「ねえねえ、誰が優勝すると思う?」
「うーん、やっぱりゴウ君かなあ? デュノア君と織斑君が、負けちゃったし」
私とボーデヴィッヒがアリーナから出る途中、そんな声が聞こえてきた。
どのようなものであれ、大会というものが終盤に差し掛かれば必ず出るであろう内容の会話。
「準決勝の組み合わせって第一試合がゴウ君達とドイツのあの娘達、第二試合が安芸野君達と更識さん達、でしょ?」
「うん、でもドイツのあの娘はちょっと嫌だな。今日の試合、最後なんてわざと攻撃しようとしていたよ?」
「織斑先生が止めなかったら、絶対に過剰攻撃していたよね。織斑君がドレさんにやったのとは違って」
「ほう。戦況分析か? ならば私も手伝ってやろうか」
ボーデヴィッヒに声をかけられた女子は、一瞬で蜘蛛の子を散らすように逃げていった。臆病だ、とも思えるかもしれないが。
少なくとも、その発言内容に関しては私達に否定する権利はない。
「すっかり悪役だな、私達は」
「ふん、構うものか。勝利すれば良い、それだけだ」
勝利すれば良い、か。私も、願いの為には優勝するしかない。それは当然だった。だが、こいつの戦い方を見て。
本当にそれが大事なのかと思ってしまう。既に優勝するのは、四組のタッグに限られている。
つまり、他の者達の優勝の目を……願いを潰し、私達はここにいる。トーナメントである以上、それは仕方の無いことではあるし。
もしも優勝した誰かが一夏との交際を希望し、他の女と一夏が付き合うなど嫌だが――今のまま優勝して、いいのか。
「また……同じ事をしてしまうのか、私は」
「何を言っているかしらんが、足を引っ張るなよ」
相変わらずか。準決勝でも、セシリアと鷹月をほとんど一人で倒した。ただ気になるのは……。
「ボーデヴィッヒ。何かあったのか?」
準々決勝では。それまでと比べて、こいつの戦い方が明らかに変わった。それまでの戦いが冷徹な戦闘機械だとすれば。
準々決勝の戦いは、戦いに酔った愚者のそれ。鷹月への攻撃のさい、こいつは明らかに愉しんでいたことからも間違いない。
一回戦で宇月に予想外のダメージを負わせられてから、少し変わったような気がしたが。
まるで、セシリアや鈴と戦った、あの時に戻ってしまったようにも見える。
私が伝言した千冬さんの言葉も、こいつには届いていなかったのだろうか。
「貴様には関わりの無い事だ」
……なるほど、何かあったのは間違い無さそうだ。だが、何があったと言うのだ? やはり、千冬さん絡みなのか……?
「残り二戦、か。ふふ。日本語で言うところの『秒読み段階』だな」
私は篠ノ之束の妹と別れて自室に戻る途中、内側から沸き起こる笑みを隠すのに苦労していた。……残り二戦。
明日はあの警戒対象の男との試合、そしてステルスISかあの日本の代表候補生のどちらかと決勝戦だ。
できればあの男――教官の汚点をこの手で叩きのめしたかったが、奴らは日本の代表候補生に負けてしまったのだから仕方がない。
「日本の代表候補生といえば……どうせなら、あの女ともう一戦交えたかったがな」
あの女――ロシアの国家代表、更識楯無。教官のように尊敬に値するわけではないが、この学園の中では稀有な『敵』だ。
もしもあの女が同じトーナメントに出るのだとすれば、私の気分も少しは違っていただろう。……まあ、全ては些事だ。
あと二勝すれば、教官がドイツに――私の元に戻ってきてくださるのだ。それ以外は、もはやどうでもいい事だ。……む?
「更識簪か……」
「!」
偶然にも、明日戦うかもしれない女と出くわした。以前の事があるせいか、警戒もあらわに私を見る。一人のようだが……ふふ。
「まあ、そう竦むな。貴様など、もうどうでもいいのだ。
せいぜいあのステルスISとの戦いを勝ち抜く事だな。そうすれば、私が決勝で潰してやろう」
そう。明日対戦するかもしれない存在だが、今までを見る限り、どうせ私とシュバルツェア・レーゲンの敵ではない。
あのステルスISに負けるか、私に負けるか。この女の運命は、そのどちらかだ。
「……ずいぶんと、雄弁ね」
ほう。素人なら激昂するだろうが、一応は代表候補生になるだけの人材というところか。
「まあな。教官を目指さない貴様などにはわからない世界だ」
「――じゃあ、貴方はあの人になれるの?」
「何?」
「貴女にとって、織斑先生って――何?」
教官が、私にとって何か……だと?
「決まっている。あの人の存在が、その強さが私の目標だ」
「……それだけ?」
「何?」
それだけ、だと? ――それ以外の、何が必要だというのだ?
「力は、力だけじゃ駄目。支えてくれる人がいてくれるからこその、力だから」
「支えてくれる人、だと? そんなものが、教官に――」
「貴女は軍人なのに、補給が必要ないって言うの? 織斑先生にも、補給は必要なはず」
「補給……だと?」
補給か。確かにそれは、戦術上も戦略上も最重要の項目だ。補給が無ければ、どんな軍も侵攻を止めざるを得ない。
古代から現代まで、戦場において決して変わらない真理の一つ。どのような強力な武器よりも、戦場には必要な要素。
ISで喩えるなら、弾薬・各種部品の補給。ISには自己再生能力があるとはいえ、深く傷つけば修理は不可欠であるし。
私の場合ならば、消耗したレールガンの弾丸まで自然補給されるわけではない。だが――。
「教官に補給が必要、とはどういう意味だ?」
「……弟の、織斑君」
何だと?
