強い夏の日差しをキラキラ反射する湖面に才人は目を奪われた。浅瀬にはたくさんの水鳥が飛び交い戯れる。木々も青々としていて胸いっぱいに息を吸い込めば草の匂いがたちまち鼻腔を満たす。去年までは沈んでいた土地も今は水がひいていて、初老の農夫が畑仕事に精を出していた。景勝地として名高いラグドリアン湖である。「久々に来たな」「そうね」ルイズと二人、一つの馬に乗ってやってきた。デートも当然かねているが、それだけではない。才人は桟橋に留めてある小舟に目をつけた。「このボート使えそうだ、借りようぜ」「ええ、エスコートしてくださる?」笑いながらルイズの手を取る。学院の制服ではなく、バスケット片手にノースリーブの白いワンピースに麦わら帽子をかぶったルイズは、絵から飛び出してきたように可愛かった。対する才人は日本の高校生みたいな白の半そでカッターシャツに黒いスラックス、ロマリアからもらってきた日本刀を刷いている。二人ともマントはしていない、お忍びの任務兼小旅行だ。「ではいきますか」「お願いね」オールをこぎながら二人は湖の中心に向かう。ラグドリアン湖はとんでもなく広い、水の上は涼しくても大変な仕事だ。才人は不平不満をこぼすでもなく小舟を進める。鳥の鳴き声と水音、オールをこぐ音以外何も聞こえない。「俺の世界でこういうデートって滅多にないんだ、テレビ……じゃなくてお話の世界くらいしかない。ちょっと憧れてたんだ」「あら、ハルケギニアじゃ珍しくないわよ」「ルイズも経験アリ?」「わたしはないわよ」二人してくすくす笑う。久しぶりの二人の時間だった。「あ、でもどっかの池でボートに乗ると別れるみたいなジンクスはあったな」「ちょっと……なんでよりによって今言うわけ」「ごめんごめん、なんか思い出したから」才人がデリカシーにかけたことを言ってもルイズが怒ることはない。他愛ない会話に幸せを感じている。「どれくらいこげばいいのかしらね?」「わかんね、モンモン連れてきた方がよかったかな」「それじゃデートにならないじゃない」「ギーシュもつれてダブルデートとか」「イヤよ、せっかくなら二人っきりになりたいもの」パシャンと魚が跳ねる。才人はそれに気を取られたフリをしてルイズから視線を外した。恥ずかしさがこみ上げてくる。――今日のルイズどうしたんだろ。とんでもなく素直で、めちゃくちゃ可愛い。白いワンピースに麦わら帽子なんて漫画の中でしか才人は見たことがない。なのにルイズは完璧に着こなして、見慣れた制服と比べて可愛さ五割増し。普段は外で見せない二の腕にも鎖骨にもなんかにもドキドキだ。目をそらしてもルイズをどうしても見てしまう。魅了の魔法にかかったみたいだった。そんな才人の視線を察したのかルイズは麦わら帽子で自分の体を隠した。「こ、こんな服もたまには、ほんとたまには悪くないわ」ちょっぴりほっぺを赤らめてルイズはそんなことをのたまった。そんな彼女を才人は無性に愛しく思う。しばらく黙ってボートをこぐ。ルイズも麦わら帽子を膝の上に置いて空を見上げた。「晴れてよかったわね」昨日までの雨は二人のデートを知っていたかのようにピタリとやんだ。空にはうっすらと虹がかかっている。「見計らったみたいにやんでくれたよな、雨」神様の粋な計らいに二人は感謝する。世界にお互いしかいなくて、静かで満たされていた。*それから三十分ほど二人はお喋りを楽しんだ。オールをこぐ手はゆったりと、小舟は静かに湖面を滑っていく。「ん?」音もなく盛り上がる水面が才人の目に付いた。やがて人くらいの高さの水柱になり、ぐにゅぐにゅ姿を変えてモンモランシーの姿に落ち着いた。全裸ランシーの姿にルイズは少しイヤな顔をした。「約束を果たしに来たぜ」才人はポケットに手を突っ込み、古びた指輪を取り出した。開いた右手を突き出すと水の精霊は腕を伸ばす。指輪がその指先に触れると、吸い込まれたように姿を消した。「確かに『アンドバリ』の指輪は我がもとに返った」パシャンと水の精霊は崩れ落ちた。「これで、大丈夫だよな?」「ええ、きっと」顔を見合わせて二人は確認するがいまいち釈然としない。不意にボートが動き出した。「これは送り返してくれてるってことか?」「ええ、きっと」才人がこぐよりもよっぽど速い、むしろ速すぎた。水の精霊の気遣いに二人はひきつった笑いをこぼす。