14-1 ルーレットは回り続ける――今日はついてない。才人はモグラへ退化した。ヴェルダンデに泣きついて、膝を抱えればすっぽり埋まるほどの穴を掘ってもらう。入る。嘆く。モグモグ言ってみる。背中のデルフはカタカタ揺れるだけで何も言わなかった。ため息をつけば肺どころか体中から空気が抜け、しぼんだ風船みたいになってしまいそうだった。彼はむしろそうなりたかった。――いや、照り焼きバーガーは美味しかった。焼き鳥も旨かった、厨房のみんなも喜んでくれた。でも……。もう一度ため息をつく。夕日が穴の中にまで差してくる。彼は最近、といってもここ三日ほどルイズとあまり話をしていなかった。なにせ忙しい。――最初は暑いから、授業に顔を出さなくなって。ジェシカが来て、料理の話して、見送って、怪しい雰囲気を感じ取って。遅くに帰ってきたらタバサに座られて、シエスタに一時間怒られて、謝ったら部屋をたたき出された。二日前のことを三行でまとめてみる。――朝起きたらタバサの部屋で、トリスタニアいって、騒がれて、連行されて、しょうゆみつけて。スカロン店長に頼み込んでレシピと秘蔵の日本酒モドキももらったんだっけ。昨日のことは二行。だが今日の出来事は。――早朝シルフィードが迎えに来たから乗って帰ったら、部屋の前にナニカあった。それ片づけて部屋ちょっと掃除して、照り焼きバーガーつくって。焼き鳥も食べて、訓練して、対抗して、追いかけっこして。でも空中装甲騎士団とは打ち解けて。あれ、そんなに悪く、ないか?良くも悪くも彼はポジティブだった。いいところを探そう、と言われるまでもなく悪いことを忘れていくので、いいところしか見つけられないタイプだった。そもそも、ルイズとここ最近話していない、という問題点を忘れている。クルデンホルフ大公国所属の空中装甲騎士団は、以前水精霊騎士隊と反目していた。しかし何が幸いするのかわからないこの世の中、才人を追いかける、という目的の中すっかり仲良くなってしまった。才人・ハントが終われば騎士団代表は「なにかあったら言ってくれ、なんだって力になってやる」と力強い言葉までかけてくれた。―冷静に考えたら、照り焼きバーガーの時点でプラスもプラス、大勝利だろ。何に勝ったのかはよくわかんねーけど。コイツさえあればあと十年は戦える!うん、やっぱり人生って美しい!!才人は人間に進化した。先ほどまでうつむいてモグモグ言っていたのがウソみたいだった。垂直式に掘られた穴の中から飛び出し、大きく伸びをした。「んんっ……!」「やぁっといつもの調子に戻ったな、相棒」今まで沈黙を保っていたデルフも話しかけてくる。よくできた男(?)である彼(?)は空気も読める。男には誰しも一人でいたい時があり、そういう時に話しかけられてもうっとうしいだけだ、と経験から学んでいた。「おぅデルフ、俺はいつだって元気だぜ」才人も嬉しそうにデルフに返す。腰を下ろし胡坐をかいてから、穴の脇に置いてあったリュックサックをあさり、迷わずにひとつ、まるい紙袋をもぎ取った。「デルフは醤油あんまり好きじゃないみたいだけど、コレはすっげー上手いんだぜ?一口食うか??」がさごそ開いた紙から照り焼きバーガーが姿を現した。ニヤニヤ、というよりはウキウキしながら才人はバーガーにかぶりつく。「いや……いいよ、相棒。気持ちは嬉しい、すっげー嬉しいんだよ」「ほうか?んぐっ、やっぱ美味しい。なら、遠慮なく全部食うぜ」あと、もし次やるなら醤油とやらを拭いてから鞘に収めてくれ、とデルフは嘆願した。鞘の中はところどころ、黒い液体が付着している。早く処置しないとトンでもないことになりそうだった。「……サイト?」「んぁ、はばは??」背後からの声に、大口開けてハンバーガーをくわえながら振り返る。雪風の少女が、その身を黄金に染めながら佇んでいた。背丈よりも大きな杖を右手に、才人の目をじっと見る。その視線はつつーっと彼の右手にうつった。「なにそれ?」「んんっ、っと、夕食だよ夕食。ルイズは結局許してくれないし、食堂とか厨房にいけないんだ」タバサはなおもじっとそれを見る。