「……」
私は、事態の推移がまるで解らなくなっていた。福音を倒したかと思えば、首を絞められ。あわや、というところで一夏が現れ。
そして、福音がワンオフアビリティーに目覚めたと言う状況。私でなくとも、混乱するだろう。更には。
「ちょ、ちょっと待て一夏。何か白式、変わっていないか? パッケージでも装備してるのか?」
「いや、違うぞクラウス。なんか、白式が二次形態移行したらしい」
「はああああ!? な、何であんたまで二次形態移行してるのよ!?」
鈴が、驚きながらも衝撃砲を発射し続ける。顔をこちらに向けながら狙いを外さない、というのは流石は代表候補生だと言うべきか。
「俺にも解らない。……それよりも今は、福音だ!」
一夏が、福音に向かって突撃していった。私やセシリアと同レベルの加速力。
それが、命中――するかと思った瞬間。先ほどよりも、更に上昇した回避力を持ってその一撃を避けた。
「げっ……」
「おい待て、まさかこの期に及んで回避力が上昇しましたとか無しだろ?」
「……倒ス」
鈴と安芸野の声がした。そして、もう一つした声の主は。
「い、今のってまさか銀の福音?」
「まさか、そんな……」
「私ノ新シイ力……For our dreamデ……倒ス……!」
For our dream? まさか、それが銀の福音のワンオフアビリティーだというのか?
For our dream……和訳すると『私達の夢のために』となる。私達、それが意味する対象は。
「……お前も必死なのだな、銀の福音」
どうして暴走したのか、私には解らない。
だけど、そのワンオフアビリティーが。その『私達の夢のために』と訳される能力が、悪しきものには感じなかった。
「夢、ですか。……ファイルズさんの夢といえば、以前インタビューで語っていましたが……
『この子は、大空を自由に舞う翼。アメリカの象徴である、自由の象徴なのです。
願わくば、いつかあの空の彼方へ――宇宙へも、自由に飛べるようになりたいですね』
と仰っていましたね」
一場が、そんな事を言っているのが聞こえた。自由に飛べるようになりたい……?
彼女の言葉が正しければ、それが、あの銀の福音の操縦者の夢だと言うのか?
「……じゃあ、福音の夢って」
「自由に飛びたい、って事なのかな」
だからこそ、暴走したと言うのか? ……だが。
「……私達も、お前を止めなければならない。これ以上、好きにはさせんぞ!」
押さえ気味であった展開装甲を、全開にして突撃する。これもまた、避けられるが。
「まだだぁ!」
「!」
そこへ、一夏が再度攻撃を仕掛けてきた。私の攻撃を避けた先への攻撃はどうやら避けきれなかったようで、その翼を浅く掠める。
「……!」
しかし、一夏の攻撃は零落白夜。シールドエネルギーを消費し、その何倍もの傷を与える刃だ。
それが、掠めただけでも大きく効果があったらしく。その光翼が、少しだけ数を減らした。
「よっしゃ、翼が減った!」
「このまま押し切りますわよ! それぞれ、ポジションを崩してはなりませんわ! ……それと更識さん、お願いしますわよ」
「うん……! 私も、打鉄弐式に出来る事をやる!」
そして、皆も攻撃を再開させる。……その攻撃を銀の鐘で相殺しつつも。福音は、未だ屈せぬ構えだった。
「まさか、織斑君が二次形態移行したばかりか傷まで癒えているとは、な」
「本当ですね……」
暴走したカコ・アガピの面々を鎮圧した教師達は元いた部屋に戻ってきていた。
先ほどまでカコ・アガピのメンバーもいた部屋は人数の減少からか、がらんとした空気を漂わせている。
「しかし、宇月さんはいいのですか? 何があったかしりませんが、二次形態移行を見ただけで拘束するというのはちょっと……」
「それは仕方がありませんよ、ゴールディン先生。拘束、という名の事情聴取なのですから」
一年二組担任のフローラ・カーン・ゴールディンに三組担任の新野智子が答えたように、宇月香奈枝が別室で事情聴取を受けていた。
副担任の山田真耶がそれを受け持っており、それを書類に纏める手はずとなっている。
(それにしても、先ほどの織斑先生と古賀先生のやり取りは、一体……?)
智子の視線が、副担任と一組担任へと向かう。それは、先ほど一夏が出撃した直後の事だった。
『よく誤解される事ですが、兎が来る、というのは何処の誰にも解らなかった筈です。
私でさえ「兎の格好をしてくる」とは知らなかったのですが。……どういう事なのでしょうか?』
織斑千冬の、古賀水蓮への質問返し。それが、両者のにらみ合いを生んでいた。
一番傍にいた宇月香奈枝は冷気を浴びたように震えだし、真耶や智子でさえも口出しが出来なかった。そして、にらみ合う事一分。
『偶然、ですよ。――それよりも、さっさと監視に戻りましょう。留守を守ってもらっている先生方に、申し訳がないですからね』
古賀水蓮が引き、千冬も威圧を解いた。なおその時、香奈枝は半分気絶しかかっていたという。
(いきなり自分そっくりの自立機動を可能とする専用機を持ち込むなど……古賀先生は、一体何者なんだ?)
