「し、失礼しました……」
約一時間後。俺は、ようやく解放されて寮長室を出た。時間は、午後七時四十分。
……やばい、食堂の終了する八時まで時間が無い!! 急がないと、時間が過ぎたら煮干し一匹さえもくれないぞ!!
「くそっ、間に合うか……!?」
慌てて走り出そうと……すると、箒・セシリア・鈴が現れた。何やら怒っているようだが、何でだ?
「一夏……どういうつもりだ! 部活を途中で中断したと思ったら……」
「ど、どうして一夏さんが、更識さんを抱えて帰りますの!? わたくしにもしてくださった事はありませんのに!!」
「説明しなさいよ、一夏!!」
「い、いや待て。事情は説明してもいいんだが……」
出来れば、食堂についてからにしてくれ。夕食は少なめとはいえ、俺だって高校生。一食抜くのは辛いんだ。
「……あ」
「お」
その時、偶然にも通りすがった宇月さんと目が合った。彼女は一瞬固まったが、すぐに踵を返して……
「ま、待ってくれ宇月さん! 見捨てないでくれ!!」
「宇月……だと?」
「何、あの子が事情を知ってるの?」
「宇月さん。何かご存知なら、お話し頂けますか?」
「いや、私は織斑君の事情は解らないんだけど……」
何とか食い止めたが。……当然ながら、俺と簪さんの一件を知らない彼女に説明は無理だった。
ごめん、つい反射的に頼んでしまったな。……今度、彼女にはジュースでも奢ろう。
「皆、俺は別に変な事をしたんじゃないんだ。ただ単に、更識さんを連れて帰ろうとして。でも雨が降ってたから……」
「だからって、抱きかかえて帰らなくても良いじゃない! 足を怪我してたとかならともかく!!」
「いや、だからそれは……」
「あー。はいはい。だいたい状況は掴めたわよ。落ち着いて、皆。多分だけどね……」
呆れたような表情の宇月さんが事情を察してくれたようで、俺と鈴の間に入ってくれた。
「そ、そうだったのか」
「そ、そういう事でしたの。お、おほほ……」
「ま、まあ、あたしはそんな事じゃないかと思ってたけどね!!」
宇月さんの適切かつ丁寧な説明(+俺の補足)に、どうやら皆の誤解は解けたようだった。……もう、間に合いそうにないが。
「それにしても宇月。お前も寮長室の方に向かっていたようだったが……何か千冬さんに用事だったのか?」
箒の一言で気付いたが、確かに変だった。何か千冬姉に用事なのか?
「いいえ。実はさっき、食堂でデュノア君と会ったんだけどね。織斑君が食堂の閉まる時間に間に合いそうもないし。
彼の分の夕食をキープしたから、自室に戻って食べて……だそうよ。まあ、メールでも良かったんだけど。
お説教を受けている身ならメールとかも見れないだろうし、一応、直接伝えておこうかなと思ったからここに来たの」
「本当か!?」
流石はシャルルだ。この気配りは本当に助かるぜ。
「そ、そんな手があったのか……」
「くう……! デュノアさんには上手を行かれてばかりですわ!!」
「間に合わなかったら、あたしが作ってあげようと思ったのに……!」
何故か三人は悔しがっていた。鈴、その気持ちだけ貰っておくから今度頼むな。……まあ、それはさて置き。
「じゃあ俺は、部屋に戻るぜ。宇月さん、説明ありがとうな!!」
「はいはい。……ふう」
何故か溜息をつく宇月さんや皆を残し。俺は、自室へと戻るのだった。
「うーん……お茶が美味いぜ」
シャルルのキープしてくれた和風定食を平らげた俺は、食後のお茶を楽しんでいた。はあ、極楽極楽……。
「はあ……地獄に仏だったぜ」
「大げさだなあ、一夏は」
「いや、本当に助かった。シャルルは本当、気が利くな」
俺が忘れていた更識さんの私物も、持って帰ってくれたらしい。……うん、シャルルは本当に気が利くぞ。
まさに仏のシャルル。あ、そういえば実際に仏蘭西出身だったな。うん、ピッタリだ。
「ん? 誰だ」
ノックの音がして、誰が来たのかと思いきや――。そこには、箒・セシリア・鈴・宇月さん・フランチェスカの五人がいた。
