※この作品は「千雨の世界」と微クロスしてます。電波を受信したとか、そんな感じのクロスです。
追憶の長谷川千雨 1
彼女、長谷川千雨はある記憶に苦しんでいた。
なにも彼女の部屋にある、痛々しいポエムや日記、更にはコスプレ写真についての記憶ではない。
彼女にあるのは、不思議な世界での記憶だった。
千雨の両親が殺され、彼女は肉体改造を受けたあげく、昔住んでいた麻帆良に戻ってくるという記憶だ。荒唐無稽も甚だしい。
だが詳細ははっきりとはしない。おぼろげに様々な人々が見え、断片的なワードが脳内にちらつく程度だ。
クラスメイトの大河内アキラや綾瀬夕映と共に、様々な事件へと立ち向かう。その際に小さなマスコット風のネズミや、メガネに白衣を着たあからさまな科学者風の人間も出てきた。
「漫画かよ」
チープで良くあるバトル漫画の主要人物の様だ。
記憶、と言うのには語弊がある。これを正確に言うのなら『妄想』と言うのだろう。もしくは『夢』だろうか。
なにせ千雨の両親は健在だし、大河内とはろくに話をした事が無い。綾瀬は席が近いだけあり、挨拶くらいは交わすものの親しいとは言えないだろう。ネズミやエセ科学者に至っては、まったくと言って知らない。
故に長谷川千雨はそれを『夢』と結論づけた。
ときおり見てしまう不可思議な夢、本来ならすぐ忘れてしまうのに、余りに印象が強すぎて覚えてしまう。そんな感覚なのだろう。
自分が大河内や綾瀬と共に、麻帆良を騒がす猟奇殺人の犯人を倒す、など夢想でしかない。
「だってなぁ」
麻帆良学園、女子中等部の寮の自室で、千雨はパソコンチェアに座りながら、近くにあったテレビの電源をつけた。
そこに映るのは、最近麻帆良で話題となっている猟奇殺人事件の報道ニュースだ。
ニュースではスタジオ内で事件の経過が、フリップを使って説明されている。千雨からすれば耳からタコがでるくらい、聞き飽きた報道内容だ。
確か、事件は今年の文化祭の終わりくらいだろうか、夏休みの少し前に麻帆良市内で女性の手首無し遺体が発見された。
警察の発表によれば、死因は第三者によると思われる外傷――つまりは殺人事件だ。
麻帆良は騒然とし、報道陣が一気に押し寄せた。被害者はウルスラ女子の高校生らしいが、千雨の通う女子中等部にも報道が押し寄せた。
学校では「インタビューに答えないこと」と生徒に厳命を出し、寮との登下校には集団登校が義務付けられた。休みの日の一人での外出も禁止とされた。
とは言っても、夏休みになった途端、ほとんどの生徒が実家に帰省してしまうわけだが。
その後、犯人の音沙汰は無く、テレビでの報道も減る一方。集団下校は続いていたが、その事件は徐々に忘れられていく事となる。
だが、一ヶ月ほど前の十月に事態は一変する。また新しい遺体が発見されたのだ。
同じく手首の無い遺体、警察の発表によれば同一犯との見方だそうだ。
再び麻帆良は混乱の渦となり、件の報道陣がまた帰って来た。
ニュースの映像は麻帆良市内を映している。千雨も見覚えのある通りだった。
「あそこでの買い食いも、なかなか出来そうにねーな」
お気に入りのクレープ屋が映ったが、この寮からは距離がある。よく休みの日に、買出しがてらに寄っていた店だ。
千雨の『夢』は昨日朝起きた時に、いつの間にか脳内へそっと入り込んでいた。思わずベッドで三十分ほど固まってしまった程だ。
しかし、冷静に考えれば『夢』も理解できる。その内容は一部を除き、千雨の周囲にあるものを寄り合わせて作られているからだ。
「クラスメイトに、殺人事件ねぇ」
思わずニュース番組に悪態をつきたくなる。「お前らが毎日殺人事件なんか報道してるから、あたしが悪夢を見てしまう」と。
テレビを見ていたら苛立ちが募ってきたので、その電源を落とした。
「――ったく。それよりネット、ネット」
カタカタとキーボードの音だけが室内に響いた。机の上にはデスクトップパソコンが一つ。
女子寮は相部屋だ。千雨の部屋も例外では無いが、部屋にいるのは千雨一人だった。
もう一人の住人は部屋に帰ってこない事が多く、ベッドや私物が幾つかあるものの、ほとんど千雨の一人部屋だった。
