「――やあ、ボーデヴィッヒさん。どうだったかな?」
「貴様か……」
織斑教官が責任者である寮に帰還した私の前に現れたのは――私に、いくつかの情報を与えた男だった。
「情報に、間違いは無かっただろう?」
「ああ、確かにな」
オベド・岸空理・カム・ドイッチ。欧州連合所属の、男性IS操縦者だった。
――この男が私に接触してきたのは、一時間ほど前だった。特殊訓練室での訓練を終えた私の前に現れたこの男。
何の用事かと思えば、思いがけない案を提出してきた。
『英国・中国代表候補生との和解だと?』
『ああ。こちらとしては、その仲介を担いたいのだが』
『はっ、馬鹿馬鹿しい。何故私が、あのような弱者と慣れ合う必要がある』
『英国政府と中国政府が動いている、といってもかい?』
『!?』
『伝統的に諜報活動を重視し、その実績のある英国。長期的視野と目的への継続力を併せ持つ中国。
双方が手を組んだ場合、ドイツ政府や君、更には織斑先生にまで危害が及ぶ可能性がある。それを危惧しているんだよ』
な、何だと? ……待て。こいつの言っている事が真実であるとは限らない。
この程度の事で、中国と英国の両政府が手を組むとは考えづらい。
『だが、お前の言うとおりだとは限るまい?』
『その通りだね。――だが、ゼロではないだろう? たとえば、今度のトーナメントで君が優勝した場合。
シュヴァルツェア・レーゲンの性能を危惧した、イグニッション・プランの対抗馬である英国が手を結びたがるかもしれない』
『む……』
その可能性は、否定は出来ない。私と代表候補生との一件で動く事は無いだろうが。
そういった理由ならば、考えられないわけではない。――立場が逆ならば、ドイツ政府もそういう風に動く可能性があるのだから。
『まあ、本当に和解する必要は無いさ。いきなり和解、といってもあちらも戸惑うだろう。ようは――』
『……仲介の場に赴く形だけはとってくれ、という事か?』
『その通り』
……なるほど、筋は通っているな。――だが。
『それだけでは、こちらへのメリットが薄いな。可能性の排除だけでは、な』
言われるがまま、意見を丸呑みする気は無い。さて、こう言われればどう出る?
『ふむ……。では、織斑先生のドイツ帰還を後押ししよう……と言えば満足かな?』
『何……?』
その言葉は、確かに私にとって最大のメリットだ。――だが、果たしてそれが目の前の男にとって実現可能な事柄なのか?
『俺の所属する欧州の大財閥、カコ・アガピはIS委員会などへの影響力拡大も行なっている。
その一環として「ブリュンヒルデ」の扱いの是非を日本政府に勧告するように働きかける、のも不可能とは言えなくなるさ』
『ほう……』
確かに、IS委員会を経由すればこの学園を運営する日本政府にも『合法的に』働きかけられる。
私はよく知らないが、少し前にもこの学園でなにやら事件があったようだ。……よし。言葉の真贋は見極めさせてもらうが……。
『良かろう。貴様の提案に、乗ってやろうではないか』
『交渉成立、だね』
手を差し出してきた為、儀礼的にその手を握る。その手は硬く、鍛えられた手だったが――。
何故か、爬虫類の表皮にでも触れたような錯覚を覚えた。
『では、おまけとして君が嫌う彼の情報を教えてあげよう。実は今――』
この男の言うとおり、織斑一夏が更識楯無の訓練を受けているのは本当だった。
……そこに織斑教官がやってきたのは、完全に想定外だったが。
「アレは、ロシア政府があの男に近づこうとしているという事か?」
「あるいは日本政府、かもしれないがね」
……どちらにせよ、私が全く掴んでいない情報だった。確かにこの男との繋がり、有益だと言えるだろう。――今は、な。
「お前の情報は、正確ではあるようだな。――それだけは、認識してやろう」
「それでも充分さ」
私の言葉に対して笑顔を向けるドイッチだが、その笑顔は決して信用してはならない笑顔だった。……やはり、何か裏があるか。
私があの男と別れて歩き出すと、角を曲がった所で意外な人物に遭遇した。
そこにいたのは日本の代表候補生・更識簪と、そのタッグを組む相手――マルグリット・ドレ、ドイツ出身の女子生徒だった。
「ほう。別に狙っていたわけではないが、ここで出会うとは……な」
「!」
「さ、更識、さん? ど、どうした、の?」
「……な、何の、用事?」
警戒をあらわにして、私へ話しかけてくる更識簪。まるで、怯える鼠だな。
「別に用事というわけではない。偶然の遭遇だ」
「……」
「だが、ちょうど良い。ここならば邪魔も入らないようだし、以前の続きをするか?」
