「ああ……いいお湯だったわ」
大浴場からの帰り。心身ともにさっぱりした私は、自分の部屋の前まで来ていた。
「さてと、今日はもう揉め事はないだろうし。ゆっくりと寝ましょう」
放課後、織斑君達の訓練には所用があったので参加しなかったし。穏やかな午後だったわね。ああ、願わくばこれが長く続いて欲しいわ。
「ふ、ふざけるなっ! 何故私がそのようなことをしなくてはならない!?」
……私の願いは届かなかった。スルーしたいけど、多分無理ね。放っておいたら、織斑先生が来るかもしれないし。
「篠ノ之さんも男と同室なんて嫌でしょ? 色々と気苦労多そうだし。その辺、あたしは平気だから代わってあげようかなって思ってさ」
「べ、別に嫌とは言っていない。それにだ! これは私と一夏の問題だ。部外者に首を突っ込んで欲しくない!」
「大丈夫、あたしも幼なじみだから」
「だから、それが何の理由になるというのだ!」
隣室を覗き込むと、この部屋の住人二人に加えて凰さんがいた。……うわー、物凄く厄介な状況。と言うか、何でこうなってるの?
「あのね、貴女達。ドア開けたまま騒がないでくれない?」
「宇月、良い所に来てくれた。こいつが理に適わぬ事をいうのだ」
「何よ宇月。あんた、何か文句あるの?」
……勘弁してよ、本当に。そう言いたくなった。織斑君は、何か私に期待するような視線を向けてるし。
「とりあえず、事情を説明してくれない?」
……。なるほど、ね。織斑君と篠ノ之さんが同室と言う事を知った凰さんが、慌てて押しかけたってわけ。
「まあそういう事で。今日からあたしも、この部屋で暮らすから」
「ふざけるな! 出て行け! ここは私の部屋だ!」
「ここは『一夏の部屋』でもあるでしょ? なら問題ないじゃん」
えーっと。次は、当人達の意見を聞いて見ましょうか。
「篠ノ之さん。貴女は、織斑君との同室を代わって欲しいって思ってるの?」
「思ってなどいない!!」
はいはい、怒鳴らないの。ドアを閉めたから、音が篭るんだから。
「で、凰さん。貴方は、何号室だっけ?」
「え? えっと……」
なるほど。
「で、そっちの部屋のルームメイトには相談したの? だって凰さんが部屋を代わるなら、その人にも関係してくる事なんだけど」
「いないわよ? あたし、一人部屋だったから」
……そうなの。と言うか、部屋が空いてるなら、篠ノ之さんと織斑君を別にすれば良いのに……。
まあ、凰さんみたいな代表候補生の編入を考えて空室を作ってるんでしょうけど。だから織斑君も篠ノ之さんと同室になったんだろうし。
あ、篠ノ之さんを凰さんの部屋に移して、織斑君を一人にすれば……うん、無理だわ。二人とも納得しないし。
「じゃあ織斑君。貴方は……」
どっちの方がいいの、と聞こうとして止めた。だって『どっちでも良いぞ』と返ってくるに決まってるから。さて、次は……あれ?
「そういえば先生は? 普通、部屋を変わるなら先生が事情を話しに来る物だけど」
「あ……」
痛いところを突かれた、といった表情の凰さん。……あなた、まさか?
