「――! 戦闘空域に超高速で接近するIS反応、ありです……!」
銀の福音のあまりの戦闘力に、絶望していた指令所。そこに、新たなISの情報が届いた。
それを告げた更識簪の声に、カコ・アガピ側もIS学園側も、全員の視線が集まる。
「ざ、在日米軍か!? それとも自衛隊か!?」
「い、いいえ、これは一機だけです。 えっ……XX-02、紅椿!?」
「何だと!?」
「し、篠ノ之さん!?」
認識番号が明かされた瞬間。先ほどまでとは別の動揺が、場に走ったのだった。
「ほ、箒!?」
「な、何で篠ノ之さんが、ここに!?」
そして。銀の福音と戦う学生達の顔にも、同じ動揺が走っていた。
「ほ、箒さん! 一夏さんはどうしましたの!?」
「一夏は、宇月に任せてきた」
「ま、任せてきたって……いや、あの娘なら安心だけどさ、でもアンタは大丈夫なの!?」
「ああ。――もう一度、使命を果たしなおす為に。私はここに来たんだ!」
その表情は、迷いなき物だった。先ほどまで落ち込んでいたとは、思えないほどに。
「……解った! そんなら、もうグダグダ言ってても始まらないわ! あんた達、箒と一緒に、福音をぶっ倒すわよ!」
箒の返答に、ニヤリと笑った鈴が双天牙月を振り回す。――それでもう、十分だった。
「そうですわね。――まず倒すべきは、銀の福音です!」
「うん! 一緒に、福音を倒そう!」
「……ふん、足手まといにはなるなよ」
「……ああ」
セシリアとシャルロットが満面の笑みを浮かべ、ラウラは無表情気味に、ゴウは苦虫を噛み潰したような表情で答える。
そして、箒は数分前の会話を回顧していたのだった。
――少し前まで、篠ノ之箒は、旅館の一室で待機していた。その部屋にいるのは眠り続けている織斑一夏と、その監視を任された宇月香奈枝。
そんな二人を視界に入れることも無く。箒は、悔恨と憤りの中をさまよい続けていた。
『お前のせいで、世界初の男性IS操縦者が大怪我を負ったと聞いたが。どんな気持ちだ? ――役立たず』
『まあ、ここでそこの口先だけの男と一緒に指を加えてみていろ。お前達が敗れた敵を、俺達が撃墜するのを――な』
『やれやれ、反論さえ出来ないのか。お前ごときが専用機を持つなんて、どれだけ不相応だかよく解っただろう。……ふん』
ドレイクやゴウに言われた暴言も、頭から離れない。握り締めた拳が、爪を肌につき立てて痛みを訴える。
だが、それさえも気にならないほど――箒は、追い詰められていた。
「……え?」
その時。ふと気がつけば襖が開き。そこには、いるべき筈のない人物がいた。その人物は、戸惑う香奈枝と落ち込んだままの箒に視線を向け。
「あ、あの、どうして貴女がここにいるんですか? 貴女は――え? 代役? ど、どういう事ですか?」
自身を、代役であると語った。そして箒へと視線を向ける。
「せ、責任……? あ、あの意味が解らないんですけど。え、私じゃない? 篠ノ之さんに言ってる?」
その人物は、箒に『責任』を語った。力を持つ者が負うべき責任。専用機を得たのだとすれば、それは責任も同時に背負う物なのだと。
そして、もしもその責任を果たせないのであれば。自ら得た力を捨てるか、あるいは果たしなおせば良い。そう告げたのだった。
「……」
だが、箒は何も答えない。答えられなかったのだ。
「篠ノ之さん、あの……何か、言うべきじゃない、かな?」
「果たしなおせばいい……? 今更、私に何をしろと、言うんですか」
「し、篠ノ之さん……?」
「こんな私に! 姉にISを強請って、紅椿の初めての搭乗で一夏をこんな目にあわせて! その上で、まだ戦おう、などと……!」
だが、香奈枝が声を掛けた事が箒の心の蓋を開けてしまった。鬱屈していた思いが一気に開放され、心の底から搾り出すような声が放たれる。
香奈枝も、何も言えずに箒とその人物とを見ていたが。
「だが、今の君ならきっと戦える。――戦う事を、前に進む事を望んだのならば、止めてはならない。
――そして、彼の為にも。君は、やらなければならない>
その人物は、そう告げた。
「私、が……?」
「篠ノ之さん……」
香奈枝は、その言葉を告げられた箒をじっと見ていた。箒は、その言葉を最後に動かない。だが、その握り締められた拳が震えているのが見えた。
「え、私の出番はこれだけだ、今すぐに判断をしたほうが良い……ってちょっと!? ――こ、古賀先生! あ、あれ、もういない……?」
襖の向こうには、やってきた人物の影も形も無かった。部屋に残されたのは香奈枝と箒、そして眠り続ける一夏だけだった。
そして、彼女達は気付かなかった。今部屋にやってきた人物が、自身の知る一年三組副担任・古賀水蓮と『同一』ではないことに。
「……どうなってるの」
誰か私に説明して欲しい。最近思う事が多くなったような気がするこの言葉、今日もまた使う事になった。
いきなり古賀先生が来たかと思うと篠ノ之さんに『責任』を語り、そしてまたいなくなった。一体、何がどうなってるの?