「な、何だ皆? 一体、どうしたんだ?」
「……ちょっと、更識の事で話があるのよ。時間、いい?」
「おう」
まさか、と思ったが、そういう事なら断る理由は無い。シャルルに聞かせていいかは気になるが。
「なるほど、ね。宇月が一夏がいなくなった後で『詳しい事は部屋の中でさせて』って言ったのは、そういう理由だったのね」
……そして。宇月さんと俺が、何故更識さんが俺達と一緒にいたのかを『詳しく』説明した。
さっきは廊下だったから、あまり込み入った話は出来なかったからな。
「なるほど……。少なくとも、更識さん自身に責められるような部分はありませんわね。それなのに……あのような噂になるなど」
「――噂?」
「更識が、ゴウにボロ負けして尻尾かかえて逃げた――っていう噂よ。まあ、半分は間違いじゃないけどね……」
「な……!? そんな噂になってるのか!?」
「まあ、あたしもさっきティナやエリスから聞いたばっかりだけどね。今、寮では一番ホットな噂だし。
四組だけじゃなく、もう他のクラス――あるいは、二年生や三年生の間にも広がってるみたいよ」
「そうなのか……」
女子の噂の広まりの速さは理解していたが。こういう物まで速いのは、正直嫌だった。
「で、本題だけど。あたしもあいつとはクラス対抗戦で戦った仲だし。励ましてやろうと思ったのよ」
「励ます……?」
「そう。といっても、大した事するわけじゃないわ。お菓子とお茶を持ち合って、食べあう位ね」
女子会、って奴か? 俺は良く知らないけど。まあ、中学の頃に鈴や皆と騒いだ経験もあるけど……そんな感じか?
「あたしは中国の菓子と烏龍茶とかを用意するから。箒。あんたは和菓子と緑茶をお願い。作って来れそうならそれでも良いわ」
「承知した」
「ではわたくしは……」
「セシリア、あんたは紅茶とカップと既製品の菓子だけ用意してくれればいいから。それ以外は必要ないわ」
「何故ですの!?」
いや、それはなあ……。おっと、それよりも。
「鈴、俺は何かしなくてもいいのか?」
「あんたは……場所を貸してくれるだけでいいわよ。デュノアも加わる?」
「う、うん。僕じゃあ、大した事はできないかもしれないけど。ご一緒させてもらうよ」
シャルルは謙遜しているが。そのフォロー能力は、十分役立てられると思うぞ。
今日の夕食の一件でもそうだが、本当に気が効くし。俺を公私の面で色々とサポートしてくれているしなぁ。
「後は……誰を誘うか、よね」
「安芸野さんはどうしましょうか?」
「うん、良いとは思うわ。クラス代表繋がりだし、安芸野も呼びましょうか」
そうだな。将隆が来れば、男は三人。俺とシャルル二人だと、女子が二倍になるし。
「ところで、集まる理由は何とするつもりなの? まさかストレートに『更識さんを励ます』というの?」
「そうねえ。そういう風にストレートに言うと嫌がったり逆効果な場合もあるし……」
「更識さんのルームメイトはどうなの? そちらから攻めたらどう?」
今まで黙っていたフランチェスカが口を開いたが。……お、それなら良いかも。
「そっちの方は、更識のルームメイトを知ってるって言ってた宇月に聞きたいんだけど。どんな子なの?」
「そうね……。ちょっと変わってるけど、まっすぐで良い娘だと思うわ。ただ……何て理由で呼び出したらいいのかしら」
「うーん、理由、ねえ……。その娘には理由を話しておいてもいいけど……」
「それならいけるかもね。本音さんが以前『いっしーに協力してもらったんだよー』って言ってたし」
そういうタイプなのか。
「あ。だったら、布仏さんを誘えば? お菓子を食べる機会なら、彼女が喜んで来るだろうし。更識さんを誘ってくれるんじゃない?」
「そう……ね。うん。それで行きましょう。理由は――」
「それは、一夏の元に篠ノ之さんやオルコットさんや凰さんがお菓子を持ってきて。隣室の宇月さんとレオーネさんも誘って。
お菓子を持っていく所を見てそれをかぎつけた布仏さんが、更識さんを誘う……で良いんじゃないかな?
