「お前……何なんだよ」
「こ、こんな……」
将隆は唖然とし、簪は呆然としながら見守っていた。
その黒い巨人――正式名称ゴーレムα――が、ゆっくりとその両腕を合わせた。その先にあるのは――観客席。
「!」
次の瞬間、両方の手首に装備されたビーム砲から強烈な二筋のビームが放出され。
間一髪でゴーレムαと観客席の間に潜り込んだ御影の、岩戸に備えられた対光学兵器用バリアが、その一撃を防いでいた。
「こいつ……観客を狙ったぞ!」
『聞こえるか、安芸野、更職』
『お、織斑先生?』
『個人秘匿通信(プライベート・チャネル)? ……じゃない? これは……?』
嫌悪と驚きを隠せない将隆の下に、千冬からの通信が入った。簪と一緒に受けたそれは、秘匿通信ではないようだが。
『現在、クラス対抗戦のときと同様にシステムへの介入を受けている。この回線だけは何とか確保したが、状況はどうなるか解らん。
教員の突入も、まだ数分はかかるだろう。……それまでに、奴を放置しておくわけにはいかん』
『ええ。今の敵は、観客席を狙いましたね』
『そういう事だ。……奴に、攻撃をさせるな。頼むぞ』
『はい!』
『了解です』
クラス代表二人が、共に頷き。ゴーレムαへと、向き合う。それはあたかも、魔王に立ち向かう勇者のようだった。
それと同時にアリーナと観客席を隔てる隔壁が全て下り、そこには四人の生徒達とゴーレムαだけが残される。
「更識! 試合は中止だ、俺とお前でこいつを抑えるぞ!」
「うん!」
「さ、更識さん。これと戦う気、なの?」
「うん。今、明らかに観客を狙っていた。だから、私達で攻撃を阻止しないと……」
「そういうことだな。……ここは、俺達が相手をする。だから、赤堀とそっちの娘は、下がってろ!」
「やだ」
その言葉を聞き、今まで人々を守るヒーローのようだった将隆が、埴輪のような表情になった。
「悪いけど、私だって怒ってるんだよ。先生達が来るまでの足止め位なら、手伝える!」
「そ、それに……自分だけ、安全なISを纏ったままなんて、出来ないから……あ、足止め、手伝います!」
「それにさ、アリーナのバリアー破る攻撃力を持っている相手だし。逃げた方が危険かもよ?」
撤退を拒否する唯とマルグリット。将隆は簪を見たが、彼女はゆっくりと首を振った。
「ああ、もう! くれぐれも無茶するなよ! 特に赤堀! というか赤堀、無茶するなよ!? 赤堀、絶対に無茶するなよ!?」
「何で私だけ三回も呼ばれるの!?」
「一回戦から準々決勝までの前科を考えろ前科を!」
……若干緊張が弛緩したが、専用機持ちと一般生徒四人は共にゴーレムαに向き合った。
それを見ても、ゴーレムαは何の変化も無い。あったのは肩の砲口からの、針のような拡散型ビームの連射だった。
射程は中距離、攻撃可能範囲もやや広いそれを、四機のISはやや被弾しながらも避けていく。
先ほどの攻撃よりは威力や射程の長さは劣っているようだが、その代わり速射性と攻撃可能範囲が勝(まさ)っている攻撃だった。
そしてそれは、クラス対抗戦で戦った時の相手には無い武装だった。
「現在の状況は?」
「アリーナのコントロールは、奪取された状況です。前回同様、隔壁を閉ざされ脱出は不可能となっています」
山田真耶の分析を受け、千冬の眉間に皺が走る。クラス対抗戦から、それなりに対応策を練ってきたのだが。
またしても、してやられたのかという不甲斐なさが彼女の顔を曇らせた。だが、あの時と同じというわけではない。
「ふむ。……ここに私がいた不幸を呪うがいい」
やや気取った様子で、まるで指揮者がタクトを振るうように古賀水蓮がコンソールへと手を伸ばした。
そしてピアノの演奏者のようにコンソールが操作され、数十秒後。
「よし。アリーナの管制は、取り戻したぞ」
「も、もうですか!?」
「なあに、山田先生。君にはIS操縦技術とバストサイズでは負けていても、こういう方面では負けないさ」
満面の笑みを浮かべて同僚に向ける水蓮。それを一瞬聞き流してしまったものの、理解して真っ赤になる真耶といういつもの光景だった……が。
「……しかし、変だな」
「何が変なんです、古賀先生?」
自らの功績を誇ってもいいその功労者は、納得いかない表情であった。
「クラス対抗戦の時の第一の乱入者は、本当にこのレベルだったのか? この程度なら、三年生や他の先生方で十分対応できるはずだ」
「……つまり、今回の乱入者は少なくとも電子戦の能力においてはグレードダウンしている、と?」
「そうだな。正式採用型にでもなって、コストダウンしたのか? それにしては、一体だけというのは使い方がおかしいが……」
「そもそもあれは、何のためにここに来たんだ? 誰かを狙っているのか、それとも……?」
「理由探しは、後に。それよりも、待機していた教員の突入、避難と伏兵の確認を急がせろ!!」
「了解!」
千冬の声と共に、教員たちが再び動き出す。そんな中、コントロールを取り戻した殊勲者である水蓮は千冬へと視線を延ばし。
(ブリュンヒルデが暮桜さえ使えれば、だな。――まあ、今更言っても始まらない事だが)
誰にも気付かれない、小さなため息を漏らすのだった。
「あ、あいつはまさか……!」
「い、一夏!?」
ゴーレムαが降り立った瞬間。観客席で一番早く反応したのは、織斑一夏だった。
「シャルル、俺は将隆や更識さんの援護に行く! もし、俺の予想通りなら、あいつは……!」
「一夏……?」
その反応に、クラス対抗戦の顛末を知らない男装少女は不思議そうな視線を向ける。
そしてそれを尻目に、ゴーレムαの攻撃をアリーナ内の安芸野将隆が防ぐのが二人や周囲の観客にも見えた。
「あいつ……今回は、観客席を狙ったのか!?」
(今回……?)
