「ねえクー姉。カナ姉やマサ兄、イチ兄とも話しちゃ駄目なの?」
「……」
あの朝の一件以来。久遠とロブは、一夏や香奈枝達を避けて生活していた。
だが、それもいい加減に限界が来ていた。とくに、ロブには自分が何故彼らを避けなければならないのか解らない。
会えば挨拶くらいはするものの、気まずい雰囲気を持ったままの生活だった。
特に、二組のクラス代表でもある鈴に警戒心を持たれたのはまずい。一夏達は別のクラスでもあるが、鈴は同じクラスなのだから。
「すいませんね、ロブ……私のために、貴方がとんでもない事に巻き込まれてしまって……」
本来ならば、もっと慎重に事を運ぶべきだった。だが、急ぎすぎた故に。
タイミング悪く中国政府から鈴に警告が来ていた事もあり、逆に距離を取らざるをえなくなった。
(いっそ……派閥替えを、真剣に考えるべきでしょうか)
私物に盗聴器くらい仕掛けられていてもおかしくは無いので、言葉には出さない。
だがそれは、簡単なことでは無い。自分たちだけならまだしも、事はそう簡単に進まない。
もしも派閥替えを実行すれば、それは自分達だけの問題ではなく。周囲の人物すらも巻き込みかねないのだ。
「ロブ、私はシャワーを浴びてきます。その間に寝る準備をしなさい」
「はーい」
結局。久遠には、一人になって思考に集中する事しか思い浮かばなかった。
久遠は、シャワーを浴びながらも思考を続けていた。黒のショートヘアを濡らしたお湯が、そのまま下へと落ちる。
日本人としてはかなり大きい膨らみをなぞるように落ち、引き締まった腰周りを経て足へと届く。
疲労が僅かに消えていくが、彼女が求めるアイディアは浮かび上がってこなかった。
「……何か、機会でもあるといいのですけどね」
どのように転ぶにせよ、現状が続く事は望ましくは無い。だが、その為に何をすればいいのか。久遠には全く解らなかった。
(……頼れる人でも、いればいいのですけれど)
幾人かの知人の顔を浮かべるが、頼れそうな人はいない。担任はやや頼れそうな女性だったが、それでも自身の立場が邪魔をする。
鈴や他の生徒に何かされたというわけではなく、自身が策を謀らせるのに失敗しただけなのだから。
(誰かに、接触をするというのも手ですが……)
しかし久遠に使えそうな手札というのが、男性操縦者のうち二人と親しいというだけであり。
彼女がアメリカの紐付きである事が知られているかもしれない以上、他の誰かに接触するのも難しかった。
「……一か八かですが、飛び込んでみましょうか。失う物は、得る物よりも小さそうですし」
結局。彼女の選択は、最善ではないだろうが。最悪ではないだろうものだった。
生徒の声と工具の音が響く整備室。私は、いつものようにそこに来て整備を始める。
「……おいで、打鉄弐式」
まだ少し傷の残っている打鉄弐式が、私の目の前に出現する。この子の新生も、ようやく形が見え初めていたけれど。
昨日の戦いでかなりの損傷をうけたので、その修理に手間取りそうだ。ただ――結局、あの人と話をしたのはあれっきり。
整備室の予約だとか修理に必要な物資の申し込みだとかは、結局は虚さんを介して行った。……これじゃ、駄目なのは解ってるけど。
「ふう……」
「おや。お疲れでしたか、簪?」
「そうじゃないよ、い……悠」
隣にいるルームメイトが、名前で呼びかけてくる。――あれは、昨日の夜だった。
『あ、あの更識さん! お話があるのですが!!』
織斑君に連れられて寮に戻った私が部屋に帰ってくると、彼女がいきなり真剣な顔をして、私の手を掴んできた。
『……な、何?』
『かかかかかかかっかかっかかかか』
『お、落ち着いて、どうしたの?』
このタイミングで話しかけられることに少し身構えたものの。相手が慌てすぎていたので、私は冷静になれた。
『す、すいません。――これからは貴女の事を簪、と呼んでも構いませんか!?』
『え?』
『い、いいえ! さきほどクラスメートと夕食を共にしたのですが。いい加減、私達も、もう少し親しくなるべきだと思いまして!!』
……私が少し呆気に取られていると。その後ろに、彼女が愛読する少女向け雑誌が見えた。
