祝! インフィニット・ストラトス第10巻発売決定! ……長かったですねえ。
このSSも、9巻が発売されたころは学年別トーナメントが二日目くらいでしたが、今は臨海学校です。
……あれ。現実で一年の時間が経っても、物語の中の時間がほんの半月も進んでないな(汗)
「うう……どうしてこうなるんですの」
一夏さんに『日本の夏の過ごし方』を教えてもらおうという口実を使い、二人きりになった私達。ですが……。
「うーん、まさかここまでとは予想外だったねえ」
「まったくですね」
情報通として知られる、三組のお二人――都築さんと加納さんに見つかってしまったのが、アンラッキーの始まり。
それから、見る見る間に女子が増え。気がつけば、一夏さんを中心に二十人近い女子が集まっていた。そして、今は。
「す、凄いなこれ。鳥取砂丘で砂の彫刻、ってニュースで見た事があるけど、そのレベルだぞ」
「本当だね。まさか、こんあに技量の高い技が見られるなんて思わなかったよ」
「ふっふっふ。人呼んで、九州のサンドマスターとは私の事だよ!」
「ほら、セシリアも見てみろよ。凄いぞ!」
「まあ……!!」
一夏さんや、整備課志望だという三組の女子・戸塚さんの感嘆の声に押され、在らぬ方を見ていた私が視線を向けると。
私は初対面の四組の女子、鴇道 璃穂奈(ときどう りほな)さんの、砂浜の砂を材料にした見事な二体の打鉄の砂絵が眼前の砂浜にあった。
近接戦闘用ブレード『葵』を振るう、二体の打鉄。一夏さんが凄いと仰ったように、今にも動き出しそうなほどの躍動感に満ちている
たった十分足らずでここまでの砂絵を作るというのは大したもの。それは箒さんと、準々決勝で戦った四組の方をモデルにしているようだけれど……。
「それにしても、篠ノ之さんっておっきいよねえ」
「へ? ……!?」
戸塚さんの指摘が何を指しているのか気付いた一夏さんが、慌ててそっぽを向く。
……砂絵でも、箒さんの胸の大きさはしっかりと表現されていた。わ、わたくしだって小さいわけではない。
イギリス人としてはまだまだかもしれないが、ちゃんと成長している途中なのに。
「あれー、織斑君。じつはおっぱい星人だったりするの?」
「そういえば以前、山田先生の胸を揉んでいたとか聞きましたね。その時の感触を、ぜひ聞かせて欲しいのですが」
「い!?」
加納さんと都築さんが、一夏さんにとんでもない事を言い出す。
お二人が言っているのは、デュノアさん達が転入してきた日の一・二組合同授業の時のことでしょうけれど。
「な、何を言っていますの貴女達は!? あ、あれは事故! 事故ですのよ!」
「いやー、オルコットさん。やっぱり何だかんだ言って、男っていうのは巨乳に弱いんだよ」
「まあ、例外も当然いますが。日本人男性の場合、その傾向が高めというデータもありますね」
「な!?」
そ、そんな……! む、胸の大きさで勝敗が決まるなんて。そ、それではわたくしは、箒さんには……勝てない!?
「い、一夏さん! そんな事で女性を選ばれますの!?」
「お、落ち着けセシリア! ほ、ほら、鴇道さんが新しい砂絵を描いてくれたみたいだぞ? ……え?」
一夏さんが、話題をそらそうと鴇道さんの方へ視線を向けて。そのまま、硬直した。一体……?
「ふっふっふ。こっちにはオルコットさんと織斑君の砂絵も作ってみたよ!」
「!」
「へー、よく似ているな」
砂浜に書かれた、私と一夏さんの似顔絵。それもまた、短時間で書いたとは思えないほどによく似ていた。
まさか、ここまでの絵を砂に描く事が出来るなんて。サンドマスター……砂の支配者と呼ばれるのも、納得だった。
「あ……危ないっ!」
「!」
そのとき、警告が聞こえた。勿論、何なのかは分かっていた。――だけど、その警告は、意味を成さなかった。
「あああ……せっかく描いたのに……」
「ちょっと勿体無かったねえ……」
海というものは、時に大きな波を起こす事がある。これに巻き込まれると、人が溺れたりする事もある危険なもの。
……幸い、生徒は誰も巻き込まれなかったけれど。砂絵が、波に洗われてぼろぼろになってしまった。
「……もう無くなっちゃったんだ」
「もう少し、見ていたかったなあ」
皆が、残念そうな目で砂絵の残骸を見る。だが、作者である鴇道さんは、意外にも笑顔だった。
「まあ、砂絵の思い出なんてものはすぐに風化してしまうものだからね。だから、精一杯覚えておくのさ」
「精一杯、覚えておく……?」
「そう。うちの父さんが、そんな事を言っていたんだよ。さてと、次は何を……」
風化してしまうものを、精一杯、覚えておく。……ああ。まさにそうだろう。その言葉が、重く心にのしかかった。
「せ、セシリア!? どうしたんだ!?」
「お、オルコットさん? そんな、砂絵が泣く程いやだったの?」
「……え?」
気がつくと、私の目から涙がこぼれていた。勿論それは、砂絵がいやだったから出た涙ではなく。
精一杯覚えておく、という言葉が鴇道さんのお父様のものであるという事。それにより思い出した、私の両親の事が原因だった。
「す、すみません。砂埃が目に入ったようで、涙が出てしまいましたわ」
「あー、よくあるね、それは。……あそこで目を洗う場所があるから、洗ってきた方が良いよ」
「そうだな。あ、セシリア。あまり強い水流で洗っちゃ駄目だぞ? 目を傷めるから、目を漬けるような感じでだな」
「ええ、解っていますわ」
これ以上、泣いている顔を一夏さんや他の女子に見られたくはないため、小走りでわたくしはその場を離れる。
