日々の唄の続きです。「そこ、動き遅れてるぞ!」「てめぇらあの訓練時の声はなんだったんだ!!」「もっと爽やかに笑えやクソ野郎!」「そんなんでファンがつくと思うなぁー!」 翌日、激しい特訓は始まった。 才人はデルフリンガーを地面にたたきつけながら声を張り上げる。彼の中では竹刀をびしばし鳴らしているのだが、真剣たるデルフリンガーにそんな快音を鳴らす機能はついていない。時にツッコミ、時に慰めてきた彼の相棒も激しい動きで物理的に口をはさめない。 やがて一人の団員ががっくりと膝をついた。「誰が休んでいいっつったオラァ!!」「で、ですがヒラガ殿」「俺のことは団長と呼べ!」「あの、空中装甲騎士団の団長は俺なんですけど……」「やかましいッ!」 ぎろりと睨み殺せそうな視線を団長に向ける。歴戦の兵である団長も思わずたじろいてしまった。――コイツは本気だ。 目の底に燃える焔が違う、熱量が違う。例えるなら今の才人はスクウェアクラスの炎だ。「お前らには天下をとってもらう」「天下……?」「そうだ、ちまちま退屈な歌劇を見るよりよっぽど刺激的なヤツだ」 才人は遥か彼方を見つめている。彼の眼には武道館が、ブロードウェイが、オペラ座が、ありとあらゆる雑多な舞台が映っている。 もっとも、彼はどれ一つ行ったことがないので妄想に過ぎない。 それでも異様な熱意は団員たちに感染していく。性質の悪い伝染病と変わりなかった。「団長、俺たちがんばるよ!」「いや、団長は俺……」「やかましいッ!」 なんだかんだでノリノリな空中装甲騎士団改め大公国華劇団だった。「さて、元団長」「あ、いや、もうそれでいいよ……」 筋骨隆々として、見るからに強そうな壮年のメイジだったが、今の才人にはかなわないと見たのだろう。 大人しく呼びかけに答える。「あんたにはコレを着てもらう」「……これは?」「とりあえず着替えてきてくれ」「お、おう」 訓練はひとけのないヴェストリの広場で行っている。授業中だろうがなんだろうがおかまいなしで声を張り上げる一団は、授業中の教師陣にとっていい迷惑だった。 とかく、火の塔の影で元団長は手渡された服装に着替えた。 彼を迎えた才人は、自分で衣装を渡したくせに不満そうだった。「……違うな」「何がだよ」「いや、仕方ない。彼に勝てると思った俺が間違っていたのさ」 そう言って遠く、青空の彼方に目をやる才人。 元団長は、クリーム色のスーツに、同色のパナマ帽子を身に纏っていた。「全体的に色気が足りないけど、まあいいや。とにかくこの振付を覚えてくれ」 軽く手渡された紙には、かなり細かい指示が書かれている。 しかし、具体的なものは少なく『シュパッと帽子を投げて』『色っぽく親指を立てながら』『エレガントに両手を上げて』『キュキュッとステップを踏んで』『クイクイッと腰を動かして』なんて擬音語や漠然としたものがばかり。 元団長は才人に詳しく聞こうとして、諦めた。彼はすでに別の班員の前で熱心に演説していた。「演出班は確かに裏方だ。それを否定することはできない。でもな、それだけじゃないんだ。たとえば一流の劇団がいたとして、そいつらがそこらへんの原っぱで劇をきっちり全うできるかと言ったらそうじゃないだろ?」 とくとくと『演出の大事さ・初級編』について語っている。その話にうんうんと頷いている五人の青年。いずれも貴族だというのに元平民の言うことをきっちり聞いていた。 プロフェッショナルの心意気とやらを説いているが、才人は勿論素人だ。テレビや漫画の受け売りでしかない。 それでも、現代社会の情報はバカにできない。真実と虚構が入り混じって得も言われぬ謎空間ができあがっていた。「とりあえず『スリープ・クラウド』を眠くならないように改良してくれ。『ライトニング・クラウド』の雷でない版でもいいから」 すごく、その呪文の存在意義をまるっきりそぎ落としたような内容が聞こえる。 それを耳に入らなかったことにして、元団長は紙に目を落とした。ちょっぴりやるせなさを感じながらも彼はやる気だった。***「ふわぁ……」 眠気を振り払うためにもジェシカは大きく息を吸いながら伸びをした。 時刻は昼過ぎ、いつもならそろそろ下ごしらえにかかるかなーと思いはじめるころだ。 