太平洋に浮かぶ島国であるオーブ首長国。シンの故郷であり、すべてを捨てて逃げ出した国でもある。もう二度と祖国の土を踏むことはない、シン・アスカはそう心に決めていた訳ではなかった。だとしても、このような帰国をするとはまるで考えていなかった。
シンはファントム・ペインの証である黒い軍服に身を包み貴賓室のソファーに腰掛けていた。シャンデリラがかかっているような部屋だ。シンがオーブにいた頃であってもこのような部屋に通される機会などなかった。
どこか落ち着きなく前のめりに座っているシンに対して、同僚となったシャムス・コーザは完全にソファーの背もたれに体を預けている。
「よう、シン。どうだ? 新しい制服の着心地は?」
「不慣れなせいか、ザフトの方が馴染む気がしますね」
顔をあわせてまだ数日だが、シャムスはどういった人間なのか、シンにもわかっていた。かつての敵を前にしても飄々とした態度を崩さない人だということを。もう1人の同僚であるスウェン・カル・バヤンはなにからなにまで対照的だった。褐色の肌がシャムスのトレードマークなら、スウェンは反対に色素の薄い髪をしている。何より、口数少なく話すべき内容を選別しているらしかった。
「君はオーブ出身と聞いたが?」
「ええ。ほんの数年前まで住んでました。大西洋連邦とオーブが同盟を結んだことは聞いてましたけど、ファントム・ペインみたいな特殊部隊が受け入れてもらえるんですね?」
答えたのはシャムスの方だった。
「ファントム・ペインだからってとこだな。俺たちは、言っちまうならエインセル代表の私兵だ。実際、各国のファントム・ペインがどこまで国の命令系統に組み込まれてるか恐ろしく曖昧ってこった」
「いいんですか? 軍隊でそんなことして?」
「何度も解散させるべきとの議論は起きている」
「ま、それを黙らせてきたのが俺たちの実力って訳だ」
まだ新興のザフトでさえ、モビル・スーツを勝手に持ち出せば極刑もあり得る。もっとも、シンとは外人部隊として軍規の埒外で戦わされてきた。今更と言えば今更であったのかもしれない。
「じゃあ、この任務は大西洋連邦の命令じゃないってことなんですか? というより、キラさんにほとんど何も聞かされないまま連れてこられたんですけど」
月でのスカウトを結局、受け入れたシンはほとんどその足でオーブへと戻ってきた。ただ、新たな同僚2人にしてもどこか反応が鈍い。特にシャムスなら得意げに語りだしそうなものだが。
代わりに、彼らが座るソファーのそばに軍服の男性が訪れた。シンには、いかにも優男という言葉が似合うように思えた男性は、薄い冊子をまずはシンに、それから2人にも手渡した。アーノルド・ノイマン、この部隊の副隊長だ。
「それならこちらを」
どうやら命令書であるらしい。シンが表紙を眺めているうちに、シャムスはぱらぱらとざっと目を通したふりをした。
「副隊長殿? 情報開示が遅いのでは?」
「見てもらえばわかると思うけど、今回の任務は要人警護だ。一カ所に集まるまでファントム・ペインの出番はないからね」
たしかに、警護対象は1人でなく、ほとんどが別々の地域から集められている。そしてここオーブではファントム・ペインが引き継ぐことになる。ただ、シンがページをめくれど変わらなかったものがあった。全員、同じ顔をしているのだ。そのうち、ヒメノカリスとゼフィランサスについては見覚えがあったが。
シャムスもほぼ同じタイミングで資料に目を通したのだろう。
「プラントの姫君とはね。隊長が気合い十分なわけだ」
ゼフィランサスが、今ではシンの上司であるキラ・ヤマトの妻であることをシンは当然のように思い出した。
「ゼフィランサスさんにヒメノカリスまで。これっていったい?」
「ヤマト隊長から聞かされていないのかい? 話してもいいけれど、すぐにわかることだ。今はそれより任務の内容を頭に入れておいてほしい」
シンが資料に再び目を落とそうとした時、シャムスの声と扉の開く音が聞こえた。
「姫君のご入場のようだ」
先頭にいたのは白い軍服姿の女性だ。護衛対象には入っていないが、その凛とした立ち振る舞いからそもそも護衛なんて必要ないのではないだろうか、そうシンに思わせるには十分な雰囲気を纏っていた。
