自室に戻ったラウラは、情報を見ていた。ブラックホールコンビが集めた情報を、アンネ・エーベルト経由で得て。
それを今、閲覧しているのだが。……その表情が、侮蔑とは違うものになっていた。
「宇月香奈枝、フランチェスカ・レオーネ……共にISランクB、か」
織斑一夏の四年連続クラスメイト、などは一顧だに値しない情報だった。
彼女が気になるのは、宇月の方が日本代表候補生のIS建造に少々関わった、という点だけ。
「ふむ、整備の基礎は学んでいるようだな。――そうなると、評価は改めるべきか?」
誤解されがちだが、彼女はISの力だけを絶対視しているわけではない。織斑千冬を、神格化に近いレベルで見ているのも確かだ。
ISの力は強大であり、他の如何なる兵器も及ばないと考えてもいる。――だが、ISだけで戦争に勝てると思うほど馬鹿ではない。
世界を焼き尽くすのなら兎も角、戦争においては『占領』『生産』『輸送』などのファクターが存在する。
これらはISで行う事は出来ない。占領はIS操縦者以外にも多くの兵士を必要とするし、生産や輸送は言うまでも無い。
事実、ドイツ軍でもIS部隊『シュヴァルツェ・ハーゼ』が新造されたが、IS出現前と変わらない部署もあった。
変化があったとするなら、主力戦闘機等の配備数が減った事や、それに当てられていた予算が減少した事。
――これらにしても実戦配備から多少外れたり減額というだけであり、完全に消滅したわけではない――。
そしてIS学園卒業者や、入試に受からなかったとはいえ優秀な女性の人材が『多少』入ってきたくらいだろうか。
――では何故ラウラが学園の生徒に低い評価を下すのか。
それはISと言う最強の力を振るう為、彼女が尊敬する千冬の指導を受けるのが低俗(と彼女が判断した)思考の女子だからだ。
ISやその他の学習・訓練にのみ時間を使わず、部活動や買い物などに時間を費やすその有様は、彼女からすれば許容できなかった。
これが一般人であれば別なのだが、ラウラからすれば、ISとは(建前上はさて置き)軍事力に他ならなかった。
そんな力を、一般人と変わらない思考の女子が使用する。それが許せなかったのである。
だからこそ、香奈枝やフランチェスカに対してあのような態度に出たのだ。
ただし、整備の人間は異なる。整備の人間とは争うな。これは、ある意味では軍人(特にパイロットなど)には大原則だ。
いかなる機械であれ、整備士がきちんと整備しなければ動かない。戦車は動かず、戦闘機は飛ばず。火砲は当たらず、軍艦は進まず。
ISは自己修復能力があるとはいえ、大破してしまえば修理は必要であるし、ラウラには、IS以外の兵器も動かす機会もある。
ならば、整備の人間とは争うべきではない。これは彼女が軍隊で生きる中で学んだ必須の一つであった。
あくまで争わないだけであり、親しもうとはしていないが。それは整備の人間だけでなく、同じ部隊の部下達に対してでもであった。
「……まあいい。私の邪魔をしなければ、一般生徒など相手にする必要もないか」
国家代表レベルであるという生徒会長などならいざ知らず。この学園にいる同級の輩など、軍隊の中の落伍者レベルでしか無い。
この地に来て、それを実感していたのだが。
『楽しかったの?』
「何故、あの言葉で心がざわめくのだ……?」
楽しかったのか。自問自答するが、答えは出ない。
「そういえば教官の側にいると、体の奥底から力が湧いて出てくるような気がしたな。――あれが、勇気、というものなのだろうか」
ラウラには、当然ながら千冬以外の教官からの訓練もあったのだが、その合間を縫っては千冬に会いにいっていた。
他の教官には良い顔はされなかったが、自身が実力を付けるにつれてその態度も隠れていった。
その時、千冬に会う度に沸き起こった感情。それを懐古すると、その感情が再び沸き起こるような気がした。
「ん? 来客……か?」
それを遮り、ノックがする。現在は一人部屋である彼女は、特に誰を入れるつもりもなく無視したが。
「……ボーデヴィッヒ。いないのか?」
「き、教官!?」
さすがの彼女も、この状況でのタイミングの一致には驚くしかなかった。彼女らしからぬ、慌てた態度でドアを開ける。
「き、教官。どうしたのでしょうか!?」
「なあに、様子見といった所だが。――お前の調子はどうなんだ? 前はお前の意見を聞くだけで、ロクに会話も出来なかったからな」
「はい! シュヴァルツェア・レーゲンは、問題なく……」
「違う。ISではなくお前が、だ。軍隊しか知らないお前が、学校――しかも異国の風土と風習の中でやっていけるのか、と思ってな」
「お心遣い、感謝いたします。……問題は、ありません」
「そうか。……一ついっておくが、私の事は教官と呼ぶな、と言ったぞ? まあ、すぐに慣れるのは無理かもしれないがな」
「もうしわけありません」
自分すら気付いていないレベルの『嘘』が混じった回答だったが、千冬は気付きつつも追求はしなかった。
代わりに指摘したのは、些細な呼称の事だったが。――次に口を開いたのは、ラウラの方だった。
「……一つ、質問を宜しいでしょうか?」
「何だ」
「宇月香奈枝、という生徒についてです」
「あいつに関してだと? ……何故だ?」
「日本代表候補生の機体の一件について、教官があの生徒を認めているという情報を入手しました」
またあいつは何か絡んだのか、と僅かに眉間に皺を寄せたが。その内容に、僅かに溜息をついた。
「誰だ、そんな事を言ったのは。……もしかすると、レオーネか?」
「はい。――本当なのでしょうか?」
「……宇月自身が私の下した評価をどう捉えたのかは知らんし、あの一件が客観的に見てどのような評価に値するのかはさて置き。
奴が日本代表候補生の機体作成にかかわり、私の予想以上の働きをしたのは事実だ。認めているといえば、そうなるな」
「――!!」
(……羨望、か。こいつのこの表情を見るのは『二度目』だな)
その時、ラウラの隠されていない右目が大きく開かれた。そんな表情に、千冬はある事を思い出す。
「違う……」
「ん?」
「やはり貴女は変わってしまった!! 衰えてしまった!! こんな場所にいるから――!!」
「止めろ、ラウラ」
「っ!!」
静かだが、力を込めた一言に激昂したラウラの言葉も止まる。そんな教え子に、ふう、と溜息をついて千冬は言葉を紡いだ。
「ラウラ。お前が私にどのようなイメージを持っているか知らんが、変わらない物など無い。物質然り、人の心然り。
天体でさえ、時が流れれば位置も大きさも変わるんだぞ? それとも何か、お前の中では私は神か何かなのか?
