1-1 夏、時々快晴「あっち~」猛暑である。ハルケギニアは地球におけるヨーロッパと類似している。気候も似通ったもので、夏でもがんばれば長袖で通せる程度の気温・湿度だ。日本生まれの平賀さん家の才人君にとってはむしろ涼しいくらいだろうが、双子の月が輝く世界に来てから一年以上も経っている。こちらの気候に適応してしまったこともあり、パーカーの生地が厚いせいもあり、滴る汗は相当な量になっていた。デルフ片手にパーカーの首もとをパタパタやって風を送り込んでも、一向に涼しくなりそうにもない。――パーカー脱ぎてぇ、でもなぁ……ここトリステインの貴族階級において、半袖ははしたないモノだとされている。ノースリーブに至っては魅惑の妖精亭のようにちょっぴりいやんうふんな感じの店でしか見られない。貴族のお坊っちゃま、お嬢様方が御勉学に励まれる魔法学院でそんなTシャツ一丁にもなろうもんなら間違いなく彼のご主人様から鞭が飛んでくるだろう。ちくしょうめ、とぼやきながら、才人はぎらぎら光る太陽を睨みつける。視界いっぱいに広がる空は憎たらしいくらいに青かった。太陽は真上にあり、雲ひとつない。あまりに暑く眩しいので「コルベールフラッシュ!!」とか叫びたくなってしまう、いや、実際に才人は叫びそうだった。――それもこれもあのぎらつく太陽が悪いんだ。今なら何をやっても「太陽のせい」と言えば許される気がする。いや、ダメか、アレは結局死刑になったんだっけ?そもそも太陽のせいで人殺しが許されるならコルベール先生もそんな悩んじゃいないよな……彼はぼんやり眺める青空にコルベールがサムズアップする姿を見た。その幻影がすすすーっと移動し、太陽がコルベールの頭に見えてきた辺りで一度現実に戻ってきた。ワリと真剣な顔で「先生……俺、戻ってきたよ」とか言っちゃってる辺り限界が近いらしい。どうでもいい話ではあるがコルベールは今も生きている、というか魔法学院の研究室でせっせとハゲんでいるだろう。切り株の上に短い丸太を置いて一閃。スコールでも来れば少しは涼しくなるのに、とぼやきながら再びデルフを振り下ろす。「相棒よぉ、そのスコールってのはなんだい?」デルフの質問で才人が思い起こしたのは白くて甘い、喉ごし爽やかな炭酸飲料。そして次に脳裏をよぎったのは某有名RPGの主人公だった。――ああ、スコールもいいけどコーラ飲みてぇ。このあっつい中あの中毒者すらいる魅惑の飲料をぐびぐび飲み干したら……。「おーい、相棒やーい」ハッと意識が現世に戻ってきた。それもこれもデルフが変なことを聞くからいけないんだ、と半ば以上八つ当たりな気持になった。心持ち強めに薪を叩き割る。才人は貴族になったとは言え、香水入りの風呂を使おうとも思えず例の釜風呂のお世話になっている。さらに薪を割るならついでに、とマルトー親方を押し切って厨房で使う分も割っていた。「スコールってのは、もっと南の方であることなんだけどさ。こう、毎日のように一時間くらい降る土砂降りのことなんだ」へぇ、相棒は物知りだね、とのたまうデルタを振り下ろす。日本人としては夕立と言った方が良かったかな、と考えながら汗をパーカーの袖で拭う。いや、でも夕立は毎日来るものでもないし、とぼそぼそ考えながら更にデルフを振り下ろす。――それにしてもコーラか。あれもある意味水の秘薬みたいなもんだから、モンモンに頼んだら作れねぇかな。昔はホントにコカインを使っていたって噂もあるし。タバサに頼めば氷も作れちゃうし。こう、グラスを冷やしてちょっと高いところからコーラを勢いよく注いで、ぐいっと飲み干す!あの甘さが今の疲れた身体に入ってきたら……もー他に何もいらないくらい、炭酸がきっと喉にも心地良いだろうなぁ。もしコーラができたら、ジャンクな食べ物も欲しいよな。じゃがいもはトリステインにもあるから、ポテチも作れちゃうか。マルトー親方に頼めば塩味コンソメ何でもござれだろ。いや、フライドポテトにしてほくほく感を残した方がいいかも。BBQソースをたっぷりつけるのもいいし、海外ドラマでやってたバニラシェークにつけるのも向こうにいる内にためしておくべきだったな。