出会っては別れ
受け継ぎ受け継がせ
その繰り返しを何と言う
配点(歴史)
夜気を裂いて空を進む一隻の船がある。
細長いシルエットを持つそれはP.A.Oda内サファヴィー朝トルコに所属するヨルムンガンド級航空艦「リュウオウザン」
その艦内、所有者の意向で特別に設けられた茶室で二人の男が向き合っていた。
一人は浅黒い肌に極東の制服を僧服風にして纏い、尋常ではない大きさのターバンを巻いた初老。もう一人は極東の制服に青い着物を着た中年の極東人。
それぞれ元オスマントルコ大総長スレイマンとムラサイ諸派連合の重鎮松永・久通という。
●
畳の上に正座する松永・久通は茶碗を手に取り、中を満たしていたお湯を建水と呼ばれる容器に捨てて茶巾でゆっくりと茶碗を拭く。
対面のスレイマンはその動作を眺めつつ、
「君はこれからどうするつもりかな?」
「……とりあえずシギサンから持ってきたエロゲをオークションに出品する準備を」
……石鹸大陸・るいす風呂椅子日本史バージョン限定版を始めとして色々手に入った。
これから物入りになると予想されるので良い小遣いになるだろう。
茶器から茶杓で抹茶を掬って茶碗に入れ、柄杓で茶釜に入っていた湯を茶碗に注ぐ。
「ああ、岡さんに「幻惑!○宝行者果心居士」の初回盤を貸したままだった。今からではもう無理か」
そしてあらかじめ湯で馴染ませておいた茶筅で手早くかき回す。
立ち上る湯気に混じった香りが鼻孔をくすぐり、肌を湿らせていくのが心地良い。茶室の隅の籠で飼育されている鈴虫の鳴き声も耳を楽しませる。和やかさを感じながら久通はスレイマンを見据える。
「砂糖とミルクはどれくらいで?」
足を崩して胡座になる。正座は足が痺れるから嫌いなのだ。
「……それはどちらかと言えば珈琲ではないかな?」
「ははは。松永の姓に既成概念を問うなど」
笑みを張り付けたまま久通は砂糖瓶にスプーンを伸ばす。
一方のスレイマンは眉を歪ませ、身を乗り出して茶碗を手に取ると手の上で半回転させてから口を付ける。
「ふむ、悪くない」
「どうも」
「そして改めて質問しようか。彼は謀反を行う気だが君はどうするつもりかな? ん?」
「……困った人よな」
久通は肩を落として溜め息を吐く。
何があったのかは不明だが自分の義父はP.A.Odaに対して反旗を翻す心算らしい。お陰で余計な苦労を強いられている。
「いつも時代の最先端を突っ走るから周囲は息急く破目になる」
しかし、それでこそ松永・久秀だと嬉しくなる自分もいる。
久秀との関係は襲名による義理の親子関係だが、上手くやれていたと久通は思う。
それは久秀の破壊者という生き方に敬意を持てたからだろう。
破壊するとはつまりその存在を認める事。取るに足らない存在なら無視すればいい。壊そうと決意したからには対象を意識し、観察し、認める。そういう過程を踏んだという事だ。
そして破壊者は破壊した存在を忘れる事はない。今の己を構成する一部なのだと記憶に留めている。
そんな久秀の在り方に久通は魅せられ、付き従ってきた。自分だけではない。多くの人間が久秀を慕い、一部は運命を共にしようとしている。
……ま、俺はさっさと逃げた訳だが。
シギサンから脱出した時の事を思い出しつつ、串柿の一つを歯で千切って咀嚼していると、久通の眼前で表示枠が開いた。
映るのはP.A.Odaの制服を着た初老だ。顔に無数の筋目が刻まれているが、それは皺だけでなく刀傷もある。静かな佇まいだが隠しきれない威圧感があった。
『久通』