「鈴……。お前、相談もせずにいきなりこっちにきて部屋を変えようとしてたのか?」
織斑君も気付いたようだけど。それは不味いわよ。
「だ、だって……その……」
「凰さん。まずは、織斑君や篠ノ之さんよりも寮長の先生達に話すべきじゃないかしら?」
流石にそれじゃあ、私も貴女の味方は出来ないわよ。
多分『織斑君と篠ノ之さんが同室』って事で他の事を考えられなくなったんでしょうけど。
「だ、だって……よ、よりにもよって寮長は千冬さんだし……。入寮の挨拶した時だって、無茶苦茶怖かったわよ……」
あら、知ってたの? なら、気持ちは解るわね。泣きそうになってるけど。
「まあ、今日の所は引き上げましょうよ凰さん。その話は、また後日って事で」
「……ちょっと待って。それとは別に、まだ言いたい事があるの」
と。凰さんが、まじめな顔になって……でも、少し赤い顔で織斑君に向き合った。
「ねえ、一夏。約束覚えてる?」
約束? あれ、篠ノ之さんが険しい顔付きになりだしたわね。
「……すまん、いつぐらいの奴だ?」
「えっと、小学校の時。まだ、果たされてない約束よ」
「うーん……」
「ほら、これよこれ!」
中々思い出せないのか、織斑君は悩んでいる。それを見て、彼女は奇妙な動作をし始めたけど……何あれ?
「ひょっとして、中華鍋か? ……あ、思い出した!」
ああ。その動作、中華鍋を振るってる動作だったのね。織斑君も閃いたみたいだけど。
「えっと……あれだよな? 鈴の料理の腕が上がったら、毎日酢豚を……って奴か?」
「そ、そう! それ!」
「そう言えばまだ、食べさせてもらった事ってなかったな。上達したのか?」
「うん! あんたの頬が、絶対に落ちるくらいよ!」
喜色満面、ハイテンションな凰さんとは逆の方から漂ってくるのは殺気。篠ノ之さんから、殺気が感じられるわ。
うん。――やっぱり、あれなの? 味噌汁を……っていう約束? というか、彼女とそんな約束をしていたなんて……。
「そっか。じゃあ今度、奢ってくれよ」
「「「……え?」」」
凰さんと篠ノ之さん、そして私まで声が一致した。……何言ってるの、織斑君?
「あれだろ? 鈴の料理の腕が上がったら毎日酢豚を奢ってくれる、って約束だろ?」
……まずい。私は、直感的にそう感じた。
「いやぁ、俺も自分の記憶力を褒め……っ!?」
でも、遅かった。乾いた音がして、織斑君の頬が叩かれた。私も篠ノ之さんも、叩かれた織斑君も呆然となるけど。
「最っ低! 女の子との約束をちゃんと覚えてないなんて、男の風上にも置けないヤツ!! 犬に噛まれて死ね!!」
……それだけを言うと、凰さんは嵐のように去っていった。……彼女、泣いてたわよ。
「鈴の奴……何で、泣いてたんだ?」
泣いてたのは見えたみたいだけど、その理由は解らない織斑君。……ごめん、貴方が最低にしか見えないわ。
「一夏」
「お、おう。なんだ箒」
「馬に蹴られて死ね」
……やっぱり、篠ノ之さんも同意見ね。ふう。
「で、私に理由を聞きに来たわけ?」
それから十分後、織斑君は1026号室に来た。理由はやっぱり、凰さんのこと。ちなみに篠ノ之さんはトイレらしい。
堂々と言うのもどうかと思うけどね、織斑君? 本人か貴方のお姉さんがいたら、何を言われるか解った物じゃないわよ?
