剣と魔法のファンタジー世界がある、などという与太話を、ゴッチ・バベルは素直に信じた。冷たい留置所にぶちこまれていた時の事である
 留置所は、ゴッチに知れる範囲では他にも六部屋程あったが、中は空だった。七部屋を一区画として、ゴッチの居る区画には、ゴッチしか居なかった
 区画担当の監視員である男は四十歳で、丁度ゴッチの倍の年数を生きている。ゴッチと同年代の息子が居るらしく、監視員はゴッチに対して気さくに接した
 監視員の男の言葉に、ゴッチは多大な興味を示した
 「そっかぁ、スゲェな。別の大陸とか、別の星とか、そう言う事じゃなくて、マジで異世界なのか」
 「どっかの研究者が開発したワープゲートがあるらしいぜ。作った本人にもヤバイのが目に見えてたから、“不特定多数の権力者”から口を封じられる前に公表したんだそうだ」
 「剣と魔法かぁ。ガキのゲームみたいだぜ」
 冷たい壁に背中を預けながら、ゴッチは椅子に座って雑誌を読んでいる監視員にニヤリ笑いした
 「意外に素直に信じたな、俺は未だに半信半疑なんだが。特に魔法とか言うのが嘘臭いじゃねぇか」
 「魔法なんてよ、俺らだって似たようなモンさ」
 ゴッチが立ち上がった。トン、とステップを踏んで、ファイティングポーズを取る
 監視員の見ている前で、拳を数発繰り出した。風を唸らせる剛拳で、力強い
 「今から四千年くらい前までは、俺らみたいなのは居なかったんだぜ。その当時の人間から見たら、俺らだって充分魔法使いだろ?」
 ゴッチが咆哮して、拳を壁に叩きつける
瞬間、稲妻がゴッチの肉体を駆け巡った。閃光で視界を白く染めながら繰り出されたゴッチの拳は、留置所の壁に巨大な穴を開けていた
 ピクシーアメーバと呼ばれる魔物が居る。無類のタフネスと回復力が売りの、放電する赤い単細胞生物だ
 ゴッチ・バベルは、そのピクシーアメーバとのハーフだった。亜人と一般では呼ばれている
 「うわ、馬鹿、暴れるな。電気人間のお前さんが、特殊処理を施された牢屋にぶちこまれてねぇのは、拘束された時の態度が素直だったからだぞ。あーあ、壁に穴まで空けやがって」
 「へっへ、悪ぃな、おっさん」
 悪いと心底から思っている表情ではない。ゴッチは、ニヤニヤしながら腰を下ろした
 「壁の修理費、請求されるぜ」
 「良いぜ、払うのは俺じゃねぇ」
 「誰だよ」
 監視員が苦笑いしながら質問した時、監視員の背後にある、この区画唯一の出入り口であるドアを、何者かが叩いた
 四角く切り取られた枠の向こうで、巨大な青い鳥の頭が中を覗き込んでいる
 「ほれ来た。修理費頼んだぜ」
――
 「ボス、今回は遅かったじゃねぇか」
 「悪かったな。急な飛び入りの依頼が入っちまって、迎えが遅れた」
 「いや、謝る事ねーや。結局俺も、今回の仕事しくじっちまったし」
 ゴッチの隣、威風堂々とよちよち歩きする青い鳥の名は、SBファルコンと言う。鳥の亜人と言うか、もう丸きり鳥で、人語を使いこなす様を見ていなければ、ただのでかい鳥にしか見えない
 姿形は鳥だったが、極めて紳士的であるこの鳥は、何時も身だしなみに気を使って特注のスーツを着ている
 鳥の特徴を持つ亜人は幾らでもいるが、スーツを着込んだ丸っきりの鳥となると世界でも早々居ないので、SBファルコンをはじめて見る者は、大抵驚愕するか、その珍妙さに大笑いするのが普通だった
 どこか薄暗さを感じる通路を抜けて階段を上り、警備隊の事務所まで行くと、待ち構えていた男がゴッチのスーツを差し出してきた
