーへの介錯として、カガリはその剣を振り下ろした。すでに破損していた連結部が両断され泣き別れとなった船体はそれぞれが爆発の中にその姿を消していった。
「教えてくれ、ジョージ・グレン。人に人を選ぶ権利があるのだとしたら、その権利の正当性は誰が保証してくれるというんだ」
プラントの否定する神か、それとも。
ジョージ・グレンによって始まったコーディネーターの歴史。その一つの象徴が炎の中に消えていく様は、一つの時代の終わりを告げているのだろうか。
オーブ軍の喝采が響いた。モビル・スーツのパイロットたちは今になって震え始めた手を必死に抑えながら、母艦のクルーたちの歓声は通信を通して伝わってくる。
「カガリ、核ミサイルは、すでに宙域を離脱したよ。でも、君たちはそれ以上の惨状を防ぐことができたんだ、それは誇っていいはずだ」
「そう悲観することはない。ユウナ、オープン・チャンネルでミサイルの位置情報を流せ。そうすれば他の誰かが悲劇を食い止めてくれる」
「もう、誰も僕の予想なんてあてにしてないと思うけど、そんなに楽観的に行くかな?」
「いくさ。私たちがここで、名前もしれない人のために戦ったように、他の誰かも戦ってくれる。それが、人なんだからな」
究極の兵器は存在しえない。なぜなら、兵器は機械であり、パイロットは人だからだ。機械と人、その違いが落差となって兵器としての完成度を落としてしまう。
では、もしもこの課題を克服するとすれば、その方法は究極的には二つあるのではないだろうか。
人のような機械をつくるか、機械のような人をつくるかだ。
後の世に希代の技術者として名を残すであろうザフィランサス・ズールとサイサリス・パパがたどり着いた結論は、くしくも選択の両端であった。
宇宙の闇の中、大破したラピスラツーリシュテルンが漂っていた。もはや満足に動かない機体の操作を諦めイザークはコクピット・シートに体を投げ出していた。
「どうやら、256万1通り目に勝ちパターンがあったらしいな」
蒼星石はすねたように顔を逸らしている。
「作戦目標は未達成に終わるはずだったんです。ヨートゥンヘイムがよけいなことしなければ……」
「機械式の計算は、機械を相手にしている時だけ完璧になれるということか?」
機械の完全な計算が、人の不完全さによって覆される。完全という言葉を辞書で書き直したくなるような話だろう。
「僕が言うのもなんですけど、人が完璧でないのは、完璧なものを産み出せた試しがないからです。そして機械は人によって創り出されました。不完全な物を完全と取り繕うより、不完全さも認めてしまいたい。だからお母様は僕たちに敢えて人の心を与えてくださったんです」
「お前たちはまだ人の助けを必要としてはいても、やがてAIだけでモビル・スーツを完全に操縦できる日が来るんだろうな」
「そんな時は、僕たちみたいに人の心を持つ機械もきっと用済みです」
「俺たちは一蓮托生のようだな、相棒」
珍しく、冗談まじりにイザークが拳を突き出すと、蒼星石も応じた。ホログラフながらもその小さい手重ねるように突き出した。