15-1 蝉っぽい味になる予感「ジェシカぁ、いるかしら~?」「なぁにぃ、パパ!」魅惑の妖精亭、店開き直前。スカロンはジェシカの部屋に入った。「あなた、今日からこれで店に出なさい」「え!?」スカロンが持ってきたのは、ハルケギニアではまずお目にかからない衣装だった。若草色の大きな布地に、白い太い帯。ワンピースやTシャツとは違い、首を通すべき穴などない。袖はゆったり、たっぷりと大きい。広げればかなりの大きさになり、全身を隠してしまえるほどだ。どちらかといえばカッターシャツに構造は近い。しかしボタンなどは見当たらず、このままなんとかして着ようとしても身体の前がモロに出てしまい、いやん、なんてジョークじゃすまされないほどだろう。「これ、『ユカタ』じゃないの。なんだってこんな野暮ったいの、店で着なくっちゃいけないのよ」佐々木家伝来の浴衣である。魅惑の妖精亭は、男にいけいけごーごーな気分にさせるために露出激しい衣装を採用している。スカロンなんて身を削って、あるいは趣味か、珍しいタンクトップ一丁だ。それはさておき、ほぼ肌を覆い隠してしまうような服装は避けるべきだった。まず客受けがよくない。目標の一つを潰してしまうのだ、当然チップもいただけない。そして、従業員の反感を買う。みな恥ずかしいのを我慢して露出の激しい衣装を身に着けているのだ。そんな中一人だけ違う和装。しかも店長の娘。反感は避けられなかった。「ジェシカ、あなたの言いたいこともよくわかるわ。だから、今日は厨房担当よろしくね。あそこならそんな服着てても誰も何も言わないわ。むしろ気の毒に思われるかもね」スカロンは茶目っ気たっぷりにウィンクする。厨房は常に火を焚いているので暑い。夏場ならなお暑い。いくら浴衣が薄手でも汗まみれになってしまうだろう。「パパ、あたしがホールでないでどうしろ、っていうのよ」チップレースの期間中だけでなく、ジェシカは店のトップだ。彼女目当てにやってくる客は多く、その分店の儲けも大きくなる。彼女を引っ込めるにはデメリットばかりが多く、メリットが少ないように見えた。「あなた、昨日サイト君の横で料理見てたじゃない。いくつか再現できるでしょ?新しい店の料理としてじゃんじゃん出すわ!」「うっ」そう、ジェシカは才人の料理を隣で観察していた。だが観察していたのは料理ではなく、才人自身だった。しっかりきっちり彼の料理を再現できる自信は全然ない。でもそんなことを言うのは恥ずかしすぎてとてもじゃないができそうになかった。「でも、やっぱり売上落ちるわよ。あたしがホールにいないとお酒すすまないお客さんもいるんだし」「ジェシカ」娘の肩に手を置く。スカロンは母のように優しい眼差しでこの世の心理を告げる。「男はバカなのよ」「へ?」ジェシカは唐突すぎるその言葉にびっくりした。パパも一応男じゃん、と思いながらも父の声に耳を傾ける。「いいこと、お気に入りのあの娘の手料理。どんなヤツでも大枚はたいて買うわ。むしろあなたが厨房に入れば、その分売り上げが伸びるのよ!!」ギリギリまで吹っかけるわ! とスカロンはいい声で商人らしいことをのたまった。なんというか、ガルムを売ってくれた温泉技師とは大きな違いである。しかしこれはスカロンの建前に過ぎない。彼は、ただ一人の娘を思いやっていた。「もちろん、隣でじっっっと見てたんだからできるわよね?ミ・マドモワゼルはその程度にはあなたに料理を仕込んできたんだから」「う、うぅ……」ジェシカは窮地に立たされた。できない、なんて言えばなんと追及されることやら。俯き呻くしかできなかった。「はぁい、決定ね!じゃあ早くユカタ着て厨房に行きなさい。ちゃんと着付け方、覚えてるわね」「そりゃ覚えてるけど……。やっぱりいきなりホール休むの悪いわ。そう! 何日か前に告知してからやりましょ?」