26-1 トリスタニア・デイズ急な終戦パレードの告知に、トリスタニアは沸いていた。特に大商人が利益を上げようと大攻勢を仕掛けている。浴衣、甚平だ。才人のうろ覚えな雪駄と下駄の情報も街を流れ、服飾店、靴屋は急ピッチで各々の品を作っている。そして民衆は少しでもシュヴァリエ・ド・ヒラガの威光を授かろうと品々を買い求めた。なんせ触れればご利益があると思われているほどだ。ゆかりのものであればお守り代わりになる! と言わんばかりの人気っぷりだ。才人はまったく意図していなかったが、トリステイン城下街の流行を作り上げたのは彼だ。そんな渦中の人物、平賀才人はやっぱり魅惑の妖精亭にいた。昨日と変わらずだんだら羽織を纏っている。「ジェシカ、話があるんだ」「え、なによ急に」髪を結い上げ、藍の生地に朝顔の白模様がうっすらと映える浴衣を着込んだジェシカ。これはロマリア商人が贈ったものだ。彼女がはだけた着方をしてしまったがため、今現在街を浴衣で歩く女性はすんごいことになっている。さて、ジェシカさんと才人くんは魅惑の妖精亭客席にいた。水を汲んだ木のコップ二つ、テーブルをはさんで向かい合う二人。ジェシカは、肘を張って太ももの上に手をつき、少し恥ずかしげに明後日の方を見ている。一方の才人は真剣な顔、握り拳をテーブルの上に置いていた。「週末のパレード、知ってるか?」「そりゃもちろん知ってるけど……」今のトリスタニアはその話題で持ちきりだ。街をあるけばどこからともなくその話は聞こえてくる。それは主婦であったり、屋台の店主であったり、下級貴族であったりと職業に係わらない。アルビオンから続いていた思い雰囲気を振り切ろうと、街中がはしゃいでいるのだ。魅惑の妖精亭の食材調達を担うジェシカが知らないはずはなかった。「パレード、俺の横に立っててほしいんだ」「……はぁ!?」思わずジェシカは才人の顔を見た。そのくらい彼女にとって衝撃的で、理解できない言葉だった。彼を見ても先ほどと同じ、じっと黒い瞳をこちらに向けている。茶化すような雰囲気は一切感じられない。なおも才人は言葉を重ねる。「だからさ、今度のパレード、俺の横に立っててほしいんだ」「……」――パレードで英雄の隣に立つ、それがどういう意味かコイツはわかってるの?へ、下手すれば結婚宣言にとられるのよ!?どんだけ穏やかに受け止められても、恋人と思われるにきまってるじゃないっ才人の様子は変わらない、欠片の動揺も感じられない。――いや、コイツスケベなのに鈍感だったわ。あたしがきっちり教育してやらないと。その泰然とした姿にジェシカは心中で納得した。おそらく、こいつはなんにもわかっていない。妖精亭に来たときも田舎者っぷりを十二分に発揮して都会のルールを理解していなかったじゃないか、と彼女はこっそりため息をつく。体中から軽く力が抜けるのを彼女は自覚した。そしてコップの水に口をつけ、そのまま両手でかるく握る。そしてこの従兄弟のような抜けた田舎者の英雄にきっちり教えてやろう、と口を開いた。「ちょっと、それどういう意味か」「わかってる、意味なんてしっかり理解してる」しかし、強い語勢で彼はそれを遮った。そしていつかの夜のように、彼女の手をとった。コップ、ジェシカの手、才人の手、重なった掌から伝わる温度にジェシカの心臓は跳ねる。熱源はないのに、体温がどんどん上がっていく。「いいから、俺の言うとおりにしてほしい」「!?」才人の真剣な視線が、ジェシカの心を射抜いた。余計に体が熱をもってくる。肌蹴ているはずの胸元が妙にじっとりと汗ばむ。「頼む、一生のお願いだ」「だめ、絶対ダメなんだから」酒場にいれば強引に迫ってくる男はそれこそ星の数ほどいる。スカロン・ディフェンスが発動する魅惑の妖精亭でもそれは例外ではない。