むしろアレか、とうもろこしもあるんだからポップコーンか!?ポップコーンといえばキャラメル派だけど、コーラとのコンボなら断然塩味だ。あー、ガンガン冷房の効いた映画館とかでコーラ飲みながらポップコーンかっ食らいながらアクション映画でも見てえなぁ。今の俺ならどんなB級映画でも大満足できる気がするぜ。思考が不思議時空へ旅行している才人の手で、デルフはやれやれと剣のクセに溜め息をついた。「相棒は無理をしすぎるや。もちっと自分の欲望に素直になりゃあいいのによ……」才人を気遣うデルフだが彼はかなり欲望一直線だ。その上若干沸いている、頭が。今だって不思議時空に旅行していた脳みそが、ちょっと寄り道するか、と桃色時空に突入している。もはや日本なら通報されていてもおかしくない程アレな顔だった。――ぇ、シエスタそんなことまでしちゃうの、マジでいいの?ぐへへへへ。妄想の中でセーラー服を身にまとった黒髪の女の子と映画館行って、ゲーセン行って、その後は……。もはや顔が『記すことさえはばかれる』レベルに近付きつつあった才人の精神をサルベージしたのは妄想彼女の親戚だった。「こらサイト、あんたなんて顔してるのよ」「ぅえ゛!?」予想もしていなかった声に、才人は思わず振り向いた。そしてできるだけキリッとした顔でもう一度振り返った。「やぁ、久しぶりダネ、ジェシカ。君の瞳は相変わらず10万ボルトダヨ」「今更取り繕っても遅いっつーの」色々と台無しな再会だった。1-2 魔法学院校舎裏「で、なんだってこんなとこに来たのさ?」才人発案、コルベール印の手押し一輪車に薪を載せ、厨房に向かいながらジェシカに問い掛ける才人。魔法学院の周囲には何もない。トリスタニアに行こうにも虚無の曜日がまるまる潰れるし、ちょっと暇だから遊びに行くか、ということもできない陸の孤島に近い。コンビニが乱立する現代日本からやってきた才人には信じられない環境だ。そのためか貴族、使用人に関わらず娯楽に飢えている。常に面白いこと、新しいことはないか、と目を輝かせている人々も多く、噂話は音のように早く伝わる。それはさておき、ジェシカはハルケギニアではあまり見られない一輪車を興味深げに観察しながら、「まーマルトーおじさんに用があったんだけどさ、ついでにサイトにも聞きたいことがあったのよ」シエスタにも会えるしね、とほんのちょっぴりはにかみながら答えた。そんな彼女に純情な青少年代表(ど、にはじまり、い、におわる)である才人は暑さの補助もあってか瞬時に沸きあがった。――え、これフラグ?フラグだよな??ていうかコクハク寸前な感じ?いやー俺もモテるな参っちゃうなー。…フェイントじゃないよね?俺、モグラなのにイイノ??いやいや、でもアルビオンの英雄とか、そんな感じでもあるよね。虎街道でもがんばったし、平民の星だし。ココ、魔法学院校舎裏だし、ゼロのサイトチャマでもいいんだよね!教えてツンデレ閣下!!才人はラジオなのに沖縄ロケを敢行した、ヴァリエールさん家のルイズさんによく似たツンデレ大明神に祈った。ツンデレ大明神はよくわからないボタンを押した。途端脳内に響く『きゅんっ』という甘い声。イケる!才人は確信した。無論ジェシカに告白するつもりは欠片もなく、ワリと切実なだけどどーでもいい話をしにきたつもりだった。才人がでれっといきなり顔面崩壊することなど予想できるはずもなく、ずさっと距離をとった。「キモッ!」才人の精神は再び飛び立った。アレは中学何年生のことだったか、体育祭のフォークダンスの時だ。当時の才人は顔も悪くなく、性格も抜けていて負けず嫌い、とマイナス評価になるところはなかった。しかし沸き立つスケベ心だけはあったのだ。それが不特定多数の女子とお手々をふれあうことになったからさぁ大変。はじめの頃は良かった、まだ耐えれた。しかし、気になるあの娘が近づくにつれてどんどん妄想が膨らんでいったのだ。俗に言う、『ロマンチックがとまらない』状態だった。何故か踊っているのはオクラホマミキサーであるにも関わらず妄想の中のタキシードな才人とドレスを着飾ったあの娘は情熱的なタンゴを踊っていた。