一夏の失言も、彼女は聞き逃さない。何のことなのか、そちらに思考が向くが。それを遮る声が、それぞれが持つ専用機を通じて聞こえてきた。
『織斑、デュノア、ここにいるのだな? お前達はまず、避難を誘導しろ』
『え? 千冬姉?』
『誘導、ですか?』
『そうだ。今の安芸野が止めた攻撃を見たな? 観客席に流れ弾が来るのを防ぐため、お前達はガードに回れ。
足止めは、更識や安芸野に任せろ。お前は、観客席の生徒達を守れ』
『――! 解った!』
『はい!』
そして二人が、それぞれのISを展開する。乱入者にざわめいていた観客達も、それでやや落ち着き。
前回同様に閉ざされた扉を、ISの力で無理やりこじ開ける。
「皆、ここから逃げろ! だけど、決して押したりするなよ!」
「あ、ありがとう、織斑君!」
「焦らないでね! 大丈夫だから!」
「う、うん、デュノア君も、頑張って!」
生徒達も二度目とあってか、落ち着いた様子で避難を始める。
そんな中、一人のポニーテールの少女が別方向に走り始めたが。それは、一夏らは気付かないままだった。
その頃アリーナでは、四人の生徒たちがゴーレムαと戦っていた。とはいえ、その戦い方は足止めがメインであり。
あくまで逃がさない事、そしてアリーナのバリアを破った両手での攻撃をさせない事が目的だった。
ゴーレムαの右方に将隆と唯、左方に簪とマルグリットが滞空し。何かあれば、すぐにどちらもが反応するようにしている。
「……それにしても、何か異形だな」
「異形?」
御影のステルス機能を発揮し、近づいて痛打を与えた将隆が、やや嫌悪感をこめてそんな事を言い出した。
その視線の先にあるのは、ゴーレムαの姿。
「見てみろよ、あの腕。本人の腕じゃなくて、変な所で繋がってるぜ」
ビーム砲を手首と肩とに持つ、ゴーレムαの巨腕。その巨腕が、本人(?)の肩ではなく、背部のユニットと連結していた。
その巨腕と背部ユニットを繋いでいるのは、白いパイプである。腕が動くたびに、その背部ユニットも動いていた。
「多分あれは、本人の腕と繋いでも重量不足でうまく動かせないから別の場所と繋ぐ事で可動性を確保したんだと思う……」
「なるほど、そういう事か」
見れば、巨碗が動くたびにパイプと背部ユニットが動いている。
本人(?)の腕と繋がっている部分もあるが、それよりも大きく動いていた。
「あのパイプ、稼動する際には伸長するみたいだから。あれが、狙いやすいと思う」
「あ……。確かに、あそこを切断すれば腕も動かなくなりそうだな」
狙う場所が見つかった事で、クラス代表たちの目の色も変わる。が、ここで予想外の一言が飛び出した。
「よし、それじゃあ私が先陣を切るから、安芸野君や更識さんに切断は任せるよ」
本日の武装は、黒い重装甲で全身を包む――まるで、黒極パッケージのような装甲の打鉄を纏う赤堀唯が、そんな事を言い出した。
「お前、何を言い出すんだ!? そんな事……」
「あれ。私、信頼されてないのかな?」
「いや、お前……その言い方、卑怯だろ」
「うん、卑怯は承知の上だよ。――でも、私には勝算があっての事だから。それに、私だって怒ってるんだよ」
「え?」
赤堀唯という少女は、基本的に趣味に没頭するオタクタイプの少女だった。
それでありながら社交性は高く、物怖じもしない。また、基本的に怒りを面に出すタイプでもなかったのだが。
「ここまで来て、こんな乱入者があるなんて酷いよね。だから、私なりに出来る事をやるの。
……まあ、仮に安芸野君や更識さんと一緒じゃなくても、同じ事をやってただろうけどね」
「同じ事……?」
「私は、タッグパートナーが決まる前から決めていたんだよ。誰と組んで戦う事になろうとも。――絶対に、パートナーを見捨てないってね。
だから……その為に、やれる事をやるの!」
「赤堀……」
熱く、しかし静かに言い放つパートナーの少女を見て。将隆は、彼女への評価を改めた。
「お前、ただのパンチ狂の突撃馬鹿じゃなかったんだな」
「え、準決勝まで一緒に戦ったのに、酷くないソレ!? それと、織斑君達に結構良い事言ったつもりなのにそれもスルー!?」
「……あ、あの。て、敵の前でこんな悠長に話していて、良いんですか……?」
「そうだな。……それじゃ赤堀、頼む!」
「任せて!」
「ドレさんは、万が一に備えて援護をお願い」
「は、はい」
マルグリットの、もっともなツッコミが入り。乱入者の、迎撃を行うために四人の生徒が動き出した。
だが、クラス代表たちはやや視線を細めて個人秘匿通信をひそかに行う。
『……人の話を黙って聞いている点もあの時の奴と同じ、か。やっぱりこいつも、なのか?』
『可能性は、高まったと思う』
自分達が約一ヶ月前に戦った
それと同様の分析が、教師達が集まる管制室でも行われていた。
「やあやあやあ、我こそは一年三組、赤堀唯! 不埒な乱入者よ、私の刃を受けてみよ!」
「……」
赤堀唯の芝居がかった口上と、刃の部分を鉈のように厚くした近接ブレード・葵を見ても、ゴーレムαは無反応だった。