「織斑君。……今の私が行える最悪の行為は、彼女の真意を貴方に説明する事よ」
「う……。何で箒も宇月さんも冷たいんだ……」
全然理由が理解できていない彼。……どうしたものかしら。突っぱねたいけど、それじゃあ目覚めが悪くなりそうだし……。
まあ、別の方面からアプローチしてみようかしら。
「そう言えば、疑問に思ったんだけど。……彼女に、中学の時は作ってもらわなかったの?」
「いや、作ってもらった事は何回かあるぜ。ただ鈴の奴も、料理が最初から美味いわけじゃなくってさ。結構失敗してた。
そもそも、この約束自体が小学校の頃だし……。あ、そう言えば別の事なんだけど。ちょっと良いか?」
「何?」
「昼間、食堂で鈴の親父さんの事を聞いたら、何か変だったよな?」
――。織斑君って本当、恋愛以外の機微には鋭いのね。
「そうね。……確かご両親が元気かどうかを聞いたら『お父さんは元気だと思う』だったかしら」
「ああ、そんな感じだったな。まるで、最近会ってないみたいな言い方だった。戻ってきてるとも来てないとも言わなかったしな」
普通、IS学園に入学した海外出身者の家族が来るなんて事は殆ど無い。
とは言え、以前日本に暮らしていた凰さんの家だったら可能性が無いわけじゃないけど。……それなら、凰さんの反応がおかしい。
考えられる線としては『代表候補生の訓練が忙しくて、最近は家族にも会っていない』って言う可能性もある。ただ、もしかすると……。
「まあ、それは置いておいた方が良いんじゃないの? 家族に関わることだし」
「……」
何よ。その『宇月さんが言うか?』みたいな顔は。
「宇月さんだって、高校受験の時に俺の家の事に色々と絡んできたじゃないか。
俺が働こうと思ってるって言ったら『高校か大学まで進まないと、結局は良い就職口見つからないわよ』とか言ってたし」
「う……ま、まあアレはね」
痛い所を突かれたわ。あれは、進路相談の時期……とっくにIS学園進学希望を決めて、滑り止めも決めた私の所へ先生が来て。
当時のクラス委員だった私に『織斑が中卒で就職とか言い出して困ってる、お前からも説得してくれ』とか言われたのよね。
結局はお姉さん……つまりは織斑先生が何とかしたらしいけど。
「……しょうがない、ヒントくらいあげるわ。凰さんとの約束、それを別の言葉で言い換えてみて。そしたら解るかもしれないから」
文脈から察するに、そして途中までは正解だという反応からして……正解は多分『奢ってあげる』じゃなくて『食べさせてくれる』か。
あるいは『作ってくれる』辺りだろうから。そこからなら、彼女の真意に気付く……かな? まあ、言葉を正解するだけでも違うだろうし。
「言い換える?」
「そう。――これ以上は、言えないわよ」
「いや、それで良いよ。ありがとう」
「感謝はいいわよ」
真意を知ったら、貴方は謝罪しないといけないだろうし。
「言い換える、か」
ヒントを得た俺は、部屋に戻って『鈴の料理の腕が上がったら毎日酢豚を奢ってくれる』っていう文章をノートに書いてみた。
これを、別の言葉で言い換える……か。さて、と。
「でも……。鈴の、とか酢豚、は変えようが無いよな?」
意味が無いし。そうなると、他の部分だな。
「料理の腕が上がったら……。上達したら、って事だよな。……料理人になったら、って事か?」
中国では、料理人にもランクがあるらしいし。でも、そういう意味じゃないような。だいたい、それじゃあ今は奢れないだろう。
上手くなったと言っても、調理師免許を取ったわけじゃないだろうからなあ。あ、鈴の家は中華料理屋だから『厨房に立てたら』か?
……でも、それも今じゃない気がする。
「毎日……every day……そんなわけないか」
英訳してどうするんだ。それとも……昼ごとに? ……うーん。毎日酢豚だと、栄養バランスが偏るような……ってそれは関係ない。
「奢ってくれる……買ってあげる、じゃないだろうし……作ってくれる? 食べさせてくれる? ……あ」
『料理が上達したら、毎日あたしの酢豚を食べてくれる?』
……鈴の声で、そう再生された。そうだ。奢ってくれる、じゃなくて。食べてくれる、だ!
「あっちゃあ。確かに、ちゃんと覚えてなかったな。でも、何でそれだけで怒るんだ?」
自分が作ってやるつもりだったのを、何処かで奢ってくれると俺が勘違いしてる……とでも思ったんだろうか?
