学年別トーナメントも終わり、デュノアさんの衝撃のカミングアウトもあって、平穏な日々が戻ってきた……はずだったんだけど。
「あの、先生。今日は、何の御用時ですか?」
私は、織斑先生に呼び出されていた。でも、どうしてだろうか? 最近は、倒れるほどきついスケジュールで頑張っていないし。
トーナメントの整備でも、特に問題は無かったはずだし。織斑君関係でも、デュノアさんの一件を除けば別に問題は生じていないはずだし……。
あれ、ここで『呼び出される心当たりは無い』といえない私は、結構問題児なのかしら?
「お前に、客人だ。――そろそろ、来たようだな」
「あ、貴女は……」
「お久しぶりです、宇月香奈枝さん」
「お、お久しぶりです、加納さん」
そこにいたのは、倉持技研の加納奈緒美さんだった。……あ。すっかり忘れてたけど、一応私、この人からスカウトを受けてたんだっけ。
「今日は、宇月のスカウトの一件ですか?」
「ええ、それもあるのですが。実は、もう一つ用件がありまして」
もう一つ?
「宇月香奈枝さん。今日は貴女に、白式の専門整備担当者になっていただきたいと思い、お伺いいたしました」
「……えっと、今、何と仰いました?」
「はい。白式の、専門整備担当者になっていただきたい、と言いましたが」
私が、白式の専門整備担当? えっと、つまり、白式の整備を私が担うという事? ……うん、これはジョークね。寮に戻ろう。
フランチェスカが待っているだろうし、早く戻らないと――。
「宇月、信じられないのは解る。現実逃避も理解できないわけではないが、いくらなんでも、無言で去るのは失礼だろう」
「そういうのは、よくないですよ」
織斑先生と山田先生が、私の制服をしっかりと掴んでいた。……はい、ごめんなさい。
「あの、加納さん。それで、どうして私にそんな重要な仕事を任せようと思ったのでしょうか?」
改めて椅子に座ったけれど。何よりもまず、これを聞き出さないといけなかった。
「はい。貴女の働きぶりを耳にして、です」
「働きぶり?」
「学年別トーナメントでの働きは、人づてにですが聞きました。様々な人への整備をこなし。
特に篠ノ之箒さんの打鉄整備は、あの欧州の男性操縦者を倒した原動力となったとか……」
「い、いえいえ、そんな事は無いです」
あれは、鷹月さんの渡してくれたデータがあったからこそ、だし。発想そのものは篠ノ之さん自身のアイディアだし。
整備をした一人であるのはそうだけど、そのデータが無かったらそもそもその整備自体が出来なかったわけだし。
「それにしても、どうして今、宇月さんに専門整備担当者を頼むんですか?」
「はい。端的に言えば――白式を、放置してはおけないのです」
山田先生の問いに、加納さんはそう答えたけれど……放置してはおけない、ですか。
じゃあ何で打鉄弐式はほったらかしなんですか、とツッコミたくなった。
「――それと、もう一人呼んでいた筈なのですが?」
「あいつは、もう少しで来る筈です……おや、噂をすれば」
「失礼します」
「入れ」
織斑先生の声と共に、ノックがした。あれ、この声は?
「失礼します……あれ、宇月さん?」
「お、織斑君?」
声から半ば予想していたけど、やっぱり織斑君だった。……考えてみれば、白式の専門整備なんだから彼が来るのも当然だ。
「あの、何の用事ですか? それと、そちらの人は――」
「初めまして、織斑一夏君。私は加納奈緒美。倉持技研の者です」
「あ、どうも。織斑一夏です」
名刺を渡された織斑君は、やや緊張した様子だった。知らない人がいるからか、それとも織斑先生がいるからか……。
そして、加納さんから事情を説明された織斑君は予想通り私に視線を向け驚いている。
「宇月さんに、白式の整備を任せるんですか?」
「おや。織斑君は、彼女が信頼できないのですか?」
彼としては、単に予想だにしなかった展開に驚いただけなのだろうけど。
加納さんはその言葉を『私に任せて大丈夫か?』という意味でとったらしく、質問が入った。
「え? い、いや、そんな事はないです。俺としては、宇月さんになら白式の整備を任せられると思います」
「では、貴方は賛成ということで構いませんね?」
「え? は、はい、俺は賛成です」
……あれ、何か危険な流れになっているような?
