4-1 あるいは『迸れエロス』『サートームは激怒した。(中略)風の剣士は赤面した。』「っていうのが今度のタニアージュでやるらしいわよ」「ちょっと待って」サートームさんは激怒したらしいが、才人は困惑した。この世は人知を越えた何かが存在する。ハルケギニアにやってきて、ガンダくんとして色々とあり得ない経験をした才人はそう信じていた。世界が紅く染まる夕焼け空、青い竜が空をいく。タバサからシルフィードを借りて、才人はジェシカをトリスタニアまで送っていた。そんな風韻竜の背中でジェシカが語った超大雑把なあらすじに、才人は聞き覚えがあった。――え、アルビオンどころか虎街道も十人抜きも、それっぽいエピソードが改変されてるけど……。ていうかこれひょっとしなくてもアレだよな??「ちなみにタイトルは『走れエロス』ね」「今時中学生だってそんなこと言わねぇよ!!」才人は激怒した。というかまんまだった。ジェシカが言うにはすでにこの小説はトリスタニアで大流行しているらしい。某失格な作家の小説をベースに、実際に才人が活躍したエピソードを巧みに改造し、男同士なアレになっている。ちなみに王の名はジョゼフ、親友はウェールズと今は亡き王族の名が使われていた。王族への不敬ってレベルじゃない。才人は戦慄した。彼は忘れていたのだ。ハルケギニアは日本で言う戦国時代的な部分があるということを。実際の中世ヨーロッパでもそう言った事例に事欠かないことを。戦場に娼婦を連れてくる、と言ったことは縁起が悪いとして敬遠されている。つまり、そういったアレな文化に寛容であり、そういったテーマの本も多い。しかしいずれも空想の人物、もしくは歴史上の人物の本であり、今を生きる人をモチーフとすることはない。何故なら、流石にそんなことをしたらモチーフにした人物が殴り込んでくるからである。いくら寛容とは言え、自分がモデルのそういう話を書かれれば誰もが激怒するだろう。さらにはその本が広がって、社交界でくすくす笑われたり、あからさまに縁談の数が減ったりすると羞恥でハラキリすらやりかねない。また、作家は基本的にメイジであるため(量産を自らで行える、平民がメイジに依頼すると高くつく)報復行為は刃傷沙汰で済めば軽いほう。確実に周囲へ大損害を与えるため、ここ千年ほど控えられてきた愚行でもある。そう言った意味では才人は千年ぶりの快挙を成し遂げた。アルビオンの剣士こと、ヒリーギル・サートーム氏はガチムチだったが、今では平賀才人自身の容姿も広く知れ渡っている。それもこれもマザリーニ枢機卿が平民に対する広告塔として彼を利用したからだ。対貴族として彼の存在はよくない、よくないが平民にとってはどうか。夢を見させるには丁度いい存在だ。ロマリアがいまだきな臭いこともあって、軍に登用可能な平民は多ければ多いほどいい、メイジの肉の壁的な意味で。メイジの数なら国土対戦力比では元々高かったトリステインだが、ここに来て通常兵力の増強にも力を入れ始めていた。陸軍はまだしも、空軍では艦隊の運営において平民の数・鍛度が戦力に直結することも多く、軍閥貴族の間では才人の評価は上がっていた。一方、作家メイジの間でも才人の評価(題材的な意味で)は上がっていた。若く、武勇に優れ、エキゾチックな外見も相まって、作家たちの妄想力が溢れ出したのだろう。現代では薄い本として出版されるであろうソレは、無駄に凝り性なトリステイン貴族たちの手によって上・中・下巻にしなければしんどいほどのモノが書き上げられていた、しかも10冊以上。これがもし才人を良く思わない貴族の差し金ならば、みみっちすぎ、同時に有効な手段でもあった。お金も入り、上手くいけば自刃して、後ろ暗いことは一切なし。――え?シュヴァリエ・ド・ヒラガ氏ですか??彼のおかげで懐が潤っていますよ。まったく、平民出身とバカにするものではありませんなっ!最近ではアカデミーで効率の良い写本の仕方を研究しているくらいですよ。と灰色卿が語ったか否かは定かではない。『走れエロス』はそんな中でも文庫本ほどの文章量で、平民にも取りやすい良心的な価格設定になっていた。「シエスタに頼まれたから買っておいてきたけどさ。