将隆は、女子が多くなったから一夏がメールで呼び出した……っていう風にすれば、不自然じゃないと思うよ」
フランチェスカがのほほんさんを誘い手に担う案をだし、そしてシャルルが纏めてくれた。お、結構いい具合に纏まったんじゃないか?
「じゃあ、それはいつ決行するんだ?」
「出来れば早いうちにしておきたいわね。……まあ、その辺りはメールで連絡しあいましょ」
「そうだな」
こうして、更識さんを励ます会はその計画を立案完了したのだった。……こういうの、何か良いよな。
「……なんか、シャルルと久しぶりに話せた気がするな」
「そ、そうかな?」
皆が去った後。俺は、勉強するシャルルに話しかけてみた。
将隆に相談もしてみたりしたが、意外にもあっさりと問題は解決したな。
「そうだぜ。今日だって夕食を持って来てくれたしな」
「……それは、ルームメイトだったら当然だよ」
「そうか?」
以前は箒とルームメイトだったけど、ここまで気が利くタイプじゃないぞ。まあ、弁当を作ってきてくれたりはしたけどな。
「……ねえ。一夏って、宇月さんとは親しいの?」
「へ? 宇月さんか? まあ、同じ中学で三年……今年も含めれば四年連続で同じクラスだけどな。
ここに来るまでは、あまり親しくは無かったな。よく会話をしたのも、ほんの一時期だし。でも、どうしたんだよ」
「ううん。ただ、他の親しい女子は名前で呼ぶのに。何で彼女は、まだそうじゃないのかなって思っただけだよ」
「そうだなあ。何かきっかけがあれば、変わるかもしれないけど」
そういえば将隆とも、シャルルが来るまでは『安芸野』『織斑』と呼び合ってたっけ。
「でも、どうしてそんな事を聞くんだ?」
「……ちょっと気になっただけだよ。じゃあ僕、シャワーを浴びてくるから。洗面所は使わないでね」
「ああ」
そういうと、シャルルは洗面所に入って鍵をかけた。……そういえば、最初はそんな事しなかったのに。
いつからか、シャワーを浴びる時は洗面所に鍵をかけるようになったな。何でだろう。……見られたくない物でもあるのか?
「たとえば、ISの訓練中に大きな事故があってその傷跡が残ってるとか……いや、それはないか」
最近の医学は凄いらしく、大抵の傷跡は消してしまえるらしいし。
ましてやデュノア社の息子なら、俺の知らない最先端治療とかも受けられるだろうし。そんな傷跡なんて、残らないだろう。
「まあ、いいか」
見せたくない物を、無理矢理に見るのも変だしな。さてと、シャルルがシャワーを浴びている間に復習でもするか……。
「……」
今日も僕は、一夏についた嘘を一つ増やした。一夏には決して見せられない身体。それを隠す為に、鍵をかけて……。
「……はあ」
覚悟していた事だったけど、やっぱり辛い。一夏が良い人だから……。
――あれは、数日前。そろそろ夏服にしようかと思っていた頃の事。
『……織斑一夏や織斑先生に、正体を明かす?』
『うん』
ゴウに、そんな事を話した。それは、少し前から考えていた事だったけど。彼にも意見を聞こうと思って提案したら。
『止めておくべきだな』
即座に、否定された。
『どうして? 確かに迷惑をかけるかもしれないけど、このままじゃ……』
『まず織斑一夏だが。いい奴かもしれないが、怒りは激しいようだよ。騙された事がわかったら、どうなるかな?』
『……』
自分の納得がいかない事には、不器用なほどに拘るタイプだって聞いた事があるけど、それは本当だと思う。
『嘘は良くないかもしれない。だが、真実を明かさない事も時には必要なんじゃないかな?』
『……それは、そうかもしれないけど』
必要な嘘。それは確かに必要かもしれない。でも……。
『それと織斑千冬だが、けっして君の為に動くような立派な教師だとは思えないな』
『そう……かな?』
『好例が、君のクラスのラウラ・ボーデヴィッヒだよ。彼女は明らかにクラスから孤立している。
