「クソっ、ついてねぇぜ。…くそっ、くそっ、くそぉおおオ!」
俺は今日何度目か分からない悪態をつく。
今日の俺は絶好調だったはずだ。ポーカーで四連勝を決めたところまでは良かった。ただ、その後のスロットがダメだ。ポーカーの勝ち分はみるみる減っていき、気付けばタネ銭まで底を付いていた。
いや、そこで止めておけばまだマシだったかも知れない。自前の財布は確かにすっからかんだったが、その時の俺には別口のカネがあったのだ。ボスから預けられた組のカネ、その額3000万ジェニー。悪魔が俺に囁いた気がした。なぁに、別に着服しようってんじゃないだろ?ちょっと借りるだけさ。
そう、ちょっと借りるだけ。勝った分は懐に入れて、あとは黙っておけばバレやしない。
その考えが甘かった。500万、1000万と負けはどんどん嵩み、気付けば俺は後戻り出来なくなっていた。足元がふら付き視界はぐにゃりと歪んで見えた。最後のカードが尽きカジノのボーイに肩を叩かれた時、俺の足元には汗で水溜りが出来ていた。
店から追いたてられ、薄暗い路地裏。俺は頭を抱えて蹲った。ヨークシンマフィアは田舎のチンケなマフィアとは違う。ケジメをつけるのにハンパな方法は取らない。頭の中に浮かぶのは『見せしめ』、『拷問』、そして『死』という文字。
その後、半日駆け回り、チンピラ時代の手下どもにも手段を問わずかき集めさせ、得たのはやっと100万たらず。今週末の顔合わせまでに3000万間に合わせなければ、俺に待っているのは破滅の運命だ。
「クっそぉ!!!」
真夜中、表通りの繁華街。露骨に目を逸らすカタギどもを後目に、腹立ち紛れに足元のゴミ箱を蹴り飛ばす。
「くそっ!くそっ!くそっ!糞ォっ!!」
道路に散乱した生ゴミを何度も何度も踏みつけていると、俺のほうに視線を送ってくるヤツが居た。俺を舐めてんのか?急激にアタマに血が上ってくる。
「あ?なに見てやがンだ!?コロすぞごらぁ!!!…あ?」
俺が舐めたヤロウの方を振り向くと、そこに居たのはガキだった。10かそこらのちいせえメスガキだ。それもスラムに居る骨と皮だけの薄汚いガキじゃ無い、そこそこ良い身なりの小奇麗なガキだった。俺のガンにもビビらず、眠たげな目でこちらを見ている。
そいつをまじまじと眺めて、俺は神とやらに感謝する気になったね。僥倖、これは僥倖だ!こんな路地裏で親も連れずにガキが一人で居るなんてそうとしか思えないだろう?このガキはそこそこ見目が良く、育ちも悪く無いように見える。まさに変態の金持ちどもが目の色を変えそうな『商品』だ。俺の日頃の行いに、と神が寄こしたカネヅルに違いない。
こいつを逃がす手は無い。俺はガキの好みそうな笑顔を作って話しかけた。
「へへっ、驚かせちまったか?パパとママはどこだい嬢ちゃん。」
俺がそう言うと、ガキはちょっと考える素振りを見せ首を振った。つまり親は近くにいない。どこぞの金満観光客の娘がホテルをちょっと抜け出して冒険気分、と言ったところか。これはますますウマい。
「ほぉ、ならオジサンと遊ばねぇか?イイところ紹介してやるぜ?」
俺がそうやって笑いかけてやると、ガキは小さく頷いた。ちょろい、なんてちょろいガキだ!思わず大声で笑い出しそうになるのを必死で堪える。無口で大人しそうなガキだが、オトナの世界には興味シンシンってか?いいぜぇ嬢ちゃん、俺がたっぷり教えてやるよ。
ガキの手を引いて、やって来たのはけばけばしいネオンの光るホテル街。この手の『商品』を扱う斡旋所に連絡を取る為に、ガキを人目の付かない場所に連れ込む必要があった。
―それに、売っ払う前に具合《・・》を確かめておくのも悪くない。価値が下がるから前《・》は使えないが、それなりに楽しめそうだ。
結局ガキはホテルの一室に連れてこられても全く抵抗する素振りを見せなかった。本当に警戒心の無いガキだ。ベッドに大人しく腰を下ろすガキを見つめながら、例の業者の番号を押していく。
「よぉ、俺だ。上物が手に入ったぜ。ガキだ。十歳ぐらいの。ああ。」
さっそく電話越しに斡旋業者と『商談』を始めるが、カネの交渉になった途端に雲行きが怪しくなってきた。
「あ?良くて1000万だと!?足元見てんじゃねぇぞっ!!」
「いやぁ、そうは言ってもおたくの組に知られずに卸すってなるとねぇ。嫌なら闇オークションにでも流したらどうです?」
「…クっ!!!」
通話を切って、携帯を床に叩きつける。
闇オークション…、組に知られるのは避けたかったが已む無しか。確かに業者を介すより遥かに実入りは大きい。いざとなれば余剰売り上げを上納すれば命は免れるか?