名を呼ばれた久通は片手を上げ、和菓子を頬張りながら裏側から覗いていたスレイマンはほう、と息を漏らす。
「よう、長頼さん」
「アッラーヴェルディ・ハーンか」
松永・長頼。軍事、政治の両面でムラサイ諸派連合に貢献する屋台骨だ。
長頼の背後には夜景が広がっていた。風が白くなった髪を揺らしていくが、雲は止まっているように見える。その事から教導院の屋上だろうと久通は当たりを付けた。
用件は何となく分かる。そろそろシギサンから脱出させた人員を乗せた輸送艦が長頼の治めるファールスに到着した頃だろう。
『久秀殿は……』
「……ああ」
長頼の言葉は疑問ではなかった。事実の確認であり、仮にこちらが何も答えずとも既に確信を持っている。
それも当然かと久通は思う。長頼は自分以上に久秀との付き合いは長い間柄だ。久秀の行動は熟知しているだろう。
「武蔵がお眼鏡に適ったようでな」
『武蔵、か。どのような者達なのだろう。会う機会が少ない上に毎年首脳陣が変わるのでどうにも分かりにくい。君は知っているか?』
「……マクデブルクから帰ってきた時、久秀殿は嬉しそうだった。俺にはその事実だけで十分だ」
『嬉しそうだった、か。それはそれは喜ばしい事よのう』
反芻するように呟き、長頼は我が事のように顔を綻ばせた。
「しかし、これから忙しくなりそうよな」
『……戦いが起きると思うか?』
「何もないと考えるのは楽観にすぎる」
長頼の本題はこれだろう。
御館様は情緒を解される方だが、個人の心情と国の運営は別。その下の羽柴や竹中は尚更だ。
平和的に引退という話もあったのに反逆してしまえば国の統制の為に何らかの処罰は必要。
織田、羽柴共に紀伊を攻めた歴史があり、それは世界側から見ても同様で障害はない。
「これまでP.A.Oda本体とは距離を取ってきた。久秀殿のスタンスというのもあるし、向こうがムラサイの多数派なのに対してうちが少数派という事情もあった。だが今後の為にここいらで国内の不安要素をなくしたいと向こうが考えるのは自然な事よな」
戦えば負けるだろう。ある程度までなら抗する事も出来るだろうが、こちらには五大頂や安土のような決定打が不足している。下手すれば十本槍相手でも危うい。
とはいえ、活路はある。
P.A.Odaはこれから関東や奥州への侵攻を本格化させるだろう。九州にも手を伸ばしているし、欧州も仏蘭西が残っている現状で懲罰目的の大規模な動員は控えたい筈だ。
当然こちらとしても勝ち目の薄い戦いは避けたい。無条件で屈伏するのは面子が潰れるので一戦交える必要があるかもしれないが、落とし所を見つけるのはそう困難ではない。
……打ち合わせなしの茶番よな。
「逐次適当にこなせば大丈夫だろう。テキトーにやると死ぬが」
まあ、全面降伏する場合の声明文も考えておこう。
右目を僅かに逸らせば見える位置に小型の表示枠を出して鍵盤を叩く。
『くくくく。織田・信長よ、大人しく我等を軍門に下らせれば世界の半分をくれてやる!』
うむ、良い出来だ。けれどこれを使う日が来ない事を願わねば。
……どうせ俺には関係ない話だが。
『久秀殿には面倒事を押し付けられたものよ。だが、これを信頼の証と考えるのは自惚れかな?』
「謙遜する振りして実は自慢してるだろう」
『うむ。……この件が片付けば私も引退だろう。難しい時期に代替わりするのはイマームやダウドにすまないと思うが』