もしもそう思っているのならば――それは私ではない、別の何かだ」
「そ、それは……」
「もう一度よく考えてみろ。今のお前は、何かに囚われすぎているぞ」
「……囚われる?」
「そうだ」
唯一尊敬の念を向ける千冬からの言葉に、ラウラも考え込むが……結局、何も答えなかった。否、答えられなかった。
もはやこれ以上の問答は無意味と悟ったのか、千冬も部屋を出る。そしてもう一度溜息をつき。
「はあ、どうも刀を振るうようには上手くはいかんな。――で、お前はそこで何をしているんだ、生徒会長」
「あはは。ばれちゃいましたか」
その言葉と共に、扇子を持つ生徒会長が忍者の如く現れる。常人が見れば驚くであろうが、あいにくここには常人はいない。
「ちょっと気になったもので。あ、何でしたら私がラウラちゃんを――」
「却下だ」
「……せめて言い切らせてくださいよう」
小鳥のように可愛く突き出す楯無だが。あいにくと、それを見た唯一の人物はそんな事で動じるわけはなかった。
「ロシアの代表が、ドイツの代表候補生に必要以上に絡む事は色々とまずいだろう」
「大丈夫ですよ、この学園内なら」
「だとしても、あいつがお前の毒に蝕まれたらどうなる。ISコアの一つや二つは差し出さんと、ドイツに申し開きが出来んぞ」
ちなみに、ISコアの取引や譲渡などはアラスカ条約で禁止されている。だが、裏道がないわけではない。
その内の一つが楯無の持つ『自由国籍』だったりするのだが……閑話休題。
「ひどーーい。生徒を毒扱いですか?」
「違うのか?」
「……あの、いくら私でも。即答かつ、そんな心底不思議そうな顔をされながらそう言われると……凹みますよ?」
「心配いらん、お前の(妹絡み以外での)精神の頑強さは学園一だ」
「うわー、ものすっごく嬉しくない褒め言葉。しかも、何か変な間があったし」
冗談のやり取りだが、顔は笑っていなかった。
「さて、冗談はここまでにして。――どうしますか、織斑先生?」
「どの道、今のあいつに『私が』何を言っても無駄のようだな」
「私が、ですか。なら――」
「誰かが諭させる他はあるまい。出来れば織斑辺りがやってくれると良いのだがな。――こればかりは、宇月にやらせられんだろう」
「そうですかね? 彼女なら案外と――」
「やれるかもしれん。そもそも、私に出来ないと確定しているわけでは無いしな」
しかし、千冬には『出来ない』のだ。元々が口八丁ではない。どうすれば教え子に思いを伝えられるのか。
そして相手がそれをわかってくれるのか。――世界最強といえど、まだ24歳の女性であるのだ。
「彼女に必要なのは『格下と思っている人間』への敗北、ですかねえ?」
「さて、な。人間の心理に最良はあっても正解など無い。どのような言葉を紡げば最良に至るのかは解らない……。
そもそも最良とは何なのか、それを考える必要もある。……以前知り合った心理学の博士が、そんな事を言っていたな」
「まあ、どの道彼女は『先生以外に認められる人間』に『この学園で』出会わない限りは無理でしょうね」
「ああ。出来れば、戦闘能力以外で……だな」
そして沈黙が訪れたが。――それを破ったのは、楯無だった。
「話は変わりますが……ちょっと質問があるんですけど、よろしいですか?」
「お前が私に質問とは、珍しいな? 明日は嵐か」
「あはは、それはそれで面白いですけど。実は四月の――ちょっと失礼」
ある質問を投げかけようとした楯無だが、急を要する報告が入った着信音に会話を打ち切る。だが。
「ん? 着信音Bの……ブルーテンポ?」
虚から楯無への報告は、多種多様であり。どのような用件かで、着信音とテンポが変わる構成になっていた。
着信音Bとは五段階の二位であり、比較的急を要する用件だが。ブルーテンポとは、危険な意味では無い内容を示すテンポだった。
『お嬢様。……少々、厄介な事態になりました』
「……? どうしたの、虚ちゃん。お嬢様じゃなくて、会長だって――」
『一年四組の専用機持ち同士が、たった今――戦いました』
「え……!? ちょ、ちょっと待った! それって、明日じゃ……」
『どうやら、偶発的に勃発した模擬戦のようですが。――簪様が敗れました』
「……そう。でもね、虚ちゃん。そう言う事は、別に急いで報告しなくても――」
流石に驚きを隠せない楯無だが。一瞬でそれを覆い隠す。だが、知らせはまだまだ悪い方向に続いていた。
『それが……四組生徒の一部の心無い発言が、簪様を傷つけられたようで。アリーナから逃げ出した、と……』
「……あっちゃあ」
『……お嬢様』
わずかに口ごもる腹心に、楯無も違和感に気付く。簪の逃走を、わざわざ自分に伝えなければならなかった意味とは……。
『こういう時に、このような事を言うのは心苦しいのですが。――この機会に、そちらからお話をしてみては如何ですか?