「……宇月。少し、良いか」
「へ? どうしたの?」
古賀先生が去ってから黙っていた篠ノ之さんが、いきなり口を開いた。突然すぎて、ちょっと戸惑う。
「……以前、聞いた事があったな。勝つという事は、どういうことだと思うか、と」
「ああ、ドイッチ君達と戦う前の日の事ね。うん」
「あの時お前は、通過点だといった。何事かをなすための、通過点なのだと」
「う、うん」
確かに、そう言った。あれからまだ一週間と少ししか経っていないから、正確に覚えている。
「私には、目的があった。だから、力を手に入れた。……では、力を手に入れたことは目的への通過点なのだろうか?」
……えっと。彼女の真摯な表情に、私も同じくらい真摯になって考える。……通過点、なのかと言われれば。
「そう、なんだと思うわよ」
「そうか」
私の答えに満足したのかそうでないのか、篠ノ之さんはまた黙ってしまう。……どうしよう、と彼女と眠っている織斑君とを意味無く交互に見てしまう。
「忘れないで置く事、か」
「え? 何のこと?」
「……私が紅椿を得たという事は、他の、専用機を欲している者達からすれば、ずるいといわれても仕方の無い事なのだろうな。
――彼女達の『夢』を踏みにじった、とさえ言えるかもしれない」
……う、それは否定できないかもしれない。実際、そう言っている人たちもいたし。でも、何故今それを?
「……先ほど、古賀先生は言われたな。目的を果たせなかったのなら、諦めて自ら得た力を捨てるか、あるいは果たしなおせばよい、と。
だが、私は一夏のためにも戦わなければならない、と。だが――夢を踏みにじった私は、そんな事を選ぶ権利さえないのかもしれない」
色々な感情が交じり合っているであろう彼女の声。それに、どう言うべきなのだろうか。
「結局……羨ましかったのだな、私は」
「へ?」
ちょっと文脈が繋がらない一言に、戸惑う。……だけど、少し考えたら解った。
「それって凰さんやオルコットさん達の事?」
「ああ。お前も見た、対抗戦の時の乱入者。そして安芸野達の試合の乱入者の時も、専用機を持っていれば戦えたんだ」
そういえばあの時、打鉄を求めて格納庫に来たっけ。新野先生たちが出撃したから、篠ノ之さんは待つことしか許されなかったけど。
「鷹月の事だって、そうだ。あいつがあそこまでの事をやったのも、ボーデヴィッヒを私が止められなかったからだ。
私がもう少し強ければ、専用機があれば。――そんな風に考えてしまっていた」
……鷹月さん? ボーデヴィッヒさんを、って事は、トーナメント準々決勝の時の事かな?
そういえば、彼女がシールドエネルギーゼロでオルコットさんを庇ったっけ。でもあれは、篠ノ之さんが原因じゃない。
それどころか、篠ノ之さんが駄目押しの一撃を邪魔した事を感謝していた。ドイッチ君の情報をくれたのもそのお礼、と言っていたし。
「……いや、全てはいいわけだな。結局、私は力が欲しかったんだ。一夏の隣にいられる力が。一夏と共に、戦える力が」
なるほど。専用機を持っていたら、織斑君と一緒に戦える――って事よね? まあ、間違ってはいないだろう。
「だから、私は欲したんだ。……本当は、解っていた筈なのに。同じ事を、繰り返してしまったんだ」
俯き気味のまま、後悔、という感情を固めたような表情を浮かべる篠ノ之さん。私には、彼女の事情や感情を100%は理解していない。……だけど。
「じゃあ、今度はちゃんとやらないといけないわね」
そう問いかける事は出来た。……私だって、人に偉そうに言えるような身分じゃないけれど。
オルコットさんや簪さんやボーデヴィッヒさんの心の地雷、踏みまくってるし。……うん、今からでもあの時の発言達を無かった事にしたい位に。
「……私には、そんな資格があるのだろうか」
さっきと同じような言葉。――でも、今度は返せそうだ。
「うーん……。資格、とかいう問題じゃないんじゃないの?」
「何?」
「貴女がやりたいか、そうじゃないかって事じゃないの? それに資格云々を言うなら、それを決められるのは織斑君だけだと思うし」
彼が何故こうなったのかは詳細は知らないけれど、篠ノ之さんが絡んでいるのは確実だろう。
そして彼女はそれを気にしている。ならば、それに対してどうこう言えるのは、当事者である織斑君なのだろうし。
まあ、今までの彼の言動を見る限りでは『別に気にしてないぞ? それより箒が怪我しなくて良かったぜ』とか言いそうだしね。
「貴女は、本当はどうしたいの? 正直に、答えて」
ちょっときつめに問いかけてみる。……以前、更識さんに頬を叩かれた一件が頭をよぎり、ちょっと言い過ぎたかなと後悔したけれど。
「古賀先生も言っていたように。もう一度、戦いたいんじゃないの?」
「……ああ」
彼女は顔をあげると、本音をようやく打ち明けてくれた。本当、素直じゃないなあ。
「じゃあ、急いでいく必要があるって事よね? それでさっきあの人は、今すぐに判断をしたほうが良い、って言ったのかしら?」
「……」
あれ、どうしてそこで私を『信じられないものを見るような目』で見るの?