「教官にとって、織斑一夏が補給部隊だと言うのか? はっ、冗談も程々にしろ。
あいつが教官に何を補給すると言うのだ? むしろ、奴こそ教官に金銭などを補給してもらわなければ何も出来ない子供だろうが」
「――戦う、理由を補給する」
「!?」
「少なくとも、私はそう思った。貴女は、あの時の理由を知らないの? だからこそ、あの人は――ああしたんだと思う」
「貴様……知って、いるのか」
「私も、日本の代表候補生だから」
目の前の女の評価を一つ変える。知っているのだ、この女は。何故教官が、第二回モンド・グロッソ決勝戦で棄権という道を選んだのかを。
まあ、考えてみれば当然だ。この女は日本の代表候補生であり、更識家という日本の暗部の出身なのだから。
「今日の織斑君の言葉……聞いていなかったの?」
「!」
あの男が、目の前の女との試合で言っていた言葉。教官の強さではなく、その使い方に憧れたという言葉。
それは、私が何故か一瞬聞き入ってしまう言葉だった。……そして、同時に思い出す。教官が、あの時私に告げた言葉を。
『私には弟がいる。あいつを見ていると、わかるときがある。強さとはどういうものなのか、その先に何があるのかをな』
……違う!
「あの男は、教官には相応しくない! あんな『者』は、完璧な教官には必要ない!」
「……そうなんだ。織斑先生を、完璧だと思ってるんだ。……弟に、助けてもらっているのに」
助けてもらっている、だと?
「ふざけた事を言うな! 教官が――」
「寮内で騒ぐな。それと私の事は、織斑先生と呼べと言った筈だ」
がはっ!? 頭部に覚えのある激痛が走り、恐る恐る振り向くと……そこにいたのは。
「教がはっ!?」
「織斑先生、だ。……あの愚弟でもあるまいし、いい加減に覚えろ」
いつものように凛々しく、隙のない身こなしで私の前に立つ教官。……それは、私が初めて『こうなりたい』と願った姿。
「こちらも二度目だが、寮内で騒ぎを起こすな。解ったか?」
「は、はい!」
「よし。もう、行っていいぞ」
「はいっ!」
それは、あの時代――ドイツで、教官の教えを受けていた時代を思い出すやり取り。
また、この『最良の時』が始まるのだと思うと。更識の前であるが、笑いがこぼれそうになるのを止めるのが困難だった。
織斑先生に叱られた彼女は、なぜか笑みを堪えているようにも見えた。先生も同様のようで、わずかに眉を顰めている。
「……あ、あの、織斑先生。彼女は」
「すまんな、更識。お前にも、迷惑をかけた」
「い、いいえ! と、とんでもないですっ」
織斑先生からの、思いがけない言葉。日本代表候補生・更識簪としても、生徒としても、思いがけなさ過ぎる言葉だった。
こういう時は、本音のマイペースさや虚さんの冷静さが本当に羨ましくなる。そして、あの人の……。
「更識」
「は、はい!」
ダウナーになりかけた思考を、慌てて止める。目の前にいるのは、元世界最強のブリュンヒルデで元・日本代表。
そして、おそらくは十年前の……。絶対に、意識をそらしてはいけない相手の一人だから。
「お前達は、明日は安芸野達との戦い。そして勝ち上がればドイッチ達かボーデヴィッヒ達と決勝戦だ。準備は出来ているのか?」
「だ、大丈夫、です。……今日みたいな事は、もうありません」
「そうか。出来ればお前達か安芸野達に、ボーデヴィッヒを止めてもらいたいものだがな」
え?
「ど、どうしてですか? あの二人は一組同士のペアだし、そもそも織斑先生がそんな事を言うなんて……」
私は一瞬、自分の耳がおかしくなったのかと思った。公平を旨とする教師である織斑先生が、特定生徒の敗北を望むような発言をした事。
しかもそれが、織斑先生の教え子とでも言うべきボーデヴィッヒさんであった事。どちらも、意外すぎた。
「……今から言う事は、出来損ないの先輩の、酔っ払った愚痴とでも聞き流してほしいが。
……ボーデヴィッヒには、ドイツで大切な事を教え損ねた。というよりも、あそこでは教えられなかったと言うべきだな」
教え、られなかった?
「おそらくそれは、私がどう言っても通じない物だ。いや、正確には『ボーデヴィッヒの望んでいる言葉ではない』から通じない、だな」
「それは、敗北する事で解る……ということですか?」
「そうだ。出来ればボーデヴィッヒが敵視する織斑あたりに負ければ解るかもしれん、と思っていたのだがな。
まあ、お前達の方が強かったのだから仕方のない話だ」
「……いいえ、私は強くなんてありませんでした」
ドイッチ君から貸してもらった『レッドキャップ』も上手く使いこなせず、その上パートナーであるドレさんをほったらかしにして。
今日、勝ち残る事が出来たのは紛れもなくドレさんの決死の働きがあったからこそ。
「いや、お前は強いぞ更識。――自らの弱さを、ちゃんと認められるのだからな」
私の初めて見る、織斑先生の優しげな顔。彼女を『お姉さま』と慕う人の気持ちも、そんな顔を見れば解る気がした。
そしてそれは、何処か『彼』に似ていた。
『俺がヒーローなら、更識さんだって、皆だってそうだろ?』
『千冬姉にあこがれるのは、世界で一番強いから、とか格好いいからとかじゃない。
――千冬姉が、その強さをどう使ってきたか。それを見てきたから、その姿勢に憧れるんだ』
思い出すのは談話室での会話と、今日の言葉。そう言った時の、彼の表情。まるで、ヒーローだった。……あ、あれ?
ど、どうしたんだろう。わからない。わからない。わからない。な、何で、こんなにドキドキするの?
