6-1 謀略妖精・雪風双月輝く空を群青色が満たす頃、才人は魔法学院に帰還した。夏のハルケギニアは日が長い。地球時間にしておおよそ午前6時から午後10時まではお日様が大地を睨んでいる。当然人々は生活サイクルをソレにあわすわけで、つまりはもう良い子は寝る時間であった。そんな夜中に、彼はシルフィードに礼を告げ、まずはタバサの部屋へ向かう。明日から、『ジェシカ事件』(あるいはスカロンの陰謀)の片がつくまで、往路だけでもシルフィードを借りる腹積もりだった。暖色系の魔法の灯が照らす火の塔の階段を静かに駆け上がる。そしてタバサの部屋の扉にノックをした。がちゃり、と開く頑丈そうな木の扉からナイトキャップを被ったタバサが顔を出す。「はいって」タバサはシルフィードが学院に帰ってきてすぐに連絡を受けており、ノックをしたのは才人だとアタリをつけていた。才人が音もなく部屋に滑り込むと、タバサは扉を閉めて『ロック』『サイレント』の魔法をかける。――え?なんで??ここで才人はタバサが怒っていることに気づいた。キュルケと二人、タバサ表情鑑定一級を自任している才人だが理由までは分からない。「その、タバサ?」タバサはぷいっとあさっての方を向く。――夕方はあんなに機嫌良かったのに!?厨房で、デルフでガシガシ氷を削っている才人のそばで、タバサはじっと彼を見つめていた。そのときの表情は穏やかで、なんとも言えない安心感のようなものを才人は感じ取っていた。それがいまや、常人ならたっぷり五分は見ないと分からない差ではあるが、眉がつりあがっている。しかも顔そらす。普段のタバサからは考えられないことだった。夕飯の量足りなかったのかな、とズレたことを考えている才人。もちろん真相は違う。『おねえさま!あの黒髪ロングは危険なのね!!シルフィをぶったたいたうえ、おにいさまの背中に抱きついていたのね!』シルフィードの報告全文である。経緯も詳細もへったくれもなかった。しかし、タバサはこれに憤慨した。トリステイン貴族と比較すれば、タバサは嫉妬深い性質ではないが、今回は話が話だ。状況は良く分からないが、親切心から貸した使い魔の上でイチャつかれたのだ。しかも相手は自分の気になる、いや、好きな騎士さま。律儀な才人がタバサにお礼を言いに来るのは間違いないと信じていた。そこで不機嫌をちょっとだけぶつけてやろう、とてぐすね引いて待っていたのだ。ん!と自室のベッドを指差すタバサ。才人の視線はタバサとベッドの間を何往復かして、しぶしぶ腰掛けた。タバサの圧力に負けたのもある。でも石の床に直で正座よりマシだ、とポジティブにとらえた。――タバサがちょっと怒ってるのもきっと理由あってのことだ。ルイズみたいに理不尽な怒りかたしないし。説明を受けてきっちり謝って。シルフィードを借りる約束をして部屋に戻ろう。時間が時間なので手早くタバサのお説教を終わらせ、部屋に帰らなければマズい、主に命が。ゴシュジンサマ&メイドの、組めば無敵の常勝コンビに何をされるかわからない。早く帰りたいなぁ、と才人は顔で語っていた。タバサはそんな才人の心情を知ってか知らずか、彼の膝の上に座った。そして才人の腕を取って、自分を抱きしめるような形にさせ、頭を彼の胸に預けた。時折すりすりと頭を胸にこすり付ける様子は、マーキングする猫のようだった。――これと、後のことで許してあげる。でも、このまま時間が止まればいいのに……。タバサは目を閉じ、彼にその身を預けた。6-2 雪風と太陽――おかしい、これは陰謀だ!才人は叫びたかった。叫んで、走って、意味もなくルイズの前でバク宙決めつつ土下座したい気分だった。タバサが彼に好意をもっていることは自覚していたが、ここまで積極的だとは思っていなかったのだ。「ぬけている」と評価される才人が気づくはずもないが、客観的に見れば。思い人に自分の車を貸す。彼が女性をそれに乗せて家まで送る。(ここまでは同意あるのでセーフ)しかも車内でイチャつく。(アウト!)夜遅くに帰還。(ツーアウト!!)恋人でなくとも文句は言いたくなる。が、タバサはあえてその上を行った。――彼は、後でルイズにいっぱい文句を言われている。だから私は言わない。言わないけどいっぱい甘える。