本来ならば、明日の筈でしたが……。予定が狂った以上、繰り上げても良いと思います。
簪様の現在位置からして、向かっている方向は予測済みですので……先回りしようと思えば、可能です』
「!」
それは、彼女らしからぬ踏み込んだ一言であった。勿論、これは虚の私情である。だからこそ『お嬢様』と呼んだのだろう。
『最近は色々と忙しく、話をする暇も無い時が多いですから。
このようなタイミングではあるとはいえ、姉妹の溝を埋められる、いい機会なのでは無いかと思うのです』
「……私は、生徒会長よ。確かに専用機持ちのクラス代表が、そういう事態になっているのはあまり宜しくない事態だけれど。
だからといって、私がそういう理由で決められたスケジュールを乱して動くような事は――」
私情を殺し、理性と正論で自分を固めようとする楯無だが。――意外な所から、それを打ち崩す言葉が投げかけられた。
「行ってやれ、更識。確かお前は、今回の学年別トーナメントにむけての会議に参加するのだったな?
だが生徒会長一人が一時間抜けた程度で大事になるほど、IS学園は脆くは無いぞ」
「え? で、ですけど……」
「……お前も姉なら、自分から動け。名目上は『専用機持ちのメンタルケア』とでもしておけ」
「……っ!」
僅かに一礼すると、楯無は音もなく走り去る。……それを見届けた千冬は、端末を取り出し。
「――布仏か? 織斑だ」
『織斑先生……?』
「今ちょうど、偶然にも生徒会長と一緒だったのでな。話は聞いたが、更識が敗れたらしいな」
『ええ。……まさか、ここまでの実力者だとは思いませんでした』
「確かに、な。――まあ、お前が冷静である以上、戦いそのものには問題はなかったのだな?」
『ええ。圧倒的な性能差と力量差があった事が不自然な点、そして例の口上のような発言を除けば』
「三組のブローンを打ち破ったという話は聞いたが……ここまで、とはな」
千冬の脳裏に、僅かな警戒が生まれたが。直感に近いそれは口にださず、別の話題へと変えた。
「それにしても、今この機会に、か。……少々早急なのではないか?」
『それも、考えないではなかったのですが。上手く転べば、姉妹の溝も埋まると思いましたので』
「それはそうかもしれんが……更識姉は、妹の事になると別人のように臆病になるからな」
『そうですね。こういう場合、周囲から動くというのも手の一つであると考えました』
「そうか、上手くいけばいいがな。……それにしても、お前達姉妹は手のかかる主人を持つな」
『それが私達の選んだ道ですから。それに、一番手のかかるのは私の妹です』
「なるほど、な」
『あら、電話が……先生、失礼します』
「ああ」
僅かに困ったような、しかし苦笑いの要素を込めた声を出す虚に、千冬も顔を綻ばせた。
そして通信が終わり、千冬一人が残されるが。その脳裏に、ふとある姉妹の顔が浮かんだ。
「更識姉妹も厄介な状態だが……。あいつらも、まだ雪解けには程遠いだろうな。
――さて、と。私の時間は少々空いていたが……更識の穴、埋めるとするか」
千冬は表情を殺し、会議室へと向かう。その表情を見れば、楯無や虚達であれば何かを悟ったかもしれないが。
あいにくとそれを悟る事の出来る者はおろか、見ている者さえもいないのだった。
その日、更識簪は第五アリーナにいた。ルームメイトの石坂悠と共に、アリーナの予約が取れたからだが。
「おいで……打鉄弐式」
打鉄弐式は、現在戦闘プログラムの改良が終了していた。装備や武装はクラス対抗戦時と変わっていないが、より扱いやすくなり。
更にプログラム結果として、戦闘力は対抗戦時よりも30%上昇していた。
「更識さん。どうなのですか、打鉄弐式の様子は?」
「大丈夫……。まだまだ改良する点はあるけど、その気になれば今日でも戦える」
「そうですか。では――」
「おや、石坂さんに更識さん。君達もここのアリーナだったのか」
「ゴウ君!? あ、貴方もここの使用だったのですか!?」
その声に、悠は首が折れるのでは無いかというほどの早さで振り向いた。
ゴウも苦笑し、簪も呆れるが……当人としては、100%大真面目である。
「俺は本来第六アリーナだが、ちょっと都合でこちらに回されてね。――まさか、更識さんも一緒だとは思わなかったが」
「貴方との戦いは明日。今日一緒、っていう事はあまり良くない」
「ふむ……。俺としては、今日でも悪くないんだが。確か君も、今日でも戦えるとさっき言っていたね?」
「……」
簪は、目の前の男性操縦者をじっと見つめていた。その発言の意味をさぐる部分もあったが。――先手を取られる。
「そうだ。一日早いが、これから戦ってみないかい?」
「え……?」
「ご、ゴウ君。明日という予定で皆が動いている以上、でそれは少々まずいのでは無いかと……」
「大丈夫さ。――それに、模擬戦はいつやろうと自由だ。君にも、オムニポテンスの力を見せたいのだし」
「そ、そう、ですか……?」
「……」
にこやかな笑みを悠に向ける美少年に、簪はどこか不信感を懐く。クラスでも多くの生徒と打ち解け、仲良くしている少年だが。
ルームメイトに向けた態度に、説明できない不信感が生じたのだ。
「……さて、どうするかな更識さん? 俺としては、早く君と手合わせをしたいのだが。都合が悪いかな?
