ビームやレーザーのような粒子や波長にすぎないものを特定の形にとどめることは難しい。それでも敢えて挑みたいのなら、強力な磁場で抑え込むことが一番現実的と考えられている。磁力で粒子や波長を目的の形に封じ込めるのである。
だが、これには膨大なエネルギーを必要とし、わざわざ形作ることにエネルギー・ロス以上の意味があるようには思われない。特に、兵器に転用する利点は何もない。
ガンダムがかざしたのは、まさに荒唐無稽、絵空事である光の剣だった。ビームを剣の形に固定した、ビーム・サーベルとも呼ぶべき代物であった。
仮に磁場に形成を頼っている場合、攻撃力のほとんどを形の維持にもっていかれていることだろう。しかし、GAT-X105ストライクガンダムは一撃でザフト軍ローラシア級ガモフを斬り裂き、GAT-X207ブリッツガンダムのサーベルはたやすくTS-MA2メビウスの装甲を両断した。
ミノフスキー粒子という魔力でもって使役されるビームという魔法。それを操る魔術の正体を示すには、今一度ミノフスキー粒子にご足労願うこととなる。ミノフスキー粒子は、フェイズシフト・アーマーを構成するように、GAT-X207ブリッツガンダムのステルス機能を具現したように、散布した膜の波長や濃度等を調整することで様々な性質を発揮する。
性質の一つに、ビーム化を引き起こさない程度に高いエネルギーを持つ状態にしたミノフスキー粒子で膜--Iフィールドと呼ばれている--を作ることで発現することものがある。その性質として、高エネルギー状態のIフィールドとビームとが触れ合うと、接触面でエネルギーの交換が行われる。Iフィールド表面のミノフスキー粒子はビーム化し、ビームはミノフスキー粒子に還元されるのである。ミノフスキー粒子にしろ、ビームにしろ、同一のものは集まる性質がある。ビーム化した粒子はビーム側へ移動し、ミノフスキー粒子に還元された粒子はIフィールド側へと移る。すると、またエネルギー交換が行われ、ビーム化した粒子はミノフスキー粒子に還元され、ミノフスキー粒子となったはずの粒子はビームへと戻る。そして、再び互いの位置を取り替えるのである。
この行程が幾度となく繰り返される。そのため、反応は表面に限定され、擬似的なライデンフロスト現象を引き起こすことで平衡状態に陥る。
早い話が、Iフィールドはビームを弾くことができるのである。
そして、自己組織化を起こすビームやミノフスキー粒子は、レーザーなどにくらべると遙かに容易で小さいエネルギーで形を維持することができる。特にIフィールドはエネルギー値が低いため、より容易な形状管理が可能なのである。
わかりやすく言うなら、Iフィールドで無色透明の筒を作って、その中にビームを流し込めば、ビーム・サーベルが完成するのである。
また、Iフィールドそのものは物理的強度が弱い。目標に切りつけると、その衝撃でIフィールドは破れ、ビームが目標へと漏れ出すことになる。ビーム・ライフルのように発射時や、目標到達までの間に磨耗するようなことはなく、ビーム兵器の中でも特に高いエネルギー効率を誇る。接射に特化したビーム・ライフルのようなものである。目標破壊後は再びIフィールドが構築され、剣はもとの形を取り戻す。
ストライクガンダムはこの力で戦艦を、なんと切断してしまった。従来の戦術においてモビル・スーツといえども単機で戦艦に挑むことは無謀であり、まして白兵戦を仕掛けるなど論外である。それをたやすく成し遂げたビーム・サーベルという兵器は、すでに従来の兵器の概念を逸脱している。
ストライクガンダムの用いた大剣はそれどころか当初から対艦戦が想定されてさえいた。
対艦刀。それが、ゼフィランサスがストライクに与えた剣につけられた、新たな兵器の分類であり、ガンダムはすべての戦術、開発、戦場のあらゆる既存の概念に一石を投じていた。
敵戦艦を撃沈。そのことがキラ・ヤマトに何かしらの喜びや勝利の余韻というものを与えることはなかった。ただ邪魔な障害を一つ排除した。それだけのことだった。
大西洋連邦軍アーク・エンジェル級アーク・エンジェルの医務室にて、キラはノーマル・スーツ姿のまま壁に背を預けていた。腕組みをしたままその表情は厳しく、時折カーテンの向こう側へと視線が動いた。
カーテンの向こうからは船医と、それに受け答えるゼフィランサス・ズールの声が聞こえていた。声を聞く分には心配することもないらしい。一つの不安が取り除かれると、まだ何も問題は解決していないことが思い起こされる。
ゼフィランサスのことも、そして、それ以外のことも。
医務室は広い部屋だった。壁には引き出すと簡易ベッドになる装置が仕込まれ、キラに見えている範囲だけで1度に10人以上が治療を受けられることになる。重傷患者が同時に生じえる環境。ここが戦艦であると見せつけられる。
「結局、僕たちの居場所はこんな場所しかないのかな、ゼフィランサス……」
独り言だった。だから誰からの答えも期待していないし、誰からの返事もない。ゼフィランサスの治療が終わるまで、キラはここにいるつもりだった。もちろんゼフィランサスが心配だから。
そして、もう1つの理由は、くだらない時間稼ぎ。
よほど用心深い人でもなければすぐにでも艦内の構造を頭に入れようとはしないだろう。一度行ったことのある格納庫ならともかく、医務室にたどり着くまでには多少時間を必要とする。