 ゴッチを留置所に叩き込んでくれた警備隊の男である。スーツをひったくるように受け取ったゴッチは、舌打ちしながら早歩きになる
 ゴッチが来ているスーツはSBファルコンのお下がりだった。SBファルコンが着こなせば、それはそれは優雅であったのだが、ゴッチが着崩せば、どんなスーツもだらしない
 「それでな、飛び入りの依頼ってのは、お前にも関係がある。いや、寧ろお前が主役だな」
 「へぇ?」
 「異世界なんてイカれた話は知ってるか?」
 「留置所でおっさんから聞いたぜ」
 警備隊の所有するビルから出れば、そこに黒塗りの高級車が待ち構えていた
 ゴッチは少々、驚いた。その高級車が、地に足つけてエンジンを唸らせていたからだ。交通量が過多になりすぎた今の世の中、車とは普通空を飛ぶ物の事を言う
 そしてどの新車も、大抵三年以内にスクラップになる。それぐらい、空を飛ぶ車と言うのは事故が多い
 今時地面を走る車なんてのは、「地べた這いずり回る権利」を買い上げた、金持ちの特権なのである
 「さっきな、世界のお偉いさんが話し合って、その異世界とやらには極力不干渉を貫くと決まったそうだ。本当は誰も彼も飛んでいきたいさ、手付かずの資源やら、たんまりあるだろうからな。だが、睨み合いになっちまって動くに動けん。なら、自粛しようってな」
 「嘘くさいぜ。そんな紳士的な世界だったかい? 俺らが生きてるここは」
 二人が乗り込むと、車は走り出した。運転手は居ない。自動操縦で動く車はフラフラしているような気がして、ゴッチは内心不安になった
 「まぁ、俺たち“ワルの下請け会社”にゃ関係ない」
 SBファルコンは何処から取り出したかサングラスを掛けて、お気に入りの葉巻の先を嘴で食い千切った
 ゴッチが火を差し出せば、品の良い香りが立ち上る。葉巻を吸っている時のSBファルコンは、特に格好が良い、とゴッチは個人的に思っている
 「ゴッチよ、留置所から出たばかりのお前には悪いんだが、今から速攻で異世界まで出張して来て貰うぜ」
 「マジかよそいつぁ! ダークスーツ着込んで異世界までのこのこ出張って、剣でも振り回せってか?」
 「お前が振り回すのは拳骨だろう」
 車が止まって、品の良い人口音声が降車しろと伝えてくる
 降りると、天高く伸びる巨大なビルがあった。警備隊のビルもそれなりに高かったが、こちらは更に高い。周囲に日陰を作成して酷く迷惑な建物だと、ゴッチは捻くれた感想を持った
 「そろそろ日が暮れるな。誰か、上でエアカー運転してる奴、ミスってビルに突っこまないかな」
 「雇い主だろ? 良いのかい、ボス」
 「俺はファルコンだからな。飛ぶのに邪魔な高層ビルは、本当は嫌いなんだぜ」
 ドォン、と激しい衝突音がする。SBファルコンの軽口が現実になったか? と上を見上げたか、ガラスや残骸等は降ってこない
 音がしたのはどうやら後ろからだった。フリスビーのような円形をした工場が煙を吹いている。エアカーが突っこんだのは、どうやらあちららしかった
 「行くか。相手は美人でな。待たせるのは紳士的じゃない」
 爆炎に目もくれず威風堂々とよちよち歩きするSBファルコンの後を、ゴッチは素直についていく
――
 「待っていたよ」
 白衣を着た女の研究員が、眼鏡を弄りながら言った。医者と研究員は、何時も白衣なのが常識だ
 女は、ちろ、と舌を出す。何だかゴッチは背筋が震える。女の目を睨み付ければ、琥珀色の瞳は縦に割れていた
 「テツコ・シロイシ所長殿だ」
 SBファルコンが紹介すると、テツコは宜しくと手を差し出してきた