「宇月。……何故、お前はそうなんだ?」
「へ?」
いや、そうなんだと言われても、何のこと?
「私に、何故そこまでしてくれるんだ」
ああ、そういう事。
「ねえ、篠ノ之さん。……私達って、かれこれ三ヶ月ちょっとの付き合いよね?」
「な、何? ……う、うむ」
四月の頭からだから、そうなるわよね。
「その間、本当に色々とあったわよね。クラス代表決定戦、クラス対抗戦、それに学年別トーナメント。
……その間、貴女の事は色々と見てきたつもりよ」
オルコットさんと対峙する織斑君のため、訓練の相手を頑張ってきた事も。彼が白式を得てから、打鉄で訓練の相手をしてきた事も。
トーナメントで、私に剣道を教えてくれて。そして、ドイッチ君に勝つ為に必死で考えていた事も。全部、知っている。――だから。
「少なくとも、私は貴女の事を信頼している。だから、貴女が本当にやりたいであろう事を後押ししているだけよ」
「私が、やりたい事……」
「さっき、言ったわよね。織斑君と一緒に、織斑君の隣で戦いたかった、って。――それが、貴女のやりたい事なんでしょ?
さっき、自分で認めたじゃない。――じゃあ、それをやればいいと思うわ。まあ、今回の場合はリターンマッチになるのかもしれないけどね」
その言葉に、彼女は不意を突かれたような表情になる。……ふう。世話が焼けるなあ。
「そう、なのだろうな。……私は愚かだな。人に言われるまで、自分自身の進むべき道に気付けないとは。
……ありがとう、宇月。お前の信頼、決して裏切らんぞ」
別人のような表情になった篠ノ之さんは立ち上がり。あのIS、紅椿を起動させた。……見るのは二度目だけど、やっぱり凄く綺麗なISだ。
「ところで、エネルギーの状態とか破損状態は大丈夫なの?」
「今、チェックしてみたが――エネルギーは自然回復によるフル充填状態、破損も同じだ。
では、私は行く。――すまんが、一夏を頼む。……重ね重ね、お前には迷惑を掛けるな」
「いいのよ。織斑君の世話は先生達から頼まれた事だし。――それよりも、怪我はしないでね?」
「ああ」
私が言うと、篠ノ之さんは力強く頷いた。心の何処かで、やっぱり止めた方が良いんじゃないかな、と思わないではなかったけれど。
私の手に負える相手じゃないし、そもそも先生が来たくらいなんだから、行っても問題は無いだろう。そう、軽く考えていた。
「あ、あのー、古賀先生。どうしたんですか、呆けて」
古賀水蓮の視界に、山田真耶の心配そうな顔があった。真耶の方が水蓮よりも背が低いので、やや見下ろす形となる。
「ああ、山田先生か。いや、少しだけ幽体離脱して生徒を激励に行っていた」
「……はい?」
同僚を誤魔化す――というよりは、理解不可能な言動で煙に巻く水蓮。
……なお、真耶の顔と同じ割合でその大きすぎる膨らみが彼女の視界を占めていたが。それに関しては、指摘しなかった。
「ジョークだよ。……しかし、厄介な事になったな」
「そ、そうですね。篠ノ之さんが勝手に出撃するなんて……」
指令所では、箒の無断出撃が学園側とカコ・アガピ側で大激論を呼んでいた。
一年一組と三組の副担任の視線の先では、三組担任の新野智子――千冬が不在の今、学園側の代表状態である――がカコ・アガピの男達と競り合っている。
「何故、紅椿が出撃しているのだ! あれには、待機命令が出ている筈だ! これは、こちらに対する命令違反ではないのか!」
「我々としては、そのような認識にはありません。そもそも、彼女が何故出撃したのかも不明ですが」
「貴様ら、IS学園側が出撃をさせたに決まっているだろう! そうでなければ、あの篠ノ之束の妹の独断専行だ! これを、明確にした上で――」
「篠ノ之さんがこちらと通信を繋いでいない以上、現時点でそれを確認する事は不可能です。
それよりも、ドール部隊の負傷者の回収を急ぐ必要があるのでは?