ノーマル・スーツの手袋を外して、時計の秒針を眺める。普段なら気にもしない、時を刻む音が妙に耳障りに聞こえた。時計と、医務室の扉を交互に見て、予想した時間で扉に目を止めた。
残念ながら仲間の到着まで、1分近く扉を見続ける必要があった。やがて扉が開く。次々と仲間たちがキラにいろいろな声をかけてきたが、こんな時どうしたらいいのか、未だにわからない。とりあえず、軽く手を振ってみた。
ここが静かにすべき場所だとみんな、声を抑えていた。
「キラ……、無事だったんだな……」
真っ先に声をかけてくれるのは、いつもサイ・アーガイルだった。ほかのみんなも欠けることなく揃っている。ただ、1人を除いて。
「ゼフィランサスさんも……、無事みたいだな……」
清潔なカーテンの向こうからゼフィランサスと医師の声が聞こえている。ゼフィランサスの無口な様子に、医師は苦労しているらしい。
サイは急に眼鏡を拭き始めた。たしかにサイはトレードマークともいうべき眼鏡を大切にしていた。しかし、今サイが必要としているのは、視力の矯正ではなく、決心をつけるための時間なのだろう。
その姿は痛々しい。
どれだけ悩んだとしても、キラが言ってあげられることも、サイたちが聞く事実も変わらない。
「カズイは……、おいてきたよ」
要塞の床に血溜まりを作って倒れていた。血液には表面張力があるため、一度床にへばりついた血液は無重力下であって這うように広がっていく。おびただしい出血、内臓にまで達する重傷。そんなカズイ・バスカークを、キラは置いてきた。
一度はとめかけた手でサイは眼鏡をかけなおした。その顔から曖昧な笑みはなくなっていた。サイばかりではない。みんながみんな、同じような顔をしている。
その中で唯一空気を変えようと務めたのは、アイリス・インディアだった。キラのあげた黒いリボンがつい目に付いた。暗い色であることに何の責任もないはずだが、アイリスの表情そのものを沈めている元凶にさえ思えた。
「キラさんは……、とても立派ですよ……。戦うなんて、とても怖いことなのに務め上げてます。それに……カズイさんのことも、必死に助けようとしてくれたんですよね……?」
暖かいと感じたはずの笑顔が目を背けたくなるほど辛く思える。
「キラ……」
トール・ケーニヒが名前を呼んできた。その手はミリアリア・ハウとしっかり結ばれている。もしかしたら、この2人は付き合っているのかもしれない。これまで気づきもしなかったことに気づくのは、意識を意図的に散漫にしている証拠だろう。
「カズイは、僕が見つけたときにはもう瀕死の重傷で、助けられる可能性に比べて、リスクの方が大きすぎた……」
「カズイを助ける気なんて初めからなかったんでしょ……!」
フレイだった。
感情的とさえ言いがたい目をしている。瞬きが極端に乏しく、それでいて見開かれてもいない。憎悪というより、気だるい殺意にも近い眼差しでキラを捉えていた。
「同じコーディネーターがそんなに大切? あの女さえ助けられればそれでいいの?」
「言い過ぎだぞ、フレイ!」
制止しようとするサイの手を振りきって、フレイは扉の方を目指した。スライド式の自動ドアが開くまでの少しの時間が惜しかったのだろうか。最後にキラを一瞥するだけの余裕を見せた。ひどく冷たく、1つの感情しかないという意味でとても澄んだ瞳で。
フレイは部屋を出ていった。
「フレイさん!」
アイリスが追いかけて後に続く。
残されたのはキラたちと、重たい沈黙。息苦しさに耐えられなくなって、トールとミリアリアが部屋を出ていった。ごめん。そう、何に対して謝っているのかわからない言葉を残して。
キラもサイも2人を見送って、それから視線を戻したものだから、つい目があった。サイの方から目をそらす。それは、敵意の現れではなく、単に人と視線をあわせる気恥ずかしさだろう。
視線はそらしたまま。しかし、照れくさそうに髪をかきながら、サイは話を始めた。
「俺さ、お前のこと勘違いしてた。気が弱くてさ、そのことで損ばかりしてると思ってた」
そう思われるよう、目立たないよう過ごしていた。演技が思いの外うまくいっていたことについ自嘲したくなって、それを堪えた。
「でも違ったんだな。お前はすごい奴だった……。モビル・スーツの操縦なんて、簡単にできることじゃないんだろ」
訓練を積んでいない者が動かすことは不可能に近い。そのことを教えてあげる気にはなれなかった。キラの過去を類推する材料を与えることになるからだ。
そう、黙っていると、サイは目をそらす。今度は、敵意をにじませて。
「正直、カズイを置き去りにしたこと、俺は納得してない。本当にどうしようもなかったのか……?」
キラは何も答えない。答えることができない。サイは言葉を続ける決意に、若干の時間を必要としたようだった。
「でもな、キラ、俺は、お前が平気で人を見捨てたりするような奴じゃないってことくらい、理解してるつもりなんだ……」
複雑な表情とは今のサイのような顔を言うのだろう。軽い興奮を示して瞳孔が大きく、何かを言い出しそうに口が不規則で不必要に動いていた。
「フレイのこと、気にするなって言っても無理だと思うけど、あまり思い詰めるなよ……」
何も答えないままのキラを置いて、サイもまた部屋を出ていこうとする。扉の前でフレイと同じように一度だけ振り向いて、今度は悲しそうな顔が見えた。
