「さて、次はIS基礎理論かな……」
次の相手が更識さん達だと解り、俺とシャルロットは寮に戻っていたのだが。
シャルロットは、何処かに依頼する事があるらしく寮を離れた。残された俺は、部屋で今までの復習に励んでいた。
トーナメント期間中は授業がないから、少しでも勉強しておけ――って千冬姉も言ってたし。
「い、一夏。いいか?」
「あれ、箒か。ああ、いいぞ」
ノックと共にかけられた声に答えてドアを開けると、いつもより緊張した様子の箒がいた。
はて、何で緊張してるんだろうか。トーナメントで、お互いにまだ勝ち残っているから……じゃないよな?
「い、一夏。お前は夕食はまだなのか? そろそろ、夕食の時間だろう」
「ああ、そういえばそうか。箒は、今からなのか?」
「そ、そうだ。そ、その、だな。ど、どう、どうせなら……」
「一緒に食うか?」
「うむ! 二人で食事、というのも悪くはあるまい!! うむ!!」
シャルロットには『時間がかかるから、先に夕食を済ませておいてね』と言われている。
だから、箒と一緒に食べてしまっても問題は無いんだが。
「……やった。三組の噂好きの二人から、情報を仕入れた甲斐があったというものだ!!」
「ん、何か言ったか?」
「な、何でもない。た、大した事ではないから気にするな!!」
「お、おう」
いつもにも増して強い箒の言葉に押し出され、その追求はかき消された。
まあ、いいか。大事な事なら、また言ってくれるだろうし。
「今日は、何を食べるかな……」
「そうだな。今日のお勧めメニューの中に、鱧を使ったものがあったが……」
「篠ノ之……箒!!」
「む? 何か、私に用事か?」
声のした方を向くと、炎のような赤い髪の少女が箒を見ていた。一組にも赤い髪の女子はいるが、彼女達よりも濃い赤。
視線は鋭く、見るというよりはもう、睨むといった方が適切なレベルの強い視線だった。
箒も、そんな視線を押し返すように強い視線を向けている。おいおい、お前の視線は怖いんだから少しは加減を――
「――! い、いや……邪魔をして、すまなかった」
すると濃い赤い髪の少女は、逃げるように去っていった。何なんだろうか? 箒の返した視線に怯えた、って感じじゃない。
どちらかっていうと、何かに気付いて止めた、って感じだ。ところで邪魔、ってどういう意味だろうか?
「誰だ、あれ? 知り合いか?」
「わ、解らん。一組の生徒では無いし、二組との合同授業で見た覚えもないから三組か四組の生徒では無いかと思うのだが……。
戸塚のように、剣道部の生徒でもなかったようだし……いや、待てよ? 確か、何処かで見たような……」
「あれ? そう言われると、俺も見覚えがあるような無いような……」
俺たちが何処かで見覚えがあるというなら、やはり二組の生徒なのだろうか? あの炎のような、特徴的な髪の色から微かに覚えていたのだろうか。
「おう、一夏。お前も今からか?」
将隆が、女子――将隆のタッグ相手である、赤堀さんを伴って現れた。
お、そうだ。あの少女が三組か四組の生徒だとしたら、将隆達なら知っているかもしれないな。
「なあ、将隆。今あっちに出て行った、濃い赤い髪の女子って解らないか?」
「濃い赤い髪……それなら、ニーニョの事かな?」
「そうじゃないかな? さっき、あっちの方に行くのが見えたし」
「ニーニョ?」
「ああ、ニナ・サバラ・ニーニョ。スペインの代表候補生で、この前、シャルルやクラウス達と同時期に三組に転入して来た奴だ。
例の転入生紹介のイベントにも出てたぞ? 覚えていないか?」
「そうだ! 思い出した!!」
「ああ……そうだったか。今思い出した。私達も、そこで彼女を見たのだな」
そうだそうだ。三組に転入してきた、スペインの子だったな。
「まあ、あの時はシャルルやロブ達に皆の視線が集まってたからな。授業でもほとんど会わない、一組のお前らが知らないのも無理はないけど」
「でも、ニーニョさんがどうしたの?」
「いや、実はさっき――箒と彼女の視線が合ったんだけど。妙に強かったし、かと思えばいきなり立ち去ったから気になったんだよ」
「あいつが、か? ……三組じゃ、そんな事無かったぞ」
「うん、見た感じは厳しそうに見えるかもしれないけど、親しみやすい人だよ?。最初は少し冷たいのかと思ってたけど、そうでもなかったし」
将隆や赤堀さんのニーニョさんに対する評価は、それほど悪い物ではなさそうだったが。じゃあ、何でだろう。
「彼女は、箒と戦わなかったのか? 戦ったのなら、その時何か――」
「いや、彼女とは戦ってはいない。――というか、それならば私だって彼女の事を覚えているぞ」
あ、そりゃそうだな。俺の質問が馬鹿だった。
「ニーニョは確か、俺達に負けて敗者復活で出てきたけど。今日、オルコットさん達に負けたみたいだな」
そうだったのか。セシリアと鷹月さんが相手だったんじゃ、しょうがないな。
「一夏、そろそろ人も増えてきたようだ。この話は置いておいて、夕食にしないか?」
そう、だな。そろそろ、他の一年生も来てるし――あ、そうだ。
「なあ将隆、赤堀さん。そっちも一緒にどうだ?」
「な、何ぃ!?」
「悪いが、俺はやめておく。――馬に蹴られたくないんでな」
「私も、邪魔するのは止めておくね」
馬? どこに馬がいるんだ? 髪型がポニーテールの箒ならいるけど。
あと、赤堀さんがさっきのニーニョさん同様に邪魔はしない、と言ったが。何の邪魔なんだろうか?