「ああ、俺の故郷の味で、照り焼きバーガーっていうんだ。一口食べる?」ずいっと才人はそれを突き出した。――どうしよう!?このシチュエーションは知ってる、わたし知ってるわ!ああ、ちょっと幸せすぎて錯乱しちゃいそう!!タバサ困っちゃう!十分錯乱していた。思いがけぬ間接キッスのチャンスにタバサは顔を染める。自分から謀略をしかける際は、覚悟完了してるタバサさん。才人から攻めてくるとは思わず、反撃の余地がない相手が実は後方に周って突撃された時のように、混乱してしまう。それを勘違いする才人。「ん、いらないか。タバサもこういうの好きそうな気がしたんだけど」「ぃぅ、いるっ!」噛んだ。金色の光を浴びながら顔は赤く茹っていく。才人はその様子に微笑ましさを感じて笑ってしまう。「も、もぅっ!」タバサは新・必殺技「照れ隠しアタック」を繰り出した。腕を振り上げて才人をぽかぽか叩く。シルフィードをオシオキするように、杖を使ったりなんかはしない。物理的打撃を加えるのではない、精神的打撃を与えるのだ! と指南書に書いていた通りに、タバサは再現を試みる。からかわれた時などに使う、弱点持ちならば即死級のダメージを負うはずだった。「ははっ、ごめんごめん」しかし、才人には全く効果がなかった。それもそのはず、ハルケギニアで一番ツンデレを扱っている男は伊達じゃない。ルイズなんか似たような動作を致死性の攻撃にのせて行うのだ。そういう照れ隠しは命に係わる、と魂の奥底に染みついた才人にとってむしろ違う意味で精神的打撃を受けてしまう。「おっと」がくっと膝が折れ、タバサは才人の胸の中に倒れこむ。彼は避けようともせずタバサを抱きとめた。そしてはっとして腕をほどく。「ごめん、反射的にやっちまった」――むしろもっとやってほしい!!タバサたんは流石にそこまで言えなかった。才人の瞳をじっと見る。彼は視線を逸らして照れ笑いをしていた。その瞬間タバサは光の速さで考えを巡らせた。一瞬で脳内タバサ会議が招集され、各人員が席に着く。五人の二頭身タバサたちが円卓につき、戦略を立てる。――今こそ押すべき、異論は?王様タバサが意見を募る。――ない、体当たりで胸に飛び込む。将軍タバサが基本方針を示す。――なるべく強く、かつ痛くない程度に。軍師タバサが心証を考え補足する。――ルイズが食堂にいる今がチャンス。斥候タバサが状況を述べる。――早食いで出てきたかいがあった。補給タバサが自分の早食いを讃える。――今ならシエスタも来ない、押して押して押すべき。軍師タバサがさらに有利な点を告げる。――いつまで、どこまでいくべき?王様タバサが再び問う。――どこまででも!四人のタバサの声が重なる。――反対意見なし、突撃します。王様タバサが決断する。タバサ会議は開始二秒で解散した。むん、と気合を入れて、もう一度彼の胸に、今度は自分から飛び込んだ。夕焼けで世界は山吹色に染まっている。背の高い草がさらさらと揺れていた。――恋愛小説みたい。とさっと軽い音がする。才人は食べかけの照り焼きバーガーを落としてしまった。タバサは彼の背中に手を回す。「たば、さ?」才人はなにか、ありえないものを見たかのように固まってしまった。風がやむ。時が止まる。世界に心臓の音しかなかった。「ん……」タバサは才人の胸に顔をしっかりうずめ、脱力した。才人の頭はすでに混乱しきっていて状況が流れるままにまかせている。このままではよくないことになりそう、でもどうすればいいのかわからない。「はぁ……」タバサが大きく息を吐いた。そして、うずめていた顔をあげ、才人と目を合わせる。ずれたメガネ、少し乱れた髪、そして夕焼けの黄金と雑じりあって描かれる茜色。才人は青い瞳から目を離すことができない。永遠にも等しい時間が過ぎ、タバサは腕をほどいた。――お、終わりか?解放される、と才人は安心と残念さが入り混じった気持ちを抱いた。しかし、タバサは、今度は彼のほほを両手で挟んだ。瞳に吸い込まれそうになりながら、才人は決して目を逸らすことはなかった。