「どうした、更識?」
織斑先生が、私の顔を見つめてくる。それがなぜか、織斑君と重なって。
「~~~~~~!」
私は、まるであの時――ドイッチ君に敗れて、アリーナから逃げ出した時のように走り出してしまった。
ただ、あの時の私の心には絶望と自己嫌悪しかなかったけれど。
今の私の心の中には、あの逃げ出した後でアリーナで飲んだお茶のように、何か、暖かいものがあるのが分かった。
「……宇月。勝つという事は、どういうことだと思う?」
明日の試合のための打ち合わせ、という事で篠ノ之さんが整備室にやってきたのは二十分前。
それからデータをとって、いざ……と言う時に、篠ノ之さんがいきなりしゃべり始めた。
彼女にしては珍しい事だけど、何があったんだろうか? まあ、あるとすれば今日の試合絡みなんだろうけど。
「勝つ事、ね……」
正直、そういう事はあまり考えなかった。というよりも、私にとっては。
「通過点、ね」
「通過点?」
「そう。何かの目的があって、勝つ事を目指すんじゃないの?」
IS学園に入学するべく、必死で勉強をしてきた。その甲斐あって、合格できたけれど。
これは、言い換えれば他の受験生に『勝った』ということでもある。
「目的、か。……では目的も無い者が勝つという事は、間違っているのだろうか」
「え?」
話題の内容がトーナメントの事だと思っていた私は、面食らった。だって、彼女は織斑君と……。
「――すまん、今のは忘れてくれ。では私達は、明日は勝てると思うか?」
彼女にしてはまたも珍しく、勝負への不安を口にした。うーん、どうしたんだろう?
「正直に、言ってほしい。私達は、明日はドイッチ達に。そして安芸野や更識達に勝てると思うか?」
「勝てるかどうかは、ちょっと解らないけど……ボーデヴィッヒさんがドイッチ君に落とされたら、きついかもね」
「私では、彼に勝てないということか」
「ええ。オムニポテンスは分類するなら、高機動の万能タイプIS。専用機無しじゃ、辛いかもね」
正直に、と言われたので私も正直に返答する。明日の準決勝は、実質、ボーデヴィッヒさんVSゴウ君だと思って間違いないだろう。
篠ノ之さんと石坂さんは、蚊帳の外になるっぽい。ちょっと失礼だったかな、と少し思ったけれど。
「そうか。では、参考までに聞いておきたのだが……もしも宇月が私の立場ならば、どうした? ドイッチに、どう立ち向かう?」
篠ノ之さんは、怒るでもなく、焦るでもなくそう聞いてきた。私なら……?
「私なら、近づいてきた所にカウンターを狙うぐらいしか思い浮かばないわね。でも私の剣じゃ、出来るかどうか分からないけど」
「私ならば、どうだ?」
「可能性はあると思う。だけど、オムニポテンスの機動性はかなり高いわよ。航空機で喩えるとラプター並だもの」
「ラプター?」
「英語で『猛禽類』をあらわす戦闘機。機動性の高さで名の知れた戦闘機なの」
「……つまり、後の先を狙っても回避されるという事か?」
「ええ」
えっと『ごのせん』ってカウンターの事だったわね。まあ、意味は通じてるみたいだから良いけど。
「ようは、どういう風にして自分のペースに持ち込むかなのよね」
私が一回戦であそこまでボーデヴィッヒさんに食い下がれたのも、私のペースに巻き込めたからだ。
そうでなければ、フランチェスカよりも早く撃墜されていたであろう事は間違いない。
「宇月さん、篠ノ之さんが終わったらこっちも手伝ってくれない?」
「分かったわ」
向こうの方で二年生のISを整備していた戸塚さんから声をかけられ、そう答える。ふと篠ノ之さんを見ると……。
「宇月は、もうすっかり整備の人間の顔だな」
「ふえっ!?」
手放しで褒められた。思わず、持っていた小さな螺子を一本落としてしまう。
落ちた螺子は、パーツに不規則に当たっていって転がっていき、どんどん遠くへ――。
「む」
行く前に、篠ノ之さんが手でしっかりと押さえてくれた。まるで、畳の上に止まった虫を叩き潰すようにも見えた。
「すまんな、私の言葉が動揺させたか」
「う、ううん。手が滑っただけよ。ありがとう、取ってくれて。小さかったから、難しかったでしょう?」
「なに、大した事ではない。指で取ろうとすれば取り損ねるかもしれないが、手のひら全体を使う事で……!」
あれ? 急に篠ノ之さんが黙っちゃった?