一歩踏み出す。私の攻撃が届く距離まで、あと三歩……いや、二歩か。
「……」
だが、相手もまた一歩下がる。冷静に間合いを見極めた、か。少しは評価を上げるとしよう。
「あ、あの更識さん、ボーデヴィッヒさん、な、何を、しているの?」
と、ドレが邪魔するように立ちはだかる。……面倒だな。ドイツ人であるなら、政府から『干渉』もしやすい。いっそ……。
「下がっていて。危ないから」
と、今度は更識簪が前に出る。間合いに入ってきたか、ならば……。
「ま、待ってボーデヴィッヒさん! も、もしも何かする気なら、お、織斑先生に言いつけちゃうよ!!」
ドレが、この学園の生徒に配られる端末をかざす。私は使用していないが、使用方法は一応熟知しているそれに表示された画面。
そこには『緊急用救助プログラム』が起動待機状態になっていた。指は画面に添えられ、起動しようとすれば一秒もかからないだろう。
これは、他の教員・生徒に一斉救援を送信するプログラムであり、何かをすれば学園に訴える――。そういう事か。
ちなみにこれは、本日から配信が開始されたプログラムであるらしいが……。その理由は……。
「ちっ」
私がドレに飛びかかろうとしているのを察したのか、更識簪が、奴を庇うような位置に移動した。
「……これでは駄目、か」
更識簪の能力は完全に明らかではないが、私には劣る。けっして、生身の戦闘で負ける筈は無い。
――だが、ドレがプログラムを起動させる程度の時間は稼がれてしまうだろう。それでは、私の戦術的敗北だ。さて、どうしたものか。
「……やれやれ。君は、更識さんとも問題をおこす気かい?」
「ご、ゴウ君!?」
気がつけば、二色の髪の男――ドイッチが、再び私の後ろに来ていた。……当然、気付いてはいたが。
「ドイッチか。何故戻ってきた?」
「少し、話しておかなければならない事があったからだが――取り込み中のようだね。また今度にしようか?」
「別に、そういう事じゃない……」
と、更識簪が相手を伴って逃げ去る。追いかけようと思わなくも無かったが、やってきた男も気になる以上は放置するか。
「それで、話しておかなければならない事とは何だ?」
「ああ、このメモリーディスクを渡す事だよ。――君や俺が来る前に起こった『ある出来事』についてのデータだ」
何? ……まさか、クラス対抗戦の事か?
「何故、それを私に渡すのだ?」
「友好の証、だよ。じゃあ、俺はこれで今度こそ失礼する。――待たせている人がいるのでね」
そう言いながら手を振ると、男は去っていく。
あの男が、何を考えているかなど知らん。――だが、私もお前を利用させてもらうぞ。
「遅かったな。お楽しみだったか?」
「……ケントルムか」
ゴウの部屋では、この学園に巣くう『虫』の一人――クラス対抗戦の二人目の乱入者、ケントルムが待っていた。
にやりと笑うケントルムに対し、ゴウは苦笑いを漏らす。
「楽しみと、そうでない事が両方だな」
「そうでない事……? あの男か?」
「ああ、織斑一夏と接触した。俺は『殺す覚悟』があるのかどうかを聞いただけだがね」
「何故今、そんな事を聞くんだ?」
「学年別トーナメントは、予定通りなら『アレ』が発動する。――だが、予想外のトラブルという物は何処でもある物さ」
「……おい。まさか」
ケントルムに対し、今度はゴウがにやりと笑う。――その笑みは、自らの優位を確信した笑み。
「ああ。さっき、連絡があった。どうやら『乱入者』をこちらで仕立て上げる気らしいぞ」
「で、誰が来るかは聞いたのか?」
「ああ、それが――」
ゴウの言葉を聞いたケントルムの表情が一変する。そこにあるのは――驚きと、愉悦だった。
「面白くなりそうだな。……それで、織斑一夏にそんな事を聞いたのか」
「ああ、そうだな」
同じ愉悦を浮かべるゴウとケントルムだが、その内面は少々異なる。
ゴウは『自分の気に入らない面々が苦悩するであろう事』を楽しみとしているのに対し。ケントルムは……。
「更識簪と、ラウラ・ボーデヴィッヒが? ……そんな『展開』だったか?」
「いや、予定外だな。だが、大した流れじゃない。――まあ、原因は織斑千冬絡みだろうがな」
ちなみにこの時、更識楯無とラウラの戦いについては二人ともまだ知らないままだった。
これに関わった四者が全て沈黙を守り、周囲にもまだ漏れていない為だが。
「で、あのドイツの銀髪はどうするつもりだ? いや、正確には仕込まれている可能性の高い『アレ』はどうする気だ?」
「出来うる限り、織斑一夏が潰す前に干渉したいところだがな。
