宮殿のいくつかの場所には、ごく一部の人間しか知らない通路が隠されている。それらは地下へと続き、そしてガリアの首都リュティスのさまざまなポイントへとつながっている。つまり何か危機迫る有事が起こった際には、この秘密通路を使って宮殿外へ脱出するというわけだ。
わたしの普段から使用している居室も、書棚を動かし仕掛けを動作させることで、その通路を開くことができる。そこをさらに進むと分かれ道や、用途不明な部屋がいくつもあったりするのだが……もともと、そう何度も利用するものでもないので、わたしはそれほど詳しくは把握していなかった。せいぜい、通路をまっすぐ行きつづけると、リュティス南東にある修道院と練兵場営舎につながっているのを知っているくらいだ。
そんなわたしだが、昨日今日でこの通路はめずらしく何度も通っていた。
冷たく淀んだ、地下へと続く階段。コツコツと歩みを進め、やがて幅広の通路に躍り出た。
わたしはヴォルテールに灯していた、“ライト”の魔法の光を消した。さっきまでの階段と違って、ここからは等間隔で恒久的に光を発する魔法照明が設置されている。それほど強い明かりではないが、動き回るには困ることはない。
錬金で簡易的な舗装がなされている通路を少し行くと、右手側にいくつかのドアが並んで現れた。
それらのドアの先は、完璧な“固定化”がかけられた寝室であったり、魔法的に保存された食糧と水の備蓄庫であったりと、なかなかに親切な造りとなっている。先人の誰がこの通路を作ったのかはわからないが、手間と念の入れようには思わず感心してしまうほどだ。
だけど、わたしの目的はいちばん奥のドア。
そこを開けると、まず飛び込んできたのは頑丈そうな牢獄の光景だった。どうしてこんなものがあるのか、といちいち考えるのは面倒だ。とにかく、そういうものがあるのだから、“使わない手はない”だろう。
わたしは、鉄格子の奥に横たわる影に話しかけた。
「気分はどうだい?」
返ってきたのは無言だった。昨夜ここに放り入れた時は、無様にも命乞いを続けていたのだが、もはや諦めたのかもしれない。
吸血鬼――エルザは、手足を拘束用の魔法の縄で動けないよう完全に縛られている。いくら吸血鬼と言えども、厳重な魔法処理がなされた拘束を抜けるのは不可能だ。それに、ここまで手足の動きを封じられていれば、精霊に働きかける先住魔法も使えなくなる。
「少し話でもしようか」
わたしがそう言うと、エルザはゆっくりと体をこちらへ向け、睨むように目を細めた。
「……早く、殺したらどう?」
「心配しなくても、今日のうちにお前は死ぬさ」
もとより、生かすつもりなどない。
それでも、こうしてわざわざ、この吸血鬼をリュティスまで連れてきたのには理由がある。
「……お前には、親はいるかい?」
ふと思い出し、尋ねる。
サビエラ村の初日の夜、エルザはわたしに言った。両親はメイジに殺されたと。
あれはすべて作り話だったのか、それとも事実だったのか。
しばらく無言が続いたあと、エルザは疲れたように口を開いた。
「言ったでしょ? メイジに殺されたって。そのあとは、ひとりで30年くらいをずっと生きてきた」
「人間を殺して、かい?」
「それ以外に方法がないでしょ?」
エルザは冷笑的に顔を歪めた。
「あなたたちが動物や植物を殺して食べるのと一緒。わたしも人間を殺してその血を飲んできただけ」
「なら、その人間に殺されるのも仕方ないね。お前も、お前の親も」
わたしの吐き捨てた言葉に、エルザはぴくりと反応した。
そして、怒りを含んだ調子で言い返してくる。
「仕方ない? うそつき。何もしなくたって、殺そうとするくせに」
「ふん。だが現に、あんたたちは人間を襲っていたんだ。当然の報いさ」
「違うッ!」
狭い室内に、激昂した叫びが響き渡った。
その幼い外見に似合わず、エルザはまさに鬼のような形相でわたしを睨んでいた。
一瞬、それに少しだけ怯んでしまう。エルザは畳みかけるように、言葉を続けた。