それなのに、担任である彼女は何もしないままだ。一度は話をした、とは聞いたが。それだけのようだしね』
……彼女の事と織斑先生に関しては、僕には何も言えないけど。ゴウの中では、織斑先生の評価はかなり低いようだった。
『ああ……君がどうしても明かしたいのなら、俺から明かそうか?』
『え?』
『あんな事を、自分の口から言うのは嫌だろう。――どうだい?』
『……』
結局僕は、何も決められず。一夏は、未だに僕の秘密を知らないままだった。
「……だから一夏とは、あまり話さないようにしていたのに」
今日、たまたま雨が降って一夏が傘を持って迎えに来た。それだけならともかく、なぜか更識さんも一緒で。
変に思われるのも嫌だから、一応普通に対応したけど……。
「もしも彼女なら……どうするのかな」
ふと。隣室のクラスメートの事が、頭に浮んだ。
『あら、デュノア君。こんばんわ』
僕は、隣室の宇月さんと食堂前で出会った。彼女は皆みたいに、僕を偶像(アイドル)扱いはしない。
一夏と同じ共学の中学の出身だからか、男子の相手に慣れているようだった。だからだろうか。
僕も、他の女子を相手にする時のように【仮面】を被らなくても済む部分があるから、少し助かっている相手だった。
『今日は一人なのね。さっき谷本さんから、織斑君が白式を展開して寮に帰ってきたって聞いたんだけど……本当?』
『うん。でも、驚いたよ。まさか雨が降ってたからって、白式を展開して更識さんを連れて帰るなんてね』
『ああ、更識さんを連れて帰るためだったの』
そういえば彼女はさっき、一夏のところに更識さんを知らないか電話をかけてきたっけ。
『あの。更識さんは、もう部屋に戻ったのかな?』
『さっき石坂さんからお礼の電話があったから、戻ったようね』
『そうなんだ、よかったね。でも、ISをああいう形で使っちゃうなんて……一夏らしくないかも』
『え、そう? むしろ私は彼らしいと思ったんだけど……』
思わず、正反対の感想を持つ彼女を見てしまう。……へ、変に思われなかったかな?
『一夏は、ああいう事はやらないと思ってたんだけど……』
『そうね、決して褒められた事じゃないし、あれは彼の欠点だと思う。だけど、美点でもあるとも思うのよ』
『美点?』
『確かに、良くない事だと思うけど。少なくとも更識さんを放置して帰るよりは、信頼できるわ』
『それはそうだね』
何かショックを受けていたらしい更識さんに対して、放置はしなかった。少なくとも、それが良い事なのは……あれ?
『ひょっとして、宇月さんも篠ノ之さんやオルコットさん達みたいに……』
『デュノア君、それは無いから。良く勘違いされるんだけど、織斑君はただのクラスメート。それだけよ』
『……どうしてなの?』
『彼と私の間に、絶対に埋まらない溝がある事が解ってるから……かしら?』
『……溝?』
僕は、聞いた話を思い出す。彼女は、篠ノ之さん達と共にクラス代表補佐だったらしいけど。倒れただとか聞いた事があるね。
『そういえば、宇月さんは一夏と周りのメンバーのストッパーだって皆が言ってるけど……あれ?』
どうして宇月さんは、頭を抱えてるんだろう?
『でゅ……デュノア君、それは言わないで。最近、落ち着いてきた所なんだから』
何か、凄く辛い物でも食べたような表情になってる。……何があったのかなあ?
『お! 香奈枝、デュノア君を捕まえてるじゃない!!』
『一緒に食べようよ!!』
レオーネさんや相川さんが夕食に誘ってきた。そして僕は皆と一緒に夕食をとり。
一夏が遅れた時の為に、定食を一つ部屋に持って帰ろうかなと思ったんだけど。まだ、他の皆が離してくれそうにないから……。
『宇月さん。伝言をお願いできないかな?』
『え゛? う、うん……』
彼女なら、一夏にちゃんと伝えてくれると思ったんだけど。……あれ、何かいけなかったのかな?