タッグ編成の段取りが俺達の『知識』と異なっていたにも拘らず、あの掃除道具がラウラと組んだ。なら――」
「予定通り、織斑一夏達との戦いで発動する可能性が高い、と?」
「ああ。組み合わせの抽選は『知識』の通りのようだがな」
抽選は、当日までわからないということだった。これも、ゴウやケントルムの持つ『知識』と同じである。
「こちらとしては、VTシステムごとかっぱらうつもりのようだが。――あの変貌も、何かの役に立つかもしれない」
「しかし、確かあの後始末の時に『天災』が絡んでくるんじゃなかったか?」
「ああ。まあ、それは俺達がどうこう出来ない。あちらに任せるさ。
それと――その時に見せてもらおうかじゃないか。織斑一夏の覚悟、というものをな」
「……覚悟、か。今までのあの男を見たところ、自分では持っている、と思っているだろうがな」
クラス対抗戦の際に一夏と戦った経験を持つケントルムは、その時の相手の言動を思い出していた。……そして、別の時も。
「思っているだけ、だな。――シャルが『ラタトゥイユ』を食べていた理由さえも解らない奴では得る事など出来ないさ」
「ラタトゥイユ? 何だそれは?」
「まあ、些細な事だ」
フランスでは軍隊などでも出される料理、ラタトゥイユ。フランス育ちであるゴウには、なじみのある料理であり。
そして最近になり、密かにデュノア社に潜むスパイから情報を受け取った彼は『シャルルにとっての意味』も理解できていた。
「じゃあ、射撃訓練でもしようかしら?」
ある日の訓練開始前。制服姿の楯無さんは、道場の前でそんな事を言い出した。……え?
「あの。身体を動かすだけ、じゃなかったんですか?」
「うん、最初はそのつもりだったけど。一夏君、結構成長が早くてびっくりなの。だから、ね」
扇子には『嬉しい誤算』と書かれてあった。そうなんだろうか?
「でも、射撃訓練をしても俺の白式には射撃武装が――」
「うん。でも、パートナーから使用許諾(アンロック)を貰って使う事は出来るわよね?」
「あ」
『今度のタッグトーナメントの相手が決まった場合、試合開始前に使用許諾を貰うのを忘れるなよ?』
そうだった。以前、千冬姉にも言われてたんだ。……あっちゃあ、すっかり忘れてたぜ。
「じゃあ、これはモデルガンだけど……使えるかな?」
「少しだけなら、まあ」
「OK。じゃあ、それで私を撃ってみて」
「え? な、何を言い出すんですか! モデルガンを人に向けて撃ったら、いけないでしょう!?」
「うん。でも私――本人が良いって言ってるから良いのよ」
そ、それはそうかもしれませんが……。
「でも、楯無さん。幾らなんでも、危ないんじゃないですか? あ、防具を付ければ――」
「私は、防具なんて要らないわよ? 一夏君の射撃くらい、軽く避けられるから♪」
……む。何か、舐められてる気がする。縁日の射撃なら、まあまあ得意だったんだが……って、関係ないか。
「んー。何か乗り気じゃなさそうねー。射撃は嫌?」
「いや、射撃訓練は必要だと思いますけど。だからって……」
「それじゃあ、一発当たるごとに私が一枚服を脱ぐ、っていうのはどう?」
「ぶっ!?」
な、何を言い出すんですか貴女は!?
「ちなみに、靴下を一枚づつ、ネクタイもカウントするなら……12回で全裸ね」
説明しなくて良いです!!
「あ、あの先輩。そ、それは幾らなんでも、別の意味で危ないと思います……」
そうだなシャルル! もっと言ってくれ!!
「そうねえ。じゃあ、私が当たっちゃった所を一夏君に触れさせる……っていうのはどう?」
当たった所を、触れさせる? ああ、それならまだマシ……。
「たとえば、ここに当たったら……一夏君は、私のここに触れていいのよ?」
扇子で、自分の胸の上……心臓辺りを指す楯無さん。え? ええええええ!?
「触れてみたく、ない?」
「おわああああっ!?」
瞬時に俺の横に回った楯無さんが、耳元で息を吹きかける。……何かゾクッとするものを覚え、慌てて距離をとった。
「……あの、先輩。別に、普通に射撃訓練をすれば良いだけじゃないですか?」
そうだなシャルル! もっと言ってく……れ?
「何かシャルル、怒ってないか?」
「別に? どうして一夏はそう思うのかな?」
いや、だって目が笑ってないし。楯無さんのことも『先輩』って呼んでるし?
「じゃあ、何も無しという事で。――はい、撃ってみなさい」
一番の原因は、俺とシャルルを全くスルーしてモデルガンを渡してきた。……ああ、もう! こうなったら、やってやるさ!