「……宇月。相談があるのだが、こういう改造は出来るか?」
それから彼女は、すぐさま『あれ』を指差して説明してくれた。……うわあ、私が言うのも変だけど、本気なのそれ。
「これを使うなんて、ねえ。……まあいいけど、安芸野君や更識さん対策はどうするの?」
「それは……む?」
「あれ?」
その時、整備室に入ってきた人がいたけど……それは……。
「……千!」
日課ともいえる千本素振りを終えたIS学園三年生・九重夢羽美は竹刀を納めて一礼する。
剣道場で汗を流していた彼女は、そろそろ終えるかと更衣室の方を向くと。そこに、見知った人間が静かに立っていた。
「おや、篠ノ之さん。こんな夜遅くに練習をする気?」
「はい。それと、九重先輩。……もしもかなうなら、お相手をお願いしたいのですが」
「ふうん。私に? どういう風の吹き回し?」
箒と夢羽美は剣を交えた経験が幾度かある。だが、今までは全て夢羽美からの誘いだったのだが。
「私達は、ISを自由に扱えるわけではない。――ならば、自分が強くなる他はありませんから」
「……そうね。なら、お相手願うわ。織斑先生と、同じ剣を学んだ人の力を」
「では、お願いします」
「ええ」
月が夜空を照らし始める中。二人の剣の道を進む少女達が、竹刀を構えて向き合う。
「ルールは、チャンバラルールでいいかな?」
「お願いします」
まるで中学生にも見える幼い顔立ちの少女と、刃のような鋭さを持つ少女。その視線が交じり合い。
「試合――」
「開始!」
互いの声で、試合は始まった。
「ぷはっ……。そろそろいいかな? 正直、そろそろきついんだけどね」
「ええ……ありがとう、ございました」
そして、幾合もの打ち合いが続き。さすがの二人も、体力の限界が近づいていた。
そのまま礼を終え、汗を流すべく共にシャワー室に向かう。そんな中、夢羽美が箒へと視線を向け。
「篠ノ之さん。明日の試合に勝てば優勝だけど。貴方の望みって、何?」
「え?」
子供っぽい容貌とはそぐわない、やや鋭い口調で質問を投げかけた。
「私はもう負けたから関係ないけど、聞いてるよね? 優勝者の望みを叶えるって」
「……私は」
彼女は最初は、一夏に「優勝したら付き合ってもらう!」と言っていた。
だがその噂が、広まってしまい。それが関係あるのかどうかは分からないが、学校側が優勝者の願いをかなえると言い出した。
彼女も、その為に戦ってきた。だが、ここに来て彼女には迷いが生じていた。
「迷って、います」
「へえ? もう優勝が自分達で決まりだと思っているんだ?」
「ち、違います!」
「ふふ、冗談よ。でも、迷っているって何に?」
「勝ち上がる事に、です。もちろん勝負事である以上、勝ちを目指すのは当然です。
先ほども、同級生に整備について話し合ってきたばかりですし。ですが、それが本当に正しいのかどうか……」
「なるほど、ね。他の娘の願いを潰してまで、って事?」
「はい」
シャワーから流れる程よい熱さの湯が、箒の日本人離れした成熟した肢体を通り、落ちていく。
だが、汗や垢は落ちても、その迷いは落ちてはいかない。
「気にしなくて、良いんじゃないかな?」
「え?」
「私達は、一万倍っていう高倍率の試験を潜り抜けてここにいる。つまり私達は、約一万人の夢を潰してここにいるわけだ」
「……!」
元々彼女は、この学園に来たくて来たわけではない。一夏の事を知ったのは受験後であるため、それも関係がない。
だから、彼女は『この学園に来るために他の志願者を押しのけた』という感覚が、希薄だった。
故に、その言葉に大きな衝撃を受けてしまう。そして、自分の言葉が後輩に予想以上の衝撃を与えたとわかり、夢羽美は苦笑いする。
(解りやすいなあ、この娘は)
恋心といい、今の対応といい、箒の反応は見ていて清々しいほどに正直だった。
そんな後輩に、せめてフォローをと言葉を続けるが。
「いまさら同学年の全員の夢を潰しても、気にする必要なんて無いんじゃないのかな?」
「し、しかし……!」
その言葉は、箒には受け入れがたかった。確かに、受験という競争の中で勝者と敗者が出るのは必然である。
だが、何か違うような感覚を箒は覚えていた。
「まあ、どうしても気になるのなら。――忘れない事ね」
「忘れない、事?」
「君の夢の影で潰れていった夢。それを忘れない事よ。ある意味では、それが勝者の義務なのかもしれないね。
――って、ちょっと格好付けすぎたかな?」
「……いいえ。それが、正しいのかもしれませんね」
「ありがとう」
何かを懐古しているのか、遠くを見るような目になる夢羽美。箒は、彼女の言葉をかみ締めながら、これからの戦いに思いをはせる。
そしてシャワー室で、二人の少女がしばし佇んでいるのだった。
「いよいよ、ボーデヴィッヒさんとの試合か」
「一年生で、最強といわれる生徒ですからね。ゴウ君、私は……」
「心配は要らないよ。君を、必ず決勝へと連れて行こう」
学年別トーナメント最終日、準決勝と決勝の当日。不安そうなタッグの相手を微笑みで黙らせ、俺はオムニポテンスの戦闘準備を続けていた。
さっきから、うざったい程に話しかけてくるが、相手が相手なのだから不安がるのも仕方はない。
俺にとっても、今日の試合は特に大事な試合だ。絶対に、アレなど発動させん。少々痛いだろうが、矯正だ。まあ、傷をつける気は無いが。
「さて、試合展開はどうなるかだな」
この準決勝……実質的には、決勝戦といってもいい戦い。この試合は、俺とラウラの一対一だと考えていい。この試合のパターンは。
1.俺とラウラが『最初に』互いのパートナーを撃破し、一対一。
2.俺とラウラが『最初に』一対一で戦い、勝った方が残りの敵を撃破。
3.俺達が掃除道具を最初に倒し、静観していたラウラを撃破。
