「……」
二月の半ばの寒い空気が、意識を覚ましてくれた。――私は宇月香奈枝(うづき かなえ)。
本日、本命の志望校を受験する受験生。昨日は早く寝たから、疲れとかは無し。快調な目覚め。……以上、自問自答終わり。
「――よし」
ベッドから出てカーディガンを羽織る。朝日が差し込み、見慣れた部屋が目に映る。鏡を見ると、そこにはいつもの私。
すぐに整えられる程度しか乱れの無いショートの黒髪、細面、特に不満のない容貌。少しだけ、鼓動が早いけど……うん、大丈夫。
「お母さん、おはよう」
「おはよう、香奈枝。朝ご飯、出来てるわよ」
階段を下りてリビングに行くと、お母さんが朝食を用意してくれていた。トーストとホットミルク、スクランブルエッグにサラダ。
いつもどおりの会話をしてくれるお母さんと、いつもどおりの朝食。
あくまで自然体で受験を受けられるようにしてくれているのが解る。
「今日は寒いから、暖かくして出なさいよ」
「はいはい」
「多目的ホールには、何時ごろ出るの? 帰りは?」
「うーん……。混雑もあるし、少し早めに出るわ。帰りは、友達と話すかもしれないから遅くなるかも」
「寒いから、早く帰ってくるのよ」
はいはい。
「……よし」
受験票、よし。そのほか書類、よし。お弁当、よし。受験会場に着いた私は、最終チェックを終えた。
これで何か無かったら、喜劇だ。
「さてと。受験会場は……と」
この多目的ホールには何度も足を運んでいるので、構造は少しは知っている。
カンニング事件の影響とかで受験会場が直前まで明かされない、って言うのは困ったけど、私にとってはハンデにはならなかった。
「えーーっと、受験会場は……あら?」
私の視界に、見知った男子生徒が入ってきた。三年連続でクラスメートという奇縁を持つ男子。
彼の志望校も今日が受験日だし、同じ学校を受ける友達がここでさっき会ったから、いるのは不思議ではないけど。
でも、彼の受験する場所はあの部屋じゃないわよね。だってあの部屋は……。
まあ、部屋に入ればすぐに自分の誤解が解るわね。そうでなくても、試験担当の先生が追い出すだろうし……。
「出て来ないわね?」
と思っていたら、中々出てこない。中で説教でもされているのかな。……あれ、教師らしき女性が出て来た?
でも、彼は出てこない。まさか、何か問題を起こしたのかしら。彼は受験の事でも少々揉めていたけど。
「……?」
ちょっと気になるし、入ってみようかしら。私はこの部屋で受験するし、なんら問題はないわよね。
……何故か入ったら危険な気がするけど、まあ、きのせいだろうし。
「いないわね」
だが、そこにも彼の姿は無く。奥の部屋との仕切りであるカーテンと、教師が座っていたであろう机やPCしか無かった。
そして、何の気なしに更に奥の部屋へと続くカーテンを開けると。
「……え?」
「あ……」
彼が、中世の鎧のような物を纏っていた。――事実はそれだけなのだけど、わけがわからない。
「な、何で織斑君が……ISを動かしてるのっ!?」
私は、久しぶりに心底驚いた。中世の鎧のようなものの正体・女性にしか動かせない筈のマルチフォームスーツ。
インフィニット・ストラトス(通称IS)を纏うのは私のクラスメイト――織斑一夏であったからだ。
「ふーーー。疲れたわ……」
あの後、私の大声を聞きつけた試験担当の先生がやって来てから大騒ぎになった。
今もテレビでは、世界初のISを動かせる男子、と言う彼のニュースで持ちきり。
そしてその第一発見者である私も、事情聴取を受けて、更に数時間遅れで受験し。日が沈んでから家に帰る事が出来た。
まあIS委員会に送ってもらえたので、まだ良いといえば良いんだろうか。織斑君は、まだ開放されてないだろうし。
「お疲れ様、香奈枝。大変だったわね」
お母さんの、普段どおりの一言にホッとする。時折マイペースさについていけない事もあるけど、やっぱりお母さんはお母さんだ。
「うん。本当、大変だったわ……。試験は、何とかクリアできたけど。後は合格発表待ちかな」
「そう。はい、これ。貴女の好きなココアよ」
「ありがと」
ソファーに身体を預けて、お母さんが持ってきてくれたココアを飲む。熱すぎず、ぬるくもなく。ちょうどいい熱さ。
「それにしても、香奈枝のクラスメイトがねえ……。ねえ、その織斑さんってそんな凄い生徒だったの?」
「うーん。まあ、普通の男の子よ。部活とかはしてなくて、バイトに一生懸命で。まあ、女子にはモテてたけど」
「そうなの。確かに、結構イケメンだったわねえ」