「今度、こういうことをするときはちゃんと私に話を通すように、わかったな?」
「カガリはお堅いんだよ。わかった、わかったから。そう、何度もすることじゃないと思うけどね」
すぐに入ってきたのはドレス姿の少女だった。護衛対象で、氏名はエピメディウム・エコーと記載されている。髪の色が緑色であることを除けば、ラクス・クラインと驚くほど似た印象を与える。
しかし、シンの関心はすぐに移ろった。部屋に次々と同じ顔、違う髪の色をした少女たちが入ってきたからだ。桃色の髪の少女が入ってきた時、シンはヒメノカリスかと考えたが、それにしては三つ編み姿の少女は素朴に思えた。そして、すぐ後に白いドレス姿ながらもどこか険しい雰囲気のヒメノカリスが入ってきた。
最後に黒いドレスのゼフィランサスが入ってきたこと、9人の同じ顔をした少女たちがそろったことになる。
カガリと呼ばれた女性は9人を一通り見回した。
「これで全員か?」
「プラント組や連絡のとれなかった人、それに、もう亡くなってる子は除いてね」
同じ顔をしているので語弊はあるものの、多少のひねくれ者であっても美人揃いと認めざるを得ない。色恋に関心の薄いシンであっても白状するなら、視線を奪われていた。
シンでこれなら、無論、シャムスが反応しないはずがない。
「任務が終わったらデートにでも誘ってみるかな」
今にも口笛でも不羈そうな上機嫌な様子だったが、それはいつの間にか後ろをとっていたこの部隊の隊長の気配に気づく前のことだった。
「やめた方がいいんじゃないかな? ヴァーリには多くの場合、特定のパートナーがいる。たとえば僕みたいにね」
さすがのシャムスも気まずかったのか、キラ・ヤマトという男を敵に回さないと決めていたのか、冷や汗を浮かべて固まってしまった。
見ると、キラの手には赤ん坊が抱かれていて、その子が、シンがエインセル・ハンターの邸宅でゼフィランサスに抱かれていた子だとすぐにわかった。もっとも、母親がすぐに駆け寄ってきた以上、考えるまでもなかったかもしれない。
「いよいよだね、気をつけて」
「私がすることはあまりないから。それより、この子のこと、お願いね」
「僕だって父親だよ。普段は君に押しつけてばかりだけどね」
なにが始まるのか、シンにはわからなかった。資料に記載がなかったからだ。もっとも、何かが起きようとしていることは、誰にでもわかることであったが。
「いやいや、独裁者の椅子の座り心地は格別だね」
ギルバート・デュランダルは執務室で自分の椅子に腰掛け、子どものように座席が回る様子を楽しんでいた。この部屋にはもう1人、緑の髪をしたヴァーリ、デンドロビウム・デルタしかいない。普段、議長との窓口役はラクスが担当している。よって、デンドロビウムはあまりデュランダグ議長と会話をしたことはなかった。しかし、今、この部屋にはデンドロビウムしかいないのである。
議長は本当に自分に話しかけてきたのか、迷いを捨てきれないまでもデンドロビウムは本を目の前のテーブルに置いた。
「え? でも、椅子、変えてませんよね?」
「つまり、気分の問題ってことだよ。実際、全権委任法が通ったことで私が必要としていた法案はすべて通すことができた。それも、可及的速やかに、ね」
上機嫌ということなのだろう。ただ、機嫌がよくないとデンドロビウムに話しかけない、なんてことはない。遅れていた会話の機会が、たまたま巡ってきたにすぎない。
「デュランダル議長は私たちクライン家の人間とは違う目的で動いているんですよね?」
「どうも堅苦しいね。普段通り、砕けた話し方で私はかまわないんだけどね」
「それはさすがに……」
普段のような荒い言葉遣いはさすがに控えるにしても、デンドロビウムはまだ親しいとは家に男性と2人きりになることを息苦しく考えるほどではなかった。話がとぎれたとみるや置いたばかりの本に手を伸ばそうとして、すぐにその手は止まってしまった。
新たな来訪者がいたからだ。
「ギル!」
まだ年端も行かない幼女は議長の胸へとすぐさま飛び込んでいった。
議長としても手慣れたもので、幼女をすぐさま自分の膝に腰掛けさせた。
「リリー、よかった。とても元気そうだ」