でも『鈴の料理の腕が上達したら』なんだから『鈴が自分の作った酢豚を奢ってくれる=食べさせてくれる』に決まってるじゃないか。
無料と有料の違いか? でもそもそもあいつ、中学の時から色々と俺に物を売りつけに来たし。その誤解はしょうがないと思うんだが。
「あー、どういう理由で鈴は怒ったんだ?」
言葉は今度こそ間違いないはずだが、何故鈴が怒るのかが解らなかった。
「戻ったぞ。……ん? 何をしている」
「いや、ちょっとな。なあ、箒」
「何だ」
そもそも、何でこいつまで不機嫌なんだろうな? まあ、それはさて置き。
「例えばだけど。俺の作った料理を、毎日食べさせてやるって言ったらどうする?」
「な!? なななななななななな!?」
……俺、そこまで変な事言ったか? 試しに言ってみただけなんだが。
「どど、どういうつつつつ、つもりだ? そそそ、それは……その、あの、何と言うか……」
「おいおい、落ち着けよ」
「お、落ち着けるか! だ、だいたいお前、料理が作れるのか!!」
「む、それは聞き捨てならないな。俺はこれでも炊事洗濯掃除、千冬姉お墨付きの主夫だぞ」
「ほ、本当なのか……」
「まあな。千冬姉が家にいなかったし、自然に俺の担当になったんだ」
というか、俺達の家は今は千冬姉一人だよな。大丈夫なのだろうか。もう24歳なのに、家事方面は全然駄目だぞ。
美人なのに、性格がアレだし。家事も駄目だと貰ってくれる人が……。何せ世界最強だし、普通の男がおいそれと近づけないだろうし。
嫁げずじまいになったりして。……うーん。千冬姉を守りたいとは思うけど、この方面だと弟である俺にはどうしようもないしなあ……。
「ほう、織斑。貴様、不埒な事を考えているな?」
……。うん、空耳だな。
「空耳ではない」
何故声に出していないのに解るのか。それ以前に、いつの間に入ってきたんだ。
「千冬姉――あいたっ!」
「私がお前を『織斑』と言う場合は織斑先生、だ。いい加減学べ。でなければ死ね」
……うん、もう何も考えないにしよう。
「先ほど、凰がらみでなにやら騒いでいると聞いたので来てみたが。くれぐれも、騒ぎを起こすなよ」
そういい残し、千冬姉は去っていった。……疲れた。
「い、一夏。先ほどの事、だがな」
「ん?」
何故箒は真っ赤になっているのだろう。不機嫌な気分は何処かに吹き飛んだのか?
「お、お前の作った料理、その、何と言うか、ま、毎日……」
「ああ、まあ毎日は兎も角、今度作ってやるよ。――あ、セシリアや宇月さんや、フランチェスカも呼ぶか」
色々と世話になってるしなあ。料理が上達した、って言ってた鈴と一緒に作るのもいいかもしれないな。
「……」
あれ? 何でまた不機嫌に戻るんだ?
「貴様と言う奴は……ええい、私はもう寝るぞ! 向こうを向け!」
そういうと、箒はそのまま寝巻きに着替え、布団に入ってしまった。……何なんだ、一体。毎日じゃないのが気に入らないのか。
でもな、毎日料理を作ると言うのは意外と辛いんだぞ。慣れないうちは、バリエーションも限られてくるし。
だから俺も、中学時代は鈴の実家の中華料理屋や、弾の実家の食堂によく行っていた。勿論、美味さとか安さもあるが。
昔の男の中には奥さんの料理を当然のように『毎日』食う奴もいたらしいが、ありがたみという物を――。
「……毎日?」
『料理が上達したら、毎日あたしの酢豚を食べてくれる?』
毎日。確かに鈴はそう言った。まさか、そういう意味、なのか? 毎日味噌汁を、って言う意味なのか?
「まさか、な?」
俺達、この約束をした時は小学生だぞ? ……ありえない、よな? じゃあ……どういう意味だ?