確かに、私の好みではないが『美形』の範疇には入る顔立ちだろう。
「それにしても、彼ってどうなるのかしらねえ? TVじゃIS学園に入学させる事になるって言ってるし」
「入学するしか無いんじゃないのかしら。織斑君はそんな気が無くても、動かしちゃったのは事実だし。
それに、彼自身の志望校は受けられなかったんだろうし」
何処か楽しげに言うお母さんに、私は素っ気無く返す。彼とはクラスメイトであり、それなりに会話もしたが、あまり興味はない。
嫌い……というわけではないが。とりあえず今は自身の合否の方が大事だった。
本命のIS学園の受験が終わり、私は穏やかな日々を……送れなかった。何故なら。
「ふう、数学終わり。じゃあ、次は英語に入ろうかな」
合格発表が来るまでは一息つけるはずも無く、今度は、三月にある滑り止めの公立高校受験への対策があるのだ。
IS学園試験には一応合格できたけど、この学園の受験者は文字通りワールドクラス。
試験会場での試験に合格したら、その中から適性やら操縦能力やら学力やらを参考に更に絞り込むらしい。
日本人には多少の下駄履かせがあると言う噂があるにはあるけど、曖昧な噂だし、最悪の事態も考えておかないといけないし。
「香奈枝」
「何、お母さん? ノックも無……っ!!」
唐突にドアが開き、お母さんの声がした。気のせいか、いつもよりも緊張しているような――と考えた所で、私は理由に気付く。
その手には、封筒が握られていた。もう、言うまでも無い。
私は、ゆっくりと封筒を受け取り。ペーパーナイフで切り取り、中の通知書を取り出し、震える指でそれを開く……。
「……はああっ」
その途中で、思わず大きく息を吐いた。IS学園の受験を決めてから丸三年。塾の事でお母さん達にも迷惑をかけた。
周囲からは結構プレッシャーもあった。……そして今、その結果がでる。……っ!
「……」
完全に開かれたその通知書には。
「宇月香奈枝。上記の者への、IS学園……合格を認める」
……シンプルな。でも、はっきりとした合格を告げる文章が記されていた。口に出して読んでみたけど、実感が無い。
「香奈枝……合格、なの?」
「う……うん。そ、そうみたい」
それから一分間は、私達母子は見詰め合っていた。……そして。
「やったああああああああっ!!」
これは私の言葉ではない、お母さんの言葉である。――お母さんがはしゃぐ事で、私は逆に冷静になった。
「良かったわね、香奈枝。おめでとう」
でも、一瞬後にはいつものお母さんに戻っ……てなかった。目には、涙を浮かべているから。
「さあ、お父さんに連絡しましょうか。それと、お義兄さん達とお義母さんにも。後は、父さんと姉さんと……」
「あの、そこまで慌てて連絡しなくても良いんじゃないの?」
「でも、皆心配してくれてたのよ? あ、そうそう。今夜は破産覚悟の大御馳走よー」
いつもよりも五割増でステップを踏むお母さんは、台所へと下りていった。後に残されたのは私一人。
「……ふう」
お母さんの態度に何処か呆れ、でもリラックスできた。それと同時に、第一志望への合格が決まった事への喜びが溢れてくる。
「よしっ」
小さくガッツポーズをした私は、公立受験用の参考書を仕舞って。とりあえず、ベッドに寝転ぶ事にした。
「そうか! 受かったかぁ!!」
「はい。先生方には、今まで本当にお世話になりました」
「いやあ、合格してくれるとは思わなかったぞ。これでうちの塾も安泰だ」
「……あの、何か酷い事を言われたような気がしますが?」
「もう、先生ったら。――おめでとう、宇月さん」
私は、自分の通っていたIS学園受験コースのある塾へと合格報告に来ていた。
そう言えば、この塾には、他にも何人か受験生がいたのだけど……。どうだったんだろう。
「ありがとうございます。……それで、他には?」
「残念だが。うちの塾のグループでは、お前と○○校の生徒、二人だけのようだな」
「そう……ですか」
七海、優美、麗華……切磋琢磨しあった仲間達の顔が思い出される。合格したのが一人だけ、と言うのは中々辛い。
「なあに。あいつらも、IS学園には受からなかったが私立の滑り止めは全て合格したからな。
お前みたいに私立の滑り止めがゼロって言うのじゃない、安心しろ」
「そうですね……」
私は家の財政事情があったから、私立に通学できるほど余裕が無かった。
織斑君が受験する筈だった藍越学園辺りなら可能だったけど、IS学園と受験日が同じだからそれも無理だし。
