・ 2002年3月下旬 AM10:43 日本帝国 横浜基地 第1演習場
春の兆しが目覚しい青い空、その下に鉄筋とコンクリートで形成された廃墟ビルが立ち並ぶ、横浜基地演習場。数多の衛士達が腕を磨いたその場所に、1機の鋼の巨人が降り立つ。
そのボディは国連軍所属であることを証明するコバルトブルーで色塗られ、大きく突き出た肩のアーマーはスミレの花を思わせる紫色に塗られていた。 この世界で普及している人型兵器『戦術機』とは、明らかに異質な巨人のコクピットに座る霜月菫の耳に、管制室から話しかけて来るオペレーターの声が入る。
『ガントレット01へ、模擬戦開始地点への移動を確認。 3分後に開始します』
「ガントレット01了解」
オペレーターである涼宮遙への返答を終え、菫はふっと息を吐きHMD越しに見える、朽ち果てたコンクリートジャングルを眺める。 武やヴァルキリーズの皆が死力を尽くし、BETAの中枢たる”あ号目標”を撃破した戦いから早3ヶ月。 世界は未だに人類同士の欲と業が入り混じる状態でありながらも、BETAの駆逐という標語を御旗に着実に纏まりつつある。
階級が一つ上がって中尉となり、今こうして愛機であるテムジン747A/T94『霧積』に乗り、この横浜の大地に立っていられるのも、あの男の存在と活躍があってこそ。 人類の救世主、銀色の英雄と人々から希望の視線を注がれても、背中を合わせて戦ったヴァルキリーズの衛士達にはその本心をさらけ出した一人の男。 そして、たった一人の恋人を捜し求め、彼女が笑っていられる世界を作るために己が存在を捧げた男。
この先どのような出会いと別れが待っていようと、記憶からは後生永遠に忘れることが出来ない男の顔を思い浮かべながら、菫は表示されるカウントダウンに視線を合わせる。 デジタル表記のカウントは、既に30秒を切っていた。
「(MSBSver7.7、システム起動。 機体コンディション、オールグリーン。 全兵装、演習モードにセット!)」
コンソール前面に設けられた操縦桿を握ると同時に、菫は己の闘争心が湧き上がって行くのを全身で感じる。
Vrの制御OSであるMSBSが同調性を上げるため、菫の精神を興奮状態にさせているのだ。 このOSの恩恵によって、VRパイロットは文字通り『人馬一体』としてVRを操縦できるのだが、その動作特性ゆえに長時間の仕様はパイロットの負担を招く。
そして『GET READY』のシステムボイスが菫の耳に届いた瞬間、演習開始のカウントがゼロとなる。
「さあ、いっちょ腕試しと行きますか!」
マインド・ブースターから青白い輝きを放ちながら、菫のテムジンが横浜の青空へと舞った。
マブラヴ 壊れかけたドアの向こう Day After
after#1 後日
「12時方向に目標確認! 207A01、エンゲージ!」
「207B01、エンゲージ! 茜、予定通りに頼むわよ!」
「了解!」
廃ビル街を這うように噴射跳躍で進む2機の晴嵐、その片方に乗る茜の復唱を聞き終えた後、千鶴は自機が装備する4丁の突撃砲を展開。 先行して攻撃を仕掛ける茜機を援護する体制を整える。 今回の模擬戦における敵は、菫が乗るテムジンただ1機。 だが彼女の実力と機体の性能は、茜も自分、そしてヴァルキリーズの誰もが知っている。 接敵を告げる警報音が鳴り、両肩が紫に色塗られたテムジンの姿が徐々に鮮明となる。 相方である茜が仕掛けるタイミングを作るべく、千鶴は36ミリのトリガーを引いた。
両腕と兵装担架に装備されたそれぞれの突撃砲が火を噴き、JIVESにより画像処理されたペイント弾が飛翔する。 だがロックした時点でも菫のテムジンは微動だにせず、回避のそぶりすら見せようとしない。 だがその疑問は、テムジンの左腕に装備されているある物を見た瞬間解けることになる。
「っ!?」