「宇月さん、お願い出来ませんか? ヨーロッパの男子生徒も、どうやら欧州連合から専門整備をこちらに編入させるようですし」
ヨーロッパ……ああ、ドイッチ君ね。そんな話が出ているのかしら。
そういえば、ブローン君にはハッセ先生が付いてきているし。ロブに対する久遠も、そういうポジションだし。
……そう考えてみれば、織斑君に誰か専属を付けようというのも間違いじゃないのね。
いや、だからって私がその専属の役目に付けられる、って言うのは納得出来ないけど。
「申し出は、凄く光栄だと思うんですけど、私なんかよりも二年生や三年生の方に任せた方が良いのではないでしょうか?」
たとえば黛先輩とか、虚先輩とか。更識会長の『霧纏いの淑女』にも関わっていたらしいですし。
「それはそうなのですが。やはり、同学年の生徒のほうが何かと便利でしょうし。三年間、継続して見る事が出来ますから」
「そ、それなら布仏本音さんはどうでしょうか? 私よりも、彼女の方が優秀だと思いますよ?」
「彼女は、代表候補生の更識簪さんの友人です。もしも彼女に任せるのであれば、打鉄弐式の方でしょう」
「それはそうですけど……」
えーーっと、えーーと。どうやって断ったらいいんだろう……。いや、もったいない位のいい話だとは思う。
はっきり言えば、断るなんて贅沢だ、ってレベルで。でも、能力云々、っていう事もあるけれど。
万が一私が専属整備担当者になったら……100%、織斑君のトラブルに巻き込まれそうなのよね。
「あまり乗り気ではないようですね。……ではせめて、今度行なわれる臨海学校の三日間だけでもお願いできないでしょうか?」
「臨海学校?」
ああ、そういえば七月六日からそんなイベントが待っていたんだった。……すっかり忘れてたけど。
「でも、加納さん。私が三日間だけ、ってどういう事なんですか?」
「――実は、二日目の実習時に白式に新装備を組み込めないか、色々とパーツやパッケージをお送りするのです。
それに関して、詳細な報告が欲しいのですよ。予定では、そちらにおられる山田先生にお願いする予定でしたが……」
三日間だけ、かあ。確か一日目は自由行動だったし、三日目は帰るだけだし。
「まあ、三日間だけなら……」
「――待て、宇月。既成事実を重ねられてもいいのなら構わんが。そう、即断しなくていいぞ」
「既成事実?」
「白式に、三日間だけとはいえ関われば前例が出来る。その前例を楯に、倉持技研に呼び込まれる可能性もあるぞ?」
「……こちらとしては、宇月さん自身がその気にならない以上、無理やり引き抜くような真似はしませんが?」
「教師として、色々なケースを考えているだけです」
既成事実、か。何か、まるで別の世界の話みたい。……いや、私自身の話なんだけどね。
「何か大変だな」
「あのねえ……貴方の機体の事なのよ?」
「う……」
どうも彼は、今ひとつ危機感が足りないような気がする。……まあ、彼らしいといえばそうなのかもしれないけど。
「まあ、急なお話ですから宇月さんも織斑君も戸惑うのが当然だと思います。
五日までにお返事をいただければ、宜しいかと。もしも駄目ならば、山田先生、お願いしますね」
「は、はい!」
すっかり蚊帳の外だった山田先生は、慌てて頷いた。うーん、どうしよう……。
「宇月。日曜日にまで、決められるか?」
加納さんが去り、織斑君が次の約束、とかで出て行き。私と、先生達が残された。
そして開口一番に織斑先生が言った言葉が、それだった。……まあ、このまま決めないわけにはいかないし。
「……一応、決めるつもりです。ただ、どうしても駄目なら山田先生にお願いする事になるかもしれませんけど……大丈夫ですか?」
「大丈夫です! 私だって、先生ですから!」
さっきの失態を隠すように、いつもより20%増しくらいで山田先生が胸を張って答えた。まあ、先生に任せるのが安全で確実だといえるけど。
「……ふむ。では宇月、日曜日は空いているか?」
「日曜日、ですか? はい。でも、何故そんな事を聞くんですか?」
「ただの、家庭訪問だ」
約一年ぶりに聞いたその単語に、思わず顔が埴輪になってしまったのも仕方が無いだろう。
「それにしても、加納さんは積極的に宇月さんをスカウトしにきましたね。やっぱり、トーナメントの影響でしょうか」
「三年の桧垣のように、スカウトされる人材もいたのだ。――まあ、不思議な事ではないがな」