ドレイク・モーガン隊長が沈黙した今、ドール部隊はもはや戦力としての形をなしていないようですし」
「黙れ黙れ黙れ! 論点のすり替えだ! そもそも軍とは、命令系統の確立が第一だ! そうでなければ――」
「貴方達はカコ・アガピというヨーロッパの企業群の一員であり、我々は教育者の筈ですが。軍人など、この場にはいませんよ」
丁々発止を繰り広げる中。この中にいる唯一の生徒、更識簪が何かの通達書が来ているのに気がついた。
「あ、あの、通達書が……」
「そもそも、ドール部隊と連携すべきIS部隊が中途半端な連携しか出来なかったのもこの事態の原因だ! この点からも、追求させてもらうぞ!」
「笑わせますね。そちらの隊長は、連携を一度断った筈ですが?」
「あ、あの……」
簪も、かなり強くなったとはいえ。現状で割り込むには、まだまだだった。どうするべきか、視線が揺らぐ中。
「――ようやく届いたか。――駒旗村殿、これを見てもらおうか」
「何だ、古賀水蓮。……!? な、何だこれは!?」
古賀水蓮が簪より受け取り、駒旗村にみせた通達所。それは、カコ・アガピへの前の指令書の撤回。
つまり、IS学園所属の機体と人員への命令権の停止。それらが明記された書類だった。通達時刻は10分前、発動時刻は、5分前。
箒の無断出撃が確認された、ほんの僅か前である。
「ど、どういうつもりだ、委員会は! このような朝令暮改が、許されるわけは……」
「ああ、ついでに通達しておこうか。――先ほどの篠ノ之箒の出撃は、私が許可した」
「な、何だと!?」
「えええええええ!? こ、古賀先生がですか!?」
「私も伝手を辿っただけだがな、対応は早かったな」
ドヤ顔で告げる古賀水蓮に、教師達もカコ・アガピの人間も完全に呆然としていた。――だが、そうでない者達もいる。
(篠ノ之箒への許可、だと? ……いつの間に、だ? 古賀先生はずっとここにいた筈だが、妖しい操作はしていなかった……)
(こんな対応の速さ……更識家でも無理なのに。……この先生は、一体?)
「まあ、見てみようではないか。――篠ノ之束謹製、第四世代ISの実力という物を、な」
新野智子や更識簪のそんな疑問の視線を、あえて無視しながら水蓮は、映像に視線を向けるのだった。
命令されていた『ウサギ狩り』など、今まで自ら進んで動かなかったその身を、自らの持つ『知識』をもって自らを『代役』とした彼女。
今この時こそが『隠者』が動き出した、瞬間となったのだった。
「さってと。箒ちゃんが来たし、これから本番だね」
そして。離れた場所で一人たたずむ篠ノ之束も、当然ながらその情報を得ていた。――と、砂浜が僅かに音を立て。
笑顔だった束の表情が、冷たく固まる。
「なんだ、お前も私をどうこうしにきたのかい? ――コアナンバー174」
そこには、真のコアナンバー174。プロークルサートルを纏う、ケントルムの姿があった。
相変わらずの一面四臂。そして大口径荷電粒子砲・インペリウムと円月刀型の近接戦闘用ブレード・ワスターティオを展開している。
「やハリ、こイつらでは相手になラナかったか」
「ふうん。こいつらと同じ『天選者』か」
――まるで何のことでもないように、周りに倒れるドールとその操縦者達を見て口にした束。――だが。
「!?」
ケントルムはその仮面の下の顔を歪めた。何故ならかつて、亡国機業に属する女・オータムからこう言われた事があったからだ。
「けっ、お前がスコールの言ってた『天選者』かよ」
何故、篠ノ之束が亡国機業のオータムと同じ言葉を使うのか、ケントルムが訝る中。
「……へえ。お前、面白い前世なんだね。まさか○○の○○だなんて、ね。
しかも、それは――○○の○○の○○○○だなんて、ね」
(な、何だと……!?)
次の篠ノ之束の言葉で、忘我するほどの驚きを受けた。彼女が『前世』という言葉を使ったこともさることながら。
ケントルムの前世の職業を、束が正答したのだ。ゴウも、スコールでさえも知らない筈の前世。それを、あっさりと答えたのだ。
そして、自らの業種すらも的中させられた。もはや、平静さなど何処にも無かった。
「……でも変な女だねえ。お前が本当にしたい事を、この世界でやらないのかな?」
「!?」
そして自身の最大の秘密、とでもいうべき箇所を明かされ、立ち尽くすケントルム。既に彼女は、戦うことさえ出来なかった。
……否、戦う前から敗北していたのだ。彼女の『本当にやりたい事』をせず、篠ノ之束の殺害というものに『摩り替えた』時点で。
「馬鹿だねえ。どうせやるなら『知識』と『経験』を元に『前世の失敗』を取り返せばいいのに。
この世界には、お前の知る『インフィニット・ストラトス』がないんだから、出来たんじゃないのかな?」
おかしそうに笑う束。既にケントルムは、蛇に睨まれた蛙同然だった。束の言葉の真意を『理解』した故に。
「お、オ前は、一体……まサか、お前自身が私達ト同じ……!?」
「――違うよ」
かろうじて、麻痺したように動かない喉から振り絞るように出した変声機越しの声。だが、束はそれを一刀両断した。
「さて、と。そろそろ、大一番かな? それとも、もう一波乱あるのかな? ふふふ」
ケントルムに背を向けて海の方向を眺める束。だがケントルムは、そんな束に何も出来ず。
ステルス・マントを纏い、夢遊病患者のように、旅館近くの『病院』まで戻るしかなかったのだった。
「……」
ケントルムは、病院のベッドの上で横たわっていた。彼女が旅館を出られた理由。
それは病気――正確には、遅発性ウイルス注射による発病――を理由に、近郊の病院に送られていたからだった。
そこでプロークルサートルを起動し、篠ノ之束の元へと向かったのだが。結果は、このざまだった。