「会いたかったよ。テレビじゃ何回も見てたけど、なんかすごいことしたんだって?」
親子ほども年の離れた2人だが、どちらかと言えば近所のお兄さんとそれに懐く子どものように見える。もっとも、そんな子どもが1人でこんなところにまでこれはしない。当然、引率者である黒髪長髪のヴァーリが部屋の入り口に立っていた。
Mのヴァーリ、ミルラ・マイクに対しては、デンドロビウムも普段の調子で話しかけることができた。
「なあ、ミルラ。あの子は?」
「私たちの数えられざる妹だ。名はリリー、それならリリー・リマかな? ロベリアに叱られそうだ。さて、リリー。議長殿はこれから大切な仕事がある。一目でいいから会いたいという君の要求に私は応えた以上、次は君の番だな」
「ほら、リリー。ミルラ君、この子を頼むよ」
リリーはするりと膝の上から飛び降りると、ミルラに手を引かれて部屋を後にした。
「またね、ギル」
短い間ではあったが、騒がしい余韻だけが残った。
「本当にうれしそうだな、いえ、ですね。どうしてリリーをエルスマン邸に預けたんですか?」
「同じヴァーリがいてくれたし、何より、彼女の顔を見るのがつらい時期があってね。君たちの誰かに預けるより距離感が最適だった」
しかし、おしゃべりなはずの議長はそれ以上、言葉を続けようとはしなかった。そんな相手にデンドロビウムも聞き出す気にはなれない。まさか子どもとの関係がこじれた
から、とは考えにくいのだが。
「さて、では仕事をしてこよう。何より、誰より、リリーのためにね」
世界安全保証機構の会合はいつも通りに開かれ、いつも通りに一枚板であるという演出を失念していた。東アジア共和国のラリー・ウィリアムズ首相と、南開け理科合衆国のエドモンド・デュクロ将軍が鋭く対立するところまで同じだ。
どこか薄暗い円卓の間にて、ウィリアムズ首相はそのスキンヘッドにしわを寄せていた。
「現在、プラントから和睦の働きかけが活発になってきている。これは戦争終結の好機ではないかね?」
「バカをぬかせ。奴らはジェネシスを造ったんだぞ。和睦してなんだ? 我々が引き上げたところで悠々と大量殺戮兵器を地球に向けんとも限らん。奴らの中で、先の大戦におけるジェネシスの使用は正当化されとるようだしな!」
「だがいつまでこのような戦争を続けるつもりだ? すでに開戦から10年を優に超えている。副次的なものまで含めれば戦没者は12億にも達する!」
「そのうちの10億は奴らの引き起こしたエイプリルフール・クライシスが原因だろうが!」
「しかしブルー・コスモスのエインセル・ハンター代表が戦死したことでプラントも我々と握手を交わす余地が生まれたことも事実だ。今なら、急進派連中も精神的支柱を失っただろうからな」
「1人の狂人に煽動されたから地球の連中は戦っている! そんなプラントのプロパガンダに乗ってやるほど義理堅い男には見えんがね!」
2人が舌戦を繰り広げる中、ほかの参加者たちは思い思いに、発言の機会をうかがっているらしかった。まず立候補したのは赤道同盟のソル・リューネ・ランジュ。エインセル・ハンターとボパールで話を交えたこの若者は、一見するとその急進的な立場を改めたかのように見えた。
「皮肉な話ですが、私はギルバート・デュランダル議長と同じ意見をしています。彼はこう言いました。誰も争いを望むものなどいない。しかし、危害を加えられたなら戦わなくてはならないと。15年前、血のバレンタイン事件が発生し、両国の緊張は一気に高まりました。その後、小規模な衝突を繰り返しプラントは報復としてエイプリルフール・クライシスを起こしました」
警告なしに投下されたニュートロン・ジャマーによって地球全土が深刻なエネルギー不足に陥った。その結果、10億もの人命が失われた。人類史上最大の大量殺戮である。
「彼らは言うのでしょう。先にしかけてきたのは地球であって、自分たちは自分のみを守っているにすぎないと。しかし、血のバレンタイン事件は首謀者がいまだに明らかになっていません。少なくとも、地球の人々の多くにとって何に関係もない事件です。にも関わらず、プラントは地球全土を攻撃対象としました。仮に風説通りブルー・コスモスの教唆された大西洋連邦軍の仕業であったとしてもその責任が地球全土に降りかかることはないのです」