職員室へと戻る二人の会話は、やはり香奈枝関連だった。ただし、その表情は違う。
真耶が自身の受け持つ生徒が評価されたという嬉しさを隠し切れないのに対し、千冬は何処か喜びきれていない。
「織斑先生? どうかしたんですか?」
「……いや、単なる気にしすぎだろう。それよりも、君が向かう臨海学校の下見は予定通りかな?」
「あ、はい。私が、ちゃんと下見をして来ます!」
「そうか。任せたぞ」
「お任せください!」
千冬の信頼のこもった言葉に、真耶はいつもよりも大きく胸を張った。……そう、胸を張ったのだ。
(……ハッセでなくとも、揶揄したくなるのも理解はできるな)
胸を張った事で大きく揺れ、その存在感を示す真耶の胸。そんな趣味は欠片ほども無い千冬でさえ、眼を引かれるものだった。
「織斑先生……?」
「い、いや、何でもない。――そういえば、水着も新調してみるかと思っただけだ」
「あ、私も日曜日の午後からレナンゾスに向かう予定なんですけど。宇月さんの家への家庭訪問が終わってから、合流しますか?」
「ああ、そうしようか」
「はい」
「なるほど。――山田先生は四月にISスーツを伸張したばかりですが、その時にレナンゾスへもオーダーメイドを注文している。
そのオーダーメイドの引き取り、というわけですね」
「そうなんですよ。去年新調したばかりなのに、また胸が大きくなって……」
「ほうほう。それで、如何程まで成長したのですか?」
「それが、実は……あれ?」
思わず、自分のバストサイズを告白しかけた真耶と、苦々しい表情の千冬以外の声がして。
二人が振り向くと、そこにいたのはメモ帳を手にした女子生徒だった。
「加納か。――お前が一人というのは珍しいが、まさか、ここでも会うとはな」
加納空。先ほどまで二人が会っていた加納奈緒美の妹であり、一年三組に所属する、ブラックホールコンビと言われる情報通の生徒だった。
普段ならいつも行動を共にする都築恵乃がおらず、珍しく一人である。
「ここでも? あれ、私が今日先生達に会ったのは、これが初めてですけど?」
普段はざっくばらんなしゃべり方をする空だが、教師の前では当然ながら敬語を使う。だが、教師の言葉に怪訝そうな表情になった
「はい。実は先ほど、貴女のお姉さんが来ていたんですよ」
「え、そうなんですか!? って事は、倉持技研の用事なんですか?」
「詳細は、言えん。しかし加納、お前も結構情報を姉に漏らすのだな」
「漏らす?」
「宇月が篠ノ之の勝利に貢献した、という情報だ。加納奈緒美は知っていたぞ」
あまりベラベラとしゃべるな、そう言外に匂わせる千冬の言葉だったが。空は、理解したゆえに更に表情の不可解さを増した。
「あれ? 私、お姉ちゃんにそんな情報を言った覚えはありませんけど……?」
「何?」
「え? で、ですけど、加納奈緒美さんは宇月さんの事を知っていましたよ?」
「宇月さんの? ……おっかしいなあ、私達の最新の会話って、トーナメントが始まる前の筈なのに……」
困惑する空と真耶。トーナメントが始まってから加納姉妹が会話をしていないというのならば。
加納奈緒美は、どこから情報を得たのか。何かが食い違っている。そんな予感が、よぎる。
「……まあ、情報源が妹からと決まったわけでもあるまい。他の、倉持技研の関係者の親族から得たのかもしれないだろう」
「そ、そうですねー。そういうの、お姉ちゃんは得意ですから」
「そう、なんでしょうか?」
「そういう事だろう」
「……そう、ですね。では先生、失礼しました!」
これで話は終わり、とばかりに強い口調になる千冬。それを察したのか、空も押し黙る。
そして、いつものように足早に去っていった。だが、空が去ったあとも。千冬の厳しい視線は、消えないままだった……。
「……最後の夜、だね」
「そうだな。一月ちょっとだけと、楽しかったよ」
シャルロットが、本名を明かした日の夜。色々とゴタゴタがあったらしく、俺と彼女は今夜まで同じ部屋、との事だった。
既に彼女の荷物は纏められ、今すぐにでも引越しできるようになっている。あ、そういえばあの時もこんな感じだったな。
「そ、そう!? ……ね、ねえ一夏。ぼ、僕と別れると、やっぱりその……さみしい?」
「そりゃそうだ。箒の時だってそうだったし。あの時はいきなり山田先生が来て、あっさり部屋換えをしたんだけど……」
あれ、何でシャルロットは不機嫌になるんだろうか?