「そ、そうかそうか。残念だが仕方が無いな! い、一夏、行くぞ!」
「お、おいおい引っ張るな!!」
「ごゆっくり、どうぞ~~」
赤堀さんが手を振っているのが見えた。何故か、物凄くいい笑顔だった。
「ねえねえデュノア君、あと三つ勝てば優勝だけど。もしも優勝したら、何をお願いするの?」
僕は、食堂の横にあるカフェに誘われていた。誘ってきたのは、二組の神月さん、ゴールドマンさん、フォルトナーさん。
『依頼』の帰りに偶然会っただけなんだけど、以前のように強引に誘われてしまった。四人掛けのテーブルに座っているんだけど。
正面のゴールドマンさんは兎も角、右の神月さんと左のフォルトナーさんが物凄く近いような気がする……。
「うーん、今の所は考えていないよ。それどころじゃ、なかったしね」
これは、本当。皆に正体がばれたり、楯無さんに訓練に誘われたり、それに――。
「デュノア君? 何かあったの?」
「う、ううん、何でもないよ」
あの夜の事――父親とのやりとりを思い出してしまい、顔が曇ったのだろう。神月さんが心配そうに僕を見る。
「え、えーーっと。そういえば、神月さんって珍しい名前だよね。神様に、月っていう意味なんだよね?」
以前聞いた話を、話題変えのために使う。……僕にとっても、いい話じゃなかったけど。
「そうね。まあ、神月なんて私の家族と親戚以外には会った事無いけど。――あ、由来は話したっけ?」
「う、ううん。聞いていないけど」
「そう。じつはね、うちのご先祖様は、神様によって月から送られた一族だって伝説があるの。
だから、神月っていう苗字を名乗ったんだ――っていう由来があるのよ」
「……かぐや姫じゃないの、それ?」
フォルトナーさんが、呆れたような表情でツッコミを入れた。かぐや姫って、確か、日本の童話だったっけ?
月から来て、やがて月に帰っていったお姫様の話……だったよね。
「まあね。本当は、何処か海外から移住してきた――ってオチなんだろうけど。
あ。もう一つ、説があって。その昔、私の先祖は神様によって異世界から送り込まれた――神『憑き』だっていう説もあるのよ」
「……それ、ファンタジーゲームのやり過ぎかファンタジー映画の見すぎじゃないの?」
「でも、お婆ちゃんはそのまたお婆ちゃんからそう言われたらしいし。そんなゲームとか無い頃からの話だって――」
「あー、はいはい。そこまでにしておきましょ。それ以上言ってもしょうがないし。ねえ、そう思うでしょ、り……ん」
月と憑き、と紙に書いて神月さんが説明してくれたけど、ゴールドマンさんが呆れたような口調で指摘する。
そして、そんな二人の会話を中断させようとしたフォルトナーさんが、思わずここにいない凰さんを呼んでしまっていた。
そういえば、彼女が中国に帰ったせいだろうか。いつもに比べると、少しだけ元気が無かった。
やっぱり、友人がいなくなると少し調子が狂っちゃうんだろう。
「あーあ、鈴も災難だったわよね。故障か何か知らないけど、そのせいでトーナメントに負けちゃうし、中国に帰らされちゃうし」
「でも鈴だから、きっとまた強くなって帰ってく――」
「あーー! 貴女達、デュノア君を誘ってるじゃないの!!」
そこへ大声を出しながら駆け寄ってきたのは、アルゼンチンの代表候補生のファティマ・チャコンさんだった。
神月さんとゴールドマンさんの間――僕の右斜め前くらいに、椅子を持ってきて座ると。
「もう、私をのけ者にするなんてずるいわよ。憎しみのパワーでジャマー化するわよ?」
「……ファティマ。デュノア君には、今二組で話題になっている漫画のネタは解らないと思うわよ」
おどけた様子で、両手を振り上げて襲いかかるようなポーズになったチャコンさんに、ゴールドマンさんが冷静にツッコミを入れた。
ま、漫画のネタだったんだ。でも『じゃまーか』って何だろう? じゃまー、じゃまー……ジャマー? ……妨害、って事かな?
