「……」
自室で、唯一落ち着ける場所――シャワールームで、僕はようやく『偽り』から解き放たれる。
お母さんと同じ色の髪から落ちる雫は、決して誰にも見せられない胸を通り過ぎ、お腹から足へと落ちていった。
汚れや汗は、それで落ちていくけれど。心の中の澱みは、それでは落ちてはくれなかった。
「最低だよね、僕って」
一夏を変な気分にさせたのに、本当のことも喋れない。でもその理由を明かせば一夏も巻き込む事になる。
ゴウは色々と動いてくれているらしいけれど、ただ一点……一夏に喋らないように、と念押ししてきたし。
「どうせこの学園を出る日も、近いのにね」
――僕は、ある任務を言い渡されてこの学園に来た。それは、ばれたらきっとただではすまないほどの事。
そしてその企みは、短期決戦だった。学園側には、僕が……だということは知られているらしいけれど。
その本当の目的がばれる前に、この学園を離れなければならない。――だけど、僕はその任務を果たしていなかった。
いきなりゴウに正体を見抜かれて、そして、貰ったデータを少しだけ『あちら』に送った後は何もしていない。
「何で、こうなったのかな……?」
『あの時』から二年間、灰色の生活……命令されるがままに生きてきた。IS適性が高いと解った後は、ひたすらISの勉強と訓練。
ある程度の技量に達してからは、高速切り替えの取得を強いられてきた。その間、それまでの人間関係は無くなっていって。
以前、デュノア社の研究員が『フォアグラ用の家鴨に餌を詰め込ませてるみたいだ』って言ってたっけ。
「……寒い、なあ」
シャワーを浴びているのに、体が冷たかった。結局僕は、自分の意思とは関係なく変化する状況に流されているままだった。
もう、何もかも喋ってしまいたい。何もかも打ち明けて、後は誰がどうなろうと、知ったことじゃない。
……そんな、破滅的な考えさえ浮かんでくる。でも、それを実行できる勇気さえ湧いてこない。
『騙してたのかよ、俺や将隆達を……』
『最低だな、お前……』
そんな、幻聴が聞こえてきそうで。もしそれを現実に浴びせられたら、もう、耐えられなくなりそうだから。
「宇月さんは埋まらない溝があるって言ったけど。僕と一夏達の場合は、フランスと日本の距離よりも大きな溝なんだろうね……」
それを口にすると、なぜかおかしくなってきた。
何も良い事なんてなくても顔だけは笑顔になれる、それはこの二年で嫌というほど学んだ事だった……。
「む?」
全ての仕事を終えた千冬は、大浴場で思わぬ顔を見かけた。時間によっては他の生徒と一緒に入浴する事もあるが。
この日は殆どの生徒が入り終わり、ただ一人だけ残っていた。スクール水着を纏ったその少女は――。
「ほう、ボーデヴィッヒか。お前が大浴場に来るとは、珍しいな? しかも、こんな遅くまで残っているとはな」
「耐暑訓練の一環として、この場所を選びました。ですが、ここで教官に出会うとは予想外でした」
「そうか。――まあいい、ここで会うのも珍しい。少し、付き合えるか?」
「はい」
言葉の上では素っ気無かったが。共に、やや喜びが混じった声で共に入浴を始めるのだった。
「ふう……」
弟曰く『よく鍛えられているが過肉厚ではないボディライン』が曝け出され、ゆっくりと湯船に沈んでいく。
そしてその意外に大きな膨らみが、柔らかく湯船に浮かぶ。その心地よさか、普段からは想像できないほどの艶やかな息を漏らした。
やや癖のある黒髪も頭の上で纏められており、いつもとは違った雰囲気を醸しだしている。
それらは普通の男性ならば理性を崩壊させるほどの魅力を持っていたが、あいにくと見ていたのは同性のラウラだけだった。
「どうした、ボーデヴィッヒ。私に、話があるんじゃないのか?」