のどれかになるだろう。決定しているのは。
・掃除道具が倒されようとしても、ラウラがわざわざ助けようとする可能性は低い。
・ラウラが倒されかけた時点で掃除道具が生き残っていても、ブレードオンリーの奴にはまともな援護は出来ない
の二点だ。原作でやったように、まず掃除道具を撃破→ラウラを二人がかりで撃破というのも有効なのだが、問題はパートナーだ。
シャルの実力だからこそ、掃除道具を一蹴して足止めされていたラウラと戦えたのだが、俺のパートナーはあの剣道女。
掃除道具や一般生徒が相手ならば兎も角、ラウラを相手にしたのなら、楯代わりにもならないだろう。
つまり1.のパターンでは、俺が掃除道具を撃破するよりも先に剣道女がラウラに撃破される方が早くなる。
3.のパターンは理想的ではあるが、いくらラウラが掃除道具を無視するといっても、自分が放置されていれば攻撃を仕掛けてくるだろう。
三回戦では放置していたらしいが、俺が相手ではどう動くか解らない。準々決勝で鷹月静寐に攻撃した例もある事だしな。……よし。
「あの……決まりましたか?」
思考が終わったのを察したのか、餌を求めて縋る犬のような視線を向けてくる、剣道女。
ふむ、同じ剣道経験者でも、掃除道具とは違って空気は読めるようだな。
「ああ、決まったよ。――最初に俺がまずボーデヴィッヒさんを潰す。君の方には、手を出させない。
だから君は、篠ノ之さんを足止めしておいてくれ。勿論、機会があれば倒してくれて構わないが……」
「わ、解りました。あの、この試合にはアレは使わないんでしたよね?」
「アラーネア・デ・グローリアだね? ああ。あれは、ボーデヴィッヒさん相手にはあまり意味がない。他の武装で攻めたほうがいい」
「わ、解りました。じゃあ私は、何としてもゴウ君がボーデヴィッヒさんを倒すまで篠ノ之さんを足止めします!」
この女に、掃除道具と戦いながらラウラと戦っている俺への援護を求める、というのは難易度が高い。
ならば、掃除道具の足止めに集中させた方が良いだろう。まあ、ラウラからこの女への攻撃があれば俺が防がなければならないが。
「任せたよ」
「!」
ウインクをしてやると、このまま倒れるんじゃないかと思うほどに顔が真っ赤になった。まったく、愉快な女だな。
「さて、向かうか」
今日は、俺の『本気』だ。単純な正面からの戦術だけではなく、智謀を尽くした戦術。そっちも見せてやる。
ラウラやセシリア辺りには嫌われるかもしれないが、まあカバーは出来る。――その為に、ヨーロッパから『アレ』を呼んだのだからな。
第三アリーナでは、一年生の準決勝を観戦せんと多くの生徒やVipが集まっていた。特に注目が集まるのは、第一試合。
ラウラ・ボーデヴィッヒ&篠ノ之箒とオベド・岸空理・カム・ドイッチ&石坂悠の試合だった。
その一角、アリーナ東ピット付近の最前列席に陣取るのは、一夏やシャルロット達、一年一組勢。
「この後、将隆達と更識さん達の試合だよな。どうして違うアリーナでやらないんだろうな?」
「一年生用のスカウト、二年生用のスカウト、三年生用のスカウトを一箇所に纏めるためだと思うよ」
「あー、なるほどな。買い物の纏め買いみたいなものかな?」
「……ち、ちょっと違うような気がするけど」
(何で一夏って、そういう喩え方をするんだろう……)
「ところで一夏さん。どちらが勝つ、とお思いですの?」
一夏の左隣に陣取るセシリアが、そんな質問をぶつける。右隣のシャルロットばかりに構っている意識を自分に向けさせたい、という魂胆だが。
「あれ。セシリア、目が赤いぞ?」
「こ、これは昨日、日付が変わるころまで本国との通信があったからですわ! しかも、試合終了からずっとですの!」
「そ、そうか。大変だったんだな」
まったく別の質問をぶつけられていた。意識が向いたという点では同じだが、今度は逆隣の機嫌が悪くなる。
「一夏。オルコットさんじゃないけど、どっちが勝つと思うの?」
「そうだなあ……。……解らないな。オムニポテンスとシュバルツェア・レーゲン、どっちが強いかだろうし」
「こういう場合は、残る二人――篠ノ之さんと石坂さんが、どれだけ戦えるかが重要になるのですけれど」
「そうだねー。篠ノ之さんも強いとは思うけど、ゴウ君やボーデヴィッヒさんと比べると、ねえ」
「あ! 四人が入場してきたよ!」
四十院神楽や岸原理子の言葉を遮る相川清香の声とともに、一組メンバーの視線が東西のピットに向く。
そこからシュバルツェア・レーゲン、オムニポテンス、二機の打鉄が出現し、それぞれ上空で待機し。
『準決勝第一試合。――始め!』
一組担任・織斑千冬の声とともに。注目の一戦は始まった。
「まずは――君だ!」
最初に動いたのは、機動性に優れるオムニポテンスだった。試合開始と同時に、シュバルツェア・レーゲンに接近し銃撃を放つ。
その銃弾は、破壊力に優れるタングステン鋼の弾丸だったが。
「先制攻撃か、だが無意味だ」
「ほう、最初からAICとは大盤振る舞いだね」
銃弾は、全て慣性制御の結界に阻まれていた。如何なる弾丸も、この結界の前には無力だった。
「貴様の実力、見せてもらうぞ!」
ラウラの初手は、ワイヤーブレード二本だった。蛇のようにうねるそれが、オムニポテンスに迫るが。
「ワイヤーブレードへの対策は出来ている」
「……チャフ、だと?」
その機体からグラネードが射出され、薄っぺらい紙のような物がばら撒かれた。かなり膨大なそれが、陽光を反射して煌く。
それは、レーダー対策としてよく知られるもの――チャフ。それを視認したラウラの表情は、やや意表を突かれたものだった。
(だが、無線兵器ならば兎も角、有線兵器であるワイヤーブレードにこれを使うだと?)