もしIS学園が駄目なら三月の公立高校に全てを賭ける事になっていたのだけど、幸いそれは杞憂に終わった。
まあ奨学金狙いっていう手もあるんだけど、
「まあ、それは兎も角。学校には行ったのか?」
「はい。担任の先生は、飛び上がって転びました」
「……。な、何だそりゃあ?」
「何で転ぶの?」
「いえ……。色々と、うちの学校は大変でしたから」
「あー、そうだったな。おまえの所は、織斑一夏がいたんだっけか」
織斑君が在籍しているうちの中学には、マスコミやら何やらが色々と訪れたらしい。
受験日から日も経った今は少し落ち着いたみたいだけど、一時は休校も考えたほどのパニックだった。
……実際、我が家にも何度かインタビューは来た。あの目撃を、何度説明したか……考えたくない。顔は隠してもらえたけど。
「まあ、それはさておき。これからも、しっかりとな」
「ええ。皆さん、本当にありがとうございました」
私はもう一度。居並ぶ先生達に、深々と礼をしたのだった。
「あーっ、香奈枝ーーーっ!! IS学園、合格したんだって!?」
「凄い凄い凄いっ! このクラスから、二人もIS学園合格者が出るなんて!!」
卒業式の日。私を待ち受けていたのは、クラスメート達の熱い視線と歓迎・祝福の声だった。
これは予想していなかったわけじゃないけど、正直な話……ここまでだとは思わなかった。
女子の人垣が、私を中心として一瞬にして形成される。今まで親しくなかった子も、何故か輪に入っているけど。
「よー、委員長。おめでとう」
「すっげえじゃん、一夏と違って実力突破なんてよ」
それに対し、男子はあっさり目。さて……。
「ありがとう、皆。そう言えば、その織斑君は?」
「いや、まだ来てないぜ? あいつ、最近付き合い悪いんだよ」
「しょうがねーだろ。あいつの家の周り、マスコミやら変な連中がいっぱいいたぜ?」
そう答えたのは、織斑君の友人・五反田君。彼がそういうなら、と皆も納得する。
「よーし、皆揃って……ないな。うん。卒業式を始めるから、速やかに並ぶように」
担任の先生の声がして、皆が並び出す。……ん? 誰かが駆けて来る音がする。
「すいません、遅れましたっ!!」
そこへタイミングよく織斑君がやって来た。――それで更に整列が遅れたのは、言うまでも無く。
後から聞いた話では『この中学始まって以来の混乱した卒業式』だったらしい。
「……ここが、IS学園かぁ」
そして、あっという間に入学準備の時間が過ぎ。私の前には、近未来的な高校の姿があった。
ここは国立IS学園。ISの専門的知識の学習や実習をカリキュラムとし、世界中から学生が集まってくる高校。
「うわあ、流石は国立。何もかも最新式だわ」
校門から案内板から、何もかもがそこら辺の学校とは違っていた。さてと。
荷物は学生寮に送ってもらってるし、手続きはお母さん達が済ませてくれてるし。
「事務室は、このまま真っ直ぐね。ん、あの人だかりは……?」
あ……多分あれだわ。
思ったとおり、クラス分けを掲示してある場所だった。女生徒でごったがえしているが、一点だけぽっかりと穴が空いている。
「やっぱり織斑君、か」
その中心は、やはり彼だった。どうやら他の女生徒は、話しかけづらいらしい。
まあこの学園に入学する殆どの生徒は、IS学園に向けた専門教育のある学校を中学の頃から受験してくる。
そういうのは当然女子校ばかりで、故に男子生徒に対する免疫が無い……って受験勉強の合間に、先生が教えてくれた。
「あ……。ひょ、ひょっとして宇月さんか? 久しぶりだな」
「ええ、こんにちわ。卒業式以来、って言うわけね」
彼と目があった。女生徒の注目が私にも集まるが、さすがにここで無視するのは失礼よね。
「いやあ、助かったぜ。やっぱり知らない奴ばっかりよりは、一人でも知り合いは多い方が良いからなあ」
俺は、地獄で仏を見つけた気分だった。受験日に試験会場を間違える、と言う勘違いから俺の――織斑一夏の世界は一変し。
気がつけば男子が入れない筈のIS学園に入学となり、周りは女子だらけ。その上視線は向けられるけど話しかけられない。
そんな中でただ一人、同じ中学からIS学園に入学した宇月さんに出会えたのは助かった。
……実はさっき、幼馴染みの篠ノ之箒を見かけたのだが。何故かあいつは、視線が合うと去ってしまった。
俺を嫌っているって事は、無いと思うんだが。小学校四年の時以来だからなあ。うーん。
クラス分けで名前は確認したし、同じ髪型だったし。まさか同姓同名の別人、って事は……無い、よな?