 なるほど、SBファルコンに美人と賞賛されるだけはある。背で一まとめにしている黒髪が何だか野暮ったいが、そんな事ではどうにもならない色気がある
 顔立ちは、ゴッチには少々馴染みが無い。人種が違うようだ。悪いと言うわけではない。整っている
 しかし何より、しなやかな肉体が良かった。抱き心地が良さそうだな、とゴッチは顔に出さずに思った
 「見たとおり、って訳じゃなさそうだ。蛇か?」
 「ご名答。何で解った? 確かに私は蛇の亜人だよ。身体的特徴には殆ど出てないんだけど、毒牙があるんだ」
 「ゴッチ、余り色目を使うなよ。彼女の毒は三種類あってな、致死毒と、麻痺毒と、……中毒性の高い麻薬…いや、媚薬だったか? まぁ兎に角、本気にさせたら、一生縛り付けられるぞ」
 「止めてくれないか、ファルコン。私はそんなに怖い女じゃない」
 ゴッチは苦笑いしながらテツコの手を取った。冷やりと冷たい
 蛇のテツコと、鳥のSBファルコンだ。相性が良いとは思えなかった
 「時間が惜しいんだ。説明をしたいから、ついてきてくれ」
 テツコが早足で歩き出した。何人もの研究員達が大慌てで駆け回っている最中を、危なげなくすり抜けていく
 異世界と言う代物の出現のせいで、勤務状態が極めて悪いようだった。目の下に隈を作っていない者は、一人として居なかった
 「いや、シロイシ所長は平然としてたろう」
 「そういやそうだった。タフな女みたいだな」
 「……あぁ、タフと言えば、まぁそうだな」
 SBファルコンが何故か顔を顰めた
 テツコが案内した部屋は、簡素なミーティングルームだった。使用頻度が少ないのか、埃っぽい
 ホワイトボードの前に陣取ったテツコは、男の顔写真が載った書類をゴッチに差し出した
 「ジェファソン・レイクソン?」
 そう、名前の欄に記入されている
 痩せ過ぎで骨の浮き出た、骸骨のような男だ。土気色の肌で眼つきが良くない。死体と見間違える程の顔色の悪さだった
 「“異世界”への移動を実現した現代科学の至宝だよ。名の知れた学者なんて、大抵偏屈な性格をしているけど、ジェファソン博士は特に人付き合いが苦手らしいね」
 「それで、そのジェファソン博士が何なんだ?」
 「実は、異世界に博士の娘が迷い込んでいるらしいんだ」
 はぁ? と眉をしかめながらゴッチは書類を捲る。更に顔写真尽きの個人情報が現れた
 何故かメイド服を着た、緑色の頭をしている女の写真だった。作り物のような奇妙な色合いの緑髪に、ゴッチは違和感を覚える
 ふと気付いた。首だ。首に線がある。メイド服のリボンで少々見えにくいが、間違いない
 まるで継ぎ目のようだった。掴んで引っ張れば、頭が取れそうな雰囲気があった
 「メイア3。……ほぉーぅ、メイア、3、ね」
 「グレイメタルドール、ロボットだ。ジェファソン博士に彼女の資料を見せてもらったが、かなり高性能だったよ。家事炊事から拠点防衛、やろうと思えばセックスもこなせる万能メイドだ」
 「このガリガリ野郎のダッチワイフって訳か?」
 「そういう訳ではない。メイア3は、制御機関に人工精霊を搭載している。魂を持っているのさ。ジェファソンは博士は彼女の事を、本当の娘のように思っている」
 「……変人だな」
 「ゴッチ、その辺にしておけ」
 SBファルコンが、威圧した。低い渋みのある声が、ゴッチをやんわりと叱るようだった
 「君には彼女を探し出して欲しいんだ。異世界の研究は、まだまだ不十分だ。利権のために口封じなんて考えた無能が居るようだけど、ジェファソン博士の協力は絶対必要だ。これはジェファソン博士との交換条件と言う事になっているんだよ」