よく意味が解らなかったけど、日本の漫画なのかな?
「ごめんごめん、エリスは漫画とかアニメとか嫌いだもんね。まあ、憎しみのパワーって言うのはないわよね。だいたいそういうのって――」
「別に、憎しみの力でも良いんじゃないの?」
え? おどけた様子のチャコンさんの言葉に割り込んだ、ゴールドマンさんの言葉が、何か冷たい……?
「でも、エリス。憎しみの力で戦うって良くないよ」
「……恵都子?」
「だいたいそういうのって、本人にとって良くない結果になるか。誰かを不幸にしてしまう事になると思うわ」
「そうかしら。憎しみであれ何であれ、力は力よ? ようは、自分が力に溺れなければそれで良いんじゃないの?」
神月さんが真剣な表情で憎しみの力を否定すると、ゴールドマンさんが気のせいか、氷のように冷めた表情で返す。
二人とも、さっきまでとは別人のような表情だった。あ、あれ? 何でこんな、緊迫した空気が生まれているの?
「あー、ほらほら二人とも。シリアスモードはその辺にしておいてよ。せっかくデュノア君と一緒なんだから、さ」
……せっかく。そのチャコンさんの言葉は、せっかくの『男子生徒』と一緒なんだから、というニュアンスだった。
「あ、あれ、デュノア君? 私、何か不味い事言っちゃった?」
「う、ううん、何でもないよ」
それから、かき消せないほど雰囲気が悪くなってしまった為にすぐに解散となった。――そして僕は、気がつけば寮内を歩いていた。
「憎しみ……か」
僕の心の中には、二年前から今日まで、憎しみという感情があまり浮かんでこなくなったような気がする。
それは、お母さんの死への悲しみと。――父に引き取られ、そして命令のままに鍛えられた事への諦観が大きすぎて。
誰かを憎んだりするような隙間が、心の中に無かったからかもしれない。諦観からは、憎しみも芽生えないから。
「デュノア」
「……」
「おい、デュノア」
「……」
「シャルル・デュノア!」
「は、はい!?」
いきなり大声で呼びかけられて振り向くと、そこには寮監である織斑先生がいた。少し、厳しい表情をしている。
「呼びかけても返答が無いとはな。……何かあったか?」
「い、いいえ、なんでもありません」
「……質問を変えよう。お前達が風呂に入った後の一件絡み、か?」
「――いいえ、それじゃありません」
「そうか」
その事絡みじゃない、とは解ってくれたようだけど、厳しい表情は変わらなかった。
その表情を見ているうちに、どんどん溜まった物が隠し通せなくなっていって。
「あの、織斑先生。やっぱり少し、お話を良いですか?」
「……寮長室にでも、行くか?」
「はい」
先生の言葉に、即座に頷いてしまっていた。
……寮長室で、僕はさっきの二組の皆との会話内容を話した。織斑先生は、ただ黙って聞いていてくれたけど。
「なるほど。憎しみで戦う、か。まあ、私にどうこう言えた話題ではないな」
話し終えると 開口一番にそういった。まさか、先生にもそういう経験がある……のかな?
「だがな、私にも一つ言える事がある。――憎しみで戦う者は、決して良い顔をしていないという事だ」
良い、顔?
「笑顔でいても、それは作り笑顔にしかならず。憎しみを露わにした時は、夜叉や般若もかくやといった物になる。
それが、憎しみで戦うという事だ」
ヤシャとかハンニャっていうのはよく解らなかったけど、恐らくはデモン(※悪霊)やディアブル(※悪魔)と同じなんだろう。
教会に行った時に見せられた、醜くも恐ろしかったあれらと同じ。それが、憎しみで戦うということ……。
「どうすれば、良いんでしょうか?」
「自分でその憎しみの対象と決着をつけるか。……あるいは、それを晴らしてくれるような人間の傍にいること、だな」
どこか、縋ってしまうような口調になったけれど。先生は、表情を変えずに口を開いた。晴らしてくれる、人?
