彼は騎士だった。
彼自身、そのことに誇りを持っていた。だからかもしれない。彼が悲愴の末路を辿ってしまったのは。
彼は上司のレオナールに従い、神竜騎士団で力を尽くした。尽くそうとした。
だが、その努力は結果を実らせなかった。
彼とともに騎士団に入ったサラは、持ち前の弓の腕で評価され、皆からも慕われていた。
だが一方、彼は前線で剣を振るうことしかできず、それでさえ戦局に寄与するほどの力もなかった。
数回の戦闘を経て、騎士団でトレーニングを行っている時、彼は気づいた。
彼は必要とされていない。
それは味方の誰かから不意の投石を受けたことが物語っていた。
それからのトレーニングでは、彼はいつも石を投げられた。
誰も止めようとしない。誰も気にかけない。
それはエスカレートしていき、いつしか誰もが彼を蔑むようになった。
――愚鈍な騎士め!
だが彼はそれに耐えた。石を投げる連中に同期だったサラが混じっていたのを認めても、彼は歯を食いしばった。
なぜなら彼は騎士だったからだ。
やがてヴァレリアの戦局は大きく変わり、ゴリアテの英雄デニムの解放軍指導者としての地位と名声は不動のものとなった。
彼はその騎士団に依然としていたが、もはやデニムは彼のことなど歯牙にもかけていない。ほかの仲間たちも彼のことなどいないかのようだった。
彼は当てにされていない二軍だった。
だがそこには、彼と気の合う仲間もいた。騎士ペイトンとベイレヴラ神父である。
ある日、彼は二人と一緒に酒を飲んでいた。そこで話題になったのは、現状への不満である。
だが三人とも、それが詮無き愚痴であることを理解してもいた。
なぜなら彼らは弱かった。デニム周辺のメンバーと比べると、戦闘の能力に雲泥の差があった。
だが彼には思うところがあった。
――このままで良いのだろうか?
彼は二人に提案した。我々でトレーニングを行い、一軍で活躍できるよう強くならないか、と。
うまくいけば、出世できる。いままで蔑んでいた奴らを見返すチャンスでもある。
「奴らが驚く顔が楽しみだなッ。わっはっはっはっは」
「その暁には奴らに石でも投げてやるとしようか。わっはっはっは」
二人は彼に賛同し、三人だけの特訓が始まった。
それから時は流れ、ある日の晩のこと。
彼はいつもの二人から、こんなことを言われた。
「デニムから話があるらしい」
ペイトンとベイレヴラはにいっと笑っていた。
ここ最近、この三人が訓練の成果で驚くほど強くなっていることは騎士団に知れ渡っていた。
デニムからじきじきの話の内容とは――想像するのは容易い。日々の努力が実ったということだろう。
その日、三人は遅くまで祝いの酒宴を続けた。
翌日、三人はとある一室で待機していた。定刻になり、ほどなく一人の青年が姿を現した。
「待たせてすまなかった」
その人物こそ、解放軍の指導者デニムであった。
三人はデニムの次の言葉を緊張とともに待ったが、発せられた内容は首をひねるものだった。
一人ずつ話がある、と言うのだ。
なぜ三人まとめてでは駄目なのか。疑問は残ったが、彼らはデニムに従った。
まずペイトン。次にベイレヴラ。そして最後に彼が呼ばれた。
指示された部屋に入ると、そこは何もない簡素な部屋だった。目に付くのは、二振りの見慣れぬ剣くらいなものだった。
困惑する彼に、デニムは一つの呪文書を手渡した。
彼は騎士だ。魔法が使えるはずがない。
そんな彼に、デニムは恐ろしいほどの無表情で言った。
――解放軍のために、その身と魂を捧げる覚悟はあるか
その瞬間、彼は悟ってしまった。
先に行ってしまったペイトンとベイレヴラはもしや――
それでも、自分がどうなってしまうかわかっていても、彼はデニムの言葉に頷いた。
――彼は騎士だった。
◇
目を開けると、見知った天蓋が広がっていた。
わたしはいつも寝起きしている居室のベッドにいた。あの後、倒れたわたしはここまで運ばれたんだろう。
窓の外を見やると、ほのかに赤い空が見えた。夕焼けではなく、朝焼けだ。ということは、意識を失っている間に一日経ってしまったのか。
頭痛や目眩はもうない。けれども頭は寝起きのせいかぼんやりしていた。わたしは再び目を閉じて、思考をめぐらした。
ヴァレリア島、ウォルスタ、ガルガスタン、バクラム。デニム、ペイトン、ベイレヴラ、そして――ヴォルテール。