だというのに彼女がのんびりできているのは、今日が週半ばのラーグの曜日だからだ。 この日はスカロンの方針で魅惑の妖精亭定休日となっている。「明日のオススメは何にしようかねー」 独り言をぼやきながら階段を降りる。 秋も終わりが近づき、市場に並ぶ野菜が冬の訪れを教えてくれるころ、そろそろ新メニューを出さないといけない。 暑い時期は好評だったビールの売り上げも最近はめっきり落ち込み、アルビオンもののウィスキーやグリューワインの注文が増えている。 なら、当然それにあわせたよりお酒の進む料理を考えなければならない。 加えて言うと、せっかくガルムがあるのだからそれを使った独創性あふれるツマミを提供したかった。「次サイトが来たとき聴きますか」 それを口実にしてひたすら押そうとジェシカは計画をたてる。 最近はガリアが引き抜こうとしているという話を酔いどれルイズから聞いているし、ここらでもっと親密になりたいところ、むしろならないといけない、ならなければおかしい。 オルニエールというところの領主になるかもしれない、とも聞いている。魅惑の妖精亭オルニエール出張店を出すのもいいかも、なんて考えてみたり。 想像の中でテンションがあがって、やっぱり寝起きだからアクビをしながら事務室のドアを開けた。「おはよー」「おは……」 そこまで言ってジェシカは固まった。「あらおはよう。今日はもう少し寝てると思ってたのに」「昨日遅かったんですか?」「オールド・オスマンとデムリ卿とモット伯が来てらしたのよ。奥で遅くまで何か議論してたわよ」 へぇーと気のない返事をしながら、顔が呆れている少年。紛れもなくついさっきまで考えていたジェシカの思い人、平賀才人だ。 思わず、口をぱくぱくしながらわなわなと震えながら指さす。「こら、人に指さしちゃいけませんっておじいちゃんも言ってたでしょ」 スカロンのたしなめに我を取り戻し、バタンと扉を閉じる。――なんでいるのよ! 才人は、虚無の曜日にはよく来るけれど平日に来ることは滅多にない。 最近色々と忙しいのか、週一ペースが乱れて二週間に一回くらいになっていた。 だから、来てほしいとは思っていた。思っていたけれど、この上なく間が悪い。――化粧してないのに、って寝癖もなおしてない!? しかもパジャマ! わひゃーと小さく奇声をあげながら階段を猛烈な勢いで駆け上がる。 当然その音は階下の事務室にも響いている。「元気ですね、ジェシカ」「近頃サイトくんが来ないからそうでもなかったけどね。それで、演劇だったかしら?」 迂闊な愛娘をフォローしつつ、スカロンは先を促した。 本日才人が魅惑の妖精亭に、それも早い時間帯に訪れたのは他でもない、劇場のことを聴くためだった。「はい、劇場みたいなところで劇をやるにはどこに言えばいいんですか?」「そうね、大体は劇場所有者に言えばいいんだけど……どこでやるつもりかしら」「タニアリージュです」 才人はスパっと言い切った。 簡単に言ってのけたが、タニアリージュ・ロワイヤル座はトリスタニアにある劇場の中でも最も歴史があり、なおかつ大きい。はじめて見たときはどこかの神殿じゃないか、と才人も思ってしまったほどだ。所有者もそれにふさわしく、トリステイン王家となっており、それを大商人に貸す形で経営しているらしい。 本来ならば、軽く公演の申請を通すところではない。だが、今スカロンの前にいるのはトリスタニアで最も知名度の高いシュヴァリエ、平賀才人だ。 案外なんとかなるんじゃないかな、と考えながらスカロンはどこに行けばいいかを教えた。「んー、じゃあ姫さまの方が気楽でいっか」 一般市民からすればトンデモないことをさらっと呟く。 これだから才人はどこまで手柄を立てても貴族らしくなく、またハルケギニアの平民らしくもなかった。「演劇やるんだったら貸衣装もいるわよね。お店は知ってるかしら?」「大丈夫です。シエスタがなんかやってくれたみたいで。一晩で十五人分繕ってくれました」「そ、そう……」 トレビアン、とは言えなかった。むしろ「あの子大丈夫かしら」と心配の方が先に立つ。 ミシンも何もないハルケギニア、二十人分もの衣装を繕うのはとてつもない大仕事だ。一人で、それも一晩で出来る量ではない。それこそ狂気じみた執念が必要に違いなかった。 