・ AM7:47 電脳歴世界 日本国 東京都某所 秋月邸
「佐渡島ハイヴ、攻略に成功したみたいね」
「・・・そのようだな」
その気になれば大宴会が出来そうな広さを誇る椿の実家の座敷、対面で座る沙霧と椿がそう言葉を交わしながら朝食を口に運ぶ。 異世界で繰り広げられた佐渡島の戦いは電脳歴世界でも大きな波紋を呼んでおり、今もちゃぶ台に置かれている携帯テレビに映るニュースはそれに関わる話題で持ちきりである。
おかずであるサンマをちまちまとほぐしながら、椿は静観を決め込もうとする沙霧に問いかける。
「あら? 以外に喜ばないのね」
「本来ならそうしたい所だが、生憎私はそういう身分ではないからな」
箸を置き、神妙な面持ちのまま沙霧が答える。 仮にも彼はオルタネイティヴ世界の日本で反乱を起こし、そして汚名を着たままこの電脳暦世界に逃亡してきた罪人だ。 そんな今の自分に祖国の勝利を祝う資格など無い。
そんな沙霧に対し、椿はサンマをほぐし続けながら言う。
「あのねぇ、何時まで世捨て人を気取っているつもり?」
「いや、そんなつもりでは・・・」
「こうしている今も、殿下はあなたがやった事の後始末をして、あなたと2度も戦った白銀武は佐渡島で活躍したって言うのに、ここで燻っていて良いの?」
「私は・・・」
途中から声を強くする椿の言葉に、沙霧は南洋の海における武との戦いを思い出す。 襲撃者を装い、景清で仕掛けてきた自分に対し、武はペリリュー基地を守ろうと必死に戦っていた。
あのクーデターの時だって自分は祖国である日本、ひいては悠陽の為に戦っていたではないか。 だが今の自分には、悠陽に対して忠義を尽くす資格があるのだろうか。
「大丈夫。 きっと殿下は心のどこかで、あなたの事を許している筈よ」
「・・・そうだな。 なら私は、私の忠義を貫くまでだ。 君と共にな」
椿の励ましで活気を取り戻したのか、先程まで止めていた箸を沙霧は再び動かす。 そして2人が食べ終わるのを見計らったかのように、椿が持つ携帯端末が鳴り響く。 ネットワークの向こう側にいる相手との会話を終えた椿が、沙霧に今日の予定を告げた。
「例の人が意識を取り戻したわ。 さあ沙霧大尉、仕事に行くわよ!」
「うむ・・・!」
マブラヴ-壊れかけたドアの向こう-
#28.5 証人
・ AM9:08 東京都某所 蓬莱クリニック
「それで八意先生、彼女の容態は?」
「身体の方の治療は終わったわ。 あとは記憶に多少混乱が見られるけど、気にするほどじゃないわね」
都内にある私立病院の長い廊下を、椿と沙霧は院長の八意と共に歩く。 個室病棟、更には集中治療室へと進み、その中の一つである個室のドアの前で八意は足を止める。 彼女は懐からカードキーを取り出してセンサーに通し、それを認証した電子音が鳴る。
そしてスライド式のドアが静かに開き、部屋の中のベッドで寝る人物に八意が声を掛けた。
「具合はどうかしら? イルマ・テスレフさん」
「はい、おかげさまで・・・ 」
端から見れば互いに異なる国の言葉をしゃべっている2人だが、2人の耳にはイヤホンのような翻訳機が付けられている。 無論、沙霧と椿も其れを身に着けており、言葉の壁を気にすることなく会話が出来るのだ。 照明が点いて互いの姿を確認した沙霧とイルマが、何故お前がここにいると言わんばかりに驚きの顔を見せる。
恐らく彼女も自分と同じように、ほとぼりが冷めた頃に椿によって救出されたのだろう。 八意に続いて、沙霧は殺気が篭った声でイルマに話しかける。
「貴様は、あの時の米軍機に乗っていた衛士か?」
「そうよ。 あなたと殿下の交渉を台無しにした、ハンター2の衛士はこの私。 といっても、あのときのことは余り覚えてないけどね・・・」