「土岐や岡田も歴史再現に従えば羽柴か。輸送艦で送った奴等は使えるから何とかやっていってもらいたいもんだ。……下っ端ポジションでは言い出し辛かろうと俺が真っ先に退艦を宣言したのに誰も後に続かないでやんの。仕方なく以前から目をかけていたのを強引に輸送艦に放り込んだが、薄情な奴等よな」
やれやれと苦笑するが、
……我が儘よな。
久秀に殉じたかっただろうに無理矢理引き留めた。さぞ恨まれている事だろうと考え、まあ仕方ない、と久通は開き直る。今までの人生やりたいようにやってきた。緊急時になって急に変えられる筈もなく、むしろ強く反映されたというだけだ。
『君も大概よのう』
「ろくでなしだと自分でも思う」
ともかく諸派連合の方は長頼に任せておけば問題ないだろう。そして彼から通神があったのはちょうど良かった。実は久通も長頼に用事があったのだ。
「俺はこのままスレイマン殿を本願寺に送っていく。そうした後は……」
不意に言葉を切り、久通は目を閉じて深呼吸を一回。
握った手の表面に浮く汗の意味を考えようとする思考を頭の片隅に追いやる。
「ガキ二人を連れて帰る」
『……』
長頼は沈黙する。言葉に内包された意味を考えれば否定の言葉がなかっただけでも有り難い。
聖譜記述によれば松永・久秀の謀反時、人質として織田に預けられていた子供二人が殺されている。倣ったという訳ではないが久通の二人の息子もP.A.Oda本体の艦隊にいる。
脱出するように通神文を送ったが返事がない。妨害されているのか、逃げる気がないのか。どちらにしろこのままでは拙い。
『君も謀反を行うか』
「死ぬつもりはない。御館様に詫びを入れて引退させてもらうつもりだ」
スレイマンの方に視線を遣る。これは先程の質問の答えでもある。
「久秀殿が最大の敵と認めた武蔵。自身の後に続くと信じている御館様。御館様が武蔵を破壊した時にどう世界が動くか代わりに見届けるさ」
スレイマンは目を細め、口には弧を作った。
●
教導院の屋上にいた長頼は表示枠を出す。相手は、
「久秀」
『おお、長頼かよう。どうしたよう?』
気負った様子もなく、平常時と変わらない久秀の姿に長頼は安堵を覚えた。
いや、久秀にとっては事実平常時と同じなのだろう。
「昔話でもとな」
既に部下への指示は出し終わり、心置きなく述懐に耽る事が出来る。
「初めて会った時は互いに三好家の家臣だったな」
当時から自由奔放な久秀は目立っていた。自分はそんな彼が嫌いではなく、何度か戦場を共にする内に親しくなり、義兄弟となった。
大きな変化が起きたのは主君である三好・長慶の死後か。元は一介の家臣だった久秀が実権を握った際、反発する既存の有力者層を排して新たな体制を確立する必要があった。
その一環として久秀は下層階級の出身者を大勢抜擢し、自分も高い地位を得た。改革以前は生まれの身分の影響が強く、改革がなければ出世は望めなかっただろう。
その事に感謝はしているが敢えて口には出さない。聡明な久秀ならこちらの心情は把握しているだろうし、恩に報いるだけ役に立ったという自負もある。
……今更気恥ずかしいというのもあるがな。
『楽しかったよなあ。一から成り上がるってのはよう』
「国体や軍事の変革期でもあったしな」
過去を語ると自然と心が踊る。懐かしさに身を委ねれば口も軽くなる。
「英国のシャーリー兄弟は壮健だろうか」
『ああ、あいつらなあ。IZUMOに行った時に顔見せればよかったなあ。そうそう、IZUMOといやあ政康の奴がいたんだよう』
「そうか。――運のない方よのう」
『どういう意味だよう』
「はははは」
