27-1 マスター・サイトン「ふぅ、あの調子ならもうちょっと押せばいけるかな」才人は魅惑の妖精亭を出て一息ついた。ぐっと背を伸ばして一つ深呼吸。色んな料理、食材、香水のにおいが入り混じった空気を肺一杯に吸い込んだ。――魔法学院の空気も美味しいけど、ここもいいよな。人の活気があふれてて、なんか楽しい。魔法学院で深呼吸をすれば、草の薫がたっぷりとする。雨の前なら土の薫、季節によっても勿論違う。花の匂いも心地よいし、干した藁束も悪くない。ただ一つ残念なのは、日本の秋口に漂うあの芳香、小さなオレンジ色の花がないことだった。ハルケギニアに来て一年以上たつし、探してみてもいいかもしれない、と才人は腕を下ろす。そのままブルドンネ街を郊外に向けてぶらぶらと歩く。いつもと違ってだいぶ歩きやすい。まるで人が避けていってるみたいだ、と才人は呑気に思った。勿論現実に人が避けている。彼の着るだんだら羽織がここ、トリスタニアではこれ以上なく異質なものに感じられたのだ。君子危うきに近寄らず、ということを現代日本人以上によく知っているタニアっ子のリアクションはきっと間違ってない。――やっぱこう、新撰組の加護みたいなのがあるのかなぁ。忌避されている、という意味では間違っていない。途中で買ったソーセージをくるくる包み込んだクレープをパクつきながら、我が物顔で街を歩く。――あれ、このクレープのにおい、ソバっぽい。こっちにもソバってあるんだな、今度がんばって手打ちソバ作ってみるか。作り方一切知らないけどなっ!思いのほか良い味で気分は上々。ルイズが食べるかはわからないが、もう一つ買い求めておいた。それにしても、と考える。――んー、でも絶好の商売のチャンスだからな。ジェシカもふつー抜け出したくないよな。やっぱり彼はわかっていなかった。――パレードで横に立ってもらいたい、って言ったら呆れてたし。やっぱりなーんかいい説得方法を考えないと。昼下がりの一時は穏やかに流れる。ただ、雨雲が空を埋めはじめていた。27-2 Ladybird boy雨が近づけば、降り出せば大地のにおいが強くなる。それはどこか気分を落ち着けてくれる、と思う。肺の中をそのにおいで満たす。「すぅ……はぁ……」いつもならそろそろサイトが部屋に帰ってくるころだ。窓の外をぼんやりと眺める。一人部屋で佇みながら、キュルケのアドバイスを思い出す。『まず、ありがとう、って言いなさい。あなたも今までに何度か言ったかもしれないけど、もう一度、素直に言いなさい。遥か彼方から彼を無理やり引っ張ってきたのに変わりはないんだから』トリスタニアの方から青い点がやってくる。シルフィードだ。小さくてよくわからないが、背中にサイトも乗っている気がした。「すなおに、すなおに」サイトと出会った時のことを思い出す。今日と違って、あの日は抜けるような青空だった。召喚した彼の顔が、”大人みたいな子供”みたいに見えたものだ。キョロキョロ落ち着きのかけらもなく、挙句の果てには夢扱いまでして。最初はどこぞの平民だと思い落胆した。ただ一回の成功と言っても結果がこれでは惨めすぎると思った。ご主人様をからかったとき、生意気だと思った。ギーシュ相手に退かなかったとき、意地っ張りだと思った。フーケのとき、命がけで助けてくれた。アルビオンのとき、魅惑の妖精亭のとき、七万の兵が押し寄せたとき。それから、それから、それから。「サイト……」どうして、胸が温かくて、痛くなってくるんだろう。はやく会いたい。耳を澄ませてみる。しっとりと大地を濡らす雨音、それ以外聞こえない。まるで世界に一人になったみたいだ。もう一度ゆっくり息を吸って、吐き出した。コンコン、とドアをたたく音。次いでドアを開く音。「たっだいまー!」相変わらずノックの返事を待たずに入ってくる。サイトは変な格好をしていた。説明しにくい、浅葱色で袖口が白のぎざぎざ、そしてゆったりとしている服。