「あ、そうだシャルロット。大事な話があるんだ」
「え!?」
(だ、大事な話って……ど、どうしよう!! ま、まさかまさか、プロポーズとか!? そ、そんな、困るよ!
僕達、まだ、学生なんだし!! で、でもでも、一夏がどうしてもって言うなら僕は――)
はて、シャルロットがいきなり顔を真っ赤にしたかと思うとそれを、横に振っている。ブンブン、と音が聞こえそうなくらいだが。
「でも、何で女子に戻る事にしたんだ? やっぱり、あの噂が関係しているのか?」
シャルロットが、実は女であるという噂。それが、結構広まっていたみたいだったし。
「それもあるけど。女の子としての、けじめ……だね」
女の子としての、けじめ?
「一夏に、僕の事をちゃんと見て欲しかったから……。だから、二人きりの時だけ女の子っていうのも変っていうか、卑怯っていうか……。
その……と、とにかくっ、一夏が原因なんだよ?」
そう言ってシャルロットは顔を窓の方に向ける。その頬は今まで何度か見たことのある彼女の赤面の中でも、際立って赤く見えた。
うーん、よく意味が解らんが、俺が原因なのか? 悪い事じゃない、と思いたいが。
「まあ、シャルロットがそう決めたのなら俺はそれで良いと思うぞ」
「……はあ、やっぱり気付いていないよね、うん、それはそうだよね」
あれ、何か暗くなった? いかんいかん、話題を変えよう。せっかくの最後の夜だし、最後は明るい雰囲気でいきたいしな。
「そ、そういえばシャルロットは、どこの部屋に行くんだ? まだ聞いていなかったよな?」
「うん。僕の部屋はね――」
シャルロットの部屋番号を聞いた俺は、その時は何も思わなかった。
セシリアの部屋だとか鈴の部屋には行ったことがあるけど、その部屋番号でもなく。
俺が知っている、クラスの何人かの部屋でも無かったが、箒が鷹月さんの部屋に行ったように、特に問題は無いだろうと思っていた。
その翌朝、三組のブラックホールコンビから、彼女が向かった部屋にドイツのアイツ――ラウラ・ボーデヴィッヒがいると知るまでは。
「ボーデヴィッヒさん。――シャルロット・デュノアです。よろしく、ね」
「……ああ」
その日の放課後。シャルロット・デュノアは新しいルームメイトであるラウラ・ボーデヴィッヒと挨拶を交わしていた。
だが、相手の反応はシャルロットの予想とは少々異なっていて。
(何か、どうでも良いって感じかな? 彼女の言動からすると、当然なんだけど……あの時とは、別人みたい)
あの時。――それは、タッグトーナメントのパートナー選びの中で、専用機を含むタッグが発表された日の事。
シールドエネルギー残量と勝敗の関係を気にする一夏に、ラウラが侮蔑の視線を向けた時の事。
「専用機持ちのくせに、判定勝利を狙う気か……。どうやら、誇り高さすらないようだな。
この『学年』にいる者達のような有象無象など、斬り捨てる――教官ならば、そう言うだろうに。まったく――」
「へえ。いつから『学園』じゃなくて『学年』になったの?」
「!?」
「確か噂だと、君はこの学園自体を認めていない――みたいな空気だったらしいけど。どうしてかな?」