「時として、他人の恨みを洗い流すような特性を持つ人間と出会う事もある。
そういった人間と触れ合っていく中で、自身の恨みが晴れていく――というケースもあるというだけの話だ。
他人任せの上、確実とは言い切れない話だがな」
「そう、なんですか」
「ああ。……もっとも私も、あいつの闇を祓えなかったのだからな」
あいつ、って誰だろうか。そう考えた瞬間、ドイツのあの子の事が頭に浮かぶ。織斑先生を尊敬しているらしい彼女。
初対面で一夏をぶったあの子の心――先生の言葉を借りるなら闇は、先生でもどうにもできなかったのだろうか。
「それにしても、織斑は何処に行った? あいつは、お前をフォローするとか言っていたのだが」
「あ、僕に用事があったから、一夏には先に寮に帰ってもらっています。その後で、二組の皆にカフェ誘われて……」
「なるほどな。夕飯は済ませたのか?」
「さっき、カフェでお茶とお菓子を少しだけ……」
「――とっとと、夕飯を済ませて来い。それだけでは、バランスも悪いからな」
「は、はい」
少しだけ、表情が怖くなった。確かに、栄養バランスというのは大事だ。だからこそ、先生もこう言ったのだろう。
「織斑の奴は、こういうことになると五月蝿いぞ。ほら、もっと野菜を食べないと、だとか。酒の量を控えろ、だとか。小姑並だ」
「それ、僕も今日、食後に部屋で言われました。シャルロット、あのメニューならサラダの方が栄養バランスが良かったんじゃないか、って」
まるで、お母さんみたいだったから少し懐かしくて笑えてしまった。……あれ、どうして織斑先生は驚いた表情をしているんだろう。
「ほう。お前は、教えたのか?」
「教えた?」
「シャルロット、と織斑が言ったのだろう? ――ならば、お前が教えたのだろう?」
そ、そうだった。僕はあくまで『シャルル・デュノア』なんだ。
「は、はい。一夏に、教えました」
「そうか。うっかり、ボロを出さないと良いのだがな」
「ボロを出す?」
どういう意味なんだろう?
「ああ、うっかりしてお前の本名を口に出しはしないか――という意味だ。あいつが、左手を閉じたり開いたりした時は特に注意しろ。
そういう時は、下らんミスをやらかす事が多いからな」
「そうなんですか……」
やっぱり、お姉さんだからなのか。そんな細かい癖も知っていて。そして、優しい表情でそれを言う織斑先生。
そんな先生の、見た事の無い表情に……かすかに、羨ましさを覚えてしまった。
「……」
わたくしは、男性の部屋の前にいた。これが一夏さんの部屋の前であれば、高揚と期待が浮かぶのだけど。
「やあ、ようこそオルコットさん」
「ドイッチさん、こんばんわ。お招きいただき、ありがとうございます」
わたくしが一礼して、ドイッチさんの部屋に入ると。その中には、既にボーデヴィッヒさんがいた。
「さて、今夜は先の一件の仲裁をしよう。それぞれ思うところはあるだろうが、水に流して欲しい。良いかな?」
……? 意外なほど単純明快に、この会談の主目的を明らかにした。単刀直入、といえばそうなのかもしれないけれど。
「私としては、異存は無い。そちらは、どうなのだ?」
わたくしがタイミングを計りかねていると、ボーデヴィッヒさんが先手を取った。ここで頷いては、あちらのペースで終わってしまう。
もしや、ドイッチさんとボーデヴィッヒさんは共謀している……?