なんでも作者はゲルマニア出身のアーベーっていう人らしいけど、そっちの道じゃ近年随一って噂よ?そんな人にまでモチーフにされるなんてよかったじゃない!」ジェシカは才人の肩をバシバシ叩きながらケラケラ笑っているが、冗談じゃない。――冗談じゃない、ていうかシエスタァ……。そんなおとぎ話は才人に多大な精神ダメージを与えることに成功した。虚ろな目でぶつぶつ呟きながらデルフに手を伸ばし、すらりと一息に抜き放つ。達人の技ではあったが目がやばすぎた。デルフは「やれやれ、相棒はてぇーへんだな」と他人事のようにつぶやいている。彼も彼で今日は鉈になったりかき氷器になったりと、若干やさぐれていた。切腹するならばもっと刃渡りが短いものでないといけないが、今の彼には関係なかった。ただ、生きているのが嫌になった。――頭を下げるのはいい。犬でもいい、モグラでもいい。床で寝てもいいし、生きるためならワリとなんでもやってやる。でもソレはダメ、もう誰も信用できなくなる。ひょっとしてコルベール先生の『炎蛇』ってソッチ由来なの!?ソレなら『閃光』のワルドって、一見強そうだけど哀しい、すげー哀しい……。勿論二つ名の由来はソッチ方面ではない。一息に自刃しようとした才人だが二つ名考察で固まってしまった。その隙をジェシカが見逃すはずがなかった。いきなり剣を抜き放った才人にギョッとしたが、タニアっ子はいざというときの度胸がなきゃやっていけない。それでも正面からは怖いので、才人の側面から抱きつきながらデルフを取り上げた。「なにやってんの!?危ないでしょ!!」「もういいんだー!後方からの友軍の攻撃なんて受けたくないー!!っていうか、こんな、生き恥、止めて、くれ……」半泣きどころか滝のような涙を流しながらも才人は止まった。ぜんまいの切れたお猿の人形のように動きは弱々しく、とてもじゃないが英雄なんかには見えない。デルフはすでに抱きついたジェシカの手の中にある。才人は、普段ならば「困ったぞ」とでも言いそうな顔で、泣きながら笑っていた。その横顔に、ジェシカはナニカ来るモノがあった。――ナニコレ、胸が、ちょっとぎゅっと来る……。言うなれば『きゅんっ』と来たという感じか。ハルケギニアにチワワがいて、それがプルプルしてる様をはじめて見ればジェシカは同じ気持ちを抱いたかもしれない。才人は童顔だ。メタ発言で申し訳ないが、アニメではそんなことないが、西洋系の顔と比較して東洋系の顔はかなり幼く見える。見ようによっては、才人はタバサと同年齢に見られても仕方がないくらいに感じられていた。そんな年下に見える少年が、大人のするような泣き笑い。ジェシカはこの年まで恋を知らなかった。酒場で会うような男どもは基本的におっさんで、酔っ払っているせいもあってストレートにエロくてウザい、そのうえお客だから一歩引いてしまう。職場以外には出会いなんか買い物くらいしかない。その買い物ですら、神の見えざる手(スカロン・ディフェンス)でガードされていた。そんなジェシカが出会ったのはご存知平賀才人。彼は強かった。お客としてではなく、同僚として接した時間もそれなりで人もよく知っている。ちょっぴりスケベだけど優しくて、今まで見知ってきた男達とは違う。しかもあれよあれよと言う間に出世して、今ではトリステインではほぼあり得ない平民出身の貴族となってしまった。彼は距離を感じさせることもなく、今回の相談にも親身になってくれた。そんな少年が、弱みなんか見せたことのない少年が、泣いている。その横顔に、ジェシカはくらっと来た。――ヤバい、なんかよくわかんないけどヤバい。この気持ち、よくわかんないけど、うん、苦しいけど気持ちいい……。ジェシカの胸が高鳴り、顔が熱くなる。夕焼け以外の理由で頬がほんのり染まっていく。日本で言う『萌え』という感情が大きくなって、赤い実が弾けるまでに、時間は必要なかった。――のどがぎゅっと苦しくなって、アルコール入ったみたい、くらくらする感じ。ドキドキがすっごい。なんだろう、これ……。「ちょっとだけ、トリスタニアまでこうさせて……」奇しくも彼女は夕食に『銀の降臨祭・初恋風味』(結局失恋風味はボツになった)を賞味していた。ジェシカはすっと才人の肩から背中へと身体をずらした。