「織斑君は、何組なの?」
「俺は、一年一組だった。宇月さんも、同じだったぜ」
「そう、ありがとう」
彼女は何処か素っ気無く、しかしちゃんと礼は返した。……何ていうか、中学の頃からこうなんだよなあ。
仲が悪いわけじゃないが、何処か一線を崩さないと言うか。中三の時、クラス委員だった彼女とは結構会話を交わしたのだが。
俺、何か嫌われるような事をやったんだろうか。今の所、心当たりは無いんだが。
……でも、このまま箒とも彼女ともこの状態じゃあ寂しいよなあ。この学校では男子がいない以上、女子と仲良くやるしかないわけで。
でも俺、それほど女子と仲良くなるのが上手いわけじゃないしなぁ。今の状況じゃ、友達もいない寂しい高校生活が待っている。
「そういえば、蘭には未だに懐かれてないしな……」
友人・五反田弾の妹の事を思い出し、溜息が出る。
世界の何処かで、俺と同じようにISを動かせる男子が発見されないだろうか。と言うか発見されて欲しい。出来れば同い年で。
「どうしたの、織斑君。心配事?」
「え? あ、いや。何でもないぞ」
「そう。ならいいけど」
そうそう。人に心配をかけるのは嫌だし、早々(そうそう)に話を打ち切ろう……なんてな。
「お、もう始まるな。それじゃ、また後でな」
「ええ」
俺は入学式に並ぶべく、視線が集中するその場から去った。……後ろがどうなっているかなんて、知りもしなかったが。
「……で、こうなるわけね」
織斑君が去った後、私は女子に囲まれていた。大半は私と同じ一年生だけど、明らかに上級生と思しき人もいる。
「ねえねえ貴女、織斑君と知り合いなの?」
「織斑君とはどういう関係? 幼なじみ? クラスメイト? 友人?
貴女はそんな感じじゃなかったみたいだけど、彼って付き合ってる人とかいるの?」
「家族構成は? 友人関係は? 部活動は? 好きな食べ物は?」
……。同性とは言え、圧倒されてしまった。うん、彼の気持ちがよく解ったわ。
「あ、あの。私は、彼とは同じ中学の……クラスメイトです。関係は、それだけ。確か、彼はフリー……の筈です。
家族は、お姉さんだけって聞いた事が。部活は帰宅部でしたけど、以前剣道をやっていたとか言う噂がありました。
友人関係は、普通です。食べ物は……ちょっと解りません。給食は何でも食べてました」
満足してもらえるかどうかは解らないが、とりあえず知っている事は話す。……プライバシー? そんなの、知った事じゃない。
言わなかったら、どんな目に遭わされるか。だからこそ、丁寧語になったんだし。
「ところで彼って、何でISを動かせるの? その辺り、貴女は知らない?」
と、集団の中から一歩出て来た女子――多分、上級生が私に詰め寄る。眼鏡をかけて、髪を後ろで纏めている。
何ていうか……物凄く行動力のありそうな人だ。インタビューにも手馴れた感じがする。
「私は、何も。……あ、あのー。そろそろ入学式が始まる時間なんですけど……」
「あ、いっけない! 並ばないと!!」
そして、私を囲んでいた集団は蜘蛛の子を散らすようにいなくなった。
「……」
いきなりこれとは、ね。……彼にはあまり関わらない方がいいのかしら。
……。入学式の後は、当然ながらホームルームだった。とは言え、この後には最初の授業が待っている。
結構ハードスケジュールだと思うけど、仕方がない。そしてホームルームで、50音順に自己紹介している最中であり。
「宇月香奈枝です。趣味はドラマ観賞と和風スイーツの食べ歩きです。皆さん、これから一年、よろしくお願いします」
今、私の自己紹介が終わった。とは言え、私の自己紹介はある意味どうでもいい。
クラス中の注目は、この後――織斑君の自己紹介にあるからだ。ちなみに私は彼の左側の席になっている。
……だが、彼は中々立ち上がらない。そして副担任の山田真耶先生が促して、織斑君が立ち上がる。
クラス中が、その一挙一足を固唾を呑んでみている。当人は、凄くやりづらそうだけど。
「えー……えっと、織斑一夏です。よろしくお願いします」
……。織斑君、流石にその紹介は短すぎるわよ。せめて何が好きとか言ってみたらどうなのよ。……あれ?