「私自身としては賛成ですが。もう一方(ひとかた)――凰鈴音さんがどう考えるのかは、解りかねますわね」
鈴さんをダミーにし、ペースを掴まれるのを防ぐ。……あまり、褒められた手段ではないけれど。
「まあ、中国から帰国した後に考えれば良いだろう。今は、オルコットさんとボーデヴィッヒさんで話を進めても良いんじゃないかな?」
「……ええ。明日、トーナメントで当たる事となりましたが。正々堂々、戦いましょう」
「ああ。……その時が、楽しみだな」
そう。準々決勝において、わたくし達の相手は――眼前のボーデヴィッヒさんと、箒さんに決まっていた。
いずれは当たるとは思っていたけれど、まさかこのタイミングで当たるとは思わなかった。
「……では、Shake handといきましょう」
「……」
わたくしの差し出した手を、儀礼的に握るボーデヴィッヒさん。……力を込めるような小ざかしい真似はしなかったけれど。
ただ、今までのこともそうだけれど、正直な方なのだなと思う。ここで、表面上だけでも取り繕うことができないのだから。
「うんうん、和解の一歩だね。良いことだ」
――! ドイッチさんが、わたくし達の手に上から自分の手を被せる。
包みこむような手は、何処か不快な感触を覚えたけれど。
気のせいか、ボーデヴィッヒさんも僅かに顔を顰めていた。……この方にとっても、ドイッチさんは心許せる者ではない、という事?
「……やはり、奇妙な方ですわね」
オべド・岸空理・カム・ドイッチ。一年四組所属の、第四の男性IS操縦者。欧州連合所属IS「オムニポテンス」を預かる人。
――どうも、その行動は他の男性操縦者の方々とは違っていた。何か、良からぬことを企てているのでは……?
「注意が必要ですわね」
「何が?」
「!?」
独り言に返事が来た。驚きを何とか隠して振り向くと、そこにいたのはクラスメート――岸原さんと四十院さんだった。
「ねえねえセシリア。どうしたの?」
「何か、考え事のようでしたが……?」
「いいえ、英国政府の事ですので。残念ですが、お話しできませんわ」
追及されたくないことだったので、そう言って誤魔化す。――上手い嘘とは、相手にそれを考えさせなくしてしまう事。
こう言われれば、普通の生徒はもう追及をしてこなくなる。
「ふーん。まあ、薮蛇は嫌だからいいけど……ところで、明日ボーデヴィッヒさんや篠ノ之さんと戦うんだよね?」
「ええ。それが何か?」
「こういう質問は失礼かもしれませんが……勝てますか?」
四十院さんが、おずおずとわたくしに尋ねる。確かに、一度鈴さんと二人がかりで押されていたのは事実。
こう質問されても、それは当然だろうけれど。
「わたくしも、今まで遊んでいたわけではありませんわ。確かに強豪でしょうが、最初から負けるつもりはありません」
あえて、自信を込めて言う。当たると分かった後、鷹月さんとそれなりに策は練った。後は明日、それを実行するだけだから。
「……そうなんですか。あの二人、バラバラで戦ってるからタッグトーナメントの意味がないんじゃないかって言われているらしいけど」
「チョロいセシリアだから、あの二人に勝つのもチョロいよね!!」
二人とも、笑顔でそう言った。……お待ちなさい、岸原さん。
「だ、誰がチョロいんですの!?」
「えー、だってセシリア=チョロいはもはや一年生の常識だよ? 織斑君=唐変木と同じで」
「そこまで正直に言うのは、如何な物かと思いますが……」
「わ、わたくしは、チョロくなんてありませんわ~~!」
二人の持つ重大な誤解を解くべく、声を荒げ。そして、織斑先生に「寮内では大声を上げるな」と拳骨をくらってしまった。
……り、理不尽ですわ。
「……」
ラウラ・ボーデヴィッヒは自室でシャワーを浴びていた。同居人のいない彼女は、誰に構うこともなくシャワーを浴びることもできる。
いつもならば、一通り体全体を清潔にし。汚れが落ちるのを確認し、シャワーを終えるはずの彼女だったが。
今日は顔を顰めながら、ある場所を重点的に洗っていた。
「不快、だな」
彼女が思い出したのは、十分ほど前のことだった。ゴウの部屋でセシリアと形だけの和解をし、彼女が去った後。