コントラクト・サーヴァントを行った直後、わたしの頭に大量の情報が流れ込んできた。
ハルケギニアの人間にとってみれば、想像もできないような世界だった。あれが「東方」と呼ばれる地なのだろうか? いや、でも月が一つしかないなんておかしすぎる。……今は、考えても仕方ないか。
わたしはゆっくりと目を開けて、上体を起こした。
「ふわあ……」
うんと伸びをする。半日以上眠り込んだせいかちょっと気だるい。目をこすりながら、わたしはベッドから這い出た。
直後、壁に立てかけられていたあるものを見つける。それはわたしの使い魔。かつては人間、そして今は持ち主に強大な力を授ける剣。
わたしはそれ――ヴォルテールのそばまで歩み寄った。
炎の剣。その剣身は80サントほどあるが、短剣のような軽さだ。そして何より驚くべきは、その能力。
わたしはヴォルテールの柄を握り締めた。
使い魔とその主は一心同体。ならば――
「――ラナ・デル・ウィンデ」
ルーンを詠唱し、剣を振るう。
刹那、風が前方の窓をその枠ごと変形させ、ガラスを粉々にして外へ吹き飛ばした。決してドットでは敵わぬ威力。ラインは行っているだろう。もしかしたら、トライアングルレベルまで上がっているかもしれない。
にい、と口がつりあがるのを感じた。
「イ、イザベラさま!?」
侍女の誰かが部屋に飛び込んでくる。わたしが振り向くと、その侍女は青ざめた表情で息を呑んだ。ああ、たしかに剣を持って笑っているのはちょっと危ないわね。
わたしは侍女のそばまで近寄った。よく見るとひざまで震えている。あらあら、ずいぶんと怖がり。わたしは愉快な気分で彼女に耳打ちした。
「しばらく散歩をするわ。窓のほうは、なんとかしておいて」
「ひっ……は、はい!」
もう昔のわたしではない。無能のわたしではないのだ。並のメイジを超える力、そして更なる上へ行く可能性を持っているのだ。
そして、それを愚か者どもに見せつけてやる。ガリアの王女は有能だと。そして――
「くく……」
最初に思い知らせてやるのはシャルロット、あんただよ!
◇
「お姉さま」
ガリアの上空を一匹の風竜が翔けていた。その背には主である一人の少女を乗せている。北花壇騎士のタバサである。彼女は任務を受けるため、騎士団長のイザベラの住まうプチ・トロワまで向かっているのだ。
「お姉さま」
苛立ちを含んだ声が響き渡る。しかしタバサはいっさい口を開いておらず、無言で読書をしている。この場に言葉を発するものはいないはずであった。何せここは上空三千メイル、周りにも物影一つ見当たらない。
「もう! お姉さまったら!」
「なに」
と、タバサは本に目を離さずぽつりと訊いた。その相手は本来、比較的知能は高いが人との会話をできるほどではない生物だ。しかしタバサの使い魔シルフィードは、それが可能な伝説的な竜――風韻竜なのである。
シルフィードはきゅいきゅいと怒ったようにタバサに話しかける。
「お姉さま! 少しは使い魔とのコミュニケーションを大切にするのね! シルフィ退屈!」
シルフィードの叫びもむなしく、タバサは読書に耽るばかりである。
どうしたらこの性格は直るのかしら、とシルフィードは思案した。学院でも付き合いがあるといってもいいのは一人だけ。それでさえ、素直に笑いを見せたりしないのだ。
雪風に閉ざされた心を引き出してくれるモノ……。うんうんと唸って考えいていたシルフィードは、ふと閃いた。
そうだ! 愛に違いない! 熱い愛情があれば、きっとお姉さまも明るくなるのね! そうすればシルフィともおしゃべりしてくれるわ! ……と、勝手にそんな結論に達した。
「というわけで恋人を作るのね!」
「なにが」
いきなり脈絡のない使い魔の言葉にタバサは疑問符を浮かべるが、シルフィードは一人で語りに入ってしまっている。こうなったら手のつけようがない。適当に頷いて受け流すばかりである。当然、意識は本に向けられたまま。
「だからお姉さまも――いたっ」
ポンと長杖で頭を叩かれて話を中断させられるシルフィード。
きゅいきゅいと喚く自分の使い魔に、タバサはいつもの無表情で一言。
「着いた」
◇
ガリアの王ジョゼフは無能王などと呼ばれ、蔑まれている。それは魔法の才がないことに加え、日々享楽的な生活を過ごしているからだ。
そしてその王女たるイザベラも、同じく無能の娘とされていた。魔法がやはりうまく使えず、さらに使用人たちに対する粗暴な態度が評判を地にまで落としていた。