笑っている間にもどんどんスピードは上がってボートにしがみつかないと振り落とされそうなほどだ。「ちょ、これはッ、ないっ!!」「うきゅぅぅううう!!」湖を疾走すること五分間、小舟は元の係留場にピタッと止まった。「加減、知らずね……」「ひどいめに、あった」ふらふら上陸した二人は芝が植えられた木の根元に倒れ込んだ。固い大地がこの上ない安心感を与えてくれる。相変わらず空は憎たらしいくらい青かった。「な―ルイズー」「なによー」「ひざまくらしてー」「やーよー」ごろごろ転がって移動するという貴族のご令嬢らしから行動にルイズは出る。そのまま才人のそばまで転がり、腕に頭を乗せた。「うでまくらー」「へーへー」ぼんやり二人、葉っぱ越しの太陽を見上げてみたり。穏やかに時間が過ぎていく。――ぐ~――「はらへったー」「おひるにする?」「うん、めしくう」ガバっと才人はルイズにのしかかった。「ただし食うのはおまえだー!」ルイズは目をしぱしぱさせて。「ぁ…………ぅん」なんて、顔を真っ赤にしながらこっくり頷いた。***――ぴきーん――「む、サイトさんの危機な予感!」「シエスタどしたの?」「こうしちゃいられないです!!」「……行っちゃった」*――ぴききーん――「どっかでルイズとサイトがいちゃついてる気がする……」「ジェシカお鍋お鍋」「あっといけない、男を落とすには胃袋からってね~」*――ぴきききーん――「任務にかこつけてイチャつく不純な気配がします」「女王陛下、突然立ち上がってどうかされましたか?」「わたくしちょっと用事を」「なりませぬ、これらの決済を今日中に終わらせるとおっしゃったのは陛下ご自身です」「うう……」*――ぴききききーん――「にいさまがピンクベヒんもスにやられる……!!」「この参考文献にも目を通すと良いですぞ、シャルロット陛下」「もうついたのかカステルモール!」「はやい!」「きた! 妹本きた!」「メイン図書きた!」「……これでルイズに勝つる!」***十人十色な乙女模様をよそに、才人はかたまっていた。――どうしよう。才人は、ルイズが目をしぱしぱさせて「きゃー」なんて棒読みで言ってくれることを期待していた。現実には彼女は顔を熟れたリンゴみたいに染め上げて、才人の目をじっと見つめている。瞳には恥ずかしさととまどいと期待の色がくるくると浮き上がっては沈んでいた。マウントポジションをとったまま才人はまわらない頭で考える。――助けてオスマン校長、モットのおっさん、デムリさん!脳内でトリステイン三羽烏に助けを求めるものの。『押し倒すのじゃ』『もう押し倒してますな』『そのままとことんいくべきでしょう』ものすごくプッシュされた。一方そんな欲望に塗れた大人三人を追い払うかのように天使たちが脳内に降臨する。『いけませんサイトさん!』『嫁入り前の貴族を傷物にしたら普通は斬首ね』『その……わたくしなら少しくらいかまいませんよ?』『わたし、おにいちゃんのこと信じてるから』一部異なる意見があったが猛反対を受ける。少しだけ、ほんの少しだけ冷静さを取り戻し、鋼の意思でルイズの上から体をよけた。――据え膳食わぬは、っていうけど……ダメだ。昼飯を食いながら耐えるんだぞ俺。待てばなんとかかんとかってことわざもある、ってそりゃたくさんありそうだよな。あれ、でもルイズもおっけーみたいなとこあったから耐える必要ないんじゃね?あれやこれやと考えながら才人はのっそり立ち上がる。次の瞬間にはずどん、と背後からの衝撃にべちゃっと地面に倒れた。「なにすんだよ!」「黙れ」「……はい」うつぶせになっているからルイズの顔は見えない。でも才人には声でわかる、これは怒っている。背中にルイズのぬくもりを感じながら、じっと動かずに待つことにした。「その、あれよあれ」「アレじゃわかんねーよ」ぴったりと才人の背中に張り付いているルイズはその細い手を首に回しはじめた。――こ、絞殺!?怯える才人そっちのけでルイズはしっかりと才人に抱き着く。はたから見れば才人が敷布団になっているみたいだ。『いいこと、サイトはあれで決定的な時にヘタレることがあるわ。だからあなたが押しなさい』――ややや、や、やってやろうじゃないのよ!はぁ、と耳元に熱い吐息を投げかける。才人は慣れない感触にびくっと震えた。どこかむず痒い身体を才人の背中にすりつける。――なな、なんでルイズこんな積極的なの!? 教えてキュルケ!!