「おかえりなさい」うまく笑えたか、自分ではわからなかった。でもサイトは最初きょとんとして、すぐにっこり笑ってくれたからきっと大丈夫。「いやーいきなり雨降ってくるもんだからシルフィードの上で濡れちゃったよ」「はい、タオル」タオルを手渡してあげる。それだけでサイトはずいぶんびっくりしていた。普段のわたしにどんなイメージを持っているのか、と問い質したくなる。「サンキュな、今日はずいぶんご機嫌じゃん」「ちょっとね、わたしなりに思うことがあったの」まだだ、少しどきどきするけどまだ我慢。「ふーん、そういやまたトリスタニアで旨いもん見つけたんだ。ソバのクレープなんだけど、食う?」「いらないわよ、大体食事なら学院で出るじゃない。料理長がわざわざシエスタに聞いてたらしいわよ、『我らの剣は俺たちの料理に飽きたのか』って」「げ、親父さんには悪いことしたなぁ……」でも買い食い楽しいんだよなー、と頬をかくサイト。ほとんど娯楽のない魔法学院に比べたら確かにトリスタニアで色々するのは楽しそうだ。「パレードの日も朝なら時間あるだろうし、そん時一緒に色々見て回らないか?」「ええ、もちろんいいわよ」「シエスタにも声かけとかないとな、普段お世話になってるし」感謝の気持ちというのは大切だ、というのはキュルケに散々教えてもらった。でも時と場合を選んでほしい。こういうところはやっぱり騎士じゃなくってバカ犬だ。「……別に、二人でいいのに」「ん、ごめん。なんか言った?」「なんでもない」サイトにそこらへんのデリカシーを求めるのは酷だ。これからじっくり、時間をかけて自分が教えてあげればいい。彼はこの世界で、わたしがいるから残ってくれたんだ。「街歩いててもこう、人が少し避けてくれるんだ。ハルケギニアにもこんな服の警察みたいなのがいたのか?」「……それはただ変人だと思われてるだけよ」「うっそだぁ! 俺の世界じゃ男のロマンだぞこの服は!!」楽しそうに他愛ない話を続けるのも、きっとわたしのため。少し嬉しくなってくる。「あ、あと武器屋の親父見た。なんか焼き鳥の屋台やってた」「六千年生きた俺もあれには呆然としたね」「なにがあったのかしら」「戦争終わっちまったからなぁ、他のところでとっとと稼ぎ出したとか」ハナビっていうサイトの故郷の催しのために水精霊騎士隊はかかりっきり。爆発する危険性もあるらしくて、主役を危険にさらすわけにはいかない、というみんなの好意でこうしてゆっくりしていられる。しとしと降り続ける雨も、サイトが外へ行くのを止めてくれる。久々に幸せな時間だ。「ユカタっていう衣装はどうなの?」「ああ、着々と広まりつつあるよ。なんかすっげー嬉しい、シエスタとジェシカにはもー感謝の言葉もないよ」「わたしもいつか着たいわね」サイトの故郷の伝統衣装、ユカタ。シエスタとジェシカの曾祖父がこの地に残してくれたことにわたしも感謝する。そのおかげで彼のこんな嬉しそうな顔を見れるのだから。故郷から、遠ざけてしまったけれど。「お、ルイズにはどんな色が似合うっかなー。んーレモン色かな~」「……それだけはやっちゃいけないと思うわ」「相棒、格好のいじられネタになるだけだぜ」時折カチャカチャと相槌を打つデルフリンガーの声さえ心地いい。「うん、ルイズなら浴衣もばっちり似合うな」「おう! 娘っこはぺったん娘だからな!!」「やかましいわこのボロ剣!」前言撤回、やっぱりこいつはうっとうしい。「花火大会がこの世界でできるなんて……。ダエグの曜日が待ち遠しいぜー」「今日がマンの曜日だからあと四日ね」ハナビはわたしも見たことがない。大きな花が夜空に咲く風景は、どこか現実離れしていて綺麗だ、とサイトは言っていた。「パレードって隠し芸みたいなのいるかなぁ」「折角だから俺使ってなんかやれよ、剣舞とか彫物とか」「剣舞は無理っぽいな……彫物なんとかなるかな、練習するか」「もう、そんなの明日でいいじゃない。それよりも姫さまが演説をさせてくるかもしれないから、そっちの方が大事だわ」「そ、そんなの無理だって!」