そんなイザベラの任務を、タバサは淡々とこなしていた。
たとえどんなに理不尽であっても。たとえどんなに危険であっても。逃げるわけにはいかないのである。心を壊された母がジョゼフの手中にある限り。
幼いころはイザベラと仲良く遊んでいたこともあった。だが今は、そんな影はいっさいない。従姉であるイザベラがタバサに浴びせるのは、憎悪と嫉妬である。
それは、まさしく劣等感によるものだった。
タバサの父であるオルレアン公が、その兄であるジョゼフによって暗殺され、全てが変わってしまった。母は正体不明の毒に侵され、タバサは一介の騎士として裏の任務をこなす毎日。
そんなタバサのなかにある感情は、全ての元凶である伯父のジョゼフへの復讐心だった。
「ねえシャルロット」
そう、元凶はジョゼフである。だから、その娘には悪意を持つ必要などない。
「相変わらずの能面。つまんないわね」
たとえどんな非道を受けようと、彼女に対して抱くのは哀れみくらいのものだった。こうなってしまったのも、もしかしたら自分の存在のせいかもしれない。そして自分がこうなってしまったのは、イザベラの父ジョゼフのせいだ。皮肉なものである。
「まあいいわ。早いとこ任務に移りましょうか」
タバサはようやく意識をイザベラに向けた。長い口上は全て聞き流していた。ここにいるより……任務に向かうほうが幾分か気楽だ。
「今日、あんたを呼んだのは――」
次に放ったイザベラの言葉に、タバサは初めて感情を揺り動かした。
「わたしとあんたで模擬戦をするためよ」
にやりと獰猛な笑みを浮かべてイザベラが伝えた任務は、到底ありえぬものだった。
◇
タバサはトライアングルの実力を持つメイジである。そして戦闘経験は並の騎士では及ばないほどある。もちろん凶暴な獣や亜人だけでなく、対人戦の経験もだ。
だがイザベラは違う。魔法の才についてはさっぱり聞かないし、ましてや実戦の経験などあるはずがない。死地を潜り抜けてきたタバサとは天と地ほどの差があった。
そんなイザベラが、タバサと模擬戦をすると言った。なんとも奇妙な話である。
まともにやりあったらイザベラの敗北は必至。しかしそうはいかないだろう。何か裏があるはずだ。
「あんたはわたしの“部下”だからね。じきじきに稽古をつけてやろうってわけさ」
そう言って、隣を歩くイザベラはまたもやにっと笑った。その顔は自信で溢れている。やはり勝ちを確信しているようだ。
今、思いつくものと言えば、マジックアイテムだ。イザベラが腰に提げている布に包まれたもの……初めは杖かと思ったが、もしかしたらそれが自信の種なのかもしれない。
「さて」
中庭の中央、タバサとイザベラは対峙した。
目だけ上に向けると、晴天のなかをシルフィードが遠くで旋回していた。
「ルールは簡単さ。杖を落とされるか、降参するか」
タバサは視線を戻した。
イザベラは王冠や装飾品を外してはいるが、服装はとても戦闘向きとは言えない。べつに意図があるわけでもなく、彼女は戦いというものを知らないだけなのだろう。
それでも勝つという自信があるということは、相当な代物だ。タバサは侮りをいっさい捨て、気を引き締めた。
「始めようか」
その瞬間、タバサはかすかな驚きを顔に浮かべた。
イザベラが腰に提げていたものをあらわにしたのだ。それは……剣であった。赤橙色の、炎のような剣。
たしかにメイジのなかにも剣を扱える者はいる。しかしそれは軍人などの一部だ。魔法と剣を両立させるのは難易度が高いし、普通は魔法に重点を置く。
これがトライアングルやスクウェアクラスのメイジならともかく、相手はイザベラだ。
しかも、たとえどれだけ剣技に優れていようが、対メイジでそれが有効なのは接近したときに限られる。世の中にはメイジ殺しと呼ばれる平民も存在するが、それは如何にすれば己が優位に立てるかを熟知しているからこそだ。このような何の障害物もない中庭では、剣が魔法に勝てる道理はない。
ならば、どうして?
イザベラは剣を構えた。杖は……どこにもない。やはり剣で……? いや、もしかしたらあの剣が“杖”なのかもしれない。契約ができたのなら、魔法の行使は可能だ。
しかし剣は傭兵……つまり平民の使うものというのがハルケギニアでの常識だ。王女たるイザベラがそこまでするだろうか?