俺も、学生最強を目指さないわけではないのでね。少しでも多くの戦闘経験を積みたいんだが」
「……少しだけ、なら」
不信感はあったものの、簪は頷いた。ゴウの言葉にあった、学生最強を目指すということ……それに、釣られたともいえる。
――そして第五アリーナで訓練していた生徒に一時、場を空けてもらい。模擬戦が始まるのだった。
「くっ……!」
簪は、オムニポテンスの機動性に舌を巻いていた。授業などで知っていたつもりのそれは、敵として相対すると想像以上に早い。
荷電粒子砲もミサイルも、全て回避――あるいは迎撃された。
(打鉄弐式の力……そんな物か?)
一方。声に出さなかったが、ゴウは失望していた。彼女は打鉄弐式を一応は動かせる状態まで持っていき、クラス対抗戦にも参加し。
ケントルムとプロークルサートルを相手に奮戦したと知っていたのだが。
(やはり所詮は、更識楯無には遠く及ばない……か。だが、こいつは必要な駒だ。更識楯無への、足掛かりにもなる。
更には、日本政府への足掛かりにも。――外すわけにはいかないな)
クラス対抗戦の日の映像と今の相手とを比べつつ、その口元を僅かに歪めながらも特注のアサルトライフルでの射撃を続ける。
その弾丸は簪自身には当たらないが、ミサイルを貫通し直線上にあった別のミサイルを破壊するほどの威力がある。
「な、何なのその弾……!」
「破壊力と速度を両立させた、特殊加工したタングステン鋼の弾丸だ。少々取り扱いが難しいがな。
両立させる為に少々複雑な機構になっているのと、一発ごとにかなりの衝撃があるが……ね」
「タングステン……!?」
高い融点を持ち、戦車の装甲や砲弾にも使用されるタングステン鋼。確かに、それならばこの破壊力も納得だったが。
(だとしたら……この威力は、徹甲弾並って事!?)
確かにタングステンは、対戦車用・対艦用の徹甲弾の弾芯として使用される事はあるが。
それをアサルトライフルの銃弾に使うなど、聞いた事がなかった。それだけ威力を重視した結果なのだろうが。
「ほらほら、まだまだだよ」
アサルトライフルを収納したゴウは、次の武器を取り出す。……この時点で、簪のシールドエネルギーはまだ残っていたが。
……既にミサイルの残弾数や荷電粒子砲の残存エネルギーが、危険域に達していた。
(は、話をして見る……って言ったんだから!!)
だが簪も、こんな所で負けるわけにはいかなかった。簪は相手の事は知らなかったが、少なくとも自分よりもIS搭乗の経験は少ない。
そして打鉄弐式の建造時に力を貸してくれた、布仏本音や他の生徒達の努力の為にも。ここで負けるわけにはいかなかった。
「気勢は高いようだが――無駄だ」
「!?」
瞬時加速並みの速度で移動したオムニポテンスから放たれた銃弾が、打鉄弐式の肩アーマーを弾き飛ばしていた。
装甲の継ぎ目を精密な射撃で狙い撃ち、装甲を弾き飛ばしたのだ。
「な、何て射撃力……」
「射撃だけでは無いさ」
再び移動したオムニポテンスは、簪の眼前にいた。
「悪いが、貰うぞ」
「!」
荷電粒子砲・春雷がオムニポテンスのブレードにより真っ二つに切り裂かれた。更に――。
「ISの格闘戦も、重要な要素だ」
「っ!!」
嘗打・肘打ち・ボディーブロー……まるでサンドバックのように、打鉄弐式が打撃を受けていく。
シールドエネルギーの減少はさほどでは無いが、とにかく手数が多くこちらに攻撃の時間を与えない。
(は、速い……!!)