そんな顔の友人にさえ、キラはかける言葉がなかった。サイが医務室を出ていく。まさかそのタイミングを見計らった訳ではないだろう。カーテンが開いて、ゼフィランサスが姿を現した。
その赤い瞳にすがるように、キラは少女の双眸から目を離せないでいた。
医務室を抜け出したフレイをアイリスは追いかけた。無重力ではどんなに急ごうとしても、走ることはできない。フレイが普通に進んでいても、追いつくまでには時間がかかってしまった。
「フレイさん……!」
フレイはかまわず進もうとした。だが、ここはアイリスの知る限り、艦内でもっとも長い通路だった。まくことなんてできないし、人が来る様子もない。
観念したらしく、フレイは振り返った。その顔は、これまで見たこともないくらい、怖い顔をしていた。
「あいつがカズイを見殺しにしたのは事実でしょ!」
キラがしてしまったこと。それよりも、カズイはもういない、そんな事実を突きつけられた思いだった。今更どうすることもできない。
どれだけカズイはもういない。助けることができないと言い聞かせても、焦りだけが心の中に取り残される。
「アイリスだって憎いんでしょ、キラや攻めてきたコーディネーターのことが!」
そんなことない。そう言おうとして、しかし、口を開けることしかできなかった。日常と友達を奪われて、心穏やかにいられるほど、アイリスは強くない。
友達が偏った考え方に毒されてしまうことだけはとめたい。ただそんな思いだけが、唯一アイリスを支えた。
「で、でも! コーディネーターがみんな悪いだなんてそんな……」
フレイは口の端を歪めて、そこから吐息をもらした。おしゃれで、しっかりした彼女がこんな皮肉めいた顔ができるなんて、これまで考えてもみなかった。
「あの人もそう言ってた。コーディネーターなんていなくても、ナチュラルはナチュラル同士で争ってきた歴史があるって」
誰のことを言っているのか見当がつかない。ただ、とても素敵な人なのかもしれない。その人のことを言っているフレイは、女の子の顔に戻っていた。
それもつかの間のこと。フレイは再び、瞳を怒りに染めた。
「でも! ヘリオポリスを攻めたのもコーディネーター! カズイを見捨てたのもコーディネーター! この戦争だって、コーディネーターがいなかったら、起きなかったじゃない!!」
事実の積み重ねを否定することはできない。アイリスは一方的に聞く側に回っていた。
「キラが、あいつがカズイを見捨てて、あの女を助けたのは事実でしょ!」
そう言い捨てて、フレイはアイリスに背を向けた。今のアイリスに追いかける気力はない。
「……私もコーディネーターですよ……、フレイさん……」
フレイがコーディネーターを憎みつつある中で、自分はどう扱われてしまうのだろう。そのことは、とても怖くて、聞く事ができなかった。
精密検査を要求する医者を無視する形で、ゼフィランサスは部屋に戻っていた。自分の体、というのもおかしな話だが、ゼフィランサスの心臓はそれほど弱くない。検査をする時間があるのなら、ガンダムの戦闘データをまとめておきたい。軍務を邪魔するつもりかと脅しつけて自由を得た。
そのはずが、余計なものがついてきた。
医務室からキラがついてきて、図々しくもゼフィランサスの部屋に上がりこんでいた。椅子に腰掛け、こちらの様子をうかがうばかりで何も言い出そうとしない。椅子の座り心地が気に入ったわけでもないだろう。
このままでは仕事にならないかもしれない。
ゼフィランサスはキラの顔を覗き込んだ。
「男っていうのは本当に身勝手……。普段は、一人でも平気って顔しながら……、何かあるとすぐ女にすがろうとする……」
目をそらさないくらいの気概はあっても、言い返すことさえできないらしい。
「10年前と今日……。キラはそれぞれ1つずつ罪を犯した……。1つは私を救ったこと……。もう1つもやっぱり私を救ったこと……。そんなに後悔するくらいなら……、私なんて……」
キラが突然、腕を掴んできた。どれだけ気が弱っていても、力は強く離そうとしても離せるものではない。掴ませるままにしておく。
「君を助けたことに、後悔なんてしてないよ……」
では、掴まれた手を通じて伝わってくる震えは何だろうか。キラを震わせている原因は一体何だというのだろう。
ゼフィランサスは指先をキラの額に当てる。特に意味はない。ただ、こうして見ると、自分の肌が如何に白いかがよくわかる。
「あの少年を助けていてはストライクが危険にさらされた……。あなたの判断は正しい……。そんなことを言ってもらいたいの……?」
キラは涙さえ流し始めた。涙なんて、10年前に1度見たきりだった。あの時、キラは抱きついてきた。こんなところは昔のまま、変わらない。
「違う……。違うんだ……」
ゆっくりと手を引き寄せられ、キラはゼフィランサスに抱きついた。正確には、すがりつかれたとする方が正しい。まるで子どもでもあやしているような気分にさせられる。子どもにしては、抱きついてくる腕の力がとても強い。髪が傷んでしまわないか気になった。
「僕は判断が間違いだったとは思わない! でも!」
涙声がずいぶんと力強い。単なる強がりなのだろう。
「もし君とカズイが逆の状況だったとしたら……、僕はどんな危険を冒してでも君を助けようとした。……結局、僕はカズイを……、友達を見捨てたんだ……」
どうして男は自ら進んで傷ついて、それを女に慰めてもらおうとするのだろう。
