大西洋連邦東岸ニューヨーク市、ブルー・コスモス本部代表執務室。3輪の青薔薇を模したエンブレムが壁一面を占めるこの場所で、男女が握手を交わす。
クリーム色をしたスーツの男性がまずソファーに腰掛け、相対する席へと女性の着席を促す。女性は、眼鏡の似合う人であった。知的とも上品とも、感情というものを努めて表には出さない方法を心得ているように小さく笑いを作る。
「お久しぶりです、ジブリール代表。代表の椅子には慣れましたか?」
「ええ。ただ、未だにあなたの伴侶の登場を望む声が大きく苦慮させられています」
男はロード・ジブリール。ブルー・コスモス代表として世界安全保障機構の会議に出席した時とは異なり、その表情は穏やかであった。現代表は、たえず先代の、エインセル・ハンターの影に脅かされている。そんな偉大な先達者1人の妻であるメリオル・ピスティスは困ったように口元を緩めて微笑む。
「デュクロ将軍と話し合われたと聞いています」
反対に、ロード代表が頬を強ばらせた。以前会議で顔を合わせた南アメリカ合衆国代表エドモンド・デュクロ将軍は典型的なタカ派である。将軍に言わせれば、ロードの政策は生やさしいの一言に尽きるのだそうだ。
「彼は、ファンと言ってもいい。もちろん、エインセルたちの力は紛れもなく本物です。内部にもかつて地球を救った時のように力強いブルー・コスモスの復活を望む声があることも事実です。しかし、ブルー・コスモスは本来遺伝子操作に反対する環境保護団体にすぎません」
エインセル・ハンター先代代表から後継指名を受けて以来、ロードはいつだとて偉大な先輩と比較される。しかし、エインセル・ハンターが優れた指導者であったとしても、ロード・ジブリールにしかできないことがある。
エインセルとは違う道を行く。そのことを確認しなおすように、ロードの声は落ち着いていた。
「ブルー・コスモスは、今だからこそ思想としてコーディネーター反対を訴えていくべきであると考えています」
「エインセル様もロード様には期待をかけています」
メリオルは、あのエインセルがそばにいることを求める女性は男の慰め方を心得ている。未婚であるロードは面映ゆい思いに苦笑しながらも、すぐに顔をメリオルへと戻す。
「ところで、エインセルは今どこに? 今日は来てくれるものと期待していたのですが」
優雅なほどに冷静なメリオルが、あからさまに目をそらした。ただならぬ事態は、ただならぬ状況によって引き起こされることを、ロードは心得ている。
「まさか……」
「エインセル様の悪い癖が出ました……」
最後まで目をそらしたままで、メリオルが答えた。
カーペンタリア湾での戦いは一変していた。
東側から包囲されることを警戒するあまり遊撃隊は戦線を東へと突出させてしまった。すると、引き延ばされたゴムのように戦線が厚みを失い、前線のモビル・スーツ部隊と後方のボズゴロフ級潜水艦があり得ないほど接近していた。
そして、地球軍はここにきて一気に攻勢に出たのである。
北からは主力である大西洋連邦軍が攻撃に加わり、攻撃が激化する。
そして、南にはすでに廃棄された基地があった。そこはかつて、潜水艦のドッグとして利用されていた。C.E.75年現在は見向きもされなかった基地に、地球軍は潜水艦を潜ませていた。
ドッグから音もなく出航するわずか数隻の潜水艦の群。その目の前にはザフト軍のボズゴロフ級が背中を見せていた。戦線が東に展開したことで、ザフト軍は自ら進んで地球軍の前に隙をさらしてしまったのである。
そんなザフト軍へと、潜水艦たちは群れた狼のように襲いかかった。
放たれる魚雷が吸い込まれるようにボズゴロフ級のわき腹に突き刺さった。カーペンタリア湾のわずか60mの水深では爆発の衝撃を抑えきれない。爆圧は水柱となって海面に躍り出た。
腹を食い破られたボズゴロフ級の艦内では警報音が鳴り響き、大量の水が流れ込んでいた。大きく傾いた艦体のせいで乗員たちは立っていることもできない。何かにしがみつき必死にこらえていた。そこに、第二の魚雷が命中する。艦体はちぎれ、ボズゴロフ級は浅い海底へと沈む。