自身の受け持つクラスの副担任として、自身の補佐や生徒の指導、整備課生徒への教導を行ってきた彼女。
人脈も広く優秀な人物ではあったが、何処か得体の知れない部分があった。この臨海学校で、それがより強まった感さえあった。
「……来た、か」
だが、そんな思考は外には出さずにモニター画面を見つめる。そこには、先ほど出撃した一夏が皆と合流していた。
「やれやれ、お姫様のピンチに駆けつけての一撃か。……まるで王子様だな」
「……古賀先生」
「おっと失礼。……っ!」
揶揄するような言葉を千冬に窘められ、舌を出す水蓮。……だが、続いて出た映像には彼女も眼を見開いた。
「福音が、萎む……? 何だ、あれは? まさか……ワンオフアビリティーか? しかも、喋りだすだと……?」
思わず漏れたようなその言葉に、一同の視線が集中する。ほとんどの視線は、その真贋を気に掛けているのだろうが。
(……ワンオフアビリティーの覚醒、か。確かにそれは驚くべき事態では在るが)
(織斑君の二次形態移行にも驚かなかった古賀先生が、福音のワンオフ発動には驚く。……さて、どういう事なのだろうか)
その驚き自体に怪訝な視線を向けている者も、いるのだった。
「くうっ……散弾でも、当たりづらくなってる……」
「どうなってるんだよあの速度!」
私達の福音撃退は、さらに難易度を増していた。一夏さんが来てくださったというのに、福音の速度が更に上昇してしまったのがその原因。
しだいに、攻撃を失敗して反撃を食らったり。あるいは逃がしかける場面もあった。
後者の方は、私や一夏さん、箒さんが何とか押しとどめたものの。このままでは、いつか致命的な失敗が起こる。それが、私の判断だった。
「どわっ!」
そして、その頻度が特に高いのが今、福音の攻撃を受けた安芸野さんだった。何故か、福音がステルス機能を見破り始めたのだ。
彼のIS、御影のステルス機能はかなり完成度の高い物。あの学年別トーナメントでも、もし彼と当たった場合の情報収集は必須とされていた。
だけど、そこまで高いステルス機能を無効化する福音……。一体、どうやって?
「くそっ、どうなってるんだよ……」
「将隆、大丈夫か?」
「ああ、何とか、な。……くそ」
初めて見るかもしれない、彼の苛立ちの表情。……最悪の場合、彼は撤退させた方が良いのかもしれない。私の冷静な部分が、そう呟く。
「安芸野さん、貴方は――」
「オルコット、俺がもう一度突貫する。……隙を見て、俺ごとで構わないから撃ってくれ!」
ステルス機能発動により、コア・ネットワークでさえ判別できない不可視の衣を纏う御影。
全方位攻撃でないかぎりは、決して攻撃を食らうことは無いはずなのに。
「あ、安芸野さん!」
福音は、見えないはずの御影を捕まえた。範囲を限定した銀の鐘が降り注ぎ、その中で爆発に次ぐ爆発で撃墜された御影が現れた。
先ほど纏ったばかりの黒い鎧――パッケージ、土蜘蛛――は大半が破損し、その力を失ったようにも見える。
「ち……くしょう」
そんな声を残し、御影が海中に没していった。
「い、いやあああああああああああああああああああ!」
「ま、将隆ぁ!」
補給中で、紅椿とケーブルで繋がれた舞姫と中空を漂うプレヒティヒから絶叫が聞こえる。……とうとう、私の悪い予想が当たってしまった。
「――セシリア、一緒に仕掛けるぞ!」
「――ええ、解っていますわ!」
だけど、ここで攻撃をやめるわけにはいかなかった。素早く立ち直った一夏さんが、私と共に攻撃を仕掛けると宣言する。
先ほどから、最高速度を持つIS……白式、ブルー・ティアーズ、紅椿の三機のうち、二機がかりでなければ福音を逃がしそうになっている。
他の方々では、命中率が50%ほど。パッケージを不保持の簪さん、紅椿の補給のみが役割となった一場さん以外の全員が、攻撃に回っているのに。
……友軍誤射(フレンドリーファイア)がいつ発生してもおかしくない状況だった。
「よくも、将隆を!」
シャルロットさんが散弾を撃つも、これもあたらない。ガルムから放たれた砲弾も、海面に没して大きく水しぶきを上げただけだった。
「いい加減に……!」
「落ちろおおお!」
スターダスト・シューターから放たれる一撃に合わせ、一夏さんが新装備……大口径荷電粒子砲を放つ。
二筋の閃光が、福音を捉え――そうになるけれど、極僅かな機動のみで福音は私達の攻撃を避けた。
「私ノ邪魔ヲ……スルナ!」
先ほどまでとはうってかわって雄弁になった福音が、怒気を感じさせながら翼を広げ、腕を中空で何かを挟みこむような体勢になる。
エネルギーがその腕の間に集中する。これは……! あの、光の奔流での攻撃!