シャンデリアの煌めくホールで見つめあい、激しく踊る二人。他に誰もいないその世界で徐々に近付く二人の顔。やがてダンスはクライマックスを迎え、重なる二つの影。顔がでれでれと融けきった頃にあの娘の番が来た。「キモッ」と彼女が呟いた。バニシュ+デスよりも痛いその魔法は才人のトラウマである。――ああ、あの日も九月なのにこんな暑かった気がするぜ。トラウマを抉られた才人だが、涙は出なかった。あの日もぐっとこらえたのだ。――たとえ手と手が微妙に触れ合っていないフォークダンスでも俺はやりとげたんだ、このくらいなんでもねぇや…っ!いきなり表情が平淡になり、顔を落とし、肩を震わせはじめた才人を不思議そうに見るジェシカだった。ツンデレ大明神は、やれやれこれだからヒラガチャマは、と首をフリフリ、ボタンを押した。『キューン!』筆舌に尽くしがたい声が響きわたった。1-3 マルトー親方の憂鬱外は暑いが中はもっと暑い。特に厨房は火を使うので倍率ドン!だ。しかも貴族の子女が通われる魔法学院だ、どれだけ暑くても半袖は許されない。そんな蒸し暑い中、シエスタは奮闘していた。既に女王陛下より才人の専属となるよう命令を受けているが、何事も助け合いということで、特に用がないときは使用人たちの手伝いをしている。近頃は暑さのせいで水精霊騎士団の演習も控えめとなり、毎日のように手伝いをしていた。そんながんばるシエスタさんを見ながらマルトー親方はうんうん、と腕組みしながら頷いている。――シエスタはホントに良くできた娘だ。その主人、我らの剣も負けず劣らずだ。マルトーは二人のことが大好きだった。平民の星と言っても差し支えない才人の専属となったシエスタ。普通の使用人なら偉ぶって驕るであろうところを彼女は変わらず働いている。桃髪の貴族と恋の鞘当てをやらかしているらしい。だがそれがいい、とマルトーはにやっとした。そして何よりも、我らの剣こと平賀才人だ。シエスタ以上に遠い存在になる、とマルトーは確信していた。しかし、彼はそんな確信を容易く覆して見せた。――貴族になってもアイツは何にも変わりやしない。他の貴族どもが残しちまう料理でも残さずペロリと平らげ、食ったあとは厨房に顔を出してみんなと笑いあい、ついでだからと厨房の分の薪まで割ってくれる。まるで平民が空想した英雄のような男になった。水精霊騎士団の連中も才人と関わってから平民だからと無体を働く真似は一切しなくなった。才人はきっとトリステインをどんどん変えていってくれる、希望を見せてくれる。子供のいないマルトーにとって、才人は息子のようなものだ。厨房の面々にとってはまさに誇り高き『我らの剣』だろう。さて、そんな才人が無表情で厨房にやって来た。隣にいるのは魅惑の妖精亭オーナー、スカロンの一人娘、ジェシカだ。ジェシカはジャムの瓶が開かないときのような、少し困った顔で頭をかいている。この暑さで売り上げが落ちているらしく、先ほど知恵を借りにやって来たがいい助言はできなかった。シエスタの従姉妹でもあるので協力を惜しみたくはなかったが、マルトーにもいい考えが浮かばなかったのだ。しかし今はそれ以上に才人のことが気にかかる。「どうしたぃ、我らの剣?そんな顔しちまって」「ちょっとこの暑さで惚けちゃったみたいで……。水一杯とシエスタ借りれます?」それならいいが、と少し納得はいかないが木杯に水を汲み、シエスタを呼んだ。シエスタは能面のような無表情の才人を見て目を見開き、その隣のジェシカを見てさらに目を剥いた。そんなシエスタの手を引っ張り、才人の背中を押してジェシカは厨房から出ていった。――今日の晩飯は量と油を控えた方が良いかもしんねえな。連日の暑さで残飯の量も増えている。潤沢な量の食材が与えられていてもマルトーはそれらを無駄にするつもりはなかった。最近ではいかに貴族達に残さず食べさせるか、という課題に厨房一同で取り組んでいるのだ。「お前ら!休憩は仕舞ぇだ!!」よし、晩の仕込だ、と頭を切り替えてマルトーは彼の戦場に戻る。