…ん?なんだ?ガキが俺の服の裾を引っ張っている。さっきまで眠そうだった赤い瞳を大きく見開き薄く笑っていた。その顔がガキの癖に妙に蠱惑的で、俺は思わず喉を鳴らした。
紅玉のような潤んだ瞳、それを彩る長い睫毛、陶磁器のように滑らかな白い肌、全てが俺の心を掴んで離さない。その細く頼りない首筋から微かに漂う甘い香りが鼻腔を刺激し、俺の中の欲望がムクムクと鎌首をもたげてくる。
「…ね、あそばないの?」
俺に向かってガキが始めて口を開いた。その誘うような、甘えるような口調に反応して、俺の下半身にどんどん血流が溜まっていくのが分かる。―しまった、コイツまさか本業か?頭の片隅でそんな考えが浮かぶが、黒い炎のように燃え滾る獣欲がそれを彼方に押しやっていった。
「へ、へへっ…。とんだスキモノじゃねぇか。」
そう呟く口の中はカラカラに渇いていた。そして俺は本能の赴くままベルトに手を掛ける。
「あのね、みんなあそびたいんだって…。」
急にガキがそんな事を言い出した。みんな…?みんなって何だ。
「くすくす。」
「キャハハハ。」
突如、部屋に響く若い女の声。何だこれは、このガキの声じゃねえ。
「キャハハハハ。」 「くすくすくす。」
安ホテルの狭い室内。もちろん俺とガキ以外には誰もいない。
「キャハハ。」
「キャハハハ。」
なのに、この声はなんだ?ひどく耳障りで金属質な、複数の女の声。
「くすくすくすくす。」 「キャハハハハハ。」
「キャハハハハハハハハハ。」
…この声はなんなんだ!?
体が急速に冷えていった。汗が全身に浮かんでくる。いつまでも止まない嗤い声に、体がガタガタと凍えたみたいに震える。違う、寒さじゃ…無い。これは恐怖だ。俺は恐怖を感じている。
「…おっ、おいガキ!!てめぇなにをっ…。」
そう言ってガキの肩に掴みかかる。さっきまで見開かれていた瞳が眠ったように、いや、まるで死んだように閉じられていて、それが一層不安を呼んだ。俺は必死でガキを揺さ振る。
―ごろん。ごとっ。
なんの音だと、俺は一瞬思ったが、すぐに理解《わか》った。
俺が掴んでいた肩から、ガキの小さい首が、もげ落ちていた《・・・・・・・》。
「ひぃっっ!なんだよこれ!なんなんだよ一体!!!」
残ったガキの体を突き飛ばし俺は叫んだ。叫ばずにはいられなかった。
―悪夢。まるで悪夢を見てるみたいだ。部屋中に響く嘲笑はますます大きくなっていて、ガキの分かたれた胴体と頭から噴出す真っ赤な血が室内をグロテスクに彩る。だが、悪夢はこれで終わらなかった。
あちこちに出来た赤い水溜り。そこから突如、何本もの手が突き出る。猛禽のような骨と皮だけの手だった。手だけだったそれは、やがてもがくように這い出し、徐々に全身を現していく。
「「「「「「「キャハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ。」」」」」」」
羽をむしられた畸形の七面鳥、それとも早くに産まれすぎた鳥の胎児か。それが無理矢理人の形を取り繕ったようなもの。血溜まりから上体を覗かせたそれら《・・・》はそうとしか言いようがなかった。そいつらが皆一斉に俺のほうを向いて甲高い女の声で狂ったように嗤っている。どいつも2mは優に超えた長身で、骨格は奇妙に捩じれている。なのに服と髪型だけは表通りを歩く女のように綺麗に整えられていて、それがより一層の嫌悪感を俺に与えた。