そこには『気まずいクラスメートと仲良くなる方法!』と色鮮やかに書かれたページが広がっている。……解りやすい人だな。
『だ、駄目……ですか?』
……その時私は、彼女の真っ直ぐさが羨ましいと思った。ネガティブに悩んでしまう私には無い部分を持っている、彼女が。
『い、いいよ。じゃあ、私も……悠、って呼んでもいい?』
『も、勿論です簪! よろしくお願いしまひゅ!!』
あ、最後の最後で舌を噛んだみたい。悶絶してる……。
「あの……本当に大丈夫ですか?」
そんな経緯があって互いに名前で呼び合うようになった、石……悠が、心配そうに見ている。
今も整備(というか荷物の運搬)を手伝ってくれているけれど、溜息を吐いた事で、疲れていると誤解を与えてしまったみたい。
「だ、大丈夫。問題ないから……」
「しかし中々重労働ですし、気をつけてくださいよ。そういえば、一組の宇月さんはもう手伝ってもらえないのですか?」
「うん……やっぱり彼女に、これ以上負担をかけるのは良くないし……」
「そういえば、私も聞いています。何でも『一年生で苦労している生徒』『一年生で最も胃潰瘍になる確率が高い生徒』
『一年生で最も色々と動いている生徒』でいずれも彼女がトップだったとか……」
……今度、何か面白いDVDでも持っていってあげようかな、と思った。ただ、彼女はあまりアニメだとかは好まないようだし。
本音によると、甘い物――特に和のテイストが好きみたいだから、そういったデザートとかを奢るのもいいかもしれないけれど。
「やっほー。かんちゃーん」
「本音」
そんな中、いつものように袖を振り回しながら本音が表れた。……ああ、袖が整備課の御津月(みとつき)先輩に当たってる。
二年生の中でも随一の穏やか&良識人なあの人じゃなかったら、多分睨まれてる……。
「手伝いに来たよー。何をしようかー?」
「今日は……じゃあ、コントロールシステムの調整補佐をお願い。黛先輩達、忙しくて遅れるって連絡が来たから……」
「了解~~」
そして本音も加わり。私たち三人での整備が始まった。
「そういえば簪。こ、今夜ゴウ君と一緒に食事をしないかと誘われたのですが。ど、どうすればいいでしょうか?」
「……え?」
そんな事を言われたのは、一段落着いて休憩している時だった。
先輩達は、オムニポテンスのデータを見る為に少し席を外している。……でもどうして、私に聞くの?
「あ、あのですね。私はその、慣れていませんので。よろしければ、一緒にどうかと思いまして……」
そ、そんな事を言われても、私も困る。私に言える事なんて、何もないし。
私には別に、悠からみたゴウ君のような男性がいるわけじゃ――。
「……」
その時、ふと思ってしまった。人たらし、と言われるほど外交的なあの人なら、悠へも良い返事を返せるのじゃないかと。
そして彼にも負けなかっただろうし、そして、他にも――。
「あの、どうかしましたか? やはりゴウ君と食事は、嫌でしょうか? 私としては、良い機会だと思うのですが」
「べ、別にそういうわけじゃ――」
「んー、でもいっしー。まだおりむーの方が良いような気がするなー」
「そう、ですか?」
「確かにおりむーは、鈍感で唐変木でデリカシーゼロで、かなみーにも迷惑かけてるけど~~」
本音が会話に入り込んできた。でも本音、それって全然良いようには聞こえないんだけど。
「少なくとも、あの人よりも悪い人じゃないよー」
「……?」
少し珍しいな、と思った。本音はゴウ君を織斑君より悪いと感じているのだ。
それは『あの人』という表現を使った事からもそうだろう。ただ、それをここまで明言するのは珍しい気がした。
「はあ……。まあ布仏さんは、ゴウ君の事をよく知らないのでしょうし、無理もありませんが……」
本当は、どうなんだろう。私は一応、両者ともそれなりに見知った間柄になるのだろうか。
ルームメイトと幼馴染みのちょうど間――ポジションも、二人の男子生徒との関係も――に立つ形になった私には、解らなかった。
「そういえば更識さんは、織斑君に白式を纏って寮まで帰ってきたそうでしたが……その後は、どうなんですか?」
「あー。それは私も気になるな~~」
いけない、こっちに話題が飛び火した。な、何とかして話題を変えないと……あれ?