「……貴様には関係の無い事だが?」
といったやり取りがあった。また、ある日の夕食時に、食堂に向かう一夏達とすれ違ったラウラが一夏の事を『足手まとい』と呼び。
シャルロットが、それに異を唱えた事もあった。その時の、鋭さが今のラウラにはない。
(ゴウに負けた事が、そんなにショックだったのかな? でも、どうしてここまで落ち込んでいるんだろう……)
シャルロット・デュノアという少女は、基本的に洞察力が高く、人の気持ちを察する事の出来る少女である。
だが、あまりにも情報が少ないゆえに。その感情の乱れは解っても、その原因まではさすがに察せられなかった。
「う、ううう……」
「……?」
夜中。シャルロットが物音に眼を覚ますと。隣のベッドから、うめき声が聞こえてきた。
たとえ良からぬ仲であっても、苦しんでいる相手を見捨てられるわけはなく。彼女が、隣のラウラのベッドを覗き込むと……。
カーテンからもれる月明かりに照らされた、ラウラの苦悶の表情があった。
「い……や、だ……。私は、私はっ……!」
「ボーデヴィッヒさん!? 大丈夫!?」
「ううう……!」
慌てて呼びかけるシャルロットだが、ラウラは目覚めない。電話でもして、保険医にでも見てもらった方がいいのか。
一瞬、そんな事が頭をよぎるが。
「きょう……かん……い、か、ないで……」
「え?」
「私に……もっと……ごし……どう、を。日本になんか、帰ら、ないで……」
ラウラの手が伸び、虚空を掴む。その表情は、シャルロットには泣きそうな子供のようにも見えた。そして、それは。
「――ああ、そうなんだ」
自身の、二年前。母親を失い、父親に引き取られ。笑顔の仮面を被れるようになるまでの、鏡に映った自分自身とよく似ていた。
彼女は、一夏と千冬・ラウラに関する因縁を知らない。だが、千冬が去った事でラウラがどうなったのか、それは解った。
「……大丈夫、だ。私は何処にもいかない、ここにいるぞ」
千冬を真似た口調で優しく呼びかけてみる。我ながら、子供だましのような真似だと苦笑いしたシャルロットだが。
「きょう……かん?」
気のせいか、ラウラの表情がわずかに和らいだ。それを見たシャルロットの頭に、あるアイディアが浮かぶ。
「……」
かつてのルームメイトである一夏が彼女にしたように、ラウラの銀髪を優しくなでる。
……そうするうちに、銀髪の少女の表情は完全に和らぎ。やがて、穏やかな寝息に変わっていった。
「彼女とも、もっと話をしてみようかな。……黙っていても、良いことなんかないし」
そして。この時から、シャルロット・デュノアのラウラ・ボーデヴィッヒに対する心境も、少しだけ変わっていったのだった。
夕暮れ時の教室。僕と一夏は、恋人としての大切なステップを踏もうとしていた。
正直、こんな場所で、って言うのは予想外。だけど、一夏がそう言ってくれたから。僕は、拒もうとは思わなかったけど。
『シャルル。男子の制服を着てくれないか?』
「え……!?」
思いがけない一言が、一夏の口から飛び出した。だ、男子の制服……?