その代わりに放たれたのは、両肩からの拡散型ビーム。それがすべて打鉄へと向かい、そして――彼女の掲げる黒い楯に防がれた。
「ふう。更識さんの荷電粒子砲対策で、エネルギーバリア付きシールドを装備しておいて良かったよ」
ビームのエネルギーは、すべてバリアによって防がれていた。唯にも、機体にも傷はひとつもない。
「うーん、ちょっとチカチカしたかな」
「……」
ゴーレムαには、攻撃が失敗した動揺は無い。だが、相手に攻撃が通用していないという判断は当然ながら出来た。
そしてゴーレムαの選択は――間合いを一気に詰めての、唯への直接攻撃。
「私を一々殴りに来ても、大丈夫かな?」
それは、悪戯が成功した悪戯っ子のような笑みだった。そして、ゴーレムαの巨碗が唯に叩き込まれようとしたその瞬間。
何も無かった空間が歪み、そこに、ステルス機能で近づいた将隆が出現する。
「!」
ゴーレムαの腕は巨大であり、その攻撃力やリーチも大きいものである。
――ゆえに、懐に入られると逆にその巨大さが災いし、攻撃が不可能となった。
「うおおおっ!」
「その腕、貰ったぞ! ……って感じかな?」
ゴーレムαの右肩と、背部ユニットを繋ぐパイプの継ぎ目。
――決して装甲に覆えない部分に、御影の近接戦闘用振動ブレード・小烏が吸い込まれていき、そのパイプを完全に切断した。
本人(?)の二の腕と巨椀を繋ぐ連結ユニットにより、かろうじて巨碗自体の切断は免れたが。
赤堀唯の言ったように、それは腕を奪われたも同然だった。そして。
「私だって、やれる……!」
マルグリットが、ショットガンのレイン・オブ・サタデイ一丁を両手で構えてゴーレムαに攻撃した。
その銃口から放たれる弾丸は、速度重視のドンナー(※ドイツ語で雷)弾。その名の如き弾速で、敵の本人(?)へと命中した。
だが、その影響はほとんど見られない。まるで、装甲に当たったのと同じ反応だった。
「やっぱり、お前は!」
マルグリットの射撃を確認した将隆の追撃が、ゴーレムαに加えられた。複合装備『岩戸』に備え付けられた、二本の棘のような武器。
楯が変形して現れたそこから紫電が迸り、連結部を失った巨碗の肩口へと吸い込まれていき。内部で爆発が起こり、巨碗が一気に吹き飛んだ。
本来、ゴーレムαの巨腕はその重さゆえに連結ユニットだけでは支えることが出来ず、自重を支える、補助筋肉のような物を必要とした。
それが、将隆の切断したパイプだったのだ。それが斬られ、更に衝撃により巨碗が吹き飛び。
その衝撃を、本人(?)の右腕と連結したパーツだけでは繋ぎ留める事は不可能だった。
本人(?)の右腕までもが巨腕に引きずられる形で落ち、引きちぎれていく。
その傷口から油と金属片と繊維とコードが覗く中、生物に由来する存在は無かった。
将隆も、99%間違いなくには何もないだろうとは思ってはいたが。100%になったことで、安堵を浮かべた。――それが、ミスだった。
「うおっ!?」
残っていた左肩から、針のようなビームの雨が御影に降り注いだ。
衝撃砲の連射モードとも近いそれは、威力こそ小さいが元々が余り装甲が厚くはない御影にとっては十分なダメージを与えるものだった。
さらに、左腕が御影を掴まんとするがステルス機能の発動により回避されていく。
隻腕となったゴーレムαだが、その行動は無人機ゆえにいささかも揺るぐことは無かった。
「え……? あ、あれって、人間じゃない、の……?」
揺らいだのは、別の少女――マルグリット・ドレだった。一般生徒である彼女は、クラス対抗戦はアリーナで観戦していたものの。
ゴーレムの一撃と同時に下り始めた隔壁により閉じ込められ、救出が来るまでそこにいた。
ゴーレムの姿も見ていないためにその姿を知らず、ましてや無人機などという事も知るはずも無い。
今まで操縦者だと思っていた部分が、実は金属部品と繊維とコードで作られた人形だとは思いもよらなかったのだ。
「今は、考えないで! とにかく、先生達が来るまで時間を稼ぐ!」
「……う、うん!」
だが、そこを簪がフォローする。珍しいほどの大声を出し、マルグリットの動揺を和らげたのだ。
「まあまあドレさん。片腕になればあいつもバリアーを破るくらいの攻撃は出来ないはずだし。良かったね」
「……う、うん」
笑顔になった唯とマルグリットを尻目に、クラス代表たちの顔色は訝る色が濃くなる。何故ならば。
『なあ、更識。目の前のこいつ、クラス対抗戦の時のやつと比べると弱くないか?』
『確かに。あの時の機体に比べると、防御力も回避力も低い……』
『……理由は、解るか?』
『推測も無理。……今は、戦うしかない。出来れば、停止させられれば、分析とかがやり易くなるんだけど……』
『ま、出来ればって事で良いんじゃないか? 赤堀とか、そっちの娘に怪我させちゃ不味いだろ』
『うん』
将隆との個人秘匿通信を終え、簪はふと彼にさえ言えないことに気付いた。
(もしかして……。この機体のコアは、ISじゃなくてドール……?)