「覚えていないだと!? 貴様、あれだけの事をしておきながら、どう言う事だ?」
自分も人の事が言えないと自覚しながらも、沙霧は問わずにはいられなかった。 あの時自分と悠陽の交渉が成功していれば、ここまで事態がこじれる事は無かったのだから。 このまま力ずくで聞き出そうかと沙霧が憤慨していたその時、八意がイルマの治療中に気付いたある事を話し出す。
「その事なんだけどね沙霧さん。 彼女、催眠暗示を受けた形跡があるのよ」
「催眠暗示だと? まさか・・・!」
「そう。 彼女は自分の意思で、交渉を破綻させた訳じゃないって事よ」
八意に続いて椿の推測に、沙霧はハッとする。 自分達の世界では、BETAとの戦闘による恐怖や精神的ショックを軽減する為に“後催眠暗示”というものが存在する。 程度は様々だが最も強力な後催眠暗示を受けた場合、意識が朦朧とし状況判断が低下する事も有る。
それを用いればイルマのように、戦術機に乗っている衛士を操って行動させることもあながち不可能ではない。 苦渋の表情を浮かべながら、イルマは現在の心境を話す。
「結局、私も大国の捨て駒として使われたって訳よ・・・」
彼女はBETAによって滅ぼされた北欧の国、フィンランドからの難民出身だ。 父親はBETAとの戦争でとうに戦死し、市民権の入手と残された家族を養うために米国軍に入隊した。 彼女意外にも、苦しい生活から抜け出そうと軍に志願した難民出身の衛士は数多く存在しており、実際に前線に送り出される米軍の戦力の大半がそういった事情の持ち主なのだ。
自分達を保護してくれた国に忠を尽くしたつもりが、向こうからは捨て駒程度にしか見られていなかった。 そう悔しさと憎しみを露にするイルマの目に、薄っすらと涙が浮かんでいる。 そんな彼女に椿は、ある提案をイルマに打ち出す。
「だからテスレフ少尉、その悔しさを違う方向で晴らしてみたらどうかしら?」
「えっ・・・?」
そうして椿は沙霧と共に、自分が編み出した武達に対する支援計画について、イルマに全てを話した。 悠陽との会談を終えた椿は、余程の事が無い限りあの世界に行く事は無い。 沙霧もあの世界では罪人であり、もうあの世界へ戻る事は出来ない。
そしてイルマもおめおめと戻れば、米国の諜報部に抹殺される運命が待っているだろう。
「私達の世界では、通常の技術で戦術機を強化する計画が進んでいるわ。 あなたには、その手伝いをして貰いたいのよ」
「つまりテストパイロットとして、私をスカウトしたいって事ね?」
「ええ。 もし受け入れてくれるのならここにいる沙霧大尉と同様、あなたの身の回りの保障はするわ」
自分が提供した情報や行動が、自分を捨てた連中に対して一矢報いる事が出来るならそれで良い。 それに彼女のいう言葉の真偽は、沙霧が隣に立っている事で十分証明出来た。
このまま誰にも真実が伝わらずに死んでたまるか、そう決意したイルマは椿に対し力強く頷いた。
「じゃあ八意先生、引き続き彼女の治療をお願いします」
「ええ、私のプライドに掛けて彼女を治すわ。 じゃあテスレフさん、また後で来るわね」
とりあえず今は休息と治療が必要だ。 彼女達が部屋から去った事を確認すると、イルマは八意の言う通りにそのまま深い眠りに付いた。
・ 2001年10月29日 横浜基地 B19フロア 香月ラボ
「新種の超大型BETAによる増援?」
「はい。 あの作戦で最初にハイヴに突入したモーラ隊とオービットダイバーズが、新しい横坑を掘削しているらしい音源を感知しています」
銑鉄作戦の成功により直接的なBETAの侵略が薄まり、一段落を迎えた横浜基地。 地下の夕呼の研究室では、独自にBETAの調査を行っていた菫が更なる資料と共に報告を行っている最中だった。