自分も久秀に振り回された一人だが基本的に味方側だった。最終的に敵対した政康や他の二人とは苦労が違うだろう。
……その分長く一緒にいたので心労は変わらんかもしれんが。
「思った以上に長続きした関係だったよのう。お前が歴史再現を忠実に行うと判明してからはお前を暗殺して別人に襲名させようという動きもあったからな。私もとばっちりで襲われた事が何度もあった」
『おいおい、退屈しないってオメエも楽しんでたじゃねえかよう』
「そうだったか?」
若い頃は向こう見ずな所があった。敵は多くとも、それは自分が優れているからだと自尊心を滾らせた。武勲が入れ食い状態だと喜んだものだ。
年を取って自他共に十分な功績を打ち立てたと認められるようになった頃には落ち着き、嗜みとしてエロゲ製作にも手を出した。
「泣きゲーの「殉教女王ケテヴァン」があまり売れなかったのは心残りよのう。コメディ色の強い「タマル女王の初体験~ショタもいるよ~」は割合売れたが」
『初エロゲで勝手の分かってねえオメエが生々しい描写入れまくったのが原因だあな。まあ、襲名者の方は助かったんだから良かったじゃねえかよう』
「同郷だし、色々と縁深い女だったからな。……あの時もお前は歴史再現を強行しようして……私は苦労した」
『あれは聖連に工作仕掛けたオメエもよっぽどだったがよう。まったく、政康達のいた大仏殿をファイアーする時はむしろオメエの方が積極的だったのによう』
「義輝を暗殺した以上、松永・久秀の歴史再現に関しては厳格に行った方が利があると判断しただけだ」
『オメエ、ちょっと前の自分の台詞思い出せよう』
脱力したように息を吐く久秀だが、不意に笑い、手にしていた茶碗を呷る。
「どうした?」
『なあに、オメエも変わんねえなと思ってよう』
「――変わらんよ、私は」
長頼はこれが今生の別れだと悟っていた。
謀反を起こした久秀が生きて戻るとは欠片も考えていない。久通も同じだろう。先程の彼とのやり取りは久秀が自害するという前提で進めていた。
冷酷だとも思うが、そういう判断が出来る人間だからこそ久秀が弟と認めたのだと自覚している以上、それまでの自分を貫き通すのが礼儀だろう。だからこそ、間に合わなくなる可能性も危惧しながら実務的な仕事を優先させた。
と、久秀が動いた。視線を表示枠から外して空に向け、
『馬鹿共が来やがったよう』
……武蔵か。
長頼の方にも国境付近を巡回中の艦から報告が入っている。いよいよ最後の時が来たのだ。
『じゃあ長頼、これで……』
「いや、もう少し待て」
『あん?』
その時、画面越しに見える久秀の周囲で無数の表示枠が開いた。映っているのは諸派連合の学生達だ。
『お世話になりました!』
『談冗は自分が引き継ぐので心置きなくボンバーしてください』
『「せいしょ?」のお陰で家族が出来ました!』
『墓前には義輝×久秀本を供えるので待っててください!』
『極東にクリスマス文化を持ち込んだのは間違いだったと思います!』
口々に感謝と激励を述べる学生に久秀は困惑の表情をこちらに向ける。
『長頼……』
「こういうのが苦手だったから手配させてもらった」
してやったりと笑う。長頼は久秀の戸惑いの中に喜色が混じっていたのを見逃さなかった。
……。
今ならまだ引き留める事が可能だと感情が囁く。死んでほしくないのが自分の本心だ、と。しかしそれを、命を賭すだけの価値を見出したやりがいを止めるべきではないと別の感情が遮る。
…………。
結局、長頼は後者に従った。