「ど、どうして?」
『そっちの方が、俺は好きなんだ。良いだろ?』
一夏の真剣なまなざしが目に飛び込む。同時に、一夏の黒い瞳にも僕の顔が映る。
「で、でもそんなの……」
どう考えても、アブノーマルだよ。ぼ、僕はその、普通にしてくれれば……。だ、だって、その。は、はじ、はじ……。
『俺の頼みでも、駄目か?』
「一夏……」
僕のためらいを押し流すように、強い口調で迫る一夏。……ずるいよ。そんな風に言われたら、断れるわけないじゃない。
「も、もう。こんな事するの、一夏に対してだけなんだからね?」
『当然だろ。シャルロットとこういう事をしていいのは、俺だけだ』
……もう。一夏って、時々こんなドキドキする事を突然に言うんだよね。
「あ、あまり見ないでよ?」
『俺から言っておいてなんだけど。大胆だな、シャルロットは』
「も、もう……。一夏のえっち……」
本当は見て欲しいけど、そうは言えないから誤魔化して。僕は、自分の女子用制服に手をかけた――。
「えへへ……一夏ったら、そっちこそ大胆じゃないか……あ」
とんでもない寝言を自覚し、僕は慌てて起き上がった。そこは、夕暮れ時の教室ではなく、朝日がさす新しい僕の部屋。
実は一度眼が覚めたんだけど、その時、一夏に……き、キスをされかかる夢を見た。でも、そこで眼が覚めてしまい。
もう一度、と思って二度寝したその結果は――。
「うわああ……。あ、あそこまでエッチな展開だなんて思わなかったよ。で、でも一夏だったら……やんやん♪」
絶対に、人に見せられないような夢だった。ふう……さてと、もう起きよう。
「ボーデヴィッヒさんは、やっぱりいないね……」
さっき一度目に起きた時もいなかったけれど、部屋には姿が見えなかった。先に行っちゃったらしい。
「髪とかちゃんと梳いたのかな? あの子、ああいう所がまだだし……あれ?」
そんな事を考えていると、置き時計が目に入った。それによると現在時刻は、いつも起きる時刻よりもずっと後。
……結論、このままだと遅刻。そして、織斑先生の叱責を受ける確率は100%。
「~~~~!?」
一夏との夢のこともルームメイトの事も全て吹き飛んだ僕は、慌ててベッドから飛び起きると、制服に着替え始める。
夢の名残を楽しむ時間なんて、何処にも無かった。
「ううう……」
今朝見た、二回の夢。そのせいで、僕は初めての遅刻をしてしまい、今は、その罰として教室の掃除中。
夕日が差し込む教室に一人でいると、夢を思い出したりして……。
「って、違うんだから! アレは夢、夢なんだから! ……だいたい、一夏があんな事を言い出すはずないし」
「あんな事って、なんだ?」
……あれ? 僕の妄想じゃない声が聞こえて、振り向くと。そこには、本物の一夏がいた。
「うわあああああっ!? い、一夏!? 何でここに!?」
「いや、セシリアとの勉強会も終わったし。シャルロットは帰ったのかな、と思って見に来たんだ。まだ、かかりそうか?」
「う、うん……も、もう少しで終わるよ」
「そっか。じゃあ、手伝うか」
「い、いいよ、これは僕の罰なんだから」
「遠慮するなよ。シャルロットには助けられっぱなしだからな。特別だ」
「と、特別!?」
僕だけは、特別。そんな響きに、僕の心はときめきを増す。……言った本人は、まったく気付いていないみたいだけど。
「そういえば、さ。シャルロット」
「え? な、何かな?」
「昨日、女の子としてのけじめとか言っていたけど……そんな必要、ないだろ」
「ど、どういう、意味かな?」
「だって、シャルロットは男じゃないからな。男装していたからって、女の子としてのけじめなんて必要ないだろ」
……つまり一夏は『僕が男装していた事への決着付け』として『女の子としてのけじめ』と言ったと思っているらしかった。
うん、一夏だからね、こういう結末なのは解っていたんだよ。……本当だよ?
「……あ。けじめ、っていえば。さっき、間違えちまったな」
「間違えた?」
「ああ、シャルロットの事を聞いてきた先輩がいたんだけど。そこで、シャルロットのことをシャルルって言っちまったんだ」
「なるほど、ね」
人前では、正体を明かした後も僕の事を『シャルル』と呼び続けていたからだね。
「俺の方も、ちゃんとけじめ――って言うか、シャルロット、って呼ぶようにしないといけないな。そっちが、本名なんだしな」
その言葉には、一夏なりの誠実さが感じられた。それが、ものすごくうれしい。
「でも、一夏が苦労するのなら呼びなれているほうでも良いよ?」
「そういうわけにはいかないだろ。まあ、鈴みたいに本名で呼ばれる方が少ない奴みたいなら兎も角、出来る限り本名で……。
あ、そうだ。もしもシャルロットが良ければ、鈴みたいに、何か別の呼び方で呼ぶか?」
「別の呼び方? ニックネーム、って事?」
「そう。たとえば……シャル、なんてどうだ?」
「シャル?」
「そう。シャルロットだから、シャル。……あれ、変だったか?