「ははっ。ははははは。アはははハはハ!!」
目の前の光景に、俺は笑うしか無かった。涙と鼻水が顔を伝い、失禁した尿が内股を濡らし脱ぎかけのズボンを汚していく。ああ、俺は狂っちまったんだろうか。死ぬほど恐ろしいはずなのに、渇いた笑いを止められない。
赤い極彩色の部屋の中、俺と鳥女たちの笑い声がこだまする。這い出してきた鳥女たちは、その巨体から想像できない異常な速さで俺を取り囲んだ。
「あひゃヒャっ!ひっ、ヒっ!けはっ、ハッ、はハはははひゅハっ…!」
鳥女の醜悪な手が俺を掴んだ。俺もそいつも涎を撒き散らしてけたけた笑う。群がる鳥女達が、俺の体を引きずり、血まみれの床に線を刻んで行く。
―ずる、ずる、ずる、ずる
ずる、ずる、ずる、ずる。
鳥女達は俺の体を、大きな血溜まりに運んでいく。途中、目を瞑ったままのガキの生首が俺を見ている気がして可笑しかった。
“鳥人間に捕まるとね。閉じ込められちゃうんだよ?何処にも行けないところに。”
血の海に飲み込まれる瞬間、何か聞こえた気がしたけど、そんなことはもう、俺にはどうでも良かった。
◇ ◇ ◇
「オヤジ、こいつ一体どうするんです?」
部下の一人が、こいつ―俺の組のカネに手を付けた元部下を見て言った。
「…いつも通りにやれ。」
「ってもコイツ完全にイカれちまってますよ。指ィ詰めてもバカみてぇに笑ってるんですぜ。」
確かに、拷問係りであるそいつの言う通りだ。元々チンピラ上がりのおつむの弱い下っ端だったが、ここまで箍が外れていた筈は無かった。
人身売買業者がタレ込んで来た情報を元に、こいつを攫って来たまでは良かった。だが、相当ヤバいクスリでもやったのだろうか、連れてこられたこいつは既に完璧にイっちまっていた。発見した部下によるとラブホテルの一室でションベン撒き散らして寝こけていたらしいが…。
それに気になるのが、タレ込んだ業者の情報にあった女のガキ。カタギのガキだったらしいが、昨夜親からはぐれた迷子のガキは居なかった。サツにカネを握らせて仕入れた情報だから、まず間違いは無い。しかし再度、業者を呼んで吐かせても嘘は付いて無いようだった。明らかな矛盾だが…。
「あひゃっ!あひゃひゃひゃヒャ!!!ひぃひっ。あイつが!あノ、ガキがっ!!」
廃人同然だった元部下が豹変し、根元しか残っていない人差し指で窓の方を示していた。
「おいゴラ!どうした!急に暴れるんじゃ……うっ、クせぇ!こいつ漏らしやがった!」
今、確かに『あのガキ』と聞こえた。どういう事だ?元部下は酷く怯えた様子で窓を指差しているが、そこにはすぐ隣の雑居ビルの煤けた壁面しか見えていない。
「アいつガ!まどかラっ!おでを見てルうっ!あヒャ!あイ…ヒッ。」
元部下は暫く痙攣した後、ぴくりとも動かなくなった。拷問係りが慌てて脈を確かめ、青褪める。
「…死んで、ますぜ。」
なんの冗談だ?冷や汗が頬を伝って流れて行く。
元部下が事切れる瞬間、窓に映ったアレは?ピンク色の服を着たおさげの…。
―いや、そんなはずは無い。俺は目を瞑り、先程の幻影を振り払った。