……だけど、この一件は。たとえ砂絵が消え去ったとしても、鴇道さんの言葉と砂絵の思い出は、絶対に覚えておこう。
「織斑君、オルコットさん、デュノアさんっ! ビーチバレーしようよ!」
砂絵を堪能した一夏とセシリアは、シャルロットとも合流していた。両手に花、の一夏だったが有名人である彼は二人だけで独占できるわけもなく。
一組の相川清香が目ざとく三人を見つけ、声をかける。その向こうでは、布仏本音達が手を振っていた。
「よし、やるか!」
「うん!」
「ええ、お任せくださいな!」
「え?」
見ると、シャルロットとセシリアがウォーミングアップをしていた。この二人、既に自分達と一夏が組む事を決定しているようである。
「うわー、代表候補生二人と男子かぁ。これはきっついかな?」
「私はやるよ! これでも、七月のサマーデビルなんだから!」
「ならば、私も加わろう」
「それじゃあ、私も加わろうかしら」
「ライアンさんと、ニーニョさん……! 強敵ですわよ!」
「そうだね。頑張ろう、一夏!」
「おう!」
あっという間に、代表候補生四人・専用機持ち三人という異例すぎるビーチバレー対決が始まったのだった。
「ふっふっふ……七月のサマーデビル櫛灘の力、今こそ見せるよ!」
三対三のビーチバレーコート。その中で唯一の一般生徒である女子のサーブから試合は始まった。ボールが、一夏らのコートのラインぎりぎりを突く。
「甘いですわよ!」
「よし、こっちでカバーするぞ!」
だが、それをセシリアがカバーし。引き継いだ一夏が、高く打ち上げ。
「いっけえ!」
「させん!」
シャルロットが、スパイクを打ち込んだ。だがそれを、ニナがブロックする。そして、中々の熱戦が繰り広げられる中。
……一夏の表情が、赤らんできた。
(う……)
アメリカ人のマリア・ライアンも、スペイン人のニナ・サバラ・ニーニョも、欧米人としても上位のスタイルを誇る。
つまり……飛び上がるたびに、セシリアやフランチェスカさえ上回る胸が、大きく揺れるのだった。
「一夏、いったよ!」
「お、おう!」
慌てて試合に集中しなおし、両手でスパイクをガードし大きく打ち上げる。そこに、シャルロットが飛び込んできて大きくジャンプする。
「今度こそっ!」
「くっ!」
そして、そのまま強烈なスパイクを敵コートに放った。マリアやニナも必死で追いすがるが、その間の砂浜にボールが叩きつけられる。
「やったよ、一夏!」
「お、おう」
ガッツポーズをとる元ルームメイトの少女を、直視できない一夏。……その寄せた腕で、形のいい胸が誇張されているのである。
ちなみに、シャルロット当人はまったく気付いていない。
「ほう、ビーチバレーか」
「楽しそうですね」
そこへ、千冬と真耶……一組の教師達がやってくる。真耶は、薄黄色の水着の上からパーカーを羽織っており。
千冬は、レナンゾスで一夏の選んだ黒いビキニの水着だった。両者とも、大人の女性としての魅力を醸し出している。
「うわあ……織斑先生も山田先生も、綺麗……」
「織斑先生、モデルだって言ってもおかしくないわよね」
「胸も大きいし、それでいて鍛えられている感じがする……」
「山田先生の胸、歩くたびに揺れてるわ……」
「うう、あの人本当に日本人なの?」
女子たちも、教師達の魅力に気おされていた。――それは、彼も例外ではなく。
「あ、ち……織斑先生、山田先生。見回りですか?」
「いいえ、さっきは見回りでしたけど、今は自由時間ですよ」
「そういう事だ。――まあ、弟がせっかく選んでくれた水着、着てみたのだがな。……あまり羽目を外しすぎるなよ」
「はい」
さきほどまで少女達の胸に見とれていたとは思えないほどの速さで、姉(+α)に視線を向ける一夏。
そしてその視線も、明らかに少女達の時とは熱の入りようが違っていた。
「……一夏って、やっぱりブラコンだよね」
「まったくですわ。さっきの話ではありませんが、大きい胸もお好きのようですし」
「何でだよ!?」
教師達が去った後、ふくれっ面の二人の指摘に抗議する一夏だが。彼に賛同する者は、誰もいなかったという。
千冬姉達が来た後、俺達は昼食に戻った。刺身が出たのには驚いたが、それも終わって一休憩して。
今は、ビーチバレー午後の部だ。コートの中には、のほほんさんや俺達とトーナメント三回戦で闘った、マーリ・K・カーフェンさんがいる。
「ほーい」
「はーい」
……なんていうか、癒される試合だった。いかにも、一般人のビーチバレーって感じだ。
「よう、一夏。お前もここだったのか」
「将隆……」
「やっほー、織斑君」
将隆と、三組女子が何人かやってきた。赤堀さんのように俺が知っている顔もあれば、知らない顔もある。……が。
「なあ、赤堀さんの水着は何なんだ?」
「ふっふっふ。これぞ伝説の戦士『超越人皇帝』の水着だよ! しかも宿敵の宇宙大魔王と怪獣四天王も付いているんだ!」
……彼女の水着は、いわゆるワンピースタイプの水着だが。その柄が、例の超越人っていう巨大ヒーローと、宇宙人と、四匹の怪獣だった。
「唯、やっぱり織斑君は引いていると思うんだけどなあ」
「確かに……」
三組女子たちも、苦笑いしている。だよなあ……。
「お、織斑君そこどいて!」
「い、一夏、危ない!」
「おわっ!?」
と思っていたら、勢いあまった女子が俺の横を走っていった。ボールを追いかけるあまり、外まで飛び出してしまったようだ。
「あ、危ない危ない……。いくら砂浜だからって、転んだら捻ったりする事もあるからな。注意しないといけないな」
「……流石に今回はラッキースケベはなかったか」
はて、将隆。何の事だ?