ヨーロッパ人にあだ名をつけるのなんて初めてだから、よく解らなかったんだが。何か法則とかあるの……」
「シャル、それ、良いよ! 凄く良い!!」
「そ、そうか。気に入ってくれたんなら嬉しいが」
特にヨーロッパ初って所が! 僕より先に出会っていた、オルコットさんやレオーネさん達よりも先な所が!!
「うふふ……」
それに、あだ名を付けてくれるくらいだから、その……す、好きって、事だよね?
嫌いな人に、そんなのわざわざ付けないだろうし。付けるとしても、酷いあだ名になるだろうし。
「おーい、シャル? どうしたんだ、シャルー?」
「え? あ、う、うん、どうしたの?」
「いや、どうしたって聞きたいのはこっちだよ。呼びかけても上の空だし、どうかしたのか?」
い、いけないいけない。ちょっとぼーっとしてたせいで、一夏の言葉を聞き逃しちゃったみたいだね。
「ごめん、ちょっとぼーっとしてて、聞いてなかったんだ。それで、何て言ったのかな?」
「いや、だから付き合ってくれって言ったんだよ」
……え? つき、あって? え、え、ええええええええええええええええええっ!? そ、それって……!?
「で、でも良いの!? ぼ、僕なんかで!!」
「ああ。シャルが必要なんだ」
――!
「で、いいのか?」
「うん! 勿論だよ!!」
断る理由なんて、あるわけないじゃない!!
「そっか。じゃあ付き合ってもらうのは、今度の日曜日の10時でいいか?」
「……あれ?」
今何か、日本語がおかしくなかったかな?
「……何で、時間指定があるの?」
「いやだから、付き合ってくれって言っただろ。……買い物に」
「……じゃあ、僕が必要だって言ったのは?」
「ちょっとアドバイスが欲しいから。シャルなら、きっと良いアドバイスをくれるだろうって思ったんだ」
……うん、ちょっと考えてみれば解ったことだよね。篠ノ之さんにも、少し前に同じような事をやってたし。
「まったく、もう、一夏ってば……!」
僕は一人、部屋に戻っていた。一夏と一緒に食事を……と思ったら、一夏に用事が入ってしまい出来なくなった。
ボーデッヴィッヒさんもいない部屋は、がらんとしていて少し寂しい。
「しょうがない。こうしていてもしょうがないし、今のうちに夕食を取ろう……」
出来れば、誰かいるといいなと思いながらドアを閉める。そして、食堂に向かおうとして。
「あれ、デュノアさん。こんばんわ」
「あ、こんばんわ、レオーネさん」
前の部屋の隣人、フランチェスカ・レオーネさんがいた。彼女は、いち早く僕の事を受け入れてくれた人だった。
そういう意味では、男子達や布仏さんのように、感謝するべき人。
「貴女も今から夕食なの? 私は、香奈枝が用事があって一人なんだけど、一緒にどう?」
「うん。僕でよければ、同席させてもらうよ」
笑顔で夕食に誘ってきたレオーネさんに、僕は同じく笑顔で返した。
「ふうん、そんな約束をしたんだ。――篠ノ之さん達が聞いたら、また一騒動ありそうね」
夕食を食べながら会話をするうちに、気がつけば、一夏との約束を話していた。
「でも、織斑君とデートだなんてね。やるわね、デュノアさん」
「で、デート!?」
別に、話してもいいか――位の軽い気持ちだったけれど。レオーネさんの一言で、僕の心臓の鼓動が一気に速まる。
「え、だって織斑君とデュノアさん二人だけなんでしょ? それって、デートじゃないの?」
……そ、そうだよね!! これって、紛れもないデートなんだよね!! 今回の付き合ってくれ、は買い物だったけど。
これから本当に『恋人として、付き合ってくれ』って言ってもらえるようになれば良いんだし! ……そ、そうだ。
「あ、あのレオーネさん。こ、この事は内緒にしておいてくれないかな?」
その。……で、デートなんだから、誰かと一緒になんていうのはおかしいから。それだけ、だよ?
「うーん、どうしようかなー。私、口は軽い方じゃないんだけど……」
「え、ええっと……」
な、何か代償を求められているんだろうか。デザートの奢り、とかで良いのかな?