ソルはこれまで、プラントへの怒りを隠そうとはしていなかった。今、その態度は落ち着いてこそいるものの、プラントが行った蛮行を認める気はないらしい。かつてのような感情論一辺倒でなく論理的にプラントを非難しようとしている。
「プラントではナチュラルを標的とした水晶の夜が起きました。それどころか、コーディネーターの半分以上は地球に暮らしています。それでも、彼らはエイプリルフール・クライシス、ジェネシス、そして小惑星フィンブルと地球を標的にしてきました。それは、エインセル代表ただ1人を標的にしたものだったのでしょうか?」
果たしてエインセル・ハンター1人の首を差し出して戦いが終わるのだろうか。この疑問を突きつけたところで、ソルは一度、話を閉じた。
抗戦を主張するデュクロ将軍にとって有利な内容と言えた。そのためか、血気盛んな将官は何も付け加えようとはせず、ウィリアムズ首相もまだ自身の不利を自覚していないらしかった。
二番手はブルー・コスモスの真なる代表者であった。ロード・ジブリールはのりの利いたスーツに皺がつくことを嫌ってか、手振りも少なげに話を始めた。
「エインセルはよき友人でした。こう言うと、不思議な顔をされることがあります。プラント国民と話す機会がある時には特に。あれほど多くの血を流した男とどうして友好関係など結べるのかと。私に権力の座を禅譲してくれたからだと述べると彼らは納得し私を罵ってきます。あるいは、彼が高潔な人物だからと述べると彼らは納得せず私を罵ってきます。かつて処刑人は汚れた職業でした。フランス革命によって人々の権利が認められた際にも、彼らの権利は最後まで留保されたほどです。しかし、高貴な身分でした。国王から賜った使命を全うしていたからです。私にとってエインセルとはそんな、布切れのような男でした。汚れを拭き取る布のような男でした。ですがふき取られた汚れは消えたりなどしません。布に移るだけです。では、掃除の仕上げに何をしましょうか? やはり、汚れた布を捨てることではありませんか?」
かつてブルー・コスモスを率いた三巨頭のうち、すでに2人までが命を落としている。
「私は、プラントが戦争に巻き込まれなかったとしてもジェネシスを完成させたと確信しています。そうなれば地球は焦土と化したことでしょう。それをわかっていたエインセルたちは自ら汚れを引き受けてでも地球を救うことを選んだのです」
あるいは、ジェネシスによる攻撃を示唆し、地球を恫喝しただろうか。どちらにせよ、地球を破壊するほどの大量破壊兵器を建造する技術と、それを使う意思がプラントにはある。そのことはすでに、エイプリルフール・クライシスの段階からわかっていたことではないのか。
ロードははっきりそう口にすることはなくと、ただ友を懐かしんでいるだけだった。
「私はそんなエインセルの生き方が、どうしてだか嫌いになれなかったのです」
ここで、新顔が登場することになる。現在のオーブ首長国の代表であるウナト・エマ・セイランである。
「誤解を恐れず言うなら、我々オーブの立場は明確ではありません。オーブは大西洋連邦軍の侵攻を受けました。その陣頭指揮を執ったのが他でもないエインセル・ハンター前代表なのです。私には、ジブリール氏の言葉が身勝手なセンチメンタルに聞こえてしまうことは、隠すことはいたしますまい」
それもまた、エインセル・ハンターにこびりついた汚れなのだろう。ロードは話の腰を折るような無粋な真似はせず、セイラン代表もまたブルー・コスモス代表の顔色をうかがうこともしなかった。
「ただ、そうであったとしても私はここにいるのです。かつての敵と手を結び、自国の利益のために。その点では、ウィリアムズ首相のお考えにも共感できる点は多々あります。私事ながら、苦労話を聞いていただきたい。4年前、オーブは焼かれました。民がモビル・スーツ戦のさなかを逃げまどい、命を落としました。この悲劇から我々は立ち直り切れてはいません。私自身、仲間を亡くしました。それからの4年間、私は母国の復興のために励みました。簡単なことではありませんでした。しかし、手をさしのべてくれる人物もいたのです。その1人が、エインセル・ハンター前代表でした」