経験上、ジェシカもそんな野獣どものあしらい方をよく知っていた。だが、才人は違う。そんな輩とは違って下心がない、情欲に濁らない、澄んだ瞳だった。それでも強引に、純粋に自分を求めてくる。それが嬉しくもあり、恥ずかしくもある。ジェシカは、目を逸らすことしかできなかった。脳裏によぎるのは自分の従姉妹、そして、桃色の素直になれない小さな女の子。「頼む、ジェシカにはまだ言えないけど、理由があるんだ」――コイツはここまで言っておいて、何を言えないって言うんだろ?ここまで盛大にほぼ愛の告白に違いないことを言っておいて何を隠しているんだ、とジェシカは訝しむ。まさかこれが告白ではない、とコイツは思っているんだろうか。彼女にはわからなかった。「……今言いなさいよ」「ちょっとそれは……できない。だけどパレードが終わればきっと言う」――パレードが終われば、という意味は、ひょっとして……。「頼む、俺と一緒にいててくれ」「……か、考えさせて」結局、ジェシカに才人を突き放すことはできなかった。保留するだけ、また次の機会までに悩んで決めよう、いや、断ろうとする。才人は手を放すと、少し寂しげに笑った。椅子を引いて立ち上がり、ドアの外をまっすぐに見据える。その横顔に、彼女は凛々しさを、英雄になった少年の本気を感じた。「わかった、明日また来るから」ジェシカはへなへなと背もたれに身をまかせた。「次来られたら……ことわれないじゃない、ばか」雨が降りはじめていた。26-2 ピンクの悪魔――コンコン――硬質な音が部屋に響き渡る。ベッドに腰掛けながら手元の詩集に目を落としていたキュルケは、ドアへ振り向いた。昼食後、コルベール教諭は水精霊騎士隊、空中装甲騎士団とともに、忙しなく打ち上げ花火の製造にハゲんでいる。いつもの彼女なら気にせず突入するのだが、なんというか、雰囲気が怖いのだ。みんなギラギラしている。欲望に塗れているという意味ではなく、余裕がない。あそこに近寄ればあんなこと(火薬の錬金)やこんなこと(ひたすら星づくり)をやらされそうだ。それに急に雨が降り出してきた。花火製作班は「湿気が、火薬がー!!」と叫んでいてより危険な雰囲気になりつつある。なので大人しく詩集を読んでいた。そこに珍しく来客だ。彼女は開けようか、と一瞬悩み、スルーした。特別めんどくさい予感がする。なんとなく、めんどい娘のオーラがドアの隙間から漏れてきている気がする。ロックはかけてあるからきっと留守だと思ってどこかへ行くだろう、とキュルケは自己完結した。――コンコンコン――さらに叩かれる扉。ゴロン、と背中からそのままベッドに寝転がる。腕を伸ばし、詩集を掲げて読んでみる。――角度を変えて物事を見る、っていうのはこういうことじゃないわね。もぞもぞとベッドにあがり、俯せになりながら読んでみる。足をぶらぶらさせならが文字を追っていると、なんだかキュルケは楽しくなってきた。――こういう時間も悪くないわ。ザァーっと地面を濡らす音が耳に心地よい。完全な静寂ではなく、静かな雨音で世界が満たされている。やっぱり自分は間違っていなかった、今日は読書にふけるべきだ。そんな思いにキュルケはとらわれはじめた矢先。――ドン!ドン!ドガン!!――「……ハァイ、ルイズ」「はぁい、キュルケ。ずいぶん静かだったじゃない」あら可愛い、と言ってしまいそうなほど綺麗な笑顔で、天使みたいに彼女は立ってた。ただし部屋に入る手段はまったく天使らしくない。極小のエクスプロージョン。極上の苛立ちと細心の注意を込めて放たれた虚無のスペルはドアノブのみを削り取った。アンロックを使えるくせにロックを物理的に解除したのだ。その後蹴撃、速やかに部屋へ侵入といった次第だ。――今夜はタバサのところで寝ようかしら。幸い蝶番は無事だったが、くりぬかれたノブはどうにもならない。