別れる時は笑顔で。そう決めていた長頼は、未だ抵抗するように硬い頬や口元を動かして表情を作った。
「――後悔のない決断を。我等が王よ」
『……ああ。それじゃあ、行ってくるよう』
『Shaja……!』
●
それから間もなく、九鬼艦隊と対峙していたシギサンは自爆。
夜空に咲いた巨大な火の花を見届けた長頼はあらゆる通神を拒否。一人立ち尽くしていたが、きっちり三十分後には通神機能を復帰させて職務を開始した。
●
長篠の戦いや文禄の役の為に関東方面へ大艦隊が出撃した後、欧州への牽制の為に展開していたP.A.Odaの艦群の術式受像器が接近する艦を捕捉。
照合の結果P.A.Oda所属、しかし直前に謀反を起こした松永・久秀傘下の航空艦リュウオウザンと判明。艦群の指揮官は部下から即時攻撃も提案されたがひとまず警告を発した。
だがリュウオウザンは警告を無視し、その上加速。攻撃こそないが明らかに激突コースのリュウオウザンに対して指揮官は迎撃を決意。
小型艦が多かったもののステルスもなく一直線に突っ込んでくる艦は的にしかならない。集中砲火によって防御術式を砕き、船体を穿つ。
しかし各所から火を噴きながらもリュウオウザンは止まらない。後退する素振りを微塵も見せない突撃は艦群の喉元まで迫った。沈没間際、一発だけ放たれた流体砲が一隻の艦の上部を掠めて装甲を削り取る。
●
……さらばだ、リュウオウザン。名前負けしてる感があって使い辛かったが、茶室の出来は最高だったぞ。
艦内への侵入に成功した久通は降り注ぐ破砕片や粉塵を振り払って表示枠を立ち上げる。
血脈を重要視するムラサイ教譜少数派の家族割プラン、加入特典の位置検索サービスがこんな形で役に立とうとは。
確認し早速向かおうとした矢先、通路の先から武装した学生が大挙して押し寄せる。
けれど久通の表情はあくまで涼しげだった。
淀みない動作で二律空間から己の武装を取り出す。抹茶と湯が投入済みの茶碗と茶筅。実践茶道用に誂えた特別仕様だ。
左手でしっかりと茶碗を保持し、手首だけでなく腕や肩、右半身全てを連動させて右手の茶筅でかき混ぜる。
泡立ち渦を巻く抹茶。心安らかになる香りが匂い立つ。
しかし久通はそこで手を休める事なく更に力を込める。うねりは巨大になり飛沫を散らす。やがて茶碗から飛び出す竜巻となる。
そして久通は茶碗を傾け、
「よく味わうといい」
深緑の瀑布が解き放たれる。その姿はあたかも敵を飲み干さんと猛る龍にも見える。
通路に展開していた彼等に逃げ場はない。防御を固める者もいるが、津波の前の小舟のように心許無い。
暴流が過ぎ去った後、そこに久通の行く手を阻むものは存在しなかった。
「運が悪かったな。九十九髪茄子があればもっと味わい深い茶を御馳走出来たのだが。……いや、茶器のせいにするとは俺もまだまだよな」
久通が未熟を恥じていると背後からも別動隊がやってくる。
それを振り向かず、気配だけで感じ取った久通は茶碗と茶筅を仕舞う。
先程の技は格ゲーで言うならゲージ消費の必殺技のようなもので連発は難しい。だが、実践茶道に深く精通した久通の技は一つだけではない。
右手に茶器を、左手に柄杓を持ち、上半身を捻って躊躇いなくぶちまける。空中で抹茶と湯が混ざり合い、鈍い音を立てて床に広がった。
侵入者を捕らえるべく奮起していた彼等だったが、粘度を帯びた抹茶に足を取られて次々に転倒。起き上がろうとするも上手くいかない。
結果、彼等は抹茶と屈辱に塗れて久通を見送る事しか出来なかった。
●
……見付けた!