オーブ侵攻は、いまだに世論の評価が定まっていない。オーブが大西洋連邦の技術を盗用し新型モビル・スーツの開発を行っていたことは一つの事実である。だが、それがプラントと結託し大西洋連邦軍の背後を突くことを予定していた戦力であるという主張は、必ずしも全面的に受け入れられている訳ではない。
「ユニウスセブン休戦条約では、戦争で得た国土を戻すという条項が組み込まれました。大西洋連邦はその約束を忠実に履行したのです。オーブは戦後すぐに自治権を取り戻し、復興へと歩き出しました。では、プラントはどうでしょうか? 彼らはいまだに地球上に軍事基地を保有しています。本来であれば2年以上前に明け渡しの期限を迎えているものです。東アジア共和国のカーペンタリア基地などその典型でしょう」
そして彼らはいまだ、少なくない数の大気圏内専用のモビル・スーツを作り続けている。基地の返還さえ終えてしまえば無用の長物となるモビル・スーツたちを。
「私は敵だから手を結ばない、そう言うつもりはありません。敵味方、そのような二元論に意味などないからです。肝要なことは信頼に足る相手であるか否か、それだけなのです」
参加者の意志は決してまとまりのないものとは言えないのかもしれない。濃淡、違いが見えてしまう理由は、結局のところ、プラントがどれほど信頼できる相手なのか、それだけであるからだ。最も信頼していないのがデュクロ将軍であって、まだ信頼の余地を残すのがウィリアムズ首相であるというだけの話なのだから。
もっとも、多くの参加者たちは交渉の余地こそ認めながらも、プラントという国家が信頼に足る相手ではないと疑っているようではあったが。
ジョゼフ・コープランド大統領がその恰幅の良い体を震わせたのは、椅子を座り直しただけのことなのだろう。
「私は、プラントではブルー・コスモスの言いなりとなっている無能と描かれているそうです。稀代の名君を気取っているわけではありませんが、憤りを覚えます。しかし、それは侮辱に対するものと呼ぶより、彼らの一方的な価値観に対するものでしょう。彼らにとって、自分たちに都合のよい人物は有能な人格者であるのに対し、そうでない者は無能な小物なのです。そこには彼らの傲慢さが現れています。自分たちが正しい以上、敵対者はすべからく愚かであるに決まっているからです。言うまでもなく、コーディネーター技術には倫理的、道義的な様々な問題があります。そのことを、プラントはどう論じてきたでしょうか? 持たざる者の嫉妬にすぎないと嗤ってきたのは誰であったでしょうか?」
そして、参加者の最後の1人、スカンジナビア王国のマリア・リンデマンはかぶったブルカの奥で目を閉じ、眠っているかのようだった。そんなはずはないが、あるいは彼女なら眠っていても会議の様子を把握できるのかもしれない。何にせよ、意見するつもりはないらしい。
会議はこれ以上、進むことはない。プラントの信頼性、それを判断するだけの材料が今のままでは不十分だからだ。
このまま、今回の会合も結論を先延ばしにする形で終わろうとしていた時、扉がノックもなしに開かれた。現れたのは1人の若者だった。セイラン代表だけは誰かをすぐに理解した。自身の息子、ユウナ・ロマ・セイランであったからだ。
ユウナはひどくぎこちない歩き方でモニターの前にまで歩みでた。
「し、失礼します。いえ、私に会議に加わる資格はないことは理解しています、ですね。でも、ぜひお耳に入れたいことがあるんです」
しどろもどろの若造は、将軍をずいぶんと呆れさせたらしい。
「どこのどいつだ?」
「私のせがれです。まだ子犬でしてな。どこぞの雌ライオンに追い立てられてきたのでしょう、お恥ずかしい限りです」
しかし、ユウナは嘆く父のことなど気にしていない。平静を装っているというより、台本通りに必死に行動しようとしているだけだろうが。
「見ていただきたいのはこれです」
そう、点けられたモニターには天気予報が映し出された。
「いや、チャンネルが違った! こっちです」