キラの傷つくことを恐れない強さも、傷ついた体を休める場所を求める弱さも、どちらもゼフィランサスには受け入れがたいものであった。特に何かしてあげることもなく、ゼフィランサスは抱きつかれるままにしていた。
アーク・エンジェル艦長であるマリュー・ラミアスは一番高い席に座り、集まった主立ったクルーたちの前にいた。
「これはエインセル・ハンター代表より渡されたヘリオポリスの被害状況の報告書です」
アルテミスで、エインセル・ハンター代表から別れ際に渡された資料が手元にある。まだ日が浅いため詳細とは言いがたいものだが、アーク・エンジェルに関わりのある出来事を中心に報告書はまとめられている。この中に気になる記述があったことを、マリューは問題としたのである。
「この報告書によると、ヘリオポリスの住民票の中にキラ・ヤマトという名は存在しません」
このことに1番反発したのは、ナタル・バジルール少尉だった。
「スパイの可能性がある、そう仰りたいのですか?」
艦長席を立ったまま囲むクルーたちの中で一番姿勢が整っているのはこのバジルール少尉である。それが少尉の生真面目さの表れだとはそろそろ気づくようになった。
「たしかに、モビル・スーツはマニュアルもなしに、それも少々乗ったくらいで戦闘が行えるほど簡単なものではありません。しかし、彼は難民です。民間人を徴用しておきながら、今度はスパイの疑いをかけるなんて、私は反対です!」
続いて意見を述べたのは、椅子の背もたれに座るムウ・ラ・フラガ大尉。こちらはいつも姿勢がだらしない。
「俺も理由は違うが、坊主がスパイとは考えてない。戦火を恐れて逃げ回って、偶然モビル・スーツに乗り込んだら操縦できて敵を撃退できました。俺がスパイだったら、こんなシナリオは使わないな」
マリューは髪を書き上げながら頭を抱えた。確かに、ヤマト軍曹がストライクに乗ることになったのは偶然があまりに絡んでいる。ただ、疑問は消えていない。
1つは、ヘリオポリスのザフトにしろ、アルテミスのエインセル・ハンターにしろ、極秘で開発されていたはずの新型の情報が漏れている気配があること。
そして、ヤマト軍曹とゼフィランサス主任との距離があまりに近いことが妙に気にかかる。
すると、まるで見計らっていたかのように、ゼフィランサス主任がブリッジに姿を現した。相変わらず妖精か何かのように不思議な雰囲気の少女である。大人が顔を突き合わせて話をしているというのに、重苦しい空気をものともしないで無表情を貫いている。
こんな摩訶不思議な娘の相手を、付き合いが長いはずのナタル少尉は心得ているようだった。その方法とは、特に何も気にしないで話かけることであるようだ。
軍艦にドレス姿の少女が乗っていることに何の違和感も感じていないように、ナタルは話しかけた。
「ゼフィランサス主任。キラ軍曹についてお聞きしたいのですが?」
「泣き疲れて……、寝てる……」
返事は意表を突くほど早かった。そのせいか、マリューも、ナタルも、反応が遅れた。つい2人の関係を邪推して、否定して、また邪推して。その繰り返しが頭をめぐった。まだ2人とも若い。しかし、若いからとも言えなくもない。
こんな中で、ムウ大尉が妙に真剣な顔をしていたことが印象的だった。
「ゼフィランサス。あいつと何があった?」
真顔のままで、ムウはその頬をゼフィランサスに引っ叩かれた。
マリューとナタル。2人の女性は、偶然にも口をそろえて呆れ果てた。
「……あなたは、思春期の娘を持つ父親ですか……」
まるで、親にお説教部屋に連れていかれる子どものような居心地で、ラウ・ル・クルーゼは立っていた。
隊長室には専用のモニターが備えられている。これさえなければ、デスクがおかれているだけのずいぶん殺風景な部屋だ。そのことを嘆くつもりはない。ラウが私物を持ち込んでいないだけのことだからだ。必要最低限のものしかこの部屋にはない。
たとえば、一番上の引き出しを開けると、仮面のスペアがいくつも並んでいる。手前の一つを取り出して、今つけているものと取り替える。
誰かに素顔をみられる恐れはない。部屋には鍵をかけてある。これから、モニター越しとはいえ、上司にお説教を受けなければならない。部下にそんな姿は見せたくないものだ。
通信が入ったことを知らせる呼び鈴を聞いてから、ラウはモニターの前に立った。
ザフト式の敬礼で出迎える。すると、モニターの男は気だるげに手を上げて、敬礼を解くよう仕草で示す。ラウが手を降ろしたことによって、決まりきった挨拶がようやく終わる。
男は薄い紫色の礼服、議員の制服がさも重いかのような勿体ぶった動作で椅子にもたれ掛かった。
「ラウ・ル・クルーゼ。私は、お前に期待をかけておったのだがな」
しわの混じった彫りの深い顔つきに、さらに深いしわが刻まれる。
「ご期待に添えず、返す言葉もありません。パトリック・ザラ国防委員長」
彼には2つの肩書きがある。ザフト軍を統括する国防委員長。そして、プラント最高評議会副議長である。敢えて付け加えるとすれば、部下であるアスラン・ザラの父親でもあった。
「しかし、ご子息の御活躍は素晴らしい。新型を撃墜したばかりか、奪取にも成功いたしました」
もう2、3、美辞麗句を並べてみようかと考えたが、パトリック国防委員長は眉をつり上げてこれを制した。
「民間コロニーの破壊。このことは評議会でも問題視されている。貴様を被告として召喚せよとの声もあがっているのだがな」