ラウラは、もう一つの目的を達成すべく部屋に残っていたのだが。
『それで。更識楯無の情報を貰えるのだな?』
『ああ。カコ・アガピからの提供物だ。ロシア国家代表としての情報が多いが、くれぐれも、漏らさないように頼む』
『承知している。情報源の隠蔽は、基礎だからな』
『そうだな。君のような生徒が学園に増えれば、もっと良くなるのになあ』
そう残念そうに言い、データの入った情報媒体をゴウが彼女を渡し。そのおこぼれとして、その小さな手を包んだという顛末だった。
その時の嫌悪感を消すためか、いつもよりも重点的に手首から先を洗っている。
そしてようやく納得できたらしく、視線を手から外すが、その視線が鏡と交わる。
鏡に映っているのは、眼帯を外した彼女の素顔。その右の瞳は赤く。そして、その左の瞳は、黄金のように輝いている。
この左の瞳こそ、彼女と千冬を結ぶ接点となったものだった。
「教官……この瞳をもった私を導いてくださった貴女の為にも。あの紛い物を、必ずや私の手で敗北させてみせます」
『――――――』
一夏と当たると決まったわけでもないが、まるで神に信仰を誓う信者のような詞を吐くラウラ。
その対象である千冬に言われたことが、ふと過ったが。ラウラは、それを無理やり打ち消すのだった。
「……」
一方。更識楯無の情報を渡したゴウは、珍しくも浮かない顔だった。
本来これは、切れない札だった筈だった。万が一『知識』の通りに行けばラウラは一夏達のグループに所属し、更識楯無とも関わる。
故に、ラウラが『こちら』に来るまでは絶対に渡せないカードだったのだが、ゴウはそれを切った。
既にクラス対抗戦のデータを一部渡しているとはいえ、今回のそれはまた違った意味を持つ。間違えれば、ゴウにとって悪手になりかねなかった。
「賭け、だな」
確かに、ラウラは更識楯無の情報を必要としていた。
自国で、部下であるクラリッサ・ハルフォーフにも収集させているがそれも芳しくは無い。
それが、一部とはいえ別口から入ってきた。これが、彼女のゴウへの信用を上げはするだろうが。これが、どう転ぶのかは彼にもわからなかった。
「やむを得ない、か。保険も必要だ」
ゴウは、オムニポテンスを密かに起動させ個人秘匿回線を使用する。その、相手は――。
「む? プライベート・チャネルだと?」
私が就寝しようとしたその時。右脚部で待機状態になっていたシュヴァルツェア・レーゲンに、連絡が入った。
思い当たる節は、クラリッサ・ハルフォーフ辺りだろうか。
ドイツ軍のIS配備特殊部隊『シュヴァルツェ・ハーゼ』の副隊長で階級は大尉、私の副官に当たる人物であり専用機も保有している。
以前に収集するように命令していた、更識家の情報が集まった――等の用件で、私に通信してきたのか?
だが奴の専用機、シュバルツェア・ツヴァイクならば特定の音声(※部隊内でのみ通じる合図)通知が出る筈だが……?
『ボーデヴィッヒ。どうした? 返事をしろ』
「――! ら、ラウラ・ボーデヴィッヒです!」
き、教官!? な、何故教官が……? そ、それよりも早く出なければ!!
「も、申し訳ありません、教官! 返事が遅れてしまいました!!」
Sound onlyと表示された立体ディスプレイが出現し、私はそれに向けて謝罪する。な、なんというミスをしてしまったのだ……!
『まあいい。……さて。お前の一回戦から今までの戦いを見たが……まあ、順当な戦いぶりだな』
「ありがとうございます」
……一回戦での失望は、もう解けたのだろうか。だがそんな事を聞くわけにも行かず、私は敬礼をする。
『さて。お前の次の相手は、オルコットのいるペアだな。そして次も、ドイッチとなるだろう。
そして決勝が織斑・デュノアか安芸野辺りとなるだろう。残りの戦いは、専用機持ちになる事は確定していると言っていい』
「はい、そのとおりでしょう」
そう。決勝の相手が、織斑一夏だ。奴がそれまでの試合で負けなければ、という前提付きだが。
「それで、お話とは何でしょうか?」
『ああ実はな……。お前が優勝したら、だが。……お前の要望、考えてやらんでもないという事だ』
「……え?」
今、何と?