「このゼリー、最高だよ~~♪」
ゲームも一段落し、皆がコートの外で休憩していた。そして、俺の近くにはあのロミーナ・アウトーリさんがきていた。
シャルやセシリアとは違う、肩口までの金髪が汗で眩しく光っている。苺のゼリーを幸せそうに食べているその姿は……。
正直、トーナメント二回戦で俺達を敗北寸前まで追い込んだ相手だとは思えなかった。
「やれやれ、本当にイチゴ好きよねロミは」
そう言いながら、ショートカットの女の子が俺の右隣に座った。着ているのは、赤を基調としたビキニタイプの水着。……あれ、この娘は。
「君は確か……春井さん、だったよな」
「ええ。一年三組、春井真美。――大金星を掴み損ねた女、よ」
春井真美さん。あの時、アウトーリさんと一緒に俺達を敗北寸前まで追い込んだ少女だ。
アウトーリさんは、のほほんさんと一緒にいる所を見た事があるが。彼女とあの試合以外で出会うのは、確か初めてだった……よな?
「……」
「……」
いかん、何を話せばいいんだろうか? あのトーナメントで闘った相手のうち、一回戦のブラックホールコンビの二人や準々決勝の更識さん。
彼女達とは以前から面識があった。だから、闘った後も普通に話せているんだが……。彼女とは、あの試合以外での接点がない。
彼女のクラスメートである将隆を介せればいいんだが、あいつがどこかに行ってしまって、生憎といない。うーん……。
「ねえ、織斑君。……あの時の事、聞いてもいいかしら?」
「……何だ?」
「デュノアさんがロミに落とされて、貴方は私達の攻撃や零落白夜でエネルギーもかなり損なわれてて。
でも、貴方は諦めなかった。ロミを瞬時加速で捕まえて、地面に落として倒して。私を、零落白夜を伸ばして倒した。
……どうして、あそこまで出来たの?」
春井さんの、真剣な表情。
「……今だから言えるけれど、俺、君達の事を舐めてたんだ」
「……」
「あの時、シャルを倒した直後。アウトーリさんがフラフラってなったの、覚えているか?」
「ええ」
「あれを見た時、本気で自分に腹がたった。だからこそ、自分の力が振り絞りつくせたんだと思う。
……あの逆転劇がどうして出来たのか、って言われたら、不甲斐ない俺の為に頑張ってくれたシャルと、君達のお陰なのかもな」
俺は、正直な思いをそのまま伝えた。彼女達を舐めていた、とかは言わない方が良かったのかもしれない。
だけど、真摯な瞳で俺を見てくる彼女には、不快な真実であれそのまま伝えるべきだと思った。
「……ふう。そう、なんだ。……じゃあ、ロミと私は君に舐められていたから善戦出来たって事?」
「ち、違う!」
……我ながら、声が大きすぎるのは解っていたが。それは絶対に違う、と言いたかった。
彼女達の作戦とコンビネーションの巧みさは、間違いなく俺達を上回り。何かが違えば、俺達は彼女達に負けていたのは間違いない。
「俺に油断はあったけど、君達は間違いなく強かった! だから……」
「はいはい、もう良いわよ。……そこまで熱弁されると、冗談だって言い辛いじゃない」
「え?」
冗談?
「ごめんなさいね、からかって」
「おいおい……」
舌を出して、手を合わせる春井さん。……冗談だったのかよ。
「……一夏、お話は終わった?」
「おうシャル、どうした……ん……だ?」
「どうしたのかな一夏、僕の顔に何かついている?」
「い、いや、そういうわけじゃないんだが」
「おかしな一夏さんですわね」
何故だろうか。さっき、別の一組の女子に呼ばれてこの場を離れたシャルとセシリア。俺の左側から戻ってきたんだが、その顔が、ものすごく怖い。
笑顔だ、笑顔なんだけど何故か恐怖を感じる。ど、どうしたんだ二人とも!?
「え、えっと、シャルロット、さん? セシリア、さん?」
「どうしたのかな一夏? 僕のことはシャルって呼んでくれる筈でしょ?」
「一夏さん、どうしてわたくしを直視していただけませんの?」
「そ、それはだな、えっと……」
「レディから視線を逸らすのは、マナー違反でしてよ?」
「そうだよ一夏。ちゃんと僕達の方を見ようよ」
そ、そうなんだが。微妙なプレッシャーに、ついつい後ずさりしてしまう。……あれ? なんだろうか、この柔らかい感触は?
「お……織斑、君?」
……俺は、大事な事を忘れていた。俺の右隣には、春井さんがいた。
それなのに左側からやってきたシャルを見て後ずさりすれば、当然彼女にぶつかるわけで。……そしてぶつかったのは、俺の腕と彼女の胸だった。
「わ、悪い!」
「きゃっ!?」
俺は、春井さんの胸に当たっている腕を慌てて放した。だが、あまりにも慌てすぎたため、
彼女の水着の、胸の部分を引っ掛けてしまい。そのまま、それを奪い取ってしまった。
あまりの偶然に硬直した俺の手に、彼女の水着の胸の部分だけが残る。彼女はとっさに胸を隠したが、その顔は真っ赤だ。
「……へえ。一夏って、三組の女子にもそういう事をしちゃうんだあ……」
「あらあらまあまあ……やはり一夏さんには、紳士としての心得が足りませんわね?」
しゃ、シャルとセシリアが何故か更におどろおどろしい雰囲気を漂わせている! いや、今のは俺が悪いんだけど、何故だっ!? 何故こうなる!?