サイトがきっちり演説をする様子なんて全然想像がつかない。きっと思ったことをぽろぽろ言って、笑われて、開き直って、拍手で終わるような気がする。夕食も近いし、そろそろキュルケのアドバイスを実行しようと思う。「そういえばさ」「なに?」でも、楽しい時間は、唐突に終わる。「パレードの時、ジェシカに隣に立ってもらおうと思ってるんだ」「……え?」雷が落ちたかと思った。それくらいの衝撃を受けた。「や、姫さまから女性パートナー選べって言われてさ。ジェシカにそれ頼むから」「……なによ、それ」いみがわからない。「どういう意味かわかってるの?」「ん、そりゃ勿論わかってるけど」だったら、なんでそんなこというの?「なんでジェシカなの」「いや、ちょっと色々あって……」目を逸らされた。頭にカッと血が上る。「ふざけないで」「ふざけてなんてないって。どうしたんだよいきなり」サイトは戸惑ってる。その様子は、余計にわたしを苛立たせる。「ふざけてないなら、なんでそんなこと言い出すのよ。こたえなさい!!」「な、なんだよ怒鳴ったりして……」コイツはなんにもわかってない。「出てって」「はぁ?」「出てってって言ってるでしょ!!」枕を投げつける。サイトはそれを受け止めながらもやっぱりわかってない顔だ。その顔をやめてほしい。「はやく出ていって!!」「わ、わかったよ。また後で話を」「戻ってこないで!!」出ていった。サイトは出ていった。胸が痛くて泣きそうだ。でも、涙は溢れず心にたまった。27-3 「な、なんだよ急に……」ルイズの部屋から叩き出された才人は困惑していた。彼としてはただ世間話の一環でしたつもりだった。現代でただの高校生にすぎなかった彼に、終戦パレードの英雄、その隣に立つ女性の意味を想像しろ、という方が酷だった。「うーん、わからん」頭をひねっても今の彼では答えを出せそうになかった。仕方なく、隣室のドアを叩く。「……どうしたのよ、すごい声だったけど」ドアからキュルケが顔を出す。怒声は石造りの壁を貫いていたようだ。「ごめんキュルケ、しばらくルイズのことを頼む」怒った理由にまったく思い当たらない以上、自分はしばらく会わない方がいい、と才人は判断した。そしてルイズの友人であるキュルケにフォローを頼んだ。「いいけど、サイトなにしちゃったのよ?」「わかんない、話してたらいきなり怒り出しちゃって」ふむ、とキュルケは考え込む。――お昼のあの子は珍しく真摯に助言を受けていたわ。だから今回ばっかりは原因が才人にある、と信じたいけど……。彼女はルイズの嫉妬深さや癇癪のことを知っている。とりあえず才人の頼みは受けることにした。「わたしからルイズに色々聞き出してみるわ」「ありがとう、ホントに感謝してる」「いいわよ、なんたってわたしはルイズの友達なんだから」パチン、とウィンク一つ。随分仲良くなったんだな、と出会った当初を思い出して才人は感心した。「それで、あなたどこで寝るのよ?」「んー、水精霊騎士隊の部屋に転がり込むかな。最悪トリスタニアまで飛ぶことになると思う」トリスタニアの場合、魅惑の妖精亭の住み込み部屋を借りるつもりだ。今の彼を取り巻く環境を考えれば、最悪の行動になる。しかし、キュルケも才人もそんなこと知る由もない。「まぁ、あの怒りっぷりだしシエスタとかタバサは頼らない方がいいわね。あとで寝床を教えてくれればちょくちょく報告に行くわ」「助かるよ」微かに浮かぶ才人の笑顔は弱り切っていた。彼としては恋人と楽しく語り合っていたらいきなり怒鳴られ追い出されたのだから無理もない。「今度”始祖の降臨祭・初恋風味”をわたしとジャンのためだけに作りなさい。それでチャラにしてあげるわ」「……それレイナールも言ってたけどなんなんだ」「あら、製作者が名前を知らないの」キュルケは茶目っ気たっぷりに笑って言う。「ルイズみたいなものね。甘酸っぱくて、可愛らしい料理よ」