16-1 10倍のなにか五分もしないうちにモットの前に木製のジョッキと皿が並べられた。「ふむ……」皿をじっと眺める。見たことのない調理法だ。「どうやって食べればよい?」「串をもってかぶりつく、とシュヴァリエ・ド・ヒラガ殿は申していましたが……」なるほど、とモットは頷く。風習は土地それぞれ、極力そこに合わせた方がいい。ロマリアに入っては坊主に従え、という言葉もあるくらいだ。彼はどこか野性的なその食べ方を選択した。「む」口に入れた瞬間独特の香りが広がる。――今までに食べたことのない、不思議な味だ。しかし、若干とろみのあるソースは決してマズくない、むしろ美味い。どこか煙の香りを感じるところがまた素晴らしい。鶏肉を噛めば肉汁があふれ出てくる。次いで、モットはジョッキに手を伸ばした。以前飲んだ、苦いうえ後味が口の中にべったり残る感触を思い出す。ふぅ、と一息つき、一気に飲み干した。偶然にもそれは美味しいエールの飲み方だった。――以前のモノとは違う。モットが以前飲んだエールは輸送状態が劣悪だった。そのためエール本来の香りが逃げてしまい、コクは酸化によって変化してしまった。「なんだ、いけるではないか」冷やしたエールはのど越しもよく、モットは爽快感に満足する。誰とも話すことなく、誰にも話しかけられることなく食事は続く。チップをもらった妖精さんはきっちり仕事をしてくれたようだ。「ふぅ、なかなかのものだった」モットは彼なりに高い評価を下す。そして料理人を呼ぶかどうか、悩んだ。貴族の常識からいえば、料理人を呼び讃えることは、何にも勝る褒美だ。誰それにお褒めの言葉をいただいた、と言う事実があればそれだけ高く評価される。しかし、ここは平民の店。繁盛しているようだし、と彼には珍しく平民を気遣ってしまう。だが、結局貴族の常識をもとに行動した。「おい、お前。料理人を呼んで来い」「え? は、はいかしこまりました」クレームをつけられると勘違いしたのか、妖精さんは青い顔ですっ飛んで行った。モットは考える。なんという賛辞を下賜しようか、と。――素晴らしい味だった、精進せよ。うぅむ、簡潔すぎるな。このエールとヤキトリはもう少し捻ってもいいくらいには私を満足させた。高い技術と料理に対する探究心が感じられる、また来よう。うん、これはいいな。なにより見た目が粗野とは言えども未知の味付け、それに火の通り具合も完璧だった。しかし、また来ようというのは持ち上げすぎか?モットがうんうん考えていると妖精さんが戻ってきた。彼は、ええいままよ、と思いながら料理人に目を向けた。そして、そのまま目を奪われた。「あの、お客様?どうかなされましたか??」「あ、ああ……」黒い髪、黒い瞳、なるほど料理人はシュヴァリエ・ド・ヒラガゆかりの者であるようだ。ただ、何よりもモットの目を引いたのがその服装だった。――なんだ、この服装は。今まで見たことがない。エルフと交易を結ぶ商人に似姿を描かせたこともあるが、違う。わからん、いったいどうしたらこのような服にたどり着くのか。しかし、少しだけ見える鎖骨がなんとも……。「すまんが、君と二人で話したい。外せるか?」「はぃいっ!」妖精さんは飛び上がってまた引っ込んでいった。黒髪の少女、ジェシカは笑顔で、だが怪訝な目でモットを見ている。「いや、すまない。その服装は、どこかで求めたものなのかね?」先ほどまでの妖精さんに対する態度とは打って変わって優しげだった。彼は平民は平民である、貴族と並び立つモノではない、と考えている。だが同時にこうも考える、極稀に下手な貴族とは比べ物にならない人物がいる、と。ある一点だけでも価値を認めればモットは丁寧に対応する。ジェシカはそのお眼鏡に適ったということになる。「これは、曾祖父の故郷の衣装です。ユカタ、と言って気軽に着るものです。サイト、いえ、シュヴァリエ・ド・ヒラガ様の故郷でもあるニッポン、その伝統的服装だと聞いています」モットは鷹揚に頷いた。そして、ジェシカの手に十枚のエキュー金貨を落とした。