『お前が本当にしたい事を、この世界でやらないのかな?』
束にいわれた言葉が、頭の中から離れなかった。何度消そうとしても、思い出すその言葉。
「ふざけるな……! お前に、お前らに私達の気持ちなど解るか! 私達の……私達の、無念が!」
「どうしました!?」
「――いいえ、何でもありません」
私達、という言葉を使うケントルム。だが、そこにはゴウやヤヌアリウス達のように同じ境遇の人間も、スコールら亡国機業の人間も入っていない。
私達、その言葉が指し示す範囲とは誰にも解らない。大声を聞きつけて駆けつけた看護士にも、解らなかった。
その看護士に解ったのは、その少女の目から涙が零れ落ちている、ただそれだけだった。
「今度こそ落とすぞ、銀の福音!」
「……!」
増援としてやってきた箒は、福音に対して密着といっていい距離での攻撃を繰り出していた。自らの機体・紅椿の機動性を生かした接近戦。
ストライク・ガンナーさえ上回る機動性とアイゼン・ランチェを上回る加速性能を持つ福音。
だが、その要因であるスラスターと火砲とを兼ね備えたエネルギー翼・銀の鐘を一部切り裂かれたのが痛かった。
これらを失う事により、機動性・加速力・さらには火力までも低下してしまうのである。
「はあああああああああああっ!」
空割と雨月、二刀を生かした連続攻撃。――否、二刀の斬撃とそれらから放たれるエネルギー攻撃を合わせれば、四つの攻撃を繰り出していた。
「La……!」
銀の福音は、押され続けていた。加速性能や機動性を最大限に発揮すれば、紅椿をも上回っている福音。
だが、それには銀の鐘を全て機動に回さなければならない。一対一ならば、とうに逃げ出すなり反撃をするなりしていたであろうが。
「逃がさないよ!」
「箒さん! 援護しますわ!」
ラファール・リヴァイヴの火器、そしてスターダスト・シューターでの援護が加わる。
先ほどのゴウがエクシミオス・ウマーナで攻撃したのと、似た構図になったが。
「La……!」
今度は、制限時間など無かった。その上、福音も消耗していたのだ。それに対し、紅椿はここまで移動してきた分以外の消耗は無い。
ゴウの『知識』では二次形態移行したての福音と、消耗した紅椿がぶつかったのだが。偶然にも、両者の状況は逆転していたのだ。
「篠ノ之さんを、援護するとするか!」
そしてゴウも、不機嫌さを隠しながら援護した。斬撃、弾痕と、次々と銀の福音に傷が刻まれていく。……だが。
「La……!」
「な、何……また自己再生だと!?」
再び、あの白銀の焔が機体の傷を癒していった。その焔は残り火のように霞むレベルでしかなくなったが、今まで受けたダメージは消えている。
(チッ……やはりモップ程度では加わっても焼け石に水か!)
「来るのか……?」
罵詈雑言を警戒心で隠し、再び攻撃を仕掛けてくるのか、と銃器を向けるゴウ。だが福音は、何故か身を翻すと逃走を選択した。
「に、逃がしませんわよ!」
いち早く反応したスターダスト・シューターから放たれたBTレーザーが福音に向けて直進し、命中する。
牽制か、良くて足止め、程度の狙いだったのだが。
「……え?」
その瞬間。銀の福音の速度が、突如として低下した。銀の鐘の輝きが、目に見えて落ちたのだ。
「ど、どういう事? 何か、いきなりガクッとなってるわよ?」
「と、兎に角、今がチャンスだよ!」
何故か解らないが、相手は弱ってきている。それを理解した代表候補生達が、一気に攻撃を仕掛けた。
――それは、千載一遇の好機と言って良いものだった。だがこの時、一人だけ遅れていた者がいた。
(……くっ! まさか、あの女に助けられるとは、な!)
黒の機体、シュバルツェア・レーゲンを駆るラウラ。雑魚としか思っていなかった『急造拵え』の専用機持ちが、いきなり復活した。
それも、ラウラ自身の目から見ても的確なタイミングで攻撃を行い、自身を救った。
自らの力量は箒の上である、と確信するラウラにとっては不愉快ささえ覚える物だった。――そしてこの時、導火線に火花が飛んでいたのだった。
「La……!」
一度撃退した筈の『末の妹』が、本当に嫌なタイミングで来た。銀の福音の思考は、まさにそれだった。
もしも自身に、操縦者の顔を覆うフェイスヘルメットの形状を変える、という機能があれば、それを大きく歪めていたほどに。
「……La」
先ほど、妹や『腹違いの妹』の攻撃を受けて深手を負った直後、自己再生能力を使った際には自身でも驚くほどの消耗があった。
自身でもその能力をよく解っていなかったゆえの、驚愕。だからこそ、二度は使うまいと思っていたのだが――。
『末の妹』の猛攻に、二度目の自己再生を使わざるを得なくなった。
しかし、その代償は大きく。銀の鐘に回すエネルギーの多くを、消耗してしまった。もう、この再生能力は使えない。
それどころか、銀の鐘のエネルギー翼を維持するのに必要な分さえも危うい。……初めて、危機を感じていたのだった。
謎のBTレーザーの命中から、福音は銀の鐘を攻撃に使ってこなかった。攻撃のチャンスがあっても攻撃をせず、回避に専念している。
しかし、それすらも先ほどまでから比べれば減速・稚拙化していた。それが意味するものとは。
「やっぱりこいつ、弱ってるわよ!」
「どうやら、エネルギー切れのようですわね?」
「うん、ゴウのエクシミオス・ウマーナと同じだね」
「本来ならば『首都を焼き払える』ほどくらいのエネルギーを持っていた筈だが。相当に消耗しているようだな」
「なるほど。俺達が来るまでにエネルギーを溜め込んでいたようだが、使い切ったということか……」
(馬鹿な……銀の福音が、エネルギー切れだと!?)