菫のテムジンの左腕に装備されている特殊装備『マイティ・スプライト』が青白い光を放ったかと思うと、その目前が蜃気楼のように歪む。 そして致命傷コースを飛ぶペイント弾は、その見えない壁に遮られてしまった。 臆する事無く射撃を継続する千鶴だったが、テムジンに対し決定打が与えられないことに眉間に皺を寄せる。
「フハハハハ! 重光線級のレーザー砲撃をも防ぐフィールドが、そんな豆鉄砲で抜けると思うてか!」
「ちっ・・・!」
ヘッドセットから聞こえる菫の挑発が耳障りと感じつつも、千鶴はトリガーを引き続ける。 この状況を察した茜が、必ず仕掛けるはず。 それまで自分は一歩も引く訳には行かない。 36ミリのマガジン残量が1/3を切ったその時、テムジンの背後から茜の晴嵐が跳躍ユニットを全力噴射しながら迫るのが見えた。
「もらったわ!」
「甘いっ!!」
残弾を惜しんだ千鶴の銃撃が止むと同時に、菫のテムジンがコンパスのような脚使いで急速旋回。 茜機が振り下ろす長刀を、右手に持つテムジンの伝統装備”スライプナーMk6”の銃身で受け止める。 そして戦術機のそれを模した背部の兵装担架ユニットが鎌首をもたげる様に動き、搭載された突撃砲の銃口が茜の晴嵐に向けられる。
「くっ!」
刃の切り結びを突き放すように解いた茜は全力で回避行動。 跳躍ユニットからプラズマジェット噴射、搭載されたメガドライヴから放出された慣性エネルギーと相まって急速後退。 後退する茜機を追い立てるように突撃砲が発砲され、軌跡をなぞる様にペイント弾の花が地面に咲き誇る。
そして回避した先に移動していた千鶴と合流したが、状況は接敵する前に状態に戻ってしまった。
「ごめん千鶴、しくじったよ!」
「気にする事は無いわ茜。 でも、今の手はもうあの人には通用しない・・・!」
本来なら最初の連携攻撃で速攻撃破を狙ったのだが、それが失敗した以上別の策を考えるしかない。 幸いにも菫のテムジンは迎撃された地点から一歩も動く気配はなく、自分達が再び仕掛けてくるのを待ってくれている様だった。
上等だ。 そこまで舐められてしまっては、自分達も本気を出さざるを得ない。 千鶴と茜は通信ウインドウに移る互いの顔を見て頷きあったあと、突撃の準備を行う。
「行くわよ茜! 私達の腕前、見せ付けてあげましょう!」
「ええ! 中尉に思う存分味わってもらうじゃない!」
2機の晴嵐の跳躍ユニットが唸りを上げ、菫のテムジンの前に躍り出る。 対する菫も待ってましたと言わんばかりにマイティ・スプライトとスライプナーを構え、正面から迎え撃つ。 千鶴の銃撃に合わせ、菫と茜の機体が刃を重ねるごとに鳴り響く金属音は、観戦者にとってはまるで演奏をしているかのようである。
そして3人による鋼の演奏会は、模擬戦の時間が尽きるまで続いた。
・ AM11:48 横浜基地 戦術機ハンガー
「あっ、千鶴さ~ん!茜さ~ん!」
「鎧衣・・・」
「ごめん、かっこ悪いとこ見せちゃったね」
模擬戦を終えて、ハンガーの隅で機体を見上げる強化服姿の千鶴と茜の元に、PXで観戦していた美琴が声を駆けながら近寄る。 彼女が間近で見た2人の顔から、明らかに疲労の色が見て取れる。 それは普段の模擬戦や、演習を終えた時とは比較にならない物だった。
正直なところ、先程の模擬戦は千鶴と茜の完敗だった。 第1世代VRとほぼ同等のスペックを有する晴嵐2機が、たった1機の菫のテムジン747相手に1つも傷を与えられず仕舞いだったからである。
何が? 自分達には、何が足りないというのだ? 自分達と菫とでは、何が違う? あの人に勝つには、何処まで高みに上り詰めればいい? 機体を降りてから千鶴と茜は、各々答えの出せぬ問いを延々と心の中で出し続けていた。
そうして2人からヘドロの如くドロドロとした、禍々しい気迫が漂ってくる。 それを感じた美琴は、これ以上2人を精神的に追い詰めさせないよう、フォローの言葉を口にする。
「まあまあ、参加したのが千鶴さんと茜さんだったから、菫さん相手にあそこまで戦えたんだよ。 ボクが参加してたら、最初の反撃でやられちゃってると思うなぁ~!」