何がシエスタをそこまで駆り立てたのか、答えは誰も知らない。「あ、でも吹奏楽っていうか、音楽やる人は借りたいです」「楽団? そうね……知り合いがいるから声をかけておくわ。ところで、どんな劇をやるのかしら?」「劇と言っていいのか……」 優柔不断なところは多分にあるものの、基本的には直情タイプの少年にしては珍しく歯切れが悪い。 いや、と呟いてから、今度ははっきり口にした。「言うなれば、ショータイムです」「ショータイム?」 スカロンからすれば余計にワケがわからなかった。「退屈な演劇なんかよりよっぽどエンジョイ&エキサイティングな、既存の概念を粉砕して新たなエンターテイメントをこのハルケギニアに打ち立てる。そう、俺が異世界にやってきたのはそのためだったんだ!」「……トレビアン」 喋ってるうちにテンションがもりもりあがってきた才人は「喜劇王に俺はなる!」と叫んでいる。 まったく理解できないけれど、スカロンは相槌を打ってあげた。「おっはよーサイト!!」 そこに街娘フルアーマー装備に身を包んだジェシカがずどばーんと景気よくドアを開ける。 それでも熱弁している才人と、どうしようかしらとぼーっと彼を見つめるスカロンに、彼女は小首をかしげた。***「というわけで姫さま、認可をお願いします」「え、ええ……」 空が茜色に染まる時間、トリスタニアは宮殿の一室。警備を密にせねばならず、普段なら数人が控えている部屋に人影は少ない。 この場にいたのはたった三人。異邦人こと才人、トリステイン女王アンリエッタ、銃士隊副隊長ミシェルである。 アンリエッタは女王だから自身の執務室にいることは当たり前で、外回り中のアニエスに代わって秘書兼警護役のミシェルが傍に控えているのも当然。この場で異質なのは才人だけだ。 その才人は、非常に珍しくキリリとマジメな表情をしていた。 取り次いだミシェルが一瞬「誰だお前!」と誰何の声をあげそうになったほど。 困惑する彼女に持っていた書類の束を押し付けて、才人はアンリエッタにあいさつした。 あらサイト殿が来るなんて珍しい、と浮かれていたアンリエッタは頬が引きつるのを隠せなかった。――な、何があったのかしら。 ミシェルから受け取ってぱらぱらとめくれば何かの計画書のよう。「あら?」 中身は想像していたよりもはるかに練り込まれた内容だった。 一般的に、演劇の申請書はこんなに分厚くない。紙一枚で済む、大体こんな劇をやりますという軽い内容だけだ。公演前と公演中に数回、高等法院が審査して内容がマズければ公演中止か、手直しさせる。 なのにこれだけしっかりしたものを持ってきたのは、知らなかったからかそれだけ本気なのか。どうにもわからない。「タニアリージュでこれを?」「はい、今やってるヤツなんかよりよっぽどウケます。絶対話題になります」 気まずそうに顔をそらしたミシェルに、二人は気づかなかった。「そう……」 これを歌劇と呼んでいいのか、アンリエッタには判断がつかない。少なくとも彼女が見たことのない類の劇だ。 だが、なかなかどうしてヒットした際の波及効果からヒットしないと推定される理由まで様々な点に言及されている。 修飾を多用した文章もあれば、素っ気ないというか率直な書き方もある。 要約すると「金儲けになるからやれ! お願いします!!」という内容だった。「ルイズね、ここは。ツェルプストー嬢と、こちらは魔法学院の教員の方かしら」「あ、やっぱバレちゃいました?」 才人一人でこんな凝った企画書なんて書けるはずもない。彼はハルケギニアの文字を読むだけでいっぱいいっぱい、書くのはまだしんどいくらいだ。 周りの人間に頭を下げて寄せ書きみたいな形式でアイディアを詰め込んだのだ。「でも珍しいわね、サイト殿がこんなことに携わるなんて」 アンリエッタは何気なく話題を振っただけだが、才人はずどんと重石を背負ったかのように膝をついた。 どんよりと表情は暗くぶつぶつと何やら呟きだして部屋の空気は一気に悪化した。 ふふふふふ、と一時のアンリエッタよりも不気味な表情だ。「色々、そう、人生いろいろあるんですよ」「そ、そうね……色々あるわね」 アンリエッタは以前自分が認可した劇のことなんか綺麗さっぱり忘れていた。 ミシェルはミシェルで冷や汗をかきながら夕暮れ色に染まる雲を眺めている。