「――!」
「やはり、か。対暑訓練など、風呂に入らずとも出来るからな。大方、そんな所だろうと思っていたが――話してみろ」
「では、幾つか質問をよろしいでしょうか?」
「何だ」
「何故あの男が、教官の技である零落白夜を使えるのですか?」
勿論艶っぽい視線などには関係ないが、自身の真意を見抜かれたことで開き直ったのか、真摯な視線を恩師へと向けるラウラ。
それは、彼女でなくとも気になる話題であったが。
「……それか。残念だが、私にも回答は出来ない。今、倉持技研や学校内のスタッフで調べている所だがな」
「そうなのですか。――では、そもそも何故教官は、あの技の使用を許可しているのですか?」
僅かに唇を噛み、千冬は言葉を濁す。だがラウラもこの回答は予想していたのか、何も動じる事はなかった。
しかし、次の言葉には千冬が一瞬目をむくほどの強い感情を込めていた。
「……質問の意図が理解できんが、どういう事だ?」
「発動自体はどうする事も出来なかったとしても。禁じ手とする事は出来た筈ではないでしょうか?」
「ふむ。可能か不可能か、でいえば確かに可能だっただろうな」
ISの使用する武装やシステムにも当然ルールは存在し、そのルールにより禁じられた武装やシステムもある。
一夏の零落白夜を封じ手とする、というのは決して無理のある話ではないのだが。
「あれは教官のものです。それを――」
「確かに零落白夜は、私と暮桜のワンオフアビリティーだ。それなりに、思いもある」
「ならば何故――何故あの男に使わせているのですか!?」
「理由など無い。私と暮桜がどうであれ、それは織斑と白式には関係ない事だからな」
「ですがっ!! 教官は……何とも思わないのですか? あの男が、あの技を扱うなど……力不足この上ない!!」
「まあ、確かに奴はまだまだ力量不足だろう。だが、ボーデヴィッヒ。
どんな人間でも、最初は弱い物だ。――私の教えを受けるまでのお前が、そうであったように」
「!」
それは、ラウラにとっての急所だった。それを突かざるを得なかった事を恥じつつも、千冬は言葉を続ける。
「――例えば、だが。お前は、私の剣についてどう思う? 零落白夜を抜きにして、だ」
「剣……ですか? 非常に……美しいと思いました。モンド・グロッソ格闘部門での姿は、私の目に焼きついています」
「そうか。あれはな。篠ノ之道場、と言うところで身につけた物だ」
「はい、それはドイツ時代に聞いたので知っていますが……?」
「つまり、あれは篠ノ之家のものだ。私が、その剣を勝手に使っているといえる。勿論、私なりのアレンジを加えてはいるが。
今のお前の言葉は、篠ノ之家が『自分の家の剣術を使わないでくれ』と言っているような物だぞ?」
「し、しかし、零落白夜は教官の生み出したものであり――」
「私は気にしないさ。――逆に聞くが、何故私が気にしていないことをお前が気にするんだ?」
「そ、それは……き、教官の技を未熟者が使えば、恥になるからです!!」
自身でさえ真意とは言い切れない回答だが。――千冬は指摘代わりに、ごく軽く、その頭を小突く。
「さっきも同じような事を言ったが、最初から上手く使える奴などいないさ。――それを学ぶ為の、IS学園だ」
「しかし、こんなぬるま湯の学園では――!!」
「真剣さが足りない、か? だがボーデヴィッヒ。――どうすればISの腕が上達するのか。それは、まだ未知の領域が多い。
それゆえにこの学園では、訓練面に関しては生徒の自主性に任せている部分もある。
現場を知らない輩は、ISの数が足りないだの生徒の数が多すぎるだの、軍事訓練を積ませるべきだの好き勝手を言うがな。
――どうすればISの腕前が上達するかなど、私でさえもほとんど答えきれない物なのだぞ?