そう語りながら愛想笑いを浮かべる美琴だったが、2人の落ち込みようは彼女一人で回復できるほど甘くはなかった。 心の中で必死にSOSを打つ美琴の耳に、救いが来たと悟った声が届いた。
「貴様ら、そんな所に立っていたら整備兵の邪魔になるぞ」
「伊隅大尉!?」
ヴァルキリーズ筆頭たるみちるの声が聞こえてきた瞬間、今まで俯いていた2人も顔を上げ、美琴の後ろにいる彼女の姿を注視せざるを得ない。 自分達の醜態は、ご多分に漏れずみちるも見ていたはずだ。 怒りの雷が落ちるであろうと3人が覚悟していたその時、みちるの口から意外な言葉が出てくる。
「貴様らが負けるのも無理は無い。 霜月中尉は向こうの世界における、横浜基地のエースだからな。 今回の模擬戦も、元々は彼女が考案した物だ」
「えっ、霜月中尉が?」
「そうだ。 向こうの世界の国連軍では、ごく当たり前に行われている訓練だそうだ」
2体1という不利な状況の模擬戦を、自らが望んで行った菫の行動に驚きを隠せない千鶴に対し、みちるは静かに頷く。 ダイモン戦役後、企業国家の支配から脱した地球圏の情勢安定の為、発足後即座に活動を開始した国連軍だったが、急ごしらえ故の戦力の絶対的不足に悩まされていた。
そこでダイモン戦役中、1対多数の戦闘を数多く行っていたMARZの戦術を参考とした独自の戦術を考案。 世界各地から才能有る人材や資材を手当たり次第掻き集め、現在では各国正規軍や企業軍を圧倒しうる戦力を保持するに至るのだ。
そして菫も電脳暦世界における、横浜基地のエースとして活躍している1人である。
「悔しいが対人戦闘の技量は、我々より霜月中尉の方が上だろう。 今回の模擬戦も、彼女が自分自身を強くする為に行ったのだと私は思う」
「何故そうまでして、あの人は強くなろうとするんですか?」
「白銀が守った世界を、守り続けるためだ」
確信を突いたみちるの言葉に、千鶴と茜、そして美琴がハッとする。 今思い返すと模擬戦における彼女の戦い方は、自分たちと共にオリジナルハイヴに突入し、あ号標的を直接撃破した伝説の衛士、白銀武が行っていたそれと瓜二つだったからだ。 彼と最初に出会い、彼をこの世界に導き、そして彼の帰還を見届けた唯一の人間。 そんな彼女が彼の意思を受け継ぐ事を志してもおかしくは無いとみちるは悟ったのだ。
「恐らく中尉はBETA以外の新たな敵を、既に見据えている」
「BETA以外の敵って、まさか・・・!」
「涼宮が考えている通りだ。 今後の世界情勢次第では、我々はまた人間を相手に戦うことになるかもしれん」
オリジナルハイヴによるBETAの対処能力が弱体化した事で、今後の世界各国はユーラシア大陸における反抗作戦の動きを強めていくだろう。 そして国土を取り戻した国々が、元あった国境線通りに仲良く分け合うという微笑ましい光景は恐らく無い。 ハイヴに眠るG元素、そしてBETA由来の技術を巡って人類は三度互いの首を絞めあうことになるのだ。
自分達の行いが、結果的に争いの火種を撒いた。 その事に気付いて罪悪感を感じる千鶴たちに対し、みちるは何時もらしくない優しい態度で語りかける。
「だから霜月中尉は、貴様らに対してあのような模擬戦を仕掛けたのだろう。 それに、争いの道を辿るとまだ決まった訳では無いしな」
そうだ。 今後の人類が団結してBETAを駆逐して行けるかどうかは、夕呼や自分達の行動に掛かっている。 その為にも衛士として、さらに己を磨き続け無ければならないのだ。 未来への不安と期待を胸に3人が抱いていたその時、みちるが何時もの口調で語り始めたことに背筋を凍らす。
「まあそこはそれとして・・・ 榊!涼宮!鎧衣! 模擬戦で基地の人員に醜態をさらした罰として、昼の前に貴様らはグラウンドを20週してこいっ!!」
「りょ・・・了解~っ!」
「何でボクまで~!?」
みちるの怒号に泣く泣く復唱し、強化装備のまま千鶴と茜、そして巻き添えを食らった美琴がグラウンドへと駆け出す。 だがこれが何時ものヴァルキリーズなのだなと、3人は嬉しく思った。
