火星、見捨てられていた、赤の星・・・
太陽系4番目の惑星であり、ギリシャ・ローマ神話双方の神の名を冠する赤き荒野に覆われた星。 旧世紀末期から月に継ぐ人類第3の故郷とするべく、地球と同じ環境に整えるテラフォーミング計画が開始される。
だが電脳暦という時代の閉塞性、そして同時に行われた限定戦争の場として使われた為、不完全な環境のまま長らく放置されていた。
それが一変したのは、VCa9年に勃発したダイモン戦役終結直後である。 ダイモンによる拘束から開放された“時空因果律制御機構タングラム”と、木星へ向かって飛来するVクリスタル“ジュピター・クリスタル”の力により、人工的な湖や海しか存在しなかった火星は地球と同様の水と緑あふれる星へと変貌した。
光の尾を引きながら飛ぶクリスタルが火星の軌道上を周回し、通過した部分が青く染まる所を目撃したある宇宙艦船の艦長は、こう呟いたという。
『タングラムの奇跡が起きた』と・・・
そしてVCab年、人類第3の故郷として正式に機能し始め、平穏を取り戻しつつあった火星に、新たな危機が襲い掛かろうとしていた。
虚空から姿を現し、異形の塔から這い出る存在によって・・・
― マブラヴ 壊れかけたドアの向こう ―
#4 異変
・ 現地時間 AM11:03 火星 エリシウム平原上空
「こちらアイビス1、以前目標に変化はなし」
『HQ了解、そのまま監視を続けてくれ』
「アイビス1了解。 しかしこんな不気味な物、何時出来たんだ・・・?」
地球と同じ大気組成によって作り出された火星の青空、その上空を戦闘組織“RNA”に所属する可変VR、YZR-8000γ マイザーガンマが、突如エリシウム平原に現れた巨大な構造物の周りを優々と飛行しながら見張る。
最初にこの異形な塔を発見したのは、現地で働く地質調査のスタッフ達だ。 明らかに人類が作った物で無いそれに危機感を抱いた彼らは最寄りに駐屯していたRNAに通報、それを受けたRNAは直ちにいかなる事態に対応できるよう、偵察能力に優れたマイザータイプ一機を張り付かせている。
監視開始から約1時間経過したその時、マイザーを操るパイロットが塔に起こる異変に気付く。
「アイビ1よりHQ、塔の根元から何かが湧き出している! 凄い数だ!」
『HQ了解。 目視で確認次第、詳細を伝えろ』
自分が未知の領域に踏み入れている事を実感しながら、徐々に塔へ接近するマイザー。 かつて、人類を影から蝕んでいた負の精神体“ダイモン”は、2年前に特装機動部隊“MARZ”に所属する1人の戦士によって滅ぼされ、VCab年の今現在、人類を直接脅かす者は存在しない。
では、目の前にある塔から湧き出し蠢く“それ”は何か? その答えが出た瞬間、彼は通信機越しにいるRNA司令部に向って叫んでいた。
「アイビス1よりHQ! 今すぐに軍を出動させろ! 他の軍からも応援をよこせ!!」
『アイビス1、何があった!? 一体何が起こっている!』
「エイリアン・・・! 火星に・・・火星にエイリアンがやって来た!!」
現地時間1209:建造物を偵察していたRNA所属のマイザーガンマ、建造物から湧き出す異形の生命体を確認。 火星全域に非常事態宣言を発令。 同時に火星に駐屯する全軍隊へエリシウム平原への出動要請がRNAより申請される。
現地時間1215:国際戦争公司がRNAの要請を受諾。 監視中のマイザーガンマが敵生命体のレーザー攻撃により被弾、合流したRNA・DNA両軍と交戦開始。 さしたる被害無しに塔へ押し返す。
現地時間1259:MARZの出動により、確認された敵生命体の殲滅と巣と思われる塔の制圧に成功。 第8プラント『フレッシュ・リフォー』率いる各プラントが敵生命体と塔の調査を開始。
この戦いが、まだ見ぬ異世界で“BETA”と呼ばれる生命体と、電脳暦世界の人類との初の戦闘となった。 そしてこの事件が地球にいる武に大きな影響を与える事を、彼はまだ知らない・・・
・ 1週間後 AM10:05 陸上自衛隊 青木ヶ原演習場
「ほら白銀! グズグズしてると置いて行くぞ~!」
「ま・・・待ってくださいよ~」