わずかに勝機が見え出し、笑みも出てくる少女達。だが、それもまたゴウの『知識』にはないものだった。
一次形態よりも機動力・火力などが上昇しているのは『今』と同じだが、そんな事態は起こらない――筈だった。
(原因は一体……! まさか、あの白銀の焔か!?)
見れば、既に白銀の焔はなくなっていた。自己回復とエネルギー防御を兼ねた、優秀な能力。
だがその発動コストが高すぎたのだ、とゴウは悟った。
(ちいっ……まさか、こんな展開になるとはな!)
ゴウが歯軋りをする中。福音は、次第に追い詰められていった。
「……ムカつくなあ、あいつ」
一方。G・アーマードールを変貌させた竜虎刺繍の鎧の少年は、潜水艦の中で不快さをあらわにしていた。
自らが変異させたG・アーマーが敗北した事もさる事ながら、その不快さの原因は――箒と紅椿だった。
「姉に強請ったISを偉そうに纏って、しかもさっきまで戦場にいなかったくせに主役気取り、か。……ムカつくなあ」
(そうだな。――あのままで良いのか?)
「良いわけはないね。――ただ、G・アーマードールはもう品切れだ」
(ならば、私が出よう。ずっとこの狭い金属の塊の中では、息が詰まる)
「そうだね。行ってきな――アケノトリ」
その言葉と共に、少年の鎧から光の珠のような物体が出現する。そしてそれは、潜水艦の壁を透過して飛び去っていく。
潜水艦の外、その海上へと上昇し、その正体――炎の鳥としか形容できない姿を見せながら。急速に、戦場へと近づいていくのだった。
「La……!」
「ちっ、しぶといわね!」
「だけど、速度も機動性もかなり落ちてる……エネルギー切れも、間近だよ!」
「ストライク・ガンナーやアイゼン・ランチェ、紅椿ならば十分に速さで対抗できるようになりましたわね」
「ふん……まさか、こんな状態になるとは、な」
既に、福音は満身創痍だった。銀の鐘の翼の輝きは、半分ほどに衰え。絶大な火力も、異様なまでの加速性も、信じられないほどの機動性も。
全てが失せてしまっている。誰にも予想だに出来なかった展開が、そのまま結末へと続こうとしていたその時――。
「な、何!?」
シュバルツェア・レーゲンを、背後から赤色(せきしょく)の熱線が襲った。幸い、反射神経にすぐれたラウラ自身の能力で回避には成功する。
「な、何だ、あれは!」
(馬鹿な……アケノトリだと!? 何故アレが出現する!? あいつめ、何を考えている!?)
偽りの驚愕で、本当に驚愕した対象を隠すゴウ。……彼にとって見覚えのある『炎の鳥』が、戦域に近づいてきたのだ。
「サテ、クレテヤルゾ、福音!」
そして、赤色の熱線が今度は銀の福音を襲う。だがそれは、ラウラに向けられた物とは色の違う熱線だった。
ラウラに向けられた物が黄色の混じった赤ならば、こちらは桃色に近い色合いを持ち。何処か、優しげな印象さえ受ける熱線だった。
「La……!?」
そして異変はすぐにおきた。先ほどまで、満身創痍といってよかった銀の福音。その翼の輝きが戻り、白銀の焔も復活していたのだった。
「え、エネルギーが回復してる!?」
「こいつは、福音に協力しているのか!?」
「なら、あいつも敵って事ね!?」
敵なのか味方なのか、学園側は一瞬戸惑った。即座に敵と判断し、攻撃のために意識を向けた。――だが。
「サア、雑魚ハげーむおーばーシロ」
一手、炎の鳥――アケノトリが早かった。上空に静止したまま、銀の鐘の爆裂弾にも似た炎の矢を放ったのだ。
――ドレイク・モーガンをはじめとする、撃墜されたドールの操縦者達へと。
「うわああああ!」
「ぎゃああああ!」
無事なドールも、わずかではあるが存在していた。それらは、レッドキャップの最大の長所といってもいい装備、紅の繭を纏って防御に専念していた。
だが、そうでないドール達も炎の矢を受けている。シールドバリアも絶対防御もないISは脆い。
かつて一夏の零落白夜の訓練で持ってきたジャンクパーツの集まりのように、たやすく破壊される。
そしてそれは、ドールも同じだった。炎の矢と受け、悲鳴と苦痛の叫びがこだまする。
「ふ、負傷者の救援をしなければなりませんわ!」
「くっ……何なのよ、あの焼かれ鳥は!」
先ほどまでは、自主的に離れていたドール操縦者がドレイク・モーガンのような気絶者達を連れて退避していた。