何のために、と考える中。ワイヤーブレードの速度が、目に見えて落ちた。
「――!?」
膨大なチャフが、ワイヤーブレードに絡み付いていた。一枚一枚は薄っぺらいが、数が多い。
しかもただのチャフではないのか、張り付くと一瞬で硬質化した。そしてそれを、ゴウが光の銃器で打ち抜く。
「ビームガン、だと!」
ISの使うものとしては、主武装としては使えない出力しかないビームガン。それが、チャフに纏わりつかれたワイヤーを切断していた。
チャフの狙いはワイヤーブレードの速度を落とし、ビームガンで狙いやすくするための下ごしらえだったのだ。
「ちいっ、小ざかしい真似を!」
「今日の俺の戦術は、ロック型。君の全てを封印し、圧殺する」
そういうと、ゴウは距離をとった。その手に握られたのは、ビームガン二丁。
「距離を詰めなければ、AICとレーザーブレードは無意味」
「ちっ!!」
シュバルツェア・レーゲンを、二筋のビームが襲う。装甲に施された対ビームコーティングにより、ダメージは少ない。
だが、それは『少ない』のであり『ない』わけではない。コーティングでは防ぎきれないレベルの攻撃だったのだ。
「ワイヤーブレードを止めれば、君に残るのはレールガンだけだ」
「解っているのならば、食らってみろ!」
プロセスを省略し、速射性を重視させたレールガンを放つ――が、それはオムニポテンスに避けられていた。
レールガンの弾速はすさまじい物を持つが、自在に空を舞うオムニポテンスを捉えきれないでいたのだ。
「ちっ……」
普段ならばワイヤーブレードで動きを止め、レールガンを放つのだが。
先ほどのチャフを見る限り、ワイヤーブレードを無駄に失うのは明白だった。
「ならば、出し惜しみはなしだ!」
左目の眼帯を拭い去り、黄金の瞳――越界の瞳をあらわにするラウラ。だが、ゴウは不敵な笑みを浮かべている。
そう、ゴウにとってラウラの手札は既に明かされた物ばかり。全ては、想定内なのだ。
「ほう。では、これを使うとするかな?」
ビームガン二丁を収納し、ゴウは新たなる武器を展開した。――それを見た観客から、どよめきが走る。
どよめきの大きさに個人差はあったが、全ての人間がその武器に注目した。それは、この会場にいる誰もが知っている存在だったから。
「き、貴様、それは……!」
「レプリカだよ。世界一有名なISの武器の、レプリカ。まあ、玩具みたいもなのだがね」
そして、ラウラの赤と黄金の瞳が両方とも大きく見開かれた。第一回モンド・グロッソでの優勝者・暮桜の武器である雪片。
その『外見だけそっくりな』レプリカが、ゴウの手に握られていたのを認識したラウラの表情が、見る見る間に歪む。
彼女が敬愛する織斑千冬の武器、雪片。そんな外見だけを真似た武器を、自分の前でこれ見よがしに展開する。
一夏の雪片弐型や零落白夜でさえ『紛い物』とする彼女からすれば、目の前の行為は徹底的な自分への挑発に他ならなかった。
「少なくとも、この状況であっても『一人で』勝つのだろうね。――織斑先生ならば」
「いいだろう……そんなにスクラップにされる事が望みなら、かなえてやる!」
雪片レプリカを新体操や鼓笛隊のバトン、あるいは今は学園にいない甲龍の双天牙月のように振り回すゴウ。
その扱いからは、敬意などはかけらも感じられない。当然――ラウラは激昂する。ゴウの、目論見どおりに。
(やれやれ、単純だな。玩具と言葉だけで、我を忘れるとは)
自らの持つ『知識』によりラウラの心理をある程度は察している、ゴウならではの戦い方だった。
もっとも、これにはもう一つ『遊び』もある。
(さぞかし怒ってるだろうな、クソサマー。シャルを誑かした、罰だ)
これを見て、ある意味ではラウラ以上に怒っているであろう少年の心境を想像し。ゴウの顔に、笑みが浮かんだ。
「あの野郎……何を考えてるんだ!」
「い、一夏さん?」
一夏の隣で、当人曰く至福の時を過ごしていたセシリアはわけがわからなかった。
ゴウが突然ブレードを展開したかと思うと、ラウラと一夏が激昂したのだ。
「オルコットさん。――あれは、雪片だよ」
「え? ――!」
シャルロットの指摘で、セシリアもようやく気がついた。そして、ラウラと一夏の激昂にも納得する。
「でも、何故あんな物をドイッチさんが……?」
「多分、ボーデヴィッヒさんの平静を欠かせる為だよ。でも、こんなやり方をするなんて……」
「でもデュノア君。それだけ、ゴウ君はボーデヴィッヒさんを警戒しているという事なんじゃないの?」
「そうだよ。あんなの、軽い挑発だって」
シャルロットの近くに座っていた、ゴウに惹かれつつある一組女子が、そんなフォローに入る。
彼女達はラウラへの反感も持っていたので、ゴウの行為で激昂するラウラにある種の痛快さすら感じていたのだ。
「だけど、千冬姉の武器のレプリカを挑発に使うなんて……!」
「でもさ、あれって噂だと織斑先生が許可を出したって話だけど?」
「え?」
その時、一夏らのいる場所に近づいてきた女子がいた。
その手には小さな鞄が握られ、その横のポケットからは、懐中時計が顔を覗かせている。
「それってどういう意味なの?」
「さあ、あくまで噂だけど。ボーデヴィッヒさん対策として、考えていたネタなんだって。
一応、織斑先生にも許可を貰っているっていうんだけど……まあ、本当かどうかはわからないわ」
「千冬姉が、あいつに許可を?」
「うん。――まあ、噂だから真偽は確かじゃないけど。そうじゃなきゃ、使えないでしょ」
「……」
納得しきれない様子で、一夏は着席した。それを見た女子は、嘘にあっさりと騙された一夏を見て密かにほくそ笑む。
その鞄の横で、懐中時計が呼応するように輝いていた。
「あ、あの武器は……」
「雪片か。あれに憧れて似たような武器を使うIS操縦者はいるが、まさか彼がそうだとはな」