ただの直感ではあるが。その考えは、簪の脳裏を離れなかった。
もちろん彼女も、代表候補生であり更識の娘。それで戦いに支障を生じさせるわけはなかったが、その考えは消えないのだった。
「篠ノ之さん、何をしにきたの!?」
アリーナ内への侵入者。それを知ったピットの整備課の生徒と宇月香奈枝・戸塚留美といった補助候補生らの前に、現れたのは。
準決勝第一試合で打鉄を纏い、大金星を挙げた篠ノ之箒だった。
「私も打鉄を纏わせてください! 戦えます!」
「残念だが、それは許可できないわね」
箒の言葉を真っ向から打ち消したのは、背後から聞こえてきた声だった。
見るとそこには、成熟したボディラインの持ち主たちが揃っている。その先頭にいるのは、戸塚留美の担任の教師だった。
「に、新野先生……!」
「篠ノ之さん、ここは教師の出番よ。私達には、生徒を守る義務があるの。だから、貴女は整備課の娘達と安全な場所に避難して」
「し、しかし……」
「篠ノ之さん、ここは先生達に任せましょう。――じゃあ先生達は、予備機の装着に! 私達はその補助よ!」
黛薫子の真剣な声と共に、整備を担当する生徒達が動き出す。残された箒は、何も出来ずに拳を握り締め。
「くっ……私はまた、何も出来ないのか!」
クラス対抗戦の時にもあった感情。学年別トーナメントで決勝まで残り、専用機であるオムニポテンスに勝っても。
専用機が無い、というだけで何もさせてもらえない。――勿論、それが正当なのだとは箒も解ってはいる。
しかし、自分は一夏らのように避難の誘導も出来ない。将隆や簪らのように、戦う事も出来ない。――それが、悔しくてたまらなかった。
「待たせたな、安芸野君」
「新野先生!?」
それからまもなく、制圧の任を得た教師達がアリーナに突入した。すでに片腕となっているゴーレムαだが、増援を見ても動揺はない。
不自然なほどに、そのままだった。
「さて。――まずは、腕の一本でも貰うぞ!」
瞬時加速。量産機でありながらそれを使いこなした新野智子は、一瞬後にはゴーレムαの後方にいた。
そして、ゴーレムの巨大な左腕の肘が一刀両断されていた。
「う、嘘だろおい!」
「ふむ、少し踏み込み不足だったか。肩口を切り裂く気だったのだが」
やや不満気に呟く新野智子。だが、ゴーレムαへの攻撃は終わらない。
「試合の邪魔するんじゃねえよ、ポンコツ」
やや乱暴な口調でゴーレムαの脚部に槍を突き刺したのは、リヴァイヴを纏う一年二組担任――フローラ・K・ゴールディン。
凰鈴音やティナ・ハミルトンらの担任である彼女は、戦闘時には乱暴な口調になる。
その声には生徒達の試合を邪魔した者への怒りが込められ、それだけで装甲に突き刺さりそうなほどの鋭さを持ったものだった。
「あの敵機の攻撃パターンは手首に装備された大口径ビーム砲、および肩に装備された拡散ビーム砲だけのようですね」
「では、残る武器はあれだけ、か?」
唯一残された、左肩の拡散ビーム砲を撃つゴーレムα。だが、既に間合いは読まれ。悪あがきでしかなかった。
「かまわん! 本体以外は切り刻め!」
その声と共に、リヴァイヴや打鉄が一斉に襲い掛かる。それはまるで、黒鯨に襲い掛かるシャチの群れのようだった。
見る見る間にゴーレムαのシールドエネルギーが削られていき、そして本体も次々と損傷していく。
「……これで、終わりなのか?」
「呆気ない……。こんなんじゃ、専用機一機でも片付いたかもしれない……」
「だな。まあ、怪我人が出なくて良かった――」
だろ、と将隆が口にしようとした瞬間。ISを纏っていなければ気絶したのではないか、というほどの強烈な閃光と爆音が発生した。
同時に、衝撃波と熱波も届く。――その中心にいたのは、ゴーレムαだった。
「じ、自爆しやがった……!」
教師達も、これに巻き込まれるほど迂闊ではないが。
気化爆弾数個分――更識楯無のクリア・パッションに匹敵する威力、と後に判明した爆発に、流石にノーダメージとはいかなかった。
「やれやれ。まさか、自爆するとは、な」
「新野先生! 大丈夫ですか!?」
「ああ、シールドエネルギーはかなり削られたが、私自身は無傷だ。他の先生達もね」
見れば、教師達はガッツポーズやVサインを見せている。生徒達を安堵させるためのものではあるが、それは本物だった。
「良かった……」
「そうだね。ただ勝っただけじゃ勝利じゃない。犠牲ゼロでこそ、真の勝利だよね」
「そういう事だな。……よし、君達は戻りなさい。我々に後は任せてくれ。――それと、足止め、ご苦労様。ありがとう」
「は、はい! み、皆、戻ろう!」
「おう!」
「う、うん!」
「オッケー!」
簪を先頭に、本来試合を行うはずだった四人が戻っていく。それを微笑ましげに見る新野智子だったが。その顔が顰められる。
「これも、クラス対抗戦の時と同一犯なのか、あるいは……。いや、それは私の領域じゃない、な」
「しかし、こうなっては、コアどころか部品の回収も難しくなったわね?」
「ええ。……それにしても、ここまでとは」
前回とは、まるで違う結末。それを目の当たりにした教師達の顔にも、不安と不審が混じった色が浮かぶ。
(狙われたのは、彼らなの? それとも……)