『わ、私が代わろうか!?』
『そ、そうだね! 宇月さんに任せてばっかりじゃ良くないし!!』
その時、谷本さんと相川さんが立候補してきた。ただし、怒っている織斑先生の元に近づくのが怖いのか、少し震えていたけど。
『いいわよ、二人とも。いつもならともかく、今の寮長室に近づく役目は代わってもらうには心苦しいし』
『で、でも……』
『またの機会にお願いするわ。じゃあ、もしもお説教が終わっていたら伝えてくるわね』
そして宇月さんは去っていったけど。そんな彼女を、二人は喩えようのない表情で見ていたっけ。
「絶対に埋まらない溝、か……」
彼女と一夏の間にあると言っていた溝。それが何なのかは解らないけれど。
「僕と一夏の間の溝は……埋まらない溝なのかな……?」
嘘を付いたままの、僕と一夏。今は上手く隠しとおせてるからいいけれど。もしも、ばれたら……。
『お前……騙してたのかよ?』
『男のふりして、一夏に近づいたのか……』
一夏や将隆の、そんな声が聞こえてくるようだった。
「僕は……どうすれば良かったのかな」
今更、どうする事も出来ないのだけれど。そんな声が漏れてくるのを、止められなかった。
「ちっ……予想外だったな」
オベド・岸空理・カム・ドイッチ――通称ゴウ――は、自室でその端正な顔を歪めていた。
元々が整った顔立ちだけに、それが歪むと常人よりも醜く感じられる。それは、その性根の表れでもあったが。
「更識簪に接触するつもりが、少々予定が狂ったな……」
戦いの中で『絶対的なヒーロー』への憧憬を持つ彼女に『力』を見せて接触する。その予定だった。だが。
「あのタイミングで、更識楯無と布仏虚が来るとはな……」
正確には追いつきかけたのだが、その時彼女の姉・楯無と虚も近づいてきたのを察した為に退いたのである。
自身にとって要注意人物である二人の前で、簪に今の自分が接触するのは避ける方が得策であり。
石坂悠には既に接触している為、寮内で簪に接触すればいい。そう思っていたのだが――。
「モブが邪魔になるとは、な。それに……あのクソサマーが簪に接触するとは、完全に予想外だった」
クラス対抗戦がバトルロイヤルに変更され、簪と一夏の接点が出来ている事は知っていたが。
近づく生徒達を邪険にも出来ず、それの対応に時間をとられた末に楯無・虚に邪魔をされ。
そしてその後も他の生徒に見つかり、相手を余儀なくされ。一夏がアリーナで接触したと知ったのは、夕食時だった。
「まあ、いいか。……アクシデンタル・エンカウンターがあれば、いつでも接触は出来るからな」
アクシデンタル・エンカウンター(偶然の遭遇)とは、ゴウが神より貰った能力の一つだった。
対象の人物を思い浮かべると、その人物がいる方向に矢印が『見え』て、それを辿っていけばその人物に出会える能力。
主に、ゴウの狙う『ヒロイン』達の居場所を探り、偶然を装い出会うのに使われているが……。
以前に合同授業中に試した結果では、御影のステルス能力すら無効化できると判明している程の能力だった。
「さあて。では口直しに、今回は――セシリアを狙うとするか」
十分後。セシリアは『偶然にも』出会ったゴウと、彼の自室でお茶を共にするのだった。
「ではオルコットさん。ごきげんよう」
「ええ」
恭しく一礼すると、ドイッチさんは扉を閉じた。……その態度には、まるで非の打ち所は無い。
調べた所によると、あのカコ・アガピのグループ企業の出身であるためそれなりにマナーを身につけているようだ。
今も、わたくしを自室まで送ろうとしたのだけれど……それは、断った。どうしても、言葉に出来ない警戒感が抜けない為。
……自分でも説明できないこの感情が、もどかしい。その見極めの為に、彼の誘いに乗ったというのに。
「ねえオルコットさん。今、ゴウ君の部屋から出てきたけど……お喋りでもしてたの?」
「あら、貴女は確か……ゴールドマンさん?」
「ええ、覚えていてくれたんだ」
「当然ですわ」
そこで話しかけてきたのは、鈴さんの友人の二組の生徒であるエリス・ゴールドマンさんだった。
彼女とは、鈴さんと模擬戦をした際にそのデータ収集をしていた縁で知り合った。その為、顔を覚えていたのだけれど。
「どうしたのですか? 鈴さんや他の方は一緒では無いようですけど……」
「ちょっと、ね。それよりも、何かさっきのお別れの時……ゴウ君と良いムードだったよね」
「なっ!?」
な、何を仰いますの!?