「一夏さん、避けますわよ! この一撃は、致命的な一撃になりかねませんわ!」
先ほどから福音は私、一夏さん、箒さんを優先的に狙っている傾向がある。ここで、最大の攻撃をもって私達を屠るつもりだと解った。
「……! いや、駄目だセシリア! ここから、逃げられない!」
「何を……っ!」
一夏さんの言葉に反論しかけ、私は自身の失策に気付いた。
私達と福音を結ぶ延長線上に、ほとんど動けなくなっている箒さんと一場さんがいたという事に。それを、一夏さんが庇おうとしている事に。
「……こいつなら、守れる筈だ! 頼んだぞ、霞衣!」
そして、一夏さんが左手を掲げる。それと同時に、光の奔流が福音より放たれるのを感じた。
「セシリア、箒、一場さん。大丈夫か!?」
光の奔流が収まった時。……私達は、全員無傷と言っていい状況だった。
「わ、わたくしは何の問題もなくってよ!」
「だ、大丈夫だ。一夏のシールドが、守ってくれたからな」
「ええ、私達の損傷は皆無です。――それと篠ノ之さん、補給終了です。……あと一回くらいなら、可能ですね」
「そうか、そりゃ良かっ――!」
一夏さんが、何かに気付いたように自身の左腕を見る。そこには、シールド状に展開された零落白夜、というべき『霞衣』が光っている。
たった今ブルー・ティアーズが分析してくれた結果だけれど、驚きを隠せなかった。
「一夏? どうしたんだ?」
「いや。思いついたんだ。この『霞衣』の使い方を、な!!」
「使い方?」
「ああ。――セシリア、箒! 俺の後ろに来い!」
「ど、どうしたのだ?」
「早く!」
一夏さんが先頭になり、私と箒さんが続いて一直線に並んでいく。
「アノ攻撃ヲ……受ケタ……ダト!?」
福音から再度、渦巻状の光の奔流――レッドキャップの紅の繭(クリムゾン・コクーン)さえ破ったそれが放たれる。
しかし、これもまたエネルギー。エネルギーを無効化する零落白夜、そのシールドタイプというべき霞衣には、通じなかった。
「ナラバ……!」
「おっと、そうはさせないぜ! 霞衣、拡大!」
今度は散弾タイプの銀の鐘が豪雨のように降り注ぐが、霞衣という名の傘が大きくなり、それらを防いでいく。
一夏さんはシールドエネルギーを消耗するものの、衝撃はなく、私や箒さんの損耗は皆無。
どうやらこの霞衣も、本物の零落白夜同様に、拡大・伸張を可能とするようだった。
「!」
「今度こそ、貰ったぁっ!!」
一夏さんが霞衣を解除し、雪片弐型での攻撃に入る。私と箒さんも素早く散開し、それぞれの攻撃準備に入った。そして――。
「嘘、でしょ……」
少し離れた空域で鈴さんの声がした。……私達三人の攻撃は、福音の急下降により全て回避されてしまっていた。
「落チロ……!」
そして福音の周囲で、数え切れないほどの銀の鐘の光弾が展開され。それが『全て』私達に向けられ。
「かかった、な」
一夏さんは、悪戯っ子のような笑みを浮かべた。……そういうのもちょっと素敵だと思ったのは、不可抗力です。
「――将隆、今だ!」
「おう!」
「な、何!?」
「安芸野さん!?」
その声と共に、御影が出現した。銀の福音を挟み、私達と反対側。――銀の鐘の光弾が、一発も存在していない空間から出現した。
「ナンダト!?」
「鎮腕弐式――朽縄!」
その腕に纏う複合武装システム『岩戸』より、クラス対抗戦でも一夏さん相手に使っていた敵を捕獲するシステム――鎮腕が放たれた。
先ほど使っていた出雲の網、というネット兵器とはまた違うそれ。だけど、クラス対抗戦の時と同一でもないそれ。
朽縄――翻訳すると、蛇の事らしい――の名の通り、蛇のように細長い、シュバルツェア・レーゲンのワイヤーブレードと良く似たものだった。
そしてそれは福音を捕縛すると一気に巻き戻っていき、御影と銀の福音とを近づける。
「岩戸――最大出力!」
「!」
福音の纏う焔がワイヤーを焼ききらんとするが、御影のほうが早かった。電撃攻撃が炸裂し、福音がその動きを止める。
「……今だ、お前ら!」
「おう!」
「はいっ!」
「うむっ!」
そして消えて距離をとる彼の声と共に、私達が再度攻撃する。岩戸の攻撃を受けた福音の動きは鈍っていて。――とうとう、クリーンヒットした。
「アアアアアアアアアアア……!」
そして福音の光の翼が次々と消失していく。先ほどまでの福音であれば、まだ持ちこたえられたかもしれない。
だが、敵もまた装甲を削っていた。自身のワンオフの効果として、エネルギー回復の代償として。その分、ダメージが増加していた。
「マダ……マダ、負ケナイ!」
「な、何だと!? 私や一夏やセシリアの攻撃では、とどめを刺しきれなかったのか!?」
福音が最後の力を振り絞り、白銀の焔で負傷を再生させ。残っていた数枚の光の翼を圧縮し始めた。
海鳥のような大きな翼を広げた福音が、一気に加速していく。そして、一瞬で最高速度を出した福音は、夜空で――ぶつかった。
「ガッ!?」
そう。何も無い、何も捉えられなかった空間に、何かがぶつかった。……それは、大きな楯の形をしていた。――御影の、岩戸。
「よう、また会ったな福音。前方不注意だったな?」
保安部隊がジェラルミンの楯を構えるように、岩戸を構えて中空に浮く安芸野さん。
彼もまた、一夏さんと同じようなイタズラが成功した子供のような笑みを浮かべていた。
「やった……行動パターン予測、当たった!」
今までの戦いで、黒子のごとく自身の存在を消していた者。銀の福音から見れば警戒レベルが低かった者の一人。
日本代表候補生、更識簪が小さくガッツポーズをした。彼女は今まで、福音の機動や加速をデータとして読み取っていた。
福音の最高速度は確かに早く、そして機動性も高い。だが、福音の飛行パターンは何度も目撃されていた。
織斑一夏と篠ノ之箒、ドール部隊、IS学園勢、変異したシュバルツェア・レーゲン、ティタン。
それらとの戦いの中で、僅かではあるが『癖』を読み取ったのだ。――それらの戦いを、ずっとモニターで、あるいは自分の目で見ていた更識簪。
彼女が、自機にデータを打ち込み、本来ならばミサイルの操作に回す処理能力を、福音の行動計算に回した。
だからこそ、将隆の回りこみが成功したのだった。なおこれは、セシリアが密かに簪に頼んでいた事でもある。