・ PM4:53 横浜基地 地下90番ハンガー
日が陰り、夕暮れが横浜の大地を紅く染める。 それらとは無縁の世界、昼夜問わず人工の光により照らされる横浜基地の地下深くに存在する90番ハンガー。 4番目となるオルタネイティヴ計画の拠点として機能し、人類の希望を収めた宝物庫の内部に、国連軍の制服を身に纏う菫の姿があった。
午後におけるヴァルキリーズ相手の模擬戦を全てやり終え、事後処理の後にこの場所を訪れていた。 腰にまで届きそうなほどの長さの髪がハンガーの照明に照らされて、紫色の艶を出す。 そして広大なハンガーを歩いて菫が向かった先は、武の乗機であり世界初の第4世代戦術機『カイゼル』が係留されている場所だった。
「本当、何時までこうしておくつもりなのかしらね・・・」
ガントリーに固定されたカイゼルは、まるで慰霊碑や墓標如くその姿を晒している。 あ号標的とそれを守護する化身(アバター)級BETAへ荷電粒子砲諸共吶喊し、その濁流に飲まれたカイゼル。 だがあ号標的と化身級と共に心中し消滅するはずだった機体は、メガドライヴのオーバーロードにより展開された強靭なラザフォードフィールドにより防護され、辛くも原型を留めた状態で回収されたのだ。
トリコロールで色塗られていた筈の塗装は全て剥がれ落ち、どこぞの燃え尽きたボクサーのように灰色一色と化している。 破壊された左腕は肩部ユニットからごっそりと撤去されており、スマートガンも銃身が半ばからへし折れた状態のまま右手に握られている。 そしてこれを駆る衛士である武は、既にこの世界に存在しない。
このまま静かにハンガーに繋がれたまま余生を送るであろうカイゼルの機体を見上げていたその時、後ろから見知った女性の声が聞こえてくる。
「こんな所にいましたか。 皆探してましたよ」
「鑑さん・・・?」
菫が振り返ると、そこには赤い髪を結ぶ大きな黄色いリボンが目立つ純夏の姿。 どうやらヴァルキリーズ皆の頼みを受けて、自分を探してここまで来てくれたらしい。 そしてめぼしい場所を巡った末に、この90番ハンガーまで辿り付いた訳だ。
「ごめんなさい。 でも、一日これを見ないと落ち着かなくて・・・」
「私も、タケルちゃんが乗っていたこの機体を、ずっと眺めていたいと思う時がありますから」
菫の謝罪を聞いて、そう帰した純夏もまた武が乗っていたカイゼルを見上げる。 極めて近く、限りなく遠い時空の彼方から現れ、BETAの牢獄から自分を救い出してくれた勇者。 そして、今はもう手の届かないところへと帰還した最愛の男。 そんな武と出会い導き、その別れを見届けた菫に対し、純夏は少し悔しさと同時に羨ましく思っていた。
「菫さんは、向こうの世界でタケルちゃんと初めて出会ったんですよね?」
「ええ。 」
「もしよかったら、話してくれませんか? 菫さんが見た、タケルちゃんの事を」
之も一つの節目だ。 純夏の頼みを聞いた菫はそう思いながら、この世界にやって来るまでの武について語り始めた。 彼がむしゃらに、この世界を救いたいと思っていた事。 純夏を探し、この手に抱くために戦い続けてきたこと。 そうして話を全て聞き終えた純夏の顔は、やはりそうだったのかと安堵した表情を浮かべていた。
「やっぱり、最初から最後までタケルちゃんらしいですね」
「そうね。 後にも先にも、白銀君は特別だったわ」
それ故に、未だに彼の事が忘れられない。 それ故に武が己が存在を掛けて守ったこの世界で暮らし、それを守って行きたいと思った。 新たな目標を見出した菫は、微笑みながら純夏に語りかける。
「だから私は、白銀君みたいにこの世界を守って行きたいの。 鑑さん、協力してくれる?」
「はいっ! タケルちゃんに笑われないように、私も頑張ります!」
互いに宣言するように言い合った後、向かい合って笑う純夏と菫。 そしてもう一度、二人はカイゼルの機体を見上げる。 彼女達にエールを送るように、照明に照らされた機体が銀色に輝いていた。