「……さっきもそうだけど……何であっちの方を見るのかしら」
何かすがるように、窓の方を見ていた。――いや、その視線の先にはポニーテールの女子がいる。
その女子はと言うと、視線を向けられると目をそらしたけど……何ていうか、恥ずかしいとか言う反応じゃないような。
どちらかと言うと、無愛想そうな感じ。まだ自己紹介はしていないから、名前は知らないけど。彼女も織斑君の知り合いなのかしら?
「……!」
そしてその女子に反応がなかったため、織斑君は今度は私に縋りつくような視線を向けた。……悪いけど今回はパス。
ただでさえ貴方のせいで注目されてるんだから。これ以上、無駄に注目をあびたくない。
「……」
そして私にも反応が無かった所為か、織斑君は一度深呼吸をした。そして――彼の口が開き。
「以上です!」
……。クラスの何割かが、こけた。山田先生は、少し涙声になってるし……あれ?
「……」
黒髪の、凄く凛々しい女性が音もなく教室に入ってきていた。
織斑君に注目していたから私も気付かなかったけど、その女性は静かに彼の元に近づいて――。
「いっ―――!?」
彼の頭を叩いた。何というか、物凄く手馴れた手つき。……あれ? あの人って、まさか……?
「あ、織斑先生。もう会議は終わられたんですか?」
……そう、織斑千冬。日本の、元IS国家代表。そして第一回のISの国際大会……モンド・グロッソの覇者、通称ブリュンヒルデ。
……あれ? 織斑? もしかして?
「な、何で千冬姉がここにいぐふうっ!?」
「織斑先生、だ」
……今、千冬姉って言ったわよね?
「え!? お、織斑君って、まさか千冬様の弟なの!?」
「そう言えば、同じ苗字だし。……でも、ニュースじゃやって無かったよ?」
「でもでも、だったら男なのにISを動かせるのも関係あるのかな?」
そして、クラス中が騒がしくなる。確かにそうだ。
織斑君が織斑千冬の弟なら、ISを動かせると判明した時点で絶対にそれに触れているはず。
でもテレビも新聞も、全然取り上げなかった。何で? 報道規制、って言う奴? 織斑先生が元日本代表だから? それとも……?
「……」
た、耐え切れん。この集中する女子の視線と女子高特有の甘ったるい空気。
必読だったという参考書を捨てた俺が悪いとはいえ、授業が全くわからないというプレッシャー。
手助けする気が皆無であるらしい、幼馴染みと中学時代のクラスメイト。
そして極めつけは、俺の実姉・織斑千冬が担任だったという事。様々な要因が重なり、俺のストレスはMAXだった。
(弾辺りは、変わってくれって言ってたが……変われるなら、今すぐ変わってやりたいぞ)
何度目かになるループ思考が頭を回る。あああ、誰か何とかしてくれ。
「おい」
おお。誰か『話しかけたいけど話しかけられない』『抜け駆けは許されない』っていうこの空気を破った女子がいるのか?
というか、この声は。
「ちょっと、いいか」
「あ、ああ」
そこにいたのは、さっきは無視してくれた箒だった。随分と素っ気無いが、これが再会して初めての会話ってわけか?