その眼は遠く、在りし日の自分を消し去りたいとでも願っていそうだ。 どうしたのかしらね、と内心疑問に思いながら、とりあえず今はポン、と才人の書類に王印を押す。「これでいいでしょう。ですがタニアリージュがいつ空くかまではわたくしも把握していませんよ?」「大丈夫です、すでに根回しはすんでますから」 ニヤリと暗い笑みをこぼす。 大丈夫かしら、なんて思いながら女王は若き英雄を見送った。 悪いことをしたかもしれない、とミシェルも内心後悔しながら後ろ姿に手を振った。 アンリエッタは気づかない。 巧妙に薄くのりづけされていた書類があることを。そこには、ハルケギニアで今まで想像すらされなかった舞台が記されていたことを。*** 才人がプロデュースした演劇は公開前から広く知れ渡っていた。 というのはトリスタニアすべての酒場をはじめ、色んな所に広告をおかせてもらったから、そしてときには才人自ら街頭に立ってビラを配ったからだ。 ハルケギニアは六千年の歴史があるとはいえ、紙はそこまで安価なものではない。ビラ配りなんてこれまでにやった劇団はいないし、舞台の宣伝なんて酒場でやるものではない。 才人はまるで政治家になったかのように自身の舞台を売り込みまくっていた。その姿はまさしく扇動者であった。 そのがむしゃらさがまた酒飲み話にあがってトリスタニア夏祭りのときのように、街は才人一色に染まりつつあった。「戦いは金だよ兄貴!」「ホント、よくやりますわね……」 この作戦を遂行するために才人は大金をつっこんでいた。 浴衣などを扱っていた商人からのアイディア料は、ベアトリスに借金を返してなお余るほどだったのだ。 しかし、それもすべて使い果たした。本気も本気だ。「でもさ、結果として空中装甲騎士団もそっちに熱中して良い感じになったじゃん」「ま、まあそれに関しては感謝していますわ」 左手に座るベアトリスも口では文句を言いながら、その実少しは才人に感謝している。 なんたってあのうっとうしいくらいにかまってきた空中装甲騎士団は劇の稽古にかかりっきりになっていて、学院の取り巻きからもその熱心さが前の粗暴な態度より断然いいと評判になっているのだ。 自分のために全力を尽くしてくれた先輩がちょっぴり眩しくて、誤解だときっちりティファニアからは聞いていても胸がほんの少し高鳴った。「今日という日を楽しみにしていましたわ、サイト殿」「ふっ、姫さまも大満足すること請け合いですよ今日のショーは」 ふぁさっと才人は自信満々に髪をかきあげた。 右手に座るアンリエッタはにこにこと楽しそうに笑っている。 ここはタニアリージュ・ロワイヤル座。才人がこの日のために借りたトリスタニア一番の劇場だ。 公演初日、席はいっぱいになっていて、立ち見の客も出るくらい盛況だった。才人たちのいる二階観覧席に、歴史ある劇場というよりもアイドルのコンサートじみた熱気が伝わってくる。 アンリエッタとベアトリスの劇に関する質問を才人がはぐらかしていると、一度劇場のマジックランプがすべて落ちて真っ暗になった。観客席をどよめきが寄せては返す。そして徐々に光が取り戻されて、観客は劇のはじまりを悟る。『610X年、ハルケギニアは虚無の炎につつまれた!』 ピキッと劇場の空気が凍った。『海は枯れ、地は裂け、あらゆる生命体が絶滅したかにみえた。だが、人類は死滅していなかった!』 ギギギとアンリエッタ、ベアトリスの両名が横を見る。下手しなくとも異端審問レベルの内容だ。 才人はこれ以上ないほど「ドヤ!」という顔をしていた。―――ジャジャジャーン!!――― ヴィオラやピアノを使っているのにやたらメタリックな音が響く。 それはどことなく世紀末を彷彿させる調べで、ハルケギニアでは聞いたことのない曲調でもあった。 その音楽にあわせて二人の男がバク転決めながら舞台の裾から飛び出してきた。頭はいわゆるモヒカンで、やたらととげとげしい服装をしている。『YouはExplosion!』 今までにない音楽は、衝撃をもってタニアリージュ・ロワイヤルに響き渡る。 アルビオンが愛で落ちてくるだの始祖も二人の安らぎを壊すことができないだの、ある種冒涜的な歌詞はなぜか聴衆の胸を熱く打った。 一曲歌い終われば、二人は側転かましながら舞台から消えて行った。 