(それに、これを齎したのは、一体……)
やや呆気ないほどではあったが。こうして、ゴーレムαの乱入事件は迎撃完了したのだった。
数時間後。更識簪と安芸野将隆が、取調べを受けていた。それぞれのパートナーは、別室で聞き取り中であり。
かつてクラス対抗戦で乱入者と戦った二人ゆえ、だった。その担当も、三組担任の新野智子である。
「さて、どう思う? 君達と織斑君、凰さんが戦った第一の乱入者と比べ、今回の相手は――」
「弱かった、ですね」
「ええ。機動性、加速力、武器の威力、格闘性能……全てにおいて、ランクダウンしていました」
「なるほど。ならば、アレの詳細なデータ、全ての提出を求める。後で、まとめて置いてくれ。では、解散」
「……えっと。これだけですか?」
前回の時は、数時間におよぶ事情聴取だったのだが。今回は、あっさりとしすぎていた。
それ自体は望ましいのだが、これでいいのかと将隆でさえも思うほどに。
「ああ。……というか、だいたいは掴めたのだよ。――これを見てくれ」
そこには、クラス対抗戦第四の乱入者――ティタンが、ゴーレムαを伴って『黒い穴』から出てくる映像が映し出された。
ティタンはすぐに再び黒い穴をとおり、その場から文字通り消え去る。
「これって、やっぱりその……テレポートとか、そういったものなんですか?」
「原理などはさっぱり解らんが、状況を考えれば『空間を飛び越える』穴であることは間違いないだろうな」
安芸野将隆はどこで○ドアを思い浮かべたというが、まさにそれとよく似たものだった。
「でも、この第四の乱入者……ティタンは、今回は回収に来ませんでした」
「その通りだ、更識さん。――あれは一種の捨て駒、旧日本軍の桜花や回天のような帰還を前提としないものであったと考えられる。
証拠隠滅用の自爆装置は相当に強烈な物を仕込んであったようだしな」
「……でも一体、何でこんな事をしたんでしょうか」
「さて、な。それは我々も調査中、というしかない。――さて、戻りたまえ」
ファイルを閉じ、音声記録用のレコーダーを停止させて新野智子が立ち上がる。
既に自分達の役目は終わった、と判断した二人のクラス代表も、互いに顔を見合わせ、そのまま退室しようとしていた。
「――ああ、そうだ安芸野君。三組の娘達は打ち上げをやる気だったようだが、それはしばし延期してくれ」
「え? 延期、ですか?」
「状況如何によっては、本日行えなかった試合を後日行う可能性もある。まあ、早くて七月中旬あたりになるだろうが。だから、だよ」
「解りました。――失礼しました!」
「失礼しました」
クラス代表達が去り、新野智子が一つ息を吐く。そして一時間後、彼女も含めた教師達や一部の生徒が一室に集められた。
その中心にいるのは、織斑千冬。その傍らには、コンソールを操作している山田真耶が座っている。
「さて、本日の乱入者については諸君らのおかげで速やかに処置が出来た。被害者ゼロ、施設損傷も軽微。
だが――学年別トーナメントに、二度の乱入があった事。これはやはり芳しくはない。――山田先生」
「はい。クラス対抗戦の第四の乱入者、コードネーム『ティタン』が本日も確認されました。
本日の乱入『機』を伴い、学園上空500メートルに出現。その後、乱入機はアリーナに突撃するも撃破されました」
「だが、このティタンはどうやら空間を捻じ曲げ、一瞬で長距離を移動する能力を持っているようだ。
詳細は不明だが、もしこの能力を悪用されれば――実質的に、学園を乱入者から防衛する事は不可能ということになる。
何せ、どんなに守りを固めていても瞬時に懐に入られるのだからな。防ぎようがない」
「……前兆等は、無かったのですか?」
ゴーレムα撃破に携わった一人、フローラ・K・ゴールディンが口を開く。
戦闘時とは違う優雅な口調だが、やはり、敵の能力の法外さに苦悩の色が見え隠れする。
「はい。本日も、そしてクラス対抗戦でも、出現直前に空間歪曲が確認されました。
また、あの深夜の乱入者があった日も、学園の北西2キロ、上空300mの地点で確認されています。ですが……」
「その歪曲を感知した時には手遅れ、か。情報が少なすぎるな……」
古賀水蓮が、苦虫を噛み潰す。並々ならぬ技術と知識を持つ彼女でも、ティタンの能力は分析できなかった。
「駒が足りないな。いっそ、常にISを学園外に待機させるレベルで無いと『ティタン』は防ぎようが無い……」
「しかし、それはあまりに非現実的です。この学園でさえ、コアは約30、それを防衛に全てまわすことは不可能です」
「……ドールを使うならば、如何でしょうか?」
それを口にしたのは、学園OGで一年三組副担任のゲルト・ハッセだった。
普段はセクハラ発言をしては千冬の制裁を受けている彼女だが、こんな場所では勿論そんな一面は覗かせない。
「学園内にはいずれドールが搬入されるでしょうが、そのドールを防衛用に回しては……」
「しかし、それでは生徒達の育成カリキュラムの変更が出来ません。ドールの搬入を前提として、カリキュラムの見直しを行っているのに……」
「だが、生徒達の安全を守る事を先決するならば、一考の余地はあるのでは?」