管制室でも、ゴウの出した武器は騒ぎになっていた。事前のチェックでは『近接戦闘用ブレード』としてしか提出されておらず。
まさか、雪片モドキだとは誰も思わなかったのである。ゴウ自身が量子変換作業を行っていたため、整備課の目すら免れていたのだ。
「お、織斑先生。彼は一体……」
「おそらくは、ボーデヴィッヒの平静さを奪うためだろう。奴の機体と力量は、一年生の中では最強レベルだ。
だからこそ、ドイッチはボーデヴィッヒの力を引き下げる必要性を感じ。あのような玩具を持ち出したというわけだな」
「で、ですけどあんなの……良いんですか!?」
「ルールに『相手を挑発するような武器を使ってはならない』といったような条文がない以上、ドイッチの行為を咎める事は不可能だろう。
近接戦闘用ブレードとして申告していたようだが、それである事は間違いない為に虚偽申告でもない。
これでボーデヴィッヒが負けるなら、そこまでの話だ。……望ましい、とは言えないがな」
「で、でもこれじゃあ、あんまりです! こんな、心の隙を突くようなやり方……!」
普段温厚な山田真耶さえ、眼前の光景には憤りを感じていた。だが、当の本人はまったく表情を変えない。
「ドイッチは、あくまで勝つ事に拘っているのだろう。だから、手段を選ばない。……学生らしくない、といえばそうだな」
「まあ、モンド・グロッソじゃ織斑先生も色々あったみたいですしね?」
「昔の話です」
一年三組副担任・古賀水蓮のからかいも、軽く受け流す。そして、モニターでは暫しラウラがゴウに翻弄されていたが。
「……」
「あの、織斑先生、どちらへ?」
「観客席で不届き者がいないか見回りだ。すぐに戻る」
「え?」
困惑する真耶を残し、千冬が退室する。突然の不可解な行動に、真耶は不思議そうな顔をするが。
「織斑先生は、見届ける気なのだろうな。――自分の教え子の、勝負を」
「じゃあ、ボーデヴィッヒさんを……?」
「ああ。このままでは、決勝進出はドイッチ君の方だろうからな。見届けたいのさ、あの人は」
「……」
水蓮の指摘に、千冬が去ったドアをじっと見つめる真耶。その表情に、ふと笑みが浮かんだ。
「織斑先生も、本当はすごく優しいんですよね。自分からは、絶対に表に出そうとしないけど」
「全くだな。ツンデレにもほどがある。まあ、彼女は極度のブラコンでもあるがな」
「あはは、古賀先生。それは失礼ですよー」
窘めるような口調だが、しっかりと顔は笑っている真耶。水蓮と二人が、しばし笑っていたのだが。――その時、一本の着信があった。
『山田君、古賀先生。後で個人的な話があるので、逃げないように』
「……」
「……」
アリーナ通信網を通して届いたその世界最強の声に、二人の女教師はそのまま硬直し。周囲の人間は、十字を切るか手を合わせたという。
「雪片、だと……?」
箒も、当然ながらそれに気付いていた。だが、彼女はそれどころではなかった。
眼前の石坂悠は、そんな事は関係なく剣を振るってくるのだから。
「くっ……強い!」
石坂悠は、箒にとっても強敵だった。だが、腕前だけの話ではない。眼前の少女は、剣道部ではない。
その腕前も、これまで戦ってきた相手と、それほど差はない。ならば何故、今日の相手を強く感じるのか。それは――。
「私はゴウ君から、貴女の足止めを頼まれました。ですから、ここは決して通しません!」
「……そうか」
箒は、その少女の瞳に見覚えがあった。自分を真摯に見つめるその瞳に、強い決意を感じ。今は、眼前の敵に集中すべきだと決める。
「ならば私も、全身全霊をもって――参る!」
「……!」
まるで剣客のような気配を発しつつ、悠に迫る箒。相手からの気迫を感じ、悠は……。
(やはり私の中には、まだ『荒武者』が残っていますね。――普段は外に出してはいけないものですが)
「ゴウ君のため、今一度、荒武者となるとしましょう!」
明らかに、震えていた。だがそれは、恐怖ではなく。全国大会に出られるほど剣道を修めた彼女の心にある、武者震いだった。
「くっ……! 先ほどまでとは、剣が違う!」
「貴女も全国を制した者ならば、その剣で語りなさい!」
「……!」
全国を制した。そう言われた瞬間、箒の顔に陰りが見えた。自らの栄誉を指摘されて生じた陰り。それは……。
『忘れない事だよ』
「……そうだな。忘れる事など出来ない。ならば、私に出来る事は。――ただ、振り抜くのみだ!」
「!」
先輩の言葉で陰りを掃った箒は、悠の剣を払った。その剣は迷いなく振るわれ、悠の打鉄にも達する。
「つ、強いですね。だが……私も負けられません!」
「それは、私もだ!」
髪の色も、ISスーツの色も。そして纏うのが打鉄同士、更には悠が今日は髪形をポニーテールにしていることからか、その二人は良く似ていた。
応援をする側も、距離が離れると、どちらがどちらであるか判別がつきづらくなるほどに。
「え、ええっと。今、こっち側に背を向けているのが篠ノ之さんだっけ?」
「違うって、石坂さんだよ。ポニーテールを括っているリボンの色が赤いし」
「打鉄同士だし、違いは篠ノ之さんの打鉄の方が非固定浮遊部位が少し大きいくらいだし……判らないよー!」
よほど目のいい者でなければ、なかなか区別はつかなかった。……しかし、判別する手段が無かったわけではない。
箒と悠、二人には決定的な違いが一箇所あった。
「……」
「……」
悠が、箒の顔をじっと見ている。……いや、正確にはその少し下の方を。
先ほどから箒のそこは空を舞い、剣を振るわんと駆ける際に大きく揺れ動いているが、悠のそこはあまり動いていなかった。
そのサイズがどうこう、というわけではないが。……女としての微妙な敗北感が、悠を襲う。
「た、たとえスタイルでは負けても、ここは通しませんよ!」