 研究に協力する代わりに。と言う奴か。今頃は、どこぞに軟禁でもされているのかも知れない
 「そもそも、どうして異世界で迷子になってんだ、このメイア3ってのは」
 「自宅の研究施設での実験中に、ワープゲートが暴走したらしい。“異世界”の事が報道される二日前だ。メイア3はジェファソン博士を庇って、ゲートに飲み込まれたそうだ」
 「なるほど、主人思いの良い女だ」
 ゴッチはメイア3を賞賛した。良い女だと言い放ったとき、ゴッチは真剣な面持ちだった
 「しかし、人工精霊搭載とか言ってる割にゃぁ、人形みてぇな面だぜ」
――
 前方五メートルに光が渦巻いていた。時折バチバチと稲妻が走るのが、ピクシーアメーバの亜人であるゴッチには、心地よい
 異世界への扉だった。ここに飛び込めば、次の瞬間には見たこともない場所に居る
 いざ行かんとするゴッチは、別段気負った様子も無い。SBファルコンおさがりのスーツをだらしなく着崩して、彼は余裕の表情でテツコの説明を聞いていた
 『探索期限は三ヶ月だ。異世界とやらがどれほどの規模であるか全く把握できていない以上、この期限が充分かどうか判らない。メイア3の居場所も、微弱なシグナルがゲートを通して感知されているだけで、詳しくは判っていない』
 強化ガラスを挟んでマイク越しに語りかけるテツコは、無表情で謝罪した
 『済まない。きっと困難な道程になるだろう』
 SBファルコンが後に続く
 『ゴッチ、お前に満足な装備も支援も無いのは、“不干渉”と言う制約があるからだ。出来るだけ秘密裏に行動しろ、ともお偉いさんは言ってきている。だがな、俺は本当は、そんな事、知った事ではないと思っている』
 「ボス?」
 『良いか、好き勝手してこい。人が居る。魔法がある。生物が生存可能な大気がある。それぐらいしか判ってない危険地帯に、お前を身一つでぶち込むってだけで無茶な話なんだ。これ以上キツイ事は、俺は口が裂けても言えん。良いか、好き勝手してこい。お前が生き残るために手段を選ぶな。絶対に帰って来い。どんなに問題起こしたって、俺が庇ってやるからな』
 「OK、ボス。生きて帰るよ。メイア3と一緒にな」
 ゴッチは不敵に笑って屈伸運動した。SBファルコンは、尊敬すべき偉大な男だった
 『三ヶ月経ってもメイア3を発見できなかった場合、一度帰還してくれ。こちらでワープ可能なゲートまでエスコートする。ワープゲートの詳細説明は長くなるから、向こうの世界で追々説明するよ』
 「追々って、どうやってだ?」
 尋ねたゴッチに、ふよふよと近づく物体があった
 裸電球に、コウモリの羽と尾を取り付けたような発光体だ。ぼんやりと青白く光っている
 『ナビロボ『コガラシ』だ。それを通じて私が君のサポートをする』
 「期待してるぜ、テツコ」
 『……堂々と私を呼び捨てにする奴は、あまり居ないんだがな、バベル』
 「ゴッチで良い」
 『ではゴッチ。心の準備が整ったら、ゲートに飛び込んでくれ』
 ゴッチは、ぐぅ、と伸びをした。内心の興奮を隠して、平静で居るように見せかけた
 未知の世界に飛び込む。わくわくする展開だった。ゴッチはステップを踏むと、バチバチ唸るワープゲートに向かって走り出す
 「行ってくる、ボス、テツコ!」
 体をしならせて、高く跳躍した
――
 後書き
 深く考えないほうがストレスなく読めるかもしれません。
 ……
 因みに、本作品の主人公は紅丸ではありません、念のため。