鼻を擽る樹木の香りと、そこから放たれる湿気が漂う富士の樹海。 その中を陸自の戦闘服に身に纏う孝弘が進み、その後を国連軍から支給されたコバルトブルーの野戦服を着た武が追いかける。 あの抜き打ちテストから一週間が経ち、武は菫が横浜へ戻っている間、孝弘達『リーフ・ストライカーズ』の特別訓練を受けていた。
VRのOSであるMSBSは人間の精神が原動力。 すなわちパイロットの精神状態が良好な程、VRが持つ性能を限界まで引き出す事が理論上可能となる。
それだけに訓練内容は、とにかく武の精神スタミナを増強させる事にあった。 手ごろな休憩場所を見つけた孝弘が、武に声を掛ける。
「よ~し! ここで一旦休憩!」
「は、はあぁ~っ・・・」
その声を切っ掛けに今まで溜めていた堰が切れたのか、孝弘の号令と同時に武は近くにある石に座り込む。
「流石のお前でも、樹海ウォーキングはキツいか? 白銀」
「ええ。 まさかこんな所を歩かされるとは思いませんでしたよ・・・」
「異世界で戦争していたとは聞くが、実戦経験はあるのか?」
「有るにはあるんですけど、記憶がハッキリしないんですよ」
BETAと戦っていたのかと問いかける孝弘に、武は力強く頷く。 だが身体は覚えているとよく言ったもので、前の世界でBETAと戦っていたという事実を告げている事は確かだ。 もう二度と仲間を失いたくないという武の思いを、孝弘は彼の透き通った瞳から感じ取った。
「まあ、それを考えるのはまた後だ。 とりあえず、皆の所に戻ろう」
「はい!」
先程まで喉を潤していた水筒をリュックに戻し、二人は元来た道を戻っていった。
・ AM10:35 機動自衛隊 富士駐屯地 第4VRハンガー前
「孝弘! ケイイチ君から連絡があったわ、直ぐに来て!」
「わかった! 美雪、後は頼むぞ!」
「ええっ!? ちょっと、苗村さ~ん! あだだ・・・!」
ハンガーに戻った早々、その入口から美雪が来る。 彼女の慌しさにピンと来た孝弘は、疲労しきった武を美雪に任せ、一目散にハンガーの中へ走る。 そして小さなモニターが備わっている端末のスイッチを入れると、待ちかねたとばかりの笑顔を見せる眼鏡を掛けた青年の姿が映った。
ケイイチ・サギサワ。 国連軍第7軍ペリリュー基地所属のVR研究者兼テストパイロットで、第4世代VRの基礎理論を打ち出したことで、ダイモン戦役後に一躍有名になった人物だ。 そして孝弘達の乗るVRや装備する武装も、全て彼が手掛けている。
「久しぶり~、機体の調子はどうだい? 苗村君」
「ああ。 ちゃんとウチの整備班の板野が、君の分まで整備してくれているよ。 それで、緊急の知らせって?」
「どうやら、僕の悪い予想が当たったみたいだ」
ケイイチのその一言に、孝弘の表情が急に険しくなる。 そしてケイイチは、真っ先に自分に知らされたある事件の事を語り始めた。
「今から一週間前、火星のエリシウム平原に正体不明の建造物が突如出現し、そこから湧き出してきた人類起源外生命体と交戦。 最初に発見したRNAを始め、火星の軍隊総出でこれの殲滅に成功した」
「まるで映画みたいな事件だな。 何処かの企業が生体兵器の実験でもしたのか?」
「まあダイモンの仕業ではない事は確かだね。 公式発表はまだ無いけど、各プラントや企業がそこの調査に躍起になってるらしいよ」
「で、そのエイリアンどもはどんなゲテモノッぷりなんだ? 記録映像とかは当然あるだろう?」
「う~ん・・・ 一応送るけど、後悔しないでよ?」
ケイイチの一言に一抹の不安を感じつつ、孝弘は送られて来た映像ファイルを再生する。 空からの撮影だろうか、赤き火星の大地を轟かせながら進む異形の生物達の姿が映し出される。 まるでSF映画に出て来るエイリアンがそのまま画面から飛び出してきたような外見に、流石の孝弘も息を呑んだ。
人間の頭部を模したであろう特徴的な尾を持ち、果敢にもVRに殴り掛かろうとするタイプ。
上空を飛ぶVR隊に向って、次々とレーザーを放つ大小2種類のタイプ。
サイのような角は無いが、その頑丈そうな殻を武器に突進をして来るタイプ。
羽は無いものの、そのシルエットにハチやアリをといった昆虫をイメージさせる一番大型のタイプ。
そしてそれらの下を這いずり回り、隙あらば次々にVRへ飛び掛ってくる小型のタイプ。
こんなおぞましい生き物達を人が生み出す事が出来るのか? それらが湧き出す異質な塔を、人が気付き上げるだろうか?