「……」
「……」
俺達が廊下に出ると、モーセの海渡りの如く人垣が割れていく。おお、ある意味凄い。
「……」
俺達は、人垣から離れた場所まで出てきた。とは言え同じ廊下なので、聞き耳を立てられていては殆ど聞こえてしまうだろうが。
……さて、何て話しかければいいだろうか。と言うか箒よ。
ちょっといいか、と言っておきながら自分から話しかけないのはどうかと思うぞ。まったく、相変わらず人付き合いが下手な奴だ。
「……」
駄目だ。このままじゃ二人して黙ったまま休み時間が終わる。――お、そうだ。
「なあ、箒」
「……何だ」
「お前、去年の剣道の全国大会で優勝したんだってな。おめでとう」
「!? な、何でそんな事……知ってるんだ」
「え? 新聞に載ってたぞ」
「な、何で新聞なんか読んでるんだ」
……わけ解らん。新聞を読んでいて、何が悪いんだろうか。
「そう言えばさっき、何で視線をそらしたんだよ。クラス発表の時も、自己紹介の時も」
「な、何? ……そ、その、何だ。お前は、名乗る前に……解っていたのか? 私が、私であると」
「ああ、俺は箒だってすぐに解ってたぞ。髪型、一緒だったしな」
自分の頭で、髪を括るような真似をする。こいつは6年前も同じ、ポニーテールだった。
身長も伸びたし顔立ちも少し変わっているが、髪型や雰囲気といった物は変わっていない。
「そ、そうか」
「そう言えば、お前は俺が俺だって解ったのかよ? 忘れてなかったのか?」
「あ、当たり前だ! 忘れるわけが……い、いや。そもそもこの学園に、男子生徒がお前以外にいるわけが無いだろう。
それに、散々テレビや新聞でお前の顔を見たのだしな」
そりゃそうだな。でも、何で俺を睨みつけるんだろうか。顔は、赤くなってるような気がするが。
「……と、ところで一夏。先ほど視線を向けていた隣の席の女子は、だ、誰なんだ?」
「あれ、見てたのか? 彼女は、宇月さんは中学の同級生だよ。
三年連続で同じクラスだったから、それなりに話す機会も多かったな。まあそれほど親しいってわけでもない」
実際、まだ苗字にさんづけだし。箒のように、呼び捨てには至っていない仲だ。
「そ、それほど親しくない同級生か。そ、そうかそうか」
「……?」
何を気にしてるんだろうか、箒は。――あ。
「おい、チャイムが鳴ったぞ。戻ろうぜ」
「わ、解っている!」
遅れると、千冬姉に何を言われるかわからない。俺達は、それぞれ自分の席に着くのだった。
……。今は、二時限目が終わった休み時間。勉強が全然わからなくて困っているであろう彼の元に、女子がまた一人話しかけたのだ。
金髪碧眼、イメージ的にはヨーロッパ貴族のお嬢様と言った感じの人。
「ちょっと、よろしいかしら」
「えっと、俺に何か用?」
「まあ! 何ですの、そのお返事。わたくしに話しかけられるだけでも光栄なのですから、それ相応の態度があるのではなくて?」
彼女は確か……セシリア・オルコットさん。何か芝居かった口調だけど……。
「いや。悪いけど、俺は君が何処の誰だか知らないし」
「わ、わたくしを知らない? このセシリア・オルコットを? イギリスの代表候補生にして、入試主席のこのわたくしを!?」
ちなみに、自己紹介の際に英国代表候補生である事は明言していたので私も知っている。
入試主席の方は……そんな噂をしていた娘がいたけど、当人が言うからには真実だったのだろう。
でも彼女自身が明言した代表候補生だって事を覚えてないなんて、織斑君は意外と記憶力が悪いのかしら。
中学の時はそんな感じは無かったけど。それとも、何か別に考え事でもしてて聞いてなかったの?
「まったく、ISを唯一扱える男性だというからどれほどの殿方かと思ってみれば。とんだ……」
「あー、ちょっと良いか?」
「む……レディの発言を途中で遮ると言うのは、あまり褒められた事ではありませんが。
今回だけは、特別に慈悲をもって見逃して差し上げますわ。それで、何かしら」
一言多いけど、彼女はその質問を受け入れる。
当人は認めないかもしれないけど、何だかんだいって、彼女もそれなりに彼に興味があるのだろう。
「代表候補生って、何だ?」
だけど、織斑君の発言はまるで見当外れだった。何人かのクラスメイトがずっこけ、オルコットさんは驚きと怒りなのか震えていた。
……それはそうよね、この学校で『代表候補生って何?』なんて質問をされたら、誰だってそうなるわ。
というか織斑君、これは今や、一般常識の範疇に当たると思うのだけど?