検索サービスを頼りに辿り着いたのは乗組員用の居住区画。
反応を示す部屋の前では二人の男が物々しい雰囲気を漂わせて警備に勤しんでいた。
対象までまっすぐな通路。ここまで来て久通に立ち止まる理由などありはしない。全身に気合を込める。
久通は走りながら自分から見て手前にいた男に香が詰まった香合を投げつける。
一方、警備の二人も久通に気付いていた。香合に狙われた方の男は咄嗟に腰を落とし、術帯を巻いた腕で頭と胸をガードする。直後に紋章が生じて防御術式が起動。
もう一人の男は瞬時に相方の背後に移動して腕を掲げる。そこに発生した帯型の紋章が光を放ち、集束して一つの形を取る。風精の片腕だ。通路の半分を専有する大きさで顕現した腕は久通を迎え撃たんと五指を握り込む。
その判断にミスはない。狭い通路、腕を振り抜こうと思えばその位置が正しい。仲間を盾にする形になるが、それも信頼関係だと言える。
過ちがあったとすれば情報不足。その一点に尽きる。
香合が防御術式とぶつかると同時、仕込まれた炎熱術式が発動。香が焚かれ、猛烈な勢いで発生した煙を吸い込んだ彼等は瞬く間に昏睡した。
煙が立ち込める扉の前に移動すると複数の紋章が現れては砕ける。それはしばらく続いたが煙が霧散するに従って頻度が減る。
倒れている二人を壁にもたれ掛かる形で座らせて扉を確認。ロックされていたが、逆に言えばそれだけ。強行突破が可能だ。ついさっき倒した二人の持ち物をチェックすれば解錠出来たかもしれないがまどろっこしい。
菓子切りを一閃。久通の手には和菓子を切るのと同程度の衝撃しか返さず扉は切断される。
扉の先は二畳程度の部屋で、壁には上下二段のベッドが張り出している。
航空艦ではそうそう広いスペースを確保出来ない。本当に寝起きする為だけの空間なのだろう。
「……父上」
険しい顔と声の青年が久通を迎える。彼の後ろで少年が体を隠し、顔だけをこちらに見せている。
見たところ拘束などはされていない。思った以上に軽い扱いだ。
この艦に懲罰房の類が存在しなかったというのもあるだろうが、久秀の謀反は突然だったので親類への対応まで手が回らなかったのだろうか。何にしろ久通にとっては好都合だった。
「そうだよ。愛しのお父様が助けに来たよ」
「……加入者全員の同意がないと解約出来ないのが残念です」
嘆息する青年。
言外に含まれた救援を拒絶する態度に久通はこめかみをひくつかせる。
「帰るぞ」
「折角来ていただいたのに申し訳ありません。ですがお一人でどうぞ」
「……謀反は久秀殿の事情であってお前達が付き合う必要はない」
「これは自分達の事情です」
放つ言葉と視線には強い力と意志があった。
厄介な、と久通は顔をしかめる。
「律儀よな。貴様、それでも梟雄松永・弾正・久秀の孫か!?」
「血の繋がりはありませんが」
「……確かにそうだが……」
「それでも、紀伊半島を治める松永の姓を宿した身。責任は取ります」
「……お前もか?」
中腰になって少年と目線を合わせると、彼はこくこくと首を縦に振る。
「……そうよな。お前達はそういう奴等よなあ」
……妙な構図になったものよな。
愛する我が子達を助けに来た正義の味方の筈がまるで誠実な子供を誘惑する悪魔のようだ。
「お前達の事情は分かった。だが、我が子には生きてほしいという俺の事情もある」
両手を大きく広げ、
「処刑されたくば俺を倒してから死ぬがいい!」
久通の宣言に対して青年は意を決したように頷く。少年を奥に下がらせ、自身は久通に向けて一歩を踏み出す。
対する久通は握った右手で左手の掌をぽんと叩き、
「そういえば嫁さんがさ……」
懐に手を入れて掴んだ物を放り投げる。
「?」
二人の意識が上を向いた刹那、二律空間から四幅の掛け軸を射出。距離が近い上に手狭な室内。思考が反応出来ても体は動かない。
それぞれが上半身と下半身に巻きついて拘束。首から下を封じられ青年と少年はバランスを崩して倒れる。
「く……」
「反逆者の先輩として一つ忠告しておくと、反逆するのに必要なのは意志だが、反逆し続けるには力が必要だ」
悔しげな青年を見下ろして久通は得意げになる。このまま時が過ぎるのに任せれば死ぬ意味もなくなる。
ちなみに投げたのはここに来る途中に鼻をかんだ懐紙だ。
「俺にはまだ茶の湯の深奥を極めるという使命が残っている。お前達に死なれると俺も死ななくてはならない雰囲気になって非常に困るのよな。あと俺に代わってイスファハーンを治める人間も必要だ」
という訳で、
「親子水入らずで歴史再現無視の汚名を享受しようではないか!」
目的を達した久通が意気揚々と高笑いしていると、
……ん?