「ふぅん、畏怖してるの? でもこれは“任務”よ。杖を構えなさい」
任務……。そうだ、任務は果たさなければならない。やるしかない。
タバサは杖を構えた。
これは今までで一番難しい任務かもしれない。外敵なら手加減なしでできるかもしれないが、相手は王女で模擬戦だ。明らかに手を抜けば怒りを買うだろうし、無様な姿を晒させてしまったら恨みを買うだろう。
まずは様子見だ。
「はじめッ!」
衛士が声を張り上げる。
タバサは動かない。イザベラは一瞬ルーンを唱えたが、そんなタバサを見て鼻を鳴らした。
「格下相手には先手を譲ってやるって? まあ、いいわ」
ラナ・デル……。
はっきりとした声でルーンを発声するイザベラ。やはり素人だ。命のやり取りをする戦場では、敵に情報をやることは己を不利にするだけであるため、メイジは相手にどんな魔法を放つか悟らせないように工夫する。
来るのはエア・ハンマーだろうと推測したタバサは、イザベラより素早く、気取られないほどかすかな口の動きでルーンを唱えた。
二人の呪文が完成したのは同時だった。そして魔法も同じエア・ハンマー。
風と風がぶつかり合う。そして――タバサは吹き飛ばされた。
視界に澄み渡った青空と、燦々たる陽が映る。その眩しさに少し目を細めると、遠くで心配したように忙しなく動いているシルフィードが見えた。
……威力は抑えていた。だけどまさか、こうも簡単に打ち破れるとは思ってもいなかった。
さっと起き上がり杖を構えなおす。イザベラは悠々とこちらを眺めていた。どうやら今のが全力だったというわけでもなさそうだ。
ラインは確実に超えている。認識を改めなければならないようだ。手加減などしていたら大怪我では済まない。
イザベラはくつくつと笑いを堪えきれない様子。
「あらあら、身だしなみくらいは整えたらどうかしら?」
「…………」
タバサは無言でずれた眼鏡を直した。
「ラナ・デル……」
イザベラが再び呪文を詠唱する。相手の力が未知数すぎるので、真正面からぶつかりあうのは得策ではないだろう。幸い、イザベラは素直に……言いかえれば、バカ正直にこちらを狙ってきてくれる。
――風の槌が、駆け抜けた。
跳躍と同時にフライを発動させたタバサは、エア・ハンマーをすんでのところで回避。フライを維持しながら、イザベラの周囲を旋回する。
相手の焦燥と動揺が浮き彫りとなった。速すぎる展開に頭が追いつかぬ様子のイザベラを見て、タバサは目を光らせた。
フライを解除。ルーンを唱えながら着地。杖をイザベラに向ける。イザベラがようやくこちらに振り向きはじめる。威力を弱めたエア・ハンマーが完成。同時にイザベラはこちらを振り向き終え、苦い顔を浮かべる。タバサの放った魔法がイザベラへと迫る。そしてその風は、傷つけぬ程度にイザベラを転ばせ……なかった。
タバサの表情が凍った。おおよそ雪風の二つ名とは似つかぬほどに。
たしかに、あの状況であの攻撃を見てからは回避行動を取るには取れる。しかしそれは、回避しようとする行動を取れるだけであって、回避できるものではないはずだ。なぜなら人間の運動能力には限界があるから。とくに日頃運動などしてようはずがないイザベラには、まず不可能なことだった。
なのに、イザベラはそれをぎりぎりとはいえ避けてみせた。その速さは確実にタバサよりも上。驚くなと言うほうが無理がある。
人の運動能力を増強させる方法はあるにはある。しかしそれは、薬物などリスクの多いものばかりだ。イザベラが使うとは思えない。
だとしたら、やはり、あの剣が……。
「なかなか、やるじゃないの……」
冷や汗をかいたイザベラが言う。しかし本当に冷や汗をかいているのはタバサのほうだ。
「はッ、相変わらず余裕な表情ね……」
すでに無表情を装っているタバサを見て、イザベラが不快を顔に浮かべる。
どうするべきか、タバサは真剣に悩みはじめた。技量はないのに力だけはあるというのが厄介だった。翻弄ばかりしていても文句を言われるに違いない。
そうこうしているうちに、イザベラの魔法が飛んでくる。タバサはフライで翔けまわり回避する。イザベラは魔法を放った後が隙だらけのため、その気になればいくらでも攻撃できるのだが……歯がゆいことに、そう簡単にはいかない。
正直言って攻めあぐねていたのだが、イザベラには馬鹿にしていると思われたのだろう。
「ああ! ちょこまかと! 騎士なら正々堂々としたらどう!?」
北花壇騎士に正々堂々などと言うのはどうかと思うのだが、口には出せまい。タバサは仕方なく、地に降り立った。
互いに向き合い、対峙する。
「あー、もう。疲れたわ」
ため息をつき、口元に手を当て、考え込むような動作をするイザベラ。終わりにしてくれるのだろうか?