北からは本体。南からは潜水艦。突然の挟撃にザフト軍は浮き足だった。
思わず転舵したボズゴロフ級は、すぐ隣を航行していた別のボズゴロフ級へと船首を叩きつけてしまう。ひしゃげた艦体同士が噛み合い、2隻はそのまま海底へと頭から飛び込んでしまう。魚雷をかわそうとしたボズゴロフの中には、浅い水深を意識しきれず頭から海底へと突っ込んでしまったものもいる。
ボズゴロフ級の艦隊は瞬く間に大混乱に陥れられたのである。
そんなボズゴロフ級の1隻では、艦長であるロンド・ギナ・サハクが檄を飛ばしていた。まるで奇術師かのように派手な衣装の男である。
「グーンを出せ! 奴らを近づけさせるな!」
グーンとは、かつて地球侵攻に決定打を与えると期待されながらも戦況の激変に伴い生まれながらの旧型機の烙印を押された悲劇の機体である。そんな4年も前の旧型にいまさら頼らなければならなかった。
ギナは所属のパイロットへと通信を繋いだ。
「ハイネ・ヴェステンフルス。ただちに戻れ!」
「敵に背中は見せられん! 意地というより、実情としてな! 奴ら、今になってガンダムを投入してきやがった!」
ハイネ・ヴェステンフルスのZGMF-23Sセイバーガンダムは遙か上空でGAT-133イクシードガンダムの大剣と切り結んでいた。接近戦に特化した地球製のガンダムは、量産機でありながらその優れた格闘力でザフト軍におそれられている。ハイネとて隙を見せれば切り捨てられることになる。
ギナ艦長のすぐ後ろには、妹であるロンド・ミナ・サハクの姿があった。兄同様に奇抜な格好であること、船医でありながらブリッジにいることを誰も見咎めることはなかった。
「地球軍は最初からカーペンタリア基地を攻めるつもりなどなかったのだろう。カーペンタリアが物資輸送の拠点である以上、輸送船であるボズゴロフ級の喪失はそのまま基地機能の低下に直結する」
「こと戦争に関しては地球に一日の長があるようだな、妹よ」
このままではカーペンタリア基地は傷一つつけられることなく陥落させられるのである。
突然、衝撃が艦体を揺らした。クルーの悲鳴にも似た声が響いた。
「海中にモビル・スーツ反応! フォービドゥンです!」
正式にはインテンセティガンダムと呼ばれる地球軍のガンダムだった。甲殻類を思わせるバック・パックが特徴で、そのためではないのだろうが水中戦においても安定した性能を発揮する。
そして、東アジア共和国にはファントム・ペインに属するエース・パイロットがいる。インテンセティガンダムに青薔薇の紋章を描き、幾多のザフト軍艦船を沈めたことから名付けられた通り名は、かつて数多くの捕鯨船を沈めた鯨の物語に由来する。
ギナ艦長は歯をくいしばりながら怨敵の名を呼んだ。
「白鯨……、ジェーン・ヒューストンか……!」
カーペンタリア湾を撃沈されたボズゴロフ級たちの機械油が覆っていく。水柱が立つ度、残骸と油とが水中から浮かび上がっては海を汚していった。
そして空では戦いが激しさを増していた。大西洋連邦軍がようやく前線へと移動し、ザフト軍と真っ向から激突したのである。練度、技術力にも優れる大西洋連邦軍の参戦によってザフト軍からは当初のような戦勝気分は吹き飛んでいた。もはやボズゴロフ級を支援するどころか、前線を維持するだけで手一杯である。これでは基地を守れたとしてもボズゴロフ級潜水艦を失ってしまう。
アスラン・ザラは乗機であるZZ-X4Z10AZガンダムヤーデシュテルンを複雑に機動させながら戦況を確認していた。
「翠星石、略図でいい! 戦況を把握できる地図を出せ!」
コクピット内を飛び回っている緑の妖精はすぐさま、映像を空間上に張り付けた。
図にはザフト軍の東側の戦線がずたずたに切り裂かれている様子が表示されていた。カーペンタリア基地周辺の防衛網こそ分厚いが、今となっては意味がない。
ソード・ストライカーⅡを装備したGAT-01A1ストライク・ダガーがその大剣をヤーデシュテルンめがけて振り下ろした。アスランはそれを抜いたサーベルで受け止め、機体の全身を輝かせるミノフスキー・クラフトの高加速によってすれ違いざま、もう片方の手で抜いたビーム・サーベルで敵を切り裂く。