「しかし、ISではなくドールで『ティタン』や乱入者に勝てるのかね? 操縦者の力量で埋められる部分はあると思うが……」
「委員会や日本政府との協議も必要ですね。臨海学校が控えていますが、並行するしかないでしょう」
「専用機――特に、生徒会長の力も必要になるでしょう。……彼女はどうなっているのですか、布仏さん」
その声で、この一室にいる唯一の生徒に視線が集まる。整備課所属の三年生で生徒会会計の布仏虚。
生徒会長・更識楯無の腹心であり、現在ロシアに彼女がいる今、彼女の代理人としての役割も持つ彼女はここに招かれていた。
「はい。会長は、数日中には帰国される手筈となっています。本日のデータは、既に送信しています」
「そうか。――ところで新野先生。乱入機のパーツは……」
「ほぼ全損です。手がかりは、ゼロ。自爆の可能性は、考えられないわけではなかったのですが……」
「500未満のコアごと、というのは流石に想定外でした。……逆に言えば『コアを失う事』を恐れていなかった事の証明でもありますが」
「あの中央の人型は、何だったんでしょうか?」
「あれは、単なるデコイだろうな。動作にどのように関わっていたのか、という点には興味があるが……」
山田真耶の疑問に、古賀水蓮が頭を掻きながら心底口惜しげに答える。
もしもあの人型部分だけでも残っていれば、かなりの手がかりになった事は間違いないが。
「あれも、自爆しちゃいましたからね」
「……出来れば、停止させたかったですが」
「自爆機能があっては仕方が無いだろう。むしろ、最初から自爆攻撃でもされたら怪我人ではすまなかったかもしれない。
――少なくとも、新野先生達を責められはしない」
「ですが、委員会や日本政府をはじめとして各国政府にはそれでは済まないでしょう。……どうしますか、織斑先生?」
教師と変わらないレベルの疑問を挟んだのは、布仏虚。その視線を正面から受け止める千冬は、カードを一枚切る事を選んだ。
「件の『ティタン』の転移データを渡しておけ。三回分のデータだ、少しは有益な情報として扱えるだろう。
各国政府の動きはどうなっている?」
「トーナメントに残っていた生徒の政府は、やはり再開を望んでいます。一年生で言えば、日本・ドイツなどですね」
「それ以外の政府……たとえば、代表候補生が敗北した中国などは、情報集めに集中しているようです。
ただ、あのクラス対抗戦同様に各国が他国の仕業かと動いている最中かと……」
「……変わらない、か。――報告書などの作成が済み次第、この一件を終わらせにかかる。
――次は期末テストなどが待っている、ここで足止めをくらうわけにはいかないからな」
「はい!」
千冬の言葉で、その日の会議は終了した。それぞれが、それぞれの仕事に取り掛かる中。布仏虚が、古賀水蓮に近づく。
「どうした、布仏。珍しいな?」
「はい。――古賀先生に、お話があります」
「話? 乱入者の一件か? ……まあ、いいが」
「ありがとうございます。生徒会室で、よろしいでしょうか?」
「……お前さんの一杯のお茶で、付き合うとするか」
夜の闇に、三年首席と委員会にも呼ばれる傑物が消えていく。――そして、闇に消えたのは彼女達だけではなかった。
「おい、弱すぎるぞ。クラス代表二人程度で足止めされる位じゃ、投入させないほうがマシだ」
この乱入者の一幕の開催者であるゴウ。彼もまた、夜の闇に紛れて世界に巣くう『闇』と話していた。
『本来想定していた相手は、準決勝を勝ち上がってシールドエネルギーを消耗したお前だからな。そのレベルに合わせていただけだ』
「だが、あれじゃ何の意味も無いだろう。トーナメントも、中止ではなく延期という声が出ているぞ」
『証拠隠滅が効きすぎたかな。……欧州連合の方からも、少し揺さぶってみるか』
「いっそ、コアを残してやればよかっただろう。以前のように、掻っ攫ったドールコアでも良かったんじゃないのか?」
『ドールなんてあんなものだ、と思われちゃ迷惑だからな。故意にレベルを落としておいたんだから、仕方が無いだろ。
――もう切るぞ、夜も遅いからな』
不機嫌そうな声を最後に、ゴウの通信は終わった。二色の髪を持つ美形の表情はゆがみ、舌打ちも出る。
「チッ、どいつもこいつも使えないな。……まあいい。七夕の日に、鬱憤は晴らさせてもらうとしようか……」
そう自分を納得させると、ゴウは自室へと戻る。――大きく変わった展開、それに対して動き出すために。
「トーナメントって、どうなるんだろう?」
「結局は延期、じゃないの?」
「はあああ……。ってことは結局、トーナメントの打ち上げも延期かぁ……」
「仕方がないわよ、こんな事になったんだし」
「でも、本当に再開されるのかな?」
「一年生の部は残り二試合だし、二年生や三年生の部も結構進んでいたんでしょ? ここで終わったら、勿体無いじゃない」
「そのあたりは、あの乱入者の解析次第だと思うけどね。とんでもない物が出てきたら、大事(おおごと)になるかもしれないし」
翌朝。三組の教室では、女子が数人集まって会話を楽しんでいた。元クラス代表のマリア・ライアンをはじめとした面々。
まだ安芸野将隆やクラウス・ブローンが登校していないためか、ややだらしの無い格好の女子もいた。