「冗談は止めてくださいますか!? わ、わたくしは――」
「解ってるって。――でも、結構いい相手だと思うよ?」
「友人として付き合うなら、そうなのかもしれませんけれど」
生憎と、あの方の事は殿方としては見ていない。……さっきまでの感情が、どうしても消えないから。
「ふうん。一年を席巻する欧州の貴公子コンビの出現にも、英国代表候補生は揺るがず……か」
「貴公子……コンビ?」
恐らくは、デュノアさんとの事なのだろうけれど。
「あれ、知らないの? 最初は織斑君だけだったけど、今や男子生徒は六人。その中で誰が良いか、派閥が出来始めてるのに」
「そうですの……。それで、デュノアさんとドイッチさんが人気、だと?」
「うん。優しくて、しかも高速切り替えさえこなせるデュノア君と。少し厳しいけど戦闘中以外はむしろ紳士なゴウ君と。
二人ともヨーロッパ出身だし、しかも両方とも良い所のお坊ちゃんだし。人気がどんどん高まっているらしいよ?」
熱心に語るゴールドマンさんだけれど、わたくしには特に興味が湧かなかった。
デュノアさんとは同じクラスメートだけれど、あまり接点がなく……ドイッチさんには、前述の警戒感がある為。
「でも聞いた話だけど、二人とも仲が良いみたいだし……。男子も、二つに分かれてるのかな?」
二つ……?
「派閥抗争、のような物があると仰るんですの?」
「そこまで大した物じゃないけど。織斑君は対抗戦の前からの付き合いである安芸野君と親しいし。
その安芸野君は、ルームメイトのブローン君や昔からの知り合いだったクロトー君と親しいけど。
ゴウ君は、なぜかその四人にあまり近づかないみたいなのよね。デュノア君も、織斑君と距離を取っているって聞くし」
……その言葉を検討してみるけれど。確かに、一夏さんに話しかけられたデュノアさんが、それを遮ったり断ったりするのを見た。
それも一度ではなく、何度も。わたくしからすれば、その間隙を突く形で一夏さんに話しかけられたから、幸いではあったけれど。
「……」
その言葉と共に、私は密かに抱いていた懸念が大きくなるのを感じた。それを、怪訝そうな顔でゴールドマンさんが見ていたけれど。
「ところで、一つお伺いしたいのですけれど。……貴女の狙いは、友人の支援ですの?」
「……」
話題をそらしたその途端、ゴールドマンさんは悪戯を見咎められた子供のような表情になった。……それが、何よりの回答だった。
「あー、一応言っておくけどこれ、私が勝手にやった事だからね。そこだけは、誤解しないで欲しいんだけど」
「ええ、承知していますわ」
鈴さんとは、まだ会ってそれほど長い時間を過ごしたわけではないけれど。
少なくとも友人を利用し、恋敵に他の男性に視線を向けさせるように差し向けるような方ではないのは解る。
「そう。じゃあ、ね」
「ええ、御機嫌よう」
ゴールドマンさんと別れ、本国と通信を取る為に少し足を速めた。
その時、開かれたドアの向こうから去り行くわたくしを見ていた視線には気づく事もなく……。
『はい? もう、ですか? 七月上旬に、と思っていたんですけど』
「いえいえ。一日だけでも構いませんので来て頂けますか?」
『轡木さん……ちょっと急ですね、それは』
轡木十蔵。IS学園の真のトップが、動いていた。それは、ある意味で今年の一年を左右する人物達へのささやかな干渉の為。
『こちらとしては、まあ構いませんが……その日ですか』
「おや、もしや家族サービスの日でしたか? それは失礼を――」
『サービス!? とんでもない! その日は私にとってまさに至高の日! 天国へと導かれる、かけがえのない日ですよ!!』