「ふふふ、そんなに気負わなくても大丈夫よ。当たりっこないから」
『問題無し』と書かれた扇子を広げる楯無さん。……我ながら、子供っぽいとは解っているんだが。
ここまで挑発されたからには、絶対に当ててやるという気にもなる。
「俺も、頭とかは狙わないつもりですけど。……怪我しても責任とれませんよ?」
「OK。じゃあ――いきましょうか」
「じゃあ、ルールは今言った通り。エリアはこのネットフェンス内ね。モデルガンのマガジンが尽きるか、私が当てられたらそこで終了。
あと、エリアの外に足が出たら私の反則負けって事でいいわ」
俺達は、意外な場所――テニス部のコートに移動してきた。ライトがつけられているため、暗くはない。
今はテニスネットも無く、ネットフェンスで囲まれた8面のコートのある場所はだだっ広く感じる。……まあ、ここに来たのは初めてだけど。
「そのモデルガンの弾は特殊な合成弾だから、ばら撒いても後始末は心配しなくて良いわよ。……何か質問はある?」
「……えっと。何でここでなんですか?」
「ある程度の広さが確保できる屋外、っていうのがここだったの。まあ、ちょっと地面が硬いけどね」
「繰り返しになるけど、怪我をしても責任とれませんよ?」
「うん、こっちも繰り返しになるけど、当たりっこないから大丈夫」
『勝利確定』と書かれた扇子を広げる楯無さん。……こうなったら、意地でも当ててやる。そう思った。
「……そこ!」
まず、楯無さんの脚を狙った。勿論、これ一発で当たるとは思っていない。
「ふむ、一発目はここね」
――そして右に避ける楯無さん。その進行方向に向けて、俺も二発目を打つ。それを楯無さんが避ける。そして俺が撃つ。
それを繰り返し――。
「やーん、誘導されちゃった~」
エリアの右端……もう右には避けられない場所に追い込む。このやり方は、よく俺がセシリアにやられるやり方だ。
ブルーティアーズの子機で誘導され、集中攻撃やスターライトMarkⅢで一撃をくらうのがパターンだが。……今度は俺が撃つ番だ!
「いまだ!!」
今まで単発で撃っていたモデルガンを、連射モードに切り替えて撃つ。……これなら!!
「!?」
だが。まるで闇夜の中に溶けてしまったように、楯無さんが消えた。ど、どうなってるんだ?
「鬼さんこちら、手の鳴る方へ~~って、手は鳴らしてないんだけどね」
童謡を口ずさみ。楯無さんの姿は、いつの間にか俺の前方の――その上にいた。
具体的には……ネットフェンスの上部の鉄骨を片手で持ち、脚をネットフェンスの隙間に挿して立ち、そこから俺達を見下ろしていた。
「そ、そんな避け方が!?」
「あ、ISも使わずにあんなに高くジャンプするなんて……」
「エリアの外に足が出たら負け、だったからね。ネットフェンスもセーフなのよ?」
「く、くそっ!!」
だけど、あそこに捕まっているなら当てやすい筈だ!!
「お、着眼点は良いわね。――でも残念」
「なあっ!?」
まるでアメリカの節足動物ヒーローのように軽々とネットフェンスを持つ場所を変え、移動していく楯無さん。
サーカスに出てくる空中ブランコのパフォーマーのようなその動きは、とてもじゃないが素人には見えなかった。
「くそっ、くそっ!」
何とか当てようと連射するが、まるで当たらない。な、何て人だ。格闘だけじゃなく、こんな事まで……!!
「そろそろ、かな」
と、楯無さんがその手を離して宙に身体を投げ出す。――え?
「一夏、チャンスだよ!! 落ちている途中なら、方向転換は出来ない!!」
「おう!」
シャルルの指摘に反応し、引き金を引く。落下中の楯無さんを狙うその弾は、絶対に命中する――筈だった。
「あ、あれ?」
だが、いくら引き金を引いても弾が出てこない。……こ、これって。
「弾切れは一夏君の負け、だったわね?」
静かに地上に降り立ち、再び『勝利確定』と書かれた扇子を見せる楯無さん。……ここでも、俺の完敗が決定したのだった。
「どうかしら、一夏君の射撃は」
今、一夏はテニスコート横のフェンスに吊るされた的をモデルガンで撃っている。
僕や楯無さんにアドバイスを貰い、とりあえず『撃つ』という感覚に慣れる事を目的にしているらしいけど。
「ほとんど素人だけど、それなりに上手くやっていると思いますよ?」
「うん、そうね。まあ精密射撃とかは、幾らなんでも仕込むには時間が足りないけど。
とりあえず牽制攻撃や弾幕張りを上手くやれる位には、ね。――そうすれば君の負担も、少しは減らせるんじゃない?
