19-1 ノスタルジア――シエスタと月が俺を見下ろしてる。二日前の昼と同じ光景だった。頭の下も同じように柔らかい。ただ違うのは、気温と時間と、シエスタ。空にお日様が輝いていないこの時間帯は流石に涼しく、時折囁く風が心地よい。そして、才人は目を見開いた。「サイトさん、気がつきましたか?」「シエスタ!?」思わず跳ね起き、シエスタをまじまじと見つめる。「ミス・ヴァリエールったらひどいんだから……。って、サイトさん。そんな見つめられると、ちょっと恥ずかしいです」ぽっと頬を赤らめいやんいやんと手をあてるシエスタ。――可愛い。いや、違う違う、そうじゃない。「それ、ひょっとして……」「あ、やっぱりサイトさんもご存知でしたか。ひいおじいちゃんがひいおばあちゃんに頼み込んであつらえてもらったそうです。ユカタ、って言うんですよね」サイトは知らないが、魅惑の妖精亭で今働いているジェシカと同じ、草色の浴衣姿のシエスタがちょこんと正座していた。その前にサイトはあぐらをかいて座りなおす。その間も視線はシエスタにくぎ付けだ。「あ、ああ、知ってる。知ってるも何も、俺の国の服だし」「じゃあ、こっちも知ってますよね、はいっ」じゃーん、と言いながらシエスタが手渡してきた服も、もちろん才人は知っている。暑い夏場はTシャツ短パンよりもこれを着た方が幾分か涼しい、と感じる。シエスタの浴衣と同じ、草色の甚平がそこにある。「これ、これ、いいの!?」「ええ、サイトさんに着てもらうために暇を見てせっせと繕いました」いらないなんて言われたらショックです、泣きます、とシエスタ。才人に持たせて火の塔の影まで彼を連れ込んだ。「はい! 向こうで待ってますから着替えてきてくださいね」なるべく早くしてくださいね、と言ってシエスタは来た道を戻っていった。残された才人は手元の甚平に目を落とし、パーカーを脱いだ。下着以外は全部脱ぎ捨てて甚平に袖を通す。前を合わせ、紐は蝶結びで括る。麻の肌触りが懐かしかった。用意のいいことにシエスタは雪駄も手渡してくれた。日本にいたころは雪駄なんて、履いたこともなかった。ビーチサンダルとほとんど変わんないな、と足を通す。甚平、雪駄の完全な和装才人が完成した。「シエスタ、着替え終わったよ」「はいはい、まぁ!やっぱりサイトさん素敵ですね。よく似合ってますよ」パーカー、ジーンズを適当に畳んでシエスタの元に戻る。彼女は、お揃いですね、なんて嬉しそうに言った。黒髪の、浴衣姿の少女が微笑む。それは、才人の心の栓を、決壊させてしまった。「うっ、うう、くっ……」「サイトさん!?」シエスタはいきなり泣き出した才人に目を丸くする。彼は袖でゴシゴシ目を拭うがあふれる涙は止まりそうにない。手に持っていた服は落としてしまっている。「俺っ、俺この間までは、ぜんっぜん、平気だったんだ。なのに、母さん、母さんからのメールでっ、もう、懐かしくって……。疲れてた……かあさん、母さんは、あんな顔、見たことなくって……」「サイトさん……」シエスタは自然、才人の手を強く引いた。膝をつき倒れこむ才人を、その豊かな胸で慈しむように、抱きしめた。左手を背中にまわし、右手は黒髪を撫でる。浴衣の胸元が濡れていく。「もう、ダメなんだ。さみしくて、なつかしすぎて……ッ。割り、切れねぇよ。ルイズは、ルイズ、ルイズは大事なのに……!」「……」しゃくりあげながらシエスタに心情を吐露する。そこにアルビオンの英雄も、虎街道の英雄も、ガンダールヴもいない。ただ故郷を、家族を失った少年がいた。シエスタは優しく、優しく彼を抱きしめ、髪を梳く。「なのに、さいきん、日本のこと、ばっか、かんがえてて。つらいんだよ……!俺、こんなところで、友だちも、守るヤツも、できたけどさ……!日本のこと、ぜんぶ、すてるなんて、できねぇよ……!!」「サイトさん……」シエスタは瞳を閉じて、彼を撫でる。