・ 2001年9月末日 AM12:17 横浜基地 食堂
「電脳暦世界の人達に対する感情、ですか?」
「ええ。 白銀君を切っ掛けに、私達がこの世界に介入して約4ヶ月。 榊さんを含めたこの世界の人々が、私達異世界の人間をどう思っているのか気になってね」
昼食を終えて一段落していた中、長い机の対面に座る菫の質問に対し、千鶴はどのような回答を返したら良いか困ってしまう。 確かに電脳暦世界による介入と協力により、BETAとの戦いがより心強くなった事は千鶴も理解しているつもりだ。 とりあえず、今は自分の意見を述べておこうと思い、千鶴は口を開いた。
「私個人としては、菫さん達が来てくれた事にとても感謝しています」
「ありがとう。 でも他の子達、特に香月副司令は私達の事をどう思っているかしらね?」
「それは・・・」
菫の放った一言に、千鶴は深く考えてしまう。 今この時も前線で戦っている以外の人間、即ち広報で指揮に当たっている各国の軍司令部や、その国々の政府の椅子に座っている者達は、この事をどう思っているのだろうか?
おそらく、肯定的な考えを持っているものは殆ど居ないだろう。 圧倒的な軍事力を背景に、見ず知らずの人間に『助けてやろう』と言われて『ハイお願いします』と全てを鵜呑みにする馬鹿な連中が、この世界の何処にいるのだろうか?
だが下手に歯向かえば、電脳暦の人類が開けたパンドラの箱、それにより生み出された人型機動兵器“VR”によって蹂躙されるのは目に見えている。 またVR以外にも向こうの科学技術は数段上を行くものばかりで、この世界で最も力を持つ米国ですらも迂闊にケンカを売れないのが現状なのだ。
「他の皆はともかく、香月副司令達にはあまり快く思われてない事は確かね」
「そうですよね。 下手をすればBETAより恐ろしい存在を敵に回す事になりますから」
「それはごもっともね。 だけど榊さん、私達の方だって言いたい文句が山ほどあるのよ」
超情報ネットワークとそれによって成り立つ電脳暦の社会、それらを管理運営していたのが企業国家と言う存在だった。 企業国家の支配が進むにつれて、人々の中にあった民族や国家という概念は薄れ去り、この事からより円滑に、より効率的に人類社会の繁栄が進んだ。
その事もあってか、ダイモン戦役後に企業国家の勢力が衰え、再び主権国家という概念が蘇った現在の電脳暦。 国家同士の確執はそれほど表面化せず、寧ろ世界情勢の安定を望まんと、各国が協調の道を歩んでいるのだ。
『BETAという侵略者が地球を襲っているにもかかわらず、何故人類同士で争っていられるのか?』
それが、再び“国家”を取り戻した電脳暦の人々が放った意見である。 特にこの間起こったクーデターが良い例だろう。
沙霧の演説に対して、菫にはそれがただの憂国や愛国の名を借りた、ただの我が侭な主張だと言う事に既に気付いていた。 いや、企業国家の長期に渡る統治により、ナショナリズム等といった主義や思想を一度無くした過去があるから言える事なのかもしれない。 そんな彼女の言い分に、千鶴は自分でも気付かない内に菫に謝罪していた。
「すみません・・・」
「別にあなたが謝る事じゃないわ。 あなたのお父さんもだって、今は必死になってこの国を立て直そうと頑張っているじゃない」
クーデターの終結後、悠陽は解放された榊首相らと共に戦渦に巻き込まれた帝都の復興、そして各帝国軍基地の戦力立て直しを図っている。 一方で介入した米軍は借りの一つも作れぬがまま渋々日本を後にし、夕呼には武達を襲撃した戦術機をネタにされたことで、逆に思わぬ貸しを作らされてしまったのだった。
「起きてしまった事は仕方ない。 大事なのはこれから如何するかでしょう?」
「そうですね。 白銀中尉達、今頃向こうで何をしているんでしょうか?」
「適当に資材集めか、資金集めでもしているんじゃないかしら? 彼はそうそう投げ出して逃げる子じゃないわ、ゆっくり帰りを待ちましょう」
コーヒーモドキの入ったカップを、菫は傍に置いてある合成クリームと人工甘味料を入れてかき混ぜる。 XM2の完成、そしてXMシリーズの集大成であるXM3の開発という、菫や千鶴達の新たな任務が始まろうとしていた。
マブラヴ 壊れかけたドアの向こう
#21 錯綜