白式には銃器は積めないみたいだけど、君から銃器を借りて使う事は出来るんだし」
「そう、ですね」
一夏にとってはきつい話だけれど、それは本当だ。――だから、僕は頷く。
「――ねえ、とても重要な話があるんだけど。良いかしら?」
「……何ですか?」
さっきまでとは声の調子が変わった楯無さんに、僕もやや緊張して反応する。そして――。
「フランスに新婚旅行に行くなら、やっぱりパリなのかしら? それともニースとか南仏がお勧め?」
「……へ?」
真面目な顔をして、そんな事を言われた。……うん、意味が解らないよ。
「な、何で新婚旅行の話になるんですか?」
「そりゃあ、私だって女の子だし。新婚旅行について考えても、おかしくないでしょ?」
そ、それはそうですけど!! 何で今、しかも僕に聞くんですか!?
「それで、どうなのかしら。フランス人の貴女に聞きたいんだけど、何処がお勧め?」
「……そんなのは、解りません」
『何処が新婚旅行でお勧めか』なんて聞いても、誰もが答えられるわけじゃないですか。
「そう。じゃあ、話を変えて。……一夏君とフランスに行きたい、って思わない?」
「え?」
一夏と……?
『綺麗……』
『ああ。それに、風も違う。地中海って、日本の海とはまた違った空気がするんだな』
『そうだね』
『でもな、この海も綺麗だけど』
『?』
『――――――。お前の方が綺麗だぞ』
僕の、本当の名前を呼ぶ一夏。その顔が、だんだん近づいてきて――
「うわああああああああ!?」
な、何を変な想像しているのさ僕!? あ、ありえないでしょあんなの!! 唐変木の一夏だよ!?
女心なんてまるで理解できない一夏が、あんな気障な台詞を吐くなんてありえないでしょ!?
「あら。ひょっとして、惚れちゃった?」
「!?」
僕の顔をじっと見てくる楯無さんの扇子の文字が『恋心』になっている。こ、恋!?
「な、何を言い出すんですか貴女はぁ!?」
「うーん、ただのゴシップ好きかな。薫子ちゃんのが移っちゃったみたいね?」
薫子って……あ、黛先輩のことだ。そういえば先輩達は友達だったんだよね?
「それで、どうなのかな?」
「そ、それは言う必要は無いです!! だ、だいたいプライバシーっていうものがあります!!」
「まあ、それはどうでも良いから置いておくとして」
「どうでも良くはないです!!」
「ふふふ。じゃあ、別の質問をしましょうか」
楯無さんの表情が、今度は獲物を狙う肉食獣みたいになる。……何か嫌な予感。
「一夏君には、正体を知られちゃったわけだけど。どうやって、貴女の正体がばれちゃったのかな?」
「そ、それはその……」
い、言えないよ……。クラウスにシャワールームに乱入されて。裸のまま飛び出したら、一夏がいたなんて……。
「ひょっとして、一夏君が君のシャワー中に間違えてシャワー室に入ってきた、とか?」
「そ、それは、その……ち、違います……」
いや、本当は、半分くらいはそれで正解なんだけど……。クラウスの事は話せないし、そもそも恥ずかしいし……。
「あらそうなの? なら、その辺りを詳しく正確に聞かせて欲しいな~~?」
「ぜ、絶対に言いません!」
がぶり寄ってくる楯無さんから距離を取る。――な、何なのこの人?
「――ふふ、すこしからかい過ぎたかな? でも、二つ目の質問への返答如何では、どうしちゃおうかと思ったわ」
二つ目の質問? ……えっと、確か。
「――たとえ君がどんな事になっても、一夏君をフランスに連れて行かせるわけにはいかないからね。
確認しておきたかったのよ、ごめんね?」
「!」
そう。二つ目の質問。それは『一夏とフランスに行きたいか』という質問だった。ま、まさかこれが本命!?