唯一解るであろう人物は、その辺りを殆ど明らかにしていないのだからな」
「……!」
それは、以前では口にしなかった言葉だった。ISは、まだ生まれて約十年にしかならず。
どうすれば上達するのか、という部分は個人差が大きかった。モンド・グロッソの部門優勝者でさえ統一項が殆どない。
他のスポーツのトレーニングが多少は通用する部分もあるが、ほとんど別物であり。そして、まだまだ手付かずの部分も多く。
だからこそ、様々な人材をIS学園という場所に集めて『どんな人材が成長するか』を見極めているのだともいえる。
IS学園で得られた技術・情報などは、IS運用協定参加国の共有財産として公開する義務があるのだが。
その中で最も各国が欲し、今なお未知の部分が多いのが『どのような人材が伸びるのか』という点だった。
適性にしてもほとんど法則性は見つけられておらず、中国の料理人の娘と、ドイツの軍人と、日本の中学生が同じ適性を出す有様。
そして、それを知っていそうなISの開発者・篠ノ之束がその点においては殆ど沈黙した為。
世界は、試行錯誤の中でIS操縦者を育てているのが現状であった。
「私としては、お前にもこの学園で少しは『楽しさ』というものを学んで欲しいのだがな」
「楽……しさ?」
『楽しかったの?』
その時ラウラの脳裏に、宇月香奈枝が言った言葉が思い出された。
あの時もやや心がざわめいたが、今度は千冬に言われたためにそれをよりいっそう強く感じている。
「例えば……そうだな、今日の風呂はどうだったんだ?」
「どう……とは?」
「良いものだとは思わないか、という事だ」
「……解りません」
それは、素直に出たラウラの真意だった。ドイツ人の彼女からすればやや熱めの風呂。
対暑訓練になる、というのも完全には嘘ではなかったのだが。それが良いかと言われると、解らなかった。
「そうか。まあ、お前にはまだまだ未知の体験だ。馴染めなくとも無理は無いだろう。だがな」
千冬は、やや表情を緩めた。それを見たラウラの顔に、驚きと――それとは別の感情が表れる。
「私は少なくとも、良い物だと思っている。――お前とも、少しはまともに話が出来たからな」
「……」
「どうした、もう出るのか?」
「はい。――お先に失礼します」
数分後。会話のなくなったラウラが、その身を恩師から離していく。
その動きにはのぼせた様子などはカケラもなく、いつも通りの隙のない身のこなしだった。
「そうか。……もう、いいのか?」
「では最後に……聞いていい物かどうか解りませんでしたが、一つ、いいでしょうか」
珍しくも口ごもるラウラ。――そして、その口から出た言葉は。
「先ほど、本国より届いた情報です。――織斑一夏の事件は、篠ノ之束の手による可能性がある、と。事実なのでしょうか?」
「……解らんな。仮に一夏のケースがそれが原因であるとしても、安芸野やドイッチのケースがある。
教師としては、情けない回答だが……この一件に関しても、お前の納得できるような答えは、私には返せん」
「いいえ、ありがとうございました。――質問を、終わります」
千冬にとって、もっとも触れられて欲しくない場所であった。
その雰囲気を察したのか察しなかったのか、ラウラも引き下がる。そして、師弟の奇妙な入浴は終わりを告げるのだった。
「……乾かすにはやや面倒だな、この髪の毛は」
更衣室で、ラウラが髪の毛を乾かす音が響いていた。その長い銀髪がドライヤーにより乾き、既に汗も消えた白い肌に落ちる。
元々髪の毛の手入れなどには気を回すタイプではなく、不潔にならない程度の手入れしかしていない。
「面倒だな、全く」
そして数分後には乾き終え、入浴用のスクール水着から自らの髪の色とも近い灰色のISスーツに着替え始める。
