・ 9月下旬某日 AM10:37 横浜基地 第1演習場
コンクリートが朽ちて鉄筋が剥き出しになったビルの残骸、ひび割れ荒れ果てたアスファルトの道路。 もはや人の住めなくなった死の街の一角に、コバルトブルーに色塗られた鋼鉄の巨人が身構えている。
「さあ、どう出てくる・・・?」
ロールアウト仕立ての性能実証試験機、F-4EJ2『銀鶏』の管制ユニット内で、まりもは口元を緩ませる。 網膜に映し出されるレーダーには、自分を取り囲むように赤いマーカーが幾つも表示されている。 取り囲むのは元207訓練小隊の乙女達だ。
そして左右のマーカーが自分に向かって急接近したかと思うと、ロックオンされた事を知らせる警報が鳴り響く。
「来たっ!」
鋼の装甲を超えて伝わる殺気。 それが放たれる方向へ、まりもは両手に持つ突撃砲の銃口を向ける。
「はあああっ!」
「貰った!」
廃ビルを飛び越しながら、冥夜と慧の吹雪が長刀で同時に切りかかろうとする。 対するまりもは挟み撃ちで襲い掛かる2人に、歓迎とばかりにペイント弾を浴びせる。 その洗礼に対し、冥夜と慧は水平跳躍と直角反転を組み合わせた機動により路地を疾駆し、銀鶏の銃撃を回避する。
「くっ!」
「見た目は撃震なのに、なんて速さ・・・!」
廃ビルの陰に機体を隠しながら、慧が銀鶏の反応速度に毒付く。 シミュレーターで見た戦術機が、今こうして自分達と相対している。 電脳暦世界の技術を取り込んでいるそれを操っているのが彼女達の恩師であり、訓練生時代のみちる達から“狂犬”と呼ばれ恐れられた神宮司まりもその人なのだ。
「どうした御剣、それに彩峰! 他の連中も、もう怖気付いたのか?」
周りにいるヴァルキリーズの新米達に、まりもは罵る様に声を上げて挑発する。 これがみちるや水月のような心身ともに鍛え上げられ、経験の豊富な先輩衛士ならば通用しないだろう。
だが彼女達は、それらを鼻で笑ってあしらう程成長していなかった。 再び鳴る警報と同時に、まりもの視界に2つの機影が見える。
「ほう? 高原に朝倉、それに涼宮まで来たか」
2人で駄目なら3人でと踏んだのだろうか、先頭を並走する茜と光の吹雪、その後ろには直美機が支援突撃砲を構えてまりもの銀鶏に迫る。
「(涼宮と高原の2人で撹乱させ、朝倉が仕留める寸法か。 だが・・・!)」
3方向に散った吹雪に対し、まりもは迷わず直美の吹雪を標的に選び追撃する。 跳躍した後の着地や、茜達を相手にしている隙をコソコソと狙われるのは気分が良い筈は無い。
撃震と同じ重厚なシルエットを持つ銀鶏が、吹雪と同程度のスピードで追いかけてくる姿に直美は息を呑む。
「じょ、冗談でしょ!?」
そう叫びながら急速後退しつつも、直美はガンマウントに乗せている突撃砲で牽制射撃を仕掛ける。 まりもと正面から戦って勝つとは到底考えていない。 それならせめて逃げ続けて、仲間達に攻撃のチャンスを作りたい。
その一心で直美はペダルを踏み込み、まりもの追撃から逃れ続ける。
「(ドンピシャ! 晴子達が張っているエリアまで来られた!)」
「何っ!?」
ミイラ取りがミイラになるとはこの事だろうか、そう失念しながらまりもは四方八方から迫る銃撃を避ける。 どうやら直美を追いかけている内に、晴子や壬姫達が潜伏しているエリアに入ってしまったようだ。
壬姫達の射撃のスキルが高い事もあり、銀鶏でも回避には一苦労させられる。 それでもまりもの表情は一切焦りの色を浮かべない。
「(私とした事が、彼女達を甘く見すぎていたか。 だが・・・!)」
直進した先にある交差点で、地面を蹴ったと同時に噴射で強制的に直角方向へ曲がる銀鶏。 所謂“バーティカルターン”と呼ばれるVRの機動特性の一つを再現して見せたまりもだったが、それもひとえに武が発案したXMシリーズの恩恵によるものだった。
「今のは危なかったが、私に一太刀入れるにはまだ早い!」