今回量子変換した薙刀・夢現はそのリーチからしてもある程度距離を取っておかないと真価を発揮できない。
今の攻撃距離では、簪に打つ手はなかった。
「もしも俺が、君の『敵』なら。――これではすまないよ?」
「え……?」
「ヒーローなんて、現実には助けに来ない。どれほどそれに焦がれようと、ね」
奇妙な言葉を漏らしつつも、ゴウの猛攻は止まらない。打鉄弐式の装甲が弾かれ、シールドエネルギーが削られていく。
「これで――終わりだ」
「!」
その瞬間、簪には何が起こったのかわからなかった。オムニポテンスの右の『手首』に展開されたもの。
それは――戦車砲のような物体だった。その中に、何か弾丸が詰まっている――と認識した瞬間。
簪の腹部へと、それが叩き込まれる。対ISアーマー用特殊徹甲弾。……それが、模擬戦の終了の合図だった。
「……」
「ふう。……やり過ぎではないか、と思っているのかい?」
「別に……」
「……モンド・グロッソは所詮お遊びだ」
流石にここだけは小声にしたが。その目には、自身の言葉への確信がはっきりと表れていた。
お遊びでは無い戦い。それを、立証したとも言えるが。
「これが、本当のISバトルだ」
事実、打鉄弐式はかなりの損傷を受けていた。各部装甲は全損も珍しくなく、駆動系にもダメージが入っている。
通常ならば、ここまでやる必要はなかったのでは無いかと思えるほどだが。
「――まあ、今回はここまでにしておこうか。やはり打鉄弐式も、まだまだ改良の余地が大きいようだしね」
だが、ゴウは簪に手を差し出した。その目には先ほどの強い確信を込めた光はなく、人懐っこささえ窺えた
「だが、そんな機体でここまで戦った君も強かったよ。……これからも、一緒に頑張ろう」
「え、ええ……」
本来ならば、決して手を取らなかったであろうが、簪は恐ろしさと共に憧憬を懐いてしまっていた。
それは、完全無欠の存在への憧憬を持つ故に。そして――もう一つの思いも、それを助長する事になっていた。
「……負けちゃった」
更衣室に戻った簪の表情は、暗さと共に別種の何かを持っていた。
鬱屈としたそれは、彼女の心をじわじわと侵食していくが――。その時、声が聞こえてくる。
「それにしてもゴウ君、強かったよねー」
「そうそう。……ひょっとしてさ、クラス対抗戦もゴウ君ならあの騒ぎの前に勝ててたんじゃないの?」
「ありうるかも。それだったら、デザートパスも半年分貰えたのにねー」
「この声……?」
更衣室に入ってくる気配と共に聞こえてきた声。それは、簪にとって聞き覚えのある声だった。
「あーあ、勿体無いなあ……あ。更識さんだ……」
「あれ、聞いてたんだ?」
それはかつて、宇月香奈枝が簪と初めて出会った時――あのトイレでの一幕と同じような構図だった。
だが、その時のような『慌てる』という表情が女子生徒達にはなかった。あるのは侮蔑・嘲笑……。
そういった、自分が優位にあると思わなければ出てこない感情だった。
「……」
だが、簪もあの時とは違う。まるで気にしていないように受け流す――そのつもりだったのだが。
「……更識とは名家だと聞いていたのですが。――必ずしも傑物ばかりとは限らないようですね」
「!」
それは、簪の心の地雷を助走と大ジャンプつきで踏み抜く如き言葉だった。
そしてそれを言ったのは、中立であった筈の少女、ロシオ・マルティン。どのクラスメートに対しても平静に対応していた彼女が。
『お姉さんはあんなに出来たのに、貴女は……』
『この位、貴女のお姉さんは簡単にこなしたわよ。貴女にも出来るでしょう?』
そんな事を言っていた人間と、同じ目をしていた。その途端、簪の心に抑えきれないほどのマイナスの感情が湧く。
「……」
だが、ギリギリで押さえた。そして、ゆっくりとアリーナを出ようと……ドアへと手を伸ばした瞬間。
「貴方の姉ならば、上手い切り返しも出来たでしょうに。――貴方には、無理のようですね」
「!!」
簪の、心の傷を抉るような言葉を吐いた。……それが、限界だった。更衣室のドアが閉じ、残ったのはマルティンと三人の女子。
「マルティンさんって、結構きっついんだ……」
「あ、あそこまで言うなんて……思わなかった……」
「い、良いのかな……?」
「私は、思った事を言っただけです。……では」
流石に引き攣る四組生徒三人に、ロシオ・マルティンは悠然と立ち去る。そして人気がなくなったところで、個人端末を開き。
『……やってくれたのか?』
「ええ、貴方の指示通りに」
『ご苦労。謝礼は口座に振り込ませておく』
「いえいえ、貴方こそお疲れ様でした。――ゴウ君」
獲物を銃口の前に誘い出す勢子の役目を果した少女は、この邪(よこしま)な寸劇の監督兼射撃手へと、報告を入れるのだった。
「はあっ……はあっ、はあっ……」
簪は、ただ走り続けていた。何かから逃げ出したくて、何かから離れたくて。……そして体力の限界が来て、近くの椅子に腰掛ける。
そしてようやく落ち着いた所で、ふと時計を見ると……20分ほどが経過していた。
「何やっているんだろう、私……」
あの時の――宇月香奈枝が倒れた時のような感情、だがその時の感情よりも強いそれが彼女を包む中。影がさした。
「……え!?」
「や、やっほー、簪ちゃん。き、奇遇ね?」
顔を上げた簪は、我が目を疑った。何故ならそこにいたのは、彼女の姉・楯無。
香奈枝が見れば『え、誰この人』と言いそうなほどに口ごもったであろう状態だが、その雰囲気はすぐに彼女自身にも伝染する。
確かに簪は、虚には姉と話をして見たいとはいったものの。今のような気分で対面する状況は、想像だにしていない。
「ど、どうしてここに……?」
「いやあ、戦ってるって聞いたから見に来たんだけど、間に合わなかったわねえ。……か、簪ちゃんこそ、こんな所でどうしたの?」
「わ、私は……ぐ、偶然……!」
「そ、そう。そ、それにしても奇遇ねー」