「パパとママは、違った。殺して血を吸うのは、人攫いや盗賊のような悪人たちだけだった。なのに……あなたたちメイジは、そんなパパとママを殺したッ! ただ“吸血鬼だから”という理由でッ! 悪いのはあなたたちなのよッ!」
激昂した叫び声に、気圧される。
エルザの瞳には、憎悪が強く宿っていた。
それはおそらく、すべてのメイジ――人間へと向けられた感情なのだろう。
だけど、
「ねぇ、あんたは、その両親を殺したメイジたちを殺したの?」
自分でも思わぬほど冷たい声で問う。
わたしは形容しがたい、奇妙な感情を持っていた。
それは、問いへの答えに対する期待だったのかもしれない。
だからわたしは、
「…………そ、そいつらは……殺してやりたいけど、もうどこにいるか」
「――――アハハハハハハッ!」
その返答に、腹を抱えて笑った。いや違う。嗤ったのだ。
だって、これだけ傑作なことはない。
両親をメイジに殺されて、それから30年以上、コイツは“平民”を襲って満足していたのだ。それだけの年月と、吸血鬼としての力があれば、“親の仇”を探し出して殺してやることもできたであろうはずなのに。
殺してやりたい? それは嘘だ。本当は“自分が生きたい”のだ。
臆病者で愚か者なこの吸血鬼は、本当にすべきことをしないで、親の死を利用して、自己弁護しながら生きてきたのだ。
恥辱で顔を赤くしたエルザをわたしは鼻で笑い、そして宣告する。
「さあ……死の時間だよ」
コツコツコツ、と誰かが通路を歩む音。それは次第に近づいて聞こえてくる。
部外者、ではない。この頃合いにやって来るよう、わたしが仕向けさせていた。
しばらく続いた足音は、この部屋のドアの前でとまった。
「入ってきなさい」
わたしの言葉で、ゆっくりとドアは開かれた。
そして現れたのは――眼前の光景に驚いている彼女の姿だった。
右手には地下水が握られているが、彼がここまで彼女を案内してきたのだ。
ノエル。かつての名は、ノエル・ド・スラン。
彼女はびくつきながらも室内に足を踏み入れ、牢獄の前までやってきた。
「……これはいったい、どうなっているのですか?」
身体を完全に縛られ、しかも左手首を欠損している子供を見て、ノエルは怪訝そうな顔をしている。
わたしは無言で、懐中から一つのものをノエルに手渡した。
ロケットの付いた、ネックレス。
ノエルの父親――セドリックの、唯一の形見。
「……どうして、これを? もしかして……父とお会いになったのですか!?」
「ああ、会ったさ」
驚いて問うノエルに、わたしは暗く呟いた。
「……けれど――」
わたしは話した。任務地の村でひとりのメイジに出会ったことを。
わたしは教えた。そのメイジの名は、かつてセドリック・ド・スランというものであったことを。
わたしは伝えた。だけど彼は――もうこの世にいないということを。
そう。
「セドリックは死んだ」
――どうしてですか?
「……殺されたのさ」
――誰に……ですか?
「吸血鬼に……」
――それは
「そう」
息を呑むノエルに、わたしは使い魔――ヴォルテールを、地下水と交換するように握らせた。
どうやら主人たるわたし以外には、身体能力や魔力の増加は及ばなくなっているようだが、それでも重量は女子供でも振りまわせるほどであるし、その切れ味は死をもたらすのには充分だ。
牢獄の扉の鍵を開け、ノエルを中へと導く。
「さあ」
囁くように、告げる。
「“親の仇”を討ちなさい」
息を呑む音。
それはノエルのものか、それともエルザのものか、あるいはわたしのものだったのかもしれない。
燃え上がるような炎を宿した剣が、振り上げられる。
張り詰めた時間は、永遠のようだ。
だけど、それはヴォルテールの一振りによって切り裂かれた。
「ひっ……」
と、エルザが小さく悲鳴を上げた。
それだけだ。
本当に、それだけだった。
吸血鬼は――死んでいない。
当たり前だ。
ヴォルテールは、何もない地面に向かって振り下ろされたのだから。
「……どう、して?」
なかば呆然と、わたしは問うた。
外れたのではない。相手は少しも動いていなかったのだから。わざと外したのだ。
じゃあ……どうして?