そう晴子達に告げた後、まりもは銀鶏に更なる加速を命じる。 まだ模擬戦は始まったばかり、自分の持つ知識と技術を彼女達に伝えきるまで倒れるわけには行かないのだ。 遠い昔に失った戦友達の意思と共に、まりもの銀鶏が演習場の空を舞う。
ヴァルキリーズの誰もが武達の帰りを待ち侘びながら、来るべき決戦の日に向けて鍛錬を続けていた。
マブラヴ 壊れかけたドアの向こう
#19 密航者
・ PM12:34 電脳暦世界 パラオ共和国 国連軍ペリリュー島基地
「んあ・・・ 俺、何時の間にか昼まで寝てたのか・・・?」
陽炎が立ち昇るコンクリートの地面、これでもかと降り注ぐ灼熱の日差し。 地元の人間でも茹だる様な暑さとは無縁の部屋、空調が行き届いた基地の宿舎の一室で武は目を覚ます。 武達が向こう側の世界へと旅立った“ゲート”を通り、無事に電脳暦世界へと帰還した武とケイイチ。
その後ケイイチの出身地兼ホームベースであるぺリリュー基地へと向かった武だったが、手続きや報告を立て続けに行い、旅の疲れも相まって用意された部屋に案内されたと同時にベッドに突入。 そんなこんなで帰還初日を終え、武は今まで眠りこけていたのだった。
「今まで誰も来てないみたいだし、もう一眠りしようか・・・」
再び布団に潜り込もうとしたその時、武は布団の中がやけに暖かい事に気付く。 そして下半身には、何かが乗っている感覚。 恐る恐る布団の中を覗いて見ると、水色の長い髪をした少女が一人、すやすやと寝息を立てて眠っていた。
「ちょっ・・・!?」
いつの間に入ってきたのかと、驚きの声を上げそうになる武。 この世界の国連軍の制服を身に着けているが、果たして彼女は何者なのか。
「(とりあえず、今はケイイチさんに会わないと。 もう昼だから、あそこに居るはず!)」
眠っている彼女を起こさない様にしながら、武はケイイチに会うべく一目散へ食堂へ向かう。 すると・・・
「おっ、ようやくお目覚めかい? 白銀君」
「白銀さん、寝坊過ぎです・・・」
なぜ、彼女がここにいるのだろう? そう自分に問いかける武は、驚きのバロメーターを超越した余り言葉を失う。 昼食を楽しむケイイチの隣には、彼と同じく昼食の鯖味噌定食を頂いている、社霞の姿があったのだから。
・ PM13:24 ペリリュー基地 ケイイチの部屋
「一体どう言う事なんですかケイイチさん!? 俺の部屋にいつの間にか女の子が寝ているし! さらには霞が付いて来ているし!」
「まあまあ落ち着いて白銀君、今から一つずつ説明するから・・・」
起きて早々2つ続けてサプライズを体験した武が、異様に高ぶったテンションのままケイイチを問い詰める。 それ対してケイイチは全く動じず、いまだ興奮収まりきらない彼を霞と共になだめながら説明を始めた。
まず武が不思議に思ったのは、何故この場所に霞が居るのか。 出発前に彼女の姿を見掛けなかったので、てっきり夕呼の元に居るのかと武は思っていた。
だが出発直前にケイイチの手によって霞はマイザーナブラの内部に潜伏しており、2人が機体から立ち去ったところを見計らって抜け出していたと言うのだ。 無論、霞がここへ来る事は、武以外の人員には通達済みである。
普段は感情を表に出さず、人前では常に夕呼の後ろに立つような霞に密航するような動機なんて見当たらない。 こんな事を霞に行わせるのは、後にも先にもあの人しか居なかった。
「やっぱり、夕呼先生の仕業か・・・!?」
「うん。 彼女のESP能力を、こっちの世界で活用できないかって博士に言われてね」
VRに対する適正値は、かなり乱暴に言えば個人の精神力に左右される。 つまり軍人としての素質を抜きに考えれば、他人の精神を読み取り、自分のイメージを相手に送り込むが出来る霞もVRパイロットの素質があるという事なのだ。
「まあエンジェランみたいな機種もあるから、そう心配しなくていいと思うよ」
そうケイイチに言われても、武の胸中にある不安は簡単には取り払われない。 そんな中で部屋のドアが開き、武と一緒に寝ていた少女が姿を現す。 だがケイイチはそれが当たり前のように、彼女に声をかけていた。