いや……違う。その目はまだ闘う気概を宿している。そして何かをぶつぶつと呟いて――
…………!
風系統を得意とするメイジだったからこそ、タバサは気づいた。その空気の振動に。
おそらくイザベラは、この模擬戦中のタバサの行動を見て学んだのだろう。
「――……――……」
ルーン。それも、この音と組み合わせは……広範囲を攻撃するトライアングルスペル!
予想はしていたが、まさか本当にトライアングルに達していたとは。けれども今更、考えたってもう遅い。早く対策を!
回避? 射程外まで逃げるには範囲が広すぎて避けきれまい。
防御? ある程度は防げても、はやり相応のダメージは免れまい。
攻撃? 今から放てるスペル程度では間に合わないし、相殺も狙えまい。
だとしたら、できることは――
「フル・ソル・ウィンデ……」
タバサは最速で呪文を唱えながら一瞬前屈し、そして地を蹴った。同時にレビテーションを自分に行使し、天高く跳躍する。トライアングルスペルの詠唱を終えたイザベラは当然、対象を捕捉しようとそれを目で追った。
そしてイザベラは……顔を手で覆った。
今日が快晴だったことに感謝するほかない。日の光を背に、タバサはレビテーションを解除。そしてすぐさま、詠唱の短いドットスペルを唱えはじめる。
徐々に加速する落下。イザベラはなんとかもう一度タバサに照準を合わせようとする。だがそれが叶う前に、イザベラは吹き飛んだ。
タバサの神速で紡いだドットスペルが当たったのだ。
もしもイザベラが少しでも戦闘経験を持っていたなら、即座に魔法を発動していたことだろう。広範囲魔法であるがゆえに、おおよその位置へ放っても敵に当たる確率は高いのだ。素人ゆえの判断ミスにタバサは救われた形となる。
だが、今は安心している場合ではなかった。
地面に衝突する寸前、再びレビテーションで重力加速を殺す。ふわりと降り立ったタバサは、急ぎイザベラの元へと向かった。威力調整をしている暇などなかったため、不安は残る。従者や衛兵が駆け付ける様子がないのは、呆然半分、普段からのイザベラへの悪感情半分だろう。
タバサが辿り着くと同時に、イザベラが上半身を起こした。それに少なからず驚いた。顔を歪めてはいるものの、そこまでダメージを負った様子がなかったからだ。
どう言うべきか迷っていたタバサを、イザベラが睨んだ。
「……なんでお前は」
その声は、心からの怒りと憎しみで塗れていた。
「なんでお前は……そんなに強い、そんなに優秀なんだッ。わたしはお前のせいで、いつも馬鹿にされてたッ。出来が悪いと……才がないと……! ふざけるんじゃないよ! わたしはわたしだ! お前なんかいなければ、わたしはッ……」
イザベラの目には涙が溜まっていた。怒気と憎悪はいつのまにか悲嘆へと変わっていた。イザベラがここまで急激にランクが上がったのは、あの剣によるものなのだろうが……それをもってしても負けたというのは、相当な衝撃だったのだろう。大きな無力感は、いつもの傲慢な王女からは到底想像できないような姿をさらけ出していた。
声が出なかった。
わかってはいた。イザベラにだって苦しみがあったことを。まだ父が暗殺される前、その時でさえ、そういう声はたびたび聞こえてきたものだった。だからこそ、イザベラはよくタバサに意地悪をしたりしたのだ。あの時、それを理解してイザベラを救ってやれたなら、今の彼女との関係は違ったかもしれない……。
だけどそれは、取り返しのつかない過去で。
今はもう、己を信じて進むしかない。
「……約束しな」
ふいにイザベラは、そう言った。
「約束しな! もう一度、勝負をすると。そして……次はわたしがお前を完膚なきまで痛めつけて、跪かせて、嗤ってやる。その時を……震えながら待っていなッ」
睨む瞳には、いつもの深い悪意ではなく強い意志が宿っていた。イザベラのこんな目は初めて見たかもしれない。
だからだろうか。タバサがそうしたのは。
「わかった」と任務の応答ではなく、個人の約束として強く頷いたのは。