「すみません、イザベラさま」
うつむいて、ノエルは言った。
「わたしには、できません」
その言葉の意味を理解するのに、少し時間がかかった。
だけど、その心中は依然として理解できない。
「そいつは……吸血鬼よ! あなたの父親を殺した、敵。見た目で人を騙して、今まで多くの人間も殺してきたのよ! 気兼ねする必要はないわ!」
声が熱くなる。
なぜ、殺さない?
わからない。
「違うんです」
違う?
何が?
なぜ?
「だって――」
わからない。
思いつかない。
いや、もしかしたら。
わかりたくなかったのかもしれない。
「復讐のために殺すなんて、悲しいだけじゃないですか……」
知らずのうちに、手が出てしまっていた。
頬を叩かれたノエルは、それでも、わたしを見透かすように見つめている。
何か自分が惨めになったような気がして、ひどく気分が悪かった。
「……消えなさい! この宮殿から、立ち去りなさい!」
そんなことは、本心から思っていなかったはずだ。
それでもあふれ出る感情を抑えきれずに、いつの間にか言葉を出してしまっていた。
ノエルは無言で一礼すると、ヴォルテールをわたしに返して、部屋を出た。
重苦しい。
誰も言葉を発しない。
混ざり合った感情を鎮めることもできない。
わたしは衝動的にヴォルテールを振り上げた。
吸血鬼。
多くの人々を殺した、忌むべき存在。
殺したってかまわない。殺すのが当然だ。殺すべきなのだ。
振り下ろす。
今度は、エルザは動揺すらしなかった。
ただ、何か考えるように目を伏せているだけ。
その首の真上で静止させた剣のことなど、気にも留まらないと言うかのように。
「……くっ」
……今はもう、ここにいたくない。
わたしは牢獄に鍵を掛けなおすと、逃げるように立ち去った。
◇
大切なものは、いつもなくなってから気づくのだ。
最初に気づいたのは、父――ジョゼフがオルレアン公を謀殺した時のこと。それから父は気をおかしくして、娘のわたしでさえ、まともに会話もできなくなってしまった。親子の絆なんて、もはやわたしと父の間には存在しないのだろう。でも、それだけなら……まだマシだったかもしれない。
その時、わたしは、わずかに残っていたもう一つの絆をも、投げ棄ててしまった。
『お前……、誰に口をきいているの?』
あの時のわたしは、バカみたいに思い上がっていた。父の所業についてよく考えもせず、ただ一時の優越感に流されて、無力で罪のない少女を死地へと追いやった。
それでも、アイツは生きて帰ってきた。殺した化け物の巨大な爪を携えて。
短く切られた青い髪、泥と血に汚れた服、そして冷たい雪のような瞳。
不可能だったはずの任務を成し遂げたアイツに、わたしは戦慄と嫉妬と憎悪を湧き上がらせて、そして道を大きく誤った。
「今度はどうするんだい?」
わたしの顔、わたしの記憶、わたしの性質を持った人形は、わたしの心を見透かしたように問うてくる。
この人形の言うことはいちいちムカつく。だって……わたしのことを、いちばんよく理解しているのだから。
「また意地を張って拒絶して、そして自分も貶めるつもり?」
うるさい。黙れ。そんなことは百も承知よ。
気に入らない、気に入らないと子供のように振る舞った結果が、これまでのわたしの醜い姿だったのだから。
でも、ヴォルテールを召喚してからは変わった。
いえ、違うわ。変われたのよ。わたしの意志で。
召喚からまだ日は浅いけれど、それでもわたしは学び、知った。
ひとは変われるんだ、って。
「なら、変わりなさい。つねに前を歩んで、変わりつづけなさい。――そんなふうに、下ばかり向いていないで」
うるさいうるさい! わかったわよ!