だが、既にドール部隊は健在な者よりも気絶者のほうが多く。戦闘用装備で固めたレッドキャップ達には、両手で抱えるのが精一杯だった。
「失セロ、弱者ども!」
「た、助けてくれえ!」
悲鳴をあげるドール操縦者。その時、炎の鳥が哂った――ようにも見えた。
「止めろおおおお!」
「グッ!?」
紅椿が、アケノトリに斬りかかる。それにより、炎の攻撃は納まる中。
「皆さん、下がってください! ここは、僕達IS学園が引き受けます!」
「ここは危険ですわ! 退却なさい!」
シャルロットやセシリアの呼びかけに、ドールの操縦者達は負傷者を抱えて撤退していく。
ここにドレイク・モーガンが健在であればまた一騒動あったであろうが、彼は既に気絶しており。
アケノトリの攻撃を学園勢が防ぐ中、ドール部隊の撤退は成功したのだった。――だがこの時、思わぬところで爆弾が破裂した。
「何故、だ……」
「ボーデヴィッヒさん? どうしたの?」
「何故、あいつが……!」
ラウラには、アケノトリに斬りかかった箒の姿が、何故か見えてしまったのだ。ラウラが唯一尊敬し、こうなりたいと願った相手――織斑千冬に。
「何故だ、何故……!」
ラウラは、千冬と共に戦った経験などはない。だから、千冬と箒が重なる筈も無い。
「何故だ!? ……っ!」
その時、ラウラは気付いてしまった。重なって見えたのは厳密には千冬ではなく、千冬と重なった、一夏だという事に。
そうであるのに、彼女は箒と千冬が重なって見えたと錯誤した。それはつまり――。一夏と千冬を、重ねて見てしまったということ。
「馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿なぁぁぁぁ!?」
暴発するラウラの感情は、アケノトリへの突撃という形で発露した。アイゼン・ランチェもかなりの加速性を持つ。
――だが。どんな高性能な機体であろうと、操縦者自身が平静でなければ何の意味も無かった。
「死ニタイノカ? 愚カ者メ」
「ぐあああああ!?」
「ボーデヴィッヒさん!」
炎の渦巻き。そうとしか形容の出来ないモノが、シュバルツェア・レーゲンを迎撃し、包んだ。
シールドエネルギーが瞬く間に減っていき、それは彼女の敗北を意味する。
(こんな……こんな所で、こんな形で負けるのか。私は……!)
自身の敗北を悟ったラウラは、深い絶望に沈もうとしていた。先ほどの福音に敗北しようとしていた時は、何故か受け入れられた。
それなのに、目の前の火の鳥に敗北するとなると何故かそれが受け入れられない。その違いは、当人にさえわからない。
(私は――弱くなった、のか?)
ふと、そんな事を思う。更識楯無への敗北、ゴウへの敗北。そして今回の事。
それは、学園に来る前までのラウラでは考えることさえなかった事態だった。――それは、ラウラにとっては『あってはならない事』だった。
(全てが狂ってしまった……この学園に来てから!!)
『織斑先生と過ごした時間。貴女にとっては、それこそが一番楽しかった時間だったんじゃないの?
だからそれを取り戻したくて、織斑先生と一緒に過ごしたくて、日本に来たんじゃないの?』
『えっと、確か“人は人の中で生きていくしかない。望む望まざるに関わらず、人間は集団の中で生きなければならない。
それを放棄するというのなら、まず人である事をやめる事だな”だったかしら?
これは去年、織斑先生が言っていた言葉なんだけどね?』
『俺、最近、ヒーローって物についてこんな事を聞いたんだ。
「人々を守り、力をふるうことの意味を自覚しているのなら――どんな人でも、ヒーローなんだと思うよ。
(中略)人を守ろうとする人は、皆ヒーローたりえると思うよ」
って。俺も、そうだと思う。千冬姉に憧れるのは、世界で一番強いから、とか格好いいからとかじゃない。
――千冬姉が、その強さをどう使ってきたか。それを見てきたから、その姿勢に憧れるんだ』
『宇月や、皆の力があってこそ石坂に、そしてドイッチに勝てたんです』
この学園にやって来てから聞いた、数々の言葉が思い出される。そのどれもが、ラウラの心を乱す。
それに対する自身の動揺、困惑。それらが更にラウラの心を乱す。
(もう、嫌なんだ……! あのような事は!)