「――あら、簪様。ここにおられたのですね?」
本当に久しぶりである姉妹の会話だが、空笑いと気まずいイメージだけが溜まっていた。
しかしそれも、生徒会の良心・布仏虚が音も無く現れた事で立ち消える。
「う、虚さん?」
それと同時に。タイミングの良すぎる登場に、簪の心に疑念が湧いた。クラス対抗戦の日、楯無と話をしてみないかといった虚。
そんな彼女が、明らかに奇遇では無いタイミングで現れた楯無に引き続いて現れる。それは、偶然では片付けられなかった。
「まさか、貴女の差し金……?」
「何のことでしょうか。私はただ、貴女の忘れ物を届けに来ただけです」
「忘れ物……?」
半分は簪の予想通り、自身が策謀した事なのだが……しれっと言い放つ虚。そして差し出したのは。
「簪様。――これをお忘れでしたね?」
「これ……私の、学生用端末……? で、でもどうして貴女が……」
「二年の黛さんから、連絡がとれないと伝えられまして。端末を置き忘れているのではないかと思い、アリーナに向かいました。
そして貴女のクラスメートから、それを受け取り届けに来たのです」
「あ……ありがとう、ございます」
迂闊な事に、簪はその時初めて自身の端末を忘れていた事に気付いた。
薫子に教えている番号は生徒用端末のそれだけなので持っていなくては連絡が出来る筈もない。
そして端末を開いて見ると、一件のメールが入っていた。その、メールのタイトルは。
「打鉄弐式の、改良の手助け……?」
以前、建造に関わった二年生三人からの連名で。打鉄弐式の改良を助けたい、という内容だった。
現在は課題や整備、他の用事で忙しく打鉄弐式には関われなかったのだが。時間をとって協力したい、と書かれていた。
「でも、どうして……」
「簪様。私も整備の道に携わる者ですから黛さん達の気持ちが解りますが。
自分の整備した機体が敗れて半壊したとなれば、何とかしてそれを整備・改良しようと思うものです」
「……」
そして簪にとって、それは渡りに船だった。確かにゴウに負けたとはいえ、このまま負けっぱなしではいられない。
その為には自身の力量を高める事と、打鉄弐式の改良は絶対に必要だった。
「簪ちゃん、う、打鉄弐式は……どういう方向に進めたいの?」
「……。今は、建造のしやすさを重視して……お……も、貰ったプラン通りに作ってるから。
後は、機動力や火力のレベルを上げながらバランスを考えていく……。それに、近接戦闘力も上げたいし……」
「ミサイルのコントロールプログラムとかは? 対抗戦を見る限り、マルチ・ロックオンがまだみたいだったけど……」
「そ、それも、必要……」
「そ、そーなんだ。大変ねー」
楯無が切り出した会話は、IS関連のみの会話であり、姉妹というよりはISを預かる者同士の会話であった。
しかし、虚は目を細める。やや口ごもる部分もあったが、簪が『お姉ちゃん』と言いかける部分もあったのだから。
(……話せてる、よね)
そして簪も、自身でも意外なほどにすんなりと姉と話せていた事に驚いていた。虚からの提案を受け入れてから。
どんな言葉をかけるのか、どんな状況で話をするのかを考えた事もある。しかしそのどれとも違う現状で、ちゃんと話せていた。
「あ、あのー。簪ちゃん? か、改良はもう始めるの?」
「う、うん。き、今日の戦いで少し別の改良点も見えてきたけど……」
「そ、そうなんだー。じゃあ、必要な部品と量は……こんな所かな!?」
ややオーバーアクションではあったが。楯無は、必要な物資などをメモに走り書きして妹に見せた。
彼女にとっては、会話を続けさせる為の一手であったが――それは、悪手。
「……! そ、そう、だね……」
「……!」
それは、確かに完璧なメモだった。これがあれば、作業は手早く始められる事は間違いない。
簪自身でさえ見落としていた部品や、使用すればより効果的であろう部品もそこには記載されていたのだから。
そして、その場の空気が悪い方向に変わった事を悟った虚が話題を変えるべく、自身の端末を差し出した。
「……では簪様。整備室の使用許可をこの端末から申請なさいますか? 現在の使用・予約状況は、このようになっていますが」
「え、ええと……。でも、物資の申請だけでも結構必要な量も種類も多いから……」
「だ、大丈夫よ! その辺りは、私が全部やってあげるから!! 簪ちゃんは、薫子ちゃん達に話をしないといけないしね!!」
「え……で、でも生徒会長の仕事が……」
「大丈夫! 織斑先生に、一時間くらいなら仕事を離れても大丈夫だって言われたし!!」
(――!? も、もう話をつけてきたの……?)
ハイテンションな楯無の言葉に悪気は無い。そして客観的に見て、申請と人集めを分業する方が効率のいいのも事実だっただろう。
だが、ついさっき姉の実力の一端を見せ付けられた形の簪にはこう聞こえた。
『貴女はお姉ちゃんがいないと駄目なんだから、任せなさい』
『この位、私にとっては、どうって事ないのよ』
『一時間くらいなら貴女の為に使っても大丈夫よ』
と。そして一時間、と言う時間設定も『一時間でそれを終わらせる事が出来る』という実力を示しているようにも見えた。
勿論楯無にそんな意図は無い。千冬の許可にしても、楯無が彼女と偶然一緒にいた為に許可が下りていたのだが。簪は、知る由も無い。
「……」
「え?」
そして。簪の個人用端末が、地面に落とされ。
「やっぱり……やっぱり、私はっ!」
「か、簪ちゃん!?」
姉の制止も聞かず、走り去ってしまう。残されたのは楯無と虚だけだった。
「お嬢様……」
二人を包む静寂を切り開くべく口を開いたのは、珍しく顰め面の虚であった。どうしてこうなったのか。
予定では、戦う前に『姉として』楯無が激励に向かう筈だった。ちょうど、一年一組のクラス代表決定戦の時の織斑姉弟のように。
先ほどの楯無の千冬への質問も、それであったのに。だが、偶発的な事態の変動により勇み足となった。