だったら……進んでやるわよ。歩いてやるわよ。
止まっていたって、何も変わりやしない。
でも歩き続ければ、何かが変わるだろう。
辛かったり、苦しかったりするかもしれないけど……でも、何もしないよりは、何もできないよりは、ずっと辛くないし、ずっと苦しくないだろうから。
だから――行くわ。
先へ。
“さらに先へ”
「ええ、行ってきなさい。イザベラ――」
◇
「とある少女の話をしよう」
牢獄の前で座り込んだわたしは、独り言のように呟いた。
ぼうっと天井を見上げていたエルザは、ゆっくりとわたしに視線を向けた。
「彼女の父親は、その時世の国王の、二人目の男子だった。つまるところ、彼女は未来に一国のお姫様にもなり得る身分だった」
本当は、“なるはずだった”と言うべきなのかもしれない。
だって、オルレアン公が選ばれるであろうことは、明々白々だったのだから。
「でも、彼女の日常は唐突に終わりを告げた。国王の一人目の男子、つまり彼女の父親の兄――彼女の伯父が、謀略に及んだから」
「……謀略?」
「彼女の父親は暗殺され、彼女の母親は毒によって心を狂わされたのさ」
しばしの沈黙の後、「……彼女は、どうなったの?」とエルザは問う。
「当然ながら、身分は剥奪された。でも、それだけじゃない。彼女は無理やり“騎士”にされて、そして危険な任務に送り出されるようになった――今もね」
父親を殺されて、彼女はどう思ったのだろう。
母親を狂わされて、彼女はどう感じたのだろう。
そして仇敵にいいように扱われて、彼女はどう考えているのだろう。
もし。
「もしも――彼女が、伯父に復讐を果たした時」
その時、わたしはいったい。
「その“伯父の娘”は、何を想うのかしらね」
そして、どうすればいいのだろうか。
今度は、わたしが父の仇を討つのだろうか。
そうしたら、今度は彼女の仇を討とうと、誰かがわたしのことを狙うようになるのだろうか。
「……ま、今は、そんなことより」
わたしは牢獄の鍵を開けた。
ヴォルテールを引き抜き、右手に提げる。
「お前は、どうしたい? 両親を殺したメイジに復讐をしたいか? それとも――人を殺して、生きつづけたいか?」
「…………わからない」
答えに迷うように、エルザは答える。
「パパとママを殺したメイジたちは憎い。そして死にたくないって思いもある。だけど――どうすればいいの? どうすればよかったの? ……もう死ぬっていうのに、意味のない問いかもしれないけれど」
それはきっと、わたしにも完璧な答えはわからない。
だけど、吸血鬼としての生き方にも、もっと良い方法はあったはずだ。
「――条件次第で、お前を生かしてやってもいい」
エルザの目が大きく見開かれた。
訝しげな表情が、その真意を求める。
「わたしは、たくさんの人間を殺したのに? そんな吸血鬼を生かすって言うの?」
「勘違いしないで。そんな簡単に、野放しにするわけでもないわ。そう……人間を傷つけずに、人間のために、働いてもらうことになるわ」
「…………わたしが嘘をついて逃げ出そうとしたら、どうするの?」
「好きにすればいいさ」
もし本当にそんな思惑を持っていたのなら、それは逆に“地獄の苦しみ”になるだろう。
自分の意に反して、“制約”は身体に絶対服従を求めるのだから。
だから、この質問は、字義どおりの肯定か否定だけで全てが決まる。
わたしは左手に地下水を持ちながら、エルザに問いかけた。
「――人間のために、その身と魂を捧げる覚悟はあるか」
◇
突然だが、わたしは街としてのリュティスについて、それほど詳しく知っていない。どこにどういった施設があるか、ということなら為政者の娘としてそれなりの知識は持っているのだが、もっと俗なこと――たとえば酒場の場所などについては、さっぱりわからないのだ。
だから酒場の名前だけを頼りに、“同行者”と半日近くもかかって(新鮮味のある街の店々に、道草を食っていたわけではない、断じて)、わたしはようやく目的の酒場を見つけ出すことができた。
“同行者”は店の外で用件が終わるのを待つことになり、わたしは独りでその中へ入ることになった。
酒と料理の匂いが混ざり合い、つんと鼻をつく。