福音の『眼』の特性や、回避力の上昇を見抜いた彼女を見越しての願いだったが。
「カコ・アガピの連中に感謝する事があるとすれば、専用機持ちの中でも処理能力に特に長けた更識簪をオペレーターに回していた事だな」
とは、後に織斑千冬がこの戦いを総括した際のコメントである。
「今度は逃がさねえええええええええ!」
そして、岩戸にぶつかった福音に再び一夏が突撃した。二次形態移行した白式は、四機の大型スラスターを得ていた。
それは、トーナメント二回戦において一夏が春井真美に試した、瞬時加速の連続使用――二段階瞬時加速(ダブル・イグニッション)を可能としている。
そして零落白夜の光刃を煌かせた一夏が、福音の翼を両断した。
「アアアア!」
だが、福音もまだ手札を残していた。白銀の焔による、二回目の再生。最後の手段であるこれを使ってでも、自身の夢――飛び続ける事を選択した、が。
「まだだああああああああああああ!」」
一夏が、今度は左手の新武装・雪羅から白い輝きを生み出す。それは、零落白夜の輝き。それが、銀の福音の腹へと突き刺さる。
「!」
零落白夜は、消費したシールドエネルギーの五倍のダメージを与える。そして、再生と消失を同時に受けた福音が――その輝きを、失った。
そしてその姿を待機形態へと戻し。金髪の女性が、空に投げ出された。
「あ……強制解除されたぞ!」
「ふぁ、ファイルズさん!」
「任せろ!」
そして一夏がその女性――銀の福音の操縦者、ナターシャ・ファイルズを救い出した。そして。
「……これで、ようやく終わったんだな」
「ああ。……俺達の、勝ちだ!」
将隆と一夏の声を皮切りに、皆が笑顔を浮かべる。――そして、この長い戦いにもようやく終止符が打たれたのだった。
「なあ、それはそうとして。さっきのは、どうなってるんだ?」
「そ、そうです! 将隆君が撃墜されたかと思うと、銀の福音の後ろに出現して捉えるなんて、どうなっているんですか?」
そして旅館に戻る途中。クラウスと久遠が、先ほどの奇妙な行動について問いただしを始めた。
将隆の撃墜に、もっとも衝撃を受けていたのがこの二人であったため、その問いただしも当然至極だが。
「一夏、箒、セシリア。あんたら判ってたの?」
「い、いいえ。存じませんでしたわ」
「私もだ」
「あ、俺は将隆からプライベート・チャネルで聞いた」
「僕もだね」
事情を知る者が、手を挙げた。一夏だけでなく、シャルロットが。
「しゃ、シャルロットもだと? どういう事だよ、一夏、将隆」
「ああ。俺、撃墜されただろ。その時、とっさに思ったんだ。死んだ振りをして福音に近づけないか、って」
「それで、俺はセシリアと箒を連れて攻撃したんだ。福音が、俺たちを優先させているっていうのは何となく分かったし」
「僕は、将隆が海面から上がる時に福音にばれないように爆発で海面を乱すように頼まれたんだよ」
「じゃ、じゃあ何で、あたし達には伝えなかったのよ」
「俺の力量じゃ、一夏とシャルロットに送るのがやっとだったんだよ。……悪い、心配かけた」
将隆は、素直に謝罪した。もっとも、結果的には福音にとどめを刺す一撃のアシストをこなした彼である。誰も、責める者はいなかった。
「まあ、俺がどうこう言える問題じゃないな。……情けないが、一番役に立ってなかったのはプレヒティヒと俺だし」
「おいおいクラウス、何を言い出すんだよ。それなら俺だって、さっきまで皆に任せっきりだったんだぜ?」
「でも、一夏はとどめを刺したし……。むしろ、ずっと行動分析に回っていた、私の方が……」
「何を仰いますの。簪さんの分析がなければ、福音を止めることなど出来ませんでしたわよ?」
「あーー、もう止め止め! 全員の力で勝った! それで良いでしょ、もう!」
自身の反省大会になりかけたところを、鈴が勢いで打ち消す。それがまた、一同に笑顔を浮かべさせるのだった。
「……ふむ、あれが現在のIS学園の専用機持ち達、か」
「面白いな。篠ノ之束の乱入、カコ・アガピの乱入を経ても『予定通り』福音を止めて見せるとは」
一夏達の遥か上空。成層圏といわれる場所から、彼らを見守る者達がいた。
「だが、肝心の紅椿の『アレ』は発動しなかったようだが……。さて、どう変わるかな?」
「今度の予定では、大きな戦いはない。ならば『アレ』は発動する機会があるまい?」
「……では、しばし見守るとしよう。我ら『天生会』の敵は――連中なのだからな」
そしてその者達は、自身の行動を決定する。――そこへ、通信を入れてきた者がいた。
「どうした?」
『見ているだろうが、銀の福音は予定通りだ。……とはいえ、その形態はとてもじゃないが予定通りとは言えないが』
「そうだな。――それに関しては、そっちの意見も伺いたいが」
『ああ。纏めておこう』
通信といっても、音声のみのもの。だが、その機密保持精度は現存国家や企業のそれを大きく上回ったそれである。
「頼む。……それは兎も角、君は自身の専用機を明かしたというが。時期尚早だったのではないか?」
『カコ・アガピや銀の福音の変異を考え、自衛戦力を増強しただけだ。……それと、連中が篠ノ之束に仕掛けたようだぞ』
「ああ。こちらでも感知した。返り討ちにあったようだが、な」
『まあ、あの御仁にはこちらの事は知られていまい。……ゆっくりと、動くとしよう』
「そうだな。――たのんだぞ、古賀水蓮」
『心得た』
その通信の相手は、古賀水蓮。委員会から専用機を預かっていると自称し。数々の怪しい発明を生徒達に渡し。
委員会を通じて、箒達の出撃を許可させ。千冬に、挑むような言葉を投げかけたIS学園の一年三組副担任。
生徒達や担任が、思いもよらぬ顔を持つ女性であった。
「作戦完了……と言いたい所だが、お前達は事後承諾による独自行動という重大な違反を犯した。
帰ったらすぐに反省文の提出、それと懲罰用の特別メニューを用意しておく。これは、決定事項だ」
「……」
福音を何とか食い止めた私達を待っていたのは、織斑先生の叱責だった。……まあ、仕方ないよね。
古賀先生が許可を取ってくれたとはいえ、本来なら、他の先生にも話して許可を得なくちゃいけないんだから。
「……う」
それは仕方がないんだけど。……話を聞くのに、正座というのが本当につらい。大広間で、30分近く正座で言葉を聞いているけど。