「丁度良い所に来たねフーリエ。 社君にここの案内をして貰いたいんだけど、引き受けてくれるかい?」
「は~い! 任せて下さいマスター!」
フーリエと呼ばれた少女は元気良く答えた後、霞の手を引いて部屋を後にする。 霞と同じくらいの背丈や薄紫色をした長髪もあってか、武には2人が双子の姉妹のように見えた。 部屋に居るのが武とケイイチだけとなったその時、ケイイチは武が2番目に気にしていた事について口を開く
「君の布団に潜り込んでいたあの子、僕が作ったマシンチャイルドなんだ」
「マシンチャイルドって、夕呼先生の話に出ていた?」
VRの精神同調や負荷に耐えうるべく生み出され、全盛期には消耗品的な扱いを受けていた人造人間。 だがフーリエは最初からマシンチャイルドとして作られた訳ではなく、ケイイチが以前から進めていたとある研究から生まれた存在だという。
「フーリエは、僕が研究していた“量子AI”の第1号なんだ」
「量子AI?」
聞きなれない用語が出てきた事に戸惑う武に、ケイイチは彼女が生まれた経緯について語り始めた。
電脳暦の世界でも『人と同じ思考を持つ人工知能』、即ち機械に“自我”を持たせる事は未だに実用化されていなかった。 それを実用化せしめたのは、やはりVクリスタル由来のオーバーテクノロジーだったのである。
Vプロジェクトの第一任者であるプラジナー博士や、その娘との言えるオリジナル・フェイ・イェン『ファイユーブ』の言を借りるとするのなら、VRにも“自意識”という概念が存在するという。 巨大ロボットであるVRが勝手に喋ったり動いたりする光景は想像し難い物だが、パイロットが長期にわたって乗り込む機体には所謂“クセ”という物が出来るため、彼らの仮説も安易に否定するべきではないという声も上がっているのも事実だった。
「その仮説に則って、僕はOT由来の技術でようやく実用化した量子コンピューターを利用してAIを作ろうと思ったんだ」
「それが、霞を連れて行ったフーリエって子なんですね?」
武の問いに、黙って頷くケイイチ。 半導体にVクリスタル質を練りこませて完成させた電子回路“Vプロセッサ”、ケイイチはそれを用いて数多くの女性の思考データを移植し反映させた、自ら考えて行動する新たなAIを作成する事に成功する。 それがフーリエと名づけられた、0と1の世界より生まれし電子の妖精だった。
だがいくら人を超えうる知性と感情をもってしても、籠の中にいる鳥のように仮想世界へ閉じ込められている訳にはいかない。 だからこそフーリエは『人間の身体が欲しい』とケイイチに願った。 そしてケイイチは彼女の願いを叶えるべく、医療用の培養臓器とチタン合金の骨格等で形成された特性のマシンチャイルドのボディを用意した。
だから武が朝に見たように、彼女は呼吸もするし体温もあるのだという。
「人の形をした、人を超える可能性を秘めた存在、それがフーリエなんだよ」
そう語るケイイチの表情は、武にはまるで娘を思う父親のそれのように見えた。 いや、事実そうなのかもしれない。 いくら機械の身体と頭脳を持っているからといえ、フーリエの思考は人間と大差無い。
そうして彼女と接している内に、何時しか家族に近い感情が芽生えてしまったのではないかと武は納得する事にした。 あらゆる物で満たされた電脳暦の世界、向こうの世界や元の世界と技術が進み過ぎているのは当たり前なのだ。
一々何かに驚いていてはこの先精神が持たないと判断した武は、この先何があろうと全てを受け入れて納得する事を心に誓った。 向こうの世界を救う“カギ”を手に入れる度は、まだ始まったばかりなのだから。
・ PM13:43 ペリリュー基地 ハンガー街
「はーい社さん! ここがVRを直したり格納したりするハンガーエリアです!」
整備員達の喧騒と作業の轟音に負けないくらいの声と共に、フーリエが霞を連れてハンガー街を歩く。 既にフーリエの存在はこの基地でも周知の事実らしい。