次のテストもこの点数なら、怖い母さんに言いつけられてしまうらしい。
「成果を見せることだ。さもなければ、私もお前をかばいきれん」
手土産がなければ口添えはしない。なるほど、物は言い様とはこのことだ。
「では、新型の開発者の身柄では如何でしょう? これはご子息によって判明した事実ですが、開発者は見目麗しい少女です」
「ヴァーリか……!」
つい発してしまったのだろう。ヴァーリ。その言葉を、ラウは聞き逃さなかった。しかし、黙して国防委員長の反応を待つ。
「ジンを6機ほど回す。必ず連れてこい。そうすれば、功績として認めてやらんでもない」
モニターは一方的に打ち切られた。こんなところも親からのお叱りによく似ている。もっとも、ラウにとって、親とは嘲笑と侮蔑の対象でしかないのだが。
カズイ・バスカークが突然いなくなった。
7人いた友達が6人になった。単に1人減っただけ。それでは説明がつかないほどの孤独を、アイリスは感じていた。
フレイはみんなを避けることが多くなった。
トールとミリアリアは2人でいることがほとんどで、邪魔をすることがためらわれる。
サイ・アーガイルは雑談に応じてくれる。でも、サイも周りとの距離に戸惑っているようで、アイリスと同じような立場で孤立していた。キラは格納庫に籠もりがちで、いつもゼフィランサス一緒にいるらしい。
誰かといると、かえって孤独が強調される。1人でいたい。アイリス自身、そう考えることが多くなった。
部屋は相部屋。食堂や休憩室はトールたちがいることが多い。この戦艦の中で、1人になれる場所はシャワー・ルームくらいしかなかった。
無重力で水滴を発生させるのは窒息の危険がある。そのため、シャワー室は脱衣所の奥に、まるで試着室みたいに個室が並んだ構造で上から降らせた水を床で吸引する装置が各部屋に備えられていた。曇りガラスの扉を閉めると、1人になることができる。
ここはあくまでも戦艦であった。水資源節約のため、1度に使用できる水量は決まっていた。規定量の水を使いきると、お湯はでなくなる。それでもシャワー室を出る気にはなれない。濡れた体のまま立ち尽くして、体に張り付いた髪が冷たい。手足もすっかり冷えてしまった。
「そろそろ、出ようかな……?」
出たところで何も予定なんてない。そもそも軍事的な計画なんて知らせてもらえるはずがなくて、ただ仲間たちとの距離を感じながら無為に時間をすごさなければならない。
そんな時、誰かが隣のシャワー室に入ってきた気配があった。妙に静かな足音で、アイリスの隣の個室に入ったようだ。シャワーを一浴びしたくらいの事件で水の流れる音がとまった。
扉が開く音。もう一度足音がする。あまりにあっさりとした行動は、ある人物を連想させた。
気になってつい、扉をあけた。すると、予想通り、ゼフィランサスがタオルで体を拭いていた。波立った髪が水で伸びて、床についてしまいそうな長さがある。そんな長い髪から丁寧に水気をとっていた。
ここで、扉を閉め直すのは不自然に思えた。体も冷えてしまっている。もう頃合いだろうと、脱衣室に敷き詰められたフローリングに、そっと足を降ろした。
木の軋むかすかな音がして、ゼフィランサスが振り向いた。表情のない顔がアイリスを見る。
「こ、こんにちは……」
挨拶してみる。すると、ゼフィランサスは別のタオルを手にとって、差し出した。少し考えて、タオルをとってくれたのだと気づく。
「あ、ありがとうございます」
あわてて受け取ろうとしたため、動作がずいぶんぎこちなくなった。それでもゼフィランサスは気にした様子はない。すぐに髪を拭くことを再開する。
本当に長い髪で、アイリスが体を一通り拭き終えた後でもまだ終わっていなかった。アイリスが服を着終わったところで、まだ下着姿をしているくらいだ。
下着はずいぶん露出が少ない。レースが編み込まれたシャツに、たしかドロワーズとかいう名前がつけられている膨らんだパンツを身につけていた。
まるでお人形のよう。そう考えたのは何度目のことだろう。
それにしても、普段身につけているドレスは一体どんな手順で着るのだろう。単純な好奇心からつい視線を向けすぎていた。視線に気づいたゼフィランサスが、アイリスを見た。
見すぎていただろうか。そう気づいたときにはすでに遅く、ゼフィランサスがゆっくりと近寄ってくる。表情がないため、本当に何を考えているのかわからない。
「アイリスお姉さま……」
声にしても、抑揚らしいものがなくて、息がつまる思いがした。
ゼフィランサスは、手をアイリスの顔へと伸ばした。耳を隠すくらいに伸びている髪に白い指が触れて、そのまま止まってしまった。
「髪……、少し梳いた方がいい……」
今度は手を掴まれて、鏡台の前にまで連行されてしまった。床に固定されている円椅子に座らされると、ゼフィランサスは慣れた手つきでアイリスの髪に櫛を入れ始めた。 髪が長いゼフィランサスだけあって、とても慣れた手つきが心地よい。
「ありがとうございます……」
返す言葉は、つい短くまとめたものに限られてしまう。同年代なのにどんな話題を振ればいいのかまるでわからなくて会話をどう広げてよいものかわからない。
固くなった体に、それでもゼフィランサスは優しい手つきで髪を梳いてくれている。
この頃、どうしても気が沈みがちで、髪のお手入れをする余裕がなかった。思えば、キラに黒いリボンをもらった時以来ではないだろうか。