セシリアさんは正座に慣れていないのか、既に顔は真っ赤から真っ青になっている。シャルロットさんや凰さんも、そろそろ危険。
私は――更識家の次女・更識簪として、正座は日常茶飯事だったから平気だった。
「あ、あの、織斑先生? もうそのへんで……け、怪我人もいますし、ね?」
「……そうだな。まあ、全員よくやったな」
その言葉に、ようやく全員が正座から解放される。……前述の三人が特に酷く、暫く立ち上がれそうにない。
一夏や安芸野君、篠ノ之さん達は、まだ大丈夫みたいだけど……。あ、米国生活が長いらしい一場さんもちょっと足が痺れたみたい。
「じゃ、じゃあ、一度休憩してからちゃんと診察をしましょうか。ちゃんと服を脱いで、全身をチェックしますからね」
「お手伝いしますよ、山田先生。では、高性能カメラを準備して――」
「ハッセ、お前は男子生徒を受け持て。それとブローン、お前は私が直々に診察してやろう。異論は許さん」
「そ、そんな酷い!」
「……終わった、俺の人生終わった」
そんな一幕はあったものの。皆、怪我はそれほどなく。一緒に――といっても一夏たちは当然別――にお風呂に入ることになったのだった。
「は~~。何か、長い一日だったわね~~」
凰さんが、湯船の中で足を揉みながら一息つく。それは、この場にいる全員が同感だっただろう。
「そうですわね。篠ノ之博士が紅椿を箒さんに渡されたのが、半年ほど前の事のようですわ……」
「同感です。……貴女も色々とお疲れ様でしたね、香奈枝」
「いいのよ、私は」
ここには、拘束(という名の事情聴取)が終わったらしい彼女もいた。……良く考えてみれば、彼女も大変な状況だったんだろう。
「……でも、まさかあんたが白式の二次形態移行を見るなんてね」
「ええ、まあね」
それはさっき、本人が口にしたことだった。それ、喋ってもいいのかな……ってちょっと不安に思ったけど。
「兎に角、色々ありすぎてこんがらがりそうな一日だったわ……」
露天風呂の小島にもたれかかり、大きく息を吐く。確かに、そうだろう。今日一日で起こった出来事を列挙してみても。
・篠ノ之博士が現れ、第四世代のISを篠ノ之さんに渡した。
・銀の福音がハワイで暴走し、日本近海まで現れた。
・一夏と篠ノ之さんが静止に向かったけど、失敗して一夏が負傷した
・何故かカコ・アガピの実行部隊が現れて福音静止に向かった。そればかりか、あのレッドキャップが量産され、ドールが纏っていた。
・銀の福音が二次形態移行し、ドール部隊を全滅させた。
・火の鳥が現れ、福音にエネルギー補給をし私達に襲い掛かってきた。
・シュバルツェア・レーゲンが、奇妙な変化を起こした。……たぶん、アレは。
・クラス対抗戦の時の乱入者が現れ、火の鳥やドイッチ君、ボーデヴィッヒさんを撃破し福音を閉じ込めた。
・古賀先生が、独立機動可能な専用機を持ってきた。
・立ち直った篠ノ之さんと共に再出撃したら、一夏が復活して福音がワンオフアビリティーに目覚めた。そしてようやく福音が撃破できた。
……うん。どれをとっても一大事だ。今頃学園では、虚さん辺りが奔走しているんだと思う。
「そういえば、ボーデヴィッヒさんやゴウはどうなったんだろう?」
そんな事を、シャルロットさんが言う。……彼女はボーデヴィッヒさんとは同室だから、やっぱり気になるんだろう。
ドイッチ君とも、それなりに親しかったみたいだし。さっき織斑先生が『全員無事』などと言わなかったのも、彼女やドイッチ君の事があったからだろう。
「あいつらなら、宇月の所で寝てたんじゃなかったっけ?」
「ううん、ボーデヴィッヒさんは兎も角ドイッチ君に関しては知らないわ。私もさっきちょっと聞いてみたんだけど、近くの病院に搬送されたみたい」
「そうなんだ……」
私も、あの二人とは色々あったけれど。やっぱり、怪我をしている以上は気になる。そして、それ以上に気になるのは。
ここでは大っぴらに喋れないけれど、シュバルツェア・レーゲンの変異。アレは多分……。
「あ、そうだ! それよりも箒、あんた何で言わなかったのよ!」
「な、何?」
少し皆から距離を取っていた彼女が、いきなり呼びかけられて大きく身体を揺らせた。
……その時に風呂の中から飛び出した『二つの大きな物』に関しては、精神安定上良くないので考えない事にする。
「あんた、一夏が言っていたけど今日が誕生日なんですって!? 何で言わないのよ!」
「そ、それはその……い、いう機会が無かったからというか、言い出しそびれたというか……」
「そうですわね。全く……水臭いですわよ、箒さん。あやうく、何も言わずに過ごす所でしたわ」
「そうだね。一夏も言ってくれれば良かったのに……」
ああ、そうだ。篠ノ之さんは、今日が誕生日だったんだ。それで一夏からプレゼントを……。……う、羨ましいな。
「では、せめてここでお祝いを述べるというのはどうでしょうか?」
「あ、久遠、ナイスアイディアねそれ」
「な、何? そ、そんな事は別に――」
「良いから、主賓は黙って聞いていなさい! じゃあまず私から――」
そして、篠ノ之さんへのお祝いが述べられていった。……二人怪我人が出たのは残念だけど。それでも、良かったなと思えた。
「あ、ありがとう、皆。こんなにうれしい誕生日は、久しぶりだった」
皆からのお祝いの言葉を受けた篠ノ之さんは、心底うれしそうだった。……私も、彼女が五年前から受けてきた処遇は知っている。
だから、その言葉の本当の意味も理解できた。
「……。私は、ここにいる殆どの者が持っている専用機を欲していた」
……! な、何をいきなり言い出す、の? 皆も、顔色を変えている。……いや、違う。一人だけ、顔色を変えていない人がいる。
「それを、本来とは違う方法で手に入れてしまった。それは、一夏と共に戦いたかったからだった。
――だがその結果、その一夏に怪我を負わせてしまった」
皆、一文一句逃さずに真剣に聞いている。そして、篠ノ之さんの言葉が続く。
「だが、その時にこう言われた。戦う事を、前に進む事を望んだのならば、止めてはならない。
――そして、彼の為にも。君は、やらなければならないと」
誰、だろう? 発言の主が顔色を変えていない人だとすれば、ちょっと違う気がするんだけど……?