彼女の姿を見た整備員達が笑顔で手を振り、そして班長に拳骨で殴られハンガーの中へと引きずり込まれるというパターンを何度も繰り返していた。
だが今回は彼女のみならず、異世界からの客人である霞を連れている。 その子ウサギのような風貌も相まって、彼女達はこの基地におけるアイドルの様相を呈していた。 ハンガーエリアの中間に差し掛かったところで、今まで無言のままで居た霞の口が突如として開く。
「あの、フーリエさん・・・」
「はーい、何ですか~?」
おどおどした霞の問いかけに対し、フーリエは相変わらずのテンションと笑顔で答える。 何故、この子は自分にこうまで接してくれているのだろうか。 ただの案内としてじゃなく、この子は自分と居る事を心から楽しんでいる。 それは自身に備わったESP能力を使って、心を読まなくても分かる程だ。
「霞って、呼んでいいですよ・・・」
「霞さん・・・はい! ではそう呼ばせて頂きますね、霞さん!」
そう言って笑い掛けるフーリエに答えるかのように、霞も何時しか微笑むようになっていた。 彼女といれば、不思議と楽しい事が待っていると思えてくる。 今まで夕呼や武位しか話し相手がいなかった霞にとって、始めての友達が出来た瞬間だった。 そしてハンガー街を抜けた2人の目に、空と同じ青色の水面が映る。
「霞さん、海ですよ海!」
「これが、海・・・」
風に混じる潮の香りに、霞は武との約束を思い出す。 横浜基地から見えるあの海へ、いつか一緒に行こうと彼は言った。 その願いを先に叶えてしまった事に、霞は申し訳無さで胸が張り裂けそうになる。
その事で急に表情を曇らせた霞にフーリエが戸惑っていると、ハンガー街から何者かがこちらに向かって走ってくる。
「霞~っ!」
「白銀・・・さん?」
恐らくケイイチや近くの兵士から、自分達の居場所を聞き出してここまで来たのだろう。 武の顔からは滝のような汗が頬を伝い、まるで酸欠になったかのような荒い呼吸を見せている。 そして一通り呼吸が落ち着いた後、武は霞に約束の件について謝る。
「ごめんな。 お前と海を見に行く約束、こんな形で叶えてしまって」
「いいんです。 今こうして、武さんと海を見ていますから・・・」
向こう側の世界に返ったら、改めて横浜の海を見に行こう。 そう霞と再度約束した武は、3人で目の前に広がるミクロネシアの海を、暫くの間眺めていた。
・ PM17:48 ペリリュー基地 第2ブリーフィングルーム
「さて、香月博士の探している例の数式。 あれは量子転送の基礎となる演算式らしいんだ」
「量子転送だって? 一体、夕呼先生は何を考えているんだ・・・」
茜色に染まった空が見えるブリーフィングルームの一室、そこでケイイチの口が語る、夕呼の捜し求めている数式の正体。 武自身、今までその数式がどういった物なのか気にもしなかった。 それが世界を救うための重要な“カギ”だと言うことは理解しているのだが、具体的に夕呼が動使うのか検討が付かなかったからだ。
だがケイイチは、方向性こそ違うが夕呼と同じ学者先生の分類にはいる人間だ。 彼女がこれから何をするのかも、少し考えればすぐに分かってしまう。 ケイイチは少々躊躇いながらも、考えた末に出来た自分の仮説を武に話し始めた。
「横浜基地の地下で君が見たという“シリンダーに収められた脳髄”、あれはまだ『生きている』」
「脳だけになっているのに、あれが生きているって言うんですか!?」
「社君のESP能力を使ったから、それが分かったのかもしれないね。 おそらく香月博士はあれを使って、フーリエのような『人の形をした生命体』を作ろうとしているのかもしれない。
そうして作った人間で、BETAに対する諜報活動を行わせる。 コレが僕の推測した、オルタネイティヴⅣの概要さ」
オルタネイティヴⅢの遂行によって、その体構造が炭素で構成されているBETAは同じ炭素系生命体である人間を生命体だと認識していないことが判明した。 ならばBETAに認識してもらえるような、非炭素系生命体を創造すればいいのではないか?