「キラさんに手櫛で梳いてもらって以来ですから、とても助かります」
気のせいだろうか。急に手つきが荒くなった気がする。鏡越しにゼフィランサスの顔をうかがうと、表情は変わっていない。それなのに、どうしてだか怒気を含んでいるように見えてしまった。
「キラって妙に思わせぶりなとこあるから……」
声の調子は変わっていない。ただ、その言い方はまるで、その程度のことで勘違いするなと念を押されているようにも思える。
両手を足の上で強く握りしめて、つい緊張してしまう。
鏡の中では、色と髪型が違うだけ。同じ顔をして少女が2人、緊張した顔と無表情な顔を見せていた。本当に、よく似ている。
「ねえ、ゼフィランサスさん……、私って、あなたのお姉さんなんですか?」
「そう……。でも……、アイリスお姉さまはそんなこと知らないはずだし……、知らない方がよかった……」
これはきっと、何も話してくれないということなのだろう。物心ついた時には児童福祉施設に預けられていてエインセル・ハンターの援助を受ける形でヘリオポリスの学校に進学した。コーディネーターであること、ただそれだけで少し人とは違う。それくらいに考えていた。
ゼフィランサスは櫛を鏡台へと戻した。それは単に髪を梳くことが終わっただけで、それ以上の意味はないらしい。アイリスを残して鏡台を離れていきながら、言葉だけは続けてくる。
「だって私たちは……、ヴァーリだから……」
ゼフィランサスはそうとだけ言うと、ヴァーリが一体何なのかを答えてくれることはなかった。それだけ言いにくいことなのか。それとも聞かれるとは考えてなかったのか。
でないとしたら、服を着ることに集中し過ぎているからかもしれない。
ゼフィランサスの黒いドレスは一筋縄ではいきそうにない。袖にフリルが施されたシャツを着る。スカートは二重構造で、内側のレース部分独立していた。波打った独特の質感をだすためか、ボタンの位置がばらばらで、いろいろなところでとめながら腰に巻き付けていた。外側のスカートもボタンが多い。中にはデザインのためだけのボタンも含まれていて、もうどこをどう止めたのかもわからなくなってきた。上着は比較的単純な構造ながら、リボンや紐を結ばなくてはならないことがやたらと多い。
そんな面倒な服を身につけているゼフィランサスの姿に、アイリスはつい笑ってしまった。一生懸命な様子がとてもかわいらしい。
単機で敵要塞への破壊工作を行う。そんな危険任務を成功させたディアッカ・エルスマンはずいぶんと上機嫌な様子だった。
ザフト軍ナスカ級ヴェサリウスには、クルーが休憩に用いる部屋がある。そんなに広いものではないが、クルーが交代制であることを鑑みるなら、十分な広さがあるはずだった。
ただ、現在の休憩室は大いに込み合っている。特例としてブリッジ・クルーたちが同時に休憩をとることが許された。その上にその大半が押し寄せているのだから、手狭になるのも当然である。
アスラン・ザラは休憩室の入り口付近にもたれ掛かっていた。群衆からは離れた位置だ。
ソファーは3つしか用意されていない。そのため大半の人が立っていた。ディアッカは、ソファーの1つを独占していた。手を背もたれにそって大きく広げ、足を前に突き出す。
こんなディアッカの態度も今回ばかりは許される。何といっても、主役だからだ。
「俺は1人神経を尖らせてた。いくらレーダーに完全に写らないとは言ってもだ、目撃されればそれで終わり。たとえ要塞にたどり着けたとしても、侵入する前に見つかっちまえばそれでも終わりだ」
ディアッカが1人で要塞の機能を麻痺させたことの武勇伝を、大げさな手振りで語っていた。
クルーたちは、新型の想像外の性能に強く興味引かれているのだ。同行していたローラシア級ガモフが撃沈させられた事実も手伝って誰もが無関心ではいれらないのだろう。アスラン自身、ディアッカの話には強い関心を寄せていた。
「だが、俺もブリッツも敵の警戒網をかいくぐり、そしてハッチを発見した。後は思い切りだ。恐怖や不安なんてなかった。ただ、ハッチを破壊して、後は獅子奮迅の大立ち回りだ」
話の内容には、いささか誇張が含まれているようだ。報告としては問題だが、群衆からはどよめきが起こる。ディアッカは両手で何かを押さえるような仕草で群衆に静聴を促すと、すぐに話に戻る。
「戦いに明け暮れる俺の目の前に現れたのは、なんと黒いドレスを着た少女だった」
アスランは壁から背中を離した。ようやく、聞きたいことを聞くことができそうだ。
「その少女は白い髪に、透き通るような肌をしていた。まるで、天使や妖精、でなけりゃ吸血鬼か死神みたいだった。俺は一目でわかった。この娘が、新型の開発者なんだってことがな」
群衆の中からとても技術者に見えない娘を開発者だとわかった理由を問いただす声がした。ディアッカは余裕の笑みで返す。
「感じたからだ。俺の相棒が、ブリッツがあの娘を傷つけたがってないってことをな」
髪をかきあげ、ずいぶんと気取った様子だ。ただ、この話の中にアスランから特徴を聞かされていたという事実は含まれていない。沸き立つ群衆の後ろで、アスランはやれやれとため息をついた。これくらいの誇張は見逃していい範囲だろう。
それよりも、ディアッカがアルビノの少女を見たという事実を確認できたことの方が重要である。
「やっぱり、生きていたんだな、ゼフィランサス……」
ここまで喧騒が激しいと、アスランの独り言を聞いている人などいない。そう考えていたが、実際はそうではないらしい。