代わりに現れたのは、汚い麻袋をかかえた貧相ななりの老人っぽい男。『はぁ……はぁ……』 ただの呼吸音が劇場にこだまする。しばらくふらつきながら歩き、ついにその老人は倒れてしまった。 そこにやってきたのはさっきまで歌っていたモヒカンの二人、『発火』で火のついた杖を振り回しながら走ってきた。『ヒャッハー!!』『汚物は消毒だァーッ!』 老人は二人を見てガクガクと震えてしまう。『お、お許しください……この種もみがなければ村は……』『んなこと俺たちが知ったこっちゃねえ!』『消毒されてぇのか? ァア!?』 今時チクトンネ街の裏通りにすらいないチンピラの凄み方だった。 字面だけ判断するとむしろ親切なようにすら思える。だが、この二人はモヒカンで、邪悪な表情を浮かべていた。「ちょ、あの、先輩……」「しっ、ここからがいいところなんだ」 『待て、貴様ら!』 舞台の袖から現れたのはスーツを纏った男性で、髪が黒く染められている。 指向性を持たせたスポットライト代わりの『ライト』が華々しく壇上を踊り、かろやかにステップを刻む。「あの……サイト殿?」「やっぱりジュリーほどの色気は出ないか」 歌いながら、踊りながら、スーツ姿の団長はシュパッとパナマ帽を観客席に投げ、ズビシッと指さす。その後腕を天にかかげ、ゆらゆらとよくわからない動きをしている。ちょっと離れたところで老人とモヒカン二人が待機しているのがこれ以上なくシュールだ。 才人はアンリエッタの言葉なんて聞いちゃいない。評論家っぽくぶつぶつ呟くばかりだった。 間奏に入ったとき、頭上からスモークが下りてくる。『スリープ・クラウド』から眠気を取り除いた、なんとも実用性に欠けた新魔法だ。それはもくもくと、踊っている隊長の顔だけを覆い隠してしまう。「役者の顔、見えないですけど……」「ジュリーはあれでこそなんだ。完璧なプロ根性だ」 煙で顔が見えなくとも隊長はきっちり踊り、歌っている。プロ根性と言うよりも放送事故だった。 歌が終わったときには観客席からまばらな拍手が聞こえはじめ、うねるように他の人々を巻き込み、盛大な拍手となって隊長に送られる。隊長もすごく良い笑顔で観客席に手を振った。『汚物は消毒だァーッ!』 炎が爆ぜる。拍手が一瞬で止まる。スーツは火炎に包まれ、隊長は舞台袖に吹っ飛び引っ込んでいく。 現れたのはヒーローかと思いきや、やられ役その一でしかなかった。もう観客はあぜんと口を開くしかない。 結局老人は殴られ種もみを奪われ、モヒカンたちは去って行った。もうどんな展開になってもおかしくない、色んな意味で舞台から目が離せない。 うつぶせに倒れていた老人はよろよろと立ち上がろうとして、力なく崩れ落ちた。 スポットライトは彼にのみ当てられ、世界は真っ暗になった。『明日は、未来はどうすれば……』 力なく呟く。そこに明朗な声が響き渡った。『YATTA! 人生どん詰まりだ! でもその袋小路も、きみなら乗り越えていける』 パッと灯るライト。その下にいたのは股間に葉っぱを一枚だけつけた男。 客席が色んな意味で騒がしくなる。『YATTA! もう失われた種もみのことは気にせず、前を向いて歩いていくしかないんじゃないか』 ライトの範囲が広がる。二人目の男が浮かび上がる。やっぱりそいつも葉っぱ一枚だけだった。 どよめきがさらに大きくなる。『YATTA! もういっそ服も全部捨てて、新たな一歩を踏み出すしかない!』 舞台上が光に溢れる。葉っぱ一枚の男は五人もいた。なにが嬉しいのか「YATTA! YATTA!」とはしゃいでいる。 老人は最初愕然としていて、やがて立ち上がり、ついにはまとっていたボロきれを脱ぎ去った。 服の下には、やっぱり葉っぱが一枚だけあった。 そしてはじまる熱狂的なダンスと合唱。 それはとてつもなくバカバカしくて、どうしようもないくらいにポジティブで、アルビオンやガリアとの戦争で疲弊していた民衆の心に強く響いた、葉っぱ一枚だったけれど。 単純なフレーズの繰り返しは希望に満ち満ちて、劇場は手拍子と「YATTA!」の合唱に包まれた。 この場はカオスを体現している。そうとしか表現できない熱狂が人々に伝染していた。 才人は満足げな顔でその一体感を味わっていた。