「し……信じられませんわ! 日本の男性というものはこれほど知識に乏しいものですの!?
常識ですわよ、常識! 期待はずれも甚だしいですわ!!」
「そ、そうなのか? で、代表候補生って?」
「国家代表IS操縦者の、その候補生として選出されるエリートのことですわ!
というか、ここを何処だと思ってらっしゃるのかしら。いいえ、そもそも、単語から想像すればお解かりにならなくて?」
「……ああ、そういやそうだな。でも、俺に何かを期待されても困るんだが」
「そうですわね、とんだ時間の無駄でしたわ。……まあ、わたくしは優秀ですから。
どうしても、と言うのであれば貴方のような無知な方にも優しくしてさしあげますわよ?
なにせわたくしは、ISランクA+の入試主席。入試で唯一教官を倒した、エリート中のエリートですから」
かなり高慢にも聞こえるオルコットさんだが、それ相応の実力者ではあるのだろう。
……ちなみに私は、一定時間持ちこたえられたので合格とのことだった。まあ撃墜寸前だったけど。
「入試って、ISを使って試験官と戦うアレか? 俺も一応やらされたけど」
「ええ。それ以外にあるわけがないでしょう」
……いや、筆記もあるんだけど。代表候補生の貴女の視界には入っていないみたいだけど。
「あれ、俺も教官を倒したぞ?」
「は?」
……え、そうなんだ? というか織斑君、結構凄い事よそれ?
「わ、わたくしだけと聞きましたが?」
「女子では、ってオチじゃないのか?」
「あ、貴方も! 貴方も教官を倒したって言うのですか!?」
「えっと、落ち着けよ。な?」
織斑君、それ逆効果。それで落ち着くようには見えないわよ。
「これが黙っていられますか! いったい、どのような戦術で教官を倒したと仰いますの!!
使用した機体の名前、武器名、それら全てをあげてごらんなさい!!」
「え、えーっと……」
え。何でそこで私に視線を向けるの? しかもオルコットさんまで。……興味本位で二人を見ていた私が悪いのかしら。
「そこの貴女、確か宇月香奈枝さんでしたかしら。何か言いたい事がありますの?」
「え、えっと」
怖い目で睨んでくるオルコットさん。と言うか、私は無関係なのだけど。
「こ、ここで話していてもしょうがないから。お、織斑先生か山田先生に聞いてみたらどうかしら」
「……なるほど、一理ありますわね。もしも嘘であるのならば、見栄を張った愚かさを姉の前で曝け出す事になりますわ」
少したじろいだけど、何とか彼女を納得させられたようだった。……ふー。
「良かった。宇月さんなら、何とか誤魔化してくれると思ったぜ」
……織斑君、あとでクラス中の女子に中学時代のある事無い事吹き込まれたいようね? ――あ、チャイムが鳴ったわ。
そして織斑先生が入ってくると同時に、今まで騒がしかった教室も一瞬で静寂に包まれた。まだ一日目なのに、この統率っぷりは凄い。
「よし、それでは授業を始める」
「織斑先生。授業を始める前に質問をよろしいでしょうか?」
「なんだ、オルコット」
「入試に関して、ですわ。こちらにいる織斑さんが、入試の際に教官を倒したという話を聞いたのですが。真実ですの?」
「ああ、真実だ」
……一刀両断。思わずそんな事を思ってしまうほど即答だった。あれ、山田先生が少し恥ずかしそうにしてる……。
って事は、私とは違って山田先生が相手だったの? そしてそのままオルコットさんが固まってしまう。そんなにショックなのかしらね。
「なんだ、質問は終わりか。……ああ、そうだ。まずはクラス代表を決定するぞ」
「先生。クラス代表って、何ですか?」
「クラス代表とは、そのままの意味だ。クラス委員長、あるいは学級委員と言えば解りやすいか。
各種の会議や委員会に出席してもらう他、クラス対抗戦等にもISを使い参加してもらう事になる。
なお、一度決定した場合原則として一年間変更はしないのでそのつもりでいろ」
まだ織斑君を指さした姿勢のまま固まっているオルコットさんは放置され、話し合いが始まる。
「さて、自薦他薦は問わんぞ? 誰かいるか」
「織斑君が良いと思いますっ!」
「はいはい、私も同じですっ!」
「同意します!」
と同時に、織斑君が推薦された。彼が教官を倒した、と言われたのもあるかもしれないけど。ムード的にはほぼ確定じゃないかしら。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。俺は……」
「辞退は認めん。さて、他に立候補や他薦はあるか? ないならこのまま―――」
「待って下さい! 納得いきませんわ! そのような選出は、認められません!!」
机を叩く音と共に、オルコットさんが帰ってきた。
「実力からすれば、代表候補生であり教官を撃破した主席入学のわたくしがクラス代表になるのは必然。
それを考慮せずに物珍しさだけで勝手に決定されては困りますわ!」
……そして、いきなりマシンガントーク。皆、少し引いてる。
「大体、素人の男がクラス代表など恥ではありませんか! まさかこのセシリア・オルコットを差し置いてその役目を任せるなど……。
そのような屈辱を、このわたくしに一年間味わえと仰いますの!?