アスランは腕を引っ張られる感覚に、後ろを振り向いた。ジャスミン・ジュリエッタがここを抜け出してついてきてほしいと目配せしていた。視力供与バイザーで目をうかがうことはできないのだが。
ジャスミンに手を引かれたまま休憩室を抜ける。すると、ジャスミンは休憩室のすぐ外で止まった。単に声が通りさえすれば十分と判断したためだろう。まだ休憩室の声が聞こえているが、会話の邪魔になるほどではない。
「ゼフィランサスのことか?」
聞いておきながら、これ以外の話題であるとは微塵も考えていない。
ジャスミンは律儀に首を縦に振る。バイザーは重いだろうに。
「はい。アルビノで、それで技術者と言ったらやっぱりゼフィランサスですよね」
そのどちらかならともかく、両方がそろってしまえば間違いはないだろう。
「それに新型はゼフィランサスが話していたものとよく似ている」
「私も人伝で聞いたことがあります。たしか、ガンダム。そう呼んでいました」
2人は等しく、かつての仲間が描いた鋼鉄の巨人を心に浮かべていた。
整備士ほど緩急がはっきりとした職業もそうはないのではないだろうか。ナタル・バジルールは格納庫を見下ろす総合管理室から作業の様子を眺めながらそんな感想を抱いた。
たとえば、GAT-X105ストライクガンダムの周りでは幾人もがあわただしく動いていた。装甲の強度確認をする者がいたかと思えば、装甲を取り外しフレームの点検に取り組む者がいる。連戦をくぐり抜けた機体は、それだけ入念なメンテナンスを必要とする。
それに対して、TS-MA2mod.00メビウスゼロの周りでは、わずか数名が定期チェックを行っているだけだった。
コロニー内、要塞内など室内戦が続いた。メビウスゼロでは対応できない戦いだったのである。ストライクの高い汎用性と比べると、メビウスがどれだけ限定された戦場でしか戦えないかがよくわかる。
アーク・エンジェルに乗ってからの短い間でさえ、幾たびこの戦争の縮図を見せつけられてきただろうか。
格納庫を見下ろしていると、ノックがされた。扉のすぐ脇にはインターフォンがついているのだが、この艦の構造に慣れていない誰かなのだろうか。
とりあえず直接声で返事をしておく。すると開いた扉から桃色の髪が中をのぞき込んで来た。
「ナタルさん」
「アイリス、こんなところにどうした?」
部屋に入ってきたのは顔なじみの少女だ。騒動に巻き込まれて、この頃ふさぎ込んでいるように思っていた。しかし、今の表情はどことなく明るい。何か、いいことでもあったのだろうか。アイリスは胸の前で手のひらを合わせて、その手をやや傾かせていた。この仕草は、アイリスが機嫌のよいときに行うことが多い。
「ナタルさん、ゼフィランサスさんて、かわいい人ですね」
ナタルは首を傾けた。これはよくわからないときする、ナタルの癖だった。アイリスはそれを知ってか知らずか、親切丁寧に解説してくれた。
「お話しする前は、無口で不愛想で、少女趣味の血も涙もない人なのかなって思ってましたけど」
アイリスは笑顔だった。どうやら、ゼフィランサス主任の意外な一面が観られたことが嬉しいらしい。
ただ、人の思いも寄らない一面を見たのは、ナタルも同じである。
「君も案外と口が悪いな……」
つい身構えてしまう。人懐っこいアイリスの笑顔が、今は恐ろしいものに見えていた。
「それで、私考えたんですけど、やっぱり理解するためには、一度しっかりとお話した方がいいと思います」
アイリスの笑顔に、突然寂しさが混じった。もしかすると、これは彼女にとって、精一杯の自嘲であるのかもしれない。本当なら、戦艦に乗っていたいわけではないはずだ。しかし、事態が悪いなら悪いで、そこで最善を尽くそうとするアイリスの前向きさがようやく出てきたようだ。
「私たち、もしかしたらこの艦に長い間乗るかもしれないじゃないですか?それならもっとクルーの人のこと、知っておいた方がいいと思いませんか?」
「親睦会を開きたいということか?」
アイリスは笑顔を取り戻してうなずいた。
思えば、アイリスとはそう短い付き合いでもない。送り迎えと身辺警護が主な接し方であったが、アイリスの気さくな人柄は人として好感のもてるものだった。状況が悪いなら悪いなりに。そんな彼女を後押ししてあげたい気持ちになる。
クルーはナタルが、難民たちはアイリスが話を持ちかけることで意見の一致をみた。
「私自身、マリュー艦長とは日が浅い。確かにいい機会だ。首に縄をかけてでも集めてみせよう!」
自分でも驚くくらいはっきりとした声が出た。コンソールに手をおいて身を乗り出すと、管制室の窓を通して格納庫の様子が見えた。
「お願いします、ナタルさん!」
完全に笑顔を取り戻したアイリスが敬礼してみせた。厳密に言えば、姿勢がおかしく、正規の敬礼ではない。しかし、そんなことは些細な問題だ。
「任せておけ。整備の連中がほどよい縄を持っていたはずだ」
眼下には、格納庫の脇に固定されている縄が見える。命綱にでも使うものなのだろう。強度、太さは申し分ない。
だが、なぜだか、アイリスは敬礼した姿勢のままで顔を引きつらせていた。
「ナタルさん……、冗談ですね……?」
その後、ナタルはクルーを回ることとなった。
ブリッジ・クルーは厳しい交代制が守られている。戦闘中はもちろんのこと、航行中も一定の人員が配されているのである。何人の人が集められるか、ナタルには確信はなかった。