「……やっぱりラッキースケベを炸裂させやがったか、一夏」
「おー、あれが噂のラッキースケベか~~」
呆れたような将隆と、のほほんさんと同じような笑みを浮かべるアウトーリさんがいたが。
俺はその後、春井さんへの謝罪とシャル・セシリアへの対処に追われたのだった。
「……」
生徒達のいる海岸から離れた岩場。そこにはISスーツ姿の美少女がいた。それは、一年一組所属のドイツ代表候補生、ラウラ・ボーデヴィッヒ。
「やはり……下らんな」
シャルロットと行動を共にしていた彼女だが、昼食前後から別れ。今は、この海岸を見下ろす位置にある岩場で一人でいる。
「私は、やはりこれでいい……」
シャルロットと同室となり、彼女の干渉が増えていた。髪型、食事、服装。無視するのは簡単だったが。
彼女の敬愛する千冬から『シャルロット・デュノアを監視しておけ』と言われては彼女から離れられない。
今は『たまには、自由行動を許す』と言われて、この岩場にきたのだった。
「あの女、おそらくは男性操縦者のスパイだったのだろうが。何故、今なお学園にいるのだ?」
シャルロットの事情は説明されたものの、ラウラにとっては一考だに価しない嘘情報だった。
だが、それはそれで別の疑問が出てくる。何故、学園側は彼女を受け入れているのかと。
「まあ、いい。教官の命令は、奴の監視だ。……もしも何かをするのならば、その時に対応すればいい」
そういうと、ルームメイトの存在を頭から消し去った。――故に彼女は、夢想だにしなかった。
シャルロット・デュノアもまた、寝言の一件を聞いた織斑千冬から『ボーデヴィッヒの事を気にかけてやってくれ』と言われている事に。
「はあ……」
「何黄昏てるのよ、鈴」
砂浜の休憩所の一つで、アンニュイな気分で寝そべるあたしにティナが声をかけてきた。
……とりあえず、上から覗き込むのは止めてもらいたい。その無駄にでかい胸が強調されて、あたしの視界に入ってくるから。
「ティナ、言わなくても分かってるでしょ。織斑君が久しぶりに会うあたしに構ってくれなくて寂しー、に決まってるじゃない」
「ふぁ、ファティマ! あ、あんたは何を言ってるのよ!?」
「私も、違わないと思うけど?」
「……同感ね」
ファティマの言葉に、恵都子とエリスも同意する。……ふ、ふん! まあ、そういう事にしておいてあげるわ。
「昼食の時も、一組のメンバーが集まっていたからねー。鈴の出る幕がなかったし」
「四組の更識さんは、布仏さんに引っ張られてあの中に入っていたけど……」
「鈴も、突っ込めばよかったのに」
「そうそう。ただでさえ、大きなハンデがあるんだからさ」
アナルダの言葉に、恵都子とティナが追い討ちをかけてくる。……ってちょっと待ちなさい、最後のファティマ。
「ハンデって、何よ」
「決まっているじゃない。――二組だ、って事よ」
「う……」
そう。あたしは、一夏とは違うクラスだ。箒もセシリアも、渾名を貰ったシャルロットも同じクラス。あの、宇月もそうだ。
だけど、あたしだけが違うクラス。……最近一夏と関わりだしたという話の更識も四組だけど、あの娘は一組内に布仏っていう協力者がいる。
あたしも宇月に情報を流してもらったりした事があったけど、やっぱり、二組だっていうのはハンデなんだろうか。
「ああああ、ファティマ。言い過ぎだよ!」
「ごめん……」
「でも、事実だわ。――鈴、もう少し何とかした方が良いんじゃないの?」
エリスが、厳しい口調で言い放つ。この娘は、グループの中ではお姉さんポジションだ。
メンバーの中で、どこか一歩引いている感じがある。ある意味、リーダー向きなのかもしれない。
とはいえ、自分から集団を引っ張るタイプじゃないんだけど……。だからこそ、その一言が重かった。
「……」
夏の空は、鬱陶しいくらいに晴れ渡っていた。あたしはどちらかというと、この国の夏が苦手。
だけど、一夏はそうじゃない。……そんな、些細な違いまでもハンデに思えてきた。
「ったく。……情けないわね、我ながら。これじゃあの時と同じじゃない」
ほんの一年とちょっと前の冬、あたしの心はズタズタだった。両親の離婚、一夏たちと別れる事が決まって。あの時は……。
「こうやって一人でいる時に、一夏が来たんだっけ」
「俺が来たのか?」
「そう、一夏が……え?」
あれ? ……えっと。うん。何でティナもファティマも恵都子もアナルダもエリスもいなくて。代わりに、一夏がいるわけ?
「いいいいいいいい一夏!? な、何であんたここにいるのよ!?」
「いや、何か鈴の姿があれから見えなかったからな。何となく探してたら、ここで見つけた」
ささささ、探してた!? ……い、いや待てあたし。こいつに、そんな甲斐性があるわけない。
あと、休憩所の陰に隠れてそこからあたし達をニヤニヤと見ている、ティナとアナルダと恵都子とファティマ! あんたら、謀ったわね!?