しかしこれで両手にビーム・サーベルを装備していることになる。遠距離攻撃の手段を減らしたと見た敵軍は次々とビームを振らせ、アスランは回避のために不規則な機動を強いられた。
このまま戦い続けても、敵に勝つことはできても戦いには負けてしまう。
アスランは事態を打開すべく、仲間であるレイ・ザ・バレルへと通信を繋いだ。
「レイ、聞こえているな? 俺は今から潜水艦を水中から直接叩く」
「確かにこの状態では上空から攻撃を仕掛けることは自殺行為だが、いくらゲルテンリッターとは言え、ヤーデシュテルンに水中戦ができるのか?」
「ゲルテンリッターには水中でもビームを使用できる機構が組み込まれている。だから……」
援護に回ってもらいたい。そう続くはずだった言葉は中断させられた。まるで光そのものに襲いかかられたかのように一瞬の出来事だった。赤いモビル・スーツが瞬く兄ヤーデシュテルンに接近していた。アスランがとっさに防ぐことができばければそのまま撃墜されていたかもしれない。
ビーム・サーベル同士の鍔迫り合いはスパークをまき散らしている。そんな火花の向こう側にはガンダム・タイプの顔が、ヤーデシュテルンの一つ下の姉妹機であるZZ-X5Z000KYガンダムライナールビーンの顔があった。
「キラ、お前か!?」
「ゲルテンリッターは水中戦も行うことができる。邪魔をしないでくれ、アスラン。そうすれば、君たちはカーペンタリア基地だけは守ることができる」
弾けるように離れる2機のガンダム。ヤーデシュテルンが距離を開けようとすればライナールビーンが追いかけ、アスランが追えばキラが逃げた。キラには本気で戦うつもりなどなかった。ただ時間を稼げさえすればそれでよいのだから。
通信ではそれぞれのガンダムの心も言い争いを続けていた。
「逃げるでねえです、真紅!」
「戦いとは二手先、三手先を読んでするものよ、翠星石。そして勝利とは敵を打ち倒すことではなくて目標を達成すること」
アスランはキラを無視できない。しかし、キラはアスランを倒す必要など一切なかった。2機のガンダムは互いに高機動を維持しながら、時折ぶつかり合ってはサーベルをぶつけ合う。しかし、戦いは動くことなく、膠着していた。
アスランは動けない。
そうしている内にも、海中では大西洋連邦軍の潜水艦が魚雷発射管に注水される際の独特の泡音を立てて次の獲物を狙っていた。一斉に発射された4本の魚雷が泡を立てザフト軍ボズゴロフ級潜水艦のわき腹に風穴を開ける。海面に巨大な水柱が立つ。
地球軍が投入した潜水艦は5隻に満たない。しかし、浅いカーペンタリア湾に逃げ場所はなく、完全に虚を突かれたザフト軍は大いに混乱させられていた。わずか4隻の潜水艦に隊列は完全に乱れ、1隻ずつ着実に轟沈させられていく。空母としてはともかく、潜水艦としての戦闘能力には欠けるボズゴロフ級を轟沈させるだけなら、大部隊は必要とされない。
しかしそれでも、わずか4隻の潜水艦に攻撃力を依存しているということに代わりはなかった。水中へと降りたわずか1機のザフト軍モビル・スーツが戦況を揺さぶろうとしていた。
潜水艦の周囲に展開するインテンセティガンダムは素早く反応した。空から海中へと飛び込んだザフト軍機へと殺到し。水中でも撃てるよう出力を調整したレールガンを放つ。敵のモビル・スーツは、何とも異常な行動を見せた。攻撃されているもかまわず水を切り裂いて突進したのである。
ハウンズ・オブ・ティンダロス、そんな優雅とも言える回避術ではない。ただ闇雲に突進し、攻撃が当たらなければこれ幸いと突進を続ける。そんな運任せであり、強引な挙動はインテンセティガンダムたちを大いに戸惑わせた。
レールガンの弾丸がザフト軍機の脇をかすめ、泡の中、命中した弾丸に機体の影が体勢を崩す様子も確認できた。しかし、それでも止まらない。ザフト軍機は止まらない。
それはアスランではなかった。ザフトのエースは現在、空中で赤いガンダムと切り結び続けている。