「で、でも確認って……」
「もしも貴女が、ほんの少しでも一夏君をフランスに連れて行く気があるなら――反応が出てきたでしょうから。その確認よ」
笑顔だけど、何か凄く怖い楯無さんの目。僕は、まるで魔女に睨まれた子供のように動けなくなってしまった。
「最悪の場合、どこかに一生隠れよう……なんていうのも考えた事もあったんです」
気がつけば、いつの間にか楯無さんにそんな事まで話していた。それは、ゴウと話してから一夏達に知られるまでの間。
預かっているリヴァイヴさえ返せば、代表候補生という立場でしかない僕は見逃してはもらえないだろうか。
それこそ、ゴウを頼ってこっそりと退学して。ISなんて関係ない所に逃げようか……なんて、ほんの少しだけ考えた事もあった。
だけど、それはゴウに依存し過ぎている。それに、現実的にこんな甘いアイディアが実現する筈も無い、とすぐに消した考えだった。
「それは甘いわねえ。――貴女が別の組織に所属する、っていうのはデュノア社からすれば問題にしかならないわ」
「……はい」
「それに、単純にIS操縦者としても貴女は『買い』の人材よ。貴女の年で高速切り替えを取得している娘は少ないし。
デュノア社云々は関係なしに、貴女の実力を欲しがる所は多いと思うわ」
「……デュノア社の生まれじゃなくても、ですか」
「まあそもそも、貴女がデュノアの娘じゃなければ高速切り替えなんて仕込まれなかっただろうから、その仮定に意味は無いけれどね」
は、はっきり言うんですね。
「……でもね。一生隠れよう、なんて考えはやめておきなさい。やっぱり故郷っていうのは捨てきれない物なのよ?
私も日本人でロシア代表だからそう思うんだけど。――日本語では『故郷は遠くにありて思う物』って言うんだけどね」
「そういうもの、なんでしょうか」
「それに、政府やデュノア社はどうでもよくても。貴女の生まれ育った町がある場所、知り合いや友達がいる場所……。
それに、お母さんが眠っている場所も、フランスなんでしょう? ――だったら、捨てちゃ駄目よ」
「……!」
僕も、引き取られた最初の頃は故郷やお母さんを思い出して泣く事があった。だけど、時が過ぎるにつれてそんな事もなくなり。
もう、二年前より過去を思い出す事なんて無くなっていたのに――楯無さんの言葉を聞いただけで、思い出してしまう。
ちょっと、涙が出そうになって……楯無さんが、そっとハンカチを差し出してくれた。
それは『K.S』と書かれたハンカチだったけど……。新品みたいに新しいハンカチだった。
「まあ今は、ここを故郷と思って過ごしていなさい。私も生徒会長だし、生徒を守る義務があるからね」
故郷を語る真摯な表情と、僕を安堵させてくれる優しい表情。ふんわりとしたハンカチ。それらに、物凄く心が落ち着くのを感じた。
「はい……ありがとうございます!!」
「ふふ、そう畏まらなくても、伸び伸びと過ごしていたらいいわよ? そうすれば、もっとおっぱいも大きくなるかもしれないし」
「ふへ?」
間の抜けた声を出す僕を、胸を突き出しながら面白そうに先輩が見ていた。……な、な、何を言い出すんですか!?
「だって貴女、フランス人にしては少し胸が小さいような気がするんだけど?」
「こ、これは体格矯正用に男装用スーツを着ているだけで、本当はCカップです!! ……!?」
うわあああああ!? な、何を正直に告白してるのさ僕ってば!?
「あらそう? ちなみに私は――」
う……一つ年上だとはいえ、負けてた。ま、まあ仕方が無いよね。
「ぼ、僕だってすぐに大きくなりますから」
「何が大きくなるんだ?」
「い、い、い、い、一夏ぁぁ!? 何で来るのさ!?」
「酷いなおい。いや、マガジンを使い切ったから交換しにきたんだが」
な、何でこのタイミングで……って、楯無さん!?
「ふふふ」
成功! と強調マークつきで書かれた扇子を広げる先輩を睨みつけるけど、まるで意味が無かった。
ううう……この人、やだよぉ……。
「香奈枝、大丈夫?」
「な、何とか……ね」
篠ノ之さんからの剣道の訓練は、今日もかなりきつかったけど、何とか持ちこたえられた。
肉刺が出来たりしてるけど、体力的には大分成果が出ている――ような気がする。
「さてと、検査室の予約は21:00だったわよね?」
「ええ。パーソナルデータの最新版を取らないといけないからね」
専用機持ちならそんな必要は無いけど、私達一般生徒は試合に臨む前に、パーソナルデータを入力する必要がある。
それは、できるだけ新しい物の方が良いわけで。そして私達は、今日の夜にそれを検査する部屋の予約が取れた。
ふだんならいつでも予約が取れるらしいけど、トーナメントが全員参加になり。とても混雑しているらしかった。
「では、参るとするか」
「ええ」
そして、師事していたから一緒にいた篠ノ之さんと共に。――私達三人は、検査室に向かうのだった。