擬似生体や高度な電子機器が普及しているあの世界ならば、それも不可能ではない。 ケイイチの推測こそあれ、人知を超えた計画を夕呼が行っている事実に武は言葉を失う。 そして同時に、武は認めがたくもある真実に気付いてしまった。
BETAと戦い続けているあの世界には、立場は違えど冥夜やまりも、壬姫に千鶴、慧に美琴、そして茜や晴子といった柊学園のクラスメイト達が存在している。 だが一人、武にとって最愛の女性があの世界にはいなかった筈だった。 いや、彼自身心の中でその真実を否定し続けて、彼女はこの世界に存在しなかったと決め付けていたのかもしれない。
「ようやく分かりましたよケイイチさん。 あの脳みその正体は、純夏だ・・・!!」
何故今まで気付かなかった? 何時から変わり果てた姿になってしまったのか? 心の中で答えの見つからない問いをくり返した武は、自身の最も大切な、最も愛する幼馴染の名前を震える声で紡いだ。
・ PM21:27 横浜基地 第7ブリーフィングルーム
「・・・以上が、『プロジェクト・バルジャーノン』における今後の活動方針です。 サギサワ大尉と白銀中尉が戻ってくるまでに、MXシリーズのアップデートさせる事が私達の至上課題となります」
数々の演習をこなし、疲労困憊するヴァルキリーズとリーフ・ストライカーズの面々の前で、菫がケイイチが自分に託してくれた資料を読み上げる。 ただ一人、千鶴だけがどこか落ち着かないまま彼女の話を聞いていた。
「(あの人は、いつ話すのかしら・・・)」
以前自分に聞かせてくれた、BETAが『異性人が創造した機械』という仮説。 この世界の人間でそれを知っているのは、後にも先にも夕呼とまりも、そしてみちると自分だけ。
この話を皆が知れば、どのような反応を示すのだろうか? それを知った上で、BETAとどう戦えばいいのか? そう考え続けていた千鶴に、菫が声を掛ける。
「どうしたの榊さん? 今更私の髪に寝癖でも見つけた?」
「い、いいえ。 何でもありません、ただ・・・」
「ただ?」
「あの事は、皆に話さないんですか?」
千鶴のその一言に、同席しているまりもとみちるの眉がピクリと動く。 一方で他の面々は、何事かと首をかしげている。 千鶴の言葉のみで全てを悟った菫は、まりもに視線を送りながら口を開く。
「話してもよろしいですね? 神宮司中尉、伊隅大尉」
まちもとみちるの2人が自分の仮説を知っている事は、成り行きからそれを漏らしてしまった千鶴から既に聞かされている。 菫の問いに、みちるとまりもの2人は揃って首を縦に振る。 それを確認した彼女は、先ほどの説明以上に真剣な表情で告げた。
「皆、これから話す事は他言無用よ。 良いわね?」
「しつもーん、どうして他言無用なんですか~?」
「鎧衣さん、それは話を聞いたら分かるわ」
納得いかないと眉を潜ませる美琴を他所に、菫はあの時千鶴と同様にBETAに対する仮説を語る。 話が進むたびにヴァルキリーズの皆が驚きの顔を見せて行く様は、第3者が見ていればさぞ可笑しく見えた事だろう。
また彼女達だけではなく、孝弘達も少なからず驚きの顔を見せている。 全てを語り終えた後、真っ先に食って掛かったのは水月と彼女を慕う茜だった。
「こ、こんなのありえないわ!」
「そうよ! どう見ても奴らは生き物じゃない!」
「地球の常識で図るのなら、確かにBETAは生き物と言えるのかもしれません。 でも涼宮さん、それに速瀬中尉、BETAは月や火星、ひいては太陽系の外からやってきた存在ですよ?」
それだけにBETAは人類の創造の範疇では測れず、自分の仮説もその可能性の一つに過ぎないと菫はさらに説明した。 だがそれをもってしても2人は納得せず、菫は頭を抱えながら答える。
「いずれにせよ今述べた話は、あくまでも私の仮説です。 ですがBETAの対処能力は、我々の方でも危惧しています」
月を攻め落としたBETAが地球に飛来し、人類と本格的な戦闘が始まった当時は、航空戦力による攻撃が通用していた。 だが新たに出現した光線種の出現により、現在ではBETAが居る戦場において空を舞う航空機は存在しなくなってしまった。
この事からBETAには非常に優れた対処能力を持ち、過去に行われていたハイヴ攻略戦においては、前回行った戦法が通用しない事例もあったという。 リヨンハイヴ戦の後もBETAがVRに対する対策を取らなかったのも、ハイヴのコアを破壊した事で各ハイヴにVRの情報が伝達されなかったためだと菫は付け加えて説明した。 彼女の話が終わると同時に、茜の姉である涼宮遙が菫に質問をする。
「つまり、BETAは何らかの手段を用いて、世界中に存在する各ハイヴと連絡を取り合っているわけですね?」
「はい。 その手段が分かれば、BETAに我々の持つ技術を漏洩せずに済むかもかもしれません」
超情報化社会である電脳暦の世界では、自分に有益な情報をいかにして手に入れ活用するかに掛かっている。 それは過去の限定戦争においてもご多分に漏れず、直接的な戦闘の裏ではハッキングや妨害工作といった、熾烈な情報戦が行われていたという。
これ以上BETAに人類側の情報を渡さない事、それがこの戦いにおける最も重要な課題であると菫は最後に告げた。
「私からの説明は以上です。 後は、伊隅大尉にお任せします」
そう言って一礼し、菫は自分の席であるパイプ椅子に戻る。 そして今度はみちるが皆の前に立ち、今後のシミュレータや実機訓練の日程について話し始める。 まだ寝かせてはくれないみたいだ。 この部屋に居る誰もがそう思うほどのブリーフィングは、夜遅くまで続いた。
次回に続く