「どうしたんだ、鈴? 何かあるのか?」
「べ、別に。……それよりもどうして、探してたのよ。誰かに言われたの?」
「何でだよ。お前だって、俺の仲間だろ。姿が見えなかったら、心配するぞ」
……馬鹿。何で、こういう時だけ、優しいのよ。
「一組の奴らはいいわけ? 箒とか、セシリアとか、シャルロットとかは?」
「セシリアとシャルは、さっきまでビーチバレーをやっていたんだけど、疲れて休んでる。箒の奴は、全然見かけないんだよなあ」
どうしたんだろ、と心配そうな一夏。……箒には悪いけど、ちょっと一夏を独占させてもらおう。
「ねえ、せっかくだからスイカ割りでもしない?」
「あ、さっき三組の女子も交えてやった」
「じゃ、じゃあ遠泳は……」
「午前中にやって疲れたんで、勘弁してくれ」
「……買い食い、とかは?」
「まだ昼飯が残っていて、食う気はない」
……あたしがやろうとしたことは、全部やられたようだった。……二組ならぬ、二番煎じになってしまう。
「あれ、どうしたんだよ?」
「うっさい馬鹿! な、何でもないわよ!!」
あたしは、一夏を突き飛ばすと休憩所を飛び出た。今、ここにはいたくなかった。
「……え?」
だけど。……砂浜の、たまたま凹んでいる部分に足を踏み入れてしまい。あたしは、右足を取られて転んだ。砂が、顔や髪に付く。
「り、鈴! 大丈夫か?」
「だ、大丈夫……っ!」
その瞬間、右足から痛みが走った。……たぶん、捻ったんだろう。情けないわね、代表候補生のあたしがこんな無様な真似……ええええええっ!?
「い、一夏!? 何するのよ!?」
「救護室まで、抱えてやるよ。……たぶん、足を捻ったんだろ?」
一夏にも、それは解っているようだった。……だけど、あたしはいきなり一夏にお姫様抱っこされた事でそれどころじゃない。
「は、離しなさいよ! これくらい、歩いていけるから……! は、恥ずかしいじゃない!」
「馬鹿! 足を捻っている奴に、砂浜を歩かせるわけないだろ!」
一夏が珍しくも、あたしに対して声を荒げる。だけどそれは、あたしを心配してくれているからこそだった。
「おとなしく、抱っこされてろ」
「……解ったわよ。抱っこされてあげるわ」
それからあたしは、旅館内に作られた救護室まで抱っこされていた。……皆の視線が、凄く恥ずかしかったけど。
……あたしは、一夏の体温を感じながら。やっぱり、自分のいる場所はここなんだと再確認した。
「ねえねえ、誰の水着が格好よかった?」
「やっぱりゴウ君、かなあ。ヨーロッパのデザイナーがデザインした水着だったんだって」
「へえ……。彼ってやっぱりイケメンだから、そういうのも似合うのかなあ」
「織斑君はどうだった?」
「普通のパンツだったよ。でも、彼って意外と引き締まった身体をしてるんだよねえ」
「やだ、何かエッチな表現!」
俺が個室トイレに入っていると、女子たちのそんな会話が聞こえてきた。
男性用として作られた、簡易式の仮設トイレみたいなものなので、よく声が聞こえてくる。……出て行きづらいこと、この上ない。
というか、こんな所で何故おしゃべりをするんだろうか。できれば、この場を離れてやってもらいたいもんだが。
「安芸野君は、どうだった?」
「うーん……何ていうか、普通だよね。太っているとかいう事はないんだけど、痩せてもいないし……」
「多少は鍛えてるみたいだったよ。自衛隊と学園で、かなり鍛えられたって本人から聞いたし」
いつの間にか、俺の話題になった。……一夏やドイッチに比べると、明らかにトーンが低い。
「彼って、どうなの?」
「うーん。悪い人じゃないよ。良くも悪くも、普通かな? ブローン君みたいに女子に声はかけないし、ゴウ君みたいに丁重ってわけでもないし。
織斑君みたいに、唐変木でもないし。二組のクロトー君みたいに、幼くもないし」
……今のは、同じクラスの歩堂凛だ。最近、名前呼びで凛、と呼ぶようになった相手だが。……普通、か。
まあクラウスや一夏やロブと違うのは当然だが。丁重ではないのかな、俺。これでも結構、気を使っているつもりなんだが。
「それって、結局どうなの?」
「そうだね。ゴウ君とか織斑君とかが、ずっと先にいる人――って感じだとするなら。将隆君は、隣で一緒に走っている人、かな?」
……何だそりゃ?
「専用機は持っているけど、最初は不慣れだったし。知識は私達の方がまだまだあるけど、必死で勉強してるし。
良くも悪くも、普通の人が頑張っているって感じかな」
「ふうん。三組の人って、彼の事をそういう風に思ってるの?」
「全員が全員じゃないけど、ね。でも、悪感情は持っていないと思う。そうじゃなきゃ、いきなりクラス代表に推したりしないよ。
試験官撃破が二人もいた一組とは違うんだし。マリアだって、将隆君の事を認めたからクラス代表を取り返そうとしないんだろうしね」
……何ていうか、今まで自分の評価というものは聞かなかった。
『俺って、皆にどう思われてるんだ?』とブラックホールコンビ辺りに聞けばすぐに解るだろうが、聞ける筈もない。
だから、こんな形とはいえ自分の評価を聞いて、ちょっとむず痒いような気持ちになる。
「ひょっとして歩堂さんって、安芸野君が好きなの?」
「はい? ……うーん、LikeではあるけどLoveではないわ。一場さんとは違うわよ」
え? 何でそこで久遠が出てくるんだ?