「変わりなし、かあ」
……調査の結果、私のISランクはBのままだった。……まあ、ランクなんてそう簡単に変わるものじゃないけど。
「じゃあこれ、貴女のデータね。試合をするアリーナが決まったら、そこに整備担当の人がいると思うから渡して頂戴」
「すまないな、宇月。レオーネの方は、もう良いのか?」
「今、あっちの方で取ってもらっている所よ。――あ」
私と篠ノ之さんの視線の先で、ISスーツ姿のフランチェスカが、検査用のスキャンフィールドに立っていた。
そこからリング状のスキャナーが浮き上がり、全身を緑の光が照らしていく。そしてまもなく、データスキャンが終わった。
「お待たせ、二人とも。それじゃあ、寮に戻ろうか」
「ええ。――ありがとうございました」
データ収集を担当していた先生にお礼を言って、検査室を出る。――さて、と。寮に戻ったら、明日の準備をしないとね。
「あ、かなみーとれおっちとしののんだー」
寮の少し前で。いつものように、ゆっくりと歩く本音さんの姿があった。
「どうしたの、こんな時間に?」
「生徒会の用事だよー。お姉ちゃんに呼び出されたのー」
なるほど、ね。
「ところでかなみー、何組頼まれたのー?」
何を、という主語の無い質問だったが。私にも、それが何を指しているのか解った。それは――。
「三組よ。明日から、少し話を聞いてみるつもり。そっちは?」
「七組だよー」
「……専用整備のアドバイス、ねえ。整備に関心が無い人が、情報を得たいのはわかるけど……」
専用整備のアドバイスのお願い。それは、自分がトーナメントに参加する際の、機体整備のアドバイス。
打鉄弐式建造に協力した私や本音さん達にそれを頼む女子がいたのだった。
主に、上級生にコネや繋がりのない一般学生が頼んできたみたいだけど……。何か、またやるべき事が増えているような気がする。
「宇月や布仏は、そんな事も頼まれていたのか?」
「そうだよー。担任の先生とかに聞けば良いのにねー」
「人によりけりじゃないの?」
中々言い出せない女子も、いるんでしょう。
「そういえば香奈枝も知らないみたいだけど、布仏さんはタッグの相手は誰になったの?」
「んー。かんちゃんと組みたかったけど、外れちゃったから、かなりんと組んだよー。れおっちは、かなみーと組んだんだっけー?」
「ええ」
「そうかー。じゃあ、頑張ろうねー。今日は、急がないといけないからこれでさよならー」
急がないと、と言うわりにはそのペースはいつもどおりだった。
いや、普通の人のスピードで走り回る本音さんとか想像できないけど。
「でも香奈枝も災難ね。トーナメントだけじゃなくて、整備方面の事もしないといけないなんて」
私としては、整備方面の方をメインにしたいんだけどね。
「でも、本音さんだってそうだし。他にも、そういう娘はいるはずだしね」
私達の他にも、三組の戸塚さんのような整備コース志望の生徒はいる。私達だけがきついわけじゃないし。
「まあ一回戦で終わっちゃうかもしれないけど、出来る限りの事はやりましょうか!!」
「そうね。私も、自分に出来る事をやるわ」
フランチェスカの妙な自信(?)に溢れた声につられるように、私も拳を握り締める。
……そんな私達を、わずかに羨ましそうに篠ノ之さんが見ていた。
「良いな、宇月とレオーネは。しっかりと、パートナー同士の繋がりが出来ている」
ああ、そうか。彼女の相手は、ボーデヴィッヒさん。……なんとなく、どういう対応をとったのかが予想できる。
だって織斑先生に『私は一人で戦いたい』とか言っていたし。
「そういえば、篠ノ之さん。さっきのアドバイスじゃないけど、貴女の機体設定はどうするの?」
「私は、いつものように剣戟特化だ。やはり私は、剣が性に合っている」
迷いのない一言だった。まあ、予想通りだけど。
「じゃあ私は、少しだけ補助器具を取り除いてもらおうかな? 射撃武器を多く積む予定だけど、香奈枝は?」
「私はノーマル。下手に武装をつんでも、多分使いこなせないし……」
この辺りは、自分の力量と相談だ。そしてこれは、何処の学年も同じようで。
二年生以上になると、今度は武装とスラスターなどのバランスが問題になってくる。
結局、何を拡張領域に入れるかというのは初心者から上級者まで共通の課題のようだった。
「あ、織斑君だ」
「何!?」
「お、三人ともこんばんわ」
フランチェスカの一言で、侍から恋する乙女にチェンジする篠ノ之さん。もっとも、その原因は全く気付いていないけど。
「どうしたんだよ、こんな夜遅くに」
「パーソナルデータを取ってたのよ。貴方こそ、どうしてこんな所にいるの?」
ここから先は、部室棟とか武道場とかの筈。剣道の訓練でもしていたのかしら?
「……。ちょっと野暮用で」
「一夏……何か、隠していないか?」
「そんな事は無いぞ」
篠ノ之さんが、鷹とか鷲のような鋭い目つきになる。……?