「これが勘定だ、余った分はチップにするといい」未知の服装を知る。トリステイン三羽烏による賢人会議と同様の満足感を得たモットは気前よく金を払った。ここトリステインの飲食店は基本的に料理と引き換えに金が支払われる。だが、貴族はそれに当てはまらない。食事後に、自分の認めた価値を払う。それが元々の値段よりも低ければ平民の間で笑い話になる。料理人はしょんぼり肩を落として引き下がるしかない。しかし、素晴らしいと認めれば一部貴族はふんだんに謝礼を払う。平民が利用する店を使うような連中から言わせれば十エキューきっかり払うのが「粋」であり、最高級の賛辞らしい。一か月分の生活費で遊ぶもよし、増やすもよし、備えるもよし。あまり際限なく金を払って身を持ち崩してその店がつぶれるのを避けるため、このような「十エキュールール」が制定された。言いだしっぺは前マンティコア隊隊長、現魔法衛士隊総隊長ド・ゼッサールである。もちろんそれは平民の口にも噂に上ることがある。当然受け取ったジェシカは仰天した。それでも、にっこりと最上級の笑顔を作り、ジョッキと皿を手に取って席を後にした。その瞬間、モットは「ライトニング・クラウド」を受けたかのような衝撃を感じた。――なん、だと!?今のジェシカは黒髪をポニーテールにしている。そしてその肌は厨房の暑さのせいでほのかに、桜色に染まっている。モットはその光景にくらくらした。――うなじ。浴衣の首元は洋服のそれと違い比較的自由が利く。それでも、ふつうに着ればそこは見えないはずだった。だが厨房はあまりに暑い。ジェシカは浴衣の肩を着崩して涼を取っていた。才人が見れば迷わず飛びついたかもしれない。対してモットは大人だった。――これが、これが、チラリズムか。エロフどもめ、メイジ10人分というのは伊達じゃない。大人だったからこそ、冷静にそのエロスについて考察することができた。エルフがメイジ10人分というのはその戦闘力であって、別にエロさが一般人の10倍というわけではない。――なんということだ。今までの賢人会議では乳・尻・太ももについて存分に議論してきた。鎖骨についても議題にあがったことはあった。だがこのユカタという着物はなんだ?今まで我々が注目してこなかったうなじの魅力を引き出している。いや、もはやこれは魅了の魔法に近い。「待ってくれ!」思わずモットはジェシカを制止した。「その、ユカタというのはどこで手に入る?それとも作らねばならないのか??」「ユカタなら、おそらく手に入れる手段は一つです。タルブ村の、私の曾祖父の家系が作るしかありません」モットはうめいた。普段の彼ならジェシカごと買おうとしたかもしれない。だが、そんなことを思いつかないほど彼は浴衣の魅力にやられていた。――素晴らしい!これがあれば次の賢人会議、活発な議論が期待できる。それどころかこれをトリスタニアの城下で流行らせれば……。モットは今のジェシカこそ正しい浴衣の着方をしている、と勘違いしていた。本来はもう少しかっちりしている。彼はその邪な野望を感じさせることのない、きりっとした顔でジェシカに言った。「二百エキュー払おう。そのユカタを二日、いや、できれば明日の夜までに一着仕立てていただきたい」16-2 ミシェルの日記商人子女連続失踪事件の手掛かりを手に入れた。知らせてくれたのは女王陛下のお気に入り、シュヴァリエ・ド・ヒラガだ。彼からは格式ばらないでいい、とも聞いているし、報告資料ではないので以下サイトで統一する。ただ、この日記はいずれ提出する報告書の元になるものだ、手は抜けない。ターゲットにされている可能性が高い女性。黒髪長髪、タルブ村出身、背は標準、発育はよい、名前はジェシカ。魅惑の妖精亭店長スカロンの一人娘であり、店でも一番の娘だそうだ。見た目は素晴らしい美しさ、というわけではないが、愛嬌があり話がうまいらしい。容姿は今まで失踪した子女とよい勝負だろう、とアタリをつけている。ただ珍しい黒髪に誘拐犯が希少価値を感じる可能性は大いにありうる。油断は一切できない。