「ああ、一場さんかあ。そういえば最近よく、安芸野君のことを聞いてたわよね」
「どうして聞くの、って訊ねたら、真っ赤な顔で『男性操縦者の情報集めです』っていうんだものね。ブローン君や織斑君やゴウ君の事は聞かないのに」
「転入直後に比べると、表情も柔らかくなってきたしね」
「この間、私の持っていた雑誌の『男性のハートを掴むには、料理だ!』ってコーナーをじっと見てたよ」
「へえ……可愛いところもあるんだね」
……俺は、自分の喉下辺りを両手で押さえていた。自分が思ってもみなかった事。それが、いきなり降って湧いた事への驚き。
それにより叫びそうなのを、必死で抑えた。そして、凛を含む女子たちが去った後も、俺はトイレの中から暫く出られなかったのだった。
「……なあ、ゲルト姉」
「何でしょうか、クラウス」
「……ダンテの『神曲』ってあるよな。何か、今の俺達と似たような物なかったっけ?」
「ああ、アレですね。足だけがバタバタと出ているという地獄。確か地獄の刑罰の一つでしたか」
「……ほう、まだまだ余裕のようだな」
クラウス・ブローンとゲルト・ハッセの視界に、上下さかさまになった千冬が映った。何故なら今、この二人は。
「あのー、織斑先生。生徒と同僚を逆さ磔とか、虐待じゃないかと思うんですよ? いくら俺達でも、これは辛過ぎます」
「心配するな、ISスーツのバイタルチェック機能で危険域かどうかは分かる。そうなったら、助けてやろう」
「あの、ちょっとした悪戯心で、ここまでの刑罰は酷いと思うのですが」
「ほう? 更衣室にカメラを仕掛けた挙句、下着泥棒を働こうとしたのが『ちょっとした、悪戯心』か?
挙句の果てに、ハッセが山田先生に襲い掛かろうとしたのも、か?」
旅館の一角、教員用の部屋で逆さ磔の刑に処されていた。罪状は今、千冬が言ったとおりである。
「仕方がないんです! あの胸が、あの胸が私達の野生を呼び覚ますんです!」
「そうなんです! 歩けば揺れ、跳ねれば弾み、屈めばその大きさを強調するあの胸! あの胸こそ、神の至宝なんです!
神の至宝の前では、脆弱な人間である我々は、自らの持つ野生にありのままでいるしかないんです!」
……今なお、その行為に対する反省点ゼロの従姉弟二人組。そんな言葉を聞いた千冬は、ため息を一つつくと。
「……だそうだが、山田先生。こいつらには、まだ反省が足りないようだ。……開放は、まだ暫く待つぞ」
「え?」
「あ、ちょ……」
自身の後ろで真っ赤になっている山田真耶を連れ、退室したのだった。
なお、ISスーツの首周りで行われるバイタルチェックの数値が危険域に突入したのはそれから30分後だったという。
「はふう……。どうして私の胸って、ああいう人たちを呼び寄せちゃうんでしょうか」
千冬と別れて海岸に向かう真耶は、パーカーを羽織ながら自らの胸へと視線を落とした。外国人の生徒や教師もいるIS学園。
その中でも、トップクラスのサイズとカップを誇る胸。ゲルトやクラウス、ブラックホールコンビなどはこれを見るたびに目の色を変える。
今までも、同性の妬みや蔑みの視線。あるいは異性の欲情の視線を。そして、性別問わず好奇の視線を集めてきた胸。
「私だって、好きでこんなに大きくなったわけじゃないんですよ……」
思春期頃から、突如として成長を続け。身長などでは人並みだったが、胸のサイズとカップでは常にトップだった。
町を歩いていると、ナンパや怪しい出演依頼を持ちかけてくる男達を引き寄せ続けてきた。
ISに出会い、代表候補生に選ばれてからも、水着グラビアなどの撮影が、他の代表候補生達よりも多かった。
もちろん実力もかなりのレベルで身につけていたのだが、同輩から『撮影が多いのはあの胸のせい』と陰口を叩かれたのも一度や二度ではない。
本人は目にした事がなかったが、その撮影のせいで変な手紙も来ていたのだ。
「はあ……どこかに、胸の小さくなる薬ってないでしょうか?」
現在は高校一年生の某国の代表候補生が聞いたら、地の果てまで追いかけてきて、その上で追い詰めてくるであろう一言だが。
本人には切実な問題であった。ちなみに以前、ダイエットをすれば胸から痩せると聞き実行したのだが。サイズもカップも、まるで変わっていなかった。
「ふう……」
「おや、山田先生。休憩ですか?」
「あ……ど、ドイッチ君。はい、そうですよ」
生徒に声をかけられ、即座に教師の顔に切り替わる。ふと、その視線がゴウの持つ封筒に集まった。
「ドイッチ君、それは?」
「欧州連合の知人からの、個人的な配送物です。山田先生に、渡すように頼まれました」
「え? わ、私に、ですか? ……ドイッチ君、そういうものはちょっと先生困ります」
真耶は、先ほどまでとは別種の困り顔になった。IS学園の教師にプレゼント、というのはある意味では賄賂と捉えられても仕方がない。
学園全体に、などにならまだしも、個人的な、と言われては受け入れられるはずもない。
「ええ、解っています。……ですが、これは賄賂ではありませんよ。ほら」
「……!? あ、IS委員会からの、封書!?」
裏返されたゴウの持つ封筒には、IS学園の校章とも似たIS委員会のマークがあった。一教師に過ぎない自分に何故、と混乱する真耶。
「どうぞ、開けてみてください」
「は……はい」
困惑の中、生徒の思惑通りに封書を開ける真耶。そして、それに書かれていた文章は。
「……!」
クラス対抗戦の時の、乱入者についてであった。学園の対応のまずさや、不可解な点への指摘。
それは、内容的には至極真っ当なものであり、それゆえに真耶の混乱もいっそう深くなる。
「ど、どうして、私に、これを……」