ゆっくり、ゆっくりその心を解きほぐすように。「サイトさん」「……」「わたしが、抱きとめてあげます。あなたの寂しさも、弱さも、全部受け止めます」「シエスタ……?」シエスタは才人の肩に手を置いて引きはがし、目を合わせる。彼が見上げたその瞳は、決意に燃えていた。肩越しに、双月が煌々と浮かぶ。「わかってるんです。サイトさんが、心の根っこではミス・ヴァリエールのことしか見てないって」「……」「でもいいんです。ここまで育っちゃった気持ちを捨てるなんて、わたしにはできません。もう決めちゃいました。たとえ傷ついたって、酷い目にあったって、もう、戻りません」言い切ると、シエスタは才人と唇を重ねた。「んっ……」――あ、したはいってる。才人はとりとめもなくそんなことを思った。意味もなく息をとめてしまう。シエスタの後ろには冴え冴えとした月が見える。その輝きを見惚れていたのか、才人は彼女のされるがままになっていた。「「ぷはっ」」二人の口を銀の橋がつなぐ。それは細くなり、やがては切れた。「だから、わたしの居場所も、少しは残しておいてくださいね?」黒髪の少女は微笑む。それは月明かりの下で、目を離せば消えてしまいそうなほど儚い笑みだった。しばらく才人は呆然としていた。シエスタは急に恥ずかしくなってきたのか、視線を彼の顔から外す。どんどん顔が熱くなっていくのを自覚していた。やがて才人はのっそりと立ち上がり、くるりと後ろを向いて、叫んだ。「イェーーー!!」「!?」そして走り出す。芝生の上を犬がはしゃぐように転げまわる。「イェーーー!!!」立ち上がり、月に向かって腕を振りかざす。両腕を真上に突き上げる。その寂しさを振り切るかのように、全力全開で叫んだ。「アウイェーーーー!!!! イェァーーーーー!!!!!」力尽きたように背中から倒れこんだ。どんっと鈍い音とともに草がぱらぱらと宙を舞う。その切れ端を風が運び、やがて地面に落ちた。シエスタは、この人大丈夫かしら? と不安げな目で見ている。「サイトさん?」「ありがと、シエスタ」草を払いながら才人は立ち上がる。そしてシエスタを見つめてにっこり笑う。「寂しいし、懐かしいのは確かだけどさ。女の子にあそこまで言われちゃ元気出すしかねぇよ」その笑顔にシエスタはきゅん、とときめいてしまう。胸にあふれだす感情のままに彼女は才人の胸に飛び込んだ。才人はそれを抱き留め、腕を背中に回す。強く、しっかりと抱きしめて、感謝の気持ちを伝える。「俺、シエスタに会えてよかった。本当に、感謝してるんだ」「……サイト、さん」空には変わらず白いお月様たち。群青色の空にぽつぽつと浮かぶ小さな灰色の雲は、風が早いのかすぐに形を変えていく。世界に二人しかいないような、静かな夜。少年と少女の影はいつまでも一つに……。「はなれて」「「え!?」」一つではいられなかった。19-2 ピンクの悪魔「ちょっろ、ひいへるの? ひゅるけ~」「はいはい、聞いてるわよ」この子、めんどくさっ! とキュルケは思う。――昨夜お酒であんなひどい目にあったのにまた飲むなんて……。学習能力がたりてないのかしら?それともこの子実はドMでひどい目にあいたいとか??すごく失礼なことを考えながら、キュルケは目前に座る少女を見る。木製のコップに注がれた赤ワインを舐めるようにして飲む少女、ルイズ・(後略)である。先ほどシエスタの声がしたと思ったらこの部屋にやってきたのだ。「それって、結局あなたが悪いんじゃないの、ルイズ」諸般の事情によりブドウジュースを飲みながらキュルケは返す。結局ルイズが悪い、今回はその一言に尽きる。せっかく才人が勇気を振り絞って愛の言葉を囁こうとしているのに。メイドが入ってきて驚く、ここまではいい。そのあとグーパン顔面に叩き込むのないわ、とキュルケは思う。関西人のように、ないわ、と思ってしまう。