「じゃあ、織斑君と貴女の生活を話してくれる? そうしたら、黙っていてあげる」
「う、うん!! それなら、良いよ!」
「よし。契約成立ね」
それから僕とレオーネさんは、固く握手をした。……それから少しだけ、ほんの少しだけ一夏との思い出を話す。
勿論、話しても問題ない事だけだったけど。……それが終わるのだと改めて自覚させられて、ちょっと寂しかった。
「ふう、お話をご馳走さま。じゃあ後で、私達の部屋に来てくれる? 貴女に役立ちそうなものがあるの」
「役立ちそうなもの?」
「うん、話のお礼にプラスアルファ、って所かな。織斑君とのデートに、きっと役立つわよ」
笑顔で、フィットチーネを味わうレオーネさん。何となく、僕達の事を面白がっているような雰囲気はあったけれど。
一夏とのデートに役立つ、と言われたら、僕に断る選択肢はなかった。
「はい、これ。あげるわ」
レオーネさんが、部屋で渡してきたもの。それは、ショッピングモールのチラシだった。
「レナンゾス……?」
「じつはここ、前に私達も行った事があるの。織斑君達にとってはよく使った場所らしいわ。
だから多分、今回もそこに行くんじゃないかしら?」
……そうなんだ。まあ、初めての場所じゃないのはしょうがないよね? 土地勘がない場所で迷うよりは、ずっと良いし。
「へえ……」
見る限りでは、けっこう大きなショッピングモールみたいだね。えっと……。
「水着コーナーはここよ。その時は、結構大人数だったんだけどそこには行っていないから、どんなのがあるのか解らないけど」
「あ、ありがとう」
一夏やレオーネさん達が行った時期――チラシの日付からすると、五月下旬――だったから、競技用くらいしかなかった。
だけど、今の時期なら色々な水着が出ているだろう、とはレオーネさんの言葉だけど。
「大胆な水着で、織斑君を悩殺しちゃえば?」
「の、悩殺!?」
そ、そんな大胆な水着なんて、僕は着れないよ! ……で、でも。以前にこっそり見た、女性向け漫画みたいに……
『い、一夏!? き、着替え中に何で入ってくるの!?』
『もう、我慢できなかったからだ。水着に着替えているのかと思うと、我慢できなかった』
『ま、待って! せ、せめてちゃんとしたベッドの上で――』
『シャル……』
『だ、駄目だよ、一夏……あ』
「……デュノアさーん? もしもーし、シャルロット・デュノアさーん?」
「はっ!!」
い、いけないいけない。変な事考えてたよ。
「ひょっとして、更衣室に織斑君を連れ込んで……とか考えていたんじゃないの?」
「そ、そんなこと考えてないよ!!」
ぎ、逆の事は考えていたけど。
「だ、だいたい、男の子を更衣室に連れ込むわけが無いじゃない!!」
「だって貴女、織斑君と一緒に大浴場に入っちゃったんでしょ?」
「う……」
そ、それはそうだけど。
「デュノアさんって、実は結構えっち?」
「そ、そんな事ないよ!!」
ふ、普通だよ! ……多分。
「まあ、頑張ってね♪」
そういうと、レオーネさんは去っていく。ちょっとからかわれちゃったけど、いい資料を貰ったよね。
これで、一夏との……で、デートプランを立てやすくなったし!!
「えへへ……」
日曜日。安息日であるこの日は、たいていの人がお休みをとる。昔は、とても楽しみだった。
だけど、ここまで楽しみな日曜日は、なかった。
「早く、日曜日にならないかな♪」
さっきまでとは、まるで別世界のような気分に浸り。僕は、飛び上がりそうな気分で自分の部屋へと戻っていったのだった。
シャルロットと(デレていない)ラウラの、ほんのささやかな交流……の後に、えっちな夢。うん、何だこの落差(自嘲)
この作品のシャルロットは、妄想属性がついているような気がします。
これも、ひつじたかこさん他シャルロッ党って呼ばれる人達のせいなんだ(←責任転嫁)
臨海学校は……たぶん、GW明け位でしょうかね。うん(白目)