そのまま少しだけ、強く少年の身体を抱きしめた。くたっとデルフを持つ手の力が抜け、シルフィードの背中に峰が当たる。背中でそんなむず痒くなるようなやり取りをされた上、理不尽に叩かれたシルフィードは、超迷惑そうに「きゅい……」と一声あげた。4-2 使い魔失格さて、困ったのは才人である。ジェシカを送る。話を聞く。錯乱する。デルフ取り上げられる。背中から抱きつかれる。←イマココ!!銀の戦車の人みたいな心境だ。しかし、彼がありのまま今起こったことを魔法学院で話そうもんなら、朝日とともにその命は消え去ってしまうだろう。途方にくれるとはこのことだ、と才人は今自分がどういうイベントをこなしているかも知らず、心の中で嘆息した。ふと、ここで彼はあることに気付く。――ヤバい、なんかよくわかんないけどヤバい。それはジェシカがちょっと前に思ったことと同じだったが、意味は全く違っていた。才人は何がヤバいのか十分に承知していたのだ。しかし、それを口に出すのはシャイボーイ・サイトとしてははばかれる。――これ、あたってる。なにか大きくてあったかくて柔らかいのがあたってる。泣いた子が笑った。むしろ笑ったというよりも、アレになった。背中に抱きついているため、才人のアレ顔が見えないのはジェシカにとって幸せなのかもしれない。しかし、平賀才人は少しでも学習する男。顔を引き締めて、それでも崩れてきたが、困ったような笑顔になった。そして何故こうなったかを冷静に考えはじめた。――KOOLになれ、平賀才人……。お前はやればできる子だ、冷静に考えろ。こういったシチュエーションはどうしたら起きる?才人がまず思いついたのは恋愛系の漫画やドラマだった。そういうシチュエーションで才人は「爆発しろ!」と思う側の人間だった。それがよくない、むしろマズい。そこで思考停止しておけばよかったのにさらに考えを進めてしまった。彼はダメージを受けると途端に卑屈なモグラになる。――いや、それはないな。なぜならジェシカは昼間、俺に、俺に……ナニカ辛いことがあった気がする。そう、きっとなじられたはずだ。好きな人に対してそういう態度を取るのは基本的にルイズとかモンモンとか貴族。だから違うんだ。となると、高所恐怖症か??第二案はまっとうなモノに才人の中では思えたが、これも即座に否定した。――高所恐怖症の人ならシルフィードに乗ることすら嫌がったはずだ。それに最初の頃はジェシカも喜んでたし、普通に会話も弾んでいた。じゃあなんだ、なにか俺は見落としている……。見落としたものはすでに遠く彼方にあった。きっと才人がそれに気づくことはまぁないだろう。――『トリスタニアまで』って確かジェシカは言ってた。!そうか!!トリスタニアに何かイヤなことがあるんだ!だからわざわざ遠い魔法学院までやってきたんだ。ホントはマルトー親方に相談したことってのもそれに違いない!才人は今日も絶好調だった。日中の湯だるような暑さが脳にキテたのかもしれない。元々ちょっぴり妄想好きな男子高校生である才人の脳内では、すでに主演自分、ヒロインジェシカのドラマが月9ではじまっていた。――魅惑の妖精亭まで送るだけじゃダメだ。スカロン店長に話を聞かないと。才人はありもしない事件の解決を固く、固く誓った。ジェシカの手からデルフを取り上げ、素早く鞘に納める。ジェシカを背中に張り付けたまま、トリスタニアの夜景が近づいてきた。盛んに明かりが焚かれている区画もあれば、黒く沈んでいる通りもある。――この街の闇でどんなことが……。いや、関係ないんだ。どんなことがあっても関係ない。ジェシカ、俺、絶対に守るから。お前を傷つける連中、残らずまとめてぶっ飛ばしてやるから。だからさ、また気楽な笑顔を見せてくれよ。キリッとした顔でトリスタニアの灯りを睨む。ご主人様そっちのけで「俺はジェシカの騎士になる」とデルフの鞘を固く握りしめる才人。一方、我に帰って抱き着いていることに恥ずかしくなってきて、頬どころか耳まで染め上げるジェシカ。今日も今日とて非生物しか相手にしておらず、自分の存在意義を自問自答するデルフ。自分の背中で起きたことを余さずタバサへ伝えることを決意したシルフィード。それぞれの思惑を胸に青い竜は王都の空を滑る。