「あ。布仏さんと更識さん、ここにいたんだ?」
「貴女は……」
確か彼女は……フランチェスカ・レオーネさん、だっけ? さっき話題になっていた、宇月さんのルームメイト。
彼女が以前倒れた時に、会った事があるけど。……どうしてここに?
「どうしたの? 宇月さんなら、ここにはいないけど……」
「そうなんだ。じゃあ、香奈枝に会ったら伝えておいて。今日の夕食後、1025室でちょっとしたお茶会をやるの。
オルコットさんと凰さんと篠ノ之さんがお菓子を持ち合ってくるらしいから、来ない? ……って」
「う、うん。解った」
「ありがとう。それじゃあね!」
そういうと、レオーネさんはあっという間に走り去った。……それにしても、どうして生徒用端末などで伝えなかったのだろう?
もしかしたらあの時の私と一緒で、端末を紛失しているとか……? ……あれ?
「……本音?」
「かんちゃん。やっぱり各国の代表候補生との交流って大事だよねー」
「え?」
「おりむーとでゅっちーの部屋、だっけ? 一緒に、行こうよー?」
「でも、私は――」
「行コウヨ、ネ?」
……そして私は、気がつくと夕食を終えて、本音に引っ張られて織斑君達の部屋に向かっていた。
本音って、絶対自分の能力を無駄遣いしてると思う……。
「さて、と。こんな物かな」
これでテーブルとか椅子の準備はよし、と。結局更識たちを呼び出すのはレオーネに任せる事になったけど、大丈夫かしら。
本当なら布仏だけを誘ってから更識を連れ込む予定だったけど、あいつが打鉄弐式の整備を手伝わないといけない事がわかって。
それで、あたしたちの中で一番時間が空いていたレオーネに、両方を呼び出してもらう事になったんだけど……。
「まあ、千冬さんの許可も得られたから、簡易テーブルとかを借りられたし。ラッキーだったわね」
千冬さんは最初は険しい表情だったけど、更識の一件を話すと、途端に許可が下りた。
どうやって千冬さんを説得しようかと考えていたあたし達からすれば、ちょっと拍子抜けだった。
「ふふふー。私の目を眩ませようとしても、そうはいかないのだーー」
「ほ、本音……い、いい加減離して……」
その時。布仏が、今回のメインである更識を引っ張ってきた。だいぶ急いだらしく、更識が呼吸を荒げている。
それなのに、布仏の方はいつものまま。……あの子、代表候補生よりも体力があるの?
「あら、更識さんと布仏さんも来られたのですか」
「わわ~~♪ せっしー、これ、ロンドンの有名店のお菓子だよねー!?」
「え、ええ、そうですけれど……よくご存知ですわね」
「前から一度、食べて見たいと思ってたんだよー」
かと思ったら、その後ろからやって来たセシリアのお菓子を、宝物でも見るように目を輝かせている。……うん、あの子って。
「ほんね……気のせいかしら。彼女、本気でお菓子目当てに見えるんだけど」
「……奇遇だな宇月。私もだ」
あたし達の後ろでお茶の準備をしていた宇月と箒も、あたしと同じ感想を懐いているようだった。さてと、後は安芸野だけ。
一夏がさっきメールで呼び出したから、そろそろ来る筈……
「おやおや。楽しそうな事をやっていますね」
「ろ、ロブ!? 久遠!?」
……! この部屋のもう一人の隣人……一場とロブだった。あの朝の一件以来、あまり会話は無い関係。
ここで絡んでくるとは、思っていなかった。よく考えればそのケースもあって当たり前なのに、そこまで考えていなかった……!