- 我々は宇宙、そして時空の向こう側に広がる、新たなるフロンティアを開拓する –
その宣言が高らかに上げられたのは、一昨日電脳暦世界に存在する有力企業、その代表者たちが集う総合的な会議が終わる間際の事だった。 地球圏を支配していたプラントに追従し、ダイモン戦役を得て疲弊した企業達は、その勢力の回復を図ろうと必死になっていた。
そんな時に舞い込んだ、白銀武を発端とする平行世界の発見と進出。 儲けの手段が失われつつあった中に飛び込んできたサプライズに、地球圏全ての企業が起死回生のチャンスがやって来たと思っていた。
異星の侵略者であるBETAと戦う異世界の地球圏、そこに救済の手を差し伸べればセールスポイントは大幅にアップする。 また向こうの世界で使われる技術は、戦術機や一部の物を除いて旧世紀と同レベルの物ばかり。 自分達が持つ技術力もって、BETAと互角以上に戦える兵器を開発し、それを売り込めば新たな市場が開拓出来る。
北米のクレスト・インダストリアル、欧州のミラージュコーポレーション。 世界に名だたる企業達がその底無しの野心と商売人の根性を原動力に立ち上がり、現在ではもはや昼夜を問わず新型戦術機やそれを用いた各種兵器の開発を行っている。
そして武とケイイチの2人もまた、その計画の一端を担う存在だった。
・ 電脳暦世界 PM3:51パラオ 国連軍ペリリュー基地 第7ハンガー
「Vフライホイール?」
「ああ。 君が少佐から貰ったチップからメガドライヴのコアに関するデータが見付からなくてね。 仕方なくVコンバータの原理を応用したそれを、ドライヴにある円筒形状のパーツの中に入れることにしたんだ」
外から来る潮風が入り込み、基地の整備士や職員が何度も通りを行き来するのが見えるハンガー詰所。 そこでは“メガドライヴ”のデータ解析を終えたケイイチが、武にその結果を話している最中だった。
メガドライヴの装置自体はこの電脳暦世界の技術で比較的簡単に製造が可能だった。 だがセネスから渡されたチップからは、ドライヴの核となるパーツのデータがどうしても見付からなかったとケイイチは話す。
「クロフォード少佐、最後の最後で意地悪な事をしてくれましたね・・・」
「でも、これで戦術機もVRと同等の戦闘力を手に入れられるんだよ。 まあ、メガドライヴの稼働には外部からのエネルギー供給が必要で、活動時間に制限があるのが欠点だけどね」
試行錯誤の末ケイイチは、Vクリスタル質を円筒形状に加工したメガドライヴのコア、“Vフライホール”を発案する。 これならセネスが乗っていたPHOENIX同様、戦術機もVRと同じ機動特性を得ることが出来るのだ。
もしかしたらデータが存在しなかったのは、『その核となるパーツを電脳暦世界の技術で作って見せろ』という、セネスからの最後の挑戦状だったのかもしれないが、今となっては彼女の真意を聞き出すことも出来ない。
「各プラントの支援も受けられそうだし、僕らが向こうに帰る前にはヴァルキリーズ分のドライヴ本体の調達は間に合いそうだ。 後は・・・」
「Vフライホイールの材料を、何処から調達するか。 ですよね?」
「ふふん、白銀君も色々と分かってきたみたいだね~?」
武の言葉に対し、ケイイチは悪戯を思いついた子供の様な笑いを返す。 Vフライホイールの原料は南米に存在するTSCドランメン管轄地、その一部である禁制領域『シバルバー』で採掘されるVクリスタルの1種“ワイルド・クリスタル”を触媒として用いると言う。 フライホイールにエネルギーを供給して回転させ、VRのコンバータ同様、慣性制御やエネルギーの増幅を行う仕組みらしい。
と、ここで武はある重要な事に気付いた。 何故ケイイチは、ここまで物事を急速に進めていられるのか? そして彼に協力する人物や組織がこれほどまでに多いのか? 進捗程度が恐ろしいほど早過ぎる事に疑問を感じた武は、その事について話題を切り出す。
「それにしても、よくプラントの協力まで受けられますね」
「僕だけじゃない。 この地球圏全体が、個々の思惑はどうであれBETAを倒そうと必死になっているんだ」
「異世界に居るBETAをわざわざ倒すって・・・どういう事です?」