久通の聴覚はこちらに向かう複数の足音を察知。
音の方向を向くと、通路の曲がり角から現れた学生達が長銃を構えてこちらを狙う。銃口の上にはガルーダが舞い、恐らく誘導術式でも付加しているのだろう。既に指が引き金に掛けられ、一刻の猶予もない。
……そっちから来たか!
逆側の通路から来たなら壁にもたれ掛からせている学生二人を蹴り上げて盾に出来たのだが。あるいは、部屋に飛び込むというのも有効かもしれないが、万が一追尾してきた銃弾が子供達に当たるのは避けたかった。
……ええい!
判断と行動は一瞬の内に行われた。二律空間から水の入った器、水指を取り出す勢いのまま撒き散らす。すると中の水が飛散して防壁となる。
直後、術式火薬の炸裂音が連続し、防壁に無数の波紋が生じる。
そんな一秒にも満たない時間の中でも久通の思考は働きを止めない。
この技は使用過程の問題から防壁の厚さが均一ではない。現に水に埋もれても前進の力が死んでいない銃弾もある。
長年使用してきた技であり弱点も把握している。故に躱す事も出来たが、
……!
防壁を突破し、一条の軌跡が久通の片足を貫く。
蹲り、傷口を押さえても手の隙間から鮮血が零れ落ちる。
だが久通の口には笑みが浮かぶ。誠に勝手だが、一方的な言い訳が出来た。肩の荷が下りた気分だ。
「これで松永・久通の歴史再現は完了とさせてもらう」
元々引退という話で進めていたのだからリュウオウザンに加えて片足を捧げただけでも大盤振る舞いと言っていいだろう。
久通が自己弁護を並び立てている間にも学生達が動く。足首に術帯を巻いた男達が風の移動術式を操って久通へ突撃。長銃を持った学生達も次弾を装填して備える。
それを見て取った久通は、
……さて、仕上げよな。
取り出だすは黒い茶釜。取っ手が蜘蛛の脚を模したその釜を目視した先頭の学生が驚愕して叫ぶ。
「古天明平蜘蛛……!」
「贋作だがな」
蓋を外して中に詰まった爆砕術式の符が殺到する学生達にも見えるように向ける。
次の瞬間には文字通り爆発的に広がる炎と閃光、空気の圧が通路を満たし、収まりきらない力が破壊を生み出す。
●
二枚折りの屏風が空をたゆたう。
その上で久通は簀巻き状態の青年と少年をそれぞれ肩に担いでいた。左肩に担いだ青年の方が重いので右足に重心を傾けて安定させる。治療用の符が効いてきたのか片足の感覚がなくなっているが、姿勢制御は慣れているので問題ない。
凍てつく夜風が吹きつけるも戦闘で火照った体には心地良い。
体内に充足する達成感を噛み締めながら、尚も不満げな表情の青年を見る。
「まだ死ぬ気か?」
「仮に自殺しようとしても止められるんでしょうね。もう諦めました。生きて国に貢献する道を選びます」
渋々という心境を言葉の節々に滲ませながらも死を否定した青年に久通は破顔する。
「そうそう、命あっての物種。……死ぬなんていつでも出来るんだ。あまり寂しがらせないでくれ」
「……とりあえず父上はチェレビさん達に謝ってください」
言って青年はそっぽを向いた。今はそんな何気ない態度ですら愛おしい。
反対側、既に寝入り小さな寝息を立てる少年を穏やかな気持ちで眺め、決意を新たにする。
「御館様に侘びを見せないとな」
最後の大仕事だと内心で呟き、久通は暗い空を展望する。見通しは悪く、夜明けにはまだ遠い。
だが、必ず明けるのだと確信があるなら恐れる事は何もない。
●
時代に一つの区切りがつく。
しかし歴史はその歩みを止める事はない。退場者がいれば入場者を迎えて進み続ける。
いやぁ、英語版ウィキペディアは強敵でしたね。