同年代のドイツ人と比べて女性的なラインはやや未成熟であるが、その超俗的な雰囲気とも合わさり妖精のようにも見えた。
鋭い視線や隙のない身こなしはいつものままだが、もしも人前で笑顔を浮かべれば、注目を集めることは間違いなかった。
「……ふむ、やはりこれは落ち着くな」
ISスーツを纏い終えたラウラは、そうつぶやいた。これが彼女にとっての寝巻き代わりである。
本来ならば裸でも別段気にしない彼女だったが、以前千冬に見つかった際に注意を受けた為にこれを纏っている。
吸湿性や保温性にも優れたこれは、意外と快適でもあるのだった。
「先ほどの教官……あの時と、同じ表情だったな」
その思考は、先ほどの風呂についての話をした時の千冬の表情に向いた。彼女は、その表情を見た事があったが。
『教官。貴女はどうしてそこまで強いのですか? どうすれば、貴女のように強くなれるのですか?』
『――』
それはかつて、ドイツで千冬の教えを受けていた頃。あの事を、初めて知った時の事。――その時と、同じ表情だった。
「やはり、あんな表情は相応しくは無い……!」
歯噛みをし、自らの想いをいっそう固める少女。――だが、その時確かにいたのだ。千冬の言葉を、喜んでいるラウラも。
「宇月、ちょっと付き合ってくれない?」
「……?」
こんな言葉で凰さんに誘われ、私達は彼女の部屋に来た。メンバーは凰さん、篠ノ之さん、オルコットさん。
そして、私だけ。凰さんのルームメイトであるティナ・ハミルトンさんは不在のようだった。
「実はさ、一夏のことなんだけど……どーも、ドイツからの転入生に対する一夏の態度が気になるのよね」
と言って話を始めたけれど。ああ、なるほど。
「織斑君が、ボーデヴィッヒさんに叩かれた事を『納得してる』のが落ちないのね?」
「そう。さっきのボーデヴィッヒの話にも、ほとんど乗ってこなかったしさ」
「……ならば、一夏には何か心当たりがあると言うことか?」
「多分ね」
「……ところで、何で私を呼んだの?」
織斑ガールズではない私には、正直あまり……関わりたくない話なんだけど。
「いや、最初はあたしたち三人だけで良いと思ったけど、冷静な奴がいた方がいいかな、と思って……」
「そこで白羽の矢が刺さったのが宇月なのだ。……頼めないだろうか?」
「……まあ、良いわよ」
用事があれば断る事も出来ただろうけど、あいにくと無かった。
……この三人には美味しいお茶やお菓子をご馳走になったばかりで、断りづらかったというのもあるけれど。
しかしニーニョさんが以前言っていたことじゃないけど、私ってストッパー扱いなのね……。
……ここで断らないから、こういう評価が固まっていくんじゃないかと今更ながらに気付いたけど。
「それにしても、織斑君の事情……ね」
私はある程度聞いてはいるけれど、どこまで話したものだろうか……と思う。
まあ、知っているのはボーデヴィッヒさんの事情であって織斑君側の事情じゃないんだけど。
会長にも『知り過ぎたら危険になる』ってこっそりと、でもはっきりと釘を刺されたし。
「――あの、一つ気になる事があるのですが。よろしいでしょうか?」
「何か知っているのか、セシリア?」
「一夏さんではなく、織斑先生の方なのですけど。このIS学園に教師として赴任する前、ドイツ軍の指導をしていたと聞いた事がありますの」
口火を切ったのは、オルコットさんだった。まあ、確かにその話は私も聞いたけど。
そういえば日本のコーチならともかく、何でドイツだったんだろう?
「じゃあ、ボーデヴィッヒはその時に千冬さんと知り合ったのだな?」
「ええ、恐らくはそうでしょうね」
「しかし、何故千冬さんがドイツに行くのだ? 繋がりが無いではないか」
「あ……そういえば、あたしも思い出したわ」
今度は、凰さんが何かを思いだしたようだった。え、彼女も何か知ってるの?