その声色から、事情を察するが。それは、電話相手にとって触れてはいけない場所だった。
『……すいません。少々取り乱しました』
「いえいえ。泰然自若としている貴方のそういった声を聞くのも、楽しみですよ」
『人が悪いですね……』
「老人の、ささやかな悪戯です。……ああ、解っているとは思いますが」
『ええ。その辺りは心得ています。では、スケジュールは後ほどそちらに送りますので』
「ええ。ではお待ちしていますよ、海原さん」
それで通話は終わり。同時に十蔵は、後ろを振り向く。――音もなく入ってきた、生徒会長の相手をするために。
「今のは、海原さんですか?」
「そうです。更識君は……」
「話は伺ってますけど、直接お会いした事はありません。海原裕(うなばら ゆたか)さん。元IS日本代表専属メンタルトレーナー。
そして三年前に『彼』の、そして少し前まで『彼女』のメンタルケアを担当したんでしたね」
「ええ、そのとおりですよ。ちょっと、予定が早まりまして。こちらに一日だけ、来てもらう事になりました」
「それは、公式に……という事ですか?」
「ええ、名目上は織斑先生との用件になりますが。実際は、違いますね」
「なるほど。では、私達もそのように動くとします」
「……ところで、更識君。簪さんとは、どうなのですか?」
そういうと、楯無はまた音もなく去ろうと――するところで、十蔵の声がかかる。
穏やかな声だったが、楯無にはそれがまるで轟音であるかのように、足を止められた。
「……まだまだ、私も未熟です」
「そうですか。もし私で手助けが出来るなら、言ってくださいね」
「ありがとうございます。――十蔵さん」
完璧な礼をし、去る楯無。そんな彼女を、IS学園の真の理事長が見守る。その顔に浮かんでいたのは――。
「ふう。駄目ね、私。これじゃ楯無じゃなくて台無しになっちゃうわ」
二年生寮の玄関近くで、楯無は『未熟』と書かれた扇子を取り出して一人で夜空を眺めていた。
色々な人に案じられながらも、結果を出せない自分。殆どの事が『やれば出来る』彼女には、珍しい苦悩だった。
「……対抗戦も、結局は一年生の四人に半ば任せちゃったし。はあ」
「あれー。たっちゃんじゃない。どうしたの、こんな所で」
「あれ、薫子ちゃん」
だが。そこで新聞部副部長・黛薫子に向けた顔は、いつものように捉えどころの無い笑顔だった。
少なくともそれは、ある程度は楯無と親しい薫子の目を誤魔化せる……はずだったのだが。
「たっちゃん、何かあったの? ……なーんかいつもと違う気がするんだけど」
「そう、かしら? うーん、ちょっとリップクリームを変えたからかな?」
「お、そういえばちょっと色が変わってるね?」
「うん、そうなんだけど……」
(はあ……台無しでもなくて形無し、かもねえ)
それは、見破られてしまった。あえて話題を変える楯無だが、それは薫子にもわかっていた。
「……」
その時、背後から楯無の胸に伸びる手があった。その手が、楯無の豊かなふくらみに届……こうとした瞬間。
楯無がまるで舞うように避け、その手から逃れる。追撃として、扇子でその手を叩いた。それは――。
「くう。やっぱり楯無さんのガードは固いわね……」
「残念だったわね、波音ちゃん」
大沢波音。楯無のクラスメートの一人であり、無類の胸好き女子であった。
「今夜ならいけるかもと思ったんだけどなー。うーん、残念」
「ふっふっふ。私の胸を揉める日は、まだまだ遠そうね」
「諦めないわよ、私は。この“羅刹天”の転生体たる私は、その胸を揉む日が来るまで……決して、諦めない」