「でもまあ、私達はやれる事をやるだけよ。ねえ、凛?」
「そうだね、私達は次のイベントに向けて準備するだけだよ。――そう、臨海学校の!」
臨海学校。七月六日から予定されているそのイベントの名前が出ると、落ち込んでいた三組の雰囲気も盛り返した。
基本的に寮生活であるこの学園では、生徒にもよるがあまり遠出をすることがない。
クラスメートや友人達と共に学園外に二泊三日の旅行、というのは生徒達の期待と興奮を高めるに十分なイベントだった。
「水着どうする? 買いに行く?」
「私はもう注文済みよ」
「え、もう頼んだのマリア? やっぱりアメリカ人らしくハイレグとか?」
「……とりあえずアメリカ人=ハイレグという貴女の図式はどうなっているのよ、サラ」
「でも、マリアもかなりスタイル良いし、似合うと思うけど……」
「はいはい、安芸野君が来たし、この話題は中止しましょう。――じゃないと、彼が真っ赤になりそうだし」
「あー、あったね」
けらけら、と笑う歩堂凛。以前、彼女が将隆に『これ、どう思う?』と水着特集号を見せたとたん、彼が慌てて目をそらした事があった。
それを思い出していたのである。……男に対するセクハラじゃないかこれ、という将隆の主張はスルーされたのは言うまでも無い。
「おはよう」
「おはよう、安芸野君。そういえばちょっと聞きたいんだけど、トーナメントがどうなるのか聞いたの?」
「トーナメントに関しては、仮に再開されたとしても七月中旬になるんじゃないか、とは言っていたけどな」
「ふうん。貴方も唯もがんばっていたし、再開されると良いわね」
「そうだな……って、そういえば赤堀はどうしたんだ? あいつ、この時間ならもう来ているだろ」
見渡せば、彼のタッグトーナメントのパートナーがいない。不思議そうに教室内を見回すが。
「昨日、ストレス発散のために『超越人』シリーズの映画ディスクをオールナイトで見ていたから。多分、そろそろ……」
「おはよっ! 今日も一日がんばろうっ!」
いつも以上に元気な声で教室に駆けこんできた少女の顔に、皆がやや呆れたような表情になった。
ただ、その呆れには何処か安堵の色も混じっている。
「……オールナイトって、徹夜だよな? あいつ、何でいつも以上に元気なんだ?」
「むしろ、徹夜明けのハイテンションなんじゃないのかしら?」
「……なるほど、な」
苦笑いする将隆。そして自分の席に向かうが、その途中に、浮かない顔をして座っている女子二人がいた。
――都築恵乃と加納空。ブラックホールコンビの異名を持つ、情報通コンビである。
「どうしたんだよ、お前ら」
「ああ、安芸野君ですか。……いいえ、トーナメントが中止になりましたからね」
「これで、クラス対抗戦に続いて二連続でイベント中断だからね。――ちょっとつまらない結果だと思ったんだよ」
一見、関係の無いようにも見える二人の言葉だが。将隆も、彼女達の真意は解っていた。
「まあ、お前らは優勝者が誰になるのか、必死で予想していたからな。俺と赤堀にも、随分と情報をくれたし」
「ええ。――不完全燃焼、というやつですね」
「ほんと……つまんない結果だったよ」
「一応、再開の可能性もあるらしいからそう不貞腐れるなよ」
「ほう? ――では、詳しく聞かせてもらえますか?」
「情報料は、今までのツケで大丈夫だよ」
「……現金だな、お前ら」
恵乃がため息をはき、空が机に突っ伏してふくれっ面を晒す。しかし、一瞬後にはいつもどおり情報を求めだす。
そんな彼女達を見て、将隆は何処か安堵していた。乱入者があっても、変わらない学園生活。それが、嬉しかったのだ。
「あーあ、つまんない結果だったね」
……だがその頃、加納空と同じ言葉を、闇の中で吐いている女性がいた。
スカイブルーのワンピースと、白いブラウスから構成されるエプロンドレス。腰の後ろには、大きなリボンという服装。
10にも満たない少女が身につけるべきデザインのその服を纏うのは、20代半ばほどの女性。
サイズが合っていないのか、白いブラウスからは豊熟かつ妖艶な谷間が覗いている。
その頭の上にはウサギの耳を模した機械のカチューシャが備わり、引っ切り無しに動いている。
まるで、不思議の国に迷い込んだ少女・アリスと、物語の発端となった三月ウサギを融合させたような、そんな奇妙な服装の女性。
それは、少し前にはヨーロッパの男子と女子の服装を混ぜたような洋服を纏っていた女性だった。そして今、その視線の先には。
「んー、それにしてもくだらなかったねー。でもまあ、箒ちゃんが専用機も無しであそこまでやるとは思わなかったな」
学年別トーナメント、一年生の部の準決勝第一試合において、オムニポテンスを撃墜する篠ノ之箒の姿が映し出されていた。
その映像を見る視線には、さまざまな感情が見え隠れする。
常に思考から開放されない結果として生まれた深く淀んだ目と合わさり、健全さはかけらほども感じられない。と、映像が切り替わり。
「それにしても『出来損ない』か。――ワンパターン、だねえ」
欠伸をしながら、ゴーレムαの戦いを見るその視線は冷たく。自身の作ったものと似ているその機体を見る感情は、徹底した無関心であり。
好奇心も、嫌悪も、愛憎も何も無い視線だった。