「前のモンド・グロッソの直後だったかな。千冬さんがいなくなって――。
まあそれは、セシリアが言ったようにドイツに行ったんでしょうけど。その時の一夏、たまに凄く落ち込んだ表情をしてたのよね。
あたしやクラスメートが気にしないように、表面上は普通を装ってたけどね。その時は少し付き合いが悪くなってたわ」
「……ということは、もしかしてですが。……あの方は一夏さんに『教官の名誉を穢した』と言いましたわよね?
もしかすると、モンド・グロッソ第二回決勝の織斑先生の謎の不戦敗……それに絡んでいるのではないでしょうか?」
「じゃあ、一夏が落ち込んでたのも……?」
「そう、だろうな」
私は既に知っていた情報だけど、やっぱりそうなんだろうか。
「……でも、織斑君が先生の不戦敗の理由と絡むってどういう事なのかしら?」
病気でもして、その看病をしたとか? ……でも、いくら何でもそれでモンド・グロッソの決勝戦を棄権なんてありえないような。
「私も思い出した事がある。……少々思い話だが、三人とも聞いてくれるか」
そして、篠ノ之さんも口を開く。……いやな予感が、少しした。
「……私の姉は、篠ノ之束だ。……ISを一人で開発した女だ」
えっと。何が言いたいのかしら?
「そして私が小学校四年の時。重要人物保護プログラムとかいう名目で、私達家族は住みなれた家を離れる事になった。
――それから少しして、私は両親とも別の場所で過ごすことになった」
「ぶっ!!」
いきなり出てきたとんでもない話に、飲んでいたジュースが気管に入った。
しかし、私以外の面々は動じていない。そういうこともありえると、予想していたのだろうか。
「だ、大丈夫ですの宇月さん!?」
「ちょ、ちょっと。……ああ、もう。箒、いくらなんでも宇月にはヘビー過ぎるわよ」
「す、すまん……」
「い、いいのよ、篠ノ之さん……けほっ」
四人でこぼれたジュースや汚れた床を拭いたけど……ああ、びっくりしたわ。
「では本題に戻るが。鈴が言ったように、前回のモンド・グロッソの直後だったか。私に関する監視が異常に厳しくなった。
あの時は理由が解らなかったが……今にして思えば、一夏が誘拐か何かをされた為に、私もそうなる事を恐れたのではないだろうか?」
ゆ、誘拐!?
「な、何でそんな話に……あれ?」
見ると、オルコットさんも凰さんも納得の表情だった。……驚いたのは、私だけらしい。
「仮定の話ですが、一夏さんが誘拐された事が先生の謎の棄権の原因だとするならば……辻褄は合いますわね」
「一夏の落ち込みも、多分それね。もしそうだとするなら、自分のせいで千冬さんがあんな事になっちゃったんだし……。
一夏だったら、絶対に気にするはず。……千冬さんがドイツに行ったのも、その絡みなのかしら?」
「誘拐の代償……とは考えづらい。あるいは、ドイツが一夏の救出に協力したのではないか?」
「まあ、誘拐ではなく何らかの危害を加える、という脅迫の可能性もありますが……」
何この裏の世界の会話。私はなんでこの場にいるんだろう?
