5-1 黒髪のバラードある男は言った、このような美味があったとは。またある男は言った、お伽噺の妖精のようだ。さらにある男は言った、唯一の欠点さえなければ聖地に匹敵する。魅惑の妖精亭である。唯一の欠点とはなにか、議論の余地は残されるがトリスタニアでも中堅の酒場だ。そんな一部の男の理想郷に降り立った才人とジェシカ。才人はシルフィードに、後で迎えに来るよう頼んで、酒場の扉をジェシカとくぐった。噂好きのタニアっ子たちに見られているとも知らずに……。さて、すでに日は彼方山間に接するほどであり、魅惑の妖精亭は見目麗しい女性とソレ目当ての男性で溢れていた。才人は久しぶりに来たなー、とぼんやり店の中を見回した。――客入りはいい。でも、確かにジェシカが昼間言ったとおりいつもより一割二割は少ない。やっぱりジェシカがらみでナニカあったに違いないな……。才人はジェシカ事件(と彼は名づけた)の首謀者をモット伯のような好色貴族である、とにらんでいる。その貴族が暗躍して客入りを少なくし、ジェシカが身売りするしかない状態に追い込もうとしている。仮想敵対者に才人のココロは震えた。油断無く周囲を観察し、間諜を探る。気分は24時間な男である。しかし周りから見れば、背の高い子どもが慣れないところに来てキョロキョロしている、といった風に見えた。その間にもジェシカは才人を腕をとり、スカロンのところに引っ張っていく。厨房でジェシカは気分が悪い、とスカロンに訴えていた。流石にあんな気分のまま店には出られない。一度気持ちを落ち着けたかった。その頬はまだ赤く、風邪をひいたと言えば納得されそうだ。スカロンはジェシカの顔をじっと見つめ、一言「あらあらまあまあ」と娘を部屋に追いやった。父と母が両方そなわり、最強に見えるスカロンにはまるっとお見通しなのかもしれない。「スカロン店長、話があります」いつもなら「ミ・マドモワゼルって呼びなさいっ」と茶化すスカロンだ。しかし、この時ばかりは才人の真剣な眼差しに何かを感じとり、「こっちへいらっしゃい」と事務室へと才人を誘った。――さてさて、どういう話になるのかしら?この時のスカロンは、先程のジェシカの様子から交際の報告かしら、なんて暢気に考えていた。それが数分後に覆されるとは夢にも思わずに。「ジェシカは狙われています」椅子についたと同時、機先を制したのは才人だった。スカロンが期待していた、若者らしい情熱やら桃色やらの空気は一瞬で消し飛んだ。机を境に才人はかなりシリアスな雰囲気をかもし出している。しかし、狙われていると言ってもスカロンには理解できない。疑問を才人に返した。「なんで、サイト君はそう思ったのかしら?」「これから説明します」そうして才人は魔法学院でのこと、帰り道のこと、自分の考え(妄想)をふんだんに脚色してスカロンに訴えた。才人はマジだがスカロンは大人だ。ああ、この子は思春期特有の病を患ったんだな、と考え、これは利用できる、と思い当たった。――ジェシカも遅い初恋を迎えちゃったみたいだし、この件を利用しちゃおうかしら。サイト君は自分でジェシカを守って安心するし、あの娘もサイト君がいれば嬉しい。それにおじいちゃんゆかりの男の子がお婿さんだなんて素敵じゃない!スカロンは職業柄か、貴族だの平民だのを一般人よりは意識しない人物だった。それよりも才人の人柄、故郷などを思い、ジェシカにぴったりだと考えたのだ。――シエスタちゃんには悪いけどウチの娘は手強いわよ。ルイズちゃんからもきっと奪ってみせるんだからっ!心の中で「貴族だからいっそ両方貰ってもらえばいいかもしれないわね」なんて本人そっちのけなことを考えながらスカロンは悩むふりをする。心の中はウキウキだがそれを表に出すことは一切ない。汚いなさすが大人きたない。そして娘のために一芝居うつスカロンは父親というよりも母親に近いのかもしれない。「そう、サイト君も気づいたのね……」「!やっぱりですか!?」