大成功だという確信がここで得られ、もうここで死んでもいいと思えるくらい満足していた。 そしてアンリエッタとベアトリスはと言うと――。「ふぅ……」 刺激的過ぎてぶっ倒れた。*** 才人の舞台は興行的には大失敗だった。なんせ内容が内容だ。ロマリアから目をつけられれば一発アウトで、二日目以降の公演はトリステイン政府から中止が申し渡され、才人はマザリーニ枢機卿から直々にお説教を受けた。 それこそが才人の真の狙いであったとも気づかずに……。「ふっ、他愛もない」 心にかすかな熱気を帯びたまま、観客はそれぞれの日常に帰っていく。口々にあの日のことがのぼり、情報は街中をかけめぐる。一日だけの舞台、真夏の夜の夢のごとき幻想的な響きのくせ、インパクトは戦争以上。他の噂はあっという間に駆逐される。 その中には例の『走れエロス』の話題も勿論含まれていた。 こうしてトリスタニアを歩いていてもあんな噂は一つも聞こえてこない。 人ごみでごった返す人ごみの中もストレスなく歩けてしまう。もう重力になんてとらわれていない、心はどこまでも空高く飛んで行けそうなくらい軽い。――お金は痛かったけど、これは聖戦だ。 うん、教皇も言ってたしと才人は自分を納得させる。 当然バラまいた分のお金を回収することはできなかった。トータルで見れば大損で、これからは当分質素な生活を送らないといけないくらい。 それでも才人は満足していた。 心の平穏は大金を積んでも買えないことがある。金は命より重いなんていうけれど、命がないと金は使えないのだ。 ふと、道端の女性がこちらを凝視しているのに気づく。振り向くと彼女らは黄色い悲鳴をあげて去って行った。――なんかついてたのかな。 全身あらためてみても変なところはない。魅惑の妖精亭でチェックしてもらうかと足を向ける。 時刻は黄昏どき、仕事帰りの男が集いはじめるころだった。 ウェスタン・ドアをくぐると視線がざっと集中する。それはすぐに、イケナイものを見たかのようにちっていった。 これはいよいよおかしいと不信感をおぼえながら、厨房の方に向かう。ジェシカはヤキトリの番をしていた。「あら、噂の人物じゃない」「あんだけやったんだからなってもらわないと困る」 からかうようにジェシカは言う。いつもと違うのは笑顔の質。なんだかいじめっ子みたいに今日の彼女はくすくす笑っている。 ジェシカたちにも招待券を贈っていて、魅惑の妖精亭一同ばっちり観劇したようだった。 余談だがルイズと水精霊騎士隊は練習風景だけでお腹いっぱいになったので誰一人身に来なかった。「よくあんな劇やったわね」「日本が、ある意味世界に誇るショーさ」 まさにある意味、だった。カッコつけて爽やかに言う才人を前にしてもジェシカはにやにや笑いをやめない。「すごい噂になってるわよ、シュヴァリエ・ド・ヒラガはやっぱりアッチ系だったって」 手の甲を頬にあててソッチ系の人だとジェシカは示す。才人はあいた口がふさがらなかった。「……え?」「あんな内容なんだから当然じゃない」 役者に男しかいない上、格好が格好だった。 空中装甲騎士団だけで役者を充てたから女性なんているはずもない。ヒロインもへったくれもない男っ気百パーセントな劇なんて今までになかった。 そして葉っぱ一枚だけの男たち。状況証拠はそろいすぎていて、もう誰も彼も才人がそっちの性癖を持ち合わせていると勘違いしていた。 ジェシカは懇切丁寧にそのことを説明してやる。終わったあとに残されたのは、呆然とする才人。「じぇしか……」「なによ」「おれ、死ぬ」「ちょ!?」 いつかシルフィードの上でやったように、才人はデルフリンガーを振り回してジェシカは抱き着いて止める。 才人はどこまでも本気で、ジェシカは少し楽しそうにデルフリンガーを取り上げる。 策士策に溺れるどころか、策がはじめっから破綻しているのに気づけなかった男の末路は哀れであった。 そして空中装甲騎士団とは言うと――。「お嬢さまー!」「もー! とっととクルデンホルフに帰ってよぉ!!」「次の公演はガリアですぞっ!」「もういやぁーっ!」 虚無関連など脚本を練り直した劇を各国で巡業し、騎士団には必要のない部分で高い評価を受けることになった。 その劇には今日も彼らの雇用主たる金髪の少女の姿が引きずり回されている。おしまい