キュルケに「タバサは謀略超得意!」と言わせた頭脳が冴え渡っていた。今のタバサは危うい立場の上にある。ジョゼットの存在を母から明かされたタバサは、ロマリアの謀略の臭いをいかにしてか嗅ぎ取った。すぐさま修道院に早馬を飛ばしたが、目的の人物は消えた後だった。直後、オルレアン公夫人、イザベラ、カステルモールの三人に一時を託し、出せるだけの指示を部下に下した。その後ガリア両用艦隊の生き残りに信頼できる兵のみを乗せて一路トリステインへ。公式にはトリステイン王宮へ滞在していることになっている。即位直後の王がいなくなるというありえない事態、しかし相手は謀り事においてジョゼフ王を上回るほどだ。用心に用心を重ね、サインを日付ごとに使い分け、書簡で指示を下す。不審を感じればすぐシルフィード、才人をはじめ、彼女を見分けることができる人物に確認をとるよう徹底している。そんな謀り上手な彼女は、このあとにも更なるコンボをしかけている。男からすればアリジゴクみたいな女性かもしれない。香水でもつけているのか、才人はタバサのバニラみたいな香りにくらくらしかけていた。――タバサがベッドの上で甘えてきてる。くっ!マズい、俺の右手が……。いや、右手ならまだしも例の一部が反乱を起こしそうだ!!しかし、才人耐える。シリアスモードが抜けきっていなかったおかげか、理性の決壊は免れた。だがタバサ、追撃。頭をこすり付ける。――ぐはぁっ!!第三艦橋大破!総員退避!!神の盾、ガンダールヴ号は撃沈間際だった。おそらく彼が純情少年でなければここで間違いなく落ちていた。だがしかし、ここで最後の力を振り絞る。タバサの腰に手を置き、持ち上げ、勢い良く立ち上がった!「はぁ、はぁ、はぁ」――ヤバかった、マジヤバかった、俺巨乳好きなのにヤバかった。幻想ならまだしも、俺の巨乳好きという現実までブレイクされそうだった。タバサさんマジパねぇっす……。違う、いや違う違う。俺にはルイズがいるのにヤバかった。ストレートに甘えられる、ということに耐性が低い才人は、息も荒いままにタバサの肩に手を置いた。ぴくん、と跳ね上がるタバサの肩。先ほどまでの不機嫌そうな顔ではなく、すこしぽわっとしている、と才人は感じた。「あの、タバサ。悪いんだけどさ、明日から朝だけでいいから、少しシルフィード借りれないかな?」これ以上この部屋にいたらヤバい、と思った才人は単刀直入に告げた。タバサの瞳が揺れる。「それは、あの女の人のため?」責めるのではなく、寂しそうな声。才人が下心で動いていたら途轍もない罪悪感を覚えたに違いない。しかし、この件に関して言えば、彼は100%善意で動いていた。タバサの好きな、正直でまっすぐな瞳で、彼女を見つめる。「ジェシカのためって言えば、そうなる。でもコレはジェシカのためだけじゃないんだ。魅惑の妖精亭のウェイトレスとか、コックの人、スカロン店長にも関わってくる話なんだ。下手すればトリスタニアの他の人にも関係してくるかもしれない。俺は、貴族の名誉とか、そういうのはよくわかんねーけどさ。知り合いが困ってたら助けたいし、手が届く範囲なら力になってあげたいんだ」ずるい、とタバサの口が動いた。――そんなまっすぐな目で言われたら、私には何も言えない。「私は、あなたの力になる」6-3 バカ・ゴー・ルーム日が沈んで30分ほどたっていた。普通の人ならば眠りにつこうか、という時間。火の塔でノックの音が響く。『はい、どなたでしょうか』才人は中からの返事を確認した。孫子曰く、兵は拙速を尊ぶ。一つ深呼吸。ドアを勢い良く開け、倒立前転で入室し、土下座した。「遅れてすんませんっしたーっ!!」オリンピックに『the 土下座』という競技があれば金メダルと獲得してもおかしくない、無様なその行いはいっそ美しかった。たっぷり10秒はその体勢を維持してからちらっと二人の様子を伺う。ルイズはすでに布団にくるまっており、シエスタの口元はニコニコ笑っていた。――よかった、明日の朝までは少なくとも無傷だ。才人は安心感から立ち上がろうとした。が、シエスタに踏まれて固まった。「あら、誰が崩していいって言いましたか?サイトさん」甘かった。シエスタさんたら目が笑ってなかった。土下座のまま首元をつかまれ、廊下に引きずり出された。