「ジェシカは一週間くらい前から元気が無いわ。物憂げな雰囲気で、お店のほうでもミスをやらかすくらい」大嘘である。ジェシカはこの暑さにも関わらず健啖で、店に来た夏バテ気味のお客まで大いに盛り上げている。だが才人はそんなことを知るはずもない。自分の推測に肯定的証拠を突きつけたスカロンの悪意(あるいは善意)に気づくこともなくヒートアップしている。「相手の黒幕は分かっていますか?チュレンヌみたいな奴でしょうか??」「いえ、相手が店に来ることはないわ。ただジェシカには買出しをやらしているし、そのときに接触されているのかもしれない」「そっか、店に来ないとなると特定が難しそうですね」「店を回すためには、ジェシカの買出しを止めるわけにはいかないわ。いくら一人娘が大事だからって、他の妖精さんたちの生活もあるし、店をしめるわけにも行かない。ミ・マドモワゼルも忙しすぎて一緒についていってあげられないし……」巧みに才人の思考を誘導していくスカロン。汚いなさすが大人きたない。(二度目)才人は「ああ、幸せな人なんですね」と同情を受けそうなほど自分の世界に埋没していった。つぶやく言葉はスカロンにも聞き取れず、顔も段々うつむいてきている。――もう一押し、必要かしら。「サイト君、ジェシカは……大丈夫かしら?」不安げな、野太い男声だった。しかしそれは娘を心配する親の声だった。才人はココロの中で決意を固める。「スカロンさん、俺がジェシカを助けます。きっと、救い出してみせます」5-2 黒髪のタンゴコンコン、と乾いたノック音が廊下に響いた。部屋の中からゴソゴソ動く気配がし、ゆっくりとドアが開いた。「なに……ってサイト?」料理が想定していた味とちょっと違った料理人のような不機嫌顔で現れたジェシカは、予想だにしない人物を目の当たりにして、あたふたと慌てふためいた。そしてつんっと顔をそらす。――なんでこんなタイミングで来るのよコイツは~。もう少しですっかり落ち着けたのに……。顔をそらすことで誤魔化せただろうか、とちょっぴり不安を覚えるジェシカ。そんなジェシカにかまわず、才人は「ちょっと部屋、いいか?」と気軽に声をかけた。これに驚いたのはジェシカだ。才人は、魅惑の妖精亭で働いていた時ですら、同僚女性の部屋を訪れることはなかった。しかも彼女にとって、さっきのことがあったばっかりである。その意味をどう勘違いしたのか、ジェシカの顔は「ぽん!」という擬音語が相応しいほど、瞬時に赤くなった。一方の才人である。普段の彼はこんな暴挙に走ることはない。それは彼が純情な青少年であるということもあり、またそんな狼藉を働けば命の危機に瀕するからだ。だが、今の彼は素敵に無敵だった。「散らかってるなら片付けるまで待つけど……」「えっ!? いや、ダイジョウブダイジョウブ。サイトが来るなんて思ってなくてびっくりしちゃった、あはは……」さらにプッシュ。ジェシカはさらに困惑した、いや、むしろ混乱した。理由を聞くこともなく自分の部屋に少年を招きいれた。普段はガードゆるゆるに見えて、実はアラミド繊維防弾チョッキを身にまとっているような、ジェシカらしからぬ行動だ。さて、ジェシカの部屋は年頃の少女らしく、整理されていた。清潔そうな白いシーツが敷かれたベッドに丸い机、椅子が三脚、化粧台には可愛らしい小物がぽつぽつと置かれている。大きな編みかごに『贈答品!』と書いてごちゃっとまとめているのはご愛嬌。部屋の主であるジェシカを差し置いて、何故か才人は彼女に椅子を勧めた。勧められるがままに座るジェシカ。落ち着かなそうに机の上で両手を組んだり解いたりしている。――おかしい、おかしいわよコレは……。先ほどの気持ちを悩んで、考えて、ひょっとしたらコレって恋じゃね?と自覚しかけていたジェシカ。気づいた途端に押しが超強くなる才人。まるで小説の世界みたい、とジェシカは感じた。そしてはっと自我を取り戻して顔をふるふると勢いよく振った。