「んー、やっぱアクセスの伸びがいまいちだな。少しブログのデザインも変えてみるか」
余り友達のいない千雨は、ネットにはまり込んでいた。趣味が高じてついにはコスプレにも手を出してしまっている。
以前、目線で顔は隠したものの、コスプレした画像をネット上に投稿してら、予想以上の反響があった。
褒められるその気持ちよさといったら、想像以上の快感だった。
よって、千雨はネットアイドルになろうと決意する。
「でも、にわかにゃなりたくない。なるなら一番だ、うひひひ」
気味の悪い笑い声を上げながら、ブログのデザインをイジるために、テキストエディタを起動してソースをいじっていく。
凝り性な性格により、千雨はネットアイドルの下準備として、様々な専門知識を獲得していった。そこそこのプログラムも最近ではすぐに組める様になったし、ブログのデザイン程度ならわざわざ実物を見なくてもプログラムソ-スだけで理解できるぐらいだ。
現在は実験的にブログを立ち上げて、様々な事を試していってる。
来年、ネットアイドルとしてデビューした際に失敗を犯さない様にするためだ。
その日の夜、寮の一室では不気味な笑い声がひっそりと響き続けていた。
◆
明けて月曜日。
ねぼけ眼の千雨は、伊達メガネの下から手を突っ込み、目元をグジグジと擦った。
「――あふ」
あくびをなんとか噛み殺すも、その吐息までは消せない。
朝のホームルームに間に合うように2-Aの教室に辿り着き、ふらふらしながら自分の席へと向かう。
「おはようございます、長谷川さん」
「ん、あぁおはよう、綾瀬」
隣の席の綾瀬夕映と目が合い、挨拶をする。
挨拶をするだけすれば綾瀬の興味は失せた様で、彼女は同じ部活のクラスメイトの輪へと入っていった。
千雨は頬杖をつきながら、先日の『夢』を思い出した。
(やっぱり夢だよなぁ)
『夢』の中では綾瀬はいたく自分にご執心だったらしい。
とは言っても、千雨にその〝ケ〟は無い。男性同士のものなら多少二次元で嗜むが、正直リアルでそんなのはご免だった。
(つか、ありえねぇだろ。女同士って……)
眠気も合わさり、想像するだけで気持ちが悪くなった。
だが、同時に寂しさもあった。『夢』の中ではあれだけ自分と親しかった存在が、現実ではああもそっけない。まぁ、無理もなかろうが。
千雨はふと教室を見渡し、ある人物を見つけた。
長身のクラスメイト、大河内アキラだ。
水泳部期待のホープで二年生ながら次期エースだとか、高等部の人間も目をつけてるとか、男子生徒のファンが多いとか、なんとかかんとか。千雨がたまたま小耳に挟んだ内容だが、彼女はそんな感じらしい。
淡い期待。彼女ももしかしたら――、と話しかけてみる事にした。
他のクラスメイトと談笑する大河内に近づき、後ろからそっと声をかける。
「な、なぁ大河内……」
余り自分から話しかけた事が無いために、少しどもった。
大河内は千雨の声に気付き、そっと振り向いた。まさか千雨に話かけられるとは思わなかったらしく、ちょっと表情に驚きが混じっていた。
「なに、長谷川」
サバサバとした返事。されど、この一言で充分だった。
「あ、いやごめん。間違いだった、何でも無い」
「? そう」
少し眉間に皺を寄せながらも、大河内は千雨の事を気にせずに、クラスメイトとの談笑の輪に戻っていった。
(『長谷川』、ねぇ)
余り話した事の無いクラスメイトを、いきなり下の名前で呼ぶ人間は少ないだろう。
それに――。
(あたしは何言うつもりだったんだ。大河内とあたしは幼馴染で、なんかすごい前世っぽい記憶が云々――、電波過ぎるだろ)
自分の思考に、ぴくぴくと口元が引きつった。
大体、幼馴染、というのが麻帆良では当てにならない。麻帆良は中高一貫どころでは無く、幼稚舎から大学までの一貫教育まで行っている。
このクラスの半分程が麻帆良の幼稚舎出身であり、千雨もその半分に含まれていた。必然、広義の意味ではクラスメイトの半分が千雨の『幼馴染』なのだ。
実際の所、『幼馴染』という程親しい人は、千雨にはいない。若干人間不信であり、人との触れ合いを苦手としている千雨には、その様な気軽な相手はクラスにいなかった。
いや、寮の同居人とは多少だが親しい関係を保てている……のか?