「どうやらお茶会か何かをやるようですが。私達も、加えてはいただけませんか?」
「え、ええっと……」
「おう。せっかく将隆も来るし、宇月さんもいるんだし、二人とも参加しようぜ」
……凄く自然に、というか本気で言い切ったわね一夏。まあ、この場合はそれが正解なんだけど。
でも、以前あたしから聞いた話を忘れてんじゃないの、こいつ? まあ、あれが本当かどうかは解らないけど……。
「では、お邪魔します」
「しまーす!」
でも、一場とロブはあっさりと入ってきて。……もう拒める雰囲気じゃなかった。
「かんちゃん、これすっごく美味しいよ~~♪ かんちゃんも食べてみてよー」
「う、うん、解ったから……」
そしてお茶会が始まったのだけど。布仏は思いっきり食べる事に専念している。時折更識に菓子を差し出すけど。
見た目も実際も小食な更識は、殆ど食べていなかった。まあ、暗い雰囲気は無いからいいのかもしれないけど……。
「本音……食べ過ぎ」
「大丈夫だよ~~♪ 私、おっぱいとお尻以外は太らない方だからー」
……よし解った布仏。あんた、あたしに喧嘩売ってるのね? OK、買うわそれ。
「お、おほん。そういえばちょっと、意見を聞きたい話があるんだけど。
ボーデヴィッヒさんのISも、第三世代ISなんでしょう? どんな特殊機能を積んでるんだと思う?」
立ち上がろうとすると、宇月がボーデヴィッヒの話題を出してきた。……ちっ。命拾いしたわね
「そ、そうですわね。……英日中で、情報交換をしますか?」
「……あたしは、別に構わないけど?」
「私も……」
少しだけ声が震えているセシリアが賛成し、更識も頷く。……まあ、これも大事だし。
情報を得る事も大事だって言われてるから、しょうがないか。
「あ、ボーデヴィッヒさんのISだったら私も聞いた事あるわよ。確か、物体を何でも止めちゃうシステムなんだっけ?」
最初に口を開いたのは、フランチェスカだった。物体を、何でも止めちゃうシステム?
「物体を止める……ああ、AICですわね」
「えーあいしー? 何だそれ?」
織斑君には、さっぱり解らない物のようだった。……私も、先輩達から名前は聞いた事があるけど。
「AIC……アクティブ・イナーシャル・キャンセラー。理論だけなら、中国でも知られてるけど……完成してると思う?」
「PICの応用そのものは、基本技術ですから……ただ、何処までかとなると、情報に乏しいですわね」
「PICっていうと、ISの動きの元になってる奴だよな? 応用って、どういう事だ?」
「そうですわね……。ISは、PICでIS本体や操縦者の慣性を遮断して、浮遊しているわけですが……。
これを、例えば向かってきた弾丸に向けるとします。するとその弾丸は、推進力を失い。停止してしまう……という原理らしいですわ」
そこまでは聞いていなかったけど……そんな、とんでもない物だったんだ。
「そんなこと、出来るのかよ? っていうか、それだと実体弾は全部止められるって事か?」
「そうね。それどころか、IS本体にその効力を発揮する事が出来れば、近接戦闘すら無効化できるかもしれない……」
「何か、改めて聞くと反則的な能力ね……」
フランチェスカの一言が、ある意味総意だった。そんな機体とは、絶対に戦いたくないわね……あ。
「そういえばここにいる皆は、全員トーナメントに参加するの?」
そろそろ、学年別トーナメントの申し込みが始まる時期だと黛先輩から聞いたけど。皆は、どうするのだろう。
「トーナメント、ですか。わたくしは、ブルー・ティアーズに戦闘経験を積ませる為にも当然参加いたしますわ」
「私も……。汚名返上、したいから……」
「あたしはどうでもいいけど……どうせ政府の方から出ろって言われるだろうしねー」
ああ、やっぱりね。専用機持ちだから、当然なのだろうけれど。
「布仏さんは?」
「……。んー、私はかんちゃんの整備の手伝いとかがあるしー。かなみーは?」