「山田先生。貴女は、織斑先生と篠ノ之博士の関係についてご存知ですか?」
「……そ、それは」
「ああ、もう結構です。その反応が、何よりも理解できる回答です。――さて、と」
「え? ど、ドイッチ君!?」
真耶の手にあった封書を、ゴウは奪い返した。そのまま、それを懐にしまう。
「ど、どうして……」
「生憎と、これは誰の目にも触れさせてはならないと言われていまして。……ですから、俺自身が処分させていただきます。では、失礼しました」
「あの……」
真耶の呼び止めも空しく、ゴウはそのまま去っていく。後に残されたのは、困惑する女教師のみ。
「……私は、どうすればいいんでしょうか」
自らの身体を抱くように、竦む真耶。その胸の重みが倍増したような緊張と困惑が、彼女を包み込んでいた。
「ふう。――終わったぞ」
『ご苦労。封書は、処分したんだな?』
「ああ。既に灰だ」
『なら、良いだろう。――ふふふ、困惑しているであろう彼女を見られないのが残念だな』
(……変人が)
ゴウは、旅館の自室で通信をしていた。彼と同室であるクラウスは不在であり、今は彼しかいない。
そして、通信の相手は――カコ・アガピグループのトップ、クリスティアン・L・ローリー。
『オペレーション・ゴスペルブレイクの準備は、これで出来たというわけだ。いよいよ明日、だな』
「ああ。――スケジュールは、予定通りか?」
『勿論。既に在日米軍、マスコミ、日本政府への対応は準備済みだ』
「そうか。……いよいよだな」
『お前が学年別トーナメントでモップに負けて、少々スケジュールが狂ったからな。これで、元通りだ』
「ちっ……!」
通信端末を、壊さんばかりの強い力で握り締めるゴウ。彼の負った屈辱への憤怒は、より一層強まっていた。
『そういえば、ついさっきお前の方に届けさせた、各国代表候補生に送られるパッケージの内容は見たか?』
「ああ。……シャルは予想通りガーデン・カーテン、セシリアはストライク・ガンナーだったな。
酢豚が崩山、更識簪はまだなし、あの二人目の男は特殊攻撃パッケージだって話だったが」
『ふむ――こちらも一人を除いて、ほぼ予定通りだな』
「ああ。シャル辺りは変更の可能性があるから解らなかったが、これで予定通りだ。……出来れば、今回の一件で少しは取り戻したいものだが」
『シャル、か。セシリアもそうだが、俺にとってはあまり食指の動く奴じゃないな』
取り戻す。――それが何なのかを解っているクリスティアンは、嘲笑を漏らした。
「ふん、意外だな。ISオタなら、大半はシャルロッ党かオルコッ党だと思っていたんだが」
『あざといからな、彼女は。だいたい(シャルロッ党を激怒させる為、削除)で(余りにも酷い表現の為、削除)だ。
そうでなければ(今後の展開をばらしてしまう為、削除)なんてしないだろう』
「……」
ゴウも黙るほど酷い言葉。それは、クリスティアンの性根が出ている言葉だった。ゴウも、彼の人格を好ましく思ってはいない。
だが、自分とは『目的』が異なる。だからこそ、シャルロット他を狙うゴウとも共存が可能だと言えるのだが。
『早いところIS学園を潰し、この乳牛を手に入れたい物だな。……くくく』
「……」
通信端末から何かを舐める音が聞こえてきた。それは、欧州からの音。そしてゴウは、それが何であるのかを知っていた。
リヴァイヴを纏い華麗に空を舞う、眼鏡をかけた童顔の元・日本代表候補生の写真。それを、舐めているであろう音であると。
「お、箒。ここにいたのか」
「い、一夏!?」
足を捻った鈴を旅館内に設置された医務室に送った後。海に戻ろうとしていた一夏は、箒と出会った。一夏は、まったく別の事を気にしていた。
「どうしたんだよ、箒。こんなに早く旅館に戻ってきて」
「そ、それは、だな……」
既に彼女は、浴衣に着替えていた。旅館の部屋には人数分の浴衣があったため、到着して荷物を置くと同時に浴衣に着替えた女子もいる。
だが、まだ自由時間が残っている中、旅館の中で浴衣姿なのは奇妙である。
「そういえば箒、お前、何処にいたんだ? 海岸を探してもいなかったし、昼食の時もいなかっただろ?」
「しょ、所用だ!」
「ふうん……あ、そういえばお前、束さんとは会ったのか?」
「……いや」
その途端、箒の声と表情が頑なになった。幼なじみのそれが、明らかに良いものではないと一夏にも解るが。
「おや、そこで何をしているのかね?」
浴衣姿の三組副担任・古賀水蓮の乱入でその空気は乱された。……正確には、その癖のある髪の、上にあるものに。
「……犬耳、ですか?」
水蓮の上には、黒っぽい垂れた耳を模したヘアバンドが飾られていた。
まるで、のほほんさんだな、と思った一夏の感想は間違っておらず。他の生徒も、同じような感想を持ったというが。
「ああ。それも猟犬の耳だぞ。たまには、こういうのも悪くないだろう?」
「は、はあ……」
「――私は、失礼します」
「あ、箒! 待てよ……こ、古賀先生?」
犬耳型のヘアバンドをつけた教師が出現した隙を突き。箒が、その場を逃げ出した。追おうとする一夏だが、水蓮が肩を掴んで止める。
「やれやれ、唐変木だな。女性には、追って来てほしい時と、追ってきて欲しくない時があるものだよ?」
「……今の箒は、追ってきて欲しくないって言いたいんですか?」
「そうだ。個人差はあるが、辛いものだからな。男性には解らんだろうが」
「はあ……」
水蓮が何を言いたいのか、戸惑う一夏。しかし。
「やはり、生理二日目とい――げふっ!?」
「こ、古賀先生!? 大丈夫ですか……げ」
とんでもない事を言い出した水蓮の後頭部を、何処からともなく出席簿が直撃した。