「おお! 学生最強のたっちゃんと、並み居る猛者の胸を揉んできた波音ちゃんとの対決かぁ! ペンが燃える、燃えるわ!!」
不敵な笑みを取り戻す生徒会長と、痛々しい妄想持ちと思われながらも実力者と認められた生徒の対決。
そしてそれを元に記事を作り上げようとする新聞部副部長。ツッコミ不在の二年生達の一幕は、もう暫く続くのだった。
余談
一夏が自室に戻ってから。残された四人も、それぞれ戻ろうとしたのだが……。
「わ、私の時は引っ張るだけだったのに……更識はお姫様抱っこだったのか……」
「ああ。そういえばあったわね、そんな事が」
箒の一言で、また問題が再燃した。ストッパーの香奈枝も、うっかりと受け流してしまったが。
「……そんな事があったわけ? っていうか、箒の時って――どういう事?」
「確か、わたくしが暮桜の誤解をした時――でしたわね。箒さんを、一夏さんが食堂に連れて行ったときのことですわ」
あいにくと、残る二人には聞き捨てならない話だった。
「はあ!? 何を羨まし……じゃなかった、子供みたいな事されてるのよ!!」
「あ、あれは偶々だ! い、一回だけだ!!」
「当然ですわ!! わたくしでさえ、一夏さんにエスコートされた事なんてありませんのに!」
「……あれって、エスコートに入るのかしら?」
香奈枝のツッコミも空しく。織斑ガールズは、ますますヒートアップしていく。
「そういえば箒、前にデュノア達が転入して来た日の合同授業で一夏にお姫様抱っこされてたじゃないの!!」
「そうですわよ! 贅沢ですわ!! わたくしだってやってもらった事は無いのに!!」
「あ、あれはISを立ったまま解除されたから、し、仕方なくだ!」
「一人目の相川さんはともかく、二人目の岸里さん以降は故意に見えましたが?」
「そういえば箒、あんたもわざとでしょ……?」
「あ、あれはその――ぐ、偶然だ!!」
そして話は、一組と三組に転入生がやって来た日のことにまで飛び火した。
一夏のグループに入った女子達が、一夏にお姫様抱っこをされて打鉄の装着に入った事があり。
他のグループからは餌を待つ小雀のような視線を向けられていたのだが……箒も、その一人だった
「――あのね皆。いいかげんに、ここが『何処』の近くだか考えた方がいいわよ?」
その瞬間。香奈枝の言葉の指す意味を理解した三人が、瞬時に口を閉ざし。
「……ほう。黙ったか。もう少し喋っていたら、注意をしようかと思ったのだがな」
同時に寮長室のドアが開き、寮長である千冬が出てきた。
その手に持った出席簿が一度振られたが、それと共にどう考えても出席簿が出すようなレベルでは無い音と風が発生する。
「篠ノ之、オルコット、凰。あまり騒ぐな、そして宇月に迷惑をかけるな。――解ったか?」
呼ばれた三名が無言で頷くと、寮長室のドアが閉ざされる。……暫くの間、注意された三人だけでなく香奈枝も動けなかった。
「……と、とにかく私の方で少し追加をするから、部屋に行きましょう? もう、これ以上ここで騒ぐと危険だし」
「う、うん、そうしましょうか」
「そ、そうだな、頼む」
「お、お願いしますわね」
そして、姦しい少女達は香奈枝の部屋――途中でフランチェスカと合流して予定を変更し、一夏の部屋へと向かったのだが。
この光景を見ていた三組生徒に『宇月香奈枝が織斑ガールズのストッパーというのは、本当だった』と思われ。
その話が、尾鰭を付けながら広がっていくのは後日の事であった。
※私の時、とは入学当初、箒を引っ張って食堂に連れて行ったときの事です。一応補足。
進まないこのSSは、いつになったらシャルの正体バレ&トーナメントに進めるのでしょうか。……今でしょ、と言いたいんだけどなあ。