「そして、こんな私を信じてくれる、後押ししてくれると言った人もいた。だからこそ、私はもう一度立ち上がれた」
それは、自分の弱さを認めたうえでの言葉だった。……まだ自分の弱さと向き合いきれていない私からすれば、眩しすぎる言葉。
「こんな私だが……。紅椿を預かった以上、全力で努力していく所存だ。――よろしく、頼む」
湯船の中で正座しながら、篠ノ之さんは湯面ギリギリまで頭を下げた。――皆、何もいえない中。
「ったく、相変わらず堅苦しい奴ねアンタって。――ま、専用機持ちの責任って奴をしっかりと教えてあげるわよ」
「ふふ。では私は、箒さんに専用機持ちとしての気品を教えて差し上げますわ」
「では私は、ロブと共に戦っている者として誰かの隣での戦い方を伝授しましょうか?」
まず、凰さんが口を開き。そして皆が口を開いていく。皆が裸のせいか、心までオープンになった感じがした。
「……あ、ちょっと待った箒。さっきアンタ、一夏の隣で戦いたいって言ってたわよね?」
「ああ、そうだが?」
「生憎と、そこは私も狙ってるんだからね。――願うのは勝手だけど、そう易々と得られるとは思わないことよ?」
「あら鈴さん。それは私も同じでしてよ? このセシリア・オルコットが、必ずや一夏さんの隣を射止めてみせますわ!」
「一夏とタッグトーナメントで一緒に戦った、この僕を忘れてもらっちゃ困るよ?」
「そうだな。……だが、私も負けんぞ!」
と、話の流れが変わってきた。……え、ど、どうしよう。皆、違う方向にオープンになりすぎてる? 温泉の影響?
それとも、昨日の織斑先生との会話の影響? ど、どっちにせよ、わ、私も、何か言わないと……!
「あ、あの、その……わ、私、わた、私……!」
だ、駄目。言葉が、纏まらない。こんな時、ヒーローだったら格好よく言い切れるのに……。
「……なるほど。恋愛バトルロイヤル……といった処でしょうか」
「そうね。現在は『五人』で争っている形だけどね」
皆や私から文字通り一歩引いている二人が、そんな会話をしていた。……そうだ。一夏を好きなのは四人じゃない。五人、なんだから。
「わ、私だって……ま、負けない! い、一夏の白式と私の打鉄弐式は、同じ倉持技研なんだから……ば、バックアップだってあるんだから!」
お風呂で立ち上がって、宣言したけど。少し、余計な嘘まで混じってしまった。
白式と打鉄弐式が同じ倉持技研だというのは事実だけど、バックアップなんて無い。勿論、倉持技研だって白式や一夏は得たいだろうけど。
そんな事になったら、世界中が敵に回るため。手を出したいのに出しきれないでいる状態だった。
「む……そういえば簪、あんたというダークホースを忘れていたわ」
「ふふ、ライバルは多いようですが。私の思いは、そんな事で揺らぎませんわよ!」
「僕だって、君には負けないよ? ――更識簪さん」
「私もだ!」
だけど。四人は、私をちゃんとライバルとして見てくれているようだった。難敵ぞろいだし、一夏自身が恋愛感情に鈍いし。
何より、織斑先生というラスボスもいる。事態の困難さは、打鉄弐式を一人で作ろうとするよりも上かもしれない。
だけど、あの時――打鉄弐式を一人で作ろうと決意した時にはなかった高揚が、私を包んだのだった。
「ふー……やっぱり最高だな、温泉は!」
「そうだな。……何だかんだ言っても、やっぱり良いわ」
男性用大浴場では、一夏・将隆・クラウスの三人が湯船を愉しんでいた。
本来この臨海学校では入浴は時間制であり、この男性用浴場も仕切りを取り外されて女生徒用に回されていた。
しかし今回は専用機持ち+香奈枝しかおらず、労を労う意味もあってか本来の形で使用されたのだった。
なお、仕切りの再設置には教師がISを使う、というこの学園ならではの裏技を使い、短時間での再設置を可能にしたという。……閑話休題。
「俺はどうせなら、隣の女風呂で皆と一緒に裸の付き合いを楽しみたかったぜ……」
「そういうことを言うから、お前はこういう処置をされるんだよ」
「だが将隆、男には死を覚悟しても行かなければならない場合があるだろう?」
「……それで行っても、俺や一夏がISを使って止めるからな? 成功率はゼロだぞ」
「くっ、流石にドールの弱点は……一度展開すると、数時間は経たないと待機形態に戻せないのはどうしようもない、か」
クラウスの首には首輪が嵌められていた。勿論彼の趣味ではなく、女性風呂に入ろうとすれば首が絞まるという特製の首輪である。
それでも行く気だというのがクラウス・ブローンという人間なのだが。流石に、失敗すると解っていてチャレンジするほど馬鹿ではない。
「でもクラウスはともかく、無事に福音も止められたし。操縦者も無事だったし。良かったな」
「まあ、な」
「……そういえば一夏。お前が篠ノ之さんと最初に止めに行った時の話なんだが。……お前、攻撃の機会を一度自分から逃したって本当か?」
「え? そうなのか?」
「ああ。何か、船がいたんだ。福音の光弾が、そっちに一発向かってて。それを零落白夜で消そうとして、攻撃できなかった」
「……お前らしいって言うか、なんて言うか」
将隆は納得と呆れた笑いの混じった表情だったが、クラウスの表情が瞬時に固まった。
それは一夏は知る由もないが、将隆らにドール部隊の実態が狂犬のようなものであると伝えた時と同じ表情だった。
「なあ、一夏。お前が攻撃をやらなかったあと、篠ノ之さんが謎の攻撃を受けて、その隙を銀の福音に突かれて。
それで篠ノ之さんを庇ってお前が怪我した、って顛末なんだよな?」