この期に及んでジェシカは往生際が悪かった。スカロンはやれやれ、と首を振り腕で大きなバッテンを作った。「だめっ!あなたは今日厨房!」「うぅう……はい、パパ」しょんぼりジェシカ。ドアを閉めると渋々浴衣を身に着けはじめた。スカロンはジェシカの部屋から離れると、手をほほにあて、息をついた。「はぁ……わたしも親ばかなのかしらね」店に出ている以上、娘と他の妖精さんを区別することは本来なら許されない。反感を呼び、チームワークを乱し、足の引っ張り合いになるからだ。それでも、スカロンはジェシカに幸せになってほしかった。母親を失って十数年、親らしいことをマトモにできなかった、と後悔していた彼(あるいは彼女)は、娘の初恋を全力で応援してやろうと決意した。たとえ従姉妹のシエスタや貴族のルイズが敵にまわろうとも、できうる限りのサポートはしてやるつもりだ。今回の件も。――サイト君、ごめんなさいね。才人が武雄氏と同郷であることはすでによく知られている。そして浴衣は武雄氏が故郷を思い、記憶を頼って妻と織り上げた、ハルケギニアでは佐々木家以外に存在しない衣装だ。浴衣を見て才人は何を思うだろうか。――普通なら、親近感を覚えるわ。でも今は、今ならもっと攻めることができる。浴衣を見れば懐かしさからよりジェシカと親しくなるだろう。普段ならそれで終わるかもしれない。しかし、今才人はジェシカの護衛を引き受けている。郷愁を誘う少女と危険な事件にあえば、危険な事件でなくとも緊張感が普段よりも強い生活を強いられればどうなるだろうか。――この事件、利用させてもらうわ。スカロンはただ愛娘の幸せのため、鬼になる決意をかためた。正直見た目は鬼よりもアレだった。15-2 料理の鉄人・入門編「えぇっと、サイトはどうやってたっけ」「まずソースよね」「ガルムは結構おいていってくれた、量は気にせず使えるってわけね」「確か、砂糖とニホンシュモドキとガルムだったかな?」「えっと鍋にいれてことこと火にかけてたはず……」「どばどばどば~っと、これくらいの分量だったわね」「念のためメモしておきましょ」「ん~、表情とか手捌きだけなら思い出せるのになぁ」「……」「なし! やっぱ今の独り言なし!!」「あぁっ、底焦げ付いてる!?」「うぅ、苦い、焦げ味する」「はぁ、やりなおし」「今度はおたまでかき混ぜながらやりましょ」「あっついな~、髪あげますか」「そういえばサイトはどんな髪型……」「っと、あぶないあぶない」「またかき混ぜるの忘れてたぁ」「サイトめ、そう好き勝手やらせないわよ」「って違うわよ!!」「ん、確かこんなとろみだった」「お~こんな味こんな味」「やればできるじゃん、あたし」「これでサイトにも作ってあげれるわね」「だから違うのよ!」「そう、そういうのじゃなくって」「ほら、サイトって子犬みたいじゃない?」「だから餌をあげるみたいな、そんな感じ」「そうそう、そういう理由」「……はぁ、どうしてこうなっちゃったんだろ」以上、ジェシカさんの厨房での独り言でした。15-3 どろり濃厚モット伯モット伯はトリスタニアの西区、ブルドンネ街近くの貴族街に別宅をかまえている。虚無の曜日には身分を偽って平民に混じり、通りを散策する趣味をもっていた。「それにしても暑い……」生来の性格か、彼は好奇心が強い。それが派手な女遊びに繋がっていたりもするが、毎回のお茶会を楽しみにしていた。オスマン老、デムリ財務卿との討論は毎度楽しく、新しい発見に満ち溢れている。異世界からの本を手に入れたときのような満足感を今回も得ていた。その良機嫌のまま、王宮に上がるような格式ばった服装でブルドンネ街に来てしまった。あからさまに高級貴族の雰囲気をまとうモット伯を避け、彼の周りには空白ができている。それでも日が落ち切らないうちは暑く、彼はどこか飲み物を供する店を探した。