しかし、アイリスとの約束を守る覚悟だけは固まっていた。
懇親会のことを、ブリッジの艦長席に座るマリュー・ラミレス大尉に打診した。
その姿を見るときはいつも艦長席に座っている印象がある艦長は、取り付くしまもないぶっきらぼうな返事をした。
「認めません」
現在は敵との遭遇がまず考えられない航行中だとは言え、クルーを持ち場から離すことはできない。また、難民はいずれ本体と合流次第安全な経路でオーブに帰す。それまでは辛抱させておけばいい。それが、ラミアス大尉の説明、その要約である。
それはナタルとて理解している。だが、ここで引き下がるわけにはいかない。
「彼らは我々の戦闘に巻き込まれたばかりか、大切な人まで失っているのです! それを単なる難民として扱うことに、私は反対です!」
普段、階級が上であるマリュー艦長には、話しかける前に敬礼していた。ところが、今回はそれを失念していた。自分でも考えていた以上に熱くなっているようだ。
マリュー艦長は席に備えられたコンソールを操作している。もはや、ナタルの言葉に耳を貸すつもりもないようだ。職務に忠実なことは結構だが、納得はできない。
「ラミアス艦長!」
怒鳴りつけるように名前を呼ぶと、ようやくこちらを向いてくれた。無論、意見に耳を傾けてくれるのではなく、耳障りだと視線を飛ばすためだった。
「そんなものを開いて取り繕ったところで、私たちがしたことが帳消しになることもないでしょう」
一触即発とはこのことだろう。互い互いに睨み合う。
ブリッジのクルーたちが心配そうな様子でこちらを見ていた。すまないとは思うが、ここで引くことはできなかった。言い返そうと息を吸い込もうとしたところで、割ってはいる人物がいた。
特にすることもなく、開いた席に座っていたフラガ大尉が、読んでいる本を閉じようともせずに声を出した。脚をコンソールへと投げ出し、そもそもナタルたちの方へ振り向いてもいない。ずいぶんといい加減な様子には、もう見慣れてしまった。
「懇親会くらいしてもいいだろ。敵さんも戦艦まで失ったんだ。すぐには来ないさ。ブリッジのことなら、俺が留守番しててもいい」
マリュー艦長は無論、こんなことで納得していない。呆れたように頭を抱えた。ナタルでさえも援軍と判断していのか、掴みかねていた。
マイペース。そんな言葉がとても似合う様子で、ムウは次のページを開いた。そのついでのような口調で言葉を続けた。
「それに、難民にヘリオポリスでの一件を悪く言ってもらいたくないなら取り繕ってでも心証をよくしておいた方がいいんじゃないか? 穏健派が民間人のいるコロニーで兵器を開発していた。俺が急進派なら、プロパガンダの材料に使うな」
この言葉には、マリューとナタルは顔を並べて絶句した。
たしかに、難民が家族や友達を奪われたと証言すれば、穏健派は戦争犯罪者のレッテルを貼られてしまう。そうすれば、大西洋連邦は、ひいては地球連合は急進派が牛耳ることになる。
ナタル以上に、マリューは深刻な顔をしている。
「でも、まさかそんな……」
「フレイ・アルスターだったか。あの子とエインセル・ハンターがいっしょにいた」
間髪いれず、ムウは答えた。
マリュー大尉は口元に手をやった。唇で親指を軽く挟むのは、艦長の悩んだときの癖なのだろうか。
アイリスは扉の前にいた。この扉の先はアイリスたち女性3人の相部屋である。眠るときはもちろん、ここで床につく。ただ、それ以外のときは別の場所で時間を潰すことが日課になりつつあった。
この部屋は普段、フレイが篭っているから。
サイは懇親会の話に興味をもってくれた。トールとミリアリアは正直乗り気でないのだろう。それでも開催されるなら参加を約束してくれた。
キラは忙しいと断られた。まだ付き合いが短くて、どんな人なのか捉え切れていないにしても、それは意外な感じがした。その後、そばにいたゼフィランサスがあっさり参加を表明した。すると、キラがやっぱり参加すると意見を翻した。
現金な少年の様子と参加してくれることについ笑みをこぼしてしまった。
その時はみんなが参加してくれることが嬉しくて、気分も軽かった。ただ、それはこの扉に近づく度に重く沈んでいった。
フレイとは、満足な会話をこの数日していない。朝の挨拶と、寝る前の挨拶くらいしかしていない気がする。でも、それだからこそ、フレイには参加してもらいたい。意を決して、扉を開いた。
スライド式の扉が開くと、中は真っ暗だった。
「フレイさん……」
声をかけると、奥の方でかすかに動くものがあった。よく見えなくても、フレイの綺麗な赤い髪が部屋に差し込むわずかな光にかすかに映っていた。
手を扉の縁にかける。これで、扉が閉じることはない。
「ナタルさんと相談して、クルーの人たちと懇親会を開こうってなりました。いろいろな人のお話が聞けると思いますよ……」
返事はない。
「知ってます? ゼフィランサスさんて、ああ見えて、結構やきもち焼きなんですよ。キラさんに髪を梳いてもらったこと話したら、ちょっと怒ってました……」
どうしてだろう。声を明るくしたいはずが、言い終える度、語尾が小さく消えていく。どうしても、部屋に足を踏み入れることができない。
来ない返事を待っていることが怖い。
「フレイさん……、私、待ってますから……」
アイリスは返事を待つことなく、扉から手を離した。扉が、ゆっくりと閉まった。