「あ、ああ。そうだ」
「ってクラウス、何でお前そこまで詳しく知ってるんだ? お前あの時、俺らと一緒に部屋に篭ってたよな?」
「ゲルト姉から聞き出した。……だが一夏。もしもその後、福音がここに向かってたらどうする気だったんだ?」
「え?」
福音が、ここ――すなわち、何も知らない女子や旅館の関係者がいる、この旅館に向かってきていたら。
一夏の想定外の事態に、彼の思考はストップした。
「まあ、実際はお前らとの戦いで消耗したエネルギー補給の為に空中停止していたわけだけど。
もしそうなったら、あの速度で福音にここにこられたわけだ。そしてもしも光弾の流れ弾が、女子のいた部屋にでも直撃していたら……」
「!」
だが、クラウスの言葉は一夏にも彼の言いたい事を理解させた。その最悪の事態の想像が、容易に出来てしまう。
クラスメート達――例えば今、隣の風呂に入っている香奈枝やルームメイトのフランチェスカなどが、その被害にあったとしたら。
「お、おいおいクラウス。お前、どうしたんだよ。そんな事言うなんて、お前らしくないぞ。それじゃあ一夏が……」
「今言ったのは、最悪のケースだよ。……まあ、そうなる可能性もあったってだけの話だ。
だからこそ、織斑先生も一発で決められる火力――零落白夜のあるお前を福音に向かわせたんだろうけどな。
でも結果は失敗。織斑先生は一時的に指揮権を失い、あとゴウとラウラ・ボーデヴィッヒが負傷したって結果が残ったな」
「……俺が船を庇ったのが、間違いだったって事か?」
「一夏……!」
一夏が、普段とはうってかわってトーンを変えた声を出す。それに将隆は驚き、そしてクラウスはゆっくりと口を開いた。そして――。
「はあ? 別に間違いだとは言ってないぞ、俺。そもそも船に美女が乗っている可能性もあるからな、庇うのはまあOKって言えばOKだな」
彼らしい言葉を放った。なお、当人もそのつもりではなかっただろうが『美女が乗っていた』のは事実である。
「お、おいおい。結局、何が言いたいんだお前は?」
「お前の攻撃キャンセルの結果、怪我をしたのはお前だしな。ゴウとボーデヴィッヒの怪我までお前の責任にするのは、幾らなんでもとばっちりだ」
だが、とクラウスはそこで言葉を打ち切る。そして。
「お前が怪我したせいで、自分を追い込みまくった美少女が一人。そして気が気じゃなかっただろう美少女が数人いた、って事は。
何より、弟が怪我してそれでも自制したお姉さんが一人と、怪我を心配してくれていた美女教師達が数人いた事は覚えておけよ」
「そうだな。クラウスの、言うとおりだ。あと、心配した少年が数名いた事も覚えておいてくれ」
「――ああ。絶対に、忘れねえ」
クラウスの真剣な言葉と、将隆の同意が続いた。これに反論するような一夏ではなく。こくりと、頷いたのだった。
「……」
織斑千冬は、旅館の外に出ようとしていた。その行く先は――彼女のみが行ける場所。どうしても、やらねばならない事があったからだった。
「古賀先生辺りが、追跡してくるかもしれんが……。さて、どうしたものか、な」
今まで『少々変わり者』だと思っていた同僚が、ここに来て隠していた牙を剥いた。それを思案していたが――そんな彼女の前に、一人で立つ者がいた。
「……宇月?」
そこにいたのは、宇月香奈枝。千冬の受け持つ生徒であり、ある意味で最も気に掛けている生徒であった。
「何のつもりだ、宇月。お前からの外出許可届けなどは出ていないぞ。それとも、今出すのか?」
「はい、たった今、提出します。行く先は、織斑先生と同じということにしておいて下さい」
「……何のつもりだ? 私はただ、七夕の夜空を見に行くだけだが」
「そうだとしても、私には聞きたい事があります」
聞きたい事。それが何を示すのが、千冬にもすぐに理解できた。彼女のみが目撃した事態。それの真相を、知りたがっているのだと。
「私は、倉持技研さんから白式の整備を任されてるんです。……あの事態、説明してください」
「――断る」
「断る、ですか。……駄目だ、や無理だ、じゃないんですね? さっきの私の『知らない』じゃなく『教えられない』じゃないですけど」
「知らぬが仏、という言葉を知っているな? そのとおりの事例だ、とは説明してやろう。だが、それ以上は断る」
「……!」
千冬の気迫が、香奈枝に向けられる。本来なら、一瞬で気絶してもおかしくないものであったが。
極僅かではあるが、千冬は迷っていた。眼前の生徒の真摯な、そして真っ当な思いを、教師として受け止めずに良いのかと。
だからこそ、その気迫は僅かに弱く。そして、それが今までの様々な体験を経てきた香奈枝に受け止める余地を与えたのだった。
……ああは言ったけど、やはり織斑先生が私を睨んでくるのは怖かった。……だけど。
ボーデヴィッヒさん対策に、更識会長にほんの少しだけ鍛えてもらったお陰で耐え切れた。
……いや、足は震えてるし心臓は鼓動が早まったけど。少しでも気を抜いたら、逃げ出しそうなくらい怖いけど。
「それでも、知りたいというか?」
「はい。それが、私の仕事ですから」
加納奈緒美さんから依頼された、倉持技研のお仕事。やっぱり、自分で受けた事はちゃんとやらないといけない。
だから、私は先生に質問を選んだ。それを選ばざるをえないくらい……。今日という一日は、はっきり言って異常だった。
「そうか。では、仕方が無い、か。――眠れ」
織斑先生の姿が消えた、と思った瞬間。私は顎に、強い衝撃を受けて倒れた。