「まあ良いか。――これでも、刺激くらいにはなっただろうし。さて、と。もう一回あの子でも磨いておこうかな?」
ゴーレムαを見る視線とは裏腹の、期待と高揚を込めた視線を向けた先には、ゴーレム達とは真逆の印象の機体が立っていた。
朱漆のような紅に金の蒔絵を施された装甲、赤き花のような背面バインダーを持つその機体。
「待っててね、箒ちゃん。お姉ちゃんが、ちゃんと届けてあげるからね」
その操縦者として選ばれたのは篠ノ之箒。そして――その開発者であるアリス服の女性は、三年前に姿を消したはずの箒の姉。
ISの開発者であり、ISのコアを唯一作れる存在である女性――篠ノ之束だった。
「……あれだけ大言壮語を吐いておきながら、最後はゴーレムα頼りとは、な。マルゴーも口先だけだったか」
フランス南部・マルセイユの、地中海に面したホテルの一室。ここでは、カコ・アガピのトップ専用に建造された部屋があった。
そこにいるのはクリスティアン・ローリーのみ。照明が落ちたその部屋の一角で、モニターにある人物が映っていた。
その人物は、仮にもカコ・アガピのトップと会談できるような人物には見えなかった。――少なくとも、見た目は10代半ばの少年なのだ。
アジア系と思しきその少年の服装は、ISスーツ。後ろには、大きな鎧のような物も見え隠れする。
『彼の生徒間の評判は、決して悪しからぬ物のようですが。やはり篠ノ之箒に足をすくわれたのは、詰めが甘いと言わざるをえないでしょう』
「今更言っても仕方がないが。……IS学園に送るのも別な奴か、あるいは複数の方が良かったか」
『では今から、ドール使い達を送りますか? 既にクラウス・ブローンを送っていますが、彼は我々の真意を知らない者ですし』
「……どっちにせよ、七月七日を過ぎてから、だな。上手く『銀』を落とせればよし、そうでなければ……」
『では、これが作戦要綱です。関係者一同に配る分は、こちらに』
二つのデータウィンドウがクリスティアンの手元で開く。一瞥したクリスティアンは、興味をなくしたように手を振り。
「まあ、マルゴーに任せるとするか。――七夕に大雨を降らせ、銀を押し流せるかどうか、な」
『そうですね。――それとこれは、別件の報告書です』
少年より提出された『別件』のデータウィンドウにクリスティアンは目を通す。一瞥し、データウィンドウを閉じた。
「報告は以上か? ――じゃあ、任せる」
『はい。――では、朗報をお待ち下さい』
モニターと共に少年の声も途切れ、照明が戻り。クリスティアンは腕を上方に伸ばすと大きく欠伸をした。
カコ・アガピトップと言っても、彼は基本的に仕事を疎む気質である。
少年とも、必要だから会ったまでであり、必要でなければ筆頭秘書のマオ・ケーダ・ストーニーに任せきりだったであろう。
「案外と、セレブ生活もつまらないものだな」
世界の大半の人間が反感を持つであろう言葉を吐きながら、クリスティアンは隣においてあったリンゴを丸齧りする。
一玉だけで百ユーロは超えるというリンゴであるが、一齧りしただけでゴミ箱へと放り投げた。
「マオはジブチの仕事だったな。――仕方が無い、アレでも喰うか」
暇をもてあます子供のような表情になると、引き出しの中のボタンを押す。間も無く、部屋のドアが開き美しい女性が現れる。
青いパーティードレスを身に纏う、白人の女性。胸や尻を強調するようなデザインではないのに、大きく膨らんだ胸元が魅惑的であり。
金髪を彩るティアラ、首元を飾るネックレス、指に飾られる指輪などは紛れも無く一級品である。
青い瞳を飾る眼鏡も、白銀のフレームと合わせて知性を感じさせるものであり魅力を損なってはいない。
こんな女性がいれば、男性の視線も女性の視線も集まられるであろうが――その女性は不自然なほどに表情が無かった。
まるで、等身大の人形のようにも感じられる雰囲気を纏う女性。その女性がクリスティアンに近づき、ドレスの裾を手で持ち一礼する。
その袂を持つ手には、ドレスやその外の装飾品とは似合わぬものがあった。黒い、蝙蝠の翼と山羊の頭を持つ生き物の刺青。
――ヨーロッパ社会では忌み嫌われる象徴の刺青を持つ女性を、クリスティアンは乱暴に引き寄せたのだった。
「ねえねえ、昨日の乱入者、見た?」
「うん、ちょっとだけ見えたよね。何か、黒っぽかった」
「腕が大きかったよね」
「うん。クラス対抗戦のときの奴も、私、チラッと見えたんだけど。少し似ていたよ……」
「何か噂だと、あの乱入者はISでもドールでもない、何処かの政府の開発した新兵器だとか……」
三組だけではなく、その日の朝は、乱入者の話題がそこら中でささやかれていた。
学年、クラスを問わずに広まる真偽も定かでない噂。――もっとも、その話題はすぐに生徒達の意識からそらされることになる。
「シャルロット・デュノアです。――皆さん、改めてよろしくお願いします」
その日の一年一組のHRを震源とする、破局的噴火級とさえいえた秘密の発覚による衝撃により、学園中が大騒動に陥るために。
ようやく、ようやくシャルルがシャルロットとして一般に出てきました。詳しい事情は、次回です。
ああ、これでようやく臨海学校に行ける……。