「君達は政治に関わるのであまり役に立つことではないが、組織の収益を増やすという意味では商売を常に意識しなければならない。常に考えなければならないのは重要と供給、量と質である。同じ分野で商売をしたいなら、場所を考えるか、質を高めて高く売るか、大量に生産して生産コストを抑えるかを考えなければならないだろう」
ジャン・ユジーヌ記念講堂での特別講演にて
1234年
サンダイルの暦は地方によって多少の違いはあるが、ハン帝国が成立した頃の暦が基本的に流用されている。それは太陽の運行を基本にしたもので、一年を12の月で区分し、1月は30日、一週間は6日と制定されている。新年は地球で言う所の春分なのだが、祝日というのは戦勝記念だとか、初代国王の即位した日など地域によって異なる。例えば、フィニー王家ではファイアブランドを手に入れた日やフィニー王国成立の日が祝日となっていた。
1月7日、新年の祝いから一週間経つと、ナ国の各地の領主も新年の年賀としてグリューゲルに集まっていた。新年の前からグリューゲルの公邸に滞在する貴族も多いが、ジャンは新年の祝いをケッセルの住民と祝った後に、領内の警備隊長であるアランと侍女であるミレイユの二人を伴ってグリューゲルに向かうこととなった。本当はスイ王から、新年はグリューゲルで過ごさないかと誘われたのだが、赴任して一年目という事もあり、辞退したのだ。
「テルムも立派でしたが、やっぱりナ国の規模は違いますね」
と感心するのはノール出身の軍人で、今はケッセルの警備隊長に就任したアランだ。ジャンは予算や物資を調達する、あるいは戦略レベルで物事を把握するのは自分の仕事だと思っていたが、警備や軍隊の指揮に関するノウハウがない。そこで、メルシュマンから離れて6年近く経つが、未だにノールに対して影響力の強い母ソフィーと、定期的に手紙のやり取りをしているジョルジュに相談して、教練ができてかつ独身の人材の紹介を頼んだところ、サンド伯の領地で兵隊長をやっていた24歳のアランという人物が派遣された。ジャンはアランと話して使えると判断し、給金などの交渉を行って採用した。現在10名からなる警備隊の教練をしている金髪の美男子は、独身女性の注目を集めているのだが、彼はあくまで出向扱いであり、ここに骨を埋める覚悟が無ければ女遊びはしないようにと釘を刺して置いた。女性問題でほとぼりが冷めないとまずいので最低5年は使ってやってくださいというジョルジュからの手紙にあったように特段口説いているわけではないのにもてるのだ。気になったのでちょっと「視た」ところ、女性が心地良くなるアニマを発していることを発見した。
(これ原理解明したら惚れ薬作れる可能性があるのか・・・考えないようにしよう)
感情に影響を与えるアニマについては、空いた時間を使って地道に研究を重ねているものの、それほど成果がでるものでは無いので、新しいツール研究の方に力を注いでいた。感情のパラメーターにしても個体差があるため、今回の発見も一応記録には残しておくものの、今すぐどうするかという気にはなれなかった。惚れ薬を作って世界に混乱をさせたなんて汚名を甘受する気にはなれなかった。マッドな気があるとしても進んで不特定多数の人を不幸にする気はないジャンだった。
参内したジャンがスイ王に謁見したのは宮中で2時間後くらい後の事だった。王妃であるアンナ、王太子であり23歳になるショウ王子、17歳のキョウ王子と既に嫁いでいる王女以外の王家の面々が揃っている。
「昨年は見事であった」
「臣は陛下の仰せのままに動いただけです。マリオネットは操る糸がなければ動けませんから」
「ならばそういう事にしておくとするか。今年も励むよい」
「畏まりました」
「しばらくこちらに留まるのか?」
「いえ、ファウエンハイムの母に挨拶してからケッセルに戻ります。グリューゲルに滞在するのは来月の下旬頃になるかと」
宮中で要職についている貴族は信頼する家臣や息子に領地経営を委ねるが、若輩のジャンにはその両方ともいないため、何かと慌ただしくグリューゲルとケッセルを往復するという生活をしていた。
「ならば良い、また細かいことを頼むやもしれぬがよろしく頼むぞ」
「御意」
ジャンが玉座の間を立ち去るとショウが父王に対して口を開いた。
「兄の方もそうですが、兄弟揃って領地を与えるとは父上も気まぐれですね」