そのまま倒れこむ三組の教師。その出席簿が一年一組の物であるのを確認した一夏は、その場を離れた。
「貴女は何をやっているんですか、古賀先生」
「……やれやれ。ジョークの代償としては、少々きつ過ぎるぞ?」
「出鱈目を植え付けられそうになった自分のクラスの生徒を守っただけです」
何事もなかったかのように立ち上がった水蓮に、出席簿の持ち主――織斑千冬が声をかける。
衝撃でずれた犬耳を元の位置に戻し、浴衣姿の教師はその場を離れようとした――が。
「そういえば織斑先生、この犬耳ヘアバンド、どう思うかね?」
「どう、とは?」
「これはビーグル犬という犬種の耳でね。まあ、日本ではス●ーピーのモデルとして有名かもしれないが。
……元々は『ウサギ狩り』に使われていた犬種なんだよ」
「そうですか。――そろそろ、自由時間も終わりますから、私は海岸の見回りをしてきましょう。ウサギは兎も角、不審者がいるかもしれませんので」
一般生徒達の前では、否、布仏虚さえも知らないほど冷ややかな声の水蓮。だが、千冬は動じない。
いつもと同じ口調、足取りで去っていく。そんな千冬を見送り、水蓮は一つため息をついた。
(……やれやれ、動じないか。まあ、それも仕方がないことだな。……私の役目の一つ『篠ノ之束の捜索』の邪魔をしないだけで良しとしようか)
絶対に教えられない目的を心の中で呟きつつ。水蓮は、いつもどおりの表情に戻るのだった。
「……情けないものだな」
一夏とまた出会ってしまい、その上姉さんとの事を聞かれ。私は、子供のように逃げ出すしかなかった。
これでは、入学した頃と同じではないか。それにしても、姉さんがここに来た、という事は。
「もしかして、渡してくれるのか……?」
先日、私は初めて姉へのわがままを言った。一夏やセシリア、鈴達が持っている、専用機。それを、欲するために。
……最初は、どう頼めばいいのか、解らなかった。だがあの人は、そんな事はお見通しだったのか。何もいうことなく、専用機を渡すと言ってくれた。
そもそも、あの時使った電話番号も、突然何処からか送られたメールの中に記されていた、おそらくはもう使えないであろう電話番号だ。
まるで、あの人の手のひらの上で踊らされているような感覚だ。私の浅ましい願望さえも、あの人にはお見通しなのだろうか。
「それが……明日、なのか?」
専用機を渡してくれる正確な日時な場所などは分からないが、明日――七月七日なのかもしれない、という予感はしていた。何故なら……。
「お、いたいた」
「い、一夏……!」
何と、三度(みたび)一夏と出会った。――いや、一夏の方が追いかけてきた、というべきか。
「箒、お前……」
「あ、織斑君と篠ノ之さんだ……」
「お、お、お。こんな所で、密会かな?」
一夏の言葉を遮って現れたのは、私達のクラスメートの夜竹と岸原だった。彼女達も、既に浴衣に着替えているが。
みみみ、密会だと!? そ、それは、その、だな……。わ、私としては、嫌なわけではないのだが……。
「密会ってわけじゃないよ。ただ、箒を探していただけだ」
「へえ。探していただけ、ねえ?」
面白そうな物を見つけた笑みを、岸原が浮かべている。……彼女がこういう笑みを浮かべている時は、ろくな事がない。
ここは退散するに限る……ん? なんだ、この違和感は。何か、岸原と夜竹に違和感が……。
「あれ、夜竹さん、髪の毛を纏めているんだ?」
「う、うん。気付いたんだ……? ちょっと、イメージチェンジしてみようと思って。泳ぎやすいし……」
そうだ。いつもは暗色のヘアバンドと腰辺りまでのストレートヘアの夜竹が、今日は髪の毛を上で纏めている。
慎ましやかな性格の彼女にしては、イメージチェンジというのは珍しいが……一夏の奴、こういう所には聡いのだな。
「そういえば、篠ノ之さんは髪型をポニーテールから変えていないよね?」
「わ、私か?」
……話題が自分の方に向き、戸惑う。確かに私は、リボンの色を変えることはあっても髪型を変えた事はない。
あの時から変えなかった髪形。願掛けのような形だったが、それは今年の春、成就した。
もう変えない必要はないのかもしれないが、やはり、この髪型は落ち着くのだし……。
「織斑君は、篠ノ之さんの別の髪型とか見たくないの?」
「そ、それはまずくない……?」
な、何を言い出すのだ岸原!? 夜竹のつつましやかさを見習ってくれ!
「箒の? まあ、別の髪型もいいけど……でもやっぱり、箒はリボンとポニーテールって感じだな」
――!
「そ、そう、か。……お、お前が言うのなら、まあ、この髪型でも良いぞ」
そうかそうか、ならば私もこの髪型を続けてやるとしよう。うん、そうだな!
「あ、もうそろそろ自由時間が終わりですね。皆、戻ってくるでしょうから……」
「部屋のクーラー、入れておいてあげようか。水着で泳いだりしたし、暑いだろうしね」
そういうと、岸原と夜竹は部屋に戻っていった。……水着、か。一応、宇月達と出会った日に買ったものの、とうとう着る勇気はなかったな。
……まあ、良いか。水着を着る機会は、またあるだろう。
「どうしたんだよ箒、ぼうっとして」
「何でもない。――さて、私達もいくか」
「そうだな」
そんなことを考え、私は一夏の元に向かっていった。……この次の日、自ら髪型を変える事になるとは夢にも思わずに。
……膨らみまくった臨海学校一日目その2。もうメインキャラは『ほぼ』全員出演のオールスターでした。
筆力故にまだまだ書ききれなかった部分がありますが、これ以上書くとさらに展開が遅れるので切りました。
そしていよいよ次回は――臨海学校一日目その3です! あ、そんな大きな石を投げないで(ぐしゃ)