「そうね、私も布仏さんと一緒かな。黛先輩からも、同じような話聞いたし……フランチェスカはどうするの?」
「うーん、一応エントリーはしておくつもり。何があるか解らないし……」
「そういえば、箒も参加するんだよな。以前部屋を変わる時に、トーナメン」
「でも、これだけ専用機持ちが多いと苦労するわよねー。参加する一般生徒も大変だわ」
「……ちょっと待った、今の話詳しく聞かせてくれない?」
「わたくしも、少々気になる話題でしたわね」
皆が普通に言う中、織斑君が爆弾を落としそうになったので慌てて遮る。……だけど、僅かに遅かったようだ。
「え? いや、別にたいした話じゃなくて――」
「まて一夏! そ、それは……秘密なのだ! 喋るんじゃない!!」
「そ、そうなのか?」
「ちょっと一夏、喋りかけたんだから言いなさいよ!!」
「そうですわ!」
「いや、秘密なら言ったらまずいだろ。やっぱり……」
「二人ともー。その辺にしておこうよー。またかなみーが苦労するよー」
意外にも、布仏さんが止めてくれて二人も矛を収めてくれた。その友情の厚さに、少しだけ涙が出そうになった。
「……そ、そういえば久遠は? 参加するの?」
「私は……どうでしょうね。ロブのサポートがあるので、そちらを優先させるべきだと思っていますが」
久遠へと話を振ったけれど……え? ち、ちょっと待って。
「ろ、ロブも参加するの!? でも、まだ殆どISを動かしていないのに……」
「ちょうど明後日、ロブの専用機と私の専用ドールが来る予定です。ですから、トーナメントには出場可能です」
「あれ、あんたのもドールなんだ?」
「ええ。コア保有数に余裕のある我が国でも、流石に無制限に回せるわけではありませんし……」
「で、でも、大丈夫なの? ロブはまだ子供なのに」
「子供でも、ISを動かせる子供です。問題は無いでしょう」
だ、だけどそれじゃ――。
「それに、今男性操縦者のデータを握っているのは、日本だけですから。米国政府も、データを欲しがっていますし」
ちょっと待った、それって。
「本来IS関連のデータは速やかに公表されなければなりませんが、このIS学園に関しては例外ですからね。
だからこそ、フランス政府や欧州連合も男性操縦者を送ってきたのでしょうし。……ロブも、同じですよ」
「久遠!!」
「……宇月、その辺にしておきなさいよ。……せっかくのお茶とお菓子が美味しくなくなるでしょ」
言葉は素っ気無い凰さんだけど、私の手を掴んでいる左手の人差し指が伸びていた。
その指す先を見ると、久遠の手が震えている。……それを見た私の中から、追求の気持ちが失せていった。
「……用事を思い出しました、申し訳ありませんがこれで失礼します」
「お、おい久遠」
「くー姉……?」
「ロブ、あまり他の方に迷惑を掛けてはいけませんよ。では、失礼します」
そういうと、誰とも視線を交じらせる事無く久遠は退室した。……うわ、やっちゃったわ。
今まで一心不乱にお菓子を食べていたロブでさえ、不思議そうな表情をしてるし……。
「……ごめんね凰さん、気付かなかったわ」
「……いつもあんたには迷惑かけてるから。気にしなくていいわよ」
一応凰さんにはお礼を言ったけれど。私の失言は、取り返しのつかないミスだった。
「……」
「……」
そして皆が皆、何か暗いムードになる。こういう時は、話題を変えると良いんだけどネタがない。
「そ、そういえば織斑。お前って織斑先生の弟なんだよな」
「お、おう。そうだぞ!」
と思っていたら、安芸野君と織斑君が動いてくれた。私は話題がないし、このまま二人にお願いしよう。
「じゃあきっと、入学の時は大変だっただろ。俺は最初は知らなかったけど、元日本代表の弟なんだし」
「ああ、入学初日にばれたからな。大変だった」
「え……? 皆、織斑が織斑先生の弟だって知らなかったのか」
意外そうに、安芸野君が織斑君を見る。そういえば彼は何処で知ったのだろう。自衛隊、かな?