「な、何を言っているんだお前はぁ!?」
先ほどまであった、剣客同士の果し合いのような雰囲気は、あっさりと霧散したが。
幸い、殆どの観客の視線はオムニポテンスとシュバルツェア・レーゲンに向いていたため、気付かれる事はなかったという。
ちなみに、篠ノ之箒と石坂悠の差は。
剣の腕前 箒>(学び始めた年齢の差)>悠
IS操縦 箒>(専用機との訓練経験の差)>悠
美人度 箒>(化粧・服装などで埋められる差)>悠
特定部位 箒>>>(決して埋められない差)>>>悠
性格の愉快さ 悠>>>(決して埋められない差)>>>箒
※ブラックホールコンビの調査より抜粋
であった。
「うーん、えぐいね、ゴウ君の戦い方」
「あまり~~。好きになれないかも~~。……くー」
「ほらロミ、寝ないの。……まあ、私も同感だけどね」
アリーナの北ピット付近で観戦していた一年三組の生徒達も、ゴウの手段には少々違和感を覚えていた。
その中心あたりに座る、次の試合の出場者――安芸野将隆は、顔を顰めている。
「どうしたの、安芸野君?」
「いや。何でもない」
『調子に乗るなよ、イレギュラー』
自室にセシリアがやってきた後、ゴウに言われた言葉が彼の脳裏をよぎっていた。実力も高く、性格も悪くないと評判のゴウ。
だが、その本性の発芽ではないのか。そんな予感さえ持っていた。
「でも、ゴウ君があんな手段をとるって事は……ボーデヴィッヒさんは、相当強いんだよね」
「そうだね」
今、一年生で一番強い生徒は誰かと尋ねられれば、一番名が挙がるのがラウラだった。
それ故にゴウは、こんな戦術まで使ってきた。その場にいる生徒達の、大半の推測はそんな内容だった。
「でもゴウ君、私達に勉強を教えてくれた時に言っていたよ。相手がどんな手段で来るかは解らない。だから、最悪の想像をしておけって」
「言っていたねー。俺は、必要とあれば修羅にでも悪魔にでもなる。それが、俺の戦いに対する覚悟だ……って」
「そんな事も言っていたのか、あいつ。……って、どうした赤堀?」
「え? ど、どうして?」
「いや、何かお前、間違えて酢でも飲んだみたいな表情をしてたぞ?」
将隆の視線が、隣に座っていたタッグパートナー・赤堀唯に向く。
岩元安奈が学園に来た時のように誰でも物怖じしない、明るい彼女にしては珍しい表情。それを、視界に捉えたからだった。
まるでそれは、決して相容れない者でも見つけたかのような目。クラスメート達が、初めて見る表情だった。
「ううん、何でもないよ。……ふう」
明らかに、何でもないようなため息だったが。三組生徒達の視線は、再び試合に戻ったためにそれは気付かれずにすんだのだった。
「くっ……ちょこまかと、子鼠のように逃げ回るか!」
「生憎と俺は、剣だけで戦おうとするような性格ではないんだよ」
オムニポテンスの機動性が、シュバルツェア・レーゲンを翻弄していた。
ワイヤーブレードは封じられ、AICやレーザーブレードは射程外。そしてレールガンは発射プロセスを省略しても発射前に避けられる。
ラウラの攻め手は、全て封じられていた。瞬時加速さえ、通用しない。そればかりか、瞬時加速のタイミングを読んだように散弾を放ってくる。
瞬時加速は確かに優れた技術なのだが、その加速ゆえに受ける衝撃も通常時よりも増大する。
たとえ散弾でも、瞬時加速時であればそれなりに手痛いダメージとなるのだった。
「くそっ……散弾とビームで、ここまで削り取るか……!」
最初は激昂したラウラだが、だんだんとそれが焦りへと転化していった。その動きがどんどん単調なものになり。
左目の越界の瞳も、もはや使いこなせているとはいいがたい状況だった。
擬似ハイパーセンサーが情報を捉えたとしても、平静ではない脳は、正確な判断を下さない。結果、ゴウのペースに嵌るばかりだった。
「さあ、これで止めだ!」
「!」
そしてゴウが一転して、瞬時加速で距離を詰めてきた。その手には、見るからに強大そうな杭打ち器のような武装が存在し。
突然距離を詰められたラウラに、それを止める手段はない。――彼女自身さえもそう思った瞬間、彼女の左目はある人物を捉えていた。
「教官……!?」
普段あらば、決して気付けない筈だった。だが、擬似ハイパーセンサー・越界の瞳を解放していた彼女は、捉えていたのだ。
管制室から観客席に移動し、教え子の戦いぶりを見届けに来た織斑千冬の姿を。
「!」
そして、ラウラは思い出した。初めて出会った時、彼女に千冬がかけた言葉を。
『ここ最近の成績は振るわないようだが、なに、心配するな。一ヶ月で部隊内最強の地位へと戻れるだろう。
なにせ、私が教えるのだからな』
そう。この左目により運命を変えられた自分を救ってくれたのは、千冬だった。
ならば、その左目を持て余すような無様な真似が出来るはずもない。――その瞬間、ラウラの脳裏から怒りも焦りも消えた。
「教官を――舐めるなあああああああああああああああああああ!」
「!?」
ラウラの叫びとともに、レーザーブレード、ワイヤーブレードが瞬時に全展開してゴウを迎撃する。
そして黄金色のオムニポテンスと、黒色のシュバルツェア・レーゲンが交差し……沈黙したのは、シュバルツェア・レーゲンだった。
気絶したのか、そのままゆっくりと着地して動かなくなる。ほぼ同時に、打鉄同士の激戦にも決着が着く。
残っていた方の打鉄をまとう少女の胸が、大きく揺れる。そしてゴウの視線は、打鉄を纏う少女――篠ノ之箒へと向くのだった。
ブラックラビッ党(及びゴウがお嫌いな方)には不満のたまる展開となりました。
一夏が準々決勝で敗退決定、ラウラの戦いも消え、ラウラはどうなるのでしょうか。……うん、どうしよう。
そして懐中時計を持っている女子生徒。……彼女ですね、うん。