そもそも私は、わざわざ極東の島国までIS技術の修練に来ているのであって、極東の猿とサーカスをする気は毛頭ございません!」
……ねえ、素人云々は認めて良いんだけどね。男だから、とか極東だとか。いい加減ムッとしてくるわよ。
あと、その極東の島国でISって生まれたのだけど? その辺は……多分、頭の中から消えてるのね。
「大体、文化の後進的な国で暮らさなくてはいけないこと自体、私にとっては耐え難い苦痛で―――」
「イギリスだって、たいしたお国自慢ねえじゃん。世界一料理がまずい国で何年覇者だよ」
「なっ……! 貴方、私の祖国を侮辱しますの!?」
先に言ったのはそっちのような気もするけど。……ああ、織斑君も怒り始めてるわ。無理も無いけど。
「決・闘・ですわ! どちらがクラス代表に相応しいか、教えてさしあげます!!」
「おう、良いぜ。四の五の言うより解りやすい」
……良いのかしら。
「ふむ、では一週間後の月曜の放課後、第三アリーナにて織斑とオルコットによる代表決定戦を行う。各員はそれぞれ用意をするように」
うわぁ、あっさりと決まった。
「……決闘は決まったけど、いいのかしら」
小声で呟いてみる。今のは、オルコットさんの日本を侮蔑するような言葉に、織斑君がのっかかってしまった形。
日本人として、彼女にムッと来ないわけではないけど。……大丈夫かな、織斑君。
オルコットさんは代表候補生であると言う以上、ISの訓練をかなりの時間受けているだろう。
最初からIS学園を目指してきた私にすら劣る経験と知識しかない織斑君では、相手になるのだろうかとさえ思う。
私より勝る点は、教官を倒した、っていう事があるけど。それは相手も同じだし。
それに、もう一つ。代表候補生って事は、専用機を持ってるかもしれないしね。そしたら織斑君、専用機相手に戦う事になるし。
……他人事なんだけど、妙に考えてしまう。……まあ、私が心配してもどうなるわけでもないけど。
「あ、そう言えば。俺がどのくらいハンデを付けたらいいのかな?」
彼の事を心配していた私が馬鹿だった。思わずそう思った。
明らかに自分より経験豊富な彼女に対し、織斑君は自分の方がハンデを付けようかと言い出したのだ。事実、クラス中が笑い出す。
「……織斑君、それは無茶苦茶よ。剣道で例えると……そうね。
昨日竹刀を握ったばっかりの初心者が、有段者に『ハンデをつけてやろうか』って言ってるようなものよ?」
「い? そ、そうなのか。……じゃあ、ハンデはいい」
隣から指摘し、彼はその発言を取り下げる。……何か、隣の席の所為かさっきからフォローばっかりしてる気がするわね。
「ははは……はははははははははっ!!」
生まれて始めて。腹の底から込み上げる笑いを抑えきれないでいた。
「まさか、こんな事になるとは。これが人生の終わり……いや、これからが真の始まりか」
そう、今までの人生こそが間違いだった。これからが、人生の真の始まりなのだ。
「インフィニット・ストラトス……この世界で、愉しませてもらおう」
当面は、大人しくしてやろう。――だが、あそこに行った瞬間に全ては始まる。
「IS学園、そして今頃は教師と馬鹿な会話をしているであろう『世界唯一の男』め。僅かな時を楽しむがいい。はははは……ははははははっ!!」