答えは否だ。 この映像を最初に見たケイイチでさえ、始めの内は嫌悪感で頭が一杯だった程なのだから。 何より徒党を組んで襲い掛かるエイリアンの数が異常すぎる。
それにいくら生体兵器プラントがあるからといって、あんな数を短時間の内に大量に作れる訳が無い。
「もしかしたらこのエイリアン達、白銀君が居た世界と関係があるんじゃないかな?」
「俺も同じ考えをしていた所さ、本人に見せたらどんな顔をするか・・・」
互いの考えが一致し、モニター越しに頷きあう孝弘とケイイチ。 間違いない。 あのエイリアン共は武が存在していた“前の世界”、あるいはそれに近い平行世界からやって来た。
どのような手段を用いてこの電脳暦の世界にやって来たのかは、今後のプラント技術者達の調査・研究で明らかになるだろう。
ずれかかっているメガネを掛け直し、ケイイチは今後の方針を孝弘に話す。
「まあプラント連中の調査は始まったばかりだし、僕も自分なりのやり方で調べてみるよ」
「わかった。 白銀の奴も、もう少し鍛える必要がありそうだ、かなりのハイペースでな」
「君の言う事は洒落にならないからちょっと怖いな~。 また何か分かり次第、真っ先に君に伝えるよ!」
「ああ、ケイイチ君も頑張れよ!」
ケイイチとの別れの挨拶を済ませた後、通信モニターの画面が漆黒に染まる。 それを確認した孝弘は、この事を武に伝えるべくハンガーを後にした。
「(やれやれ、また忙しくなりそうだな・・・)」
・ PM4:06 富士駐屯地 第4VRハンガー
「そんな!? 奴らが、BETAがこの世界にも現れたなんて・・・」
「確かな話さ、近々このニュースが世界中を駆け巡る事になる」
天窓から差し込む日差しが弱くなりつつあるハンガー内、そこに武を呼び寄せた孝弘は躊躇いもなく彼に今回の一件を話す。 突然のBETA出現に混乱状態になっている武に、孝弘はその続きを話す。
「安心しろ、エイリアンは全て現地の軍隊が片付けた。 今頃は人間の方が、奴らの巣に殺到していると思うぜ」
「えっ、本当ですか!?」
「ああ、少なくともお前が“前の世界”に帰る頃には、手土産ぐらいは作れそうだってケイイチ君は言っていたな」
“前の世界”へ帰る際の手土産。 それは電脳暦世界にやって来たBETAと、その巣である“ハイヴ”のデータ。 ここで調べたBETAの情報を“前の世界”に居る天才科学者、香月夕呼に渡す事が出来る。
「(そうすれば、俺は・・・俺はあの世界を変えられるかもしれない)」
夕呼が打ち出したとされる謎の計画『オルタネイティヴ計画』を完成させ、地球上の殆んどがBETAに蝕まれているあの世界を救える。 自分が平行世界を行き来する身体になってしまった理由を彼女に調べてもらい、そして“元の世界”に帰る方法を見つけてもらうのだ。
ようやく掴む事が出来た希望の光に、武の目が輝きに満ち溢れてゆく。
「お願いします苗村さん! 俺が“元の世界”に帰る為に、力を貸してください!」
「ああ! ・・・と言っても、ケイイチ君の協力が必要不可欠になるから、もう少し時間は掛るかもしれないがな」
「そ・・・そんな~」
「まあ果報は寝て待てと言う事だ。 焦り過ぎると、大切な物も気付かない内に見落とす事になる。 さあ、みんなの元へ戻るぞ!」
「はいっ!」
互いにやるべき目標を胸に秘め、ハンガーを後にする孝弘と武。 そして2日後、武は合流したケイイチと共に地球軌道上に漂う宇宙への架け橋、オービタルステーションへと向った。
・ 2日後 グリニッジ標準時間AM10:09 月面基地
青く輝く地球を背に、コバルトブルーに色塗られたケイイチが乗るマイザーナブラ、それに案内されて後ろで立っている武の陣武が、白き月の大地に降り立つ。 異世界への旅立ちを前に、どうしても連れて行きたい場所があるというケイイチの言葉に、人生初の宇宙体験に胸膨らませていた武は即座に承諾した。
初めての空間機動と月の低重力に戸惑いながらもケイイチの案内の元、武は月面遺跡『ムーンゲート』の内部へと足を進め、最深部の一歩手前の場所へと辿り着く。
「さあ、着いたよ白銀君。 全ての始まりの地へ」
「スゲェ、洞窟の奥が光ってる・・・ ん?あれは・・・」
巨大な洞窟内をこうこうと照らす光の招待に気づいた武は、頭にかぶるHMDの光学機能を選択。 遮光フィルターモードに設定して光り輝く物体の正体を見ようとする。