「れも、れも~、あんなろきに、はいっれこなくれも……」アニエス隊長のところに突貫した昨日ほどひどくはないが、ルイズもべろんべろんだ。顔がゆでだこのようになっている。「にしても『月が綺麗ですね』か。サイトの国には素敵な言い回しがあるのね、ハルケギニアのどの国よりも奥ゆかしいと思うわ」派手な身なりをしているがキュルケは淑女のたしなみとして様々な芸術に触れ親しんでいる。その中には当然詩もあり、彼女はかなりの知識を蓄えていた。しかしそんな遠回しな表現で自分の気持ちを伝えることはない。ハルケギニア人はストレートだ。――ロマリア人の口説き文句なんて、サイトの国にいけばむしろ浮いちゃうわね。昨今の日本ではストレートに言われたい女性が増えているらしい(未確認情報)なので一概にそうとは言えない。それはさておき、自分の部屋で飲んだくれるのはやめて欲しかった。「ほら、明日もまた授業があるんだし、もう寝なさいよ」「……や!」子供のように駄々をこねるルイズ。見た目と言動が一致して、キュルケは苦笑してしまう。「ほらほら、いい加減もう飲まないの」「ぅ~~」キュルケは窓を開けてコップに残る赤ワインを捨てる。水差しからぬるい水を注ぎ、ルイズに手渡してやった。その時、叫び声が聞こえた。それが続くこと四回。「あら、こんな時間に誰かしら?」「ぅう~~」ルイズはコップの中を見ながら唸っている。先ほどあけた窓から外を見下ろし、パタンと窓を閉めた。「さ、ルイズ。もう寝ましょ?寝つけないなら添い寝してあげるわよ?」「ぅ??」これ以上ないくらい優しげな笑顔でキュルケはルイズの手を引く。――アレはまずい。あんなのルイズに見られたらまた癇癪起こすに違いないわ。キュルケが見たものは、抱き合うシエスタと才人だった。しかもすごくしっかりと抱き合っていた。むしろ恋人にしか見えなかった。彼女はルイズをベッドに引きずり込み、軽く抱きしめてやる。「はいはい、寝ましょうね~」「ぁぅ……」背中を一定のリズムでとんとん叩く。そのリズムが心地よかったのか、ルイズはすぐに眠ってしまった。「はぁ……サイトったら、仕事増やさないでよ」今度何か奢ってもらおう、いや、あの『始祖の降臨祭・初恋風味』をジャンと二人に振舞ってもらおう。そう考え、やがてやってきた睡魔に身をゆだね、眠りに落ちた。19-3 大岡裁き「いやです!」「はなれて」二人を引きはがそうと、タバサはシエスタを引っ張る。シエスタはシエスタで引きはがされまいとより強く才人にしがみつく。なんというか、モテモテだった。「あの、お二人さん?」「「あなたは黙ってて!!」」「……はい」男はこういう時弱い。才人君は何も言えなかった。「あなたはずるい」「どこがずるいんですか!」「正々堂々って言った」「う……」タバサは見た目幼い。見た目だけではなく実年齢もシエスタより3つも下だ。そんな子どものじっと訴えかけるような視線にシエスタお姉さんは弱いのだ!タバサは次に才人を見る。「それに……わたしは抱きしめてくれなかった」「う!」今度は才人をじっとりと睨む。彼は一応(?)ルイズのことが好きなので、ほかの女の子は極力(??)見ないようにしているのだ!だがその努力が実ったためしはあまりなさそうだ。「とりあえず、わたしの部屋まで来てもらう」「だーめーでーすー!」タバサはさらに才人の腕をとる。シエスタも才人の腕をとっている。ひっぱる。結果、痛い。「痛い痛い痛い!」「はなしてください!」「あなたこそ!」さらに引っ張り合う。結果、超痛い。「痛い痛い痛いイタイイタイ!!」「彼のことを真に思うなら、手を放すべき!」「それはミス・タバサも同じこと!」「俺のために争わないで! ワリと切実に!!」ぐだぐだな引っ張り合いはその後三十分にわたり続いた。結局シエスタと才人はその晩、タバサの部屋で眠ることになった。