グリューゲル
南大陸 ナ国の首都
ここに移り住んだギュスターヴ母子は、ナのスイ王から屋敷を与えられた。
それから5年、ギュスターヴはすっかり乱暴な子供として有名になっていた。
術不能者であり、追放された身であるという事実は、年を追い、成長を重ねるに従い、彼の心をねじ曲げていった。
一方、ジャンはフィニー時代より膨大な本と、シルマールに術とツール製作技術を教えてもらえるという環境に満足していた。
1232年
「モンスター化した個体のことは分かりませんが、一般的な植物が花を咲かせるのは日光と水でエネルギーを作り出しているからです。鳥が空を飛ぶという行為は上がるまではかなりのエネルギーを使いますが、後は位置エネルギーの問題です。エネルギーという点ではアニマを使っていますが、本能的に術を使っている可能性は否定できません。それとこのモンスターという外敵が多い世界で、個体的な強さはともかく、最大の勢力圏を人間が作り上げた理由は、術の力もそうですが、組織化できたことが大きいと思います。多数でぶん殴るのが一番負担が少ないですからね。少数派を排斥する要因でもありますが」
術不能者の兄の行動と、それを諫める母の言葉に対しての弟の反応は同情でも優越感でも無く、学術的な分析だった。
「ジャン君はギュスターヴ君が嫌いなのですか?」
「俺はギュスを無能だと思ったことはありません。あいつが台頭したとき、今あいつをバカにしていた連中は後悔するでしょう。特に手のひらを返したように見捨てた家臣達のことを忘れませんよあいつは」
それは予言というより確信だった。保身の意味もあったのだろうが術が使えないと分かった途端、ギュスターヴに付けられていた家臣達の態度は冷たかった。この仕打ちを7歳のギュスターヴは忘れなかった。事実バケットヒルの戦いでもっとも鋼鉄兵団が投入されたのはかつてギュスターヴに付けられていた家臣の家であり、代替わりして当主になっていた家臣達は殺され、領地は没収されるという悲惨な目にあっている。
余談だが、ギュスターヴ13世に精神的な圧迫を与え続けた男は、鋼鉄兵に対して以下のような戦術を考案していた。
「術不能者と鋼鉄の武具の組み合わせは術に対して驚異的な耐性を持つが、呼吸器官が強いわけではない。またその性質上、移動速度が遅い上、こちらの射程は1.5倍ほどある。鋼のギュスターヴは強靱であり、直属の鋼鉄兵団は攻勢においては世界最強かもしれないが、地形的な条件で嵌める手段はいくらでもある。酸欠と脱水症状を起こさせるのが一番楽かな」
それを聞いたワイド時代から参加している古参の将軍は、一瞬自分の手を汚してでも主君の障害を排除すべきか迷ったが、おそらく死ぬのは自分であり、それを口実に戦いをするという未来を思い浮かべて実行に移せなかった。将軍と同じ席でその話を聞いていた師は、弟子の術法の恐ろしさを考えれば、兵を使って戦争をするという行為そのものが枷をつけるようなものであり、本来は一人で戦った方がコスト的にも人的被害を考えた上でも無駄がないにも関わらず敢えて普通の手段を取っていることを知っていた。
さて、現在のジャンの立場だが、正式にシルマールの弟子になると共に、同年代の貴族の子女と同様に様々なことを学んでいた。ことに宮廷儀礼や法律に関する知識は同年代の誰よりも優れている。ジャンは自分が変わり者であることを理解しているが、同時に容姿と生活態度さえきちんとしていれば阻害されないことを経験から知っていた。
それでも、母や兄のことを侮辱されようものならやり込める程度のことはしていたので、積極的に友誼を結ぼうとする人間はいなかったが、ギュスターヴのように腫れ物のように扱われることもなかった。そして異国の地でも以前と変わらず自分のスペースを確保できる弟の存在はギュスターヴにとって自分の心に突き刺さるとげのように思えた。頼んでもいないのに付いてきた弟、術不能者である自分に対する悪意に敢然と立ち向かう弟、大人達と混ざっても対等に話せる弟。そして、世界最高の術士ジャンへの向けようもない苛立ちを自分より弱い存在に向ける問題が解決するのは、彼が月夜の夜に出会った幽鬼の剣に魅入られ、兄弟が再開するもう少し未来の話だ。
「ジャン君は将来ノール候を継ぐ、場合によってはフィニー王家に戻るのですからあまりこの国に深入りしない方が良いと思うのですが」
ジャンは自分たちの亡命を受け入れてくれたナ国の現国王であるスイ王に気に入れられており、近い内にグリューゲルとは離れた飛び地になっている領地をもらえそうだった。その話は母親であるソフィーにも伝えられており、現時点では若すぎると保留しているが、ジャンは意外と領地経営に前向きだった。
「父上がシュッドから後添えを迎えて弟が生まれた以上はフィリップがノールの跡継ぎです。ならば自分の生活費を稼ぐ方法は考えないとダメですからね。商人でも術士でもヴィジランツでも生きていけますけど、政治的に問題がありそうな親子を抱えてもらっている恩もありますので、返せるなら返したいと思うんですよね。母は反対するでしょうけど、割と居心地がいいからここに定住してもいいかなと思っていますし、将来的には北大陸の開拓団に行ってもいいですね」
ジャンほどの強大なアニマの使い手であれば、どの分野に進んでもある程度の成功は見込めるとシルマールも思っていた。だが、世界でも屈指の術士になれる才能を政治に携わることで無駄に費やすのは勿体ないと思うのは自分が術士の立場で考えた答えであり、貴族である彼の役割は支配者であることも理解している。