「私の責任ですね、これは。私も、とんでもないミスを……お嬢様?」
「……」
ふと虚が主に目を向けると。そこには塩をかけられ、水分を奪われて縮んだ蛞蝓のような楯無がいた。
ふだんの彼女を知る者からすれば、信じられない姿である。
「ううう……何でなのかしらね……」
「お嬢様は、本当に加減が解らないのですね……」
虚には、何となくではあるが簪の感じた事が理解出来ていた。それは仕える身ではあるが、一歩引いて見ていた故に解ったこと。
口を挟む間もなく、楯無が無意識に地雷を踏んだからとはいえ……無理矢理に楯無の発言を止めるべきだったか、と後悔も湧く。
結局、姉妹の久しぶりの会話は両者にとって最悪の形で終わってしまった。空が、それを表すかのように曇っていく中。
「さあ、戻りましょうか。お嬢様。……今のままでは、互いに落ち着いて話は出来ないでしょうから」
「……ええ」
学園の安全にさえ関与する身の上で、これ以上時間は割けない。後ろ髪を引かれながらも、後者へと戻るのだった。
「うわ。結構降ってきたな」
俺は、第四アリーナに来ていた。今日、ここのアリーナをシャルルが使っているのだが……天気予報が外れ、雨が降ってきた。
そして同時にシャルルが傘を持っていない事を思い出した俺は、部活を中断して傘を持ってルームメイトを迎えに来たのだが……。
「しっかし、苦労したよなあ……」
雨が降り出したことに気付いた俺が、シャルルの事を思い出してアリーナに向かおうとすると。
傘を準備していた、あるいは置いていた剣道部員達が、我先に貸し出そうとしてくれた。それはありがたかったけど、必要なのは二本。
それなのに差し出された傘は八本もあったので、選ぶのに苦労した。仕方が無いので、あみだくじにしたんだが。
「後で、ちゃんと綺麗にして返さないとな」
自分が今使っている、女子のものにしては意外とシンプルな傘と、折り畳んである可愛らしいデザインの傘を眺めつつ。
ふと、少し離れた場所に視線を向けると……。
「……あれ? あそこに誰かいるのか? でも傘も差さずに雨の中を歩く奴なんて……って!?」
一瞬見間違いかと思ったが、それは紛れもなく人だった。――それも、知り合いだった。
「更識さん!! 何やってるんだよ!!」
「お、織斑君……?」
「何でこんな所で雨に打たれてるんだよ!? 風邪ひくぞ!!」
「……別に、私なんて風邪をひいたって構わないし」
「何言ってるんだ!! とりあえずアリーナに入るぞ!!」
俺は、慌てて更識さんの手を引っ張り急いでアリーナに入る。彼女は、まるでなすがままだった。
「なあ……何があったんだよ」
「……」
とりあえず備え付けの公用タオルを渡して、自身も濡れた髪や腕を拭く。だが、彼女は渡されたタオルを持ったままだ。
「更識さん。早く拭かないと、風邪引くぜ?」
……あ。ひょっとして、俺がいるから拭き辛いのか? まあ、そうだとするならちょっと席を外すか。
箒の時は、仕切り付きで同じ部屋で着替えていたけど。ここには、そんな物ないし。
「呼ばないで……」
「え?」
「私を【更識】だなんて、呼ばないで……!!」
え、何で唐突に『更識さん』という呼び方も駄目になるんだ? のほほんさんを除いては、皆そう呼んでいるらしいのに。
俺には、そう呼ばれるのさえも嫌だって事か? でも、何で急に? あの時は俺に話をしに来てくれたのに。えーーと、じゃあ。
「じゃあ……簪?」
「……何で、呼び捨てるの?」
うわ、さっきよりもやばい。やっぱり呼び捨ては早すぎたか。えーーと、じゃあ。
「かんちゃん」
「……」
やはり、のほほんさんの真似は駄目だったようだ。もはや、返事さえない。
「簪さん。そこの少女。Miss更識」
「何が、やりたいの……?」
……いかん、怒らせてしまったようだ。
「と、とにかく!! 何で、更識さんって呼んだら駄目なんだ?」
「そ、それは……」
さっきまでの怒りは霧散し、視線をそらす更識さん。……うーん、どうなってるんだ?
「どうしても呼ぶ必要があるなら……それで、でいい」
「解った。とりあえず、俺は向こうにいってるから」
何とか、決着は付いた。ふう……。
「あれ……一夏? 何で更識さんと一緒に、ここにいるの? 一夏は、今日は剣道場にいるはずじゃ――」
「おう、シャルルか。ちょうど良かった。実はな、更識さんが――」
数分後。シャルルが、更衣室に入ってきた。ここは今日、男子生徒用なので男子生徒以外は入れないようにロックされている。
だからこそ俺も、ややこしい事態になる前にここに入ってきたのだが。
「そうだったんだ。……それで、制服は?」
「あっちの簡易ランドリーの乾燥機で乾かしてる。更識さんが今着てるISスーツは、打鉄弐式内部に収納されてた奴だ」
専用機持ちで助かったな。エネルギー消費速度があがるらしいから、余程の事がない限り使う機能じゃないらしいけど。
「……そうだ、二人とも何か温かい物でも飲んだら? 僕も買うからさ」
「そうだな。――よし、今日は三人分、俺が奢ろう」
「そ、そんな事……」
「え? 更識さんはともかく僕までなんて……悪いよ」
「良いって。更識さんは葡萄ジュースでいいか? シャルルは……何が良い? カプチーノとか、美味いらしいぜ?」
「……ありがとう」
「う、うん。それで良いよ」
二人の言葉を聞きながら、俺は手を後ろに振ると財布を取り出した。
……うん、簪さんの事情はよく解らないが、シャルルと話す機会を得られたぞ!! 困った時の瓢箪から駒、だな。
「ふう……」
カプチーノとお茶、葡萄ジュースを飲む音だけが広い更衣室に響いた。うーん、ただの自販機のお茶なのに凄く美味い。
「……あ、ありがとう」
「もういいって。でも、何であんな所に一人でいたんだ? 傘もささないで……」
「そ、それは……」
また簪さんは口ごもる。うーん。聞き出したいところだけど、あまり無理に聞くのも……。喋りたくなるまで待っておくか?