「い、一夏」
「あれ。どうしたんだよ、箒?」
布団に入った筈の箒が、また起きてきた。何か忘れてたことがあったのか? 予習とか、教科書とか。
「その、だな。お前の作った料理……た、食べる機会があるなら、その……」
ははん。結局は食べたいのかよ。
「ああ、作るぜ。リクエストがあれば、受け付けるぞ」
一般的な料理なら、大概は作れるからな。まあ、箒の口に合うかは別だけど……。
「わ、和食が良い。……だ、だが私も作るとしよう」
「そうか。そりゃ楽しみだな」
箒の料理は食べた事無いけど、おばさんは料理が上手かったからなあ。期待できそうだ。
「箒も、料理の訓練をしてたのか?」
「そういうわけではないが……。まあ、まだ道半ばなのは確かだ」
「そうか。まあ、俺もそうだよな」
一応、一通りの物は作れるが、まだまだ上達の余地はある。九十九歩目が半分だ、っていう諺もあるし。
「皆に食べてもらうのもいいよな。料理って、誰かに食べてもらうと上達するのが速いからなあ」
俺だって、最初からうまく作れたわけじゃなかった。でも千冬姉は、何だかんだ言いながら食べてくれていた。
だからこそ、今の俺はそれなりに作れるようになったんだ。それは、間違いない。
「そ、そうだな。うん。私も、それだけだぞ」
「はいはい。……ああ」
って事は、鈴も同じ理由なのかな。
中国代表候補生が二組に転入、という事件のあった翌日。わたくしや一夏さん達は、教室に居た。……あら。何の音でしょう。
「みみみみみみ、皆大変! 大ニュースよっ!!」
「んきゅ~~~~」
そんな大声が聞こえてきたのは、予鈴の鳴る直前。夜竹さんが、猛ダッシュで教室に駆け込んできた。
その左手には布仏さんが引っ張られてきたためでしょう、目を回していますが。……何事ですの?
「どうしたのです、夜竹さん。レディが廊下を走ると言うのは……」
「それどころじゃないの! 転入生なのよ!!」
「転入生? ああ、鈴の事だろ?」
「二組の転入生でしょ? というか、昨日話をしてたじゃないの。その上、当人がこの教室に宣戦布告にきたし」
何をそんなに慌てているのかしら。
「違うの! 三組にも転入生が来るのよ!! それも、もう専用機を持ってるんだって!!」
「あら。またどこかの国の代表候補生なのかしら」
この英国代表候補生、セシリア・オルコットに対抗する為なのか。確か、三組の代表候補生は専用機を持っていなかった筈。
もしも専用機を持つ転入生が転入してきたのなら、フェアではありますが……。
「違うの! そ、それがね……」
そこで一拍置き。
「男子なのっ!!」
夜竹さんは、自分の情報を明かした。……え?
「だ、男子だと?」
「まあ……。一夏さん以外にも、ISを動かせる男性がいらしたんですの?」
「そうそう!」
「ええ!? ほ、本当なのそれ!!」
「あー……。織斑君がいたんだから、おかしくないとは思ってたけど……」
皆さん、驚いている。それも当然だ。このような情報、本国からも伝えられていない。
「三組はもうパニック寸前だったわ。クラス代表を譲る、とかいう話が当人が来る前から出てたし!!」
「……おいおい。ちょっと待った。二組の代表は鈴だし。で、三組のクラス代表が専用機持ちで、更に四組の機体が完成したら……」
「クラス代表全員が、専用機持ちだという事だな」
「凄いわね。聞いた事無いわよ、そんなの」
そういえば、二・三年の専用機持ちも五人もいないと代表候補生の先輩から聞いていた。確か、三年に一人。そして二年に二人だと。
それなのに、この学年にはわたくしや一夏さんを含め……五人になるという事?