正式に弟子入りしたジャンの希望は術を極めることではなく、ツール職人の家に生まれた自分の持つツールの製作技術であり、教え初めて4年になるが、将来的に既存のツール職人の仕事を無くしそうな新理論を用いたツールは、戦争の有り様も変えてしまうことも想像できた。それが社会に出るならば管理あるいは最低限意見できる立場にならなくてはならない。ならば彼は自分の発言力を高めるためにも領地経営を成功させるしかない。
「ですがジャン君、君はあんなものを作って世界を征服したいのですか?」
「術不能者が戦場に駆り出されれば盾程度の役割しか与えられません。しかし、私が今考えているツールならアニマの強弱は術士以外にはほとんど意味を持たなくなる」
弟子の発言の意図を理解したとき、シルマールは空恐ろしくなった。
「多分、兵器として使われるのは一回か二回であり、後は抑止力として機能させますよ。あれを制作できるのは私が今後経営する領地か商会の工場、保有するのは私とナ国の王家だけ。ナを中心とした緩やかな国家体制から経済、軍事的な一大強国とその影響下にある周辺国という枠組へ組み替える必要があります。ツールのことは陛下には話していませんが、陛下も私の案には前向きです」
「そこまで話しているのですか、ですがこの事をソフィー様は?」
「母上に要らぬ心労を増やす必要はないでしょう」
将来的にナ国の力が減退することをジャンは知っていたし、スイ王もその傾向があることを理解していた。同じ王でもフィニー王はハン帝国の公爵位が相当であり、現在のフィニー王家であるユジーヌ家はハン帝国の直系の子孫ではない。それに対してナ国はハン帝国の王族が築いた王国であり、叙爵の権利がある世界最高の権威を誇る。だが南大陸の外に目を向ければ、ナ国に並ぶ歴史を誇るラウツホルプ公国やシュッド侯国から姫を迎えたことでメルシュマン統一が目前になったフィニー王国。また大陸内でも伸長著しいワイド侯国などがあり、このままでは権威だけの国に成り果ててしまう。ジャン・ユジーヌはそれを理解した上で、スイ王に自分の考えを告げた。
「国力の増大は一朝一夕では敵いませんが、第一に飛び地になっている王家の直轄地の整理をしなければなりません。そして派遣されている代官が悪政を敷いているのならば正さなければならないでしょう。私のような若年のものが派遣されれば代官も油断するはずです。かなりの税を懐に入れて、娘などを味見するようなあくどい人物、これは殺してしまいましょう。本人は白を切るつもりでしょうが、自白させます。これをもって一罰百戒とし、後の代官に関しては領民にたいして5年ほどの税の減免、これは代官の持ち分から搾り取ればいいはずです」
おそらく10代でこれほど政治を語れる存在は稀だろう。今年で20になる息子のショウでは対抗することもできないと痛感したと共に、ギュスターヴ12世という男は息子にどのような教育を施したのか興味を覚えた。だが今重要なのは、緩やかに衰退の時を迎えるか、隆盛を取り戻すべく動くかの選択を迫られたことだ。
(この子どもは劇薬だ。自分なら統御できるかもしれないが、ショウとは相性が悪い)
スイ王は正道を歩むように嫡男であるショウを育ててきた。ナ国の王に求められる資質は調停者であり、謀略ではない。10年後はまだ生きているつもりだが、国政に関しては王太子であるショウに大半を委ねるだろう。ナでも少なくない血が流れる、それは仕方ない。だが既得権益を脅かされた者がショウを唆してジャンと敵対するようなら、負けるのではないかという不安が脳裏をかすめる。
「ジャン・ユジーヌよ。お主は何故余にこのようなことを告げた?」
「兄はいずれ国を取り戻すでしょうが、私と分けるには小さすぎます。ならば自分の足場は自分で作らなければなりません。できれば北方開発で切り取りたいんですけど」
「つまり余とお主との間で盟を結びたいと言うことか」
「子どもの世迷い言と一笑に付さない辺りが統治者としての条件だとするならば私には無理ですね。陛下が生きている限り私と陛下は共犯者であり、身罷った後も理不尽な事態に陥らない限りは私はナ国の為に尽くしましょう」
ナ国の王スイは幼いジャン・ユジーヌの才を認めて、13歳の彼にケッセルの地を与える。前任者である悪代官の不正を暴いたことと、領地経営の巧みさを評価したスイ王は、ジャン・ユジーヌを信任して王領の飛び地の監視ならびに、領邦国家への調査権を持つ監察官に任官した。ジャン・ユジーヌは監察官の仕事をレーテ侯爵に就任するまで続け、ナ国の中興の祖であるスイ王の忠臣として後世の歴史家からは高い評価を、同時代の庶民からは敬意を、同時代の権力者にとっては恐怖を持って次のように呼ばれることとなる。
すなわち「王の目のジャン」と
地名はナ国なのですが、国家体制は地名などを見るとドイツなので基本的に原作に登場しない地名はドイツ圏またはオランダ、スイス辺りから取ります。
王の目に関しては古代メディア王国やアケメネス朝ペルシアのサトラップ制度に対抗する王の目という監察官の制度から取っています。まあ領邦国家に対しては、収支決済や保有兵数などを監視できる権利があるわけではなく、領民から訴えがあれば調査する権限を有するだけです。ぶっちゃけるとスパイというより架空の水戸中納言さん的な役割ですね。
次回は1235年をお送りします。
あとジャンの言葉が受け入れやすい理由は次回にでも詳しく書きますが、エッグやミスティさんがやっていることと大差ありません。
捻くれたガキと生意気なガキ相手にちゃんと対応できるシルマール先生が人格者すぎて困る。メルル(岸田メル先生)くらいはっちゃけたシルマール先生がいてもいいと思うのに。