「我ながら、結局は力でしか解決できないというのは情けない話だな。まったく。さて、行く前にこいつを寝かせておくか」
「……生憎と、まだ眠たくありません」
「っ!?」
世にも珍しい、織斑先生の驚く表情を見ながら私は立ち上がった。
私がくらったのは、かつて大浴場で、ドイッチ君を一撃で昏倒させたというのと多分同じ一撃――顎への一撃だった。
もしもレナンゾスでタカ……じゃなかった、安芸野君に話を聞いていなかったら、間違いなく気絶させられていただろう。
「先生。教えて、もらえませんか?」
「……宇月。お前は何故、そこまで拘るのだ?」
もう一度頼み込む私に向けられたのは、少しだけ、怖い気配が緩まったような気がする言葉だった。……うん。私は――。
「自分が請け負った事は、最後までやり遂げたいからです。――それに、あの白式の事が気になって仕方が無いので」
言った。織斑先生相手に、言い切ったよ私。……ちょっと、自分で自分を褒めたくなった。
「連れて行ってやってはどうだね>
「私は、そちらの方が良いと思うのだが」
「こ、古賀先生!? ……え?」
「……また貴女ですか」
私が振り向くと、古賀先生が立っていた。……あれ、目の錯覚かな? 古賀先生が、二人いるように見えるんだけど。
「専用機まで持ち出して、何のおつもりですか?」
「なに、交渉というものだよ。――もしも宇月さんを連れて行かないのなら、私の専用機で貴女を追跡するよ」
「は? え? えっと……せ、専用機?」
……えっと、何が一体どうなっているんでしょうか? えーーと、専用機って、何処に?
「本気ですか?」
「ああ、本気も本気」
「本気100%だ>
二人の古賀先生が、まるで一人のように喋る。……どうなってるの、これ?
「……ならば、宇月。お前は一緒に来ると言うのだな?」
「は、はい!」
「……お前が知らなくてもいい場所だ。知らなくてもいい世界だ。本当に、良いんだな?」
「……はい」
「良いだろう。お前に非は無いのに、顎を殴ってしまったからな。その詫びだ。お前の願い、叶えてやる」
「ありがとうございます」
「ふむ、良かったな宇月さん」
「さて、約束どおり私『達』は貴女達を追いません。ゆっくりと語らわれてください>
そういうと、二人の古賀先生は旅館へと戻っていった。……あれって、一体どうなっているの? もしかして、双子?
「ひえええええええっ!」
私は、文字通り織斑先生に『担がれて』目的地へと向かっていた。だけど、その速度や選択コースが普通じゃない。
今、20メートルはある崖を『駆け上がって』いった。PICやその他のサポートなしでISに乗っているような気分。……いや、そんな体験は無いけど。
「喋るな、舌を噛むぞ」
織斑先生の警告はごもっともだったけど、私は早くもちょっとだけ後悔していた。そして森の中を高速で抜けると、海に面した崖に出る。
「やっときたかい、ちーちゃん」
そこにいたのは、クラスメートの篠ノ之さんのお姉さんで、ISの開発者。
そして、織斑先生とは友人(?)でもある女性。――篠ノ之束博士だった。
――この時の選択を、宇月香奈枝は以下のように回想している。
『どう考えても、どうしてあの時、織斑先生と一緒に行こうとしたのかは解らない。
白式の生体再生、第二形態移行を見た事で、興奮して……判断力が低下していたからかもしれない。
だけど、これだけは言える。……もしもこの時、織斑先生について行かなかったらと思うと。……ゾッとする』
と。
☆銀の福音(二次形態移行後)
ドール部隊の攻撃を受けて二次形態移行した銀の福音。コア・ネットワークを自ら遮断し、自力で進化した。
外見面での変貌は光翼の増加、眼型センサー『メタトロン』と特殊武装『白銀の焔』の発生。
・メタトロン
光翼以外の全身を覆う、眼の形をした複合センサー。ネーミングの元は、人間が変貌した天使・メタトロン。
光学センサー、空間座標分析センサーなどを兼ね備えているが『情報の統合速度と精度』が本質的な脅威である。
無数にあるセンサーから送られてきた情報がコア内部に集約され、敵機の情報をリアルタイムで更新。より効率的な回避や攻撃を可能にする。
・白銀の焔
損傷が大きくなった際のバックアップ用特殊武装。損傷箇所に入り込み、その傷を癒す能力を持つ。
しかしエネルギー消耗が大きく、二度使えば福音内部のエネルギーを枯渇させかねないほど。
・For our dream
福音が激闘の末に目覚めさせたワンオフアビリティー。自身の装甲を犠牲にして、エネルギーを回復させた。
その本当の能力は『自己形状変化』であり、何かを犠牲にして何かをなすという特性を持つ。一度使うと、一定の使用不可能(ロック)時間がある。
今回は装甲を犠牲にしてのエネルギー補給のみであったが、本当の意味でこれを使いこなせば、あらゆる戦局に対応出来る。
ある意味では、パッケージ換装を必要としない万能機――第四世代ISとなれる能力である。
☆土蜘蛛
御影のパッケージ。特殊武装『出雲の網』実験用のパッケージである。
形状は学年別トーナメントでゴウの使った『アラーネア・グローリア』と酷似しているが関連性は不明。
・出雲の網
捕獲武装。内部にビームコーティングを仕込んでおり、捕獲した敵が光学武装を使った場合乱反射させダメージを与える事も可能。
その仮想敵は(この部分は削除されている)との噂もある。
祝! 銀の福音戦決着! そしていよいよ長かった七月七日も終わりが見えてきました。
少しだけ違う、崖と海岸での会話。お楽しみいただけるように頑張ります。