「HRを始めるぞ。席に着け」
慌しい雰囲気でしたが。担任の到着で、その場は一時落ち着くのだった。
「……さて、どうやら既に知っているようだから説明しておく。先日、このクラスの織斑と同じくIS適性を保持する男子が発見された。
現時点ではまだ極秘扱いだが、数日中に、この学園に編入してくる事になる。くれぐれも、騒ぎは慎むように」
そして、その話はHRでも触れられた。確定したその情報に、皆もざわめきだす。あの織斑先生も、今日ばかりは黙認のご様子。
「織斑先生。それは、何処の国の所属の方ですの?」
「日本人、更に動かしたISが日本の研究所所属だが未定だな。織斑と同じだ」
そういえば、一夏さんの所属も未確定だった。日本人で日本製のISを使ってはいますが、IS委員会でも色々ともめているらしい。
以前その話題が出た時に『よ、よろしければ英国の国籍を取りませんこと?』と言ったこともあったけれど。
その時は一夏さんが返事をする前に篠ノ之さんが怒鳴り、宇月さんが宥めるという結果に終わった。
そして残念ですが、一夏さん自身は今の所は国籍を変えようという気もないご様子。……わたくしには、できる筈も無い。
ああ、まさかこのような所に壁があるなんて。そう、わが国を代表する悲劇の名作。ロミオとジュリエットのように……。
「あのー、先生。それって、織斑君の白式や打鉄を作った倉持技研……って所ですか?」
「いや、それとは別の研究所だ」
今のはレオーネさんの質問だが、違うようで。日本、と言う事なので白式と同じなのかと思ったのですけど。……そういえば。
「先生。それはいつ判明したのですか? まだ一夏さんのように、世間のニュースには流れていないみたいですけれど」
「ああ、それはな……」
え? それでは、わたくし達が入学したのと時を同じくして判明した……んですの?
「それでは少々、情報公開が遅すぎませんか?」
「ああ。織斑に次ぐもう一人の徹底的な検証のため……という理由だが、本音は情報公開義務の期限ぎりぎりまで隠しただけだろうな」
情報公開義務……。ISの情報は、例外であるIS学園を除き、基本的に全てを公開しないといけない事になっている。
しかし当然ながら、その情報が正しいのかどうか検証が必要とされ。即座に公開しなくともよい事になっている。
実際には、情報公開期限までの時間稼ぎでしかなく。今回も、おそらくはそうなのだろう。
「どんな人なんですか! 写真は、顔は!!」
「趣味とか、性格とか!!」
「その辺りの個人情報は自分の目で確かめろ。――では、授業に入るぞ」
そして話は打ち切られ。今日も授業が始まるのだった。
一時間目と二時間目の間の休み時間。あたしは、一夏と屋上にいた。周りは二人目の男子、とかで騒いでたけど。どうでもいい。
専用機があるらしいけど、一夏と同じでロクに動かして無いだろうし。
「何よ、用事って」
正直な話、来るつもりはなかったけど……無理矢理、引っ張られて連れられて来た。
まあ、この唐辺木には自分で気付くなんて期待してないけど。今までだって、何度期待を裏切られてきた事か……。
「あー、その、何だ。……悪かったな」
「……何がよ?」
「約束。……ちょっと、間違えて覚えてたな」
「――!? お、思い出したの?」
「ああ。正確には『料理が上達したら、毎日あたしの酢豚を食べてくれる?』って言ったんだったよな?」
「う、うん! そ、それで……間違って、ないけど」
え、え、何この展開? 夢じゃない?
「……何で自分の手で自分の頬を抓ってるんだ?」
「う、うるさいわね! そ、それにしてもよく気付いたわね? だ、誰かに聞いたの?」
「いや、一応自分で気付いた。ヒントは、宇月さんから聞いたけど」
「……そ、そう」
ヒント、ってどんなのを出したんだろう。……そ、それよりも意味よ! 意味が大事なのよ!!
たとえ言葉を間違えずに覚えていたって、その意味に気付かれないと駄目なんだから!!