その言葉の真意を直ぐには飲み込めない武に対し、ケイイチはダイモン戦役の経緯と、最後に起こった出来事について語りだした。
Vクリスタルの制御方法を編み出し、月面遺跡“ムーンゲート”を創造した古の知性体。 滅びさった彼らの残留思念は何時しか怨念と妄執の塊となり、何時しかその存在を知る人間達に“ダイモン”と称されるようになった。
実体を持たず情報を操る力を有していたダイモンは、情報を主体にやり取りされる電脳暦の世界には正に天敵と言える存在であり、巧みな情報操作によって人類社会を影から操って行った。
そして、第8プラント『フレッシュ・リフォー』総帥である少女、リリン・プラジナーが設立した特装機動部隊“MARZ”は、来るべきダイモンとの決戦に備えて結成された組織だったという。 やがて表面化したダイモンとの戦いは熾烈を極め、彼らの目的が時空因果律制御機構“タングラム”を用いて電脳暦世界の滅亡を誘発しようとしている事が判明したその時、MARZに所属する一人のパイロットと1機のテムジンが電脳虚数空間に突入する。
「それがこの世界の英雄、チーフだったんですね?」
「結局彼の手によってタングラムが解放され、ダイモンの消滅に成功。 これで全てが終わった、そう思っていた・・・」
チーフと同時に虚数空間から飛び出した1つのVクリスタル。 それが火星の軌道を回るうちに、テラフォーミングが不完全だった火星が瞬く間に地球と同じ環境へ変貌してしまったのだ。 気付かぬままに自分達を滅ぼそうとしていたダイモンの消滅、そしてタングラムが起こしたであろう火星の奇跡に歓喜し酔いしれていた人々に、チーフからタングラムが残したメッセージが伝えられる。
- 敵は、危機は、ダイモンだけに留まらない。 -
英雄の口から語られたタングラムのメッセージ。 そしてこの後に異界へと飛ばされ、チーフが体験した戦いの記録は、電脳暦の人々を震撼させた。 この無限に広がる外宇宙、まだ見ぬ時空の彼方からダイモンと同等、それ以上の力を持つ敵が今後人類の前に現われないとも限らないというのだ。
『自らの運命は自らの手で掴み取る』 タングラムが最後にチーフに伝えたこの言葉を体現するかの様に、人々はその為の戦いを始めようとしていたのである。
「そんな矢先に君がやって来たんだからねぇ、これも運命って奴なのかな?」
「運命ですか・・・」
そう呟きながら、武はハンガーの外を眺める。 金、善意、利権、目的や理由はそれぞれ違えど、この世界の人々が全力を持ってBETAと戦う覚悟でいる。 だがそれとは対照的に、それらがあるが故にまとまる事が出来ない向こう側の世界を思い出すと、武はやるせない気持ちになった。
気を落としている武に気付き、ケイイチが声を掛ける。
「白銀君、この世界と向こうの世界、人間の欲深さは余り変わらないと思うよ。 ただ一つだけ、向こうの世界に足りないものがある」
「足りない物、ですか?」
「“英雄”が存在していないんだ、世界を纏めるに足る絶対的な存在がね」
ケイイチの言葉を聞き、武はあの世界で繰り広げられた、BETAとの主要な戦いを思い出す。 規模や場所はどうであれ、どの戦いも人類が圧勝したと言う記録は無い。 BETAという無限に等しい数の敵と、先の見えない戦いを続けて負け続けてきたあの世界の人類が、何処に希望を感じると言うのだろうか。
「英雄が居なければ、誰かが英雄になれば良い。 その役目は君が適任だと、僕は思っているんだ」
「俺が・・・英雄ですか!?」
ケイイチが放った一言に、武は驚きの声を上げる。 確かに冥夜を初めとする元207組からは慕われているし、みちるや水月といったヴァルキリーズの先輩達からも、次世代のエース候補として期待されている。
だがそれを通り越していきなり英雄になれとケイイチに言われたのだから、最終的な予想はしていたにしろ、余りに急な事に理解の範疇を超えた展開に武は困惑していたのだ。
だがその時、その迷いを吹き飛ばすかのように、最愛の少女の言葉が武の脳裏を掠める。
『それでこそ、カッコイイ武ちゃんだ!』
「(純夏・・・!?)」
脳髄だけの姿となった純夏を、BETAの牢獄から救い出す。 それは子供の頃に読んだ、おとぎ話のシチュエーションその物ではないか。 愛する女一人救えないで何が英雄だ、何が救世主だ!