「……どうしてこう、私の足元には地雷が出現しちゃうのかしらね」
聞いてはいけない話を聞いてしまった私は、頭痛を堪えながら自室へと向かう。
織斑君の謎を解く筈が、世間では極秘とされているであろう誘拐事件&監視の事実が発覚。
やっぱり、ちゃんと断るべきだったかしら。自業自得なのは解ってるけど、ここまで話が大きくなるとは思わなかったのよ。
せいぜい、織斑先生の弟というポジションが羨ましいボーデヴィッヒさん……って結論になると思ってたのに。
「どうした宇月、廊下に突っ立って」
「ふにゃっ!?」
……変な声が出た。慌てて振り向くと、そこにいたのは織斑先生。
お風呂上りなのか、湯気が漂っている。そのやや癖のある黒髪がしっとりとしていて……やっぱり美人だな、って思わされる。
「どうした、鳩が豆鉄砲でも食らったような顔をして。――何かあったのか?」
「いいえ、何もありませんが?」
表情を平静に戻し、いつもどおりに返答する。これなら、たとえ織斑先生相手にだって――。
「それで、何があった。話せ」
「……はい」
……秘密を隠し通すなんて、最初から無理だった。それが理解できただけだった。
「……宇月」
「はい」
「お前は、自分から底なし沼に泳ぎに行くタイプなのか?」
「全然違いますっ!!」
呆れたような目の織斑先生に、そこだけは否定する。自分でも理解できるくらい無意味なんだけど。
ただ単に、藪を突いたら蛇……どころか予想しなかったような物凄い怪物が出てきただけです。
「まあ、これ以上広まらなければそれでいいだろう。……後で篠ノ之とオルコット、凰にも釘を刺しておくか」
いや、彼女たちが言いふらしたりはしないと思うんですけど?
「じゃあ先生、私はコレで――」
「待て、まだ聞きたい事がある」
何でしょうか? 私に聞きたいことなんて、もう無いと思うんですけど。
「今度の学年別トーナメントについて、くだらん噂が流れているのを知っているか?」
「は、はい」
「そうか。その原因に心当たりはあるか?」
「……いいえ?」
いや、こればっかりは話せない。だって、いくら織斑君のお姉さんだからって、告白した事を言うなんて……。
「ほう、何か知っているようだな。――話せ」
ごめん、篠ノ之さん。無理でした。
「……というわけなんです」
「なるほど、な。あいつが原因だったとは。……ちなみに、言葉はそれで間違っていないか?」
「又聞きですけど、多分。……あの、織斑君は――」
「篠ノ之の真意にはまるで気付いていないだろうな」
人目につかない場所、ということで寮長室に招かれた私は、自分が知っていることを先生に告白した。
それにしても。仮に彼女が優勝できなくても、織斑君は『付き合ってもいいぜ? ……買い物くらい』と笑顔で言いそうだ。
うわあ、見えるわ。そう言って彼女に殴られる彼の姿が。先生も同じ事を考えたのか、溜息をついていた。
「まったくあいつは、昔からそうだが……何故気づかんのだろうな」
眉間に皺を寄せる先生。……あー、そうですよね。織斑君や先生と篠ノ之さんは、昔から知り合いだったんだし。
「まあ、奴らの事はいい。それよりもお前、例の話はどうするつもりだ?」
「例の話?」
え、何かありましたっけ?
「倉持技研の話だ。……他人の事に構うのも良いが、自分の事も考えろ」
「……あ」
話があって、もう一週間以上経ってるのに……綺麗さっぱり、頭の中から消えていた。それを悟られたのか、先生も溜息をつく。
「お前も、もう少し自分の事を考えろ。何の為にクラス代表補佐の任を解いたと思っているんだ」
「は、はい……」
「――それとも、何か別にあるのか? お前が、今気になっていることが」
……その言葉に、反射的にボーデヴィッヒさんの事を思い浮かべてしまった。まずい、と思ったけど後の祭り。
「宇月。もしも何かあるのなら、私でも山田先生にでも構わんから話せ。布仏の姉でも、整備上の事であるのならば黛でも構わん。
……どうしてもそれ以外を選ぶのならば、更識の姉でも構わん。とにかく、一人で背負い込むな」
「は、はい! 解りました!」
「よし、ならば戻っていいぞ」