『ドイツに戻る事も、考えんではないという事だ』
「ほ、本当ですか!?」
以前話を持ちかけたときは、相手にされなかった。そして今回のトーナメントでは『優勝者の望みをかなえる』と言われたが。
またその望みも『学園内』に限定される以上、ドイツに戻る事は無いだろうと考えていた……のだが。
『ああ。条件は二つ。今言った、お前が大会に優勝する事。もう一つは、お前が勝つまでは誰にも秘密だと言う事だ』
「極秘情報ということですね……! 了解しました!」
『用件は以上だ。健闘を祈るぞ』
「はい!」
緩みそうになる顔を押さえ、私は、通信を切った。……それが、限界だった。
「やった……やったぞ!!」
私は、珍しくも歓喜に包まれていた。今まで薄ぼんやりとしか見えていなかった希望が、はっきりと形になったのだ。
これが『天国に昇るような喜び』と言う奴なのかもしれない。それを、生まれて初めて実感する。
「ふふふ……見ていろ、残る者ども……もはや私に敵など無い!」
誰であれ、私の敵ではない。……ふふふ。
「そういえば……今の通信は、暮桜からだったのだろうか?」
ふと気になり、レーゲンに残されたログを見るが。そこにあったのは『打鉄』の文字だった。教員用のISを使ったという事か。
教官が第一回モンド・グロッソで共に栄誉を勝ち取った機体・暮桜。今の所在は不明だが……。
しかし、プライベートチャネルを打鉄で使う……か。秘匿性を重視した故の選択だろうが、何か引っかかるが。
「まあいい、暮桜からだろうと打鉄からだろうと何の問題も無い」
重要なのは、通信の内容と真偽だ。そして私が間違える筈も無い、あれは間違いなく教官の声だった。
「……」
通信を終え、ラウラと話していた相手は安堵の息をついた。ボイスチェンジャーに異常があるはずは無い。
だが、自身の演技如何によっては偽装を見破られる可能性もあった。それを乗り越えた為の安堵だったのだ。
「……」
元々本意ではない一件だった。協力者からの依頼で、尚且つ自らの権限で可能だったからこそ行った行為。
『主』に話がいけば、決してGOサインは出ないであろう一件だった。だからこそ、協力者も話を回したのだろうが。
「やれやれ。まったく、我侭な子供に付き合うのも苦労するな」
白いIS――クラス対抗戦の、そして学年別トーナメント一日目の乱入者の一人、ティタンは疲れた様子でそう呟いた。
そして、自らのISを解除するとその生身の姿が露わになる。――それは、長い黒髪を三つ編みにした冷たい表情の女性だった。
グラビアモデルのようなスタイルの持ち主だが、それとはそぐわない、うねる蛇のような文様のついた黒い鎧が肩から胸を覆っている。
それ以外は手首から足の先まで、純白のローブのような衣を纏い、通常のISスーツのような物は存在していない。
そしてその瞳はラウラ同様に色が異なり、右は黒眼。そして左は通常ならば白い部分が黒く、中央部分は銀色という異様な瞳だった。
同じ文様が、その鎧の中央部――ちょうど、胸の谷間辺り――にも一つ、ついていたが。
その関連を知るのは、ティタンの『主』ただ一人であった。
「……」
ゴウに連れられ、整備室に来た簪はゴウから『プレゼント』を受け取っていた。
日本代表候補生である彼女が、欧州連合所属のISを預かるゴウからの手助けには厄介事が多いと予想していたのだが。
ゴウは、すべての問題をクリアしていた。そして彼は別の用事で去っていき、後には簪だけが残された。
そしてそれを見越したかのように、日本政府のほうから通信が入ったのだ。
「え……明日の試合の結果次第で、ですか……!?」
『はい。打鉄弐式をあなたから取り上げることにもなるかもしれません』
「……!」
『落ち着いてください。我々としても、それは望むべき結末ではありません。そしてその回避の為には、結果を残さねばなりません。
――明日の準々決勝。織斑一夏とシャルル・デュノアに勝てれば、そういった話も消えるでしょう』
「お、織斑君、達に?」
『唯一の専用機のみというペアに、相方は訓練機という状況であれば。上層部の見方も変わると考えられます』
「わ、解りました。か、彼らに勝てれば、良いんですね?」
『ええ、そうです。では、幸運を祈ります』
それが、代表候補生管理官からの連絡だった。そっけない言葉に込められた、絶対に許容できない事態。
それを避けるためには、勝つしかない。そして、勝つために必要な力こそが、ゴウから貸し与えられた力だった。
それを見ると同時に、先ほどのゴウとの会話も思い出される。
『それにしても。君の姉は、こうなっても妹を助けないのかな?』
その言葉を吐かれたのは、ゴウの『贈り物』が彼から渡された直後だった。
『え?』
姉。自身にとってのタブーに、土足で踏み込んだゴウに簪の心が揺れ動く。ゴウ自身は簪を見ずに、独り言のような口調で言っているが。
言われた本人は、直接言われたのと同じだった。
『こうなったのならば、姉妹云々は関係なしに力を貸しても文句は出ないだろう。
……それとも、もしかして彼女はこう思っているんだろうかな?