「シャルンホスト公は気に召さないようだが、弟は投資のつもりで、兄はそのオマケだ。前年の綱紀粛正のおかげでナ国の権威は保たれた。世間では余があれを影で操っているように見えて、実はあやつが余を操っておる。惜しむらくは既に嫁に出せる娘は出してしまったことだな」
父王が手放しで人を褒めるのは珍しいというかほぼ皆無だと思っていたショウは衝撃を受けた。そして先ほど退出したジャン・ユジーヌを思い浮かべる。亡命した当時は7歳だった少年は、同年代の子ども達と交流せずに世界でも有数の術士であるシルマールの下で修行している以外は、書庫にこもって歴史や政治などを学んでいた。
そんな姿をバカにした同年代の貴族は少なからずいたが、言葉には言葉で、暴力には暴力で撃退した。兄のように乱暴では無かったが、弟は敵に回した人間を容赦しない。当時のショウは一度ジャンをたしなめた事があるが、彼は意に介せずに次のように話した。
「ここで学んでいる貴族の子弟は、やがて領民を統治する、あるいは嫁ぎ先の夫を支えなければなりません。自分が我慢することで弱者を虐げることに暗い喜びを覚えるようになったら、将来彼の下に付く人達に対して申し訳が立ちません。ですから、世の中にはままならないことを教え込むのです。これだけは大人になってからでは身につきませんが故」
あの時は、小生意気な子どもだと思ったが、7年が経過して着実に力を付けている。それが災いにならなければ良いがとショウは不安を隠せなかった。
「アレはナにとって役に立つのでしょうか」
「余が生きている間、領分を侵さない限りはジャン・ユジーヌは結果的にナに利益を与えるだろう。だが10年後はまだ生きているつもりだが、20年後には既に余も現世に足を留めること敵わないだろう。その時、お前がアレとどういう関わりを持つのか。扱いきれぬと思うなら未開の北大陸に追いやればよい。あやつは嬉々として出ていくだろう」
その言葉には、どんな手段を使っても殺すのは不可能だという意味が込められていたが、ショウは父の意図を捉え損なっていた。その言葉の真意に気付くのは、バケットヒルの戦いで見せた彼の軍隊の精強さを目の当たりにした観戦武官の報告を聞いた後のことだ。
「ジャン君もケッセルで新しいワインを考案したとか」
新年の挨拶を終えたジャンは、母と兄が暮らすファウエンハイムに向かうことにしたのだが、その前に兄の後見人であり、ヤーデ伯爵家公邸に滞在するトマス卿に挨拶したところ、同道しないかと誘われたので、お言葉に甘えることになったのだ。その道中、ケッセルの領地経営の経過を話している中で仕込んだワインの話になったのである。南大陸ににおける最大シェアを誇るヤーデ伯家としては若輩ながらもあのシルマールから天才と手放しで賞賛されるジャンが考案したワインが気になったのだろう。
「ワインの一大生産地であるヤーデと価格競争をしたら勝てるわけが無いですからね。高級路線で売り出したいと思います。今年の秋には市場に出せると思うのですが、それなりに売れると思います」
「しかし、熟練した術士が作った物で無ければ一年目はそれほど高い評価を受けられないと思うが」
「その辺は秋までに考えます。それに現在のケッセルの人口と土地の使用方法だとワイン作りが一番効率良く稼げそうだから推進していますが、人が増えればできる事は増えますからね。土地の使用具合を考えれば現在の5倍くらいは人が欲しいと思っていますが、その前に家臣団の形成をしなければなりませんからね」
息子と一つしか離れていない少年が語るのは野心ではなく計画だ。確かにケッセルの地は切り拓けばまだまだ人が住めるとは思うが、土地が痩せているのでその辺はどう考えているのだろうか。
「少なくとも5年くらいは掛けなければならない問題です。ケッセルはグリューゲルまでほぼ一週間の距離ですが、大都市の経由地ではないので人の行き来が少ない。ならばケッセルそのものが商人にとって訪れる価値がある場所と認識されなければなりません」
「君とは仲良くしていきたいと思うよ」
「私もトマス卿とは懇意にしたいと思います。何かに付けて兄がらみでご迷惑をかけるやもしれませんし」