「いいですか、サイトさん」ラッシュだった。ジェノサイドだった。キリング・フィールドでもあった。普段の行いにはじまり、どこで女の子と喋った、仲良くした、微笑んだ。才人にとっては身に覚えがあることにはじまり、根も葉もないことすらあった。それでも口答えは許されない。今のシエスタさんに反論でもしようものならドラララ・ラッシュでも喰らいそうなものだ。たっぷり一時間はシエスタさんの、小声のお説教は続いた。――なんで俺こんなに怒られてるんだろ?いつだったかは覚えてないけど、キスまでならおっけーとかも言ってたよな??今日に限ってなんでこんなに……。才人は耐えた。一時間耐えた。がんばった。お説教の結びにシエスタさんはこう言った。「いいですか、ホントはわたしもこんなこと言いたくありません。ジェシカを送るっていうこともミス・ヴァリエールにきちんと説明しておきました。でも、今日、ミス・ヴァリエールは泣いていらしたんですよ?か細い声でサイトさんの名前を呼んで、寂しそうに泣いていたんです。女の子を泣かせるようなヤツの味方にはなるな、ってひいおじいちゃんも言ってました」才人は愕然とした。――そんな!?ルイズを泣かしちまうだなんて……。何だかんだ言って平賀才人は意地っ張りで、ちっちゃくて、泣き虫な女の子が大好きだった。ふらふらしているように見えるけど、最終的には絶対ルイズのことを優先すると誓っていた。知らず知らずの間に寂しい思いをさせていたことに後悔した。「わたしは今日同僚の部屋に泊まります。サイトさんはミス・ヴァリエールを一晩かけて慰めてください!」小声で怒りながらシエスタは階下へ歩いていった。――ありがと、シエスタ。心の中でシエスタにお礼を言いながらゆっくりと立ち上がる才人。正座を続けていたせいで足はしびれていたが、心は前向きだった。ドアを開け、部屋に入る。ルイズは一時間前と同じように扉に背を向ける格好だったが、才人は起きていることを確信していた。「ルイズ、ごめん」誤魔化しなど一切ない謝罪の声。それでも彼のご主人様は動かなかった。才人はそのままベッドに潜り込み、後ろからルイズを抱きしめた。「ごめん、許してくれないか?」ルイズが身をよじって才人の腕の中から逃げようとする。それを、より強く抱きしめることで、才人は自分の気持ちを示した。――こ、こここ、この犬はダメだわ。ここで許してやったら結局同じことをするもの。しっかり、そう、しっかりは、はは反省させないと!頭の中では強気だがもうルイズは身動ぎすらできなかった。そのまま静かに時間が流れる。才人はゆっくりとルイズのうなじに顔をうずめ、彼女は固まった。「今日は、一緒にいれなくってごめん。それと、先に謝っておく。これからちょっとの間、俺、忙しくなる」謝るくらいならそうしないで欲しい、とルイズは思った。それでも才人は真剣だった。声だけではなく、強くなる抱きしめ方や、体の熱で、ルイズは感じ取ることができた。「いぃゎょ……。どーせ、あんたは私の言うこと聞かないし」ルイズがはじめて声を発した。才人はより強く、腕の中の女の子を抱きしめる。「ごめん、でも、一番大事なのはルイズなんだ、これだけは分かっていて欲しい」その縋るような声にルイズは赤面した。――やだ、この使い魔に気づかれてないわよね。ルイズは身体中がポカポカ熱くなっていることに気づいた。そして同時にあることに気づいた。「サイト……」「ん、なに、ルイズ」「どどど、どうして、あんたから、タタタタバサの香水の匂いがするのかしら?」くるぅり、とルイズは才人の顔を正面から見つめた。才人は慌てて自分の匂いを嗅ぎ、タバサが最近愛用しているバニラ・フレーバーが全身から立ち込めていることを自覚した。――なんで!?どうしてさ!!?才人は焦るがルイズは怒る。午後の授業で見せたような、極上の笑顔で才人に笑いかけた。「こ、のぉっ♪バ、カ、い、ぬぅぅぅうううううううううう!!!!!!!!」無駄無駄ラッシュを受けて「ヤッダバァァァ!!!」とズタボロになった才人は廊下に放り出された。階段で本を読みながら、待機していたタバサがそれを引き摺りながら自室へ戻る。タバサの顔が『計画通り!』と歪んでいたかはデルフリンガーしか知らない。