「くっ、ないな……」あたりを見回してもそれらしき店舗は見えない。モットは人が流れるままに移動をはじめた。そして、少し行ったところでひときわ明るい店を見つけた。平民が多数出入りしており、繁盛しているようで店の中は騒がしい。「えぇい、あそこでかまわんか」人の河をかき分け、モットは魅惑の妖精亭に立ち入った。『いらっしゃいませー!』さっそく妖精さんの歓待を受けるモット。意外なことに彼はこのような店ははじめてであり、案内されるがままに奥の座席へ座った。店の様子が見えないかわりに、ぶしつけな視線を送られることもない。彼は席の場所にまずまず満足してある妖精に、何か飲み物と軽く摘まむ物を、と注文した。これにオーダーを受けた娘は困ってしまった。なにせモット伯の今の格好は街の居酒屋にいるべき人物ではない。もっと優雅なところにいるべき服装だ。彼は気を利かせ「店に入ったのは私だ、何も文句は言わん」とだけ言った。妖精さんは急いで厨房へ駆けて行った。――ブルドンネ街にこのようなところがあったとは。私の散策もまだまだ未開の地が多い。しかし、よくないな。モットは妖精さんの衣装に注目した。――露出は多い、ひらひらしている。だがそれだけだ。昼に議題として提示された衣装、そこに提示するほどのレベルではに、とモットは判断を下した。続いて店の喧騒に耳をそばだてる。先ほども述べたように、彼は平民が利用する居酒屋に来たことはない。持ち前の好奇心が首をもたげたのだった。――このようなところで、平民は何を食べ、何を飲み、何を話すのか。わざわざ奥まった席にいるのに、顔を伸ばして店内を覗き込む。大半の男たちは小さめの木製のジョッキを手に語り合っている。時折酔っ払いがジョッキ同士を打ち付ければ赤い液体が宙を舞う。銘柄はともかく赤ワインを飲んでいるのか、とモットは納得した。机に並んでいるのも魚介類であったり、牛肉であったり、腸詰であったりと彼の知識を逸脱するものはない。次に、彼は見覚えのある顔を見つけた。テーブルに向かい合っている青髪と、茶髪の女性。銃士隊副隊長のミシェルとその部下だった。ミシェルがモットに気付いたのか目礼を送ってくる。どうやら隠密の仕事らしい。彼はそのまま視線を巡らせた。ふと、一回り大きなジョッキが存在することに彼は気付く。しかもたっぷりと汗をかいており、宙を舞う液体も金色をしていた。大きなジョッキを携える彼らの机には、串にささったよくわからないモノがあった。「お前、そこのお前だ、少しいいか?」モットは上級貴族らしい尊大な物言いで先ほどの妖精さんを呼び止めた。「はい、なんでしょうか?」「あの連中、今ジョッキを打ち合った連中だ、彼らが飲んでいるのはなんだ?」「エールでございます。氷室でよく冷やしたエールです」「氷室で冷やしたエール?」エールは麦から作る酒で、アルビオンの名産だ。しかしトリステインをはじめとする空にない国ではあまり人気がない。モットも飲んだことはあるが、そこまでウマいとは思わなかった。「では、あの皿の料理はなにか」「アレは、シュヴァリエ・ド・ヒラガ様の故郷の料理、『ヤキトリ』といいます。鶏のもも肉を特製のソースにつけこんで焼いたものです」シュヴァリエ・ド・ヒラガ! と彼は目を剥いた。昼も若き英雄の話は出ておりなにか因縁めいたものを感じる。俄然その料理に興味がわいた。「気が変わった、オススメのものではなくエールと、そのヤキトリというのにしろ。これはチップだ」モットは妖精さんの手のひらにエキュー金貨を五枚落とした。平民の半月の生活費である。妖精さんはまず手のひらをまじまじと見つめ、モット伯の顔を見て、もういちど手のひらに目を落とした。「いそげ、私は喉が渇いている」「それと」モットは言葉を連ねる。「食事は静かに、というのが私の信条だ。酌も何もいらん、ただエールと料理を急げ」