全高4メートル弱、全幅2.8メートル程度の巨大な結晶体の姿が、陣武のセンサーで光学処理されて武の瞳に現れる。 そのまま微妙な明暗を見せる8面体の結晶を眺めていると、ケイイチが話しかけてきた。
「見てごらん白銀君。 あれが“Vクリスタル”、世界と世界を繋ぐ、鍵のかかった扉さ」
それは電脳暦の人類が開けたパンドラの箱。 VRを始めとする数々のオーバーテクノジーの起源。 電脳暦84年、地球圏を支配していた企業国家“ダイナテック・ノヴァ社(DN社)”が月に人類起源ではない建造物と、その最深部にある正体不明の結晶体を発見した。 それが月面遺跡“ムーンゲート”と“Vクリスタル”である。
調査が進む内に、Vクリスタルは発見当初、現場作業員に頻発していた精神干渉作用(バーチャロン現象)を引き起こす他、通常空間と異なる異空間“電脳虚数空間”とを繋ぐ門の役割を担うことがわかった。
更に遺跡内を探索していたチームが巨大ロボットの頭部と思われる構造体を発見。 バルバスバウユニットと名付けられたそのユニットから得られた数々のオーバーテクノロジーを用いて、人型戦闘兵器“バーチャロイド”が誕生することになる。
「クリスタルの活性値も高くはないみたいだし、一度降りてみようか」
Vクリスタルの活性値が精神干渉を及ぼさないレベルだと確認した後、マイザーナブラの胸部ハッチが静かに開き、パイロットスーツと宇宙用のHMDを身に纏うケイイチが遺跡の地面に降り立つ。
こちらに向けて手招きする彼を見て、武も恐る恐る地球の1/6の重力が掛る地面へと降りる。 そしてケイイチと共に、Vクリスタルが肉眼ではっきりと見えるところまで辿り着いた。
その中へと吸い込まれそうなほど透き通った輝きを見せるクリスタルに手をやりながら、ケイイチの口が開く。
「『次元のトンネルとも言えるCISを通じて、Vクリスタルはこの世界とは違う並行世界への扉を開く』 この言葉はダイモン戦役後、第8プラント総帥リリン・プラジナーと第4プラント総帥アンベルⅣ、対立していた2人のリーダーが改めて世に提唱した理論さ」
「それじゃあ、俺は前の世界に・・・」
「勿論。 しかも前の世界どころか、君が居た元の世界に帰る事だって可能だよ。 ただしそれを実現するにはVクリスタルの活性度を制御する存在、“時空因果律制御機構『タングラム』”が必要なんだ」
時空因果律制御機構『タングラム』。Vクリスタルと共鳴して無数にある並行世界から様々な因果を取り込み、個人レベルでの運命をも自在に変えてしまう唯一無二の存在。 創造主であるリリン・プラジナーの手によって自我を植え付けられて間もない頃にCISへ放逐され、MARZの手によってダイモンの手から解放された後も人類の行く末を見届けている。
この期に及んで何故タングラムが人類に協力を申し出る様になったのかはケイイチにも確たる予測は出来なかったが、プラントからの協力がなければ武が居た“前の世界”へ送り返すことは不可能だ。 自分等の裏で各プラント勢力が動いている事を感じながら、ケイイチは遺跡内を眺めている武に声を掛ける。
「いつ活性が起こるかわからないし、そろそろここから退散しようか」
「はい! ん・・・?」
ケイイチに呼ばれ、自分の機体へ戻ろうとしたその時、武は通路の隅に光る何かを見つける。 手に取って見ると、大きさこそ手のひら大に収まるサイズだが、形はVクリスタルのそれと同じだ。 すぐさま武はケイイチに報告。 すでにVRに乗っていたケイイチは、センサー越しに武と彼の手にあるクリスタルを確認する。
「コレはまた、すごい物を見つけたね・・・」
「そんなにヤバい物なんですか?」
「ヤバいも何も、君が手に持っているのはVクリスタルだよ。 まあそれ位の大きさなら精神干渉のレベルも強くは無さそうだし、何かに使えそうだから持って帰ろうか」
「え、ええ・・・」
そう話すケイイチに、武は本当に大丈夫なのかと少々不安になる。 とはいえ持っていて気分が悪くなったわけではないので、ここは彼の言う事を信じながら陣武へ戻り、武達の母艦となる最新鋭の特装艦『フィルノート』へ戻って行った。
―役者はそろった、リハーサルも終えた。 舞台と小道具も準備して、後は役者の演技次第。 ―
―さあ、もうひとつの“あいとゆうきのおとぎばなし”の始まりだ・・・―
第5話へ続く・・・