未来を覚えているジャンは、トマス卿が東大陸にのめり込む息子と、王国との間で心労を重ねることを知っていたので、なるべくフォローした方がいいと思っていた。もっとも一番いいのはまだ生まれていないフィリップ2世が無事にフィニー王になってくれることで、妹のマリーとて三人目であるフィリップ3世を生まなければ少なくとも10年以上は長生きできるはずだと思った。そしてギュスターヴ13世の版図に関してはそこまで面倒を見るつもりが無かった。強いていうならあまり遊ばないで子どもを作ればいいと思うくらいだ。
ジャンにとってこの話は社交辞令を兼ねた話だったので早々に忘れてしまったのだが、トマスは後年、この時の会話を思い出すことになる。順調に功績を重ねたジャンはトマス卿とは親しかったが、同年代である息子とは付き合いが良くなかった。そしてまだグランツ子爵を名乗っていた彼は、心から自分の身を案じて「少しケルヴィンを東大陸から引き戻すべきでは」と忠告するのだ。年を追うごとに注がれ続ける疑惑という名の水がナという杯から零れないようにと。
1234年夏
ケッセルの住民は前年に仕込んだワイン樽を一つ空け、芳醇かつまろやかな甘さに舌鼓を打った。
「まあ、1年目だしこんなもんかな」
とは新米領主のジャン・ユジーヌの言だ。今でもそれなりに売れるだろうが2年ほど樽の中で熟成させた方がいいかもしれない。
「こんなもんだなじゃありませんよご領主様。俺は20年以上もワインに携わっていましたが、あんな手段でワインを作るとこんなにまろやかな味になるなんて」
「手間かける分、仕込める量が少なくなるのが難点だけどね。エミール殿、どれくらい詰められますかな」
村の顔役であるエミールは樽の数を数える。前年は領主であるジャンの提案に半信半疑だったために
「250本ですな。今年は領主様の言いつけでブドウ畑を広げましたのでもう少し作れると思いますが」
「では200本は詰めて、50本分はもう一年寝かそう。50本は村用に取っておいて、50本は贈答と宣伝用に、100本は販売する」
「本当に私たちがこんなに取っといていいんですか? もっと売り物にしたら」
エミールの言葉に他の住人も頷く。今まで飲んだ事のない上質なワインだ。さぞ高く売れるだろう。自分たちで飲むのがもったいないとケッセルの住人は思ったのだ。
「売れるかどうかは私の営業次第。なるべく高く売れるようにするさ」
グリューゲルを訪れたジャンは宮中に参内し、自分の上司であるスイ王にワインを献上した。
「この白ワインの甘さはかのラウプホルツの雫に通じる物があるが、まさか奇跡のブドウで作ったのか」
「ブドウはケッセルのブドウ農家が作ったものです。作り方は秘伝が故、どうでしょう陛下、いかほどの値段を付けますか」
「ふむ・・・では50本ほど買おうか。値段はお主が付ける市場に出す価格の7割で。後は財務卿と話すが良い。なんじゃ不満か」
「いえ、金持ちは違うなと。それはそうと、このワインにはまだ銘が無い故、よろしければ陛下に名付けて欲しいのですが」
「では、『ケッセルの悪戯』とでも名付けるか。悪戯小僧が作り出したワインと分かり易いだろう」
良い名を頂いたと感謝して、宮中を辞したジャンが向かったのは、豪商として知られるベーリング家だった。
ベーリング商会の当主であるヨゼフはジャンの訪問を歓迎した。昨年の綱紀粛正の立役者である少年であるジャンに興味があったのだ
「君の名前は商人の間でも有名だよ『王の目』殿」
「王の目ですか? 何か怖そうなあだ名ですね」
「君が不正を暴いたことを揶揄して付けられたあだ名だそうだが、元々娘から噂は聞いていたよ。それで私に商談との事だが」
ジャンは先ほど名の決まったワインを差し出した。
「ケッセルの悪戯という名前のケッセルの新しいワインです。これを扱って欲しいのですが」
瓶から注がれる黄金のワインを口に含むと、それは一度味わったラウプホルツの雫に似ていたが、それよりは軽い。熟成度が足りないか、材料に問題があるのか分からないが、それでもこれが南大陸で作られると言うことに意義があるようにヨセフには思えた。
「君はこれをいくらで売りたいのかね」
「当たり年ハズレ年はありますがラウプホルツの雫は平均価格が3万クラウン(CR)です。現地なら3割ほど安いかもしれませんがそれでも2万前後。うちも高級路線を狙いますが、メインターゲット層は大貴族ではなく、年に一回特別な日に空けられるくらいの裕福な層が飲める価格にしなければなりません。ですので市場価格1万5000クラウンくらいが妥当ではないでしょうか」