「ところで織斑君、白式は機体のセッティング変更とかはしないの?」
「いや、白式はそんな余裕がないみたいで……。武装追加も出来ないしなあ」
フランチェスカの質問に、あっさりとそう答える。そういえば白式は、雪片弐型以外の武装を量子変換できなかったっけ。
でも、スラスターバランスとかあるんだけど……。まあ、貴重な情報として覚えておこう。
「セッティングか……よく解らないよな、俺」
ああ、そういえば白式がクラス代表決定戦の直前に来てからずっと……あれ?
「確か織斑君も一度、打鉄に乗らなかったっけ?」
「ああ、箒と一緒に一度だけ使った事があったな」
あれは、代表決定戦の数日前だっけ? 深夜で、私は協力しなかったからよく覚えていないけど
「そのときは、そういうことは聞かれなかったの?」
「いや、全然? 後から聞いたら、箒は剣戟特化にしてくれ……って頼んでたみたいだけどな」
「……どうなのよ、それ」
まあ、搭乗二回目の人にそんな好みだとかを聞いても無理だろうから仕方は無いか。
――そして、あっという間にトーナメント開催の日が来た。予定なら、もうアリーナで着替えている筈だったけど……。
任意参加のシングルマッチから、強制参加のタッグマッチに変更されたからか。色々とトラブルが出てきて、私達一般生徒も雑務に借り出された。
そして今、その雑務を終えて各アリーナに向かっている。ただ、組み合わせはまだ発表されていない。
試合会場だけが先行して発表され、どのペアと戦うのかはそのアリーナで発表……という事らしい。何か、不安な出だしだ。
「香奈枝、頑張ろうね!!」
「ええ。一回戦くらいは普通の生徒だと良いわね」
「そうね……。専用機のあるペアはやっぱり強いし。オルコットさんとか凰さんとか、安芸野君とか。
ゴウ君とか更識さんとか……それに香奈枝の幼馴染のコンビとかも、専用機を持っているペアだものね」
そうね。私は整備コース志望だけど、やっぱり成績評価というのは気になるし、ね。
「あ! 宇月さんとレオーネさん!!」
声のした先には、同じクラスの相川さんと谷本さんがいた。確かこの二人もペアを組んでいて、私達と同じ第二アリーナの筈……。
「あ、あのね宇月さん、レオーネさん。やっぱり運不運ってあると思うんだ」
「そうそう。だ、だから気を落とさないでね!!」
……一体、何の事だろうか? 気のせいか、同情の視線で見られた気がする。どうしてだろう?
「うわ……」
「神様の馬鹿……」
第二アリーナ入り口。対戦相手の発表された大型電光掲示板にはこうあった。
一回戦第一試合。ラウラ・ボーデヴィッヒ&篠ノ之箒 VS 宇月香奈枝&フランチェスカ・レオーネ。
……一回戦第一試合なのはいいとしよう。でも相手が、ブルー・ティアーズと甲龍を一機で圧倒した専用機。
うん、フランチェスカじゃなくても、神様を呪いたくなるその気持ちは解るわ。そして、さっきの視線と言葉の意味も理解できた。
「ほう、まさかこうなるとは――な」
「あれ、ゴウ君?」
何故か、トーナメント表を凄く意外そうに見ている。どうしてだろう? 確か彼は、ここじゃない筈だけど。
「あーあ、神は死んだわね。もしくは役に立っていないのかしら」
まあ、ニーチェの真似も頷けるわねフランチェスカ。ただし、ニーチェはドイツ人だけど。
「それは違うな。俺にとっては『神』は役立っているよ、レオーネさん。常に正しき者の味方であるのが『神』だ。
もしもそうでないのなら。それは『神』に嫌われているか。あるいは『神』に逆らう悪しき者であるか――だ」
……気のせいか、異常なほどの高揚を込めてゴウ君が言う。彼は欧州出身だから、クリスチャンなんだろうか?
いや勿論、そうだとは限らないけど。隣にいるフランチェスカとか、オルコットさんだってそんな素振りが見えないし。
……それとも神様を悪く言う事は、彼にとっては許せない事なんだろうか?
「まあ、君たちも運が無かったね。――だが、これで全てが終わるわけじゃない。次の機会までに、精進すれば良いさ」
私達を慰めるような口調でそんな事を言うと、ゴウ君は去っていく。周囲の人も、似たような感じの視線を向ける。――でも。
「……まあ、やれるだけやってみましょうか」
「ええ。勿論」
たとえ、勝つ確率が限りなくゼロに近くても。諦める、という選択肢は私には無かった。
いよいよ次回から学年別トーナメント開幕です! ……のっけから原作ブレイクしてますが。
さあて、どうなる事やら(主に作者の執筆速度が)