ハイヴへの突入に失敗した後、文字通り湧き出るように出現したBETAの増援。 さらに生還した突入部隊の証言や記録から、それらは本来佐渡島ハイヴに残っていたBETAではないのではと菫は語ったのだ。 彼女の推測に対し、夕呼はふんと鼻息を立てながら自分の意見を口にする。
「さらに採取された音紋と振動パターンは、トンネル掘削用シールドマシンと同じ・・・ となると佐渡島の増援は、地中を高速で進むBETAの未確認種がやったって事になるわね」
「はい。 私達はその可能性を第一前提に、現在更なる調査を行っています」
現在確認、分類されているBETAは8種。 だがBETAが異性人の作り出した作業機械という菫の仮説が正しいのなら、まだ人類が確認していないBETA種が存在していても不思議ではない。
人類が勝利するには更にBETAを“知り”、それを成した上でBETAを“制する”方法を見付けなくてはならない。
「決めたわ。 これからアタシもあんたの仮説に則って、BETAについて調べてみる」
「ほ、本当ですか!?」
「こんな重要な時に、アタシが嘘を言うと思ったの? 共同研究って形で、いずれ国連に提出するけど、それでも良いわね?」
自分の仮説が夕呼に認められた事に、菫は驚きの余り声を上げる。 そんな彼女に、夕呼は更に小言を付け加えて言った。
「まあ、上司のメガネ君に、グダグダ言われないように頑張りなさい。 アタシも、出来る限り力になるわ」
「はいっ!」
これでまた、武の望みを叶えられるかもしれない。 世界規模で人類の反抗作戦が始まろうとしている水面下で、菫と夕呼の戦いが始まろうとしていた。
・ 一週間後 電脳暦世界 AM9:43 秋月邸
「『メタルマッドネス』計画?」
「それが新たに行われる、新型戦術機開発計画の名か・・・」
治療を終えたイルマも加わり、椿と沙霧は3人で4畳程度の茶の間でちゃぶ台を囲む。 イルマと沙霧が呟いたとおり、オルタネイティヴ世界から招いた技術者の監修の下に新たな戦術機の開発が始まろうとしている。
2人に合成品ではない本物の緑茶を出した後、椿は計画の概要を話し始めた。
「どうやら銑鉄作戦が切っ掛けで、向こうの技術者達に火を点けちゃったらしくてね。 それで、資源も環境も整っている私達の世界で行おうって決まったのよ」
G弾によりBETAを殲滅し、戦術機による掃討及びハイヴの制圧を行う米国の対BETA戦略。 加えて戦後の覇権を狙う同国の思惑の結果、ラプターという明らかに対人戦闘を目的とした戦術機が誕生してしまった。 そんな戦略に嫌気がさした米国の各メーカー技術者や、G弾の運用に疑問を唱える米軍内部の少数勢力が電脳暦世界の企業や国々に協力を要請した事が、一連の開発計画の発端となった。
椿から一通りの説明を聞き終えた沙霧が、その計画の名に思わず眉間にシワを寄せる。
「しかし計画名の意味が『鋼鉄の狂気』とは、これは何かの皮肉なのか?」
「あら? 科学者は目的の為なら手段を選ばず、悪魔に魂をも売るって聞いたけど?」
「第二次大戦時のロケット研究者の言葉ね。 でも、私達の世界で名の知られたメーカーの殆どが参加しているのを見ると、本当にそう思えるわ・・・」
北米はノースロック・グラナン社にボーニング社、そしてラプターを開発したロックウィード・マーディン社。 日本帝国からは富嶽重工、光菱重工、河崎重工。 ソ連からはミコヤム設計局、スフォーニ設計局。
欧州からはF-2000“タイフーン”を開発計画である『ECTSF』に携わった企業達が。 そして東アジアや中東からはIEIや審陽等、人類の刃たる数々の戦術機を輩出した企業達がこぞってこの計画に参加しているのだ。 企業達は電脳暦世界の既存技術を、あわよくばこの機会に手に入れてしまおうと考えているのかもしれない。