同じくワン・エンド型のガンダムに乗るレイ・ザ・バレルでもなかった。この隊長は海中でザフト軍機が戦うすぐ上空で敵を牽制し続けていた。後光を背負うかのようなガンダムローゼンクリスタルは何もしない。何もしないだけで、中空に突如ビームが発生し、地球軍モビル・スーツを破壊する。
そう、水中にいるのはただのガンダムだった。ZGMF-56Sインパルスガンダム。単なる量産型ガンダムの1機にすぎない機体が、ソード・シルエットの二刀流の大剣を振り回しまとわりついていた泡を引き剥がす。
インパルスのコクピットの中で、シンは絶叫していた。水中では爆発の衝撃から逃れることはできない。敵潜水艦から放たれた感知式魚雷はたとえかわしてもすぐ近くで爆発し、インパルスを強烈に揺さぶった。その度に、シンは吼えることで意識を保つ必要に駆られていた。
「こんな! ところでー!」
目の前には降り注ぐ光の柱の中、鈍い金属の色を持つ大型潜水艦の艦影がすでに見えている。そこから放たれた魚雷は、シンのとっさの回避も間に合わずインパルスの肩をかすめた。そして爆発し、18mものモビル・スーツが波にもまれる人形のように海中を翻弄させられる。
シンは再び吼えた。口の中をどこか噛んでしまったのだろう。血の味が広がることをかまわず、爆発の勢いさえ利用して潜水艦を目指す。
そんなインパルスの前に、青い薔薇の紋章を掲げるインテンセティが立ちはだかる。三叉戟が左手の大剣を捉え、たやすく切断してしまう。
ここで止まればすべてが無駄になる。そう、誰もが理解していた。シンも、青い薔薇のガンダムも。
インテンセティは攻撃の手をゆるめない。追撃はインパルスの左足を切り離し、返す刀が胴体を狙っている。
シンはスラスターの出力を、一気に最大にした。押し出された海水がインパルスの全身にまとわりつくかのように泡を発生させ、身体ごと突き出された腕がインテンセティの頭部を鷲掴みにする。体勢を崩されたインテンセティの三叉戟は、インパルスのわき腹をかすめるにとどまった。そのまま勢いを殺すことなく、インパルスは敵を一気呵成に押し飛ばす。
インパルスのモニターが不鮮明になっていた。わき腹の裂傷から海水が入り込み、電子機器を浸すとともにコクピットのすぐ外側にまで浸水が始まっていたからだ。本来ならばすぐにでも修復作業に入らなければならない。同時に誰もが理解している。止まれば終わりだと。
だから地球軍はインパルスの動きを封じようとした。だから、シンはかまわず敵潜水艦へと突き進み続けた。すでに敵潜水艦は魚雷を発射してこない。爆圧が自身にも損害を与える距離まで接近されたためだ。
ほんの1隻、わずか1隻でも潜水艦の動きを封じることができればザフト軍が体制を立て直すだけの時間を稼ぐことができる。そう、インパルスは海中を突進する勢いのまま右手に残されていた大剣を両手に握り、潜水艦へと突き立てた。
「沈め! 沈んでくれー!」
チタン合金の分厚い装甲に剣が食い込み、金属がひしゃげる甲高い音を立てながら血液のように泡が吹き出していた。
潜水艦の狭いブリッジではアラームが鳴り響き、艦長とおぼしき男が目深にかぶった軍帽の下で苛立ちを隠すことなく舌打ちしていた。腕章には青い薔薇が描かれ、ブルー・コスモスのメンバーであることがわかる。ブリッジ・クルーたちが矢継ぎ早に損害状況を伝えている中、艦長はある人物からの通信を受けた。
その途端、世界が変わった。通信があったこと、艦長がその事実を告げただけでクルーたちは落ち着きを取り戻し、アラームは大げさに成り下がる。
艦長は、緊急浮上の指示を出した。
指示は即座に実行に移されたと、シンでさえ感じることができた。足下の金属の大地が急激に海面めがけて浮上を始めたからだ。水圧と加重に身動きできず、インパルスは太陽の下に運ばれた。剥がれ落ちた海水が潜水艦の丸い形に沿って左右に流れていく。
シンは乗機の足下にカタパルト・レーンが展開されていることに気づいた。すぐ正面には、すでに敵のモビル・スーツがカタパルトで加速している最中であった。
そう、気づくことが精一杯の状態で、シンは加速する70tもの鉄の塊の突撃を受けた。そのまま、急加速した状態で空へと敵と絡みついた状態で放り出される。