[私は自分だけで何でもできるから、簪ちゃんは無能なままでいれば良い]なんて……」
『!?』
その、あまりに無情な言葉に簪は震えた。
何故、ゴウが『簪ちゃん』という呼び方を知っていたのか、という疑問さえ浮かんでこなかった。
『貴女は、無能なままでいなさいな』
そう、姉の声で脳内再現された。勿論そんな事を思っているとは考えていないし、百歩譲って考えていたとしても言うタイプではない。
しかし、簪の脳裏には、まるでそれを直接言われたかのような衝撃が走っていた。
「あの人に対して……私は、何も出来ていない。……何も、出来ない」
「それは、違うわよ。――半分だけ」
「……え?」
「確かに今は、まだ何も出来ていないのかもしれない。だけど『これからも』何も出来ないなんて決まっていないわ」
「でも、あの人は何でも出来る。私の世話を、片手間に出来るくらいには。……ほとんど完璧、だと思う」
「……でもね。前に生徒会室で、こんな事を言われた事があるのよ。
『私、そんなに完璧じゃないわよ? ……だって、簪ちゃんとの仲は、自力で修正できてないもの。
貴方にも、虚ちゃんにも本音ちゃんにも迷惑をかけてるしね』って」
香奈枝と、以前にそんな会話を交わしたこともあったのに。その時の簪には、それを思い出すことさえできなかったのだった。
「それにしても、これが、力なの?」
現在、ゴウが『所用』で場を外し、整備室に簪だけが残されていた。そしてその目の前には、赤い、丸まった物体がある。
近い物をあげるとすれば、丸まった状態のアルマジロだろうが。それに触れると、システムが起動を始め。
「コードネーム、レッドキャップ……?」
名前が空間ディスプレイに表示されたが、アニメを好む彼女は、その名前に聞き覚えがあった。
ブリテン島・スコットランドとイングランドの国境付近に出没する妖精で、斧を持つ好戦的な性質を持っている。
人間を襲い、その返り血でその帽子を赤く染める事から、レッドキャップと言われるのだが。
「赤い頭部装甲から取っただけ、なのかな?」
映し出された、装備した場合の立体映像には、ISに追加装備される赤い装甲やスラスターが映し出されていた。
円や球形を基本とし、長大な銃器を持つそれは、遠距離重視の打鉄弐式とも戦術的には合致している。
だがその赤い色は、白や青を基調とする機体色の今の打鉄弐式には、どちらかと言えばそぐわない色。
「……ドイッチ君は、仕様許諾状態で良いって言ってたけど」
仕様許諾とはあくまで貸す方が実行する事であり、借りる方は、それを持つなり纏うなりすれば本来の能力を発揮する。
つまり、打鉄弐式と簪には『何もする事が無い』のだ。
「レッドキャップ……力を、貸して」
その言葉と共に、レッドキャップの装甲が分かたれ、打鉄弐式に装着されていった。
正確に言うと、装甲と装甲の間を細いワイヤーのような物が繋いでいる。それは、打鉄弐式に纏わり付き。
まるで、機体を拘束するかのように絡み付いていった。
「これで……大丈夫、なの?」
簪は立体ディスプレイを展開するが、それには『同調終了まであと一分』とあった。
ただの仕様許諾とは違いやや時間がかかるようだが、元々、打鉄弐式用に作られているわけでもないレッドキャップである。
それが完全に一体化するには、一分という時間は短すぎるとさえ言えた。
「……いくよ、打鉄弐式」
同調が終わり、試験飛行へと入った。PICにより機体が浮き上がり、そしてスラスターを点火すると――。
「っ!?」
信じられないほどの、加速力が出た。瞬時加速には劣るものの、高速機動としては十分なレベルの加速力。
「つ、次は機動性……!」
やや興奮した簪は、空中機動を開始した。方向転換時の迅速さ、連続方向転換時のスラスター操作バランス。
更には、機動の緩急のやり易さ。それら全てが、今までとは違っていた。
「凄い……今までとは、まるで違う!」
簪は、まるで酔っているようだった。――否、酔っていたのだ。与えられた力の、大きさに。
「あははははははっ……あははははははははははははははははははっ!!」
簪は笑った。彼女にとっては生まれて初めてだったのかもしれない。こんなに、大っぴらに――そして、邪悪に笑ったのは。
「勝てる……! この力があれば、勝てる!!」
簪の笑い声とともに夜の空を舞う、打鉄弐式。それを見ていたのは、ゴウと――もう一人。
「どうやら、予想通り――いや、それ以上に舞い上がっているようだな」
「ああ、お誂え向きだ。せいぜい、踊ってもらおう。シャル達に、アレが何処まで通じるのかを見極める為にもな」
嘲笑する二人。それらの視線を受けながら、操り人形と化した事もわからない少女は、空に舞っていた。