そして、そのまま手を首へと這わせ、しっかりと抱きしめる。彼女の顎は右肩の上にあった。――い、いいぃいいかんですよ、これは非常にいかんですよ!!ルイズやシエスタとだってこんなじっくりしっとり抱き合ったことはない。ほかの女性を引き合いに出すことはいかがなものかと思われるのが、彼には余裕がなかった。そのまま再び時が止まる。才人は、動けば世界が終ってしまう、という気持ちで必死に自制した。タバサの柔らかい体が、奈落への入り口のように感じられた。「サイト……」タバサの呟き。きっと意味はない。だけど、才人は答えてしまう。「な、なに?」語尾が跳ね上がる。情けないほど動揺していて、おそらくそれは彼女に伝わった。タバサは首に回していた手を、再び彼のほほにあてる。その光景は人によって評価が分かれるだろう。ある人は、兄にべったりと甘える妹、と。ある人は、年上の恋人に抱き着く恋人、と。「気づいて」瞳が潤んでいる。「感じて」顔が近づいてくる。「私の、気持ちを」瞬きすらできない。反してタバサは目を閉じる。「私の」「「そぉぉおいっ!!!」」桃と黒の風が駆け抜ける。メキャキャッと、才人の首から破滅的な音が響いた。「ぶろぁああっ!!?」才人は吹っ飛ばされ、地面を跳ね、たっぷり十メイルは吹き飛んだ。タバサは頬に添えていた手の形をそのままに、首をギリギリと動かす。「なんで」「当然です!」「なにやってんのよ!」シエスタとルイズが、肩で息をしながら仁王立ちしている。なんだかんだ言って仲がいい二人が、口づけをかわそうとする才人(ルイズ主観)の首にとび蹴りをぶちかました。今彼は仰向けに転がり、口から白いモヤモヤが出かけている。才人は多分、あんまり悪くない。敗因は動かな過ぎたことだ。彼の攻撃力は非常に高いが防御力は紙に等しい。「なんで!こんな抜け駆けみたいなこと、したんですか!!」「恋は駆け引き」シエスタがタバサに食って掛かるが、彼女は涼しい顔だった。そして追撃を加える。「ルイズはサイトを痛めつけすぎる。それに、私は別に彼が何人愛そうがかまわない。一番愛を注いでくれるなら、それでいい。あなたがいても全然おっけー」「くっ、それは魅力的な提案ですが……」「なに買収されそうになってるのよ!」的確に事実をついているのでうまく反論できなかった。才人に対しては破城槌のごとき強さを発揮したルイズ・シエスタペアだが、思わぬお得な提案をされてコンビ解消の危機に陥っている。恋は駆け引きで、抜け駆けされる方が悪い。たとえどれだけ汚い策略でも勝てば官軍なのだ。それでも、シエスタは欲望を断ち切るように、叫んだ。「とにかく、ダメです!ひいおじいちゃんも言ってました!!戦いは正々堂々仲良くやれって!」タバサの顔が魔法学院入学当初のものになった。その目に温度は感じられない。「そんな戦い、ありえない」タバサは暗い昏い穴の底で戦い続けてきた。シエスタはその表情に気圧される。ルイズは、彼女の境遇に思い当たった。「奇跡なんて、起こらない」じりっとタバサがにじり寄る。「だからこそ、わたしは」雪風のように冷たい空気。シエスタとルイズは知らず、後ずさる。「今日が最後の日でもいい、後悔しないように動く」二人の横を通り抜け、寝転がっている才人に駆け寄った。「サイト、起きて……」「「なぁっ!?」」タバサは新婚さんのように才人を優しく揺り起こす。桃黒コンビはただわなわなと震えている。「ん……タバサ?」「おはよう、サイト」夕焼けの中にあっても、向日葵のような笑顔だった。才人は思わず見とれてしまう。普段は口数も少なく、表情もあまり変化しない少女の大輪の笑顔、意外にも程があった。ここでタバサはちらっと二人を振り返り、ドヤ顔を決めた。「「……」」びきっと、青筋が走る。「なんか、あんまり記憶がない……ん、だけど」「ええ、、とってもいい気分だったと思うわよ、サイト」「そうですね、きっとあまりに気分がよくって忘れちゃったんでしょうね」鬼がいた。「さんきゅー、まい、とわぃらいと」才人は山間に沈む夕日へ感謝を告げる。奇跡は起こらなかった。今日が、最後の日になった。