突進してきた機体はインパルスに抱きつく姿勢のまま、2機を上空まで運んでいた。コクピットの中で、シンは大きく映し出された敵の顔を眺める羽目になった。敵機をここまでしっかりと眺めることができる機会など滅多にないことだろう。
敵は、地球軍の量産型によく見られるゴーグル・タイプをデュアル・センサーをしていたが、シンに見覚えはなかった。おそらくは新型機。シンの記憶の片隅には、GAT-04ウィンダムというまだ投入されたばかりの新型の敵が思い浮かんだ。
ウィンダムは、青と白を基調としており、その姿はよりガンダムの量産機であることを印象づけた。背中にはノワール・ストライカーという鋭い羽根を思わせるストライカーをミノフスキー・クラフトで輝かせている。その性能は、すべての地球製量産機の基となった名機GAT-X105ストライクガンダムにも匹敵すると吹聴されていた。
「こいつ……、離せ!」
いつまでもこのままという訳にはいかない。シンはスラスター出力を一気に上げ、ウィンダムを突き飛ばしてしまうつもりだった。しかし、まるで見透かしていたかのように、敵はインパルスから離れた。
高度はいつの間にか数百メートルに達していた。戦場からただ2機が切り離された格好だ。
シンはすぐに敵を探した。新型とは言え、ガンダム・タイプでない量産機が相手なら性能はガンダムであるインパルスの方が上だ。インパルスは大剣を両手で構え、視界に捉えたウィンダムへと加速する勢いを乗せて切りかかった。
しかし、剣が敵を捉えることはなかった、らしかった。シン自身にさえ確信がもてない。目の前にいたはずの敵機が、なぜか今は真後ろにいる。
振り向きざまに大剣を振り抜くと、まるで霞のように敵の姿が消えた。いや、捉えることができなかった。コクピット内に背後からの異常接近を告げるアラームが鳴り響くとともに、シンはインパルスを振り向かせた。
すると、インパルスに腹部にウィンダムの鋭い蹴りが突き刺さる。
「うわぁぁぁぁ……!」
さすがのフェイズシフト・アーマーでも衝撃を消してくれることはない。しかし、シンにうめいている余裕はない。
接近してくるウィンダムに対して、まだ体勢も立て直して切れていない状況から反撃する必要があった。剣を振りかぶり、しかしビームの刃を持っているとは言え、勢いのない一撃はウィンダムのビーム・サーベルに受け止められた。かと思うと、インパルスは左足を切断されていた。
敵がまさに流れるような動きでインパルスの背後に回る。そのことをシンは意識するかしないかのうちに、インパルスを逃がすべく操縦桿を引き倒す。背後から振り下ろされたビーム・サーベルはガンダムの象徴であるブレード・アンテナをかすめ、肩のアーマーを切断した。
そして、この回避に辛うじて成功したことを確認している間も、シンにはなかった。
ウィンダムが動く。飛び上がったかと思うと、ほとんど直角にしか見えない角度で軌道を曲げ、さらに直角軌道を描くことで180度方向転換、一気にインパルスへと急降下攻撃を仕掛ける。
シンは、回避しながらさらに先の動きを読んで対抗する必要があった。
速さの次元が違っていた。ウィンダムはスラスター出力のリミッターを解除しているのだろう。そこに、重心制御と完璧なタイミングでの出力制御が加わることで直角に近い機動を行い、さらに異常な意識の加速があった。
攻撃に続く攻撃。さらに攻撃が続いたと思う前に攻撃が重なる。
シンは自分が何をしているのかほとんど意識することをやめていた。いちいち確認していたはとても間に合わない。まるで最初からプログラムされていた振り付け通りにインパルスを動かしているようなものだ。
しかし、プログラムなど存在しない。シンは、敵の動きを予想して、二手先、三手先、四手先を読んで、読みが当たったのかどうか確認することなく次の動き、次の動きを行い続けた。
予想が外れた分だけ、インパルスが破壊されていく。剣を断ち切られ、腕を裂かれ、頭部を刺し貫かれたことをシンが確認した時には背中のソード・シルエットが両断されていた。
とても同じモビル・スーツの動きとは思えなかった。