すぐに映像が別のニュース・チャンネル、ギルバート・デュランダル議長の演説会場へと切り替わる。
「坊主、デュランダル議長の演説など見せてどうするつもりだ?」
論客で知られる議長は演説を頻繁に行う。そうである以上、わざわざ世界安全保障機構の会議でも取り立てて視聴することは珍しい。実際、今回の会議でも予定には組み込まれていなかった。
「まあ、あわてないでください。前菜で満足してしまってはメイン・ディッシュを食べ損ねますよ」
この決め台詞も、台本に書かれていたことなのだろう。
「どうして戦争は起きるのでしょうか。歴史をひもといていくとその大半は権力者の欲望が原因となります。権力の椅子とは気まぐれで、縛り付けていないとすぐにふらふらといなくなってしまう。だからこそ権力者は多くの嘘をつき民を欺いてきました。敵がいると危機感をあおり、自分たちの正当性を嘘で塗り固める。だが、嘘は嘘にすぎません。いつかは露見します。そうならないためには、さらなる嘘を積み重ねていかないとならなくなってしまう。そして最後には選択を迫られる。すべて嘘でしたと認めてしまうか。そんなこと、できるはずがありません。だからもう一つの道を選ぶ。敵がいると嘘をついた。すると民からこんな声があがるのです。敵をどうして野放しにしているのですか、と。敵が不正義だと言い続けてきたことには、なぜ正義のための戦いを始めないのかと尋ねられる。そう、戦争を始めるしかなくなってしまうのです」
この演説の様子は世界中で流されていた。いつものことではない。プラント政府が各国のテレビ局に働きかけその放送権を買い取ったからだ。しかし、そのことを知らされていなかった市民の多くは突如、街頭モニターに映し出されたプラントの指導者の姿を目にすることになった。あるいは、以前は歌姫として地球でも有名であったラクス・クラインが議長のすぐ後ろにいることも関心を引いたのかもしれない。
「ブルー・コスモスはこう信じ込ませました。プラントは、病院に保育器の代わりに培養液で満たされたカプセルを並べる、自然の摂理に反する怪物だと。打ち倒さなければならない敵だと煽動したのです」
この演説は多くの人が目にしていた。それはファントム・ペインであっても例外ではない。白鯨と呼ばれたファントム・ペインは軍港に照りつける日差しの中、1人端末に目を落としている。切り裂きエドこと、エドワード・ハレルソンは砂漠のテントの中、小さな携帯モニターを部下たちと取り囲んでいた。片角の魔女は適当な大きさの瓦礫に映像を投影し、大画面で楽しんでいる。
「ここで私は訴えたい。この戦争という悲劇は、力を持つべきでない人が力を持ってしまったことが原因なのだと。仮にふさわしい人がふさわしい地位につけるとしたなら、戦争など起きようがない。そしてそのための手段を我々はすでに有しているのです」
ここでモニターに映し出されたのはアニメーションだった。デフォルメされた、がみがみと怒鳴りつける上司を思わせる男性と、それに平謝りのデュランダル議長。しかしどこからともなくやってきた黒服の男たちが上司を運び去ると、代わりにデュランダル議長を上司の椅子に座らせた。議長は満面の笑みになる。
「DNA情報はワトソンとクリック以来、大きな進歩を遂げました。我々コーディネーターがその証拠です。DNA情報を元に人々の能力を判別し、その適正にあった職業と立場を与えることで世界を正しい形に導くことができるのです。もう、悲劇とわかりながら血の道を歩むことはやめましょう。悲劇をもたらした悪夢の種はすでに取り除かれたのです」
次に映し出されたのはDNAの二重螺旋構造。それを解析するような映像が流されては、各分野で活躍している人々の様子が映し出される。その演出の巧みさは、人々に隠れた素質を見つけだし、あなたも彼らのようになれると訴えかけているようだった。
「今であれば正しい人が世界を正しく導けるようにすることができるのです。この世界が生命のわき出る場所であることを願って、レーベンズボルン・プランを提唱したいのです」
そしてここで、演説の別の映像が差し込まれた。議長の後ろに立つラクス・クラインと並ぶように、緑の髪をしたラクス・クラインが映し出された。