ようやく解放された私は、小走りで部屋へと戻る。うわあ、冷や汗が流れている。シャワーを浴びようかな……。
「……あいつにも、こう言えれば楽なのだがな」
何か言ったような気がするけど。あいにく、私にはきちんと聞き取れなかった。
「さて小娘ども。呼び出された理由は……解るな?」
「一夏の事……ですか?」
香奈枝と千冬の会話から30分後。寮長室に、今度は織斑ガールズの三人が呼び出されていた。
ちなみに三人とも正座であり、慣れていないセシリアと、ただでさえ千冬を苦手とする鈴が青い表情になっている。
唯一正座に慣れ親しんでいる箒は、姿勢こそ崩していなかったが。わずかに、語尾が震えていた。
「正確には、それで宇月を巻き込んだ事だ。――私が言えた義理ではないが、あいつをあまり関わらせるな」
「う……」
「も、申し訳ありません……」
「……織斑先生。ひとつ、お聞きしてもよろしいでしょうか?」
鈴は更にうなだれ、箒も頭を下げる。……ただ唯一。痺れる足からの感覚を堪え、セシリアが口を開く。
「今夜はよく質問を受けるな。――何だ」
「宇月さんの事なのですけれど。……クラス代表補佐を解任されたと聞いたのですが」
「何……?」
「え、そうだったの?」
「それ、か。――ああ、事実だ。それが何か問題があるのか?」
箒や鈴が寝耳に水の情報に驚く中。千冬とセシリアの目が鋭くなった。
「織斑先生はクラス代表決定戦の翌日、こう仰いましたよね?
『篠ノ之やオルコットや宇月に手伝ってもらうのもいいが、お前自身もしっかりやれ』と」
「ほう、よく覚えているな。流石は入試主席だな」
「あの時から、一夏さんのサポートはわたくしや箒さん、宇月さんが中心になっていました。
彼女が打鉄弐式に関わるようになってからは、多少変化もありましたが……」
千冬のほめ言葉にも眉一つ動かさず、セシリアは言葉をつむぐ。そして――。
「それが何か問題があるのか?」
「いいえ。――何故先生は、代表補佐解任の事を公表しなかったのですか?」
「別に、わざわざ公表する事も無いだろう?」
「ええ。ですけれど、わたくしや箒さんは知りませんでしたし……一夏さんも、知らないのではありませんか?
他の方々にはともかく、私達にまで隠す理由がありませんわ」
「……」
痛い所を突かれたように、千冬の表情が変わった。ため息をひとつ吐くと、ゆっくりと三人の少女を見渡す。
「まあ、お前らには言っても構わないだろう。――その理由は、宇月にとって織斑との関わりがマイナスになり始めたからだ」
「ま、マイナス?」
「お前達自身は自分の意思で織斑に関わっているからいいが。宇月からしてみれば、余計な苦労に巻き込まれる事に他ならない。
黛あたりは織斑と知り合いということで宇月に関わってきたから、その点においてはプラスといえなくもないが。
あいつや布仏姉との縁も出来た以上、奴らと関わる方があいつ自身の為にもなるだろう」
「まあ、確かに。整備課の方と関わる事は、宇月さんにとってはプラスですわね……」
「織斑をめぐっては、色々ときな臭い動きもある。――だから、今のうちにあいつを少しでも離しておく。それが理由だ。
今の所はまだ決まってはいないが"もう一度部屋変更があった場合"は、あいつと織斑を離す事になるかもしれんな」
とてもではないが、香奈枝自身には言い切れないであろう言葉をはっきりと選んだ千冬。
それを聞いた三人も、もはやこの点に関しては疑問はなかった。
「では、そろそろ戻れ。――解散」
その言葉で開放された三人は、立ち上がり――約二名、よろけていたが――部屋を出ようとする。
と、唯一余裕のある箒が最後に千冬のほうを向いた。
「織斑先生。――ボーデヴィッヒの事ですが」
「私が話をしてみている途中だ。――事情は、今は話せん」
一刀両断にこれ以上の会話を打ち切られ、退室する。そしてまた、寮長室に沈黙が戻るのだった。
シャルルの独白付きシャワーシーン&千冬とラウラの大浴場シーンを出してみました!
……しかし色気が足りない。もっとキャッハウフフなシーンが上手く書きたいです、弓弦先生……。