もう数時間は戦っていたつもりが、実際の時間は数分に満たないものでしかないはずだ。それほど、シンはわずかな間に消耗していた。
もはや自力飛行さえかなわなくなったインパルスは地球の重力につられて、その傷だらけの体を空から落としていく。
シンの目には、敵が少しずつ遠くになっていく姿が見えていた。太陽を背に、その装甲は黄金に輝いて見えた。4年前、シンからすべてを奪った黄金のガンダムの姿が重なって見えた。一度はたどり着いたつもりが、今、それは遠く遠く、手の届かないところに離れていく。
それからどれほどの時間が経ったのだろう。
シンが目覚めると、そこは当然のようにコクピットの中だった。ログには、インパルスが緊急着陸を自動で行った形跡があった。そう、破壊され尽くしたインパルスは海に浮かんでいた。
ハッチを開けると、赤い光が目映い。すでに夕方。戦闘は終結したらしく、周囲一面の水平線からは戦いの音は聞こえてこない。
カーペンタリアは無事だろうか。敵の地球軍の狙いはボズゴロフ級潜水艦だ。基地まで攻める力も意志もないだろうと、シンは自分を納得させた。インパルスのちょうどわき腹部分に腰掛け、寄せる波がインパルスにぶつかってはまた海へと戻る様を眺めていた。
果たしてザフト軍は、たった1人の在外コーディネーターを探してくれるのだろうか。
これまで乗機をダメにする度、シンは無力感に苛まれた。しかし、今回は無力感さえわいてこない。敵のウィンダムは力がまるで違っていた。無力どころか比べることさえバカバカしい圧倒的な力だった。
見ると、手が震えていた。疲労が原因ではない。わかりやすく、シンは怯えているのだ。
まもなく日が沈む。シンはまるで子どものように、膝を抱え、不安と恐怖に押しつぶされそうになっていた。このまま、誰にも見つけてもらえないまま、海の底へと沈んでしまうのではないか。そして、海の底ではあのウィンダムが待っている。そう、想像してしまった時、シンは思わずインパルスの縁から離れた。腹部の上へと尻餅をつく形で倒れ込む。
すると、シンの視線は自然と上を見上げる形になった。
黒い雲を夕日が焦がして、赤と黒のグラデーションに染められた空を、光り輝く人がシンのもとへと降り立とうとしていた。
天使、とシンは本気で考えたものの、何のことはない。バレル隊長のガンダムローゼンクリスタルがミノフスキー・クラフトを使用してるだけのことだ。
ただ、それでもその姿はシンには天使のように頼もしくも、心強くも感じられた。
隊長の声がした。
「まさかこうも簡単に見つかるとは、シン・アスカ。お前には運があるようだ」
そうして、シンはカーペンタリア基地へと生還を果たした。
初めて訪れた格納庫はすでに一段落ついたのだろう。すでにパイロットたちの姿もまばらで、損傷の激しい機体の周りで奮闘する整備士の姿があるくらいだ。
そんな格納庫にいると、ルナマリアとヴィーノが慌てた様子で駆けつけてきた。
「シン、無事? 大丈夫?」
「まったく、無茶しすぎなんだよ。インパルスで水中戦なんて始めたみたよ」
「いける気がしたんだ。それに、ソード・シルエットの方が性に合ってるからな」
現金なもので、仲間たちの無事な姿を確認すると、シンの中で不安や恐怖は幾分和らいでいた、軽口に応じることができるほどの余裕を取り戻していた。
すでに格納庫の様子を把握しているたしい仲間2人が歩き出す後に、シンはついてくことにした。
もっとも、ヴィーノの軽口は歩いている間も続いていたが。
「まあ、シンのおかげでボズゴロフ級は50隻は救われたよ、きっと」
「大げさなんだよな、ヴィーノは」
保有数の正確な数は軍事機密であるため、50隻が基地が保有するボズゴロフ級のどれほどの割合かははっきりしなくても、50隻を救ったとなれば大戦果になってしまう。
「結局、1隻も沈められないで、機体をダメにしただけだったしな。後は、こんな無茶な作戦を許可してくれた隊長に感謝しないと」
ソード・シルエットの使用を渋るタリア・グラディス艦長を説き伏せてくれたのはレイ・ザ・バレル隊長だったのだから。その隊長も、今は姿が見えない。救助してくれたことのお礼を言おうとしていたのだが、シンは次の機会を待つしかないようだった。