「そうだねー。幼馴染のしののんとりんりん以外の『普通の』生徒は知らなかった筈だよー」
「そういえば、疑問だったのですけれど。織斑先生が一夏さんの姉である事は、中学でも知られていなかったんですの?
宇月さんも知っていたのかと思っていたのですけれど、どうもあの時に知ったようですし……」
「そうね。私もIS学園を目指していたけど、全然知らなかったわ」
よくよく考えれば『織斑』って苗字で気付くべきなのかもしれないけど。織斑君とは違うベクトルで、私も鈍感だったのか。
「ああ。鈴とか弾――仲のいい友人くらいしか知らせてなかった。あまりそういう事を公言すると、ろくなことにならないしな」
「確かにそうよね。でもまあ、知ってても知ってなくてもあの頃は楽しかったっけ……」
凰さんが嬉しそうに、そしてどこか悲しげに過去を振り返っている。……どうしたんだろう?
「楽しかった時、か。ボーデヴィッヒにも、時間を戻してでも取り戻したい『楽しかった時』ってあるんでしょうね」
「ええ……ですが、時間は決して戻りませんわ。たとえ、どれほど願おうとも」
「そうだな……」
あ、あれ? 何かまた暗いムードに……って、ああ! オルコットさんだ! 確か彼女は、両親を列車事故で……!
発言したフランチェスカもそれに気付いたのか、気まずい表情になっている。そして篠ノ之さんは、なぜか共感してる……?
「……でも、彼女には本当にあるのよね」
更識会長から教えてもらった事からすると。その為に、ここに来たと言えるのだろう。先生には、あっさりと断られたけど。
……ってまずい。また、暗いムードが復活してきてる。
「はむはむ、烏龍茶も小龍包も美味しい~~♪」
これを打破するには……マイペースで小龍包を美味しそうに食べている本音さんに頼ろう。
安易かもしれないけど、彼女ならきっとこのムードを木っ端微塵に砕いてくれるだろうから。
「ねえ、本音さん。貴女にも、取り戻したい時間とかあるの?」
「んー。わたしにも、あるよ~~?」
のほほん、とした笑顔の本音さん。彼女だから、美味しいお菓子を食べた後、食べる前に戻ってもう一度食べたいとか……?
「かんちゃんと~~。お姉ちゃん達と~~。遊んでいた時とか~~」
「ほ、本音……」
と思っていたら、とんでもなく真面目な答えが返ってきた。……ごめんなさい、貴女を見くびってました。
「んー、でもねー。新しい『最良の時』を見つけるのも良いと思うんだ~~」
新しい、最良の時?