ラウラの乱れた心によぎる影。――それは、かつて千冬と出会う前。自身が落ちた、闇に関する記憶だった。
ラウラの左目にある、金色の瞳――擬似再現されたハイパーセンサー、越界の瞳。
更識楯無との生身の戦いで初めて明かされ、幾度か使われたが。――かつてのラウラは、これを使いこなせていなかった。
元々、彼女の左目は右目同様に赤い瞳だったのだが、越界の瞳を移植された後は金色へと変わった。
これは常に稼動状態にあり、制御不能になった証でもあった。それまで、あらゆる訓練で最高評価を得ていたラウラ。
だが、視覚という人間にとって最大の情報収集器官であるものを半ば制御不能にされ、その成績は急降下していった。
それまで、自身の『性能の高さ』が存在意義であると自身も周囲も信じていた彼女にとって、それはその全てを否定されたような物だった。
――だが、その時彼女は出会ったのだ。ドイツ軍に出向していた、織斑千冬と。
『ほう、お前は最近成績が落ち込んでいるのか? ――だが、心配するな。
私の教えについてこられれば、お前はきっと強くなれるだろう。最強になれるかどうか、はお前次第だがな』
その言葉は、本当だった。千冬は、ラウラを含む全員に同じトレーニングを課した。
それを最も熱心に、最も高レベルで達成できたのがラウラだった。結果として、彼女は特殊部隊シュバルツェア・ハーゼの隊長へと就任した。
彼女の成績の急降下により彼女を蔑んでいた人間もいたが、その時のラウラにとってはどうでもよかった。
彼女の心を占めていたのは、織斑千冬のみ。その強さと、その揺ぎ無い大地のような姿に憧れを抱いたのだった。
――だが、ある時。千冬に『なぜ貴女はそこまで強くなれたのか』と聞いた時。彼女は、こう答えた。
『私には弟がいる。あいつを見ていると、わかるときがある。強さとはどういうものなのか、その先に何があるのかをな』
それは優しく、何処か照れくさささえ混じった笑みだった。だがそれは『ラウラの求める千冬』には必要ないものだった。
だからこそ、一夏は千冬に必要ないと感じた。第二回モンド・グロッソ云々は、それを知ってからの後付に過ぎない。
そして、千冬を『取り戻そうと』IS学園にやってきた。だが――この学園では、千冬と一夏以外にも数多の人間に彼女は出会った。
彼女達が口にした言葉が、ラウラの殻に亀裂を入れていった。そして更識楯無に、ゴウに敗北という『事実』を突きつけられた。
千冬自身からさえ、ラウラの行動を否定するような言動を聞いた。
――そして、そんな危ういバランスの中で。アケノトリの焔に焼かれゆく彼女が『それ』を願ったのは自然な流れだった。
(……力が、欲しい。全てを超える力が。迷う事の無い、あの時憧れた、あの人のような力が……!)
そんな願いがかなう筈は無い。――だがこの時。ラウラの最も身近な場所に『それ』はあった。
『―――願うか……? 汝、自らの変革を望むか……? 強き力を、最強を求めるか……?』
何処からか、そんな声が聞こえてきた。それが何であるのか、ラウラには解らない。だが、彼女にとって重要なのはただ一つ。
(力がそこにあるのなら、私に寄越せ! 私の全てをくれてやる。だから、私に力を。比類なき最強を、唯一無二の絶対を―――私に寄越せ!)
力を欲する事。その願いは、彼女を包む。黒い、黒い影に覆われ。――ラウラの意識は、途絶えた。
Damage Level ……D.
Mind Condition……Uplife.
Certification ……Clear.
《Valkyrie Trace System》………boot.
「ぼ、ボーデヴィッヒさん……?」
『それ』に最初に気付いたのは、同室となったシャルロットだった。炎の渦巻きを受けたシュバルツェア・レーゲンの異変。
それは、装甲表面の融解から始まっていた。確かに渦巻きは高温だったが、その融解は高温によるものではない。
一瞬で全身が粘着質の物体へと変わり、そして急速に『何か』の形をとる。それは、心臓の鼓動のように脈動さえしていた。
「なっ、何ですの、あれは!? シュバルツェア・レーゲンが、溶けて……変形していますわ!」
「ば、馬鹿な! あの刃は……!」
「ゆ、雪片?」
それはラウラがモデルの黒き銅像と言っても通用するような、奇妙な外見をしていた。顔立ちも髪の長さもボディラインも、彼女の物である。
腕と脚の最小限の装甲、そして東部に発生した赤いライン・センサー付のフルフェイスヘルメット型の頭部装甲以外はない軽装甲の機体。
だが、一同が最も驚いたのはそこではない。彼女の右手に握られた武器が、学年別トーナメントでゴウが使った武器の一つと同じだった。
――暮桜を駆った織斑千冬の武器に、よく似ていたのだ。それは、ゴウ達の持つ『知識』よりも約一週間遅れで、発動した『モノ』だった。
「La……!」
「……ホウ? マサカ、コノたいみんぐデ発動スルトハ、ナ」
二次形態移行した銀の福音、炎の鳥、そして豹変したシュバルツェア・レーゲン。まだまだ、七夕の激戦は終わりそうに無かった。
……えー、多分皆さんが感じていらっしゃるであろうこと。
これ、前回の終わり方とかなりダブりましたね。そして気がつけば(※私自身を含む)誰も予想していなかったVTシステム発動。
……カオス過ぎですね、収拾つけられるんだろうか、これ。
追伸:この作品は基本設定は小説版を第一とします、とは前書きで書いたとおりですが、今回の『アレ』も原作よりです。
アニメ版や漫画版(※両方)では千冬そっくり(髪の毛の長さとか)でしたが、こちらではラウラそっくりですので、あしからず。