騒ぐ客たちに呆れながらも、わたしは店内を見回した。
――いた。
料理を運んでいる使用人の顔を見定めると、わたしは厨房の入り口近くのカウンター席に腰掛けた。
「ご注文はいかがいたしましょうか?」
カウンターの向こうから、人の良さそうな初老の男性が聞いてきた。
注文といっても、もともとここへは食事や酒のために来たのではない。とはいえ、席を取りながら金を落とさないというのも卑しいので、財布から硬貨を取り出して男性に渡す。
「悪いが、注文しに来たんじゃない。それで勘弁してくれ」
「え、いやこれは……何も出さないで1エキューも頂くなんて……」
「気にするな。それよりも……っと」
先程の使用人が厨房へ戻ろうと、こちらのほうへ歩いてきていた。
手提げ鞄をから一枚の封筒を取り出し、目を閉じる。
彼女が隣を通り過ぎようとしたところで、わたしはその名前を呼んだ。
「――ノエル」
びくりと慌てたように、彼女は振り向いた。
髪をブラウンに染色していたせいで今まで気づかなかったようだが、呼びかけられた声のおかげで、すぐにわたしのことはわかったようだ。
「イザベラ、さま。どうして……」
「知っているやつに聞いたのさ。ヴァレリー、って娘だったかしら」
「……ご用件は、なんでしょうか」
恐る恐る、といったふうに尋ねるノエル。
まあ、その反応ももっともだろう。出ていけと言った主人の王女が、こんな場所にまでやって来たのだから。
わたしはにやりと笑って言った。
「あなたの今の仕事を、できなくさせようと思ってね」
「――――」
息を呑むノエルに、わたしは封筒の中身を取り出して手渡した。
「――――え?」
途端に、今までの険しかった表情がぽかんと崩れた。
わたしは笑いをかみ殺しながら、彼女に話す。
「根回しに少し時間がかかったけど、なんとか手筈は整えられたわ」
「ノエル・ダルトーワ……この名前は……?」
「アルトーワ伯に協力してもらったのさ。ま、名義としてだけだから、それほど気にする必要はないわ」
「でも、この時期なら、もう」
「たった数週間足らずの遅れでしょ? 今からでも充分、やっていける」
「……本当に、よろしいのですか?」
「当たり前よ。そのために、ここまで来たんだから。それで……返事は?」
手紙の文面をしばらくじっと見つめていたノエルは、静かに目を閉じた。
その内容を咀嚼するように、大きく深呼吸する。
そして開かれた目は、かすかに潤みを帯び、言葉を紡ぐ口元は、柔らかく笑っていた。
「こんなにしていただいて、無下になんてできませんもの」
「――喜んで、お引き受けします」
そんなノエルにつられて。
わたしもほほえんで祝辞を述べた。
「リュティス魔法学院への入学おめでとう、ノエル――」
◇
酒場を出たわたしは、小さく伸びをした。
ここのところ、いろんなことがあって、少しくたびれた。
といっても、まだまだ休むこともできないが。ノエルのことに関する後始末も残っているし、これからのケアも必要だ。
それと、北花壇騎士団の仕事も。……いっそのこと、面倒だから全部、あのスキルニルに押しつけようかしら。
などと思いながら、店の横の細い路地に小さな影を見つけたわたしは、声をかけた。
「用事は終わった」
わたしに気づいた影は、どこか重苦しい様子で歩み寄ってきた。
「……あの子、は?」
「了承してくれたよ。これで少しは――セドリックの想いも、果たせるかもしれない」
「…………そう」
うつむいた彼女は、自嘲するように呟く。
「やっぱり……顔を合わせるのが怖かった。わたしは……どうすればいいのかな、あの子に……」
「……いつか、会いにいけばいい。そこで、話せばいい。自分のこと、自分の思い、自分の意志を」
「……………………うん」
弱々しく頷く彼女。
なんとなく、しんみりとした空気を振り払うように。
わたしはくるりと背を向けた。
「帰ったら、お前にも手伝ってもらうことが山ほどある」
「…………うん」
「ちゃんと働かなかったら、“ごはん”も抜きにするから覚悟しなさい」
「……うん」
「一段落したら、任務にだって行くことになるんだから、もっとしっかりしなさいよ」
「うん」
「それじゃあ、行こうか――エルザ」