「それにしても、ちゃんと思い出せて良かったぜ。――いや、俺は一瞬『俺のために毎日味噌汁を~~』って奴かと思ったんだけどな」
「!!」
……う、うう。こ、ここで『違わないわよ』って言えば、も、もしかして……。あうあうあう……。こ、言葉が出てこないじゃないの……。
「なあ、あれって料理って誰かに食べてもらうと上達しやすいって事なのか?」
「え? そ、そうね、そうよ。そ、それだけよ!!」
結局、本音は明かせない。……でもやばい。嬉しすぎて、信じられなくて、涙が出そう。
……何なのよ、こいつ。一年見ない間に、結構鋭くなったじゃん……。
「じゃあ今度、作ってきてくれよ。機会があれば、俺も一緒に作るからさ!」
「う、うん」
「あ……やっべ、もう時間だ! 戻ろうぜ!」
「う……うん」
残念ながら、本当の気持ちは伝えられなかった。……でもまあ、あんたにしては上出来よ。褒めてあげるわ、一夏。
「……どうしたのよ、鈴。ニヤニヤしちゃって、その上ムカッとしてたら、わけ解らないわよ?」
「べべべべ、別にニヤニヤなんてしてないわよ!! ムカッともしてない!!」
クラスメートにそう言いながら、あたしは顔が緩むのが抑えられなかった。……嬉しかった。
一夏が、ちゃんと約束を思い出してくれた事。そして、あたしの気持ちにちょっとでも気づいてくれた事。……なのに。
何であそこで『本当は、そうよ』って言えなかったのよあたしはぁぁぁ!!
土壇場で怖気づいた自分に腹が立つ。もしも、あそこで『本当は、そうよ』って言ってたら。
……何か、千載一遇の好機を逃した気がするわ。……まあ、自分で気付いてくれたし。今度、酢豚でも作って持って行ってやるかな。
ここの学園寮のキッチンは、許可を得れば使えるらしいし。二人きりで、例えば今は一人のあたしの部屋で一緒に……。
静かな場所に、一夏が酢豚を食べる音だけが響いて。……そして、食べた一夏が笑顔になって……。
『おお……凄く美味いぞ、この酢豚!』
『そうでしょう、そうでしょう。見直した?』
『ああ。こんな料理、毎日食べられたら幸せだろうなあ』
『そう? まあ、作ってあげてもいいけどね~~。タダじゃあ、ちょっとね』
『仕方ないな。……』
『ちょ、ちょっと、何を……え、何で抱き寄せるの……?』
『鈴に、毎日料理を作って欲しいから。その、手付けだ』
『ば、ばかっ、強引……んっ』
でへへ。……あ、でも一夏も料理を作ってくれるとか言ってたっけ? 何を作ってくるつもりかは知らないけど……。
あいつ、千冬さんに美味しい物食べさせたいから、って料理の勉強してたし。弾のお祖父さん――厳さんとかにも話を聞いてたし。
一緒に料理を作るのも悪くないかな? それで、その後はお互いに相手の作った料理を食べて。
それから、互いの料理だけじゃなくて――なんちゃって、なんちゃって!!
「でも鈴、クラス対抗戦、大丈夫なの? 三組も専用機になったみたいだけど?」
クラスメートのティナ・ハミルトンが心配そうにあたしを覗きこむ。……杞憂よ、そんなの。
「ふふん、あたしに任せておきなさい! 今のあたしに敵はない!!」
一夏やその男とは経験値が違うし、四組は未完成だって言うし! ふふふふふふふふ……!