(まぁ、喧嘩はしないわな。部屋にもあんまり居ないし)
寮の同居人をそっと見るが、いつも通り静かに座っていた。
(あいつと一緒にいると、なーんか居心地良いんだよな)
家族以外の人物と、一緒の部屋にいると若干萎縮してしまうのを、千雨は自覚していた。だが、彼女と一緒にいる時は、なぜかその兆候が無かった。
(まぁ、『夢』は『夢』って事だな)
数日苛まれていた、脳にこびりつく『夢』に、千雨は多少の折り合いをつけるのであった。
◆
ズズズ、と紙パックの中のフルーツ牛乳をすすりながら、体がブルリと震えた。
「やっぱ温かいものにしとくべきだったかな。うぅ、寒い」
場所は屋上。もう十一月となり、秋の彩が徐々に失われていってる。
そのため、昼休みに屋上で昼食を取る人間も減り、周囲はまばらだ。
千雨はわざわざコートを羽織り、更にはフードまでかぶってここで食事を取っていた。
手には空の菓子パンの袋が一つ。あと奮発したデザート用のゼリーもあった。
「ゼリーって。なんであたしはもっと温かいデザートを選ばなかったんだ」
十数分前の、売店にいた自分を恨みたくなる。
どうにも千雨はクラスの喧騒が苦手だ。昼休みとなると、それは一層酷くなる。
「ここは幼稚園かよ」
どたばた走り回ったり、机をなぎ倒したり、そんな風になりながらもニコニコと笑うクラスメイト。頭が狂いそうになる光景だ。
そのため昼休みになるとクラスから逃げ出し、この屋上で朝食を取るのが千雨の毎回のパターンだった。
「ここも限界だな」
もうすぐ真冬になる。時期的にもそろそろ屋上は潮時だろうと、千雨は思う。
ベンチから立ち上がり、近くの手すりに寄りかかった。
さすがに屋上というだけあり、麻帆良が遠くまで見渡せた。
「魔法使い、ねぇ」
『夢』によればここは魔法使いの街らしい。しかし、千雨は幼稚舎からこの街で過ごしているが、魔法なんてものは見た事が無かった。
視線を遠く、千雨は東京方面へと向けた。
「超能力に《学園都市》って聞いたことねぇぞ。それに《学園都市》って紛らわしすぎんだろ」
ここ麻帆良は『麻帆良学園都市』と呼ばれている。そして千雨の『夢』には東京西部を中心んした独立都市《学園都市》なるものが出てきたらしい。超能力を開発している、とかそんな設定らしいが、これらの与太話も同じく、千雨の現実の記憶とは合致しなかった。
「多摩に住んでる親戚の叔母さんちも、《学園都市》ってのに入っちまうわけか、ハハハ」
余り親しく無いが、数年前の正月に母方の叔母の家に遊びにいった事がある。確かそれが奥多摩の方だったと記憶していた。
文部省当りがもしかしたら東京西部に学園都市を作る計画をしているかもしれないが、少なくとも千雨は知らない。
「超能力ってのがあるなら行ってみたいかもな、少なくともここよりはマシだろう」
千雨は自分の人間不信の原因を、なんとなく理解している。自分の弱さを他者に擦り付けるのは嫌だが、実際のところこの麻帆良は千雨に合っていないのだ。
この街そのものが持つ空気が、千雨の波長と合致しない。価値観の乖離は、幼い子供同士の場合極端なコミュニケーション不全に至る。
幸いイジメにまではならなかったが、昔の千雨は子供の持つコミュニティにはうまく入り込めなかった。
今ならば、作ろうと思えば友人関係を作れるだろう。それでも、千雨は一人を選んでいる。彼女なりの処世術であり、他者に対する慈しみでもあった。
話しあう事さえしなければ傷つきあう事も無いだろう、という暴論にも似た帰結である。
千雨はゼリーのフィルムをペリペリと剥がし、小さなプラスチックスプーンで一気にがっついた。マンゴー入りのゼリーを、ものの数分で食べ終わる。
胃に冷たいゼリーが入ると、必然体も冷えた。
「うっ……さすがにダメだわ」
コートの襟を合わせて、体を縮める。昼食のゴミを屋上のゴミ箱に捨て、校舎内へ戻っていく。
(昼休みが終わるまであと二十分。どうしたもんかな)
教室に戻る、という選択肢は無い。
千雨は生徒もまばらな廊下を、コツコツと足音を立てながら歩き出した。
つづく。