――違う違う違う、コレは恋とかじゃない!顔が熱いのは風邪!!くらっときたのも風邪!!全部夏風邪!!そんなジェシカの前で、才人も困っていた。――どう話を切り出せばいいんだ。ストレートすぎるとジェシカを警戒させる。こう、オブラートに包んで、いやむしろ糖衣くらいの方がいいか。才人君は薬の苦味が嫌いで、粉薬を飲むときはオブラートを愛用していた。しかし一息に飲むのもこれまた苦手であり、破けたオブラートから粉薬が舌に触れてしまう。そんな彼は糖衣タイプの薬をなるべく所望していた。彼の嗜好はともかく、なるべくやんわりと遠まわしに、目的を伝えることなく明日からの行動だけを伝えよう、と才人は決意した。スカロンからは、自分たちは気づいていない、というスタンスでジェシカに接するべきという助言を受けていた。――あの娘は人に弱味を見せることを好まないわ。だからね、気づいていることに気づかれれば一人で解決しようとして破滅するかもしれないの。サイト君、あなたは何も知らないフリをしてジェシカを守ってあげて。ミ・マドモワゼルが責任を持ってジェシカから詳しい事情を聞きだすから。スカロン店長、俺、やるぜ!と才人は息巻いた。「えっと、ジェシカ?」「なっ、なに??」才人の問いかけにジェシカはすげー警戒した。ここに来て彼女はようやく夜中に狭い部屋で男女二人っきり、しかもすぐそばにベッド、という状態に思い当たった。だが一応は才人を信頼していることもあって、席を立ったりすることはなかった。困ったのは才人である。ジェシカからは警戒心が滲み出ていた。なんというか、逃げたそうなのだ、どこかへと。ここで彼は閃く。――ひょっとして俺が気づいたってことに感づかれたんじゃ!?才人は清々しいまでにバカだった。いや、彼を責めてはいけないのかもしれない。人は誰しもイケイケモードのときには冷静になることができないのだ。そして困った彼は、さらに普段やらないことをやらかしてしまう。――ここは、押し切るしかない!机の上で所在なげに置かれていたジェシカの両手をとり、ぎゅっと握り締めた。「ジェシカ、買出しなんだけどさ、明日から俺もついていっていいかな?ほら、スカロン店長にもお世話になったし。店にいれば新しい料理のアイディアも出るだろうし」ジェシカの瞳を見つめながら一気に早口で言い切った。見つめられたジェシカは、思考が止まってしまった。――て、にぎられてる。そんなに、みつめないでよ、いやぁ……。折角戻ってきた顔色も再び羞恥に染まってしまう。瞳は潤み、胸がバクバク鳴っている。それでも才人から目をそらすこともできず、ジェシカは硬直していた。――これは、呆れられてるな。もーちょっと理由を並べておいたほうが説得力増すかな?普段の才人なら気づいたかもしれないが、今の彼は有頂天モードだ。ジェシカの真意に気づくことなく、ひたすらにある意味ネガティブにその表情を解釈していた。「それにさ、なんだかんだ言って魅惑の妖精亭で働いてたときは楽しかったんだよ。賄は懐かしい味がしたし、みんな話上手くてすっげー面白いし。スカロン店長も、見た目はアレだけど、いい人だしさ。女の子が可愛いっていうのも、まぁあるかな……うん、もう一度この店のために働きたいんだ」それは才人の本心でもあった。魅惑の妖精亭で感じた暖かさが知らず言葉になっていた。そんな優しい場所を作り上げた一人、ジェシカが困っている。男だとか女だとか関係なく守りたい、と才人は感じていた。普段のスケベ心は一切なしに、キレイな思いが言葉の端々から滲み出ている。それに参ったのはジェシカだった。「ぇっと、あの、その……」――すごい、ドキドキする。才人の手、あつい。目、キラキラしてる。ジェシカは既にノックアウト寸前。才人はここで、照れくさくなって手を離し、そっぽを向いた。そして頬をかきながら。「それに、その、なんてーかさ」最後に、才人の余計な本心が零れ落ちる。「ジェシカを守りたいんだ」赤い実、はじけた。