「だって、ほんの1ヶ月前まで~~かんちゃんが、ここまで素直に笑ってくれなかったし~~。
それに、他の人とこんなパーティーに参加するなんて、思ってもみなかったよ~~」
「そ、それは、本音に引っ張られてきたから……」
「んー。でもかんちゃん、今はどうかなー? 嫌、かなー?」
「……い、嫌じゃ……ないけど」
私達全員は、その会話を聞いて反論の言葉を失った。確かにそうだ。
私にしても皆にしても、今の状況は『入学時に思い描いていた学園生活』とは違うだろう。だけど、この時間はとても楽しい。
……まあ、問題が無いわけじゃあないけど。私の胃とか、私の平穏とか、私の置かれている状況だとか。
「ほらほらー。皆ももっと食べようよー」
「あー、もう。本当に調子狂うわね、アンタ!!」
「全くですわ。体重管理も代表候補生の重要な義務ですのに……」
「だが……。不思議と、嫌では無いな」
まあ、篠ノ之さんのいった言葉が皆の総意なんだと思う。
「……ありがとうね、布仏さん。今度、デザート奢るから」
「うん~~♪ 楽しみにしてるよ~~♪ かんちゃんも、楽しかったー?」
「う、うん……」
お茶会(という名の更識さんに元気になってもらう会)も終わり、いつもより、余計に楽しそうに去って行く布仏さん。
簪さんの方は少しまだ心配だったけど、多分……今の所は大丈夫じゃないかな、って思う。
「さて、と。明日の予習もしないとね……」
とりあえず現代文と数学の授業、そして基礎理論があるし……ふう。
「すまんな、ハルフォーフ」
『いえ。たいした手間ではありませんよ。では、教官。隊長をよろしくお願いします』
「ああ」
一夏やシャルルの部屋でパーティーが開かれていた頃。千冬は、ドイツから送られてきた資料に目を通し始めていた。
ゴウに関する資料。IS学園に欧州連合から送られたものだけではなく、色々と非公開のデータもその中にはあったが。
「……怪しい所は無い、か。だが……あいつがISを動かせるのは、紛れもない事実だ」
千冬自身は、弟がISを動かせるのはある人物の干渉によるものだと思っていた。だが、それならば。
「何故安芸野、クロトー、そしてドイッチが動かせる……?」
一夏とも、その人物とも関係ないであろう男子達。彼らが動かせる事が、説明できない。
世界中で、同じ事を研究している人間は四桁を越えるであろうが。いまだ、仮説すら出ていない有様だった。
「……」
ふと、持っていた端末に視線が延びる。もしもその人物に連絡を取れば、謎も判明するかもしれないが。
「止めておくか」
そもそも、その人物は興味のないことには酷く冷淡で。そして、世界で数人にしか興味がない。
一夏以外の男性操縦者に関しても、興味を持っているようには思えなかった。
もしも興味を持っているのならば、とっくに『干渉』している可能性が高いが――と考えた時点で、ある事に気付いた。
「対抗戦の時の一機目……ゴーレムが、それか?」
あの時、将隆も対抗戦に参加していた。彼が目的だったというのならば、その人物が興味を持っている可能性もあるが……。
「……もしも『あいつ』が一夏以外にも興味を持っているのだとすれば。学年別トーナメントでも、何か仕掛けてくるか?
あれにはドイッチやクロトーも出るのだしな」
その視線の先に『学年別トーナメントの変更事項について』と書かれた書類を捉え。
その隣にある『米国からの新規専用機搬入について』と書かれた書類に視線を移すのだった。
「織斑先生。よろしいですか?」
「山田君か。――ああ」
ドイツからの書類を隠し、副担任を招き入れる。――こればかりは、彼女に見せるわけにもいかなかったからだ。
「どうした、山田君。何かあったか?」
「はい。これが織斑先生に届いていましたよ」
「手紙……む」
その時、千冬の顔が僅かに綻んだ。それに目敏く気付いた麻耶が、驚きの視線を向けた。
「あの……それって海原裕さんからの手紙ですよね?」
「ああ、そうだ。……私が日本代表だった頃、世話になった人の一人だよ。君も、確か知っていたのだったな?」
「は、はい! 何度か、お話をした事があります」
「そうか。なら、教えてもいいだろうが。――近々、ここに来るようだ」
「そ、そうなんですか? でも海原さんは、織斑先生の引退と一緒に下野したって聞きましたけど……」
「私と話をしたいから来る、だそうだ」
(織斑先生が、少し顔を曇らせてる……? 気のせいかな……?)