何時しか武の心には、新たに勇気の炎が灯り始めていた。 武のその様子を見て、ケイイチも不敵な笑みを見せながら口を開く。
「ふふん、やる気になってきたみたいだね」
「勿論ですよ、純夏を救えないで英雄なんて名乗れませんから!」
二の腕に手を当て、ニヤリと笑う武。 そして2人は霞とフーリエを連れ、Vフライホイールの原材料であるワイルド・クリスタル採取の為、一路南米へと飛び立った。
・ 同時刻 旧サウジアラビア アンバールハイヴ勢力圏内
熱帯のそれとは異なる、全てを焼き尽さんばかりの日差し。 如何なる植物をも根付かせぬ、広大な砂の台地。 生命が生き抜くには余りにも過酷な状況であるサウジの砂漠を、悠然と突き進む物体が存在していた。
宇宙からの侵略者であるBETA、そしてそれらを狩り尽くさんと砂の大地に息を潜め、攻撃の合図を待つ鋼鉄の巨人達の姿があった。
『マルコ7よりマルコ1へ。 こちらに向けて前進中のBETA群を確認。 やはり我々の後ろにある、スエズを目指しているようです』
「マルコ1了解。 マルコ7、光線種の存在は?」
『自分がまだ撃たれてないのが、今のところはいないという何よりの証拠ですよ。 ・・・それに、奴らの上げる土煙で視認はほぼ不可能です』
「だろうな。 それで? 後方にいるDNAのドンガメ共は、ちゃんと支援してくれるんだろうな?」
『連中だって、給料分の仕事はしてくれますよ。 あとは中東連合の戦術機部隊が、我々のペースに何処まで付いてくれるかですね』
上空を飛行する偵察担当のサイファーからの報告を聞き終え、待機状態にある鋼の巨人- アファームド・ザ・チーフコマンダー -のコクピットに座るRNA所属の部隊長は、部下達と共にBETAの間引き作戦の開始を待つ。
部隊長率いる、VR10機前後で構成されたRNAの標準的な攻撃型スコードロン数個が前衛に。 その後方からDNAのボック系で構成された部隊が火力支援を行うという、最初にリヨンハイヴを攻略した時と同様の陣営だ。 ただあの時と違うのはこちらの世界の軍隊、即ち戦術機というVR以外の兵器を有する物達と共闘していると言うことだ。
「(あんな機体で30年以上も、あのゲテモノ共と戦っていたのか・・・)」
彼らがVRと張り合うには余りにも力不足な機体で今回の作戦に参加している事に、部隊長は『自分達の世界は自分達で守る』という意地と気迫を感じ取る。 そうしている内に、BETA群が砲撃射程圏内に入ったと、再びマルコ7から連絡が入る。
部隊長もといマルコ1はマルコ7へこちらに戻るよう指示を出した後、彼の周りで待機中の部下達に向けて、通信に向けて力強く喋る。
「さあ野郎共! 楽しい楽しいハンティングの準備は出来てるな! 今回DNAの連中は支援のみで、獲物を取られる心配は無し!
フランスで奴らにお株を奪われた鬱憤を、ここでたっぷり晴らしてみせろ!!」
威勢良くまくし立てるマルコ1に呼応するように、通信回線から部下達の雄叫びが聞こえて来る。 そしてスコードロン最前列に位置するドルドレイ5機で構成されたターナー隊が、待ちきれないのかマルコ1に突撃許可を求めて来た。
『ターナー1よりマルコ1! もう先走ろうと我慢できない奴も居る、攻撃開始の合図はまだか!?』
「焦るな。 着弾まで後、3・・・2・・・1・・・」
魔法の呪文のようなカウントダウンをマルコ1が唱えると、彼らの上空を大量のミサイル、そして砲兵が放った砲弾が、砂塵の向こうに飛び去って行く。 その数秒後、目の前の砂塵が獏炎と轟音に包まれ、ようやく後方から中東連合の戦術機部隊が追い縋って来た。
それと同時に、マルコ1は全ての部下達に叫ぶ。
「皆待たせたな! ターナー隊は先行して攻撃開始! 故郷の親御さんの顔に、泥塗るような真似だけはするんじゃねえぞ!」
『了解っ!!!』
「全機、俺に続けっ!!」
マルコ1の合図と共に、部下達が乗る第2世代型アファームドやライデンが待っていたとばかりに戦場へとなだれ込む。 既に先行したターナー隊のドルドレイが暴れ回っており、BETA側の前衛だった突撃級は自慢の装甲殻に、綺麗な穴をくり貫かれるという醜態を晒していた。
そして東西新旧の機体が入り乱れている中東連合の戦術機部隊も、彼らに負けずとBETAに対して攻撃を開始。 中東戦線における第2次BETA大規模間引き作戦『サンドサイズ・セカンド』が、こうして幕を開けたのだった。
2001年9月末日:中東戦線、第2次大規模間引き作戦『サンドサイズ・セカンド』作戦発動。 中東連合とRNA主体による本格的な共同作戦が開始される。 尚DNA側は欧州戦線の支援を強化していたため、今回の作戦には砲撃支援のみに留まる。
同日:同作戦の開始を受けて、国連は電脳暦世界に所属する、全ての軍隊との連携強化のための条約作成を発案。 各国政府はこの案に賛同し、兵力、技術及び居住提供に関する項目の作成が始まる。
同日、電脳暦世界:企業連、戦術機及びVR用の武器の開発に着手。 欧州戦線向けとして36mmチェーンガン内臓の戦闘槍や面制圧用のロケットランチャー等の開発が開始。
2001年10月1日:香月夕呼、戦略兵器XG-70の機体調達開始。 鎧衣左近の協力により、調達はスムーズに行われる。