「初年度のワインにそれだけの価格が付くとは思えないが、うちでは5000クラウンしか出せないな」
「うちとしては8000クラウンくらい付けて欲しいですね」
「将来性はあると思うのだが今は出せない」
「分かりました、今は諦めます」
ジャンはあっさりと引き下がることにした。ジャンも評価されていないワインに5000付けたベーリング氏の心意気に感じる物があったが、それでは困るのである。
「それはそうと、レスリー嬢はお元気ですか」
「少しお転婆すぎて困っているよ。来年辺りにどこかの家に行儀見習いに出そうかと思っているのだが」
「ならばヤーデ伯家はどうでしょうか、トマス卿なら快く受け入れてくれると思います。何なら私からもお願いしますか」
「そうだな・・・ヤーデ伯家なら取引相手でもあるし。まあ契約には至らなかったがいい時間を持てた。また機会があったら話そう」
ジャンが去った後、ヨセフは娘の嫁ぎ先としてあの若者もいいかなと将来の婿候補に加えることとなる。もっとも、後年ジャンが婚約したことで諦めると共に、当の娘はジャンの兄に付いて東大陸に渡ってしまうのだが。
「と言うわけで便宜的ではありますがユジーヌ商会を作ることにしました。商税二割納めてもこっちの方が安いですしね」
ジャンはファウエンハイムにいるソフィーとギュスターヴが暮らす館を訪れると、母に自分で商会を作った理由を述べた。
「でも、領主の仕事の他に商売までして大丈夫なのジャン?」
ソフィーも短いながら領地経営の経験があるため、二着の衣を着て働く息子に不安を覚えたのだ。
「複数の品目を大量に売るなら価格や在庫管理などに問題がありますが、今現在はワインしか扱っていませんから。どっちにせよ優秀な事務員とかは欲しいですけど」
納入されたワインをスイ王が秋の園遊会で振る舞ったところ、大変評価がいい。何より王室御用達の記章が記されている。これに注目した商人達は生産者の領主であるジャンに売ってくれるように頼んだのだが、窓口が無い。そこでケッセルを本拠地に商会を作り、グリューゲルの商人ギルドに商税を一割納めて営業できるようにしたのだ。
そして販売されたケッセルの雫は初年度1万5000の値を付けた。ユジーヌ商会から買い付けた商人がいくらで売るのかは分からないが、来年度は販売量も増えるので少し落ち着くと共に、2年物はもう少し高めになるかなとジャン予想していた。
将来的にツールを製造・販売する商会を作ることにしたのだが、結果としてワインを販売することがユジーヌ商会の出発点となる。
「それよりギュスの製鉄はうまくいきそうですか?」
「ええ、あなたが成功したのを見て、自分も負けてられないと意気込んでいるのよ」
「俺は俺、ギュスはギュスですから、それより母上、体調の方ですが大丈夫ですか?」
「ジャンは心配性ね。私なら大丈夫よ」
気丈に振る舞う母だが少なからず疲れが目に見えたが今の段階ではアニマは普通だとジャンは見て、次の話題に移った。
ジャンが定期的にファウエンハイムを訪れる理由の一つとして、ソフィーの病状を観察することがあった。ソフィーは1239年に亡くなる。治癒が可能な病気なら癒せるが、師であるシルマールが匙を投げた病気であるなら普通の病気である可能性は低い。
1237年にソフィーは病を発症し、ジャンの対策によって余命は一年近く延びたものの、アニマは大地に還ることとなる。そして、この病気は娘であるマリーにも受け継がれ彼女の生を蝕んだ。別名ソフィー・マリー症候群と後に呼ばれることとなるアニマ不全症候群はまだ母に牙を剥いていなかった。
1234年は基本的に領主のお仕事のターンでした。
北半球だと冬が新年ですが、ハン帝国が亜熱帯に近い地域なので太陽基準かなと思って春分が新年に。
時計に関しては1時間ごとに鐘がなるとでも考えてください。その辺に関する記述が見つからなかったので。
CRは多分クラウンの略なのでクラウン表記で。
代替の効かないクヴェル1個が100万とかするらしいから1万5000のワインだって当然高級なはずということでこの価格に。まあよく取れるホットストーンは1万ですけどね。
次回は1235年で、閑話(ウィル編)が1236年で多分今月は終わりの予定です。