その言葉は普通だったが、千冬の表情の曇りに麻耶も気付く。だが、それ以上は踏み込まない。
千冬の表情が、同時に問う事を禁じている色を見せたからだ。それゆえに、麻耶は話題を変える。
「それにしても、達筆ですよね……」
「ああ。メールなどで送れるというのに、全て直筆の手紙だ」
手紙を読んでいく千冬の顔が、僅かに綻んでいた……が。
……最後の一行に目を通した瞬間、麻耶が竦んで動けなくなるほどの殺気が生じた。
『追伸:ブラコンもほどほどに』
「……」
なお、この一時間後。今度は夜間の部室棟に忍び込んだクラウス・ブローンが千冬によって捕獲されたが。
いつもよりは三倍は厳しいお仕置きを受けたというが、その原因は不明である。
「よし、これで予習も終わりだな。じゃあ、シャワーでも浴びるか。シャルルはどうする?」
パーティーも後片付けも、予習も終わって後は寝るだけとなった。
出来れば大浴場で一汗流したいんだが、男子生徒の浴場使用はまだ解禁されていないのでシャワーで我慢するしかない。
「僕は――後でいいよ」
「そっか。じゃあ、今日は先に使わせてもらうな」
シャルルは表面上は温かく。でも、僅かに身構えたような感じだった。――やっぱり、聞いてみるか?
「なあシャルル。何か言いたい事があるなら、言ってくれないか?」
「――え?」
「いや、何か最近俺に対して壁を感じるって言うのか……。少し、変な感じがしてたからな」
昨日は更識さんと関わった時に少し話せたし、イベントの事を話し合うときにも何とか普通に話せた。
だけど、何かやっぱり壁みたいなものを感じるんだよな。
「そんな事ないよ? 気のせいじゃない?」
「いや。気のせいじゃ、ないと思う」
むしろ、今ので確信が強まった。
「じゃあさっき、フランチェスカが『取り戻したい時間がある』っていった時。お前、何か暗い顔をしてたよな?」
「!?」
たまたまシャルルの方を見ていた、俺しか気付かなかったみたいだが。何か、あったんだろう。
「そりゃあ……僕だって、あの頃に戻れたら、って思う事はあるよ? それは、不思議な事じゃないよね?」
「ああ。でもさ、何か凄い深刻そうだったからな。……俺でよければ、話してくれないか?」
将隆も言ってたが、話すだけでも違うだろうしな。
「ごめんね。――さっきの篠ノ之さんの言葉じゃないけど。秘密にしておきたいんだ」
「む……」
そう言われると、それ以上は言えない。無理矢理に聞き出すのもルール違反だろうし。
「解った、変な事聞いて悪かったな。シャワーを浴びてくる」
俺はシャルルに謝罪すると、一歩を踏み出した――所で、足を滑らせた。
「へ?」
「え?」
とっさに傍にあった、シャルルが座っていた椅子を掴む――所までは良かったが。
バランスを取りきれず、座っているシャルルにのしかかるような格好になってしまった。
「わ、悪い! 大丈夫か!?」
「へ、平気だよ……ど、どうしたの、一夏……?」
「ああ、ちょっと足を滑らせた。悪いな、シャルル」
入念に拭いたのだが、それが逆に良くなかったようだ。くそ、我ながら間抜けだ。
「あ、あのさ。それよりもそろそろ……」
「あ、悪い。重いよな、俺」
のしかかって俺の体重を感じているであろうシャルルから、慌てて離れる。……ん?
何か、シャルルが真っ赤になって……あ、あれ、おかしいぞ? シャルルが、女の子みたいに見える?
うん、落ち着こう俺。幾らなんでもそれは異常だ。何でルームメイトの男が女の子に見えるんだよ。
明日の放課後に、医務室で眼科検診でも受けておくか?
「一夏……? どうしたの?」
「い、いや何でもない! じゃあな!!」
俺は慌てて、シャワーを浴びに行く。……だから、シャルルが何か呟いたようだったが聞こえなかった。
「どうして、一夏は……こんな事ばっかり起こすんだろうね」
遅れましてすいません、なお話でした。そして話が簪を励ます会だけで終わってしまった。……シャワーシーン、いつでしょうか。
IS二期が始まるまでに書けるといいなあ……(遠い目)
IS9巻発売決定&新規漫画連載開始&OL文庫サイトでのスピンオフ開始はめでたい事ですが……。
IS自体は色々と動いているのに、ぜんぜん話が進んでいない……。どうしようか。