「――ん?」
生徒用端末に、着信のようだった。マナーモードなので音は無いが……あれ、誰かと思えば宇月さんか。
『もしもし、織斑君? 今、大丈夫かしら?』
「ああ、大丈夫だけど……どうしたんだ、宇月さん。俺に電話なんて、珍しいな?」
俺自身がメールや電話をあまり使わないのもあるだろうが。番号は知っていたとはいえ、彼女とこうして話すのは初めてだ。
『実はね……更識さんの事を知らないかしら?』
「え、彼女なら第四アリーナにいるぞ? 俺やシャルルと一緒にジュースを飲んだんだ」
ちなみに、さっき更識さんに葡萄ジュースを買ったのも宇月さんから聞いた話が元だったりするが。
『へ? 更識さん、そこにいたの!? って、何で貴方達と一緒なの?』
珍しい宇月さんの大声。いや、何でって言われても。
「ただ単に、偶然会ったんだけど……なんでそんな事を聞くんだ?」
『実はね。更識さんが帰ってこない、連絡も取れないって彼女のルームメイトの石坂さんが心配してたのよ』
「そうなのか。じゃあ、その石坂さんって女子にも心配ないって伝えてくれ」
『解ったわ。……ところで、彼女は大丈夫なの? ひょっとして、ゴウ君との一戦絡みなのかしら?』
「ゴウ?」
『これも、聞いた話なんだけど……更識さんには聞かせたくない話だから、少し彼女と距離をとって。……いい? 実は――』
――。宇月さんの話というのは、はっきり言えば許せない話だった。更識さんへの、心無い発言。
実際に誰がしたのかは知らないが、更識さんやその機体建造に協力した宇月さん・のほほんさん達の努力。
それを、今になって無駄だと言うような。そんな発言をする女子がここにいるなんて事自体が、ムカムカした。
『織斑君。私が言うのも変だけど、早まった真似はしないでよ? その発言した女子を探すとか……』
「おいおい、そんな事はしないぞ?」
『そう? まあ、それは無いとしても。目の前でそんな会話を聞いちゃったら、何か言いそうだし』
……う、それはあり得るかもしれない。少なくとも、黙って聞き流したりは出来ない。
『とにかく、更識さんは落ち着いてるのね?』
「ああ。今は、シャルルと俺と、三人で飲み物を飲んでた所だ」
『……そう。何か嫌な予感がしたけど、デュノア君が一緒なら安心だわ。じゃあ、彼女をちゃんと寮まで連れて帰ってね』
そう言うと宇月さんは通話を終えたが。……はて、何で今の会話で嫌な予感が出てくるんだろうか? おっと、それよりも。
「どうしたの、一夏。宇月さんからだったみたいだけど」
「いやな。更識さんのルームメイトの石坂さん、っていう娘が心配してて。で、宇月さんにも電話をかけてたらしい」
「い、石坂さんが……?」
「まあ、もう遅い時間だしな。夕食も始まってるし……俺達も戻るか?」
「そうだね」
「じゃあ、戻ろ……あ、やべえ」
傘を持ってきたものの、俺とシャルルの分しかないので更識さんが入れない。しまったなあ、どうするか。
一つは折り畳み傘だからあまり大きくない、となると通常サイズのシンプルな傘を二人で使ってもらうしかないか?
「……私は、まだここにいるから……先に帰って」
「おいおい。寮には門限だってあるし、夕食もまだだろ?」
別にゴウに負けたからといって悪いわけじゃないが。門限を守らなかったら、口にするにも恐ろしいお仕置きが待ってるんだぞ?
「私なんて、別に制裁を受けてもどうって事ないし……」
「おいおい……」
千冬姉の制裁を、甘く見すぎだぞそれは。
「……」
シャルルも、どうしようか迷っているようだった。このまま放置して帰れるわけもないし……よしっ!
「え? き、きゃああああっ!?」
「い、一夏!?」
俺は、問答無用で簪さんの身体を横にして自分の身体に引き寄せて抱きかかえ上げた。いわゆる、お姫様抱っこだ。
以前授業中に、箒にやった事もあるが……随分と、軽い。いや、箒が重いとかじゃいけどな?
まあ、あの時は白式を展開していたから箒自身の重さとかはよく解らなかったけど……。っと、それよりも。
「な、何するの……?」
「悪い、強引にでも連れて帰る」
「い、一夏!? それはちょっと……」
「お、降ろして!」
じたばたとする簪さんだが、あまり抵抗は激しくない。俺はそのまま、エスカレーターを使ってアリーナを出た……が。
「……しまった」
外が雨だという事を、すっかり忘れていた。雨の降る強さはさっきと同じで、弱まる気配は無い。
「この状況じゃ、傘は使えないしなあ……」
「だ、だからもう下ろしてって……」
「ああ、もう!! 仕方がねぇ!!」
「え……? えええっ!?」
白式を展開し、一気に寮まで向かう。雨も防いでくれるから、全く濡れない。
「よしっ、到着っ!!」
「ほう。ISを使って寮に戻るとは、中々豪気な帰寮方法だな」
寮の玄関前、そこには、鬼が居た。硬直し、簪さんを落としそうになるが……何とか堪える。
「寮に戻ってくるやいなや、こんな違反に出くわすとはな。……更識、お前は部屋へと戻れ。織斑は、寮長室まで来い」
「わ、解りました」
「はい……じゃ、じゃあな、簪さ――痛てて!!」
まだぼうっとしている簪さんを残し。俺は、千冬姉の説教を受けるべく寮長室まで引き摺られていくのだった。
今回の元ネタは「あいえすっ!」一巻の第七話。解る人は多いと思いますが、一応。