イルマや椿の言葉どおり、悪魔に魂を売ったかのような企業達の行動に沙霧は驚愕するも、椿に今後の行動について質問する。
「それで椿、我々はどの勢力に組するつもりなのだ?」
「それはね・・・」
沙霧の問いに対して椿はm彼とイルマを呼び寄せて2人にそれを耳打ちで話す。 それを聞いて驚きを顔を浮かべる2人に、椿は小悪魔のような笑みを浮かべるのだった。
電脳暦世界:“メタルマッドネス”計画始動。 オルタネイティヴ界の各国戦術機メーカーのスタッフや軍関係者を招き、双方の世界の既存技術のみによる新型戦術機の開発が始まる。
ロックウィード・マーディン社及びボーニング社が同計画の一番手として、自社が開発したF-15シリーズとF-22の強化を電脳暦世界の企業に提案する。
・ 2001年11月3日 AM10:12 横浜基地 PX
「天元山が噴火するですって?」
「はい。 今となってはもう関係ないと思っていたんですけど、一応報告しようと思って・・・」
佐渡島での活躍により一躍脚光を浴びる事になった武の口から、前の世界での出来事が語られる。 天元山の一件は忘れてはいなかったのだが、ここ最近は忙しそうな夕呼に合えるタイミングが見付からず、今まで話せずにいたのだという。 そんな武に対し、夕呼は呆れた表情で答える。
「はぁ、今度からは優先して話に来なさいよ。 それで前の世界で、11月中に起きた出来事はそれくらい?」
「後は11日に、佐渡島のBETAが新潟に上陸したくらいですかね」
佐渡島の方は先日の銑鉄作戦が成功したことにより、BETAが新潟に上陸する事は無くなった。 そして天元山の方なのだが、その山が存在する中部地方は火山活動が最近活発になり、その麓では難民キャンプでの暮らしに絶えられなくなった人々が住み着いている。
政府は何とかして避難させようと思っているのだが、肝心の住民は断固としてキャンプに戻るのを拒否し、軍を出動しようにも銑鉄作戦の後始末やらで忙殺されているのが現状だ。 これをどう扱おうか夕呼が考えようとしたその時、菫が研究室に入ってくる。
「菫さん? どうしてここに」
「どうしてって、副司令に新しいデータ届けに来たんだけど。 ん、副司令・・・?」
彼女の言うとおり、菫の手には独自に行っているBETAの調査資料が書かれた紙がある。 そして菫の姿を見た夕呼は、半ば条件反射的に天元山の件の対応策が浮かんだ。
「丁度良かったわ霜月少尉。 あなたに一つ、頼みたいことがあるんだけど・・・」
「えっ・・・?」
不敵な笑みを浮かべる夕呼の顔を見て、菫はまた面倒な事が待っているなと悟っていた。
2001年11月3日:香月夕呼、天元山町への災害特別部隊の派遣を行うと、同日中に帝国政府へ通達。 帝国政府はこれを受理。
4日未明、霜月菫少尉を筆頭とする派遣部隊が現地に向う。
-あとがき-
『何故だ!? 何故貴女ほどの英雄が、マフィアなどに身を窶す!?』
『教えてやるとも、スタラニフ。 お前が誇りを見失ったように、我々は誇りから見捨てられたのさ』
卒論提出+引越し+職探しの三重イベントが近日中に待ち構えて、部屋の隅でガタガタ震えている麦穂です。
今回は29話へのつなぎ回。 救助されていたイルマの復帰とBETA新種疑惑、そして次回の天元山への前フリです。
オルタ本編で見せたイルマのあの行動、当初は命令されてそれに従ったのかと思っていたのですが、メカ本にて催眠暗示による可能性があるという記述があり、それをネタに書いてみました。 そして彼女を治療したゲストキャラ、八意先生の元ネタは勿論あの人です。