「デザートパス、絶対取るわよ!!」
「「「おおおおおおおお~~!!」」」
皆の前で、あたしは宣誓し。それをみた二組の空気は、天を突かんばかりに猛るのだった。
「……では、これで決定という事で」
世界に幾つかある、深遠の闇。その一つで、ある重大な決定が成された。後世で『マーラとディアボロスの契約』と嘲笑われたその契約。
だが、世界はそれをまだ知らない。釈迦を誘惑して悟りを啓く事を妨害し、仏敵を意味するサンスクリット語・マーラ。
唯一神に創造された天使の堕落者・デビルの語源であり、敵対者を意味するギリシャ語・ディアボロス。
二つの影によって成立した、その契約は。――後に世界を揺らす、騒動の最初の胎動であった。
「これで、空を取り戻す事もできるということですね?」
「ええ。しかしキルレシオは計算上でさえ1:5。IS1機につき、5機が必要になります」
「数が揃えば、それも気にはなりません。それと、熟練さえ進めば……」
「無人機すら可能になる、と? しかしISは……」
「あちらは無人機などまだまだでしょう。――唯一の懸念は篠ノ之束。彼女の動きは読めないが……作ろうと思えば、今にでも作れます」
「……」
「ですが、そうネガティブに考えられる事は無いでしょう。これは、画期的な兵器だ。発展性は、ISよりもはるかに高い」
「ドール、か。人形、とは何とも皮肉なネーミングだ」
一方の影が、自嘲気味に笑った。だが、もう一方の影は。
「これは必要な力なのですよ。そう、ISによって歪んだ世界を矯正するための。それに――」
「奴らも動き出す以上、避けては通れないか……」
「ええ。国にも宗教にも民族にも思想にも……何にも属さぬ痴れ者ども。何を織り成すのかさえ解らぬ輩など、この世界にあってはならない」
「……それで『シュリンプ』の建造は?」
「必要分は既に完成済みです。――まずは、IS学園で試すとしましょう。あそこには今、色々と面白い人材が集まっているようですからな」
そして二つの影の会話は終わった。
なんでティナ・ハミルトンが鈴と同室じゃないんだ、という疑問を持つ方が多いでしょうから補足しますと。
彼女が鈴のルームメイトである事は、原作四巻で判明します。つまりシャル&ラウラが同室になって以後、です。
その時までに何度か部屋割りの変更がありました。一度目は鈴の転入。二度目は箒と一夏の別れ。
そして三度目がシャルが女性である事の発覚。文字にすると、以下のようになります。
・入学時点
一夏―箒 鷹月―? ティナ―?
・鈴が転入
一夏―箒 鷹月―? 鈴―ティナ
・箒転室。シャル、ラウラ転入後
一夏―シャル 箒―鷹月 鈴―ティナ ラウラ―?
・臨海学校時点
一夏 箒―鷹月 鈴―ティナ シャル―ラウラ
これが原作の部屋割りの変遷(推測)です。で、ティナと鈴をこの時点では別室にした理由ですが……。
鈴が部屋変更を言い出した際にティナ(ルームメイト)にまったく触れずに話を切り出したし、一人部屋なんじゃないのか? という疑問からです。
後に二人転入生が来る以上、一部屋は確実に空いているわけで。まあ、あくまでこのSS内でのみ通じる展開なのですが。
更に付け加えると、今後は安芸野将隆を含め、何人かオリキャラ転入生が来る予定なので。部屋数に余裕を持たせたかったのも理由です。
ちなみにオリキャラの一人に「ティナの元ルームメイト」という設定が付くかもしれませんが。それはまたの機会に……。
(ちょっと嫌な予想)
本編では全く感じませんし、他のSS作家さんもあまり書いていない(というか書きたくないであろう)展開なのですが。
もしかしたら、シャル・ラウラの部屋(二人分)が空いたのは、退学者がいた可能性もあります。
名門高校・大学などに入学したはいいものの、ついていけずに落ちこぼれ。そして退学……というケースは現実にも存在します。
二人の転入が六月になってから。つまり、二ヶ月経っているわけで……。もしかしたら、いたのかもしれません。
私自身としてはそういうのは苦手なので「転入生の事を考え、部屋にも余裕を持たせてある」という設定にしました。
はやくも鈴と和解。そしていかにも、な妖しいオリジナル組織。これからどんどん話が加速していく!! ……といいなあ。