罪を犯した私に温情を下さった女王陛下、そして受け入れてくださったアニエス隊長に報いるためにも、今回の件は全力を尽くす。五時店開店。信頼できる部下のステファニーとともに入店。ステフは喧嘩っ早く口が悪い。だがそういうところがこういった店の雰囲気に合うだろう。おそらく私一人では浮いてしまう。「ミシェル副隊長、これって公費で落ちますかね??」まだ無理だ、というとヤツは肩を落としていた。どうやら国の金で遊ぶつもりだったらしい、けしからんヤツだ。適当に注文する。私は任務のつもりなので酒を飲む気はなかったが、ステフのヤツに諭される。「こんな店来て顔赤くしてない方がまずいですってば」言われてみれば、と思い安ワインを注文する。あまり酒には強くないがこれも仕事だ、仕方あるまい。店は開店直後だがある程度にぎわっている。これはただの勘だが、今のところ怪しいヤツはいない。「あ、これチョー美味しい」ステフは周りに気を配ることなく飲み食いしている。「あからさまに二人ともきょろきょろしてるとまずいですよー。私が店の入り口側、ミシェル副隊長が奥側をお願いしますね」いや、見た目に騙されてしまった。私はどうにもこういう任務に向いていないようだ。確かに彼女の席からは入り口、私からは奥側が見やすい。ワインをちびちび舐めながら料理に手を伸ばす。うまい。少し変わった味付けだ。「ぶっ!?」店に入って一時間もしないうちに、いきなりステフが噴き出す。汚い。ワインの染みはなかなか落ちないからそんな興奮しないでほしい。「も、モット伯ですよアレ。しかも王宮用の服装着てます!」店の奥に行ったのは、なるほど確かにモット伯だ。ある意味これ以上ないほど怪しいが、彼は間違いなく潔白だ。なぜなら、彼は女を買う際いっそ清々しいまでに隠さない、恥じない、金を惜しまない。誘拐などという後ろ暗い手段には走らないだろう。奥まった席に行ったにも関わらずモット伯が顔を出す。目があったので目礼を返した。あれで優秀な方だ、これで隠密任務と理解してくれるだろう。気づけばテーブルの上には白い泡が立った大きなジョッキとよくわからない肉の串が来ていた。「これ、すごいっす! うまいっす!!チョームカつく! でもうまいから許す!!」肉を頬張り、エールを流し込む。ステフはこれ以上ないほど店に溶け込んでいた。こういった任務はおそらく彼女の方が適任だ。見習って私もエールを流し込む。よく冷えていてうまい、肉もあつくてうまい。酒に弱い私でもこのエールの冷たさには勝てなそうだ。しばらく飲み食いを続けていると、ターゲットがモット伯の席へ向かう。五分ほどたったころ、ターゲットが席を離れる。同時にモット伯が彼女を追いかけ、何か言い募っている。無礼討ち、といった雰囲気は感じない。ひどく興奮している。やがて何か言質をとったのか彼は珍しく、すこぶる上機嫌だ。どうやら何かいいことでもあったようだ。王宮を歩いているときはデムリ財務卿などと喋っているとき以外はむっつり黙っているのに。今は満面の笑顔だ、子供でもあんな顔をしないと思う。「副隊長……無邪気な笑顔って、イイですよね」ステフも店の奥側を覗いていた。どうでもいいがコイツは趣味が悪すぎる。モット伯が店を出る。大体開店から一時間半ほど時間がたっている。あまり長時間居座っても怪しまれる。ここらへんで交代要員と入れ替わることにした。「え? もーちょっとこのヤキトリってヤツとエールを飲みましょうよ」厳密に言えば、今は勤務時間ではない。私は真面目すぎる、と文句をよく言われるのでたまには彼女に合わせるのもいい。それに見張り方を教えてくれる彼女がいなければ明らかに店内で浮いていただろう。「マジですか!?明日はじゃあ雨だなぁ……」失礼なことを言うステフを叩く。それにしても、酒のせいか暑い。エールを呷る、冷たくてうまい。ヤキトリを齧る、熱くてうまい。「あの、副隊長?」目の前で誰かが何か言っている。ヤキトリにかぶりつく、熱くてうまい。「副隊長ってば~」熱いうまい。あつい うま