そのキュルケさんの仕業だった。ルイズの手は才人の首元から肩、腕、指先とだんだん降りてくる。しっとりとした手つきに身動き一つとれない、むしろ才人はとる気になれなかった。ついにはズボンのベルトにかかろうというときに。「それ以上はヤバい!!」「きゃ!?」なけなしの理性を総動員してごろんと反転、ルイズを下敷きに才人は再びマウントポジションをとった。「い、いいいて、言っておくけどそれ以上はホントヤバいんだからな! ガマンできなくなっちまうんだぞ!!」「うる、うううるさいわよ! わたしだってそれなりの覚悟はできてるんだから!!」――え、覚悟できてるの? マジで? やっちゃっていいの?――あ、いきおいで言っちゃったけど……覚悟なんてできてるわけないのに!?才人はぐいっとルイズの顔を覗き込んだ。彼女は思わず顔をそむけてしまう。「こっち向いて」「……」ルイズが才人と目を合わせると同時に。「ん」二人の唇が重なった。木立が風で騒ぐ音と互いの心音しか聞こえない。才人はルイズの頭をかき抱くようにして彼女の小さな唇を貪るように求めた。ついばむようなキスではなく、シエスタともしたことがないような濃密な口吸い。ルイズは最初才人を押しのけようとしていたが、すぐに力を抜いて才人のされるがままになった。それどころか今では求めに応えようと舌を伸ばしている。永遠に続くように思えたキスは、どちらともなく離れて終わった。「はぁ……」「好き」うっとりした表情で一息つくルイズに、再び才人は口づけた。今度は一切の抵抗がなかった。――ちょ、ま、まま、まずいわこのままじゃ。でも気持ちいい……ちが、だめ……。ルイズがぐるぐると快楽のらせん階段を転がり落ちているとき、才人も才人で悩んでいた。――かかか、覚悟できてるって言ってたよな? いいのか、こ、このまま押し切っていいのかよ俺。『勿論だとも!!』もはや脳内に天使はいない、三羽烏の声援を背後に才人は決意した。――お、俺は今日、大人になってやる!!右腕はそのままルイズの頭と地面の間、才人は神の左手をするりと抜いた。キスは止めない、すでに二人の口元はつばでべっとり濡れているがおかまいなしに口唇を、口内を蹂躙する。ルイズに考える隙は与えない。とことん最後まで槍をもって貫く腹積もりだ。左手をそろりそろりと胸元に近づける。――才人、いきます!今まさにワンピースの隙間から手を突っ込もうとした瞬間。――がさ――近くの草むらが動いた。キスの余韻すら振り切って才人が振り向くとそこには。「……その、申し訳ありません」「ぺ、ペルスランさん……」タバサに仕えている老執事が心底申し訳なさそうな表情を浮かべて佇んでいる。二人は死にたくなった。***「てことはタバサが俺たちのことを」「ええ、近いうちに訪れるはずだと聞いていましたので」すぐに身なりを整えペルスランに向き直った二人はトリステイン国境側に彼が来ている理由を聞き、納得した。――タバサめ、この邪魔、じゃないわ。あ、危ないところを助けてもらったもの。……礼は高くつくわよ。謀略妖精・雪風の名は伊達じゃなかった。才人はごまかすように小舟のバスケットを取りに戻る。猛スピードで湖上を突っ切った割に荷物は放り出されてなかった。バスケットの中身はシエスタ謹製のサンドイッチ、その味はお墨付きである。ペルスランの昼食の誘いを固辞したルイズはぶすっとむくれていた。「どしたの?」「なんでもないわよこの犬」ほんとのところは才人もよくわかっていた。あそこまで盛り上がっておいて邪魔が入った。若い二人はそりゃもう悶々とした空気を抱え、なんとなく恥ずかしいからそれを相手に悟られたくなくて、無言でサンドイッチにパクついた。「少しだけ涼しくなったよな」「そうね、秋も近そうだわ」肺一杯に息を吸い込んだら夏の物とは違う空気、秋のにおいが鼻をくすぐる。食事を終えた二人はイチャつく気にもなれず馬にまたがった。ルイズはしっかりと才人に抱き着きながら囁きかける。「その、か、帰ったら“お話”しましょ?」「お、おう、“お話”な、いいよ“お話”、うんおっけー」才人は珍しく“お話”の内実を悟って、ごにょごにょと口の中で何事か呟きだす。ルイズはしっかりと腕に力を込めて残暑の空気を吸い込んだ。魔法学院に着けばシエスタが二人にぴったり張り付いていたので“お話”できなかったのは言うまでもない。