現実逃避のように今夜の予定を決めるキュルケ。ルイズは案の定持っていた瓶を突き出した。「相談に乗ってもらうわよ」ルイズがあまり得意ではない酒をキュルケの部屋に持ち込んだ。彼女はアル中になってしまったのか?勿論違う。彼女は彼女なりに、才人との関係を見つめようとしたのだ。だが、恋愛経験値は魔法学院最強、と目されるキュルケには相談できなかった。一応ヴァリエール家とツェルプストーには因縁がある。素直に恋愛レッスンを請うのは気が退けた、というか恥ずかしかった。そこでワンクッション置こう、とモンモランシーに相談した。しかし、彼女に諭されようとも意地っ張りが治るワケではない。その時ルイズはポン、と手を叩いた。――力を借りるのは人だけじゃないわ。古来より、酒の力を借りる、という言葉がある。最近の彼女は正直借りすぎかもしれないが、気にしては負けだ。とりあえず彼女はウォッカを手にしてキュルケの部屋に乗り込んだ。錠前もなんのその、虚無の使い手の前では紙に等しい。ドアをぶち開ければキュルケがいた。生意気にもベッドで胸をもにゅもにゅさせて遊んでいた。そしてウォッカを突きつける。キュルケは優しい顔でその酒瓶をとりあげると、換わりに戸棚から甘い白ワインを取り出した。「ルイズ、あんまり強くないんだからほどほどにしなさいよ。今日はあたしがとっておきを開けてあげる」想像していたよりもずっとやさしい対応をとられ、ルイズはびっくりした。ティーセットをカチャカチャ用意するキュルケを意味もなく警戒してしまう。――トットット――白ワインをティーポットに注ぎ、水差しの薄めたリンゴ果汁を加える。バースプーンで数回かき混ぜ、それをカップに注いだ。「なに突っ立ってるのよ。ほら、話を聞いてあげようっていうんだから、座りなさい」「え、ええ……」こいつは誰だ、とルイズは訝しむ。ただ、言われた通り立ちっぱなしというのもなんだったので、素直に椅子へ腰を下ろした。キュルケは黙って同じものをもう一つのカップに注いでいる。カップに口をつける。――甘い、美味しい。アルコールのにおいはきつくない。酔いが進みすぎる心配はなさそうだ、とルイズは感じた。キュルケが腰を落とす。丸テーブルに向かい合った二人は、しばらく無言でカクテルを飲んでいた。「で、相談ってなにかしら?」五分ほど雨の音を聞いてから、キュルケが切り出した。ルイズはカップに揺れるカクテルじっと見つめながら、ぽつぽつと語りだした。「サイトと……もっと仲良くしたいの」「どういう意味で?」キュルケは問い返す。ルイズは酒と空気の境界を見つめたまま、視線を上げない。「仲良くしたい、というのは色んな意味があるわ。恋人になりたい、友情を深めたい、仕事仲間とうまくやりたい。サイトの場合使い魔として仲良くしたい、っていうのもあるかもね。勿論違うものもあるわね。どれなの、ルイズ」「……」ルイズは答えない。キュルケは窓の外へ、降り続ける雨に目をやった。そのまま無言の時が過ぎていく。「恋人」「え?」「だから、恋人」どれほど時間がたったのか、キュルケにはわからなかった。ただルイズに目を戻せば、この可愛い小さな女の子は俯きながらぷるぷる震えている。キュルケは満面の笑みを浮かべ、彼女を祝福した。「よく言ったわ、素直になれないあなたが、宿敵たるツェルプストーにね」「……宿敵じゃないわ」「あら?」「……友達よ」――ああ、ふだんめんどくさいからこういう時は余計に可愛いわね!キュルケは内心身もだえした。こういうところに才人もコロッといったに違いない。ツンとそっぽを向いていても染まる頬は隠せない。キュルケはこの可愛い少女のために最上級のアドバイスをしてやろう、と心に決めた。「いいわね、サイトと仲良くなりたかったら……」