ルナマリアとヴィーノが自動ドアを開いてシンを招き入れると、3人はそろって固まってしまった。そこに、ずらりと左右に並ぶ人の道ができていたからだ。全員が姿勢をただし、国賓でも出迎えているかのような厳かな雰囲気に、シンを含めた全員が圧倒されていた。
こんな出迎えられ方はザフトの英雄であるアスラン・ザラでもなければさらないのではないだろうか。そう考えたシンは、しかし道の奥に当のアスランが列に加わっていることを確認してしまった。
ルナマリアなど、シンを手招きした不自然な格好のまま固まってしまっている。
「ねえ、ヴィーノ……。道、間違えたかな……?」
「みたいだな……」
邪魔にならないうちに退散すべきだろう。そう、考えたシンの目は、人の道に加わっていたレイ隊長の姿を捉えた。
すっかり挙動不審になってしまっている3人の部下を眺める隊長は、小さくともはっきりと耳に届く声でシンを促した。
「行け、シン。これはお前のための出迎えだ」
まだ付き合いは浅いが、人を陥れるような冗談を言うような人ではないだろうと、シンはおそるおそる歩き始めた。後ろから、まるでシンを盾にしているかのようにルナマリアとヴィーノが続いていた。
道を進んでいくと、目の前に見知った男性が待ちかまえていた。しかし、知り合いではない。長髪の若い男性で、その凛とした眼差しは威厳に満ちている。その人は、シンどころかすべてのザフト兵士の頂点にあるひとだった。
ギルバート・デュランダル最高評議会議長、その人だった。
「シン・アスカ軍曹、そして、ルナマリア・ホーク軍曹。話は聞いている。この度は辛く厳しい戦いを乗り越え、よくここまでたどり着いてくれた。そして。アスカ軍曹、君の機転にこの基地は救われた。ザフトを代表してお礼申し上げたい」
テレビでしか聞いたことのない独特の響きと力強さを持つ声。慣れた手つきではないが、しかし迷いのない動きでデュランダル議長は敬礼をしてみせた。
「ザフトの英雄に」
左右を囲んでいた兵たちが一斉に敬礼をした。
外人部隊としてないがしろにされていたシンにとって、こんな日が訪れるなんてことは、考えたこともなかった。
暗い夜空にいくつもの光の柱を立てて、スペングラー級MS搭載型強襲揚陸艦の広大な飛行甲板に4機のインテンセティガンダムが並ぶ。そのどれもがシールドに青い薔薇を持つ。東アジア共和国のファントム・ペイン所属機が左右に2機ずつ並び、道を作り出していた。
道の前にはネオ・ロアノーク隊長を初めとする主立ったパイロットに加え、ヒメノカリス・ホテルに連れられた子どもが2人。ステラ・ルーシェはヒメノカリスのそばを離れず、アウル・ニーダは自分の機体と同系の機体を興味深げに見上げている。
インテンセティたちは一斉に膝を折る。パイロットが降りることを楽にするための行動にすぎないのだが、道の奥に1機のウィンダムが降り立ったことで様子は一変する。さも、王の参上にかしずく臣下のように見えたからだ。
それも決して的外れな印象ではなかった。インテンセティから降りたパイロットたちは乗機のすぐそばで敬礼する。その姿勢は、ウィンダムから降り立ったパイロットが彼らの目の前を通り過ぎるまで維持された。
ウィンダムのパイロットは今し方モビル・スーツから降りてきたようには思えなかった。白いスーツ姿であり、背が高く金髪碧眼。その歩く姿は映画のシーンのように絵になった。
この男性へと、ネオ・ロアノーク率いる隊員たちも敬礼する。お調子者のシャムスでさえ軍の形式に則った厳粛な姿勢をとった。
その時、ヒメノカリスはステラを置いて、アウル横を抜けて走り出した。ドレスが乱れることを構うことなく、その顔は恋に焦がれる少女のよう。
「お父様!」
愛しい人のその胸に飛び込んでその首に手を回して抱きつく。すると愛する父上はそっとヒメノカリスを抱き止める。王が寵愛する姫君をその腕に抱くように。
「寂しくはありませんでしたか、ヒメノカリス?」
そうして、黄金の玉座を持つ王は愛娘へ優しく囁きかけた。